ビョーク

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これはアイスランド人の名前です。姓にみえる部分は父称であり、の名前としてのではありません。この記事で取り扱っている人物は、正式には個人名ビョークで呼ばれます。
ビョーク
Björk
Bjork by Hello, I am Bruce at Nature Awareness Nattura concert Reykjavik 2008.jpg
基本情報
出生名 Björk Guðmundsdóttir
出生 1965年11月21日(46歳)
出身地 アイスランドの旗 アイスランド レイキャヴィーク
ジャンル ロック
ポップ・ミュージック
エレクトロニカ
オルタナティヴ・ロック
ダンス
ジャズ
トリップ・ホップ
クラシック
職業 ボーカリストミュージシャンプロデューサーアレンジャープログラマー俳優
担当楽器 ボーカル、ラップトップ(ノートパソコン)
活動期間 1977年 -
レーベル One Little Indian
Elektra
Polydor
Mother
Smekkleysa
共同作業者 The Sugarcubes, Tappi Tikarrass, KUKL, Spit and Snot, Exodus, Jam80
公式サイト bjork.com

ビョーク・グズムンズドッティルBjörk Guðmundsdóttir、([ˈpjœr̥k ˈkvʏðmʏntsˌtoʊhtɪr] ( 聞く)) 1965年11月21日 - )は、アイスランドレイキャヴィーク生まれの女性歌手シンガーソングライター作曲家女優ビョークとして知られている。ソロで精力的に活動する以前は、オルタナティヴ・ロックバンド「ザ・シュガーキューブス」のメイン・ボーカルとして活動していた。

彼女は様々なジャンルの音楽に影響を受けた革新的な音楽を生み出すことで知られ、グラミー賞に12回、アカデミー賞に1回ノミネートされるなど多数の賞を獲得している。

彼女のレコード・レーベル One Little Indianによると、2003年現在、彼女は全世界で1,500万枚のアルバムを売り上げている。

目次

[編集] 経歴・概要

ヒッピームーブメントに影響を受けた両親(ちなみに両親は彼女が1歳の時に離婚している。母の再婚相手はギタリスト)のもと、4歳の頃から作曲を始め、7歳から地元の音楽学校に通いフルートやピアノ、クラシックを学ぶ。

1977年に母ヒュドゥルの勧めで12歳にしてアルバム『Björk Guðmundsdóttir』でデビュー。アイスランド童謡を歌ったこのレコードで、アイスランド国内で爆発的な人気を得る。しかし彼女自身はカバーばかりで自分の曲が1曲しか入っていないこのアルバムに満足していない発言を後に残しており、レコード会社からの2枚目のアルバムの話を断り、天才少女の肩書きと決別する。

さらに、アーティストたるもの新しいものを創造することが使命であり、過去の作品を演奏することの多いアカデミックな音楽教育に疑問を呈する発言をしており、その後アイスランドに訪れたパンクの波に影響され13歳で「タッピティカラス」などのいくつかのバンドを結成。さまざまなパートを担当する。

1986年、ギタリストのソール・エルドンと結婚し、6月8日に息子シンドリを出産。この日にギターポップバンド「ザ・シュガーキューブス」を結成。夫と共に立ち上げたレーベル「バッド・テイスト」からデビュー。英語で発表した曲はアイスランドのみならず英語圏でも注目を集めて人気インディーズバンドとなり、1990年にはワールドツアーを行い、来日も果たす。 同じく1986年アイスランドにて息子シンドリの育児をしながら、グリム童話を題材にした映画 ビョークの『ネズの木』~グリム童話よりに主演を果たしている。

ザ・シュガーキューブス解散後、1993年にソロアルバムをリリース。ソロとしては3枚目であるが改めて『デビュー』と題したこのアルバムはハウスを取り入れた先鋭的かつポップなサウンド、天真爛漫でフォースフルなボーカルが大々的にフィーチャーされ、世界的にヒットした。

若い頃には東洋的な顔立ちから日本人に似ていると周囲に指摘され、三島由紀夫などの日本文学を読んでいた。幼少時に観た日本映画『鬼婆』に形容しようのない印象を受け、日本に強い興味を抱いていたという。空手をしていると公言したり「アーティストとして初めてリスペクトされていると感じたのが日本」ともコメントしている。その影響か日本人アーティストとコラボレートすることも多く、アコーディオン奏者のcoba1995年のワールドツアーに参加。アートディレクター石岡瑛子にはミュージックビデオの監督を依頼。dokakaヒューマンビートボックスでアルバム『メダラ』に参加した。川久保玲ジュンヤ・ワタナベの服を好んで着ることでも有名。写真家 荒木経惟のファンであり、彼が撮ったポートレートをアルバム『テレグラム』(1996年)のジャケットに使用した他、荒木のドキュメンタリ映画『アラキメンタリ』に出演したり雑誌などでも盛んに共演している[1]

2000年、ミュージカル映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に主演。ゴールデングローブ賞主演女優賞、最優秀オリジナル・ソング賞にノミネート。カンヌ国際映画祭パルム・ドール、最優秀女優賞を受賞した。劇中での音楽を担当し、アルバム『セルマソングス〜ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク』をリリース。グラミー賞とアカデミー賞にノミネートされ、アカデミー賞会場ではマラヤン・ペジョスキーがデザインしたスワンドレスを着てレッドカーペットに現れ、ステージで劇中歌「I've Seen It All」を披露し、大きな話題を呼んだ。 日本では2001年の正月映画として公開されヒットした。

2004年に行われたアテネオリンピックの開会式で「Oceania」をパフォーマンス。

2005年7月2日DREAMS COME TRUEDo As Infinityなども参加した幕張メッセLIVE 8 Japanコンサートでライヴ・パフォーマンスを披露した。LIVE 8はG8八カ国同日に行われたイベントであり、世界貧困撲滅キャンペーンの一つである。

同年、ビョークは日本についての映画『拘束のドローイング9』への出演とサウンドトラック創作に打ち込んでいた。同作を製作したアーティストのマシュー・バーニー2011年現在のパートナーであり、彼との間に娘イザドラをもうけている。

[編集] 名前

「ビョーク」とは「カバノキ」、「グズムンズドッティル」とは「グズムンドゥルの娘」を意味する。

[編集] 影響力の強さ

様々な分野のミュージシャンとコラボレーションを行うことでも知られ、インタビューなどでビョークに影響を受けたと答えるミュージシャンも多い。

シンクロナイズドスイミングヴィルジニー・デデューフィギュアスケートミシェル・クワン[要出典]の演技で彼女の曲が使われるなど、他分野の芸術家にも影響を与えている。

[編集] 熱狂的なファン

精神に病を患ったフロリダのファン、リカルド・ロペスは、ビョークを殺害するための酸性爆弾を作製する過程をフィルムに撮影した。22時間にわたるそのビデオテープには、爆弾作製の過程に加えて、愛に対する彼の考えや彼の不平不満なども語られ、彼のビョークへの強い執着が述べられていた。映像はさらに続き、爆弾をビョーク宛に郵送し終えて、すぐにでもビョークが死ぬと信じている彼は、奇妙なフェースペイントを塗り、頭髪を剃った後、カメラの前で彼自身を銃弾で撃ち抜いた。彼は自分の命を奪うことには成功したが、そのビデオを見た警察によって、郵送された爆弾はビョークに届く前にスコットランドヤードが探し出した。

[編集] 論争

[編集] 暴行事件

1996年2月タイドンムアン空港で、テレビの女性レポーター、ジュリー・カウフマンがマイクを向けて問いかけた瞬間、突然ビョークがリポーターに掴みかかった。同行していたスタッフに止められてバスに乗り込んだが、その映像が世界中に流された。レポーター側は「ただ、ウェルカムと言っただけ」と主張。ビョーク側は、同行していた息子シンドリに「こんな自分勝手なお母さんの息子って、どんな気分?」とリポーターが言い、カメラで関係のない息子を撮影したことに激怒したと主張。後にビョーク側が「大人気なかった」と謝罪した。ネット上の動画投稿サイトにアップロードされた映像[2]によると、女性レポーターは単に「Welcome to Bangkok」としか言っていない。

2007年8月フランスの空港で執拗に付回すカメラマンを殴り、その映像がネット上で公開されて話題となる。

2008年1月13日ニュージーランド滞在中に、オークランド国際空港で付き添い人の制止を無視して撮影を行ったカメラマンに暴行した。カメラマンがビョークの写真を数枚撮影後、その場から離れようとした際、ビョークが追いかけてカメラマンのTシャツを引き裂いた。揉み合いを続ける中、ビョークは自ら床に転倒した[3]

[編集] チベット独立宣言事件

2008年3月2日中国上海で行われたコンサートで事前に演奏を届け出ていない[4]「Declare Independence」を歌った際にチベットを連呼した。これを受け、中国文化省は文化省のサイト上で、規定に違反して個人的な芸術活動を政治利用し人民の感情を傷つけると不快感を表すコメントを掲載すると共に、中国国外アーティストへの制限を強化する意向を発表している。一方のビョークも自身のサイトで、自分は政治家ではなくミュージシャンである旨のコメントを返している。

2008年2月に日本武道館で開催されたコンサートでは同じ曲でコソボを連呼しており、この影響でセルビアでの出演をキャンセルされている。

[編集] ディスコグラフィー

  • ビョーク・グズムンズドッティル/Björk Guðmundsdóttir(1977)
  • グリン・グロ/Gling-Gló (1991) - 母国のバックバンドとセッションしたスウィング・ジャズアルバム。グリン・グロとはアイスランド語で時計の針が進む擬音。
  • デビュー/Debut (1993)
  • ポスト/Post (1995)
  • テレグラム/Telegram (1996) - 『ポスト』のリミックスアルバム
  • ホモジェニック/Homogenic (1997)
  • セルマソングス〜ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク/Selmasongs (2000) - 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のサウンドトラック。レディオヘッドのヴォーカリストトム・ヨークとのデュエット『I've Seen It All』を収録
  • ヴェスパタイン/Vespertine (2001)
  • グレイテスト・ヒッツ/Greatest Hits (2002)
  • ファミリー・トゥリー/Family Tree (2002) - 『グレイテスト・ヒッツ』に未発表曲などを加えた6枚組BOX
  • ザ・ライヴ・ボックス/Live Box (2003)
  • メダラ/Medúlla (2004)
  • アイチューンズ・オリジナルズ/iTunes Originals (2005) - 現在は配信されていない。
  • 拘束のドローイング9/Drawing Restraint 9 (2005) - 『拘束のドローイング9』のサウンドトラック
  • サラウンド/Surround (2006) - 過去のアルバムを5.1chサラウンドにリミックスし、全ビデオクリップも加えた7枚組DualDisc(DVD+CD)の限定BOXセット
  • ヴォルタ/Volta (2007)
  • ナチュラ/Nattura (2008) -母国アイスランドの自然環境保護キャンペーン「Nattura」のために書き下ろし、デジタル配信限定でのリリース。トム・ヨークがバックコーラスで参加しており、収益はすべて同キャンペーンに寄付される。
  • バイオフィリア/Biophilia (2011)

[編集] 日本公演

2月7日,8日,9日 渋谷 ON AIR WEST
1月31日,2月1日 恵比寿ガーデンホール、4日 日本武道館、5日 愛知県勤労会館、7日 九州電力ホール、9日,10日 松下IMPホール
8月1日 東京ベイサイドスクエア
12月2日 昭和女子大学人見記念講堂、5日 オーチャードホール、7日 東京国際フォーラムホールC
  • 2003年 フジロック・フェスティバル
苗場スキー場
7月2日 幕張メッセ
2月19日,22日 日本武道館、25日 大阪城ホール

[編集] 脚注

  1. ^ 雑誌SWITCH2003年10月号掲載
  2. ^ bjork attack reporter - YouTube
  3. ^ 歌手ビョーク、ニュージーランドでカメラマンに暴行ロイター
  4. ^ 「営業性演出管理条例」にもとづき、中華人民共和国内で演奏する中国国外アーティストは演奏する曲目を文化省に提出し許可を得る必要がある。

[編集] 外部リンク

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