デ・トマソ・パンテーラ

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デ・トマソ・パンテーラ
De Tomaso Pantera GT5-S (7160836758).jpg
De Tomaso Pantera GT5-S
概要
販売期間 1971年 - 1992年
デザイナー カロッツェリア・ギアトム・ジャーダマルチェロ・ガンディーニ (SI)
ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドア クーペ
駆動方式 ミッドシップ
パワートレイン
エンジン フォード・クリーブランド351V8 V型8気筒OHV 5766 cc
フォード・5.0HO V型8気筒OHV 4942 cc
変速機 5速MT
車両寸法
ホイールベース 2,515 mm
全長 4,013 mm, 4,270 mm
全幅 1,830 mm, 1,970 mm
全高 1,100 mm
その他
生産台数 7,260台
系譜
先代 デ・トマソ・マングスタ
後継 デ・トマソ・グアラ
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パンテーラPantera)は、デ・トマソの3作目のスーパーカー。1960年代を代表するレーシングカーフォード・GT40の構造的特徴をイメージした、イタリア製のボディにアメリカ製の大排気量エンジンを搭載した、デ・トマソとフォードによる伊米合作のスーパーカーである。フォードの希望により、この種の車としては初めて大量生産性を重視して製作された。

「パンテーラ」は「」のイタリア語である。

経緯[編集]

1960年代後半に、デ・トマソのオーナーで創始者であるアレハンドロ・デ・トマソと個人的に親しかったイタリア系アメリカ人リー・アイアコッカが当時副社長をつとめていたフォードが、ブランドイメージ向上のために「フォード・GT40のイメージを踏襲するスポーツカー」のプロジェクトを企画し、このプロジェクトにデ・トマソを招き入れたことによりパンテーラが生まれることとなった。

このプロジェクトの最大の目標は、徹底的にコストダウンを推し進め大量生産して廉価なスポーツカーとして売り出すことにあり、これを受けてパンテーラは前作のマングスタ同様、エンジンはフォード製を使用することとなった。現代の小規模生産のスポーツカーメーカーの大半は、自製でエンジンを製作しないが、その手本のような形態をとることとなった。 

デザインは、当時デ・トマソ傘下で、フォードとも密接な協力関係にあったギアのトム・ジャーダが担当した(なおギアはパンテーラの開発中の1970年にフォードに売却されている)。イタリア製の美しいボディにアメリカ製のワイルドな大排気量エンジンをマッチングさせる経緯において、アレッサンドロ・デ・トマソの辣腕振りは遺憾なく発揮された。

なおメインの市場はそれまでデ・トマソなどのヨーロッパの高級スポーツカーメーカーが狙いを定めていたヨーロッパではなく、フォードの本拠地であるアメリカだった。ただし、アメリカでのデ・トマソの知名度は低かったため、フォードの巨大な販売網を利用しフォードブランドの名を借りて販売した。

機構・スタイル[編集]

ボディ構造は、マングスタまで受け継がれていたバックボーンフレームを捨て去り、量産性に優れるモノコックを採用している。この頃のスーパーカーには、そもそも大量生産を前提にしたものなどほとんど存在しなかったため、非常に異質な存在とも言える。サスペンションは前後ダブルウィッシュボーンと無難な選択をしているが、リアサスペンションの剛性が充分ではなく破損しやすい欠陥を抱えていた。この点は、後の改良によって修正されている。

エンジンはフォードの351V8、生産工場の名を取って通称クリーブランドと呼ばれる、排気量5.8リットル (L) の水冷V型8気筒OHVエンジンを搭載した。330馬力、トルク45メートル重量キログラム (m kgf) (441ニュートンメートル (N·m)) を発生するが、特にチューニングされたものではなく、コストダウン重視でほとんどノーマルのままミドシップに搭載している。このエンジンこそが、パンテーラにとって最大の技術的ネックとなり、販売上の足かせともなってしまう。

パンテーラのインテリア

このエンジンの動弁機構はOHVで、SOHCDOHCに比べシリンダーヘッドが小さく、エンジンそのものの重心は高くない。加えてエンジン全体も排気量に比して非常に小型軽量である。しかし、潤滑に一般車と同様のウェットサンプ式を採用していたため、エンジンの搭載位置が高くなり、その影響により重心も高くなってしまった。パンテーラは、アメリカのニーズに合わせて車高を高く設定していたので、これらが相まって挙動の不安定さに拍車をかけた。加えて、ライバルであるフェラーリランボルギーニが、自社のエンジンを搭載していたのに対し、パンテーラはフォードのエンジンだったため、一部のエンスージアストからは「純粋なスポーツカーではない」と根拠のない非難まで浴びてしまう。

しかし、パンテーラはそれらのライバルに対し半額のプライスタグをつけていたため、競争力という点ではかなり強かった。目標生産台数4,000台には及ばなかったが、最盛期の1972年には2,700台以上を記録、この種のスーパーカーとしては大成功の部類に属する販売台数に達した。しかし、1973年に到来したオイルショックの波には勝てず、快進撃を続けていた生産台数は急下降してしまうものの、基本的なスタイルは維持したまま走行性能に関わる改良を続け、また飽きの来ない秀逸なデザインが功を奏し、1970年代を生き残り、1990年代まで、非常に小規模ながら生産され続けた。

デザインはトム・ジャーダ

モデル[編集]

パンテーラ[編集]

1971〜1972年中期の、Lモデル以前のモデルを指す。その中でも前期型と後期型に別れており、後期型では以下の点が変更されている。

  • トランスミッションのインプットシャフト径
  • 車体配線
  • ミッションマウント
  • ドアハンドル
  • エンジン仕様
  • シャシーの補強

なお、カーエアコンは全車標準装備である。

パンテーラL[編集]

イタリア語で「豪華、贅沢」を意味するLussoの名を語尾につけ、1972年に追加されたモデル。アメリカ市場での販売を促進するために設定されたモデルで、扱いやすさを向上させるためにエンジン出力を40馬力ほどデチューンしている。外観に関しては衝撃吸収バンパーに変更(ヨーロピアンモデル以外)されたほか、シートベルト警告ランプとブザーなど充実した装備の関係で、車重は約100キログラム増となっている。

パンテーラGTS[編集]

パンテーラGTS

1973年に登場したパンテーラのハイパフォーマンスモデル。同一名称でアメリカ仕様とヨーロッパ仕様が存在し、ヨーロッパ仕様はエンジンの圧縮比が上げられ、それに伴い出力も350馬力、トルク50 m kgf (490 N·m) に引き上げられている。公称最高速度は290 km/h。向上したパワーに対応する為にタイヤも若干太いものに変更された。ペイントデザインが変更され、ボディのウェストラインから下がブラックの塗装になっており、これまでのパンテーラより派手な印象が際立っている。日本にも輸入されたことで知られているが、そのほとんどはノーマルエンジンのパンテーラをGTSルックにしたアメリカ仕様だった。

パンテーラGT4[編集]

パンテーラGT4

参戦に必須な条件が「連続する12ヶ月間に最低500台の生産」というグループ4 (特殊グランドツーリングカーカテゴリー) に殴り込みをかけるべく生産され、パンテーラGTSをレーシングカーとしてリファインしたモデルである。エンジンは通常の市販仕様のパンテーラとは比較にならないほどパワーアップされており、500馬力をオーバーするほどのチューニングが施される。そのパワーを路面に伝える為のワイドトレッドタイヤ(フロント10J・リヤ13J)、それを収める為の豪快なオーバーフェンダー、右サイドウィンドウ後部に設置された給油口が特徴。公称最高速度は331 km/h。レースではさしたる結果を残していないが、レース仕様であるGT4をそのまま生産に移し1974年に計6台が販売された。

パンテーラGT5[編集]

パンテーラGT5

1980年に大胆なイメージチェンジを果たして追加されたモデル。パンテーラGT4の外観をスマートにし、カウンタック風のウイングを装着しているのが特徴。オーバーフェンダーはリベットを廃したデザインになり、軽量なFRPで成型される。レースカー的な雰囲気を醸し出しているものの、一般公道で扱いやすくする為にエンジン出力は330馬力にデチューンされている。公称最高速度は281 km/h。

パンテーラGT5S[編集]

パンテーラGT5

パンテーラGT5のマイナーチェンジ版として1984年に追加された。GT5の派手な特徴はそのままに、前後まで連なっていたオーバーフェンダーはサイドスカート部を外し、フェンダー一体型の滑らかなデザインに変更されている。エンジンはチューニングの異なる二種類が用意され、標準仕様は300馬力、ハイパフォーマンス仕様は350馬力を発生する。なお、このモデルの前後からアメリカ製のエンジンが生産終了となったため、同型のオーストラリア製のものに変更された。

パンテーラSI[編集]

パンテーラSI

パンテーラの最終型ともいえる改良を施されたモデル。発表は1991年のトリノショー。ヌォーバ・パンテーラ、もしくはガンディーニ・パンテーラとも呼ばれることがある。ヌォーバはイタリア語で「新しい」という意味であり、スタイリングはマルチェロ・ガンディーニが務めた。ちなみにパンテーラのチーフ・エンジニアであるジャンパオロ・ダラーラとガンディーニは、ランボルギーニ・ミウラでもコンビを組んたことがあった[1]。 スタイリングは全体的にRが付いて滑らかになり、フェンダーはブリスター風になった。また、フェラーリ・F40を髣髴とさせるような造形を有し、特にそれは二分割式リアウイングに現れている。フロントガラス下にもウイング状の空力パーツが取り付けられた。

エンジンが変更され、同時期のフォード・マスタングと同様の5.0HOが搭載された。このエンジンは247馬力、トルク40.8 m kgf (400 N·m) と、従来モデルと比較すると控えめな仕様になっている。

1994年、製造された41台の内の4台のみが、ミラノの車両製造会社Pavesiによって従来モデルには設定されていなかったタルガトップに改造された。SIタルガは、パンテーラ最後の公式バリエーションとなった[2]

光永パンテーラ[編集]

日本で初めて300キロメートル毎時 (km/h) の大台を(公式な記録として)超えたのは、パンテーラをベースに高度なチューンナップを施した車両である。車両のオーナー(ゲーリー・アラン・光永)の名前から、通称「光永パンテーラ」と呼ばれる[3]

当該最高速トライは、1981年11月17日に自動車雑誌『Option』が主催し、茨城県日本自動車研究所旧テストコース(通称「谷田部」)で行われ、高橋国光のドライブで307.69km/hを記録した[3][4]。それ以前の記録がフェラーリ・512BBが記録した277.99km/hであったため、一気に30km/h近くも記録を更新したことになる[4]。マシン製作はABR細木エンジニアリングが担当し、エンジンはアメリカからフルチューンされたシボレーLS7・V型8気筒エンジンを輸入してスワップ。当日はまだテストラン段階で、エンジン出力も目標の680psを大きく下回っており、またドライブした高橋によれば「ストレート後半では多少浮き気味であった」とのことで、マシンの熟成が進めばさらなる記録更新も可能ではないかと言われた[4]

しかしこのテスト走行の12日後、光永は自宅近くでパンテーラをドライブ中に交通事故に遭い他界。そのため再度の最高速トライは行われることなく終わってしまった[4]

復刻モデルの登場[編集]

アレス・パンサー

2019年3月モデナに本社を置くカスタムカーメーカーのアレス・デザインは、ランボルギーニ・ウラカンをベースとしたカスタムカーのパンサーを発表した。

ボディはパンテーラをモチーフとした造形となっており、近年は採用例が皆無となっていたリトラクタブル・ヘッドライトに至るまで再現されている。

パワートレインはウラカンと同一で、エンジンは5.2 LのV型10気筒自然吸気を搭載、駆動方式は4WDである。

脚注[編集]

  1. ^ PANTERA SI”. 株式会社シーザートレーディング. 2013年11月21日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年6月28日閲覧。
  2. ^ http://fabwheelsdigest.blogspot.jp/2013/06/de-tomaso-pantera-si-1991-93.html
  3. ^ a b 国内初300km/hオーバーマシン「光永パンテーラ」を作った男、ABR細木さんに迫ってみた! あの伝説を聞かせてください・前編【OPTION 1984年6月号より】 - cliccar・2018年6月9日
  4. ^ a b c d 最高速で日本初のオーバー300km/h! 最強伝説となった深紅のパンテーラ - cliccar・2017年2月22日

関連項目[編集]