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清風中学校・高等学校
清風中学校・高等学校 円形校舎
過去の名称 大阪電気学校
大阪電気学校堺分校
財団法人浅香山電機工業学校
浅香山高等学校・中学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人清風学園
校訓 安心・尊敬・信頼(徳・健・財)
設立年月日 1932年7月
創立記念日 5月31日
創立者 平岡宕峯
共学・別学 男女別学(男子校)
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
理数科
高校コード 27567A
所在地 543-0031
大阪府大阪市天王寺区石ヶ辻町12番16号
地図
北緯34度39分49.7秒 東経135度31分18.2秒 / 北緯34.663806度 東経135.521722度 / 34.663806; 135.521722座標: 北緯34度39分49.7秒 東経135度31分18.2秒 / 北緯34.663806度 東経135.521722度 / 34.663806; 135.521722
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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清風中学校・高等学校(せいふうちゅうがっこう・こうとうがっこう、英語: Seifu Junior/Senior High School)は、大阪府大阪市天王寺区石ヶ辻町に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校

姉妹校として、学校法人清風南海学園が運営する清風南海中学校・高等学校(大阪府高石市)がある。

概要

高野山真言宗大僧正である平岡宕峯により1932年(昭和7年)創立された、大阪電気学校の堺分校を前身とする[1]。高校の電気科に加え、1948年(昭和23年)に高校普通科を設置、中学校を併設する。

1949年、当時の大阪府知事赤間文三により、幕末の長州藩の藩政改革者村田清風に因んで「清風」と名づけられた。創設者の平岡宕峯は当時名だたる企業改革の仕掛け人であったため、村田清風の名前を頂いた。

1954年には商業科を設置しているが、その後電気科・商業科の募集を中止している。

仏教を中心とした宗教教育を実践している。

組織

  • 理事長 兼 学園長 - 平岡英信(平岡宕峯の子)
  • 法人専務理事 兼 校長 - 平岡宏一(平岡宕峯の孫)
  • 法人本部長 兼 副校長 - 平岡弘章(平岡宕峯の孫・宏一の弟)

創業者一族による同族経営である。

沿革

  • 1932年(昭和7年)7月 - 大阪電気学校(電気科)として設立。
  • 1937年(昭和12年)4月 - 堺市に大阪電気学校堺分校(電気科・機械科)を開校。
  • 1945年(昭和20年)
    • 2月 - 中等学校令により、大阪電気学校堺分校を母体とする財団法人浅香山電気工業学校(電気科・機械科)を堺市に設立。募集は男子のみ。
    • 6月 - 堺空襲により校舎焼失。
    • 7月 - 堺市錦西小学校へ移転。
  • 1946年(昭和21年)4月 - 大阪市逢坂小学校へ移転。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月 - 学制改革により浅香山電気工業学校は浅香山電気工業高等学校と名称変更し昇格認可。電気科に加え普通科を設置。募集は男子のみ。
    • 8月 - 浅香山高等学校と改称し、大阪市天王寺区石ヶ辻町(現在地)へ移転。
    • 10月 - 高等学校に定時制課程(普通科・電気科・商業科)を設置。男女共学。
  • 1949年(昭和24年)1月 - 当時の大阪府知事の命名により、学校名を浅香山から「清風」と改称。
  • 1951年(昭和26年)3月 - 私立学校法に基づいて、学校法人清風学園と改組。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 全日制に商業科を設置。
  • 2006年(平成18年)11月 - 11月2日付の朝刊で「履修漏れ」の報道がなされた。芸術鑑賞への参加を芸術の1単位としていたことが発覚し、その年の2、3年生全員が補習を受けることになった。

教育方針

  • 建学の精神 - 徳・健・財、三拍子そろった姿でルールを守り、世の中のために尽くす人間となるために勤勉努力する理想的な人物を育成する。
  • 教育方針 - 勤勉と責任とを重んじ、自立的精神を養うと共に明朗にして誠実、常に希望の中に幸福を見出し、社会のすべてから「安心」と「尊敬」と「信頼」の対象となり、信用され得る人物を育成するため(清風魂の獲得)、仏教を中心とした宗教による教育を実施する。
  • 清風魂 - 清風魂とは、社会の全てから安心と尊敬と信頼される人物になるという目標を、実行させる精神力であり、実現する魂である。
    1. 正しい判断力を育成し、鋭い断行力を養う。
    2. 先祖伝来の宗教を中心に敬神崇祖の念を養い、信仰心を確立し、信念と不屈の精神力を身につけること。
    3. 常に節制を守り、体力の練磨向上を計り、徹底した精進努力をすること。
    4. 礼節を重んじ、父母を大切にし、先祖に感謝し、年長者や先生を尊敬すること。
    5. 素行を正しくして、常に正確な予算生活の実行者となること。
    6. 常に自利利他・福の神のコースを脱線せぬよう心がけ、急がず、息まずの心構えで勤勉努力を続けること。

仏教中心の宗教による教育

教育方針にも高野山真言宗の教えをベースに、「仏教を中心とした宗教による教育を行う」ことや「仏教の戒律を守る精神に基づき、ルールを守る大切さを体得させる」ことを明確に掲げている。

教科課程の道徳の時間には仏教の時間を組み込んでおらず、系統立った仏教教育の授業もない。その代わりに“教科外活動”で生徒の「宗教心」を“励起”しており、これを「宗教教育」と称する。毎日の朝礼での般若心経読経や年1回の修養行事などが行われている他、期末考査では必ず「宗教」の試験が行われる。

  • 般若心経 - 清風では、毎朝朝礼時に合掌し「般若心経」を読誦する。また仏教の教えの、「四恩十善」を生徒に説いている。
  • 修養行事 - 各学年ごとに宗教行事(修養行事)が行われている。これは「信仰の大切さを体得させ」るためのものと位置づけられている。

学校生活

朝礼

毎朝8時35分より実施される。内容は黙想、般若心経の読経、学校長の訓話、(時には学園長による腹式呼吸、暗示)である。雨天時は、放送にて教室で行われるが、小雨では運動場で行うこともある。その後、担任によるホームルーム約5分(内容は晴天時と同じ)。また、石井慧ダライ・ラマ14世など、オリンピック出場者や著名人などが訪れ、訓話をすることもある。

学友会

清風高校には生徒会ではなく、学友会という名の組織が存在する[2]。役職には、会長(1名)、副会長(2名)、書記(3名)がある。全校生徒による選挙は行わず、前期後期各初めの代議員会で推薦または立候補した者の中から各クラスの代議員により投票で選出される。

制服・体操服

制服は、2013年入学者からは高校はブレザー、中学は6つボタン詰襟(立折襟)の独自デザインに変更された。ともに安藤彰彦デザイン。高校生のブレザーの上着胸元には校章に「SEIFU 1945」と書かれたエンブレムが縫い付けられており、ネクタイの色で学年を判別する。中学生は襟につける校章バッジの色で学年が判別できる。

2012年までの入学者の制服は高校・中学とも統一デザインのブレザーである。上着の胸元にはSと書かれたエンブレムが縫いつけてある。また、ネクタイは、エンジグリーンの各色が用意され、学年が識別できるようになっている。このため、学年章は着用しない。かつてはあらかじめノット(ネクタイの結び)の部分が作られたワンタッチタイプのネクタイをホックでカッターシャツに固定する方式が採用されており、いわゆる通常のネクタイは希望購入制であったが、1990年代後半の校則改正により通常のネクタイに変更された。

1989年(平成元年)までは学ラン(紺色・黒ボタン)が制服であった。

体操服は、冬用、夏用ともに胸に大きく「SEIFU」のロゴが入り、冬用長袖上着は丸首トレーナー(スウェット)タイプ、夏用半袖上着は首周りと袖口がゴムの縁取りで絞られたタイプとなる。学年の識別は、冬用がトレーナーの色、夏用が首周りと袖口のゴム、ロゴの色で判別される。

教育・研究

英語および数学に関して、教育研究所が設置されている。課外学習としてNIE(教育に新聞を)活動がある。これは記事を題材にフィールドワークや討論を行い高度な思考能力の獲得や社会問題の理解を目指すものであると説明されている。清風高校・中学はNIE実践校として活動しており、2003年には第10回の発表会(日本新聞協会朝日新聞社・大阪府教育委員会・大阪市教育委員会主催)が「自然と人間の共生」をテーマに南校舎7階で開かれた。この学習の一環として北朝鮮による拉致被害者家族連絡会蓮池透の講演会も催された。著名人を招いて講演会を催すこともある。1997年2003年に日欧4人のノーベル賞受賞者を迎え「フォーラム21世紀の創造」が開催された。超伝導の理論の研究でノーベル賞を受賞したアンソニー・レゲット、同じくノーベル賞学者の江崎玲於奈らが講演を行っている。

2006年11月、2014年4月、2016年11月にはダライ・ラマ法王による法話会が開かれた。

学科・コース

3か年(高校入学教育)

    • 理Ⅲ6か年編入科 (高校2年次より理Ⅲ6か年科に編入)
    • 理数科
    • 文理科

6か年(中高一貫教育)

    • 理Ⅰ6か年科(清風中学校からの内部進学コース)
    • 理Ⅱ6か年科(清風中学校からの内部進学コース)
    • 理Ⅲ6か年科(清風中学校からの内部進学コース)

コースは実力テストや定期試験などの成績により学年進級時に入れ替えがある。

注:理Ⅲ6か年編入科は1年間で6か年コースへ追いつくための独自のカリキュラムを採用

施設

ファイル:清風高等学校南校舎.JPG
南校舎

施設は、北館(旧北校舎)(5階一部7階建て・1962年および1968年落成・2003年改築)・総合体育館(地下1階地上3階建て・1983年落成)・中央館(7階建て・2016年秋完成)と、片側2車線の道路を挟んで真向かいにある南館(旧南校舎)(地下1階地上7階建て・1982年落成)で構成されている。南館は、その他の施設がある北側の敷地と陸橋(大阪市に寄贈)でつながれている。

総合体育館は、地下1階には柔道場と剣道場が、1階には体育系クラブの部室が、2階と3階(一部を除く)には体育ホールが、屋上にはテニスコート(20m × 45m)がある。3階の一部にはトレーニングルーム(現在はフェンシング部の部室)と呼ばれるスペースがある。

校内の集会で、中学・高校の全生徒が集められる運動場は、コンクリートに人工芝全天候型である。毎朝の朝礼は運動場で行われている。

運動部の部活動は、運動場や体育館のスペースを分け合う形で行われている。ちなみにグラウンドが狭いため、運動部の中には、清風南海学園のグラウンドや大阪城公園を使用する部もある。また、水泳部やヨット部は、プールがないため、運動場でトレーニングをしている。

2016年に新校舎が完成した。まず、事務所棟を取り壊し新校舎の東側を作り、円形校舎および西校舎から中学校が移転された。その後円形校舎等を撤去し、校舎の西側を作って全体を完成させた。ここには食堂(従来は学校食堂がなかった)や大教室が作られたほか、円形校舎から器械体操室が移転した。屋上にはテニスコートが作られている。

清風神社

北校舎7階には、総大理石造の「清風神社」がある。清風神社の祭神は天照大神であり、伊勢神宮の分社である。

清風曼荼羅
真言宗系の寺院の多くで本尊とされている「大日如来」が、清風曼荼羅として礼拝用具一式と共に、南校舎の1〜2階吹き抜け部分に設置されている。これは、南校舎の建設時に製作・安置された。真言宗の教義に基づく胎蔵界曼荼羅であるが、諸如来を色で表現している色マンダラの様式をとっている。
瞑想室
本校舎2階に設置されている。宗教部が利用しており、一般学生が利用することは少ない。
瞑想室には、清風曼荼羅(胎蔵界曼荼羅)と対になる曼荼羅が安置されている。真言宗の教義に基づく金剛界曼荼羅であるが、諸如来を色で表現している色マンダラの様式をとっている。

食堂・フードコート

2017年に完成。中央館一階に食堂、2階にフードコートがある。

曼荼羅アリーナ

2017年に完成。中央館3階から5階にかけてある。体育館として使用したり、卒業式などいろいろな時に使用される。

ラカンホール

2017年に完成。説明会、保護者会などに使われる。

年間行事

拝賀式

1月1日に行われる。参加は自由。

100km歩行

3月下旬(終業式・中学卒業式後)に、清風学園から高野山までの100kmを歩く。しかし、中学1年生は途中の泉ヶ丘駅の30km地点で終了となる。2018年より中学2年生は55㎞になった。希望者による有料参加だが、ハイキングや富士登山等に参加することによって得られるポイントが基準を超えている必要がある。最後は高野山奥の院にある清風供養塔に参拝する。天候によっては途中で打ち切りになるが、それでもバスで清風供養塔に行く。

ハイキング

年4回、主に大阪府南東部や和歌山県北部・中央の山間部で行われる。希望者による有料参加。ルートは主に「100km歩行」のルートの一部であり、「100km歩行」の予行を兼ねている。

昼間歩行第1回(4月)および第2回(6月)が行われる。距離は10-15km程度で、和歌山県の山間部。区間は、「100km歩行」の和歌山県高野山手前付近および「第4回」の蔵王峠付近である。

第3回(9月・32 km)および第4回(11月・35 km)は、夜間歩行が行われる。

富士登山

夏休み(約20日間)中の7月下旬に富士登山を行う。8合目か元祖7合目の山小屋に仮眠し、深夜に山小屋を出発して山頂でのご来光を目指す。各ルートの「山頂」でなく、最高峰の剣ヶ峰 (富士山)の横の山まで登る。しかし、2016年度は天候悪化のため、剣ヶ峰まで行けずだった。中学2年生から高校3年生までが参加できるが、高校3年生の参加は担任の許可が必要である。希望者のみの有料参加であるが、参加は抽選となる場合が多い。高校2年生のうち、参加経験のない希望者は抽選が免除され全員が参加できる。ただし、少なくとも1回はそれまでに開催されたハイキングに参加している必要がある。

勉強合宿

8月20日頃から3泊ほどの日程で、ホテルに缶詰になって1日中勉強を行う。参加は有料で必須あるが、欠席するためには正当な理由が必要とされる。中学生1年生は7月に林間勉強合宿を行う。

第2学期始業式

2学期の始業式は9月1日ではなく9月3日としている。これは1950年9月3日に関西地方を襲ったジェーン台風により旧校舎が全壊し、学園存亡の危機が訪れたが、その後無事鉄筋コンクリートの校舎で学園が再建されたため、学園の新生記念日として9月3日を2学期の始業式としている[3]

文化祭

9月初旬に2日間(金、土曜日)、行われる。文化部・運動部・クラスが、様々な展示や模擬店を出す。体育館へ行こうでは、多数のバンド漫才が披露される。

体育祭

10月初旬頃に、中学校は京セラドームにて、高校は金岡公園陸上競技場(Osaka Metro御堂筋線新金岡駅から徒歩約10分)にて行われる。

合唱祭

11月頃に、大阪府立国際会議場(グランキューブ大阪)で行われる。中学生の全生徒を対象に催されているもので、各クラスがそれぞれ1曲唄い、学年毎にその巧拙を競う。

スキー合宿

12月の冬休み中に希望者のみ有料で長野県方面横手山のスキー場(定員200名)で合宿を行う。中学1年生は全員参加する必要がある。(2月中旬頃に)

四天王寺の「どやどや」

毎年、1月1日から14日間、大阪市天王寺区の四天王寺・六時堂で修正会(しゅしょうえ)が修せられ、14日の結願(けちがん)の日にどやどやが行われる。高校生は紅白ふんどし姿で参加する。参加は自由[4]

高野山修養行事

毎年5月に中学1年生および高校1年生を対象に行われる行事。2泊3日の間、普賢岳に分宿して修養行事を行う。修養行事ではオリエンテーションをしたり、高野山の高僧から講話を聞き、写経等を行う。また奥の院や清風供養塔にも参拝する。写経が終わると全員の写経を納め、全員が菩薩戒の受戒を受ける。修養行事には必ず参加しなければならず、参加しなかった場合原則進級できないとしている。

宿坊の浴室が狭く、涼しい時期で汗をあまりかかないこともあり、宿坊での入浴はない。

なお、高野山に限らず全ての修養行事では生徒は原則私語厳禁で、喋ると激高されたり余計に歩かされたりする。

法隆寺修養行事

中学2年生は法隆寺・高校2年生では、法隆寺薬師寺に日帰りで参拝する。

伊勢大神宮修養行事

中学3年生・高校3年生では、伊勢神宮に日帰りで参拝する。近畿日本鉄道団体専用臨時特急を使用する。

クラブ活動

運動部では例年インターハイに出場する部が存在している。その中で特に体操部の実績は顕著であり、オリンピックをはじめとする国際大会にもOBが多数出場している[5]

テニス部も全国有数の強豪校として知られ、全国選抜高校テニス大会では3度の優勝と5度の準優勝を記録し、2010年現在男子部門で唯一第一回大会から連続出場を続けている高校でもある。文化系では電気部の高校生ITキング決定戦(平成13年-15年NHK放送)での3連覇、皇居での歌会始の儀で4回の入選などが挙げられる。またM-1甲子園(全国高等学校お笑い選手権)(吉本興業主催)での優勝などの活動もみられる。

陸上部は、1978年から2008年まで全国高校駅伝に31年連続で出場した名門であり、2009年倉敷高校に抜かれるまでは最長出場記録を保持していた。附属の清風中学でのクラブ加入率は約8割である[6]

進路状況

毎年300人弱の国公立大学合格者を輩出している。例年東京大学は数名、京都大学大阪大学神戸大学はそれぞれ25人強が合格している。早稲田大学慶應義塾大学はそれぞれ20名程。いわゆる関関同立は700人前後が合格する。また医歯薬系合格者は例年国公立に20人程、私立に100人程が毎年存在する。

姉妹校

著名な出身者

政治・経済・文化

スポーツ

大阪電気学校

交通・アクセス方法

脚注

  1. ^ 『2001年 価値ある学校(ラッキースクール)を探そう 関西男子校+共学校』旺文社、2000年7月1日。ISBN 4-01-008958-X 
  2. ^ これは、権限を少なくする為の図々しい措置であり、生徒の意見が反映されず、髪型は清風カット又は丸刈りと言った強制や、携帯電話の持ち込み禁止(子供ケータイは良い)(違反者は保護者呼び出しの上解約)といった時代にそぐわない古い校則が未だに存在するのが現実である
  3. ^ 但し、実際には「補習」と称して8月20日頃から2学期の授業は事実上始まっている
  4. ^ 運動部などでは参加を強要されることもある
  5. ^ 週刊朝日・日本の名門校2003年8月16日
  6. ^ 翔文社書店・中学進学ガイド2004年版
  7. ^ 溝口敦笠井和弘ももなり高『血と抗争! 菱の男たち 1』、p.145 竹書房、2002年。ISBN 4-8124-5658-4

関連項目

外部リンク