ブリハドラタ・マウリヤ

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ブリハドラタ・マウリヤ
 बृहद्रथ मौर्य/Brihadratha Maurya
マウリヤ朝の王
在位 ~紀元前185年
別号 ブリハード(英語読み)

出生 紀元前152年
パータリプトラ
死去 紀元前185年
タキシラ
埋葬 パータリプトラ?
子女 名称不明
家名 マウリヤ朝
王朝 マウリヤ朝
父親 シャパタンヴァン
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ブリハドラタ・マウリヤ英語: Brihadratha Maurya, サンスクリット: बृहद्रथ मौर्य, 在位紀元前182年 - 紀元前185年)は、古代インド・マウリヤ朝の最後の君主。古代インドの王。英語読みするとブリハードとなるが、そちらの方でも知られている。[要出典]父はマウリヤ王シャタダンヴァンである。プラーナ文献によると、ブリハドラタ・マウリヤは父であるシャタダンヴァンからマウリヤ朝の王位を継承し、マウリヤ朝を3年間統治したとされる。

概要[編集]

マガダ国考古学的な発見によって最後の君主であるとする。

ブリハドラタ・マウリヤは、父であるシャタダンヴァンからマウリヤ朝の王位を継承し、紀元前182年に即位した。彼はまた当時インドの主要な宗教となっていた仏教に忠実だったとされる。彼が即位した時には、マウリヤ朝の領土は王都パータリプトラを中心にした、アショーカ王の時代に比べて縮小しており、領土は首都パータリプトラ周辺に集中していた。しかし、ブリハドラタ王はマウリヤ朝を3年の間、王として君臨して統治したとされる。しかし、彼は紀元前185年に司令官ブラミン将軍プシャミトラ・シュンガによってタキシラの地で暗殺されて権力が簒奪され、紀元前185年とも言われその後、プシャミトラ・シュンガはマガダ国シュンガ朝を築き上げた。

ブリハドラタの暗殺には、

プシュヤミトラは、タキシラで自身の軍隊の強さを示すという口実で閲兵しながら、軍の前でブリハドラタ王を殺し、新しい支配者としての地位を確立した。

 と言う伝説が残っている。

その後のインド[編集]

王位を得たプシャミトラはマガダ国の都パータリプトラを引き続き首都としたが、かつての最盛期のマウリヤ朝の領土を包括するような規模の王朝を築くことはできなかった。紀元前180年、北西インドはインド・グリーク王朝の王デメトリオス1世の攻撃を受け、プシャミトラは戦闘を余儀なくされた。プシャミトラとその後継者達はインド・グリーク王朝との争いに巻き込まれる。