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笠松茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル

笠松茂
体操競技
オリンピック
1972 ミュンヘン男子団体
1972 ミュンヘン男子平行棒
1972 ミュンヘン男子床
1972 ミュンヘン男子鉄棒
世界体操競技選手権
1974 ヴァルナ男子団体
1974 ヴァルナ男子個人総合
1974 ヴァルナ男子ゆか
1974 ヴァルナ男子跳馬
1978 ストラスブール男子団体
1978 ストラスブール男子鉄棒
1978 ストラスブール男子ゆか
1979 フォートワース男子団体

笠松 茂(かさまつ しげる、1947年7月16日 - )は、三重県南牟婁郡木本町(現在の熊野市)出身[1]の元体操選手。

三重県立木本高等学校中京大学体育学部卒。大学卒業後、東海テレビ放送に入社。同社が運営する体操クラブチーム「東海テレビレッツ体操クラブ」(現・笠松体操クラブ:長久手市)に所属していた。

人物

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1972年ミュンヘンオリンピックの体操男子団体金メダリストで、「カサマツ跳び」で知られた。 妻は同じく体操のミュンヘンオリンピック日本代表選手だった羽生和永、同じく体操選手だった笠松昭宏は息子(アナハイム世界体操選手権大会団体銅メダリスト)。

1970年世界選手権(リュブリャナ)では補欠だったが、その後次第に頭角を現し1972年のミュンヘンオリンピックで個人総合5位、1974年世界選手権(ヴァルナ)で個人総合優勝して「日本のエース」と呼ばれるようになった。1976年モントリオールオリンピックでも個人総合優勝候補の筆頭にあげられていたが、競技本番直前に盲腸炎(虫垂炎)を発症し無念の欠場となった[2](補欠の五十嵐久人が代わりに出場した)。残った日本選手団はこの逆境を跳ね返し、団体総合の金メダルを獲得した。

現役引退後は、「東海テレビレッツ体操クラブ」にヘッドコーチとして出向し[3]1987年に「笠松体操クラブ」として独立移転した[3][4]。現在は、同クラブの顧問を務めている。

2005年紫綬褒章を受章[5]、2007年に国際体操殿堂入りを果たした。

成績

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親族

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関連項目

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脚注

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  1. 木本が生んだオリンピック選手 故有本彦六氏、笠松茂氏パネル展【5/22迄】”. 東紀州ほっとネット くまどこ. 東紀州ITコミュニティ (2016年5月). 2025年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年5月1日閲覧。
  2. 2度目の五輪は虫垂炎で断念、長男誕生が「金メダル」[カウントダウン]”. 読売新聞. 2020年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月1日閲覧。
  3. 1 2 五輪体操「カサマツ跳び」の笠松茂さん 74歳の今もクラブで指導の毎日”. NEWSポストセブン. 2022年6月1日閲覧。
  4. クラブ紹介ー笠松体操クラブ”. 笠松体操クラブ. 2022年6月1日閲覧。
  5. 平成17年春の褒章受章者 愛知県 (PDF). 内閣府. p. 2 (2005年4月29日). 2005年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月17日閲覧。
  6. 会長あいさつ 西尾 輝久 幹事報告 ニコボックス9月22日分”. 尾張旭ロータリークラブ. 2019年10月3日閲覧。

外部リンク

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