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「上海国際博覧会」の版間の差分

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* '''イベント'''
* '''イベント'''
:* [[6月13日]]に[[上海万博文化センター]]にて予定されていた[[SMAP]]のイベント「SMAP上海万博ファンの集い」や、さらに中国での人気の高いSMAPのコンサートでは、安全確保は難しいと事務局側が判断し、解決策を見いだせないまま、[[6月5日]]に中止とすることを発表した。もしこのイベントが開催されれば、SMAPの初の海外イベントとなる予定であった。<ref>[http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00178659.html 上海万博の目玉イベント「SMAP」の公演が中止に 安全確保不可能が原因] - [[FNNニュース]] 2010年6月7日付</ref> 
:* [[6月13日]]に[[上海万博文化センター]]にて予定されていた[[SMAP]]のイベント「SMAP上海万博ファンの集い」や、さらに中国での人気の高いSMAPのコンサートでは、安全確保は難しいと事務局側が判断し、解決策を見いだせないまま、[[6月5日]]に中止とすることを発表した。もしこのイベントが開催されれば、SMAPの初の海外イベントとなる予定であった。<ref>[http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00178659.html 上海万博の目玉イベント「SMAP」の公演が中止に 安全確保不可能が原因] - [[FNNニュース]] 2010年6月7日付</ref> 

== 問題 ==
* '''盗作疑惑'''
: '''上海万博PRソング'''
:* 上海万博PRソングで中国の著名な作曲家[[繆森]]の作品とされてきた『[[2010等你来]](2010年が君を待ってる)』(歌およびMV出演:[[ジャッキー・チェン]]など)が、[[岡本真夜]]の楽曲『[[そのままの君でいて (岡本真夜の曲)|そのままの君でいて]]』とソックリだとして盗作疑惑が持ち上がっていた<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0415&f=national_0415_008.shtml 上海万博の公式テーマソングに盗作疑惑!これって岡本真夜の歌じゃない?] - サーチナ 2010年4月15日</ref>。中国ではインターネットを中心に批判が持ち上がり、日本のメディアでも大きく取り上げられた。事務局では事実確認のため一時使用停止し<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/04/17/03.html 上海万博曲は盗作?岡本真夜側「事実確認中」] - [[スポーツニッポン|スポニチ]] 2010年4月17日</ref>、その後、岡本真夜の所属事務所に使用許可を求めた。岡本側は曲の使用を認めたが<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/04/20/03.html 急展開!岡本真夜の楽曲「上海万博PR曲」に] - スポーツニッポン 2010年4月20日</ref>、当局はこの使用申請受け入れについて[[言論統制]]によって国内での報道を禁止した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100501-OYT1T00812.htm お蔵入り?岡本さんの「そのままの君でいて」 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)] - 読売新聞 2010年5月1日{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref>。なお、当初この曲は開会式で歌われる予定であったが、歌われなかった。
: {{Seealso|2010等你来}}

[[ファイル:China Pavilion of Expo 2010 at night.jpg|200px|right|thumb|中国館]]
: '''パビリオン「中国館」'''
:* パビリオン「中国館」が[[安藤忠雄]]設計の[[セビリア万博]]「日本館」の盗作ではないかという指摘が起きた<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0422&f=national_0422_020.shtml 不毛なパクリ論争に巻き込まれた上海万博、今度は「中国館」に飛び火] - サーチナ 2010年4月22日</ref>。既存する建築物の[[意匠]]を採り入れることは建築の世界ではしばしばあることだが、一連の盗作騒動が、建築の分野にまで波及したかたちとなった。設計した[[華南理工大学]]建築学院副院長の倪陽は「中国館のスタイルは建築デザインの世界で広く使われているもの。安藤氏が創造したものではない」と反論した。さらに[[中国社会科学院]]建築研究院は、「(中国館、セビリア万博時の日本館)ともに伝統的な中国の建築技法から影響を受けている。盗作というのならば、最初にコピーしたのは日本の方だ」と主張した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/china/100429/chn1004292103009-n1.htm 1日開幕、パクリ疑惑に懸命に反論] - 産経新聞 2010年4月29日</ref>。安藤氏本人も「少し似ているようにも思えるが、建築はすべて形のあるものなので、似ている部分があるのは避けられない。なので、私の作品を模倣したと言うことはできないし、そのような見方をしてもいけない。2つの作品の尺度もまったく異なり、中国館は非常に大きい。私の作品とは大きく異なると思う」と述べた。

: '''万博公式マスコット「海宝(ハイバオ)」'''
[[ファイル:O Haibao em Feira Internacional de Macau.JPG|200px|right|thumb|公式マスコット、「海宝(ハイバオ)]]
:* 万博公式[[マスコット]]「海宝(ハイバオ)」が約半世紀前に[[アメリカ合衆国]]で制作された子ども向け番組の[[キャラクター]]「[[ガンビー]](Gumby)」の盗作ではないかという疑惑<ref>[http://www.chinanews-jp.com/news/disp.cgi?y=2010&d=0421&f=national_0421_033.shtml&mb=cns 上海万博マスコットにもパクリ疑惑、米国キャラに「生き写し」] - [[中国新聞社]] 2010年4月21日</ref>が一時期生じた。<ref>[http://news.nifty.com/cs/headline/detail/fuji-zak20100422013/1.htm とまらない上海“万パク” 今度はイメキャラに盗作疑惑浮上] - [[夕刊フジ]] 2010年4月22日</ref>。

* '''インフラ・人員問題'''
:開幕前は[[ホテル]]不足が問題視されていた。来場者の[[ベッド]]数としておよそ59万人分必要とされていたが、大幅に不足しており問題を抱えていた。いっぽう、万博従業員も約25万人を必要するとされていたが不足していた。ただし、開幕後も主要なホテルは実際には余裕があった。ホテル以外の「招待所」や「旅社」などの中国人専用の安価な簡易宿泊所に宿泊する人が多かったことや、上海よりも宿泊費の安い周辺都市に宿泊する団体が多いことなどが考えられた。

* '''マナー(文化的)問題'''
: 上海市政府は、「市民の素養」と題した46項目のルールを制定。順番を守って[[地下鉄]]に乗ること、[[タクシー]]の窓から唾を吐かないことを指示し、[[パジャマ]]姿での外出や万博会場から1キロメートル以内は屋外で洗濯物を干すことを禁止するほか、警備の警官は[[ニンニク]]や[[ニラ]]、[[ネギ]]など[[口臭]]の原因となる食べ物を口にしないなど、さまざまな規制を打ち出している。市民への不満対策には、チケット無料配布や開幕前日から公休指定5日間などの優遇策を行う<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/china/091120/chn0911201714001-n1.htm 上海にパジャマ外出禁止令 万博対策、市民は支持せず] - MSN産経ニュース 2009年11月20日{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref><ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010040202000066.html 上海万博控え規制次々 いら立つ市民に優遇策] - [[東京新聞]] 2010年4月2日{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref>。
: 当初は行列のマナーが悪く、常に押し合いへし合いの状態であった。アメリカ館では、[[英語]]で注意したスタッフに中国人客から一斉に[[野次]]と怒号が寄せられたこともあった<ref name="post052148">2010年5月10日発売[[週刊ポスト]](2010年5月21号)p.48</ref>。パビリオンに入場する際に行列に割り込みをするのは日常茶飯事となっていた<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0508&f=national_0508_003.shtml 【上海万博】香港パビリオンでドサクサにまぎれて入場する人たち] - サーチナ 2010年5月8日</ref>。ただ、この問題は人気パビリオンの割り込み防止の警備を、警備員や館職員から武装警察に変えたところ、改善が見られた。しかし、朝の会場ゲート待ちの時などはやはり押し合いへし合いになることがあった。
: ゴミの散乱の問題も開幕当初は深刻であった。特にパビリオンの入場待ちの行列をしている人々がポイ捨てするゴミは、足の踏み場がないほどであった。しかし、その後ゴミ箱を過剰なほどに設置したことによりこの問題はほぼ解消した。
: 「万博おばあちゃん」こと[[山田外美代]]は、「会期中、中国人のマナーもどんどん向上した。」と言っている<ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010110102000014.html 中日新聞 2010年11月1日</ref>。

* '''治安問題'''
: [[少数民族]]問題や格差社会への不満から、[[暴動]]や[[テロ]]の発生に対する懸念ももたれていた。中国公安部、交通運輸部および上海市人民政府は、上海万博の安全な開催を保障するために万博期間中に上海市に進入する全ての車輌に対する[[検問]]の実施と通行証による管理を行うことを決定した。しかし、検問による検査がフリーパスとなる「上海進入車輌通行証(進滬車輌通行証)」が偽造され、販売されている例が明るみになった<ref name="04291792993-n3">[http://sankei.jp.msn.com/world/china/100429/chn1004291802003-n3.htm 【上海万博開幕前夜】(上)「万パク」狂想曲 (3/3ページ)] - 産経新聞 2010年4月29日</ref>。また、[[上海地下鉄]]ではすべての駅でX線装置による手荷物検査を行っている。

* '''感染症発生時の対応'''
: [[鳥インフルエンザ]]や[[H1N1亜型]]の[[2009年新型インフルエンザの世界的流行|新型インフルエンザ]]が会場で発生した場合、どうやって感染の拡大を防ぎ、多数の人々の検疫をどう実施するかが懸念された<ref>[http://news.goo.ne.jp/article/reuters/world/JAPAN-150592.html 上海万博、脅威はテロ攻撃よりインフルエンザ=専門家] - gooニュース4月28日(ロイター){{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref>。

* '''偽造・使用済み入場券問題'''
[[File:Shanghai Expo Ticket.JPG|200px|right|thumb|上海万博の入場券(特割券)]]
: 超人気の入場券、5月1日の開幕当日の偽造券が横行した。中国地元紙は、[[インターネット]]上で転売されている開幕日の入場券のなかに数多くのニセモノが含まれていると警告していた<ref name="04291792993-n3"/>。しかし、開幕後の5月26日はニセ入場券での入場も明らかとなった。本物と並べると簡単に違いがわかる粗悪な偽造券であるが、本物の券を見たことがない中国の内陸部や、海外などからの来場者は簡単にだまされていて問題となった<ref name="sankei0529">{{cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/world/china/100529/chn1005290912000-n1.htm |title=上海万博、ニセ入場券みつかる 使用済み転売の手口も |publisher=MSN産経ニュース |date=2010-05-29 |accessdate=2010-05-29}}</ref>。万博会場付近では、不法業者が「使用済み入場券」を「未使用」と偽って販売する手口が横行している。そのために事務局では、正規ルートでの入場券の購入をすすめてはいる<ref name="sankei0529"/>。なお、使用済み券は、自動改札機を通した時に券の両サイドに「EXPO 2010」の刻印が押されるために、知っていれば容易に判別できた。
: 市民に無料で配布された無料入場券(世博大礼包)を転売する人も多かった。これは偽造券などではなく、市民でなくても誰でも使用できたが、正規券と異なり使用できる月が決まっていたので、券面に明記されている使える月を確認するなどの注意が必要であった。

* '''コピー商品の販売'''
: 万博会場周辺や[[豫園]]や南京路・[[東方明珠電視塔]]など市内の観光スポット周辺などでは、公式マスコットである「海宝」のコピー商品の販売が横行している。中国当局は、2カ月余りで、既に435件を摘発し、コピー商品12万8,000点を押収した。万博事務局は、「万博の[[知的財産権]]に対する宣伝を強め、市民に正規商品を買うよう提唱している」と説明している<ref>[http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100424dde035030059000c.html 上海万博:マスコットのコピー横行 「そもそも米キャラの盗作」] - 毎日jp(毎日新聞) 2010年4月24日{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref>。しかし「違法コピー天国」と批判される中国では、開幕後も「『万博ビジネス』でひともうけしよう」という人が後を絶たず白昼堂々と売られている。また、正規品に比べて品質は大差がないのに[[価格]]が安いために購入者も絶えず、この国の知的財産権保護の難しさを見せつけている<ref>{{cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/world/china/100511/chn1005112052002-n1.htm |title=コピー商品、開幕後も横行、取り締まり困難 |publisher=MSN産経ニュース |date=2010-05-11 |accessdate=2010-05-11}}</ref>。

* '''中国製の各国名産品'''
: アフリカの43カ国が共同出展したアフリカ館の即売コーナーで売られているアフリカ各国の名産品は、[[デザイン]]こそアフリカ風であるが、ほとんどが中国国内で製造されたものである。そのために一部の来場者からは「中国製のアフリカ土産など買いたくない」とそっぽを向かれた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/china/100501/chn1005012106013-n2.htm 整理券めぐり混乱も 北朝鮮・イラン館では“ビジネス”重視 (2/2ページ)] - 産経新聞 2010年5月2日</ref>。

* '''スタンプだけが目当てで、ロクに展示を見ない観客'''
: 中国の[[パスポート]]そっくりに作られた「世博護照」({{lang|zh|世博护照}}・万博パスポート)が公式商品として発売されていたが、各館の記念スタンプを入国スタンプにみなして、多くのスタンプを集めることがブームとなり、「世博護照」を発売している店舗には行列が出来るほどであった。ただ、スタンプ収集を行っている者のなかには、ロクに展示を見ずに、入館をすると一目散に出口にある記念スタンプに向かう例があった。この点について「万博の意義に反するし、何よりも出展国に失礼。」との意見が出た<ref>世博毎日快報・2010年6月8日号より</ref>。また、浦西側のベストシティ実践区は不人気エリアであるため、集客策として当日朝に数を限って配布される専用のスタンプ台紙に、ベストシティ実践区の各パビリオンのスタンプを一定数以上集めると、浦東側の人気パビリオンの優先入場券が貰える企画を実施したが、これを集めている観客はスタンプ以外には全く関心がないケースが多かった。

* '''日本国旗の不掲揚'''
[[File:上海万博日本館の日中国旗.JPG|200px|right|thumb|日本館に掲揚される日中国旗]]
: 万博開幕当初、日本館では[[日の丸]]の掲揚・掲示が行われていなかった。展示館内に[[国旗]]の掲揚・掲示が義務づけられていないために、中国人の反日感情に配慮したためとの見方が一部にあったものの、日本館関係者は外国開催では過去にも国旗を掲げないケースがあったとそれを否定した<ref name="sankei05012106013-n1">[http://sankei.jp.msn.com/world/china/100501/chn1005012106013-n1.htm 整理券めぐり混乱も 北朝鮮・イラン館では“ビジネス”重視 (1/2ページ)] - 産経新聞 2010年5月2日</ref>。実際に近年行われた外国での博覧会における日本館はすべて国旗を掲揚していない。問題が表面化してすぐに日中両国の国旗が掲揚されるようになった。

* '''新潟県長岡市が出展した錦鯉殺処分'''
:* [[新潟県]][[長岡市]]が出品し、10月13日から15日まで日本館催事場で展示されていた[[コイ|錦鯉]]は展示終了後、中国側により殺処分が行われた<ref name=sakurai20101125>{{cite web
|url=http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2010/11/25/%e3%80%8c%e3%80%80%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e6%84%9b%e3%81%99%e3%82%8b%e9%8c%a6%e9%af%89%e3%82%92%e6%af%92%e6%ae%ba%e3%81%97%e3%81%9f%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%80%80%e3%80%8d/
|title= 日本人の愛する錦鯉を毒殺した中国
|work = [[週刊新潮]]2010年11月25日号
|publisher = [[櫻井よしこ]]
|author = [[櫻井よしこ]]
|date = 2010年11月25日
|accessdate = 2010-11-25
}}</ref>。日本側の関係者は、錦鯉は入国時の検疫の際は問題無く、中国側も認めていたとして、中国側の「病気がある」との主張に反論したが、中国側係員は水槽に薬剤を投入したという<ref name=sakurai20101125/>。
:* もっとも、生き物の搬入不可のルールに例外を設けるよう働きかけたのは[[森民夫]]長岡市長だった<ref name=sakurai20101125/>。長岡市役所側は、展示は鯉を最終的に殺処分することが条件で、契約書にもその旨が明記されていると説明している。これに対し生産者側の関係者は、錦鯉の日本への持ち帰り不可については知っていたが、殺処分については聞いていないとし、契約書の存在についても否定している<ref name=sakurai20101125/>。そのためか長岡市の公式ホームページには鯉の展示の盛況ぶりなどが記されているだけである。

* '''万博取材許可証の発行のミス'''
: 事務局のミスにより、国内外の約1万4,000人の[[記者]]などメディア関係者への万博取材許可証の発行が一時混乱した<ref>[http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010042701000871.html 上海万博会場、本番へ追い込み 未完成のパビリオンも] - 中日新聞 2010年4月27日</ref>。

* '''突貫工事'''
: 開幕数日前になっても、パビリオンの展示物の1割は未完成であったため、部外者の立ち入りを禁止し、急ピッチでの突貫工事を進めたが、開幕には一部の展示物が間に合いそうにないと懸念され<ref>[http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C9381959FE0EBE2E09D8DE0EBE2E6E0E2E3E29494E3E2E2E2;bm=96958A9C9381959FE0EBE2E3E58DE0EBE2E6E0E2E3E29F9FEAE2E2E2 上海万博、展示物の1割未完成 準備大詰め] - 日本経済新聞 2010年4月29日</ref>、実際に間に合わなかったケースが少なくなかった。また、4月30日の段階でも開幕式がおこなわれるステージ裏側は[[ハリボテ]]が見える状態であった<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0430&f=national_0430_024.shtml 【上海万博】開幕式場のハリボテが丸見え!「隠せばいいのに」との声] - サーチナ 2010年4月29日</ref>。建設作業未経験者も投入された多くの突貫工事は、安全上の問題点も心配されていたが、「開催期間が半年なので、建物も半年保てばいい」といったスタンスであった<ref>[http://www.sanspo.com/shakai/news/100501/sha1005010503008-n1.htm 上海万博、パクリ騒動など問題山積 (1/2ページ)] - [[サンケイスポーツ]] 2010年4月29日</ref>。

[[File:Egypt Pavilion of Expo 2010.jpg|200px|right|thumb|エジプト館]]
* '''未開館のパビリオン'''
: [[ベネズエラ]]や[[南アフリカ共和国]]、[[エジプト]]など一部の外国パビリオンは工事が遅れていて、開幕日の当日になっても開幕することができずに閉まったままであった<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201005020084.html 上海万博開幕 午後には混乱収束 - 中国新聞] - 中国新聞 2010年5月1日</ref>。
: 6月に入ってイラク館を最後にようやくすべてのパビリオンが完成した。なおこのイラク館は、地元メディアが開館直前に連日応援報道を行ったため、大した展示物が無いにもかかわらず開館後しばらくは行列ができる人気パビリオンとなった。
: 地元メディアによれば、[[クウェート]]、[[ブータン]]、[[ブルキナファソ]]の3か国は、開幕直前になって出展を断念した<ref>[http://news.goo.ne.jp/article/reuters/world/JAPAN-151089.html 上海万博、中国市場でのイメージ向上狙い各国が多額支出] - gooニュース5月2日([[ロイター]])</ref>。

* '''過剰な参加国勧誘'''
: 参加国数を史上最多にするために組織委員会が1億ドル(約94億円)の基金を設け、約120の発展途上国がこの支援を受けて展示館建設などを行った<ref>[http://j.peopledaily.com.cn/94476/6609923.html 上海万博 参加国数が史上最高に] - 人民日報 2010年4月21日</ref>。ここまでして参加国数を増やすやり方に、「私たちはいつそんなに豊かになったのか」「国内にどれだけの失業者がいると思っているのか」など中国の[[インターネット]]上では異論の声が相次いだ<ref name=asahi050102/>。なお、[[ニウエ]]は[[2007年]]に中国が[[国家承認]]して[[国交]]を樹立して以来、現在に至るまで中国だけが国家として認めているが、これは参加国の数を1つでも稼ぐためとの観測がある。

* '''リニアの未着工'''
: 国土全体が[[国有地]]である中国では、住民の土地からの立ち退きは政府が強制的に断行するなか、なぜか当初計画されていた[[リニアモーターカー]]の駅が、住民の反対運動により未着工となった。そのために、空港より直通でのアクセスがなくなった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/china/100501/chn1005010701002-n3.htm 【上海万博開幕前夜】(下)場外乱闘、立ち退き住民の怒り、会場跡地でひと稼ぎ… (3/3ページ)] - 産経新聞 2010年5月1日</ref>。

* '''言論統制'''
: [[中国共産党]]宣伝部は国内のメディアに対し多くの指示を出しており、準備の遅れやリハーサル時の混乱など共産党にとって都合の悪い情報についての報道が禁止された。また、万博開幕報道について「大いに力を入れるように」との[[言論統制]]に関する指示を出した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/china/100501/chn1005011231009-n1.htm 「盛大に開幕」と祝賀報道 中国各紙] - 産経新聞 2010年5月1日</ref>。

* '''台湾館の扱い'''
: [[台湾]]([[中華民国]])は1970年の大阪万博で「中華民国館」を出展して以来、40年ぶりに「台湾館」を出展した。万博公式サイトでは当初、中国館について、「本体と省市連合館、香港、マカオ、台湾各館の『3部分から構成』」と紹介していた。しかし2009年12月に台湾側が「国内扱い」となっていることに気づき、万博事務局に抗議した。これを受けて「本体と地区館の『2つで構成』」との表記に変更されたが、台湾側は、台湾館を「外国国家館区に属する」として反発した。パビリオンの立地も、中国館の脇に寄り添うように配置された香港・マカオの両館とは異なり、台湾館は大通りをはさんだ反対側に変更された。また参加国の国旗を掲揚している場所には台湾の国旗は掲揚されていなかった。<ref>[http://www.asahi.com/international/update/0502/TKY201005020086_01.html asahi.com(朝日新聞社):北朝鮮、台湾、アフリカ…中国外交、透けて見える万博 - 国際] - 朝日新聞 2010年5月2日{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref>

* '''武装警察主体の過剰警備'''
: 武装警察本部の[[共産党]]委員会の指示の下、数万人規模の[[中国人民武装警察部隊]]([[中国人民解放軍]]の兵士・将校)の隊員により警備が行われ、主に万博会場周辺の警戒、重点ターゲットの防衛、武装パトロール、重点地域の守備などが担当された。また、他にも万博警備のために警官約4万6,000人を投入し、上海市内では約200万人の市民ボランティアが動員されて市街の巡回活動を行った<ref>[http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2010-04/29/content_268232.htm 「誇れる任務を笑顔で遂行_人民中国] - 人民日報 2010年4月291日</ref><ref>[http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042801000838.html 上海万博開会式、警備は五輪並 100万人ボランティアも] - 共同通信 2010年4月28日</ref>。

* '''パビリオンの休業'''
: 開幕当初は来場客が少なかったため、5月上旬の段階で一部のパビリオンが勝手に休む例があり、目標としてきた7,000万人の動員は不可能と見なされていた。ただ、この点については5月下旬から急激に入場者が増えており、6月・7月は逆に大混雑となる日が多かった。この点については次項が原因と考えられる。8月・9月は例年以上の猛暑のため、客足の鈍る日が多くなった。

* '''無料の入場券のバラまき'''
: 中国は、[[大阪万博]]が記録した6,422万人を超える史上最高の7,000万人の入場者数を目標としていた。そのためにメンツをかけた組織的な動員作戦より、[[上海市]]当局や万博事務局は上海市民のうち、一定の条件を有する市民に無料入場券(世博大礼包)をバラまいたり、[[学校]]や職場(特に国営企業)に対して団体入場の動員をかけたりした<ref name=sankei0530>[http://sankei.jp.msn.com/world/china/100501/chn1005011231009-n1.htm 【上海万博】開幕1カ月、伸びぬ入場者800万人 障害者装うニセ車いすも横行 - MSN産経ニュース] - 産経新聞 2010年5月30日</ref>。なお、「世博大礼包」には、「[[中国共産党|中共]]上海市委・上海市人民政府は上海市民の支持と奉仕に感謝します」の一文があり、市民の協力に対する感謝のためのチケットであることを強調していた。

* '''ニセ幼児・ニセ障害者'''
: [[幼児]]連れの入場者や[[障害者]]のために用意された優先ゲートが、[[不正]]に使用されるケースが多発した。会場内で3歳以下の幼児のために貸し出している[[ベビーカー]]に[[小学生]]の子供を乗せ、「ニセ幼児」と優先入場する親が続出した。また、[[車いす]]の入場者に数名が付き添って優先ゲートに並び、入館後に車いすから「障害者」であるはずの人物(ニセ障害者)が立ち上がって元気に歩き出すケースも多発した。多くの[[パビリオン]]では年配者の場合は障害者の証明書などがなくても、車いすでの優先入館を配慮してもらえるために、このような[[善意]]の悪用が常態化した<ref name=sankei0530/>。このため一部の人気パビリオンでは、車椅子用ゲートでも一般の入場と同じ程度の待ち時間となるように調整した。

* '''住民の強制立ち退き問題'''
: 万博を開催するにあたって中国政府は1万8,000世帯を強制的に立ち退かせて会場敷地を確保した。これについては、新しいアパートに優先的に入居できる代わりに、立ち退き住宅の[[補償]]ベースが市価の20分の1にすぎなかったことや、立ち退きを拒否した人が一方的に[[解雇]]されるなどの不当な措置のため、地元住民からは激しい怒りの声が上がり、海外の[[人権]]団体からも強い反発を招いた。その一方では、共産党幹部など一部の特権階級だけが[[不動産]][[バブル]]の恩恵をフルに享受できるという社会的不平等のいっそうの拡大と不公正の蔓延が指摘された<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/384264/ 中国のメンツが生んだ「上海万博難民」] - iza! 4月26日</ref><ref>{{Cite web|date=2010-05-01|url=http://sankei.jp.msn.com/world/china/100501/chn1005010701002-n1.htm|title=【上海万博開幕前夜】(下)場外乱闘、立ち退き住民の怒り、会場跡地でひと稼ぎ… (1/3ページ)|publisher=MSN産経ニュース|accessdate=2011-01-09}}</ref>。

* '''日中青年交流行事の一方的な延期'''
: 2010年9月に発生した[[尖閣諸島中国漁船衝突事件]]による波紋で、中国側が企画した標記行事が一方的に延期された。日本政府は「極めて不適切」と抗議した。また、その後も日本主催行事の中止が相次いだ。なお、標記行事は結局10月28日になって開催された。その際に次項の問題が発生した。

* '''私服警官の日本メディアへの取材妨害'''
: 2010年10月28日、尖閣諸島中国漁船衝突事件で延期されていた、「日本青年上海万博訪問団」の大学生ら約680人が訪れ中国館を見学した際に、私服警官らが日本メディアによる写真撮影やインタビュー取材を露骨に妨害した。訪問団の交流活動を可能な限り目立たせない為だと思われた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/china/101028/chn1010281154004-n1.htmt 中国の私服警官が日本人学生への取材を露骨に妨害 上海万博会場で]{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref>。


== 大阪万博と上海万博 ==
== 大阪万博と上海万博 ==

2012年2月24日 (金) 11:42時点における版

上海国際博覧会
Expo 2010 Shanghai China
上海国際博覧会参加国の旗
上海国際博覧会参加国の旗
イベントの種類 国際博覧会
通称・略称 上海万博
正式名称 上海国際博覧会
開催時期 2010年5月1日 - 10月31日
会場 中華人民共和国の旗 中国 上海市
公式サイト
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上海国際博覧会
ファイル:Haibao en Expo 2008.jpg
公式マスコットの「海宝(ハイバオ)」
各種表記
繁体字 中國2010年上海世界博覽會
簡体字 中国2010年上海世界博览会
拼音 Zhōnggó 2010nián Shànghăi Shìjiè Bólănhuì
発音: ヂョングオ アーリンイーリン(2010)ニェン シャンハイ シージェ ボーランフイ
英文 Expo 2010 Shanghai China
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上海国際博覧会(しゃんはいこくさいはくらんかい)は2010年5月1日から同年10月31日まで、中華人民共和国上海市の上海世博園で開かれた国際博覧会である。

約160年の国際博覧会の歴史において、発展途上国における初めての開催であるとされることが多い[1]が、実際には1949年ハイチの首都ポルトープランス博覧会が開かれたという記録がある[1]ほか、国際園芸博覧会兼国際博覧会(1990年に大阪で行われた花の万博と同タイプ)は、1999年に同じ中国で昆明世界園芸博覧会が、2003年にはタイチェンマイ国際園芸博覧会が開かれている。

過去に万博に参加したことがない北朝鮮が初めて出展したことでも知られる。また、資金難で2000年ハノーヴァー万国博覧会への参加を見送ったアメリカ合衆国も、2005年の愛知万博に引き続き今回も出展するなど、参加国・地域、国際機関は万博史上最多の246を数え[1]、なかでもアフリカ大陸からの参加国は50を上回る。ただ、この参加国の多さの裏には過剰な参加国勧誘があったとされるが、この件は「問題」の項目を参照されたい。

建設、運営費用などの総事業費は約286億元(約3,900億円)、地下鉄空港などのインフラ建設や都市整備などを含めると4千億元(約5兆5千億円)が投入された。

概要

2002年12月3日にモナコで開かれたBIE(博覧会国際事務局)総会で、メキシコシティメキシコ)、モスクワロシア連邦)、麗水韓国)、ヴロツワフポーランド)を破って開催が決定した。2005年日本国際博覧会(愛知万博、愛・地球博)に続く、新条約としては2度目の総合的なテーマを取り扱う大規模な国際博覧会(登録博覧会)である。テーマは「より良い都市、より良い生活」(「城市、让生活更美好」、"Better City Better Life")。シンボルカラーはグリーンとオレンジ。

中国語での正式名称は「中国2010年上海世界博覧会」であるが、「中国2010年上海世博会」の名称が主に使用され、単に「上海世博会」・「上海世博」と呼ばれることも多い。日本語版公式ホームページでは「中国2010年上海万博」の名称が採用されている。

会場面積(観覧エリア)は黄浦江の両岸にまたがり、主として企業パビリオンが建ち並ぶ西岸の「浦西エリア」と主として各国のパビリオンが並ぶ東岸の「浦東エリア」に分かれ、両方を合わせると328ヘクタールにおよび、過去最大の広さである。会場の両端の距離は約4キロメートルであり、会場内の移動に地下鉄バスが使用された。

万博のテーマソング『歓楽節拍123』を歌うのは台湾のアイドルグループ飛輪海である。公式マスコットは「海宝(ハイバオ、かいほう)」、また、ロゴマーク漢字の「世」とアラビア数字の「2010」を組み合わせたものである。

会期中の6ヶ月間で、1970年大阪府で開かれた日本万国博覧会(大阪万博)を上回る史上最多の入場者を目指していたが、これは2010年10月16日に達成され、目標の7,000万人の入場者も2010年10月24日に達成された[1]

経過

堺屋太一によれば、1984年に堺屋が汪道涵上海市長に中国発展の起爆剤として万博開催を提案し、1985年からは新しく上海市長となった江沢民のもとで万博構想の具体化が進められた[2]

上海万博を開催するに先だって中国政府は、知的所有権にかかわるいくつかの条約を批准し、国内的にも、著作権商標権の侵害を本格的に取り締まる法律の整備を行った[2]

  • 2002年12月3日:BIE総会で、上海万博の開催が決定
  • 2004年11月29日:シンボルマークを公開
  • 2006年8月19日:会場建設着工式
  • 2007年12月18日:公式マスコットキャラクター「海宝」を発表
  • 2010年4月30日:開会式
  • 2010年
    • 5月1日:開幕、初日の入場者数は約20万人[3]
    • 5月5日:悪天候も災いし、1日あたり入場者数が10万人を割り込む8.89万人にとどまった。入場者数が10万人を割り込んだのはこの日だけであった。
    • 6月5日:累積入場者数で1000万人達成
    • 6月28日:累積入場者数で2000万人達成
    • 7月21日:累積入場者数で3000万人達成[4]
    • 8月14日:累積入場者数で4000万人達成
    • 9月10日:累積入場者数で5000万人達成[5]
    • 10月8日:累積入場者数で6000万人達成
    • 10月16日:累積入場者数が大阪万博の約6422万人を超えた。また、同日、1日あたり入場者数が100万人を超える103.27万人を記録した。これは、これまでの1日あたりの入場者数記録である大阪万博の記録(1970年9月5日に記録した83万5,832人)を超え新記録となった。[6]
    • 10月24日:当初目標の7000万人の累積入場者数を達成。
    • 10月31日:閉幕。総入場者数は7308万人であった。なお、この日は前売券を持った観客だけが入場できた。

開幕式

上海万博開幕式で打ち上げられた花火

開幕式は4月30日夜20時(北京時間)に行われた。中国の胡錦濤国家主席は万博会場近くでの歓迎夕食会で「上海万博は、中国と各国の人民の交流に新たな章を記すことになる」と語り、オープンセレモニーでは、イタリアの世界的なテノール歌手アンドレア・ボチェッリによってオペラトゥーランドット」のアリア誰も寝てはならぬ」が歌われた。用意された花火は、2008年8月の北京オリンピック開幕式よりも2万発多い10万発であった[7]

開幕式には、中国共産党の最高指導部である政治局常務委員からは6人が出席し、海外からは約20人の首脳が参加した。胡錦濤主席は、一人ひとり握手で迎えて記念撮影し、歓迎夕食会を開催した[8]

政治局常務委員

政治局常務委員の9人のうち、胡錦濤国家主席、李長春習近平李克強賀国強周永康の6人のみが参加し、温家宝総理、賈慶林呉邦国の3人は参加しなかった[9]

江沢民

上海閥のリーダーで、前国家主席の江沢民は悲願だった万博の一連の式典に姿を現さなかった。今回の万博誘致で指導的な役割を果たした江沢民の不参加は、胡錦濤との確執の深刻化や健康不安説などさまざまな憶測を呼んだ[10]

中華圏要人

曽蔭権香港特別行政区行政長官、崔世安マカオ特別行政区行政長官、連戦呉伯雄中国国民党名誉主席、宋楚瑜親民党主席、郁慕明新党主席、林炳坤無党団結聯盟主席が開会式に出席した。

海外要人

外国国家元首や政府首脳約20人が出席した。万博初参加の北朝鮮からは金永南最高人民会議常任委員長が出席した。中国におけるアフリカ重視の外交政策を反映して、アフリカ諸国からの要人の参加が目立ち、主要国のG8からは日本仙谷由人国家戦略担当相、フランスサルコジ大統領のみの参加であった。


開幕式のおもな出席者(役職は当時)
国名 参加者
マリ共和国の旗 マリ アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領
大韓民国の旗 韓国 李明博大統領
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮 金永南最高人民会議常任委員長
日本の旗 日本 仙谷由人国家戦略担当相
ガボンの旗 ガボン アリー・ボンゴ・オンディンバ大統領
コンゴ共和国の旗 コンゴ共和国 ドニ・サスヌゲソ大統領
 ケニア ムワイ・キバキ大統領
マルタの旗 マルタ ジョージ・アベラ大統領
 ベトナム グエン・タン・ズン首相
モンゴルの旗 モンゴル ツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領
フランスの旗 フランス ニコラ・サルコジ大統領
マラウイの旗 マラウイ ビング・ワ・ムタリカ大統領
カンボジアの旗 カンボジア フン・セン首相
アルメニアの旗 アルメニア セルジ・サルキシャン大統領
セーシェルの旗 セーシェル ミシェル大統領
カザフスタンの旗 カザフスタン カリム・マシモフ首相
トルクメニスタンの旗 トルクメニスタン グルバングル・ベルディムハメドフ大統領
ミクロネシア連邦の旗 ミクロネシア マニー・モリ大統領
オランダの旗 オランダ ヤン・ペーター・バルケネンデ首相
欧州委員会 ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ委員長
パレスチナ自治政府 マフムード・アッバース議長

施設

主要施設

中国館
上海万博文化センターと日本館
テーマ館

日本からの出展

日本からは、政府民間企業が約130億円を折半して日本館を出展した。これにより日本館の出資費用約65億円は国費によってまかなわれたことになる。また、民間企業が中心となって出展した日本産業館のほか、大阪府大阪市も共同で地方自治体出展した[9]。開催中は連日、入場まで4時間待ちもある程人気のパビリオンだった。

  • 日本館[政府出展(一部民間企業)]
日本館の大行列。武装警察が割り込みを警戒している
テーマ:「心の和・技の和(心之和・技之和)」
日本館パビリオンの愛称は、「紫蚕島(かいこじま)」。 エココントロール技術を採用し、外部は発電可能な超軽型フィルムで囲まれ、内部は循環式呼吸ホールなどの最新技術を駆使している。館長は江原規由。日本館展示を貫く象徴となっているは一時は絶滅の危機に瀕したトキで、里山の再生と環境保護を訴え、かつ現在の日本のトキは中国から贈られたものの子孫であることから、日中のつながりを象徴している。日本館のシンボルマーク=“笑顔のつながり(微笑相联)”は、株式会社HAKUHODO DESIGNの岡室健が考案。日本貿易振興機構(ジェトロ)が音頭をとった。高性能カメラロボット、壁と一体化したテレビジョンなどが人気を呼び、上海万博でもトップクラスの人気館となった。
日本産業館
日本産業館の天井LED壁画
テーマ:「Better Life from JAPAN(日本が創るより良い暮らし・来自日本美好生活)」
日本産業館は、日本の企業や自治体が連合して出展する大規模な展示館。アジアで唯一の外国民間出展企業館であり、海外開催の国際博覧会では異例の大規模民間出展となった。総合プロデューサーは堺屋太一で同館の代表を兼ねた。基本コンセプトは「きれイ、かわいイ、きもちいイ」(=J感覚)。
  • 大阪府・大阪市ケース(ベストシティ実践区)[地方自治体出展]
テーマ:「環境先進都市 水都大阪の挑戦(环境先进城市·水都大阪的挑战)」
経済成長とともにの浄化や再生などの環境対策に取り組み、水を活かして持続発展可能な都市づくりを行ってきた「水都大阪」の官民の環境技術や先進的取り組みを紹介した。大阪府と大阪市がそれぞれ1億円ずつ出資し、民間企業を合わせた建設・運営費4億円でパビリオンを建設した。プロデューサーは橋爪紳也大阪府立大学教授
  • 2010年上海万博公園彫刻プロジェクト(園区沿江景観帯)[民間出展]
テーマ:「未来にツナガル街、人、友情」
博覧会場内の河沿いボードウォークに藤井浩一朗作のアクリル彫刻作品「父子情」を永久設置、その序幕イベントを開催するとともに復旦大学上海視覚芸術学院、華東師範大学や上海市内ギャラリー等で日中美術家のグループ展覧会等の関連プログラムを開催。キュレーターは深瀬鋭一郎

パビリオン一覧

見学用の自動車

なお、パビリオンの日本語名は日本語版公式ホームページの表記による。

テーマ館
  • テーマ館(主题馆)は5つあった。メインのパビリオンはBゾーンにあり、1つの巨大な建物に「都市人館」・「都市生命館」・「都市プラネット館」が、大衆参加館および生命陽光館と共に設置されていた。そのため単に「テーマ館」と呼ぶ場合はこの建物を指した。
Aゾーン(A片区
台湾館
韓国館
日本館
イラン館
チベット(西藏)館
雲南館
イスラエル館
Bゾーン
オーストラリア館
カンボジア館。後方は万国博覧センター
マレーシア館
タイ館
太平洋連合館内部
国際赤十字と赤新月館
Cゾーン
アフリカ連合館
スーダン館
フランス館
エストニア館
アルゼンチン館
チェコ館とスロバキア館
スイス館
南アフリカ館
ノルウェー館
ギリシア館
Dゾーン
中国鉄道館
石油館
  • テーマ館・都市足跡館(主题馆城市足迹馆
  • 万博博物館(世博会博物馆
  • 上海企業連合館(上海企业联合馆
  • 宇宙の家館(太空家园馆
  • 日本産業館日本产业馆
  • 中国人保(中国人民保険)館(中国人保馆
  • 石油館(石油馆
  • 中国鉄道館(中国铁路馆
  • コカコーラ館(可口可乐馆
  • 国家電網公司館(国家电网馆
  • シスコ館(思科馆
  • 韓国企業連合館(韩国企业联合馆
  • 震旦館(震旦馆
Eゾーン
上汽-GM自動車館
中国船舶館
ハンブルク・ケース館
大阪館(大阪実践例館)
  • 万科館(万科馆
  • 上汽GM自動車館(上汽集团-通用汽车馆・日本語版公式ガイドブックは「上汽集団・GM館」としている)
  • 中国航空館(中国航空馆
  • 中国船舶館(中国船舶馆
  • 民営企業合同館(民营企业联合馆・日本語版公式ガイドブックは「民間企業共同館」としている)
  • 遠大館(远大馆
  • 情報通信館(信息通信馆
(Eゾーン、ベストシティ実践区)(城市最佳实践区
  • テーマ館・都市未来館(主题馆城市未来馆
  • ベストシティ実践区建設ケース(北部)(城市最佳实践区建设案例(北部)
  • 寧波ケース館(宁波案例馆・日本語版公式ガイドブックは「寧波実践例館」としている。以下すべての「ケース館」は「実践例館」としている)
  • 西安ケース館(西安案例馆
  • メッカ・ケース館(麦加案例馆
  • バンクーバー・ケース館(温哥华案例馆
  • 上海ケース館(上海案例馆
  • マドリード・ケース館(马德里案例馆
  • ロンドン・ケース館(伦敦案例馆
  • ハンブルク・ケース館(汉堡案例馆
  • アルザス・ケース館(阿尔萨斯案例馆
  • ローヌ・アルプス・ケース館(罗阿案例馆
  • マカオ・ケース館(澳门案例馆
  • 成都ケース館(成都案例馆
  • オーデンセ・ケース館(欧登塞案例馆
  • ローヌ・アルプスのライト・ショー(罗阿灯光案例・日本語版公式ガイドブックは「ロ・アの照明実践例館」としている)
  • ベストシティ実践区パビリオンケース(中部)(城市最佳实践区展馆案例(中部)・大阪ケース館が入っている共同館)
  • ベストシティ実践区その他の展示ケース(南部)(城市最佳实践区其他展示案例(南部)

案内所

案内所(资讯)は場内の各所に設置されていた。出入口の近くや渡船の乗り場付近には必ず設置されていた。案内所では場内案内図や万博の話題専門の日刊新聞の「世博毎日快報」(中国語版および英語版がある)の配布があったほか、電光掲示板(中国語および英語での表記がある)で各種情報(各パビリオンの混雑情報や各種イベントの開催情報、各パビリオンの閉館時間など)が表示された。もちろん係員による直接の対応もできたが、必ずしもすべての係員が英語も使えるとは限らなかった。日本館に最も近い案内所にはほとんどの時間帯で日本語が話せる係員が配置されていた。中国独自のサービスとして、携帯用の茶ポットに熱湯を無料提供してくれるサービスがあった。

水飲み場

中国では水道を直接飲むと多くの人は体調を崩すため、ペットボトルのミネラルウォーターを購入して飲むことが一般的であるが、会場ではあちこちに浄水器で水道水を飲用可能にした水飲み場が設置されていた。ただし、暑い日はペットポトルに水を汲む人たちで行列ができた。

トイレ

会場の至る所に設置されていた。女性用トイレは男性用の2倍以上の面積を取り、混雑をできるだけ無くすようにし、かつ常に清掃員を置き、清潔さを保つ努力を行っていた。大混雑が予想される日は臨時のトレーラー式トイレも設置された。ただし、地方からやってきた来場者の中には洋式トイレや水洗トイレの使いかたが良くわからない人もいたようで、常識では考えられない使用方法をする人や、水を流さない人も見受けられた。また、中国の地方に未だに多く残る扉の無いトイレに慣れた人の中には扉を閉じることに違和感を持つ人もいるようで、扉があるのに敢えて全開にして用を足す人もいた。

銀行・ATM

グローバルパートナーの交通銀行が浦東・浦西の両地区の会場内に有人店舗を構えて両替等の業務を行っていた。ATMは同じく交通銀行のものが場内の各所に設置されており、外国人も国際クレジットカードなどでのキャッシングが可能である。場内のATMは中国語・英語・日本語・韓国語の4ヶ国語に対応していた。

郵便局

場内の6ヶ所に中国郵政が郵便局分室を設置していた。郵便局では記念切手や記念絵葉書、各種郵趣品が販売された。また、会場内郵便局内にある局内郵便ポストに投函された郵便物や窓口で受け付けられた郵便物には「上海・世博」の消印が押印された。なお、万博郵便局(世博郵政支局)の本局は中国館の南方の有料エリア外にある。

  • 中国国家館1階・・・郵便局への通路を遮るように中国省区市連合館の行列があることが多いため、一般人の利用は困難であることが多かった。
  • テーマ館内・・・テーマ館のロビー内にあり、ローソンと隣接していた。
  • 中南米連合館東隣・・・狭い割に利用者が多く、一般人で混雑する郵便局のひとつであった。
  • 上海万博文化センター1階・・・イベントの直前後でない限り空いていた。
  • 韓国企業連合館西隣・・・黄浦江に面して入口があるが、場所が悪く常に空いていた。
  • 中国船舶館東面・・・最も来客スペースが広い会場内郵便局であった。

レストラン・軽食

レストランは場内各所にあったが、それらとは別に各国のパビリオンに付属する各国料理のものもあった。日本からは吉野家、ファインなどが正規出店をした。特にテーマ館とエキスポセンターの間には「美食街」が設置され、会場内でも多くのレストランや軽食・ファストフード店が集中していた。 会場内には外国料理も日本料理を中心に多くの料理があったものの、食費がきわめて安い中国においては割高感のある価格設定であった。有名チェーンの店でも市中の店よりも割高な価格設定となっていた。

場内交通

会場は東西4キロメートルを超えるうえに、黄浦江の両側にわたっているために、場内交通は必須であった。このうちミニバスに相当する「観光線」は有料であったが、それ以外の交通機関はすべて無料で使用できた。無料のもののみをここでは取り上げる。

電気バス

会場内を走る電気バス(世博大道越江線)

4路線がある。うち2路線は浦東側の路線、1路線は浦西側、1路線は河底トンネルで両岸を連絡するバスであった。途中のバス停も設定されていた。

  • 世博国展線(世博国展线)・・・会場の西半分だけを走った。会場の南の国展路を後灘出入口バス停から世博軸バス停の間を結んだ。
パンタグラフを伸ばして充電中の世博大道線電気バス
  • 世博大道線(世博大道线)・・・浦東側の一番北を通る世博大道を西端の後灘出入口バス停から東端の日本館横の白蓮涇出入口バス停の間を結んだ。翼型のパンタグラフを装備したバスも配置されており、バス停留所に停車中にパンタグラフを上げてバス停留所だけに設置された剛体架線から集電し、蓄電池に充電した。走行時はパンタグラフを下げた。
  • 世博大道越江線(世博大道越江线)・・・浦東側の西端の後灘出入口バス停から世博大道を東端まで行き、西蔵南路トンネルで川を渡って浦西側の企業館バス停に至った。企業館バス停で少し歩くと龍華東路線の船舶館バス停(西行き)および企業館バス停があり、乗り換えができた。
  • 龍華東路線(龙华东路线)・・・浦西側の西端の魯班路出入口に近い都市足跡館バス停から東端のベストシティ実践区バス停を結んだ。

地下鉄

上海地下鉄13号線が会場部分だけ先行開業し、浦東と浦西を結ぶ足としても活躍した。浦東側には世博大道駅が、浦西側には盧浦大橋駅がある。なお、路線は馬当路駅まで続いており、ここに会場外の出入口が設置されていた。

地下鉄13号線は万博終了後、運行を休止しており、2012年に正式に開通する予定である。

渡船

黄浦江の両岸を結ぶ渡船

黄浦江の両岸を結ぶ足として、渡船も5航路が設定されていた。船は今回のために新造され、1階にも2階と同じように椅子が設置されていたが、会期終了後は1階の椅子を撤去し、上海市内の他の渡船のようにバイクと自転車も輸送できるようにして、老朽化した従来船を置き換える予定である。なお、渡船は本数の大幅な増発が不可能なため、混雑時は乗船するまでに長時間の行列が必須であった。そのような時間帯は地下鉄やバスで対岸に渡ることが勧められた。

スポンサー

コカコーラ館
グローバルパートナー

日本での宣伝

京浜急行電鉄600形 上海万博宣伝列車(京成線青砥駅にて)

2007年3月から、上海市人民政府新聞弁公室および上海万博事務協調局が上海万博のPRイベントを日本で開催している。なお、上海万博のPRが中国国内以外で行われるのはこれが初めてであった。

また2008年3月、日本イメージ大使に谷村新司コシノジュンコ福原愛の3人が選ばれた[11]。同年12月17日には、上海万博日本PR館が東京虎ノ門の森ビルにオープンした。

なお、2010年6月12日には上海国際博覧会(上海万博)において国内はもちろんアジア圏からも絶大な人気を誇る日本のダンス&ボーカルユニットのw-inds.がJ-POP代表として日本館主催コンサート「JAPAN DAY “UNITE!” ~こころをつなぐ和の響き~」に出演。

万博外交

開幕式には、南北朝鮮の首脳がそろって参加し、胡錦涛主席と個別に会談した。李明博韓国大統領は、韓国軍の哨戒艦艇「天安」沈没をめぐる調査結果が出た際の協力を要請し、万博開幕式を首脳間の意思疎通の場として利用した[8]。「万博発祥の国」の首脳として開幕式に出席したフランスのサルコジ大統領は、大統領にとって2007年以来の2度目の中国公式訪問となり、冷え込んだ中仏関係の修復を内外に印象づけた。アメリカのヒラリー・クリントン国務長官、ロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領・ウラジーミル・プーチン首相、また、日本の鳩山由紀夫首相も開催期間中に上海を訪れる意志を表明した[8]

40年ぶりにパビリオンを出した台湾中華民国)からは与党中国国民党連戦呉伯雄が出席した。上海万博事務局によれば、今回の万博には、中国と国交関係を結ばず、台湾と外交関係を有する23か国のうち、19か国が参加した[8]

その他の話題

朝鮮館(北朝鮮館)
  • 今回の万博には初めて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が参加し、「朝鮮館」が設けられ、「人民の楽園」をテーマに首都・平壌の繁栄などの展示を行った。施設建設費は中国が全額負担した。館内は高さ4.5メートルの主体思想塔の模型や、大同江を模した川などが再現されていた。また、平壌の豊かな人民の生活の様子を映写する複数のモニターがあった。ただ、全体的にはがらんとした館内であった。一番奥には北朝鮮の切手・紙幣・書籍・バッジなどを販売するコーナーがあった。
  • 開催期間中、万博に毎日通うことを目指していた愛知県在住の日本人女性山田外美代が話題となり、中国でも「万博おばあちゃん」(世博奶奶)として注目され、中国メディアからの取材を受けた[12]。また、2010年6月7日には38日目にして全373館をすべて観覧し終え[13]、10月31日には無事皆勤を達成した。
  • 2007年より上海国際博覧会に向けての曲の公募を毎年行っており、2009年度にJAM Projectが「Only One」の北京語バージョンで応募。その結果、2009年度世界ベストソングに選ばれた[14]

開場・開館時間

万博会場の通常開場時間は9:00から24:00までであり、また、会場内の各パビリオンの開館時間は通常9:30から22:30までであった。ただし、最終入場は21時から21時30分頃に締め切るパビリオンも多かった。来場者は21:00より前に入場し、当日の24:00以前に退場しなければならなかった。夜間券の入場時間は17:00から21:00までの間であった。上海地下鉄は最終列車が23時頃であることが多いので、あまりゆっくりするとホテル等に戻る手段は深夜バスやタクシーだけとなった。

入場料

中国の慣例に従い、身長120センチ以下の小児は無料となった。

  • 通常日普通券(平日普通票) 160元(「指定日」以外なら土・日曜日でも使用できた。)
  • 通常日特割券(平日优惠票) 100元(身障者、1950年12月31日以前に生まれた人、学生、身長が120センチを超える児童、中国現役軍人は、関連証明書を示してチケットを予め購入する必要があった。当日券は160元のみ。)
  • 指定日普通券(指定普通票) 200元(「指定日」とは、メーデー連休、国慶節連休、閉幕間際の1週間で、それらの日に入場するときは月日を指定した指定日専用の入場券が必要であった。他の月日の「指定日」には使用できないが、通常日ならいつでも使用できた。)
  • 指定日特割券(指定优惠票) 120元
  • 3回券(3次票) 400元(ほとんどの発売所で早い時期に売り切れとなった。)
  • 7回券(7次票) 900元
  • 当日普通券(当日普通票)160元(当日券とは、会場の入口付近で販売される入場券のことで、混雑が予想されるときなどは販売しない日・時間帯もあるとされていたが、実際には札止めの措置は行われなかった。なお、当日券を翌日以降に使用することは不可能であった。)
  • 当日特割券(当日优惠票)100元(身障者と1950年12月31日以前に生まれた人に対してしか発売されなかった)
  • 当日夜間券(当日夜票)90元(17時以降に入場できた。)
  • 翌日普通券(次日普通票)160元(9月1日から発売開始。前日の16時から20時50分までの間に会場入口近くの当日券券売所で発売された。)
  • 翌日特割券(次日优惠票)100元(9月1日から発売開始。前日の16時から20時50分までの間に会場入口近くの当日券券売所で発売された。身障者と1950年12月31日以前に生まれた人に対してしか発売されなかった))

中国内での入場券販売場所

  など

入場の流れ

会場に入場するためには、出入口の前に並ぶ前にまず「予検」(预检)と呼ばれる未使用入場券を持っているかのチェックを受けた。もし入場券を持っていない場合は、近くにある当日券売り場に並んでから改めて「予検」を受ける必要があったが、当日券売り場は朝8時からしか開かなかったため、人気パビリオン狙いで早朝から並ぶ場合や、混雑が予想される日に入場する場合は予め入場券を購入しておくべきであった。前売りチケットは市内の一部の郵便局などで発売されていたほか、当日券売り場でも16時から19時半までは「翌日券」が発売された。また、17時から入場できる「夜間券」は当日券しか存在せず、毎日当日の16時から販売開始であった。

早朝に並んだ場合は「予検」ポイントの外側に並ぶことになり、朝7時頃に「予検」を行い入場門前に並び直すことになった。朝7時以降にゲートに到着した場合は通常通りの入場の流れとなった。

朝9時になると、4人ずつ入場のための検査を受けた。検査は空港同様の荷物検査と身体検査がある(安检)。荷物はX線装置に通し、人は金属探知装置を通るが、装置が反応しなくても必ず係員による身体検査も受けた。X線装置で手荷物内に不審な形状が認められた場合のみ手荷物内の検査も受けた。空港と異なり、飲料など安全な液体物の持ち込みはほぼ自由であった。それらが終わるとようやく入場券を自動改札機に通して会場に入った(票检)。この際に早くから門前に並んだ人のみに係員から中国国家館の予約券が渡された(10月19日以降、白蓮涇出入口では中国国家館の予約券ではなく、台湾館の予約券が配布された)。どの時間の予約券かはその日のゲートごとに異なり、早く並んだから早い時間になるとは限らず、かつ希望の時間への変更も不可であった。

会場へのアクセス

以下のアクセスは、特筆しない限りメインゲート扱いである浦東側の「6号門・上南路出入口」へのもので、上海地下鉄7・8号線耀華路駅に隣接している。世博軸、中国国家館に近い。なお、地下鉄2号線の浦東国際空港駅から広蘭路駅の間は朝6時30分から21時までの運行で、深夜は運行されないので使用の際は注意が必要である。また、同区間は4両編成の列車の運行なので、必ず広蘭路駅で8両編成列車への乗り換えが必要である。

浦東国際空港から

  • 羽田空港以外からの便は浦東国際空港へ到着する。
  • 浦東国際空港には国際線と一部の国内線が発着している。
軌道交通
バス
  • エアポートシャトルバスが空港から上海市内まで15~30分間隔で運行。
  • 万博直通バス(世博直達線)15路が4号門・白蓮涇出入口にノンストップ約60分で運行。
タクシー
  • 浦東国際空港から会場周辺まで、約40~50分

上海虹橋空港から

  • 羽田空港からの直行便は上海虹橋空港へ到着する。
  • 上海虹橋空港には主に中国国内の国内線が発着している。
軌道交通
バス
  • 路線バス
    • 空港または空港近くのバス停から、人民広場行き、廬浦大橋行きなど市内行きのバスが運行している。
  • 万博公共交通バス(世博公交線)19路が1号門・魯班路出入口に約45分で運行。
  • エアポートバス
    • ターミナルAの前から出発している。浦東国際空港行きと静安寺横の城市航站行きの2路線が、6時00分から22時50分までの間に20-30分間隔で運行している。
タクシー
  • 上海市内までの所要時間は約20-40分。

上海駅から

軌道交通
バス
  • 万博直通バス(世博直達線)1路が、駅の北広場側から6号門・上南路出入口にノンストップ約20分で運行。
  • 万博公共交通バス(世博公交線)31路が、駅の表口である南広場側から3号門・半淞園路出入口に約30分で運行。

会場ゲート

  • 1号門・魯班路(鲁班路)出入口。浦西側。地下鉄4号線魯班路駅が最寄り。世博会(万博)博物館・テーマ館(都市足跡館)・日本産業館・シスコ館などに近い。人気の日本産業館・石油館に近く、駅から遠いにもかかわらず朝は混雑した。
  • 2号門・西蔵南路(西藏南路)出入口。浦西側。地下鉄4・8号線西蔵南路駅に隣接。中国船舶館・中国鉄道館などに近い。ゲートそのものは駅から近いが、ゲートに入ったあと長い高架歩道を歩く必要がある。団体の利用が少ないため、全体としては利用者は多くないが、駅から近いために朝は混雑した。
  • 3号門・半淞園路(半淞园路)出入口。浦西側。地下鉄4・8号線西蔵南路駅が最寄りであるが、観客の流れを分けるために主催者は地下鉄8号線の南浦大橋駅からのルートを案内している。中国航空館・遠大館・ベストシティ実践区パビリオンケースなどに近い。駐車場が近くに無いため、団体の利用が少なく、ゲートの近くに人気パビリオンが少ないため、最も空いているゲートであった。
  • 4号門・白蓮涇(白莲泾)出入口。浦東側。地下鉄7号線雲台路駅云台路站)が最寄りであるが、観客の流れを分けるために主催者は地下鉄6・7号線高科西路駅からのルートを案内している。日本館・韓国館・朝鮮(北朝鮮)館などに近い。人気の日本館・韓国館・サウジアラビア館に近く、駅から遠いにもかかわらず朝だけは混雑したが、団体の利用は少なく、全体的にも入場者が少ないゲートであった。10月19日以降は中国国家館の予約券の配布が無くなり、台湾館の予約券が配布された。
  • 5号門・高科西路出入口。浦東側。地下鉄7号線雲台路駅が最寄り。出入口は2ヶ所に分かれており、西側の出入口は中国国家館・香港館・澳門館・オマーン館などに近く、東側のゲートはカタール館・UAE館・モロッコ館などに近い。メインゲートの6号門よりも会場中心部に近く、朝は混雑した。
  • 6号門・上南路出入口。浦東側。メインゲートの扱い。地下鉄7・8号線耀華路駅耀华路站)に隣接。世博軸の南にある出入口で、中国国家館・中国省区市連合館・テーマ館・生命陽光館などに近い。混雑したゲートのひとつだが、入場門の数が多いため、入場に要する時間は意外に短かかった。ただし、ゲートそのものは駅から近いが、ゲートに入ったあと世博軸をかなり長く歩く必要があり、パビリオンまでは遠いゲートであった。
  • 7号門・長清北路(长清北路)出入口。浦東側。地下鉄7号線長清路駅が最寄り。出入口は盧浦大橋高架橋をはさんで東西にあり、東側はタイ館・フィリピン館・インドネシア館などに近く、西側はベラルーシ館・ボスニア・ヘルツェゴビナ館・チェコ館・スロバキア館などに近い。広大な駐車場を控えているため、団体観光客の入場が多く混雑した。
  • 8号門・後灘(后滩)出入口。浦東側。地下鉄7号線後灘駅后滩站)が最寄り。駅から1キロ以上あるため、時間によっては駅との間にシャトルバスあり。アメリカ館・アルゼンチン館・南アフリカ館・アフリカ連合館などに近い。駅から遠いため、シャトルバスの運転のない早朝は最も空いているゲートであり、中国国家館の予約券を取得しやすいゲートのひとつとされた。ただし、広大な駐車場を控えているため団体観光客の入場が多く、開門時間間際などは最も混雑した。全体的には最も利用者の多いゲートであった。
  • 9号門・馬当路(马当路)出入口。浦西側。地下鉄9号線馬当路駅に隣接。ゲートから必ず無料の上海地下鉄13号線に乗車して、浦西側の盧浦大橋駅(卢浦大桥站)か浦東側の世博大道駅まで行く必要があるため、朝一番に人気パビリオンに並ぶためには不利だが、朝一番に人気館に行かない場合や退場時は歩く距離が少なく、比較的空いていて入場にあまり時間がかからない便利なゲートであった。盧浦大橋駅は日本産業館・シスコ館・テーマ館(都市足跡館)などに近く、世博大道駅の南口はオーストラリア館・フィンランド館・ポルトガル館・タイ館などに近く、北口はフィンランド館・デンマーク館・エストニア館・モナコ館などに近い。中国国家館の予約券の配布は無かった。
    • 10号門から13号門は上海市中心部に設けられた、渡船専用のゲートである。中国国家館の予約券の配布は無かった。また、13号門以外には入場券売り場がなく、団体を主な対象にしていた。
    • 10号門・十六鋪(十六铺)水門
    • 11号門・秦皇島路(秦皇岛路)水門
    • 12号門・其昌桟(其昌栈)水門
    • 13号門・東昌路(东昌路)水門

1日100万人の入場

2010年10月16日は土曜日で天候にも恵まれ気温も涼しく、絶好のコンディションが揃ったため、前売入場券を購入していたもののこれまで来場していなかった人々等が殺到し、入場者は1日だけで103.27万人を記録した。これは上海万博のこれまでの1日あたり入場者記録である9月23日の63.12万人はもちろん、国際博覧会のこれまでの記録だった大阪万博が1970年9月5日に記録した83.58万人も大きく更新し、新記録となった。

会場内は大混雑となり、石油館が12時間の待ち時間を記録したほか、5時間を超える待ち時間を記録したパビリオンが続出した。北朝鮮館など普段は待ち時間のないパビリオンにまでかなりの行列ができ、通路も大混雑したが、当初から入園者が70万人を超えそうな場合を想定した対策を取っていたため、通路に椅子や机などを出さないようにしたほか、園内交通用のバスを20両増やしたり、トレーラー型臨時トイレを各地に投入した。ボランティアの数も普段より増やし、会場の運営そのものは問題なく行われたと主催者側は発表している。[15]

その次の週末である10月23・24日は、通常日用の入場券で入場できる最後の週末であったために、更なる混雑も予想されたが、実際には悪天候となり再び100万人の入場者の来場とはならなかった。月曜日以降は指定日券でしか入場できなかったため、入場者数は落ち着いた。

事故

5月1日の入口での行列
  • 入場ゲート
  • 5月1日、中国国家館(中国館)に近い入場ゲートでは開園前から長蛇の列ができ、中国国家館に入るための入場予約券をめぐって小競り合いが起きて混乱した。そのため、テロ警戒として多数の中国人民武装警察部隊の隊員が動員されたが、開園時には隊員の制止は振り切られてしまった。入場予約券をめぐっては、殴り合い寸前まで熱くなった入場者たちの姿も多数見られた[16]
  • 会場全体
  • 開催当初は暑さ対策がほとんどなされておらず、日陰のベンチに倒れ込む来場者が続出していたが、その後、行列エリアには屋根・扇風機・冷風機・ドライミスト発生装置などが完備されるようになり、一部のパビリオンでは行列エリアに簡易ベンチも設置されるようになり、この問題は大幅に改善された。
イタリア館
  • イタリア館
  • 4月20日に行われたリハーサルでは、リハーサルであるにもかかわらずイタリア館に入場者が殺到したことによって押し合いが生じ[17]、入口脇の高さ3メートルの扉ガラスがこなごなに砕けた[18]
  • イベント
  • 6月13日上海万博文化センターにて予定されていたSMAPのイベント「SMAP上海万博ファンの集い」や、さらに中国での人気の高いSMAPのコンサートでは、安全確保は難しいと事務局側が判断し、解決策を見いだせないまま、6月5日に中止とすることを発表した。もしこのイベントが開催されれば、SMAPの初の海外イベントとなる予定であった。[19] 

問題

  • 盗作疑惑
上海万博PRソング
  • 上海万博PRソングで中国の著名な作曲家繆森の作品とされてきた『2010等你来(2010年が君を待ってる)』(歌およびMV出演:ジャッキー・チェンなど)が、岡本真夜の楽曲『そのままの君でいて』とソックリだとして盗作疑惑が持ち上がっていた[20]。中国ではインターネットを中心に批判が持ち上がり、日本のメディアでも大きく取り上げられた。事務局では事実確認のため一時使用停止し[21]、その後、岡本真夜の所属事務所に使用許可を求めた。岡本側は曲の使用を認めたが[22]、当局はこの使用申請受け入れについて言論統制によって国内での報道を禁止した[23]。なお、当初この曲は開会式で歌われる予定であったが、歌われなかった。
中国館
パビリオン「中国館」
  • パビリオン「中国館」が安藤忠雄設計のセビリア万博「日本館」の盗作ではないかという指摘が起きた[24]。既存する建築物の意匠を採り入れることは建築の世界ではしばしばあることだが、一連の盗作騒動が、建築の分野にまで波及したかたちとなった。設計した華南理工大学建築学院副院長の倪陽は「中国館のスタイルは建築デザインの世界で広く使われているもの。安藤氏が創造したものではない」と反論した。さらに中国社会科学院建築研究院は、「(中国館、セビリア万博時の日本館)ともに伝統的な中国の建築技法から影響を受けている。盗作というのならば、最初にコピーしたのは日本の方だ」と主張した[25]。安藤氏本人も「少し似ているようにも思えるが、建築はすべて形のあるものなので、似ている部分があるのは避けられない。なので、私の作品を模倣したと言うことはできないし、そのような見方をしてもいけない。2つの作品の尺度もまったく異なり、中国館は非常に大きい。私の作品とは大きく異なると思う」と述べた。
万博公式マスコット「海宝(ハイバオ)」
ファイル:O Haibao em Feira Internacional de Macau.JPG
公式マスコット、「海宝(ハイバオ)
  • インフラ・人員問題
開幕前はホテル不足が問題視されていた。来場者のベッド数としておよそ59万人分必要とされていたが、大幅に不足しており問題を抱えていた。いっぽう、万博従業員も約25万人を必要するとされていたが不足していた。ただし、開幕後も主要なホテルは実際には余裕があった。ホテル以外の「招待所」や「旅社」などの中国人専用の安価な簡易宿泊所に宿泊する人が多かったことや、上海よりも宿泊費の安い周辺都市に宿泊する団体が多いことなどが考えられた。
  • マナー(文化的)問題
上海市政府は、「市民の素養」と題した46項目のルールを制定。順番を守って地下鉄に乗ること、タクシーの窓から唾を吐かないことを指示し、パジャマ姿での外出や万博会場から1キロメートル以内は屋外で洗濯物を干すことを禁止するほか、警備の警官はニンニクニラネギなど口臭の原因となる食べ物を口にしないなど、さまざまな規制を打ち出している。市民への不満対策には、チケット無料配布や開幕前日から公休指定5日間などの優遇策を行う[28][29]
当初は行列のマナーが悪く、常に押し合いへし合いの状態であった。アメリカ館では、英語で注意したスタッフに中国人客から一斉に野次と怒号が寄せられたこともあった[30]。パビリオンに入場する際に行列に割り込みをするのは日常茶飯事となっていた[31]。ただ、この問題は人気パビリオンの割り込み防止の警備を、警備員や館職員から武装警察に変えたところ、改善が見られた。しかし、朝の会場ゲート待ちの時などはやはり押し合いへし合いになることがあった。
ゴミの散乱の問題も開幕当初は深刻であった。特にパビリオンの入場待ちの行列をしている人々がポイ捨てするゴミは、足の踏み場がないほどであった。しかし、その後ゴミ箱を過剰なほどに設置したことによりこの問題はほぼ解消した。
「万博おばあちゃん」こと山田外美代は、「会期中、中国人のマナーもどんどん向上した。」と言っている[32]
  • 治安問題
少数民族問題や格差社会への不満から、暴動テロの発生に対する懸念ももたれていた。中国公安部、交通運輸部および上海市人民政府は、上海万博の安全な開催を保障するために万博期間中に上海市に進入する全ての車輌に対する検問の実施と通行証による管理を行うことを決定した。しかし、検問による検査がフリーパスとなる「上海進入車輌通行証(進滬車輌通行証)」が偽造され、販売されている例が明るみになった[33]。また、上海地下鉄ではすべての駅でX線装置による手荷物検査を行っている。
  • 感染症発生時の対応
鳥インフルエンザH1N1亜型新型インフルエンザが会場で発生した場合、どうやって感染の拡大を防ぎ、多数の人々の検疫をどう実施するかが懸念された[34]
  • 偽造・使用済み入場券問題
ファイル:Shanghai Expo Ticket.JPG
上海万博の入場券(特割券)
超人気の入場券、5月1日の開幕当日の偽造券が横行した。中国地元紙は、インターネット上で転売されている開幕日の入場券のなかに数多くのニセモノが含まれていると警告していた[33]。しかし、開幕後の5月26日はニセ入場券での入場も明らかとなった。本物と並べると簡単に違いがわかる粗悪な偽造券であるが、本物の券を見たことがない中国の内陸部や、海外などからの来場者は簡単にだまされていて問題となった[35]。万博会場付近では、不法業者が「使用済み入場券」を「未使用」と偽って販売する手口が横行している。そのために事務局では、正規ルートでの入場券の購入をすすめてはいる[35]。なお、使用済み券は、自動改札機を通した時に券の両サイドに「EXPO 2010」の刻印が押されるために、知っていれば容易に判別できた。
市民に無料で配布された無料入場券(世博大礼包)を転売する人も多かった。これは偽造券などではなく、市民でなくても誰でも使用できたが、正規券と異なり使用できる月が決まっていたので、券面に明記されている使える月を確認するなどの注意が必要であった。
  • コピー商品の販売
万博会場周辺や豫園や南京路・東方明珠電視塔など市内の観光スポット周辺などでは、公式マスコットである「海宝」のコピー商品の販売が横行している。中国当局は、2カ月余りで、既に435件を摘発し、コピー商品12万8,000点を押収した。万博事務局は、「万博の知的財産権に対する宣伝を強め、市民に正規商品を買うよう提唱している」と説明している[36]。しかし「違法コピー天国」と批判される中国では、開幕後も「『万博ビジネス』でひともうけしよう」という人が後を絶たず白昼堂々と売られている。また、正規品に比べて品質は大差がないのに価格が安いために購入者も絶えず、この国の知的財産権保護の難しさを見せつけている[37]
  • 中国製の各国名産品
アフリカの43カ国が共同出展したアフリカ館の即売コーナーで売られているアフリカ各国の名産品は、デザインこそアフリカ風であるが、ほとんどが中国国内で製造されたものである。そのために一部の来場者からは「中国製のアフリカ土産など買いたくない」とそっぽを向かれた[38]
  • スタンプだけが目当てで、ロクに展示を見ない観客
中国のパスポートそっくりに作られた「世博護照」(世博护照・万博パスポート)が公式商品として発売されていたが、各館の記念スタンプを入国スタンプにみなして、多くのスタンプを集めることがブームとなり、「世博護照」を発売している店舗には行列が出来るほどであった。ただ、スタンプ収集を行っている者のなかには、ロクに展示を見ずに、入館をすると一目散に出口にある記念スタンプに向かう例があった。この点について「万博の意義に反するし、何よりも出展国に失礼。」との意見が出た[39]。また、浦西側のベストシティ実践区は不人気エリアであるため、集客策として当日朝に数を限って配布される専用のスタンプ台紙に、ベストシティ実践区の各パビリオンのスタンプを一定数以上集めると、浦東側の人気パビリオンの優先入場券が貰える企画を実施したが、これを集めている観客はスタンプ以外には全く関心がないケースが多かった。
  • 日本国旗の不掲揚
日本館に掲揚される日中国旗
万博開幕当初、日本館では日の丸の掲揚・掲示が行われていなかった。展示館内に国旗の掲揚・掲示が義務づけられていないために、中国人の反日感情に配慮したためとの見方が一部にあったものの、日本館関係者は外国開催では過去にも国旗を掲げないケースがあったとそれを否定した[16]。実際に近年行われた外国での博覧会における日本館はすべて国旗を掲揚していない。問題が表面化してすぐに日中両国の国旗が掲揚されるようになった。
  • 新潟県長岡市が出展した錦鯉殺処分
  • 新潟県長岡市が出品し、10月13日から15日まで日本館催事場で展示されていた錦鯉は展示終了後、中国側により殺処分が行われた[40]。日本側の関係者は、錦鯉は入国時の検疫の際は問題無く、中国側も認めていたとして、中国側の「病気がある」との主張に反論したが、中国側係員は水槽に薬剤を投入したという[40]
  • もっとも、生き物の搬入不可のルールに例外を設けるよう働きかけたのは森民夫長岡市長だった[40]。長岡市役所側は、展示は鯉を最終的に殺処分することが条件で、契約書にもその旨が明記されていると説明している。これに対し生産者側の関係者は、錦鯉の日本への持ち帰り不可については知っていたが、殺処分については聞いていないとし、契約書の存在についても否定している[40]。そのためか長岡市の公式ホームページには鯉の展示の盛況ぶりなどが記されているだけである。
  • 万博取材許可証の発行のミス
事務局のミスにより、国内外の約1万4,000人の記者などメディア関係者への万博取材許可証の発行が一時混乱した[41]
  • 突貫工事
開幕数日前になっても、パビリオンの展示物の1割は未完成であったため、部外者の立ち入りを禁止し、急ピッチでの突貫工事を進めたが、開幕には一部の展示物が間に合いそうにないと懸念され[42]、実際に間に合わなかったケースが少なくなかった。また、4月30日の段階でも開幕式がおこなわれるステージ裏側はハリボテが見える状態であった[43]。建設作業未経験者も投入された多くの突貫工事は、安全上の問題点も心配されていたが、「開催期間が半年なので、建物も半年保てばいい」といったスタンスであった[44]
エジプト館
  • 未開館のパビリオン
ベネズエラ南アフリカ共和国エジプトなど一部の外国パビリオンは工事が遅れていて、開幕日の当日になっても開幕することができずに閉まったままであった[45]
6月に入ってイラク館を最後にようやくすべてのパビリオンが完成した。なおこのイラク館は、地元メディアが開館直前に連日応援報道を行ったため、大した展示物が無いにもかかわらず開館後しばらくは行列ができる人気パビリオンとなった。
地元メディアによれば、クウェートブータンブルキナファソの3か国は、開幕直前になって出展を断念した[46]
  • 過剰な参加国勧誘
参加国数を史上最多にするために組織委員会が1億ドル(約94億円)の基金を設け、約120の発展途上国がこの支援を受けて展示館建設などを行った[47]。ここまでして参加国数を増やすやり方に、「私たちはいつそんなに豊かになったのか」「国内にどれだけの失業者がいると思っているのか」など中国のインターネット上では異論の声が相次いだ[7]。なお、ニウエ2007年に中国が国家承認して国交を樹立して以来、現在に至るまで中国だけが国家として認めているが、これは参加国の数を1つでも稼ぐためとの観測がある。
  • リニアの未着工
国土全体が国有地である中国では、住民の土地からの立ち退きは政府が強制的に断行するなか、なぜか当初計画されていたリニアモーターカーの駅が、住民の反対運動により未着工となった。そのために、空港より直通でのアクセスがなくなった[48]
  • 言論統制
中国共産党宣伝部は国内のメディアに対し多くの指示を出しており、準備の遅れやリハーサル時の混乱など共産党にとって都合の悪い情報についての報道が禁止された。また、万博開幕報道について「大いに力を入れるように」との言論統制に関する指示を出した[49]
  • 台湾館の扱い
台湾中華民国)は1970年の大阪万博で「中華民国館」を出展して以来、40年ぶりに「台湾館」を出展した。万博公式サイトでは当初、中国館について、「本体と省市連合館、香港、マカオ、台湾各館の『3部分から構成』」と紹介していた。しかし2009年12月に台湾側が「国内扱い」となっていることに気づき、万博事務局に抗議した。これを受けて「本体と地区館の『2つで構成』」との表記に変更されたが、台湾側は、台湾館を「外国国家館区に属する」として反発した。パビリオンの立地も、中国館の脇に寄り添うように配置された香港・マカオの両館とは異なり、台湾館は大通りをはさんだ反対側に変更された。また参加国の国旗を掲揚している場所には台湾の国旗は掲揚されていなかった。[50]
  • 武装警察主体の過剰警備
武装警察本部の共産党委員会の指示の下、数万人規模の中国人民武装警察部隊中国人民解放軍の兵士・将校)の隊員により警備が行われ、主に万博会場周辺の警戒、重点ターゲットの防衛、武装パトロール、重点地域の守備などが担当された。また、他にも万博警備のために警官約4万6,000人を投入し、上海市内では約200万人の市民ボランティアが動員されて市街の巡回活動を行った[51][52]
  • パビリオンの休業
開幕当初は来場客が少なかったため、5月上旬の段階で一部のパビリオンが勝手に休む例があり、目標としてきた7,000万人の動員は不可能と見なされていた。ただ、この点については5月下旬から急激に入場者が増えており、6月・7月は逆に大混雑となる日が多かった。この点については次項が原因と考えられる。8月・9月は例年以上の猛暑のため、客足の鈍る日が多くなった。
  • 無料の入場券のバラまき
中国は、大阪万博が記録した6,422万人を超える史上最高の7,000万人の入場者数を目標としていた。そのためにメンツをかけた組織的な動員作戦より、上海市当局や万博事務局は上海市民のうち、一定の条件を有する市民に無料入場券(世博大礼包)をバラまいたり、学校や職場(特に国営企業)に対して団体入場の動員をかけたりした[53]。なお、「世博大礼包」には、「中共上海市委・上海市人民政府は上海市民の支持と奉仕に感謝します」の一文があり、市民の協力に対する感謝のためのチケットであることを強調していた。
  • ニセ幼児・ニセ障害者
幼児連れの入場者や障害者のために用意された優先ゲートが、不正に使用されるケースが多発した。会場内で3歳以下の幼児のために貸し出しているベビーカー小学生の子供を乗せ、「ニセ幼児」と優先入場する親が続出した。また、車いすの入場者に数名が付き添って優先ゲートに並び、入館後に車いすから「障害者」であるはずの人物(ニセ障害者)が立ち上がって元気に歩き出すケースも多発した。多くのパビリオンでは年配者の場合は障害者の証明書などがなくても、車いすでの優先入館を配慮してもらえるために、このような善意の悪用が常態化した[53]。このため一部の人気パビリオンでは、車椅子用ゲートでも一般の入場と同じ程度の待ち時間となるように調整した。
  • 住民の強制立ち退き問題
万博を開催するにあたって中国政府は1万8,000世帯を強制的に立ち退かせて会場敷地を確保した。これについては、新しいアパートに優先的に入居できる代わりに、立ち退き住宅の補償ベースが市価の20分の1にすぎなかったことや、立ち退きを拒否した人が一方的に解雇されるなどの不当な措置のため、地元住民からは激しい怒りの声が上がり、海外の人権団体からも強い反発を招いた。その一方では、共産党幹部など一部の特権階級だけが不動産バブルの恩恵をフルに享受できるという社会的不平等のいっそうの拡大と不公正の蔓延が指摘された[54][55]
  • 日中青年交流行事の一方的な延期
2010年9月に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件による波紋で、中国側が企画した標記行事が一方的に延期された。日本政府は「極めて不適切」と抗議した。また、その後も日本主催行事の中止が相次いだ。なお、標記行事は結局10月28日になって開催された。その際に次項の問題が発生した。
  • 私服警官の日本メディアへの取材妨害
2010年10月28日、尖閣諸島中国漁船衝突事件で延期されていた、「日本青年上海万博訪問団」の大学生ら約680人が訪れ中国館を見学した際に、私服警官らが日本メディアによる写真撮影やインタビュー取材を露骨に妨害した。訪問団の交流活動を可能な限り目立たせない為だと思われた[56]

大阪万博と上海万博

大阪万博と上海万博との類似性を強調するのが自身が大阪万博の開催を主導した堺屋太一である。堺屋によれば、大阪でも上海でも、

  1. 工業力による会場および都市づくり
  2. 大量の観客を円滑に運ぶ管理能力
  3. 全世界からの出展者をむかえる外交的成果

の3点を内外に披露し、「近代工業社会」を誇示する点で類似しており[57]、そこでは生活の質や生活様式、人びとの消費行動や行動様式が大幅に変化することが期待されている。また、堺屋は上海万博は「近代工業社会の最大にして最後のイベントになるだろう」と予言し[57]中国人の消費のレベルをあげ、生活の質を向上させる変化の起爆剤になれば万博は成功だとしている[57]。ただし、上海万博閉幕ころにはバブル経済が弾けて中国経済全体が落ち込む可能性があり[57]、テイクオフののちには中国が「世界標準」を主張する可能性が少なくないとしている[57]

朝日新聞編集委員の外岡秀俊も、万博の歴史に新たなページをひらいたのは1970年の日本であったとしている。フランスでは革命により王室を失い、代わって国民統合の象徴としての意味を担わされたのが産業振興であり、産業博覧会であった。20世紀にフランスに代わって万博を主導したのはアメリカ合衆国であったが、そこにも国民統合の意味合いがあった。外岡は、吉見俊哉東京大学教授のことばを引用しながら、そこに新しくアジアの「成功物語」をもちこんだのが日本であり、1964年東京オリンピックから1970年の大阪万博までの流れは、韓国における1988年ソウルオリンピックから1993年大田国際博覧会、そして、中国における2008年の北京オリンピックから2010年の上海万博への流れというかたちで受けつがれたと論じている[58]

脚注

  1. ^ a b c 朝日新聞2010年5月1日朝刊1面
  2. ^ a b 文藝春秋』2010年6月号(2010年5月10日発売)p.154
  3. ^ 人気パビリオンは4時間待ちも…上海万博初日(YOMIURI ONLINE) - 読売新聞 2010年5月1日
  4. ^ [http://j.peopledaily.com.cn/94476/7076399.html 上海万博、21日に入場者数3千万人を突破 - 人民網日本語版 2010年7月22日
  5. ^ [http://sankei.jp.msn.com/world/china/100910/chn1009102131004-n1.htm 【上海万博】入場者5千万人を突破 大阪より25日早く - 産経ニュース 2010年9月10日
  6. ^ [http://www.asahi.com/international/update/1016/TKY201010160184.html 上海万博の入場者、史上最多 大阪の6421万人超す。asahi.com
  7. ^ a b 朝日新聞、2010年5月1日朝刊2面
  8. ^ a b c d 朝日新聞、2010年5月1日朝刊6面
  9. ^ a b asahi.com(朝日新聞社):上海万博、開幕式に首脳約20人 巨大市場に世界が注視 - 国際 - 朝日新聞 2010年5月1日
  10. ^ 念願の開幕式に江沢民氏の姿なく 憶測呼ぶ (2/2ページ) - 産経新聞 2010年5月1日
  11. ^ 日本イメージ大使、卓球の愛ちゃんら3人が選ばれる”. レコードチャイナ (2008年3月26日). 2010年5月30日閲覧。
  12. ^ 上海万博の皆勤賞めざす日本人女性、中国メディアから取材-上海万博 - サーチナ 2010年5月6日
  13. ^ 世博毎日快報・2010年6月8日号より
  14. ^ JAM Project「Only One」が上海万博の世界ベスト曲に決定! - リッスンジャパン 2010年5月3日
  15. ^ 1日及び累計の入場者数が万博史上最高に。 - 公式HP中国語版 2010年10月17日
  16. ^ a b 整理券めぐり混乱も 北朝鮮・イラン館では“ビジネス”重視 (1/2ページ) - 産経新聞 2010年5月2日
  17. ^ 上海万博、リハーサル混乱 イタリア館のガラス割れる - 共同通信 2010年4月20日
  18. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「sankei04301201001」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  19. ^ 上海万博の目玉イベント「SMAP」の公演が中止に 安全確保不可能が原因 - FNNニュース 2010年6月7日付
  20. ^ 上海万博の公式テーマソングに盗作疑惑!これって岡本真夜の歌じゃない? - サーチナ 2010年4月15日
  21. ^ 上海万博曲は盗作?岡本真夜側「事実確認中」 - スポニチ 2010年4月17日
  22. ^ 急展開!岡本真夜の楽曲「上海万博PR曲」に - スポーツニッポン 2010年4月20日
  23. ^ お蔵入り?岡本さんの「そのままの君でいて」 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) - 読売新聞 2010年5月1日[リンク切れ]
  24. ^ 不毛なパクリ論争に巻き込まれた上海万博、今度は「中国館」に飛び火 - サーチナ 2010年4月22日
  25. ^ 1日開幕、パクリ疑惑に懸命に反論 - 産経新聞 2010年4月29日
  26. ^ 上海万博マスコットにもパクリ疑惑、米国キャラに「生き写し」 - 中国新聞社 2010年4月21日
  27. ^ とまらない上海“万パク” 今度はイメキャラに盗作疑惑浮上 - 夕刊フジ 2010年4月22日
  28. ^ 上海にパジャマ外出禁止令 万博対策、市民は支持せず - MSN産経ニュース 2009年11月20日[リンク切れ]
  29. ^ 上海万博控え規制次々 いら立つ市民に優遇策 - 東京新聞 2010年4月2日[リンク切れ]
  30. ^ 2010年5月10日発売週刊ポスト(2010年5月21号)p.48
  31. ^ 【上海万博】香港パビリオンでドサクサにまぎれて入場する人たち - サーチナ 2010年5月8日
  32. ^ [http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010110102000014.html 中日新聞 2010年11月1日
  33. ^ a b 【上海万博開幕前夜】(上)「万パク」狂想曲 (3/3ページ) - 産経新聞 2010年4月29日
  34. ^ 上海万博、脅威はテロ攻撃よりインフルエンザ=専門家 - gooニュース4月28日(ロイター)[リンク切れ]
  35. ^ a b 上海万博、ニセ入場券みつかる 使用済み転売の手口も”. MSN産経ニュース (2010年5月29日). 2010年5月29日閲覧。
  36. ^ 上海万博:マスコットのコピー横行 「そもそも米キャラの盗作」 - 毎日jp(毎日新聞) 2010年4月24日[リンク切れ]
  37. ^ コピー商品、開幕後も横行、取り締まり困難”. MSN産経ニュース (2010年5月11日). 2010年5月11日閲覧。
  38. ^ 整理券めぐり混乱も 北朝鮮・イラン館では“ビジネス”重視 (2/2ページ) - 産経新聞 2010年5月2日
  39. ^ 世博毎日快報・2010年6月8日号より
  40. ^ a b c d 櫻井よしこ (2010年11月25日). “日本人の愛する錦鯉を毒殺した中国”. 週刊新潮2010年11月25日号. 櫻井よしこ. 2010年11月25日閲覧。
  41. ^ 上海万博会場、本番へ追い込み 未完成のパビリオンも - 中日新聞 2010年4月27日
  42. ^ 上海万博、展示物の1割未完成 準備大詰め - 日本経済新聞 2010年4月29日
  43. ^ 【上海万博】開幕式場のハリボテが丸見え!「隠せばいいのに」との声 - サーチナ 2010年4月29日
  44. ^ 上海万博、パクリ騒動など問題山積 (1/2ページ) - サンケイスポーツ 2010年4月29日
  45. ^ 上海万博開幕 午後には混乱収束 - 中国新聞 - 中国新聞 2010年5月1日
  46. ^ 上海万博、中国市場でのイメージ向上狙い各国が多額支出 - gooニュース5月2日(ロイター
  47. ^ 上海万博 参加国数が史上最高に - 人民日報 2010年4月21日
  48. ^ 【上海万博開幕前夜】(下)場外乱闘、立ち退き住民の怒り、会場跡地でひと稼ぎ… (3/3ページ) - 産経新聞 2010年5月1日
  49. ^ 「盛大に開幕」と祝賀報道 中国各紙 - 産経新聞 2010年5月1日
  50. ^ asahi.com(朝日新聞社):北朝鮮、台湾、アフリカ…中国外交、透けて見える万博 - 国際 - 朝日新聞 2010年5月2日[リンク切れ]
  51. ^ 「誇れる任務を笑顔で遂行_人民中国 - 人民日報 2010年4月291日
  52. ^ 上海万博開会式、警備は五輪並 100万人ボランティアも - 共同通信 2010年4月28日
  53. ^ a b 【上海万博】開幕1カ月、伸びぬ入場者800万人 障害者装うニセ車いすも横行 - MSN産経ニュース - 産経新聞 2010年5月30日
  54. ^ 中国のメンツが生んだ「上海万博難民」 - iza! 4月26日
  55. ^ 【上海万博開幕前夜】(下)場外乱闘、立ち退き住民の怒り、会場跡地でひと稼ぎ… (1/3ページ)”. MSN産経ニュース (2010年5月1日). 2011年1月9日閲覧。
  56. ^ 中国の私服警官が日本人学生への取材を露骨に妨害 上海万博会場で[リンク切れ]
  57. ^ a b c d e 『文藝春秋』2010年6月号(2010年5月10日発売)p.155-163
  58. ^ 朝日新聞、2010年5月19日朝刊14面「ザ・コラム」

関連項目

ギャラリー

外部リンク


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