グラックス兄弟
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グラックス兄弟(グラックスきょうだい)は、古代ローマのセンプロニウス氏族グラックス家に生まれた兄弟、ティベリウス・センプロニウス・グラックスとガイウス・センプロニウス・グラックスの2人を指す。
2人は共に共和政ローマ末期、政治家としてローマの改革に着手するが、元老院の反発に遭い失敗に終わる。
出自[編集]
兄弟の父親は大グラックス、母親はコルネリア・アフリカナ。姉にスキピオ・アエミリアヌスの妻センプロニアがいる。
グラックス家は血統的にはプレブスであるが、裕福で政治家としても有望な家柄であり、実質的にはノビレスと考えられる。
改革[編集]
背景[編集]
ポエニ戦争などの戦役を通じてローマは領土を拡大していったが、戦争の長期化に伴って農地は荒廃し、また植民都市からは安価な穀物が流入、加えて征服事業で得た奴隷を用いたパトリキの大土地所有(=ラティフンディウム)が拡大したことによって、中小農民が没落していった。
ローマ軍は一定の資産を持つ市民の徴兵によって成り立っていたが、中小農民の没落によって徴兵対象が減少してしまう。これは国防の低下に直結するため、やむを得ず徴兵対象をより資産の少ない者にまで拡大したが、それによって一家の働き手を取られた中小農民はますます没落し、また資産の無い者から徴兵されたローマの軍団員は著しく質が低下していった。
ティベリウスの改革[編集]
ティベリウスは紀元前133年に護民官に就任し、ラティフンディウムによる公有地の占有を制限することで無産市民に土地を再分配し、自作農を創出することを目指した。しかしこれはラティフンディウムによって利益を得ていたパトリキが多数を占める元老院議員の反発を招く。
ティベリウスは法案を民会に提出し成立させたが、これは元老院を無視するやり方であり、元老院の更なる反発を招いた。結果、ティベリウスは暗殺されてしまう。
ガイウスの改革[編集]
ガイウスは紀元前123年に護民官に就任した。穀物法を成立させて貧民を救済するが、ラテン同盟市に対するローマ市民権公布を巡って元老院と対立し、セナトゥス・コンスルトゥム・ウルティムムを出されて自殺に追い込まれた。
その後[編集]
兄弟の死後、彼らの遺志を継いで改革を目指す政治家は後を絶たず、それはオプティマテスとポプラレスの対立に繋がっていく。
兄弟の登場によって、もはや元老院を中心とする従来の体制の機能不全が明白なものとなった。これによりローマ人同士が争う内乱の一世紀と呼ばれる混乱の時代の幕開けとなる。その意味で兄弟の登場はローマの歴史上、重要な転換となった。
その後、ガイウス・マリウスの軍制改革によって、グラックス兄弟が志向した平民救済は違った形ながらもある程度実現された。そして農地改革については、ガイウス・ユリウス・カエサルが「ユリウス農地法」を成立させた。
後にカエサルも暗殺されたように、ローマ元老院(オプティマテス)を中心とした既得権益を持つ者の反発は強かったのである。
その他[編集]
- フランス革命時代の革命家であり、共産主義の先駆とされ、農地均分を唱えたフランソワ・ノエル・バブーフは、グラックス兄弟にあやかって、「グラキュース・バブーフ(Gracchus Babeuf)」と自称した。
- 「スパルタカス」「グラディエーター」など古代ローマを舞台とした映画には、自由や平等に理解を示す架空の元老院議員として『グラックス』の名が出てくる。