唐固

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唐固

尚書僕射
出生 生年不詳
揚州丹陽郡
死去 黄武4年(225年)以降
拼音 táng gù
子正
主君 孫権
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唐 固(とう こ)は、中国三国時代の学者。子正[1]揚州丹陽郡の人。

生涯[編集]

身を修め、学を積み、儒学者として称揚された。『国語』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』についての注釈を著し、彼の講義を受ける者は常に数十人に昇った。

黄初2年(221年)11月[2]孫権が呉王となった後、唐固は議郎を拝命した。同じく孫権に仕える陸遜張温駱統らは皆、唐固に拝礼した。

黄武4年(225年)に尚書僕射となり、その後に死去した。享年は七十余歳。

新唐書』宰相世系四下によると、父の唐翔は丹陽太守、子の唐瓊は別部司馬となった[3]

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 冊府元亀』では字を世正とする。s:zh:冊府元龜/卷0578
  2. ^ 『三国志』呉書 呉主伝 s:zh:三國志/卷47
  3. ^ しかし同書の記述によると唐固は唐彬の曾祖父となるが、『晋書』唐彬伝の記述と異なり、疑わしい。s:zh:新唐書/卷074下#唐