フン・セン

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フン・セン
ហ៊ុន សែន
Hun Sen
Hun Sen.jpg
生年月日 (1951-04-04) 1951年4月4日(67歳)
出生地 コンポンチャム州 Peam Koh Sna
所属政党 クメール・ルージュ
カンプチア人民革命党
カンボジア人民党
配偶者 ブン・ソム・ヒアン

カンボジアの旗 第3代 カンボジア王国首相
内閣 フン・セン
在任期間 1998年11月30日 -
国王 ノロドム・シハヌーク
ノロドム・シハモニ

カンボジアの旗 カンボジア王国第二首相
内閣 ノロドム・ラナリット
在任期間 1993年9月24日 - 1998年11月30日
国王 ノロドム・シハヌーク

在任期間 1993年7月1日 - 1993年9月24日
SNC議長 ノロドム・シハヌーク

在任期間 1989年5月1日 - 1993年7月1日
国家評議会
議長
ヘン・サムリン(1989年-1992年)
チア・シム(1992年-1993年)

在任期間 1985年1月14日 - 1993年5月1日
国家評議会
議長
ヘン・サムリン
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フン・センクメール語: ហ៊ុន សែន / Hun Sen, 1951年4月4日[注釈 1] - )は、カンボジア軍人政治家民主カンプチアで軍司令官を務めていたが、1977年に離脱しポル・ポトと対決。1978年のベトナム軍進攻後は親ベトナム政権の外相・首相を歴任。カンボジア王国首相カンボジア人民党議長(党首)を務める。

経歴[編集]

1951年、カンボジア東部コンポンチャム州の農家に生まれる[1]。父親は海南島出身の華人だと言われ、"Hun Sen" は「雲昇」という中国語海南語)に対応する[注釈 2]。13歳のとき、勉学のためプノンペンに出た[1]

1970年3月、北京に亡命中のシハヌークの呼びかけに応じ、ロン・ノル政権に対抗するクメール・ルージュ軍の下級部隊指揮官として従軍。1975年4月のプノンペン攻略に大隊長として参加し、4月16日の戦闘で顔面に銃弾を受けて左目を失明した[1][2]。1976年になるとクメール・ルージュの過激な政策に嫌気がさし、粛清の危険も感じて、翌年の6月にポル・ポト派を離脱しベトナムに亡命する[2]

1978年12月、カンプチア救国民族統一戦線中央委員および救国民族青年協会会長に就任。直後にベトナム軍がカンボジアに侵攻、クメール・ルージュ軍は敗走しポル・ポトはタイとの国境へ逃れた。1979年1月7日、プノンペン陥落の同日、人民革命党再建大会(第3回党大会)において中央委員および常任委員会委員[注釈 3]に選出された。翌8日には28歳で人民革命評議会外務担当副議長(外務大臣)に就任し[2]、10日には「カンプチア人民共和国」(ヘン・サムリン政権)が発足した。以後、彼は外務大臣として、インドシナ和平交渉において重要な役割を果たしてゆく。

1981年5月1日の総選挙において、コンポンチャム州選出の国民議会議員として当選。同年5月26日から29日の第4回党大会において、中央委員および政治局員、書記局員に選出され、党内序列第6位となる。6月にはペン・ソバン内閣の閣僚評議会副議長(副首相)兼外務大臣に任命され、ペン・ソバン失脚後も、次のチャン・シ内閣で留任した。

1984年末のチャン・シ首相の死後、フン・センは同首相の葬儀委員長を務める。

1985年1月14日、第8期国会において後任の閣僚評議会議長(首相)に選出され、外務大臣を兼務した。フン・センは当時32歳であり、世界最年少の政府首脳だった[4]1990年9月にはカンボジア最高国民評議会 (SNC) 議員に就任。1991年10月18日、カンプチア人民革命党臨時党大会において、カンボジア人民党への改称が採択されるとともに、フン・センは党中央委員会副議長に選出され、序列第3位となった。1991年、ベトナムグエン・アイ・クォック社会科学学院ベトナム語版より政治学博士号を授与。

1993年5月の国連管理下の総選挙の結果、王党派の政党フンシンペックと人民党が連立で合意し、同年7月1日にノロドム・ラナリットと共に暫定国民政府共同首相に就任した。9月24日、新憲法が発効し、カンボジア王国が成立すると、第二首相に就任。

しかし政権内闘争が発展し、1997年7月にラナリットの外遊中に武力クーデターを起こし、連立相手であったフンシンペックを政権から排除した。その後はフンシンペック・反ラナリット派と連立の枠組を維持し、ウン・フオト外相を第一首相に就けた。

1998年11月、再びフンシンペックとの連立で合意し、ラナリットは下院議長に就任し、フン・センは11月30日に単独の首相に就任した。2004年7月15日、首相に再任。

2009年10月、隣国タイ王国から逃亡中のタクシン・チナワット元首相を、個人アドバイザーとして迎え入れた。また、タクシン元首相は同時に、政府の経済顧問にも就任している。タクシン元首相が首相在任中から、両者の関係は親密であることが知られていた。

2013年9月24日、先の総選挙により選出された国民議会(下院)は野党がボイコットする中、与党議員68人の全会一致でフン・センを首相に再任し、新内閣を承認した[5]

2017年9月、最大野党のカンボジア救国党の党首ケム・ソカーを逮捕し、同年11月にはカンボジア救国党を解散させるなど中国の経済支援を後ろ盾に独裁化を強めてるとされ[6][7][8]、2017年時点で在職期間で世界最長の首相とされる[9]

顕彰[編集]

  • 1993年 - シハヌーク国王より「サムデク」(Samdech) の称号を授与。
  • 2007年10月12日 - Samdech Akka Moha Sena Padei Techo の称号を授与[10]
  • 2009年12月21日 - シハモニ国王より「カンボジア王国軍上級大将」 (5 Star General) の位を授与[11][12][13]

家族[編集]

1976年1月にポル・ポト政権の政策により強制結婚した[1]。妻のブン・ラニー(ブン・ソム・ヒアン)も海南島出身の華人。3男3女をもうけた。三男のフン・マニ英語版は政界入りを目指している[14]

日本との関係[編集]

義眼[編集]

内戦時代に戦闘で左目を失い、ソビエト連邦製のガラスの義眼を付けていたが、日本を訪問した際、日本政府からプラスチック製の義眼を贈られ、それを着用していた。日本の政治家の中では渡辺美智雄と懇意にしており、渡辺とは生前6回会っている。日本での義眼手術の際には渡辺のはからいで「ヤマウチ」という偽名で入院し、渡辺が死去した後に墓参りを行っている。

中国との関係[編集]

親中派とされ、カンボジア首相府英語版は中国の援助によって建設されている[15]南シナ海問題では中国を支持し、「何があっても中国は友人」と発言している[16]。フン・センに反対する野党勢力は中国のハッカーからサイバー攻撃などを受けているとされる[17]

その他[編集]

カンボジアでは2014年2月以降、公共の場での喫煙が禁止された。フン・センは40年近い喫煙歴を持つものの、自身の禁煙に成功したと発表した[18]

2016年米大統領選でのドナルド・トランプ当選を強く望み、彼が大統領になれば、世界はより良くなり、戦争が避けられ、米露関係も好転するだろうと予測した[19]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1952年8月5日との説もある。
  2. ^ 中国語メディア各社は「洪森」の字を当てている。
  3. ^ 7人の常任委員の中で、フン・センとヘン・サムリンの2人だけが前クメール・ルージュだった[3]

出典[編集]

  1. ^ a b c d (冨山 1992, p. 42)
  2. ^ a b c “ソ連製から順天堂製へシフト フン・セン氏の義眼(リポート・医療)”. アエラ (朝日新聞出版). (1991年5月14日). 
  3. ^ (チャンダ 1999, p. 588)
  4. ^ “Australia asks Cambodia to take asylum seekers amid violent crackdown”. The Sydney Morning Herald. (2014年2月24日). http://www.smh.com.au/federal-politics/political-news/australia-asks-cambodia-to-take-asylum-seekers-amid-violent-crackdown-20140223-33amf.html 2018年7月31日閲覧。 
  5. ^ “フン・セン首相を再任、カンボジア議会 野党はボイコット”. AFPBB News. (2013年9月24日). http://www.afpbb.com/articles/-/3000023 2013年10月21日閲覧。 
  6. ^ “カンボジア、背後に中国の影 野党党首逮捕、英字新聞は廃刊 「親米」への弾圧続く”. フジサンケイ ビジネスアイ. (2017-09-0). https://www.sankeibiz.jp/macro/news/170907/mcb1709070500001-n1.htm 2018年4月19日閲覧。 
  7. ^ “中国マネーが支えるカンボジアの独裁体制”. 日本経済新聞. (2017年11月24日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23785760S7A121C1000000/ 2018年4月19日閲覧。 
  8. ^ “カンボジアのフン・セン政権、中国に傾注し独裁色強まる 上院選は与党圧勝の見通し”. 産経ニュース. (2018年2月24日). https://www.sankei.com/world/news/180224/wor1802240011-n1.html 2018年4月19日閲覧。 
  9. ^ "Cambodia's prime minister has wrecked a 25-year push for democracy". The Economist. 12 October 2017.
  10. ^ “Welcome, Lord Prime Minister: Cambodian media told to use leader's full royal title”. ロンドン: ガーディアン. https://www.theguardian.com/world/2016/may/12/cambodian-media-prime-minister-hun-sen-full-royal-title 2017年4月12日閲覧。 
  11. ^ アーカイブされたコピー”. 2007年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年11月5日閲覧。
  12. ^ http://www.hbs.com.kh/download/201005_LB.pdf
  13. ^ http://cppdailynews.blogspot.com/2009/12/his-majesty-promotes-cambodian-leaders.html
  14. ^ “「フン・セン王朝」への布石か、父の軌跡たどるカンボジア首相の息子”. AFPBB News. (2013年7月27日). http://www.afpbb.com/article/politics/2958406/11089550 2013年8月19日閲覧。 
  15. ^ “カンボジア首相府が完成/中国建設の庁舎は不満?”. 四国新聞社. (2010年10月19日). http://www.suimei.com/koyomi.html 2018年7月13日閲覧。 
  16. ^ “まるでミニ中国! カンボジアのフン・セン首相が「独裁」へ着々”. 産経ニュース. (2017年11月18日). https://www.sankei.com/world/news/171117/wor1711170028-n1.html 2018年4月19日閲覧。 
  17. ^ “[FT中国のハッカー、選挙目前のカンボジア標的に”]. 日本経済新聞. (2018年7月12日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32902910S8A710C1000000/ 2018年7月13日閲覧。 
  18. ^ “『海外こぼれ話』”. 毎日新聞. (2014年9月29日) 
  19. ^ “カンボジア首相、米大統領選でトランプ氏の勝利望むと表明”. ロイター. (2016年11月3日). http://jp.reuters.com/article/usa-election-trump-cambodia-idJPKBN12Y0O6 2017年4月12日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 『アジア動向年報 1981年/85年/91年版』 アジア経済研究所 
  • ナヤン・チャンダ 『ブラザー・エネミー ― サイゴン陥落後のインドシナ』 めこん1999年 
  • 冨山泰 『カンボジア戦記-民族和解への道』 中公新書、1992年 

外部リンク[編集]


先代:
ウン・フオト
(第一首相)
カンボジアの旗 カンボジア王国首相
1998年 -
次代:
(現職)
先代:
ノロドム・ラナリット
フン・セン
(共同首相)
カンボジアの旗 カンボジア王国第二首相
1993年 - 1998年
次代:
廃止
先代:
フン・セン
(カンボジア国首相)
ソン・サン
(三派連合政府首相)
Flag of Cambodia under UNTAC.svg カンボジア暫定国民政府共同首相
ノロドム・ラナリットと共同
1993年
次代:
ノロドム・ラナリット(第一首相)
フン・セン(第二首相)
先代:
人民共和国より改称
Flag of the State of Cambodia.svg カンボジア国首相
1989年 - 1993年
次代:
フン・セン
ノロドム・ラナリット
(共同首相)
先代:
チャン・シ
Flag of the People's Republic of Kampuchea.svg カンプチア人民共和国
閣僚評議会議長
1985年 - 1989年
次代:
カンボジア国に改称