ソン・サン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
カンボジアの旗 カンボジアの政治家
ソン・サン
សឺន សាន
Son Sann
Camdodian Prime Minister Son Sann.November 1967.jpg
生年月日 1911年10月5日
出生地 カンボジアの旗 カンボジアプノンペン
没年月日 (2000-12-19) 2000年12月19日(満89歳没)
死没地 フランスの旗 フランスパリ
所属政党 サンクム
カンプチア民主党
クメール人民民族解放戦線
仏教自由民主党
ソン・サン党
親族 子:ソン・スベール(下院議員)

カンボジアの旗 第26代首相
在任期間 1967年5月1日 - 1968年1月31日
元首 ノロドム・シハヌーク

Flag of Democratic Kampuchea.svg 初代首相
在任期間 1982年7月22日 - 1992年10月23日
大統領 ノロドム・シハヌーク

Flag of Cambodia under UNTAC.svg 憲法制定議会議長
在任期間 1993年 - 1998年
SNC議長 ノロドム・シハヌーク
テンプレートを表示

ソン・サン(Son Sann, 1911年10月5日 - 2000年12月19日)は、カンボジア政治家。1960年代に王制(サンクム体制)下の首相を務め、内戦時代はクメール人民民族解放戦線 (FLNPK) 議長、三派連合政府首相。和平後は、憲法制定議会[1]議長、カンボジア王国最高顧問、仏教自由民主党議長。

経歴[編集]

1967年、シハヌークにより首相に任命されるがわずか7ヶ月で解任される。1970年の右派ロン・ノル将軍によるクーデターでパリに亡命。1980年頃にパリから帰国してFLNPKを組織、反ベトナム(反カンプチア人民共和国)、反ヘン・サムリン政権の民族運動を始める。右派色が強く当初、三派連合極左ポル・ポト派が含まれている事から反対していたが、最終的に連合に同意する。

だが虐殺戦争犯罪色の強いポル・ポト派、道義的正統性はあったが軍事的に弱体なシハヌーク派(フンシンペック)に対し、明確な反共勢力としてアメリカタイの支援を受けつつ相応の軍事力を有してはいたが結集力が弱く、内紛も多かった。

1993年6月、カンボジア最高国民評議会国際連合カンボジア暫定統治機構の下で行われた憲法制定議会選挙を経てその議長に選出され、同年9月の新憲法発効まで務めた。

1998年、仏教自由民主党を離党し、ソン・サン党を結成して議長に就任。1999年1月15日、ソン・サン党はフンシンペックに吸収合併される。

2000年12月19日、フランス・パリで心臓発作により死去。同年12月31日、シハヌーク国王の主催により、プノンペン市内で葬儀が行われた。

脚注[編集]

  1. ^ 1991年10月のパリ和平協定に基づき設置。1993年9月の新憲法第136条の規定により、憲法制定議会は国民議会に移行。

参考文献[編集]

関連項目[編集]


先代:
チア・シム
(カンプチア人民共和国
国民議会議長)
Flag of Cambodia under UNTAC.svg カンボジア
憲法制定議会議長
1993年
次代:
チア・シム
(カンボジア王国
国民議会議長)
先代:
キュー・サムファン
(民主カンプチア)
Flag of Democratic Kampuchea.svg 民主カンプチア連合政府
首相
1982年 - 1992年
次代:
廃止
先代:
ロン・ノル
カンボジアの旗 カンボジア王国首相
1967年 - 1968年
次代:
ペン・ヌート (en)