マツダ・センティア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

センティアSENTIA )は、マツダ1991年から2000年にかけて販売された、Eセグメントに属するラグジュアリーサルーンである。

概要[編集]

ルーチェ自家用版の後継車[1]にあたる同社のフラッグシップモデルで、アメリカ合衆国においてはルーチェと同じくマツダ・929MAZDA 929 )として、1991年から1997年にかけて販売された。

また、バッジエンジニアリングであるアンフィニ・MS-9が、同社が展開していた販売店ブランドアンフィニで、1991年から1994年にかけて販売された。

歴史[編集]

初代(HD系 1991年-1995年)[編集]

マツダ・センティア(初代)
HD系
日本仕様アンフィニ MS-9
Centia.jpg
写真は北米仕様929
Mazda 929 .jpg
販売期間 1991年5月1995年
デザイン 田中俊治
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドア サルーン
エンジン 2.5L V6 J5-DE型
3.0L V6 JE-ZE型
駆動方式 FR
最高出力 160PS(J5-DE型)
200PS(JE-ZE型)
変速機 電子制御4速AT
サスペンション 前:マルチリンク
後:マルチリンク
全長 4,925mm
全幅 1,795mm
全高 1,380mm
ホイールベース 2,850mm
車両重量 1,590kg - 1,640kg
トレッド 前: 1,510mm
後: 1,525mm
最小回転半径 4.9m(4WSシステム装着車)
5.6m(4WSシステム非装着車)
別名 マツダ・アンフィニMS-9
先代 マツダ・ルーチェ
-自動車のスペック表-

HC系ルーチェのフルモデルチェンジ版として、1991年5月発売。このモデルチェンジを機に、イメージ一新を図るため、新たに「センティア(感じる場所という意味の造語)」の名を冠して登場した。但し、輸出用はルーチェ同様マツダ929を名乗る。

センティアは、同車の「パーソナルユースに徹した、3ナンバー専用のプレステージセダン」[2]というコンセプトのもと開発され、カペラに搭載されていたものと基本的に同様の車速感応型4WSシステムやガラス製サンルーフ部分に太陽電池を組み込み停車中の車内をファンで換気する「ソーラーサンルーフ」などを搭載する、同社がもてる最先端技術の粋が集められたモデルだった。

ボディサイズは、セルシオに近いまでに拡大されたが、開発途中までは、税制改正(89年4月施行)の時期が読めなかったため、従来ルーチェと同じ5ナンバー仕様と、拡幅ボディ仕様との両方を開発していた。また、そのデザインもなかなか方向性が決まらず、86年6月から始めた1/1クレイモデルについても、途中から拡幅ボディ仕様に一本化されたものの、88年12月まで作っては壊しを繰り返した(合計16台)。こうした難産の末、17作目として1/5クレイモデルでようやくテーマが決まったのが88年12月で、そこからは翌年1月に1/1モデル、4月には役員承認を受けるといった具合に、トントン拍子で話が進んだ。田中俊治氏によれば、デザインコンセプトは「遊想パーソナルセダン(セダンとしての要件を踏まえつつ、想いを遊ばせるようなクルマ)」であるという。

そのスタイリングは、先代にあたるルーチェの直線を基調としたボクシーなプロポーションから一転し、イギリスジャガー・カーズのモデルを連想させる低いボディに豊かな曲面構成と美しいプロポーションを誇る、やや低く伸びやかでエモーショナルなスタイリングをまとうこととなった。そのため、一部の間では同車をユーノス・コスモのサルーンバージョンと受け取る向きもあった。[3]

このデザインは海外の自動車デザイナーからも非常に高い評価を受けており、当時ルノーのデザイン部門を率いていたパトリック・ルケマンは東京モーターショーに来場した際にこの車に触れ、「マツダのデザインは独創的だが、特にこの車はとても美しい」と誉めそやしたという。

エンジンはJ5-DE型2.5LとJE-ZE型3.0LのV型6気筒が搭載され、トランスミッションには4速オートマチックトランスミッションのみが設定された。ルーチェに搭載されていた13B型ロータリーターボエンジンは搭載されていない。また、上記した4WSシステムは全車に標準装備され、トップグレードである3.0 エクスクルーシブには上記の「ソーラーサンルーフ」のほか、本革シートや300Wの出力を誇った6連奏CDオートチェンジャー付ステレオ、ステアリング連動式フォグランプが標準装備された。

1994年1月に実施されたマイナーチェンジにより、バッチエンジニアリングであったアンフィニMS-9が同車に統合された。また、フロントヘッドランプのクリア化やフロントグリルのブラックアウト化といった一部変更とともにグレード構成の見直しが実施され、全車に標準装備されていた4WSシステムの一部グレードでの非標準装備化、CCS(カーコミュニケーションシステム)のオプション設定化がされた。

グレード名称 生産年度 車両型式 排気量 新車価格
25 リミテッド 1991年5月-1993年12月 E-HD5S 2,494cc 275.0万円
25 リミテッド S 298.5万円
30 リミテッド J E-HDES 2,954cc 316.0万円
30 リミテッド G 348.5万円
エクスクルーシブ 413.5万円
25 タイプJ 1994年1月-1995年9月 E-HD5P 2494cc 279.8万円
25 タイプJ-X E-HD5S 328.5万円
30 タイプJ E-HDEP 2,954cc 303.0万円
30 タイプJ-X 364.0万円
エクスクルーシブ 414.5万円
ロイヤルクラシック -万円


2代目(HE系 1995年-2000年)[編集]

マツダ・センティア(2代目)
HE系
前期型(1995年11月-1997年9月)
1995-1997 Mazda Sentia.jpg
前期型リア
1995-1997 Mazda Sentia rear.jpg
後期型(1997年9月-2000年)
2nd Mazda Sentia.jpg
販売期間 1995年11月2000年(生産中止)
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドア サルーン
エンジン 3.0L V6 JE-ZE型
駆動方式 FR
最高出力 200PS
変速機 4速AT
サスペンション 前:マルチリンク
後:マルチリンク
全長 4,895mm
全幅 1,795mm
全高 1,420mm
ホイールベース 2,850mm
車両重量 1,530kg-1,620kg
トレッド 前: 1,510mm
後: 1,525mm
姉妹車 キア・エンタープライズ
後継 ミレーニアに統合
-自動車のスペック表-

1995年11月に販売が開始された。

2代目センティアは、当時の経済状況及びマツダの台所事情から、開発途中で(MPVのように)初代のビッグマイナーチェンジで済ます方法も提案された。最終的に経営会議の席上で、ビッグマイナーチェンジ版とフルモデルチェンジ版の両方が競いあった結果、ライバルモデル(クラウンやセドグロ)と同じ平成7年、無事フルモデルチェンジを迎えた。

2代目は、初代のパーソナルセダンからはうって変わり、所謂「中型車要件」を盛り込んだフォーマルにも対応できるセダンへと変貌した。簡単に言えば、「HC系ルーチェのお客様にも乗ってもらえるセダン」へと先祖返りした訳である。そのため、スタイリッシュだった初代と比べ、トヨタ製高級車のような押出し感や威厳を強調させたスタイリングとなっている。また、2代目のスタイルは幻に終わったアマティ1000のスタイルによく似ているといわれている。更に、当時同じフォードグループであった、ジャガー・XJにも、内装のインパネデザインなど、影響を受けた所も多数ある。この様なデザイン等の変更により、初代にて不評だった後席居住性やトランク容量が改善された。

この大幅なスタイルの変化は、マツダのフラッグシップとなる予定であったアマティ1000が発売されなかったことにも起因するもので、さらにいえば、初代センティアがパーソナルかつスタイリッシュな装いだったのも、重厚な装いを纏うアマティ1000を発売する前提があったからこそあれだけ大胆な方向へ振ることができた、とも言われている。

広告及びCMキャクラターにショーン・コネリーを前面に起用し(彼をイメージしてデザインされた)、重厚かつ高級さを前面に押し出したCMを放送していたが、時代の流れに乗り切れず、販売にもつながらなかった。また韓国の起亜自動車はこれをベースにしたモデルをポテンシャの後継として「エンタープライズ」という名称で生産した。

コストダウンの嵐が吹き荒れる最中のデビューだったこともあって開発費の都合上従来型の改良版とせざるを得ず、無事フルモデルチェンジを選択したとはいっても、シャーシーのみならず、インナーパネル等に至るまで初代からの流用となった。インテリアもコストダウンがすぐに分かってしまうほど品質が低下してしまったことや、更にはマツダの販売チャネルの整理・経営改革の真っ只中という悪条件が重なり、競合車種のクラウン/セドリック/グロリアはおろか、ウィンダム/セフィーロ/ディアマンテなどのFFミドルセダンという新興勢力の中にも埋もれてしまい、販売は苦戦した。

エンジンは全車3Lのみで2.5Lは廃止された。センティアからの3,000ccV6DOHC(205馬力)とMPVと共通のSOHC(160馬力)の2種類が用意された。初代に続き、車速感応型4WS装着車種も用意されたが、日産のスーパーハイキャスのようなヨーレート感応型ではなかったことから作動に違和感があったため、それを和らげるために最大転舵角を7度から5度に縮小した。

1997年9月、マイナーチェンジでフロントグリルの桟を横から縦に変更と同時にマツダのブランドマークに変更された。また、見劣りしていた内外装のグレードアップも図った(前期では、ロイヤルクラシック以外には採用されていなかったフェンダーマーカーや、シェードつきフロントガラスなどをほぼ全車に採用。)。

2000年、生産中止、これにより同社より後輪駆動セダンが消滅した。2代目センティアの総生産台数は約18,200台。

なお、センティア亡き後のマツダの最高級セダンは存在せず、センティアよりも1クラス下の価格帯となるミレーニア(1997年販売)となったが、そのミレーニアも2003年に生産を終了した。それ以降、マツダからは高級セダンと言える自動車がラインナップされていない。その後MPVCX-8が、同社の重役送迎や広島県の公用車にも使用されている。3代目アテンザが販売開始したときに、フラッグシップカーとしてメーカーより位置づけられた[4]

車名の由来[編集]

車名のセンティアは、フランス語で「感じる」を意味するsentirとラテン語で「場所」を意味するiaとを組み合わせできた造語で、「感動を呼ぶ洗練された空間」の意味合いが込められている。

脚注[編集]

  1. ^ ルーチェ営業用版は2代目センティアが登場する1995年まで継続生産。
  2. ^ マツダホームページ>マツダのクルマづくり>クルマづくりの歴史>マツダの歴史>1990年-1999年>初代センティア誕生
  3. ^ GAZOO>名車館>1991年 マツダ・センティア エクスクルーシブ Archived 2010年7月24日, at the Wayback Machine.
  4. ^ 新世代フラッグシップモデル、新型「マツダ アテンザ」を発売 - マツダ 2012年11月20日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]