大阪府立春日丘高等学校

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大阪府立春日丘高等学校
大阪府立春日丘高等学校
過去の名称 学校組合立三島女子技芸学校
学校組合立三島実科高等女学校
三島郡立三島実科高等女学校
三島郡立三島高等女学校
大阪府三島高等女学校
大阪府立三島高等女学校
大阪府立茨木高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府の旗 大阪府
併合学校 茨木女子農業学校
設立年月日 1911年1月24日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程・定時制課程
単位制・学年制 学年制(全日制)
単位制(定時制)
設置学科 普通科
(全日制・定時制とも)
高校コード 23536K
所在地 567-0031
大阪府茨木市春日二丁目1番2号
外部リンク 公式サイト
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大阪府立春日丘高等学校(おおさかふりつ かすがおかこうとうがっこう)は、大阪府茨木市春日二丁目にある公立高等学校

概要[編集]

1911年、三島女子技芸学校として設立。その後、高等女学校への改編と大阪府への移管・改称を経て、大阪府立茨木高等女学校となった。北摂の公立の女子の教育機関としては最も長い歴史を持っている。1948年新制高等学校への改編時に、大阪府立茨木高等学校との校名重複を回避するため、所在地の旧・三島郡春日村(茨木市は同年1月1日発足)から現校名が取られた。

全日制と定時制を設置している。地元では、「春高」(かすこう)の略称で呼ばれている。かつては多くの分校を持ち、それらの中の多くも定時制課程を持っていたが、現在では分校はすべて廃校になっている。大阪府教育委員会から2001年、「次代をリードする人材育成研究開発重点校」(エル・ハイスクール)に指定されている。また文理学科設置校と並んで、府から骨太の英語力養成事業の指定を受けている。普通科単独校では、本校と寝屋川高校のみの指定である。

校内に棚があることから、イメージカラーは藤色で、学校祭(体育祭文化祭)は「藤蔭祭」、同窓会は「藤蔭会」と称する。なお、旧・三島郡春日村の村名の由来も、10大字中8大字の鎮守が藤紋を神紋とする春日神社郡神社(春日大明神)だったことである。

1938年に建てられた旧本館校舎は時計塔のブロンズの鐘、玄関ホールの撫子の花のかたちの丸窓などの意匠で親しまれた。しかし1998年に新本館が完成し、2003年に体育館やほとんどの校舎とともに取り壊された。なお、旧本館は戦時中、硫黄島から飛来した米軍機P-51により機銃掃射を受け、弾痕が幾つも残っていた。その際ガンカメラで撮影された、銃弾を浴び土煙を上げる校舎の映像も残されており、NHKの番組などで放映されたこともある。

春日丘高校は自由な校風で知られる。1970年代の自治会活動が盛んな時期に制服廃止運動が起こったために、1974年以来私服通学が認められている。しかし、今年のパンフレットから「自由」の文字が消えた。

校章は、漢字の「春」をデザインした中に「高」の字。茨木高女時代は菱形の中に撫子の花、そのなかに「茨」と書かれたデザインであった。校歌は細川真作詞、山田耕筰作曲。また、校歌の他には、創立70周年記念賛歌として、卒業生が作詞・作曲した「藤蔭青春を」(とういんはるを)という歌があり、芸術科目で音楽を選択する生徒たちにより歌い継がれている。なお当時「藤蔭青春を」は、春日丘高等学校校歌と茨木高等女学校校歌をカップリングして、レコード化され関係者に配布された(同校音楽部の合唱。製造は東芝EMI)。

また、音楽選択者による音楽会も有名であり、今年で40回目を迎えた。音楽会での全体合唱では、第九やモーツァルト・レクイエムといったクラシック曲を本校吹奏楽部がオーケストラの楽譜をアレンジして伴奏をし、毎年多くの聴衆を集めている。

沿革[編集]

  • 1911年1月24日 - 大阪府三島郡茨木町外8ケ村学校組合立三島女子技芸学校を設置。
  • 1913年5月1日 - 茨木町外8ケ村学校組合立三島実科高等女学校に改称。
  • 1917年5月9日 - 郡立に変更、大阪府三島郡立三島実科高等女学校に改称。
  • 1918年4月23日 - 組織変更により大阪府三島郡立三島高等女学校に改称。
  • 1920年1月1日 - 郡立のまま、大阪府三島高等女学校に改称。
  • 1921年4月4日 - 府立に変更し大阪府立三島高等女学校に改称。
  • 1928年4月5日 - 大阪府立茨木高等女学校に改称。
  • 1934年9月21日 - 室戸台風の風害のため本館他倒壊、教師1名、給仕1名殉職、生徒4名死亡。
  • 1937年12月3日 - 鉄筋コンクリート3階建の校舎(旧本館)竣工。
  • (日時不明)太平洋戦争末期、旧本館が米軍機による機銃掃射の攻撃を受ける。
  • 1948年4月1日 - 学制改革により新制高等学校となり、大阪府立春日丘高等学校に改称。大阪府立茨木高等学校(旧制大阪府立茨木中学校)との間で教員・生徒の交流が行われ、男女共学が実施される。
  • 1948年9月1日 - 茨木女子農業学校を併合、農業科に(1967年廃止)。定時制も付設し総合高等学校となる。中心校(普通科・商業科・農業科)及び定時制4分校(吹田、豊川、清渓、忍頂寺)を置く。
  • 1949年4月1日 - 定時制山田分校設置。
  • 1952年4月1日 - 定時制吹田分校、吹田高校定時制課程になる。
  • 1965年4月1日 - 家政科を設置(1983年廃止)。
  • 1965年4月1日 - 清渓・忍頂寺両分校を茨木市泉原に移転統合、大阪府立春日丘高等学校泉原分校とし、全日制普通科を設置。
  • 1968年7月31日 - 豊川分校及び泉原分校定時制課程を廃止。
  • 1994年3月31日 - 泉原分校廃止。
  • 1998年12月1日 - 新本館竣工、新校舎への移行が開始される。
  • 2003年1月31日 - 旧本館ほか撤去。
  • 2006年4月1日 - ハンドボールコート下に大阪府営地下駐車場完成(名称:オークピット)。同時期に部室棟完成。

部活動[編集]

旧制女学校時代から文武両道を通している。いずれのクラブも熱心に活動が行われ、野球部は1982年第64回全国高等学校野球選手権大会に大阪府代表として出場した。大阪府では公立高校の夏の甲子園大会出場は、1959年大阪府立八尾高等学校以来23年ぶりとなった。当時の神前俊彦監督は「やればできるぞ 甲子園」という著書を出した。第74回の大阪大会でも決勝まで進出したが、このときは10年前の決勝と同じ対戦相手である近大付に敗れ甲子園出場は成らなかった。

また、音楽部が2003年に、「ミュージカルやオペラに挑戦し、市民に愛される活動を続けている」として、関西でその年に最も活躍した合唱団に贈られる長井賞を受賞した。

著名な出身者[編集]

交通[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]