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紀元前2世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前200年から転送)
千年紀: 紀元前1千年紀
世紀: 前3世紀 - 紀元前2世紀 - 前1世紀
十年紀: 前190年代 前180年代 前170年代 前160年代 前150年代
前140年代 前130年代 前120年代 前110年代 前100年代
張騫使節団。前漢武帝の命により大月氏へと派遣され、西域との交流といわゆるシルクロード(絲綢之路)の発展を促した。画像は敦煌莫高窟に描かれた張騫。

紀元前2世紀(きげんぜんにせいき)は、西暦による紀元前200年から紀元前101年までの100年間を指す世紀

できごと

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漢の景帝陵(陽陵)中国語版。景帝は呉楚七国の乱を平定したことで父の文帝から続く前漢の安定期である「文景の治」を現出した。画像は景帝陵に副葬されていた陶俑の数々(咸陽漢陽陵博物館中国語版蔵)。
馬王堆漢墓。1972年に湖南省長沙市で発見された前漢長沙国の高官利蒼一族の墳墓で、生けるがごとく保存状態の良い利蒼夫人辛追の遺体が埋葬されていた。画像はその朱塗りの漆の模様が描かれた木棺(湖南省博物館蔵)。
南越国の繁栄と没落。南越は5代93年にわたり中国南部からベトナム北部を支配した王国で前漢に秘してひそかに帝位を称するほどであったが、前漢の武帝により滅ぼされた。画像は趙眜陵墓で発見された王の遺体を包んでいた絲縷玉衣(西漢南越王博物館蔵)。
雲南漢の南方拡大は南越だけでなく雲南にも及び、西南夷とされた彼らも武帝の時代までには漢の支配下に組み込まれた。画像は雲南省晋寧県石寨山出土の「七牛貯貝器(上海博物館蔵)」。
ペルガモンのゼウス大祭壇。ドイツの発掘調査と遺物の移送により「神々と巨人族との戦い(ギガントマキア)」の浮彫を含む往時の姿がベルリンペルガモン博物館で再現されている。
サモトラケのニケヘレニズム芸術を代表する作品で現在はルーヴル美術館の所蔵となっている。
アンティキティラ島の機械。天体運行を計算するための歯車式の機械であり、古代ギリシアの技術の高さを裏付ける貴重な証拠となっている。沈没船から発見され、現在はアテネ国立考古学博物館の所蔵となっている。
ロゼッタ・ストーン。もとはプトレマイオス5世がメンフィスで出した勅令を刻んだもので、神聖文字民衆文字ギリシア文字が併記されていたことからシャンポリオンが神聖文字の解読するための足掛かりとなった。現在は大英博物館の所蔵となっている。
パルティア王国の拡大。西アジアではイラン系遊牧民が建てた国家パルティアが国王ミトラダテス1世の時代に勢力を拡大した。画像はイランのフーゼスターン州イゼーのXong-e Ashdarにあるミトラダテス1世を記念する浮彫。
メナンドロス1世。ヘレニズム系ギリシア人によるインド・グリーク朝の国王で仏典の『ミリンダ王の問い』では仏教に帰依したことで知られている。画像はこの王の肖像が刻まれたコイン(大英博物館蔵)。
カルタゴ陥落。第三次ポエニ戦争によりローマは宿敵カルタゴを制圧。住民を捕虜奴隷にし、都市機能を完膚なきまでに破壊した。画像は19世紀のイギリス人画家エドワード・ポインターのカルタゴ包囲戦の歴史画で、中央に投石器(カタパルト)が描かれている。
グラックス兄弟の改革。ポエニ戦争終結後のローマ社会構造の大きな変化に合わせるべく改革が行われたが、元老院派の反発が強く兄弟の改革は挫折した。画像はフランソワ・トピノ・ルブラン英語版による歴史画「ガイウス・グラックスの死」。

東アジア

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地中海世界

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その他

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伝説・架空のできごと

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  • 紀元前146年 - カルタゴへ遠征途上のスキピオ・アエミリアヌスは、夢の中で祖父のスキピオ・アフリカヌスに出会い、国を守ることの尊さと霊魂の永遠を諭される。そしてその献身により九つの天球の宇宙のもとで、心地よい調和の音楽を耳にすると言われる(キケロ『国家論』の中の「スキピオの夢」)。
  • 紀元前126年以前 - 前漢の武帝の命で西域へと赴いた張騫は、大夏から黄河の源流を探り、不思議な浮槎(いかだ)に乗って天の河を遡った。そこで牽牛織女に会ったという(西晋の張華による『博物志』などから発展した「張騫乗槎(じょうさ)伝説」)。
  • 紀元前100年代 - 前漢の武帝の寵愛した李夫人(将軍李広利の妹)は昌邑王劉髆を産むと間もなく亡くなった。李夫人を忘れられずにいた武帝は道士に霊薬を整えさせ、玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという(白居易『李夫人詩』の「反魂香」の故事)。

人物

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地中海世界

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共和政ローマ

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カルタゴ・ヌミディア

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ギリシアとヘレニズム諸国

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中央アジア・インド

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中国と周辺諸国

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  • 叔孫通(生没年不詳) - 前漢の儒者・博士・太常・廃絶された儀礼を組織し高祖劉邦のもとで儒教の振興に尽くす
  • 衛満(生没年不詳) - 衛氏朝鮮の建国者・燕王盧綰が呂后政権を恐れ匈奴に出奔した後に朝鮮北部で自立する
  • 利蒼(? - 前186年) - 前漢の政治家・呉氏長沙国の相をつとめ初代軑侯となる・発掘された馬王堆漢墓にその妻子と葬られていた
  • 呂雉(? - 前180年) - 前漢の高祖劉邦の皇后・恵帝の母・劉邦の死後に政権を恣にし呂氏一族を登用する
  • 冒頓単于(? - 前174年) - 匈奴の単于(在位前209年 - 前174年)・月氏東胡を討ち国家統一・から前漢の中国を圧倒する
  • 趙佗(? - 前137年) - 南越の初代王(武帝)(在位前203年 - 前137年)・楚漢戦争で独立・60余年在位で100余歳で逝去?
  • 陳平(? - 前178年) - 前漢の政治家・丞相・呂雉没後に周勃らとともに政変を起こし呂氏一族を粛清した
  • 周勃(? - 前169年) - 前漢の武将・丞相・呂雉没後に陳平らとともに政変を起こし呂氏一族を粛清した
  • 劉濞前215年 - 前154年) - 前漢の皇族・劉邦の甥で呉王となる・景帝時代に楚王劉戊らと呉楚七国の乱を起こす
  • 文帝前203年 - 前157年) - 前漢の第5代皇帝(在位前180年 - 前157年)・呂氏一族が誅滅された後に即位・「文景の治」を現出
  • 賈誼前200年 - 前168年) - 前漢の政治家・文人・文帝に仕え国政を改革・「弔屈原文」「鵩鳥賦」「過秦論」の作がある
  • 中行説(生没年不詳) - 前漢の宦官・文帝の時代に匈奴に嫁した公主に従い老上単于に仕える・恨みから前漢に仇をなすようになる
  • 河上公(生没年不詳) - 前漢の隠者・文帝に『老子』の注釈書である『老子道徳経章句』を開示したと伝わる
  • 公孫弘前200年 - 前121年) - 前漢の学者・丞相・武帝の治世を補佐する一方で主父偃董仲舒を失脚させる
  • 景帝前188年 - 前141年) - 前漢の第6代皇帝(在位前156年 - 前141年)・諸侯への領土削減策から呉楚七国の乱を招く
  • 鼂錯(? - 前154年) - 前漢の政治家・諸侯の勢力削減策を進め呉楚七国の乱を招く・反乱鎮圧のためと称して殺される
  • 袁盎(生没年不詳) - 前漢の政治家・文帝から景帝に仕える・呉楚七国の乱に際し政敵であった鼂錯の処刑を進言する
  • 周亜夫(? - 前143年) - 前漢の将軍・政治家・周勃の子・呉楚七国の乱を鎮圧したが景帝と不和になり餓死する
  • 劉安前179年 - 前122年) - 前漢の皇族・劉邦の孫で淮南王となる・『淮南子』の著者・武帝に叛意を疑われ自害
  • 主父偃(生没年不詳) - 前漢の政治家・諸侯の領土を細分化する「推恩の令」を建策・諸侯に憎まれ武帝に誅殺される
  • 司馬相如前179年 - 前117年) - 前漢の文章家・武帝に仕え「天子游獵賦」など賦で知られる
  • 董仲舒前176年? - 前104年?) - 前漢の儒学者・五経博士の設置などでいわゆる儒教の官学化に貢献
  • 劉勝(? - 前113年) - 前漢の皇族・武帝の庶兄で中山王(靖王)となる・埋葬した墓地から金縷玉衣が出土・劉備の遠祖
  • 武帝前156年 - 前87年) - 前漢の第7代皇帝(在位前141年 - 前87年)・匈奴に対する外征を行い西域に勢力を拡大
  • 張騫(? - 前114年) - 前漢の政治家・外交官・武帝の命で匈奴に対する同盟のため大月氏へと赴き西域を踏破する
  • 衛青(? - 前106年) - 前漢の武将・大将軍大司馬・甥の霍去病とともに匈奴征討に大きく貢献・姉の衛子夫は武帝の皇后
  • 東方朔前154年 - 前92年) - 前漢の政治家・文人・その滑稽と機知で武帝に愛された・死後は伝説化し仙人とされる
  • 司馬遷前145年 - 前87年) - 前漢の歴史家・『史記』の著者・武帝の前で李陵を弁護して怒りを買い宮刑に処せられる
  • 霍去病前140年 - 前117年) - 前漢の武将・大司馬・叔父の衛青とともに匈奴征討に大きく貢献・霍光は異母弟
  • 李広利(? - 前88年) - 前漢の軍人・武帝の命で汗血馬を求め大宛を攻略・後年は匈奴に降伏し粛清される

関連項目

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外部リンク

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