紀元前206年

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世紀 前4世紀 - 前3世紀 - 前2世紀
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紀元前206年
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紀元前206年

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

ローマ帝国[編集]

カルタゴ[編集]

  • 北アフリカに帰還したハスドルバル・ギスコは、娘をヌミディアの王であるシュファクスに嫁がせ、軍事同盟を結んだ。
  • カルタゴと同盟を結んでいたヌミディアの王マシニッサは、カルタゴを見限ってローマ側についた。シュファクスはマシニッサを追放し、自らが王になった。これに対してローマ帝国はマシニッサの地位を認めた。

ペルシャ[編集]

ギリシャ[編集]

  • マケドニア王国とローマ帝国の間で戦争が起こったが、ローマ帝国の狙いは征服にはなく、ギリシャの政治を分断して脅威の芽を摘んでおくことにあった。
  • マケドニア王国の王ピリッポス5世はローマの隙を突いてアエトリアを攻め、平和条約を結ばせた。

中国[編集]

  • の皇帝子嬰劉邦に降伏した。これによって秦王朝は滅亡し、前漢が建国された。しかし項羽との間に楚漢戦争が勃発し、紀元前202年まで続いた。
  • 正月、項羽は羋心を義帝とする。
  • 項羽は自立して西楚覇王となり、天下を分封して、劉邦を漢王に、韓成を韓王に封じた。
  • 五月、劉邦は韓信の計謀を用いて、項羽が田栄を北攻している隙に乗じてこっそりと陳倉を渡った(暗渡陳倉)。
  • 六月、田栄は斉王田巿を殺して、自立して斉王となる。
  • 七月、項羽は張良が劉邦に付き従ったため、韓成を斬首し、大夫鄭昌を改めて韓王とした。
  • 八月、漢王劉邦は出兵して雍王章邯を攻撃した。
  • 八月、燕王韓広遼東に遷されることを嫌ったため、項羽が燕王に封じた臧荼は韓広を殺し、遼東の王となる。
  • 項羽は九江王英布などに義帝を殺させた。

誕生[編集]

死去[編集]

  • 子嬰王朝の最後の君主
  • 義帝、秦末の反秦勢力の名目上の盟主

脚注[編集]

注釈

出典

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関連項目[編集]