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「マツダ・RX-7」の版間の差分

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== 3代目 FD3S型(1991年-2002年) ==
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| 車種=普通自動車
| 車種=普通自動車
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| 3枚目画像の説明=後期型(スピリットR)
| 3枚目画像の説明=後期型(スピリットR)
| 3枚目画像名=Mazda RX7 at British International Motor Show 2006.jpg
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| 乗車定員=2人/4人
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| ボディタイプ=3ドア ファストバッククーペ
| ボディタイプ=3ドア ファストバッククーペ
| エンジン=[[マツダ・13B型エンジン#|13B-REW]]型 654cc×2 直列2ローター
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| 駆動方式=[[後輪駆動|FR]]
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| ホイールベース=2,425mm
| ホイールベース=2,425mm
| 車両重量=1,240 - 1,330kg
| 車両重量=1,240 - 1,330kg
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| 自由項目2(項目名)=総生産台数
| 自由項目2(項目名)=総生産台数
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エンジン出力は、シーケンシャルツインターボが搭載された13B型ロータリーエンジンで255psだったが、初期型255ps車のパワーウェイトレシオ(重量/出力比)は5kg/psを切っていた。後にエンジンの出力向上が行われ、[[1996年]]1月のマイナーチェンジで265ps(MT車)、[[1999年]]1月のマイナーチェンジでは280psに達し、一部のモデルでパワーウェイトレシオは6.11kg/kW(4.50kg/ps)に達した。
エンジン出力は、シーケンシャルツインターボが搭載された13B型ロータリーエンジンで255psだったが、初期型255ps車のパワーウェイトレシオ(重量/出力比)は5kg/psを切っていた。後にエンジンの出力向上が行われ、[[1996年]]1月のマイナーチェンジで265ps(MT車)、[[1999年]]1月のマイナーチェンジでは280psに達し、一部のモデルでパワーウェイトレシオは6.11kg/kW(4.50kg/ps)に達した。


同社の[[ユーノス・コスモ]]が1996年に生産を終了して以降、RX-7は世界唯一の[[ロータリーエンジン]]搭載量産車となる。RX-7は車体の軽量化やエンジンの高出力化を図るなど、「ピュア・スポーツ」をコンセプトに掲げる車両として開発が続けられたが、日本国内市場および北米市場における[[スポーツカー]][[需要]]の低下や、ターボ過給機付ロータリーエンジンの環境対策の行き詰まりなどの理由により、[[2002年]]8月に生産終了となり、RX-7は24年の歴史に幕を閉じた。
同社の[[ユーノス・コスモ]]が1996年に生産を終了して以降、RX-7は世界唯一の[[ロータリーエンジン]]搭載量産車となる。RX-7は車体の軽量化やエンジンの高出力化を図るなど、「ピュア・スポーツ」をコンセプトに掲げる車両として開発が続けられたが、日本国内市場および北米市場における[[スポーツカー]][[需要]]の低下や、ターボ過給機付ロータリーエンジンの環境対策の行き詰まりなどの理由により、[[2002年]]8月に生産終了、[[2003年]]4月に販売終了となり、RX-7は25年の歴史に幕を閉じた。


この前に、最終特別限定車「'''RX-7スピリットR'''」が同年4月に発売されている(限定車の発売は、最終特別限定車を含めて9回行われている)。2シーター5速マニュアル仕様の「タイプA」、4シーター5速マニュアル仕様の「タイプB」、4シーター4速オートマチック仕様の「タイプC」の3仕様を用意され、限定販売台数は合計1,500台であった。BBS社製17インチホイール、レッド塗装ブレーキキャリパー、専用インパネなどの専用パーツを装着。タイプAは専用のレカロ社製フルバケットシートなどを装備した。
この前に、最終特別限定車「'''RX-7スピリットR'''」が同年4月に発売されている(限定車の発売は、最終特別限定車を含めて9回行われている)。2シーター5速マニュアル仕様の「タイプA」、4シーター5速マニュアル仕様の「タイプB」、4シーター4速オートマチック仕様の「タイプC」の3仕様を用意され、限定販売台数は合計1,500台であった。BBS社製17インチホイール、レッド塗装ブレーキキャリパー、専用インパネなどの専用パーツを装着。タイプAは専用のレカロ社製フルバケットシートなどを装備した。
2002年[[8月26日]]、宇品U3工場での最終生産車は、スピリットR タイプA チタニウムグレーメタリック車だった。この車の最終ラインオフに合わせ、FD3Sに携わったマツダのスタッフの他、一般公募のユーザーを加えて式典が催された。この車は市販されず、社内展用車となった<ref name="7M_016">『ハイパーレブ RX-7マガジン No.016』株式会社[[ニューズ出版]](2002年12月)</ref>。
2002年[[8月26日]]、宇品U3工場での最終生産車は、スピリットR タイプA チタニウムグレーメタリック車だった。この車の最終ラインオフに合わせ、FD3Sに携わったマツダのスタッフの他、一般公募のユーザーを加えて式典が催された。この車は市販されず、社内展用車となった<ref name="7M_016">『ハイパーレブ RX-7マガジン No.016』株式会社[[ニューズ出版]](2002年12月)</ref>。


11年のモデルサイクル中に複数のマイナーチェンジが行われ、下記のように分けられている。
12年のモデルサイクル中に複数のマイナーチェンジが行われ、下記のように分けられている。
;前期型
;前期型
*1型 (1991年12月-)
*1型 (1991年12月-)

2020年1月24日 (金) 12:28時点における版

RX-7(アールエックス-セブン)は、マツダが開発・製造していたスポーツカーである。

マツダ・RX-7
概要
別名 マツダ・サバンナRX-7(初代、2代目)
マツダアンフィニRX-7(3代目)
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1978年-2002年
ボディ
ボディタイプ 3ドアファストバッククーペ
駆動方式 FR
系譜
先代 マツダ・サバンナ
後継 マツダ・RX-8[1]
テンプレートを表示

概要

サバンナクーペの後継として、サバンナRX-7SAVANNA RX-7)の名で1978年3月に発表。1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを機に、マツダが当時展開していたアンフィニブランドからの発売となり、名称がアンフィニ・RX-7(εfini・RX-7)へ変更されたが、1997年10月のアンフィニブランドの廃止で再びマツダブランドに戻している。2002年8月、自動車排出ガス規制の強化を受けて生産を終了。累計生産台数は81万台[2]

3代に渡り一貫してスポーツカーには珍しく、サッシュドアを採用している点も他社の類似車種には見られない特徴であった。また、3代ともフロントマスクにリトラクタブル・ヘッドライトを採用しており、FD型は日本車で最後にリトラクタブル・ヘッドライトを装備した車種となった。

2004年、米国のスポーツカー専門誌スポーツカー・インターナショナルが選出したベスト・スポーツカー1990年代部門で3代目FD型が第10位に、また同1970年代部門で初代SA22C型が第7位を獲得している。徳大寺有恒は2代目について「耐久性はポルシェにはかなわないが、その他の性能ではRX-7のできは上々で、総合点ではポルシェ944を凌ぐ」と評した[3]

販売店系列は3代目までマツダオート店→マツダアンフィニ店の専売モデルだったが、モデル末期にはユーノス店が統合されたマツダアンフィニ店とマツダ店で販売された。

初代 SA22C(FB3S)型(1978年-1985年)

マツダ・サバンナRX-7(初代)
SA22C(FB3S)型
前期型
後期型
インテリア
概要
別名 RX-7(日本を除く海外販売モデル)
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1978年3月 - 1985年
デザイン 前田又三郎
ボディ
乗車定員 2人(日本のみ4人)
ボディタイプ 3ドアファストバッククーペ
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 12A型 水冷 573cc×2ローターシングルターボ、12A型 水冷 573cc×2ローター、13B型 水冷 654cc×2ローター[4]
最高出力 130ps(リミテッド)[4]または165ps(後期型ターボSEリミテッド)
変速機 3速AT / 5速MT
前:ストラット
後:4リンク+ワットリンク
前:ストラット
後:4リンク+ワットリンク
車両寸法
ホイールベース 2,420mm[5][4]
全長 4,285mm[5][4]
全幅 1,675mm[5][4]
全高 1,260mm[5][4]
車両重量 1,005kg[5][4]
その他
生産台数 47万1009台[6]
系譜
先代 マツダ・サバンナクーペ
テンプレートを表示

1978年3月30日[5]サバンナ(輸出名RX-3)の後継機として、初代サバンナRX-7となるSA22C型サバンナRX-7が発表された。開発コードはX605。

プラットフォームにはマツダ・SAプラットフォームが用いられ、エンジンは12A型水冷2ローターエンジンの自然吸気(NA)仕様を搭載していた。性能面では、130ps/7,000rpm、最大トルク16.5kg・m/4,000rpm、パワーウェイトレシオ7.6~7.8kg/psであった。オイルショックの影響を受け、REAPSと呼ばれる排気ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し、従来に比べて40%の燃費アップを達成した。1979年には希薄燃焼型の12A型エンジンを搭載、サーマルリアクターは触媒に変更され、翌年に外観のマイナーチェンジでテールランプとフロントスカートのデザインを変更しcd値0.34を達成した。1982年には6piエンジンに変更を受け、10モード燃費は10.2km/lを達成した。

1983年のマイナーチェンジの際に、日本仕様のみ12A型ターボエンジンが追加された。ロータリーターボエンジンの搭載は、世界初だったルーチェ/コスモから1年後となる。日本以外では、1984年 - 1985年に、13B型 EGI NA仕様搭載車が販売されている。このマイナーチェンジでは、ホイールハブのボルトピッチ(PCD)が、同業他社の後輪駆動車と同様に改められ、4穴PCD110mmの特殊形状から一般的な4穴PCD114.3mmに変更された。北米モデルでは、新たにVINコードの型式名を採用した為、FB3Sの呼称を用いる様になった。

0-400mが15.8秒は排ガス規制以前に日産・フェアレディZの240ZGが記録した水準に戻っており日本車としては高性能であった。福野礼一郎は「軽い速い低い、それは確かに間違いありませんでしたがついでに何ともすべてが軽々しく薄っぺらで安っぽい感じ」「足回りもブレーキもスポーツカーとしてはちょっと脆弱」と書いている[5]が、基本構成に関しては「初代RX-7、いいパッケージです」「いつかマツダがもう一回RX-7のモデルチェンジをやる日がくるなら、なんともぜひこういうパッケージに戻してもらいたいですね」[5]と評価している。

スポーティなフィールを手軽なコストで手に入れられるとして、初代フェアレディZ(S30)などとともに、アメリカではプアマンズポルシェと呼ばれた[7]。後述する2代目、3代目からは、ポルシェと渡り合えるものとして対等の扱いを受けるようになった。

エンジン
基本は単室容積573cc×2の12A型ロータリーエンジン。排気ガス規制対応は、初期はサーマルリアクタで対応したが、燃費対応のため希薄燃焼方式の触媒方式に変更。その後、更なる燃費改善のため自然吸気仕様の形式名は12A-6PIで、RX-8タイプSと同じ6PI(詳細は3代目・コスモを参照)が採用されたが、後に追加されたターボ仕様(12A-T)にはあまりメリットがないため採用されなかった。NA仕様130ps、ターボ仕様165ps。NA仕様は4バレルのダウンドドラフトキャブレタを1基使用し、ターボ仕様はEGIを使用した。ターボ仕様モデルは、日本国内のみの販売であった。海外では、13Bエンジン搭載のモデルが、1984年より12Aエンジンモデルと併売された。13Bエンジンは、EGI仕様である。

RX-7 Evo グループBワークス

マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパは、世界ラリー選手権(1982年 - 1986年)グループBのカテゴリーに参戦するための車両として、初代RX-7を改造してRX-7 Evo グループBワークスを製作。しかし、1986年をもってグループBカテゴリーが消滅することが決定したため、製造台数は7台にとどまった[8]

ラリー参戦車両は、その後Mazda 323 4WDが引き継いで使用された。

2代目 FC3S・FC3C型(1985年-1992年)

マツダ・サバンナRX-7(2代目)
FC3S(FC3C)型
前期型 フロント
後期型
カブリオレ
概要
販売期間 1985年10月 - 1992年12月(カブリオレを除いて1991年12月)
ボディ
乗車定員 2人(∞のみ)/4人
ボディタイプ 3ドア ファストバッククーペ
2ドアカブリオレ
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 13B-T型 水冷直列2ローター
最高出力 185PS[3]/6,500rpm(前期型)
205PS/6,500rpm(後期型)
215PS/6,500rpm(∞III)
最大トルク 25.0kg·m/3,500rpm(前期型)
27.5kg·m/3,500rpm(後期型)
28.0kg·m/3,500rpm(∞III)
変速機 4速AT / 5速MT
前:ストラット
後:セミトレーリングアーム マルチリンク
前:ストラット
後:セミトレーリングアーム マルチリンク
車両寸法
ホイールベース 2,430mm
全長 4,335mm
全幅 1,690mm
全高 1,270mm
その他
最小回転半径 4.9m
テンプレートを表示

サバンナRX-7の最初のフルモデルチェンジは1985年である。型式FC3Sの新モデルは10月に発表された(19・20日に発表展示会)、開発コードはP747である。

マツダ・FCプラットフォームが開発された。リアサスペンション独立懸架化され、セミトレーリングアーム マルチリンクとなった。またハブ部分のリンクにブッシュを入れることでパッシブステア性によりセミトレーリングアームの欠点を打ち消す特性を持つ「トーコントロールハブ」を持ち[9]、キャッチコピーには当時の流行でもあった「4WS感覚」という言葉が使われた[10]。エンジンはインタークーラー付きターボ13B型を搭載する。フロントブレーキには日本車初の対向4ピストンのアルミキャリパーを採用。日本以外では、初代に続き13B NAエンジン仕様車が13Bターボエンジン搭載車とともに販売された。

ポルシェ・944との類似性が自動車雑誌などで話題となり、初代に引き続き「プアマンズ・ポルシェ」の呼称が使われることもあったが、性能面では0-100km/h7秒弱、最高速度はメーカーテストで238.5km/hを記録する[3]など大きく向上していた[10]

1989年4月にマイナーチェンジが行われ、エアフロをフラップ式からメジャリングコア式に、リアコンビネーションランプを角型から丸型3灯にする変更のほか、サスペンションの改良、ドアミラーの同色化、前後バンパーおよびボディのモール形状、アルミホイール、前席シート、インパネセンター、計器類のデザイン等が変更された。出力もタービンの改良により、前期の185psから205psに向上している。

グレードは最廉価グレード「GT」、ベーシックグレード「GT-R」、ビスカス式LSDとアルミボンネットを装備した「GT-X」、サンルーフ、オートクルーズ等豪華装備の「GT-Limited」、本革シートを装備した最上級グレード「GT-Limited・スペシャルエディション」が用意された。後に、GTはマイナーチェンジに伴って廃止されている。

「∞(アンフィニ)」シリーズと呼ばれる2人乗りスペシャリティーモデルが4世代に渡りリリースされる。プレミアムガソリン仕様になった[注釈 1]このモデルは、高出力化され215ps/6,500rpmとなった。また1991年のFD3S型へのフルモデルチェンジの年初、マツダ・787Bル・マン24時間レース総合優勝を記念した最後の特別仕様車「ウィニングリミテッド」が1,000台発売された。2代目に設定されていたカブリオレ・FC3C型はロータリーエンジン生誕20周年を記念して1987年8月に登場しているオープンカー仕様のグレードで、電動ソフトトップを装備する。カブリオレ製作のノウハウは、後のユーノス・ロードスターに活かされた。

1991年11月[11]、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。

1991年12月、FC3S型はフルモデルチェンジされFD3S型となるが、カブリオレ仕様は2代目仕様のまま生産され、1992年10月にサバンナRX-7の14年間(サバンナとしては21年間)とサバンナRX-7カブリオレ5年間を締め括るモデルとして、台数限定のファイナルバージョンが発売され、同年12月[12]に販売を終了した。プラットフォーム、エンジンはFC3S型と同様。ロータリーエンジンを搭載するオープンカーはNSU・ヴァンケルスパイダー以来であり、マツダでは当モデルが唯一の存在である。2代目の生産台数は27万2034台[13]

エンジン
単室容積654cc×2の13B-T型ロータリーエンジン。ツインスクロールターボを採用し、185ps、205ps、215ps(スペック3以降のアンフィニのみ)と進化していく。185ps車を前期、205ps、215ps車を後期に分けているが、ローターの種類が違うため、圧縮比や圧縮限度の目安が異なる。トルクは馬力の順に25kgf・m、27.5kgf・m、28kgf・m。輸出型のみNA仕様も存在する。

3代目 FD3S型(1991年-2003年)

アンフィニ・RX-7
マツダ・RX-7(3代目)
FD3S型
フロント
リア
後期型(スピリットR)
概要
販売期間 アンフィニ:1991年12月1997年10月]
マツダ:1997年10月 - 2003年4月[14]
ボディ
乗車定員 2人/4人
ボディタイプ 3ドア ファストバッククーペ
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 13B-REW型 654cc×2 直列2ローター
最高出力 ・1991年-1995年
255PS/6,500rpm
・1996年-1998年
265PS/6,500rpm(MT)
255PS/6,500rpm(AT)
・1999年-2002年
280PS/6,500rpm(MT)
265PS/6,500rpm(タイプRB)
255PS/6,500rpm(AT)
最大トルク ・1991年-1998年
30kg·m/5,000rpm
・1999年-2003年
32kg·m/5,000rpm(MT)
30kg·m/5,000rpm(タイプRB)
30kg·m/5,000rpm(AT)
変速機 4速AT/5速MT
前:ダブルウィッシュボーン
後:ダブルウィッシュボーン
前:ダブルウィッシュボーン
後:ダブルウィッシュボーン
車両寸法
ホイールベース 2,425mm
全長 4,295mm(1型) 4,280mm(2~4型) 4,285mm(5,6型) [いずれもフロントナンバープレート取付座変更による]
全幅 1,760mm
全高 1,230mm
車両重量 1,240 - 1,330kg
その他
総生産台数 約53000台
系譜
後継 マツダ・RX-8[15]
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1991年10月、2度目のフルモデルチェンジによりFD3S型 RX-7が発表され、同年12月より販売開始。このフルモデルチェンジを機に、1971年から20年続いた「サバンナ」の呼称がはずされ、当時の販売店系列「アンフィニ」の名を冠して「アンフィニRX-7」として発売された。後に販売店のアンフィニ店がユーノス店と統合したことにより、車名が「マツダRX-7」となる。開発コードはX105。マツダ販売網で扱われるようになってからは、車体先端のエンブレムが、マツダのロゴマークとなった。キャッチコピーは『アンフィニのスポーツです。』『その非凡さが、アンフィニ。』『ザ・スポーツカー』『ザ・ロータリースポーツ』。足回りには新開発の4輪ダブルウィッシュボーンが使用された。

エンジン出力は、シーケンシャルツインターボが搭載された13B型ロータリーエンジンで255psだったが、初期型255ps車のパワーウェイトレシオ(重量/出力比)は5kg/psを切っていた。後にエンジンの出力向上が行われ、1996年1月のマイナーチェンジで265ps(MT車)、1999年1月のマイナーチェンジでは280psに達し、一部のモデルでパワーウェイトレシオは6.11kg/kW(4.50kg/ps)に達した。

同社のユーノス・コスモが1996年に生産を終了して以降、RX-7は世界唯一のロータリーエンジン搭載量産車となる。RX-7は車体の軽量化やエンジンの高出力化を図るなど、「ピュア・スポーツ」をコンセプトに掲げる車両として開発が続けられたが、日本国内市場および北米市場におけるスポーツカー需要の低下や、ターボ過給機付ロータリーエンジンの環境対策の行き詰まりなどの理由により、2002年8月に生産終了、2003年4月に販売終了となり、RX-7は25年の歴史に幕を閉じた。

この前に、最終特別限定車「RX-7スピリットR」が同年4月に発売されている(限定車の発売は、最終特別限定車を含めて9回行われている)。2シーター5速マニュアル仕様の「タイプA」、4シーター5速マニュアル仕様の「タイプB」、4シーター4速オートマチック仕様の「タイプC」の3仕様を用意され、限定販売台数は合計1,500台であった。BBS社製17インチホイール、レッド塗装ブレーキキャリパー、専用インパネなどの専用パーツを装着。タイプAは専用のレカロ社製フルバケットシートなどを装備した。 2002年8月26日、宇品U3工場での最終生産車は、スピリットR タイプA チタニウムグレーメタリック車だった。この車の最終ラインオフに合わせ、FD3Sに携わったマツダのスタッフの他、一般公募のユーザーを加えて式典が催された。この車は市販されず、社内展用車となった[16]

12年のモデルサイクル中に複数のマイナーチェンジが行われ、下記のように分けられている。

前期型
  • 1型 (1991年12月-)
エンジン出力255ps。
  • 2型 (1993年8月-)
ボディ剛性強化。ダンパー大型化。サスペンションセッティング見直し。大型アームレストを追加し、インテリアの質感と使い勝手を向上。

2シーターグレードであるタイプRZとタイプR II バサーストを追加。

  • 3型 (1995年3月-)
グレード体系見直し。タイプR-Sなどを追加。リアウイングが4本ステーから2本ステーのドルフィンタイプに変更。
中期型
  • 4型 (1996年1月-)
4型の期間内にマツダの販売体系が変わったため、1997年1月のRS-R以降アンフィニの名前が外れ、同年10月から車名が「アンフィニRX-7」から「マツダRX-7」へと変更されている。CPU制御が8ビットから16ビットに強化され、吸気系の配管の変更やブースト圧の向上もありMT車はエンジン出力が265psに向上した(ATは255psのまま)。メーター照明はアンバーからグリーンに変更。外装ではリアコンビネーションランプが丸型3連式に変更された。
後期型
  • 5型 (1999年1月-)
最高出力がMT車は280ps(タイプRBは265ps)、AT車は変わらず255psのままとなる。ボディ剛性の大幅強化・サスペンションセッティング見直し・内装の変更(ステアリング形状変更・メーター指針位置が真下からになる・シート生地変更)・16インチアルミホイールの形状変更・外装では5角形の開口部を持つ新デザインのバンパーとフロントコンビネーションランプが採用され、リアウィングも1度から14.5度まで角度調整可能なタイプとされた。デュアルエアバッグ・ABSが全車標準装備になった。ラジエターの大型化とタービンの仕様変更も行われた。PPFの強度向上、マフラーの変更も行われた。
  • 6型 (2000年9月-)
ABSの制御が8ビットから16ビットに変更、サスペンション・セッティング見直し、EBD(電子制御制動力分配システム)を追加。インテリアではメーター盤がホワイト化され照明はアンバーに戻された。エンジン系には変更なし。

外装はフロントおよびリアコンビネーションランプ、フロントバンパー、リアスポイラー、ABS等が変更されたが、1型から6型で流用不能なものはABSとECU、リヤ補強材の一部であり、マイナーチェンジ前の車両に変更後のパーツを移植することも可能である。

1998年1999年に4型のRX-7がレーダー付きの高速隊パトカーとして宮城、新潟、栃木、群馬、埼玉、千葉、京都に7台導入された。現在は新潟県警察群馬県警察埼玉県警察の配備車両がイベント展示用として残されている。

イギリスの「テレグラフ」誌webサイトの「最も美しい車100選」で61位に選ばれた[17]

エンジン
単室容積654cc×2の13B-REW型ロータリーエンジン。ユーノス・コスモに次ぐシーケンシャルツインターボの採用で、255ps、265ps、280psへと出力向上が図られた。出力が280psに向上するのと同時に、トルクも30kgf・mから32kgf・mへ向上している。出力の向上は主に過給圧の設定変更によるものであるが、触媒など一部吸排気系の配管やマフラーも変更されている。レッドゾーンは8,000rpmから。シーケンシャルツインターボは日立製で、複雑な構造と制御を行っており、制御系の故障が頻発したとされ、開発陣も低回転域のトルクの向上には有効だったが、エンジンをもうひとつ搭載するのと同じくらいコストがかかったとコメントしている。4型以降ではこのシーケンシャル機構に使われるソレノイドバルブが簡略化され、トラブルを起こしにくいように対処されている。
プライマリー側とセカンダリー側のタービンは同一形状・同一容量である。1-4型と5-6型のタービンは容量が違い、容量的には1-4型の方が出力重視で、5-6型はアブレダブレシールの採用やコンプレッサーホイールの小径化など、反応性重視のタービンとされている。5-6型のタイプRBには4型のタービンが組み合わされ、出力265psのままとなっている。
アペックスシールは当初3分割のものが使用されていたが、2002年8月以降の生産終了後、オーバーホール時の補修品やリビルドエンジンに換装される際に2分割のものに変更されたが、レースなどで過酷な走行をする場合は、2分割シールの耐久性の低さが問題となった。

モータースポーツ活動

SA22C

WRC・モンテカルロラリー参戦車(1979年)

FC3S

FD3S

車名の由来

「R」が「ロータリーエンジン」、「X」が「未来を象徴する記号」を表し、「ロータリー・スペシャリティ」とも表現される。「7」は「マツダ内での車格番号」で、ほかには2345(コスモAPの輸出仕様)、8を車名に含んだ車種がある。

脚注

注釈

  1. ^ 「∞」以外のモデルは全てレギュラーガソリン仕様。

出典

  1. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第72号3ページより。
  2. ^ 三樹書房:車評オンライン:論評11 右脳にアピールするクルマづくりを”. 2014年2月23日閲覧。
  3. ^ a b c 『NEW RX-7 カーグラフィティ』p.138-155。
  4. ^ a b c d e f g 『NEW RX-7 カーグラフィティ』p.190。
  5. ^ a b c d e f g h 『自動車ロン』p.173-179。
  6. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第51号3ページより。
  7. ^ 初代マツダ「RX-7」オリジナル、持ち主求めて気づけば20年エクスファイア編集部
  8. ^ 初代マツダ RX-7、希少なグループBラリーカーがオークションに Response(2017年8月11日)2017年8月16日閲覧
  9. ^ http://www.autoexe.co.jp/kijima/column2.html
  10. ^ a b 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p84
  11. ^ サバンナRX-7(マツダ)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月24日). 2020年1月23日閲覧。
  12. ^ サバンナRX-7カブリオレ(マツダ)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月24日). 2020年1月24日閲覧。
  13. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第2号21ページより。
  14. ^ RX-7”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月24日). 2020年1月24日閲覧。
  15. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第72号3ページより。
  16. ^ 『ハイパーレブ RX-7マガジン No.016』株式会社ニューズ出版(2002年12月)
  17. ^ The 100 most beautiful cars: 80-61(英 テレグラフ誌webサイト)
  18. ^ 【MAZDA】RX-7|マツダの名車たち”. マツダ株式会社. 2017年8月24日閲覧。
  19. ^ a b c d e マツダのルマン24時間レース優勝への長き道のり(その2)”. 車評オンライン(三樹書房). 2017年8月24日閲覧。
  20. ^ a b ル・ボラン編集部 2015, p. 80.
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 小堀和則 2009, p. 121.
  22. ^ a b c ル・ボラン編集部 2015, p. 81.
  23. ^ ロータリエンジンの構造と歴史 Construction and History of Rotary Engine” (PDF). マツダ株式会社 (2003年). 2017年8月24日閲覧。
  24. ^ Human Talk Vol.32 - ENKEI WEB MAGAZINE
  25. ^ 「来期GT選手権出場スーパーエアロが初見参だ」 ハイパーレブ RX-7マガジン No,0005 p43 『株式会社ニューズ出版』 2000年3月17日発刊 ISBN 4-89107-007-2
  26. ^ 走れRX7 高梁のチームが「全日本GT選手権シリーズ」に来月参戦 元マツダ社員「広島の誇り」『中国新聞』 2001年04月15日 中国朝刊 二社 写有 (全650字)
  27. ^ 週間オートスポーツ NO.1293 2011年3月31日号
  28. ^ JAF 国内競技結果検索サービス
  29. ^ 「GT300には2枚」 ハイパーレブ RX-7マガジン No,0003 p109 『株式会社ニューズ出版』 1999年9月3日発刊 ISBN 4-938495-15-5
  30. ^ 古屋 知幸 GTインサイドレポート Round 4 MINE GT RACE その2 『GTアソシエイション事務局』 1999年7月11日
  31. ^ 中国トピックス 地元GTの意地見せるぞ 高梁の「オークラロータリーレーシング」 あすから英田 「表彰台を狙いたい」『中国新聞』2000.09.08 中国夕刊 夕二 写有 (全426字)
  32. ^ 「FD3Sサーキットを駆け抜ける」 ハイパーレブ RX-7マガジン No,0005 p112 『株式会社ニューズ出版』 2000年3月17日発刊 ISBN 4-89107-007-2
  33. ^ 「全日本GT選手権シリーズ第5戦」出場を断念 オークラロータリー(岡山県)『中国新聞』2000年09月10日 中国朝刊 井笠 (全124字)
  34. ^ (響紀行)ロータリーエンジン 拍動せよ、孤高の心臓 【大阪】『朝日新聞』2011年06月25日 大阪夕刊 1頁 1総合 写図有 (全2,425字)

参考文献

  • 福野礼一郎『自動車ロン』双葉文庫 ISBN 4-575-71308-2
  • 徳大寺有恒『NEW RX-7 カーグラフィティ』光文社文庫 ISBN 4-334-70239-2
  • 『ハイパーレブ RX-7マガジン No.016』
  • 小堀和則『マツダ : 技術への「飽くなき挑戦」の記録』三樹書房、2009年。ISBN 4895225321 
  • ル・ボラン編集部『マツダ・モータースポーツ・エンサイクロペディア』学研プラス、2015年。ISBN 405610879X 

関連項目

外部リンク