小島敏男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小島 敏男
こじま としお
生年月日 (1939-11-11) 1939年11月11日(84歳)
出生地 日本の旗 日本 埼玉県熊谷市
出身校 中央大学法学部
所属政党 自由民主党伊吹派
称号 旭日重光章

選挙区比例北関東ブロック→)
埼玉12区→)
(比例北関東ブロック→)
埼玉12区
当選回数 4回
在任期間 1999年 - 2009年
テンプレートを表示

小島 敏男(こじま としお、1939年昭和14年〉11月11日[1] - )は、日本政治家自由民主党所属。立正大学名誉教授[2]

文部科学副大臣第2次小泉改造内閣第3次小泉内閣)、防衛庁長官政務官第1次小泉第1次改造内閣)、外務大臣政務官第1次小泉内閣)、衆議院環境委員長、同北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長衆議院議員(4期)、埼玉県議会議長、埼玉県議会議員(4期)、熊谷市議会議長、熊谷市議会議員(3期)などを歴任[1]

経歴[編集]

熊谷市議会議員3期・同議長、埼玉県議会議員4期・同議長を経て、1996年第41回衆議院議員総選挙に立候補するものの落選。1999年1月、中島洋次郎の議員辞職に伴う繰り上げ当選で初当選。文部科学副大臣外務大臣政務官を経て、2006年9月より、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長として拉致問題の解決にあたる。更に衆議院環境委員長などを歴任した。

先の大戦による戦没者の遺骨収集を行うNPO法人空援隊の顧問であり、超党派の顧問議員団の会長を務めている。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙で落選。同年9月30日、年齢が70歳目前に迫っており再立候補時には70歳を超えてしまうことや世代交代への期待を理由に政界引退を表明した。2010年春、旭日重光章叙勲。

役職[編集]

所属していた議員連盟[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 熊谷西ロータリークラブ会報 No.27” (PDF). 熊谷西ロータリークラブ (2011年2月28日). 2023年10月12日閲覧。
  2. ^ 名誉教授”. 立正大学. 2023年10月12日閲覧。
公職
先代
小野晋也
稲葉大和
日本の旗 文部科学副大臣
塩谷立と共同

2004年 - 2005年
次代
河本三郎
馳浩
先代
木村太郎
山下善彦
日本の旗 防衛庁長官政務官
佐藤昭郎と共同

2002年 - 2003年
次代
嘉数知賢
中島啓雄
先代
望月義夫
桜田義孝
丸谷佳織
日本の旗 外務大臣政務官
山口泰明
丸谷佳織と共同

2001年 - 2002年
次代
松浪健四郎
今村雅弘
水野賢一
議会
先代
西野あきら
日本の旗 衆議院環境委員長
2007年 - 2008年
次代
水野賢一
先代
平沢勝栄
日本の旗 衆議院北朝鮮による拉致
問題等に関する特別委員長

2006年 - 2007年
次代
山本拓