ブリハドラタ・マウリヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ブリハドラタ・マウリヤ
 बृहद्रथ मौर्य
マウリヤ朝の王
在位 ?~紀元前185年
戴冠式
別号 ブリハード(英語読み)

出生 紀元前252年
パータリプトラ
死去 紀元前185年
パータリプトラ
埋葬 パータリプトラ?
子女
王家 マウリヤ朝
王朝 マウリヤ朝
父親 シャパタンヴァン
母親
テンプレートを表示

ブリハドラタ・マウリヤは、ブリハードと乗るマウリヤ帝国の最後の君主(在位紀元前182年〜紀元前185年)。父はサパタナバン。プラナ文献によると、ブリハドラタは父であるシャタダンヴァンからマウリヤ朝を継承し、7年間統治したとされる。

概要[編集]

マウリヤ朝最後の王は仏典によれば沸沙蜜多羅[1]プシャミトラ)、プラーナ聖典によればブリハドラタであった。これはブリハドラタとする説が正しいことがわかっている。プシャミトラはブリハドラタに仕えるマウリヤ朝の将軍であり、北西から侵入していたギリシア人との戦いで頭角を現していった。そして遂にはブリハドラタを殺害してパータリプトラに新王朝シュンガ朝を建て、マウリヤ朝は滅亡した。その時期は紀元前180年頃であったと考えられている。

生涯[編集]

アショーカ王時代の最大領土期のマウリヤ朝

前史[編集]

マウリヤ帝国は最盛期を迎えたアショカ大王の死後、彼の息子によって分裂した。いくつかの伝説や仏典などの記録があるが、アショカ大王以後の王名はそれらの諸記録で一致せず、その代数も一致しないことから王朝が分裂していたことが想定されている。

即位[編集]

ブリハドラタ・マウリヤは、紀元前182年に即位した。彼はまた仏教に忠実だったとされる。彼が即位した時には、マウリヤ帝国の領土はパータリプトラを中心にした、アショカ大王の時代に比べて縮小していた。彼は紀元前185年に司令官ブラミン将軍プシャミトラ・スンガによって暗殺されて権力が簒奪され、マウリヤ帝国は滅亡した。プシャミトラ・スンガはスンガ帝国を築き上げた。

暗殺[編集]

ブリハドラタの暗殺には

  プシュヤミトラは、プシャミトラの軍隊の強さを示すという口実でパレードしながら、軍の前で元皇帝を殺し、新しい支配者としての地位を確立した。  

と言う伝説が残っている。

その後のインド[編集]

紀元前180年北西インドはグレコ - バクトリアデメトリオス1世の攻撃を受けた。彼は、パキスタンのパンジャブのカブール渓谷で治めた。彼の後継者たちは、スンガ帝国との一連の戦争に巻き込まれた。

脚注[編集]

  1. ^ 漢字表記法は一定しない。沸沙蜜多羅という表記は『雑阿含経』による。

関連項目[編集]