紀元前192年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
世紀 前3世紀 - 前2世紀 - 前1世紀
十年紀 前210年代 前200年代
前190年代
前180年代 前170年代
前195年 前194年 前193年
紀元前192年
前191年 前190年 前189年

紀元前192年は、ローマ暦の年である。

他の紀年法[編集]

この節は、ウィキプロジェクト 紀年法ガイドラインに基づいて記述されています。この節に大きな変更を加える場合には、あらかじめ上記プロジェクトのノートで提案し、合意を形成してください。

できごと[編集]

共和政ローマ[編集]

ギリシア[編集]

  • スパルタの僭主ナビスは失った領土を取り戻すためにローマに支援を求める使節を送り、それへの返答として元老院 (ローマ)プラエトルアティリウスを海軍とともに送り、またティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスを長とする使節団を派遣した。
  • ローマ軍が到着するのを待たずに、フィロポイメーンの指揮するアカイア同盟の陸海軍はギュティオンに侵攻した。アカイア同盟軍はスパルタ軍に敗北し、フィロポイメンはTegeaに撤退した。
  • フィロポイメーンが二度目にラコニアに入ると、彼の軍はスパルタの奇襲を受けた。しかしフィロポイメーンはなんとか勝利を収めた。
  • フィロポイメーンのスパルタ占領計画は、ローマの大使フラミニウスの要請によって保留された。その見返りとして、ナビスは現状を維持することを決断した。
  • ナビスはアイトリア同盟に助けを求め、アイトリア同盟は1000の騎馬隊をスパルタに派遣した。
  • ナビスがアイトリアの将軍に暗殺され、スパルタはアイトリアに一時占拠され、宮殿を強奪され、市街も略奪された。しかし、スパルタ市民は反撃し、アイトリア軍を街から追い出した
  • フィロポイメーンはアイトリアの謀反を活かし、アカイア同盟軍とともにスパルタに侵入した。スパルタの支配権を得ると、フィロポイメーンはスパルタをアカイア同盟に加盟させた。

死去[編集]

  • ナビス:スパルタの僭主(* 誕生年は不詳)