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監物永三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
監物 永三
(けんもつ えいぞう)
選手情報
フルネーム 監物永三
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1948-02-13) 1948年2月13日(76歳)
生誕地 日本の旗 日本岡山県倉敷市
故郷 日本の旗 日本大阪府[注釈 1]
種目 体操競技
学歴 清風高校日本体育大学
獲得メダル
オリンピック
1968 メキシコシティ 男子団体
1972 ミュンヘン 男子団体
1976 モントリオール 男子団体
1972 ミュンヘン 男子個人総合
1976 モントリオール 男子鉄棒
1976 モントリオール 男子あん馬
1968 メキシコシティ 男子鉄棒
1972 ミュンヘン 男子あん馬
1972 ミュンヘン 男子平行棒
世界体操競技選手権
1970 リュブリャナ 男子団体
1970 リュブリャナ 男子個人総合
1970 リュブリャナ 男子鉄棒
1974 ヴァルナ 男子団体
1974 ヴァルナ 男子平行棒
1978 ストラスブール 男子団体
1978 ストラスブール 男子平行棒
1970 リュブリャナ 男子床
1970 リュブリャナ 男子あん馬
1970 リュブリャナ 男子平行棒
1978 ストラスブール 男子個人総合
1979 フォートワース 男子団体
1974 ヴァルナ 男子個人総合
1974 ヴァルナ 男子あん馬
1974 ヴァルナ 男子鉄棒
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監物 永三(けんもつ えいぞう、1948年昭和23年〉2月13日[2] - )は、岡山県倉敷市生まれ[1]の元体操競技選手。日本体育大学名誉教授[3]、元日本体操協会副会長。1968年メキシコシティーオリンピック1972年ミュンヘンオリンピック1976年モントリオールオリンピック男子団体金メダリスト。日本体育大学社会体育学科教授、副学長、アドミッションセンター長などを歴任した。

人物

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1968年メキシコシティーオリンピックにおいて、男子体操競技で当時最年少となる20歳8カ月で金メダリストとなった[4]世界体操選手権とオリンピックでは種目別のあん馬で合計4個のメダルを獲得。日本の男子体操黄金時代に唯一、金メダルが獲れずに「夢のタイトル」と呼ばれたあん馬で、もっとも金メダルに近いと言われた選手であった。オリンピックと世界体操選手権で獲得したメダルは24個、うち金メダルが10個、銀メダルが8個、銅メダルが6個であった。1970年には世界選手権男子個人総合で日本人初の優勝を果たしている。

引退後は、日本体育大学や徳洲会体操クラブなどで指導者として水鳥寿思らを育て上げた。2004年のアテネオリンピックに金メダルを獲得した男子団体メンバーと共に紫綬褒章を受章した[注釈 2]。2006年に国際体操殿堂入りを果たした。

成績

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脚注

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注釈

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  1. ^ 生育地は小学校1年のときから大阪市[1]
  2. ^ 日本の体操関係者でそれまでに紫綬褒章を受章しているのは、竹本正男(1980年)、小野喬(1988年春)、遠藤幸雄(1996年春)、相原信行(1997年春)、松田治廣(1999年春)、早田卓次(2002年春)、中山彰規(2003年秋)、鹿島丈博(2003年秋)、加藤澤男(2004年春)[5]

出典

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  1. ^ a b 「スポーツ人国記」特別取材班 編『スポーツ人国記』日刊スポーツ新聞社、1977年9月、277頁。NDLJP:12141774/144 
  2. ^ 佐藤友久; 森直幹 編『体操辞典』道和書院、1978年3月、70頁。NDLJP:12122817/41 
  3. ^ 名誉教授|日本体育大学”. 日本体育大学. 2022年4月22日閲覧。
  4. ^ 19歳11カ月の白井が体操日本最年少金メダリスト」『日刊スポーツ』2016年8月9日。2023年1月15日閲覧。
  5. ^ リオデジャネイロ五輪金メダリスト,紫綬褒章受章”. 日本体操協会 (2016年11月2日). 2024年7月30日閲覧。

DVD

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外部リンク

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