カーブル

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カブール から転送)
カーブル
كابل
Kabul
位置
の位置図
座標 : 34°31′59″N, 69°9′58″E
行政
アフガニスタン
  カブール州
 市 カーブル
市長 Rohullah Aman
地理
面積  
  市域  ?km2
標高 1800m
人口
人口 (2006年現在)
  市域 2,536,300人
その他
等時帯 UTC+4:30 (UTC+4:30
夏時間 なし

カーブル市(カーブルし、Kabul)は、アフガニスタン首都カーブル州州都。日本の主だった報道機関各社は「カブール」という呼称を用いているが、学術的にも一般的にも「カーブル」が妥当である。現地語での発音も「カーブル」に近い(後述)

ヒンドゥークシュ山脈の南縁、カイバル峠の麓のカーブル川沿いの狭小な丘陵に位置する標高約1,800mの町。商業が非常に活発であるほか、皮革・家具・ガラス工業、テンサイ糖の生産なども行われる。アフガニスタンの経済的・文化的中心地で国内最大の都市である。1931年に開学された国内最高学府である国立カブール大学はこの都市にある。ガズニーカンダハールヘラートマザーリシャリーフとアフガニスタン国内を一周する環状の高速道路で結ばれている。

3000年以上の歴史を持ち、古くから"文明の十字路"と呼ばれた。現在、数十年続いた戦災からの復興の途上にある。カトマンズと並び、ヒッピーの聖地と言われていた時期もある。

目次

[編集] 人口と構成

人口は2,536,300人 (2006年の公式推計[1]) 。ペルシア語系住民が市内人口の多数を占め、スンナ派タジク人が最大のグループで、シーア派ハザラ人とタジク人がそれに続く。ペルシア語化したパシュトゥーン人の住民も多い。少数派では、パシュトー語系のスンナ派住民がもっとも多く、テュルク系のウズベク人が続く。他にインド語派方言を話すヒンドゥー教徒とシク教徒も相当数が居住している。

[編集] 歴史

アレクサンドロス大王の東方遠征以来、たびたび中央アジアペルシアの勢力のインドへの侵入路となった。7世紀アラブ人によって征服され、イスラム世界の一部となる。ムガル帝国の創始者バーブルは、シャイバーニー朝サマルカンドを追われてこの都市を首都に定め、インドを征服した。

ムガル帝国とサファヴィー朝との争奪を経て1738年アフシャール朝ナーディル・シャーによって征服され、その死後、パシュトゥーン人(アフガン人)がアフガニスタンの起源となるドゥッラーニー朝を興すとその首都となった。1839年1879年に、2度のアフガン戦争で2度とも一時イギリス軍の占領下に置かれる。

1979年ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻が始まると、12月23日ソ連軍によって占領され、1988年に撤退するまでその司令部が置かれてムジャーヒディーンゲリラとの激しい攻防の中心となった。1992年ナジーブッラー共産主義政権が崩壊すると、カーブルはムジャーヒディーンの手に落ちたが、ムジャーヒディーン各派の紛争によって甚大な被害を受けた。同年12月、かつては市内に86台走っていたトロリーバスはすべて運行停止を余儀なくされた。

1993年までに、市内の電気系統と上下水道は完全に機能を停止した。当時、ラッバーニーが率いるイスラム協会が市内を掌握していたが、有名無実の首相ヘクマティヤール率いるイスラム党が市街を1996年まで3年間にわたり包囲した。市内では、イスラム協会、ドスタム将軍派のイスラム民族運動、ハザラ系のイスラム統一党の間で戦闘が続き、数万人の民間人が犠牲になるとともに、大量の難民が発生した。

1996年にカーブルはターリバーンに陥落し、ナジーブッラーは公開処刑された。ターリバーンのカーブル占拠の間は、カーブルを巡る紛争はすべて止んだ。ラッバーニー、ヘクマティヤール、ドスタム、マスードらはカーブルから撤退した。

約5年後、2001年10月にアメリカがアフガニスタンに侵攻した。米軍による激しい空爆によって、同年11月21日ターリバーンはカーブルを放棄し、北部同盟が代わってカーブルを支配下に治めた。12月20日、カーブルはアフガニスタン暫定行政機構の首都となり、その後カルザイ大統領の率いる現政権に引き継がれて、現在に至る。

[編集] 社会資本

カーブル市内の地図

[編集] 輸送機関

カーブル国際空港がカーブル市民の長距離移動の玄関口となっている。同空港は、アフガニスタンの国営航空であるアリアナ・アフガン航空のハブ空港であるだけでなく、多くの外国の航空会社にも利用されている。3,500万ドルの費用を掛けた新ターミナルが、旧ターミナルの隣に建設中で2008年に完成の予定である。

カーブルには公営のバス会社 (Millie Bus) も運営されており、市内の多くの路線がある。2007年現在、約200台のバスが稼働しているが、さらに増便される予定である。かつてカーブルを走行していた、近代的なトロリーバスを再導入する計画も検討中である。バスに加えて、タクシーも市内のどこでも利用することができる。

カーブル公営バス (Millie Bus)


自家用車の利用もカーブルでは増えつつあり、トヨタランドローバーBMWヒュンダイなどの代理販売店が市内中に見られる。一般道路や高速道路の整備が進むに連れて、自家用車を購入する人が増えている。カーブル市内でもっとも普通に見られるのはトヨタのカローラである。バイクを除いて、カーブル市内のほとんど全ての交通機関は軽油を利用している。

[編集] 通信

ビジネス街の新しいランドマーク、カーブル・トレード・センター

GSM/GPRS携帯電話サービスが、Afghan Wireless、Roshan、Areebaの3社によって提供されており、携帯電話の利用が飛躍的に伸びている。2006年6月、アラブ首長国連邦の通信会社Etislatは、アフガニスタン国内での営業免許を政府から取得したことを発表し、全国規模の携帯電話ネットワークの構築の意志を明らかにした。同年11月、アフガニスタン通信省と中国の通信会社 (ZTE) は、6,450万ドルで全国に光ファイバーネットワークを構築する契約を交わした。これによって、カブール市内だけでなく全国で、電話、インターネット、テレビやラジオ放送の通信状態が向上することが見込まれる。2007年現在、アフガニスタンのテレビ放送局は6社ある。

[編集] 再建と開発

カーブル・シティー・センター

2006年10月時点で、アフガニスタン国際銀行 (INGグループによって運営されている)、カーブル銀行、ウエスタンユニオンなど、カーブル市内には14の銀行がある。 2005年には、4つ星クラスの高級ホテルが6階の最上階に入った屋内式のショッピング・モール、カーブル・シティ・センターがオープンした。5つ星の高級ホテル、セレナホテルは2005年にオープンし、ハイアットリージェンシーホテルは2007年なかばにオープンの予定である。長年カーブルのランドマークであるインターコンチネンタルホテルも、改装されて営業中である。

また、カーブル川南岸とJade Meyward通りに囲まれたカーブル旧市街は、内戦で破壊された建造物に混じって数多くの古いモスクが存在し、また、活発な商業活動が行われている地域であるが、更なる発展のために、20-25年の長期かつ大規模な商業的、歴史的、文化的再開発事業計画 (City of Light Development) が、現在、カルザイ大統領と政府の支援を得た民間資本 (ARCADD) によって進められている。

カーブルから約4マイル離れた郊外、バグラミ地区に、近代的な設備を備えた22エーカーの工業団地が完成し、近い将来、新たなビジネスセンターになると思われる。 2006年9月には、2,500万ドルの費用を掛けたコカ・コーラの工場がオープンした。

[編集] 放送

周波数 出力 放送時間(JST)
93.0MHz 1KW 1000-0330
105.2MHz 30W 1000-0330
1107KHz 400KW 1000-0330
  • Raio Free Afghanistan
周波数 出力
1296KHz 400KW
100.5MHz
  • その他
局名 周波数 局名 周波数
Arman FM 98.1MHz Ariana Radio 93.5MHz
Radio Killid 88.0MHz Radio Nawa 103.1MHz
ERTV Radio 96.8MHz University Radio 106.7MHz
Radio Watandar 87.5MHz Voice of Women 96.3MHz
AFNカーブル 105.7MHz,107.3MHz BBC 89MHz,101.6MHz
BFBS1 102.4MHz BFBS2 103.5MHz
ドイチェベレ 90.5MHz ISAF Radio 88.5MHz,91.6MHz,107.5MHz
フランス国際放送 89.5MHz

[編集] ツーリズムと観光名所

カーブルの旧市街には、細い曲がりくねった小路沿いに多くのバザールがひしめいている。その他の見所には、カーブル国立博物館 (アフガニスタン国立博物館)、ダルラマン宮殿 (アマーヌッラー・ハーンの王宮)、バーブル廟、戦勝記念塔などがある。

[編集] 名称について

現在の日本では多くのマスメディアが第二音節の“u”を長母音とした「カブール」の名称で呼んでいるが、ダリー語アラビア文字ペルシア文字)表記 “کابل ”(Kābul) では第一音節の“a”が長母音で、発音は「カーブル」あるいは「カーボル」に近い。もともと日本語では「カーブル」と表記していたが、いつのまにか「カブール」と呼ばれることが多くなってしまっている。しかし学術的には「カーブル」と書かれることが一般的であり、高等学校世界史教科書などでも「カーブル」が使用されている。

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