カート・アングル

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カート・アングル
カート・アングルの画像
プロフィール
リングネーム カート・アングル
本名 カート・スティーブン・アングル
ニックネーム オリンピック・ヒーロー
レスリング・マシーン
身長 178cm
体重 108kg
誕生日 (1968-12-09) 1968年12月9日(55歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州の旗ペンシルベニア州
ピッツバーグ
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ドリー・ファンク・ジュニア
トム・プリチャード[1]
デビュー 1998年
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カート・アングルKurt Angle1968年12月9日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラー、元レスリング選手。ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。

概要

1996年アトランタオリンピックでのレスリングフリースタイル100kg級金メダリスト。また、全米選手権を6度制した。

実際のファイトスタイルも関節技、投げ、寝技を主体とするもので、トレードマーク技は足首を捻り上げるアンクル・ロック。試合が佳境に入るとシングレットの上半身をはだけ、関節技、寝技に打撃も加えた器用さを発揮する。非常に試合に幅があり観客を飽きさせないレスラーであり、ファン・関係者の評価は高い。テリー・ファンクニック・ボックウィンクルなどもアングルを「現役最高の選手」と評したこともある[要出典]

金メダルを鼻にかけエリート意識を剥き出しにするキャラクターで活動しており、アスリートとしての類い希なる実力よりも、ずるさを前面に押し出したヒールを演ずることが多い。それゆえ、カートが入場する際には曲に合わせて「You Suck!!(ユー・サック!!・日本での放送では「へなちょこ」と訳されている)」と観客が大合唱するのが恒例となっている。この合唱が定着したことにより、元々『Medal』であったテーマ曲の名前が『I Don't Suck(Really)』と変更された(なお、このテーマ曲はカートがデビューする以前からパトリオットサージェント・スローターなど愛国者ギミックを用いる複数のレスラーに使用されていた)。ベビーフェイス転向時には、カート自らが対戦相手を指差して「You Suck」と言いながら入場して、その意味合いを変えている。 またマイクアピールも上手く、話す台詞の間間に観客から「What?(字幕では『はぁ?』)」と茶々を入れられるのも定番となっている。

来歴

獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
男子 レスリング・フリースタイル
オリンピック
1996 アトランタ 100kg級
レスリング世界選手権
1995 アトランタ 100kg級
アメリカ海軍訪問時のカート・アングル

レスリング

学生時代からレスリングで活躍し、後に総合格闘技で活躍したマーク・ケアーマーク・コールマンダン・スバーンシルベスター・ターカイにも勝利している。アトランタオリンピック前に首を故障しながらも金メダルの獲得。しかし、決勝の相手がアメリカと関係の悪いイラン出身で、決して相手に勝ち切ったとは言えない内容から地元贔屓の判定も囁かれている。これを契機に現役を引退。CMに出演するなどのほか、地元ピッツバーグでスポーツキャスターとして活動していた。しかし長年スポーツ・エリートとして生きてきたアングルはこの生活に飽き、自らプロレスラーへの転向を計画する。なお一度ECWにゲスト出演したことがあるが、団体の雰囲気に気分を害した(十字架を使ったギミックに激怒)ため、以降は出演無し。

WWF / WWE

1998年WWE(当時WWF)とマイナー契約し、ドリー・ファンク・ジュニアトム・プリチャードのコーチを受ける。インディ団体での修行期間を経て、1999年11月にWWE公式デビュー。翌2000年2月にはIC王座、ヨーロピアン王座を相次いで獲得。

10月22日にはザ・ロックを破りWWF王座を初戴冠。同年には当時はまだギミック上の夫婦であったトリプルHステファニー・マクマホンとの三角関係ストーリー、またストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争を展開するなど、試合のみならずストーリーにおいても中心人物の一人となっていく。2001年のWWF対アライアンス抗争ではWWF軍の主力として活躍。

2002年のWWEブランド分割時にはスマックダウンにドラフト2位で加入。エッジとの間で抗争を展開。遂には敗者髪切り戦に発展するが敗れ、以降現在までスキンヘッドとなった。当初はカツラを被って試合をしていた。秋からは宿敵クリス・ベノワとのタッグで初代WWEタッグ王者決定トーナメントにエントリー。優勝を果たすが、すぐにベノワとは仲間割れした。この時期は毎日のようにベノワと激闘を繰り広げ、2人のスープレックスを多様するスタイルで怪我人が続出。後に「試合のスマックダウン・ドラマのロウ」と言われる決定的な原因を作った。12月にはビッグ・ショーを破ってWWE王座を獲得。

Wrestlemania XIX (vs ブロック・レスナー)

2003年に入ると、新人だったシェルトン・ベンジャミンチャーリー・ハースのレスリング経験者を率い、リーダーとなってチーム・アングルを結成。WrestleMania XIXでのブロック・レスナーとのWWE王座戦以降、首の治療のための欠場を経てベビーフェイスに転向し復帰。チーム・アングルからは追い出される。復帰後もレスナーとの友情-因縁ストーリーを展開した。

2004年2月、ヒールターンしてレッスルマニア20エディ・ゲレロのWWE王座に挑戦。同大会の終了後、持病の首や2003年末に痛めていた足の怪我の治療を行うためにレスラー活動を一旦停止する。ただし、スマックダウンのGMに就任し、番組には出続けた。GM就任の際は、足の怪我が原因で車椅子生活となり二度とレスラーに復帰できない、というギミックが設定されていた。ゲレロとの抗争を続け、怪我の具合がよくなると、マスクマンに扮して試合に乱入したり車椅子から立ち上がって松葉杖で攻撃したりなどしていた。7月に復帰、なお復帰第一戦は日本でのハウス・ショー7月17日日本武道館大会)だった。復帰の際はビンス・マクマホンがスマックダウンにやってきて、GM職からの解雇と試合復帰を命じるストーリーが描かれた。ゲレロとの抗争終了後から、WWE所属でない「地元の英雄」レスラーをリングに招待し、3分間自身の攻撃に耐えたら五輪の金メダルをプレゼントするという「招待試合」を行っていた。これはアングルの首の怪我にできるだけ障らないための処置であった。

Royal Rumble 2005ではWWE王者のJBLビッグ・ショートリプルスレット形式で王座に挑戦するも、JBLのクローズライン・フロム・ヘルを受けて敗戦。試合後にナンジオロイヤルランブル・マッチ出場権を強奪し、急遽参戦するもショーン・マイケルズによって敗退させられる。激昂したアングルは敗退後に乱入し、マイケルズをリングアウトにさせてから鉄階段を使って攻撃。この事件が後のアングルとマイケルズの抗争の始まりとなった。

Royal Rumble以降、WrestleMania 21で行われるWWE王座戦挑戦者決定トーナメントに参戦するも、No Way Out 2005で行われた決勝戦でジョン・シナに敗れる。WrestleMania 21では前述の経緯からマイケルズと試合を行い勝利。この試合は名勝負として非常に高い評価を受ける。

2005年のドラフトによりRAWに移籍。マイケルズやユージンと金メダルを賭けての抗争を経て、GMのエリック・ビショフと組みWWE王者ジョン・シナとの抗争を開始。11月からはデバリがカートのマネージャー役としてシナとの抗争に加わった。2006年1月2日に開催されたその年最初のRAWでWWEでは5年ぶりとなるファースト・ブラッド・マッチを行い、シナに勝利。New Year's Revolution 2006では自身初となるエリミネーション・チェンバー・マッチに参戦するも敗退。

RAWとの契約が2005年内で切れていたという設定で1月13日にSmackDown!に移籍し、同日バティスタが怪我のため世界ヘビー級王座を返上したことによるバトルロイヤル形式の王者決定戦に急遽参戦して優勝、王座戴冠。Royal Rumble 2006マーク・ヘンリーNo Way Out 2006ではジ・アンダーテイカーからこれを防衛する。WrestleMania 22ではレイ・ミステリオ、ランディ・オートンを挑戦者に迎えトリプルスレット形式でSmackDown!のメインで対戦するも、ミステリオがオートンをフォールして王座から陥落した。

WrestleMania 22以降、SmackDown!で復活したキング・オブ・ザ・リングに参戦し、1回戦でオートンに勝利。しかし4月28日ミステリオとの世界ヘビー級王座戦中に乱入したヘンリーの襲撃を受け負傷、2回戦を辞退した。Judgment Day 2006でヘンリーに挑戦するが、カウントアウト負けを喫している。

5月29日に開催されたRAWでポール・ヘイマンから指名を受け復活したECWに移籍。オートンとの抗争を続けECW One Night Stand 2006では勝利するも、Vengeance 2006では敗北。その後はロブ・ヴァン・ダムとの抗争に入ったが体調は以前にも増して優れず、8月13日のハウス・ショーでのヴァン・ダム戦で股間を始め全身を負傷。これが実質的なWWE最後の試合となった。

8月25日、個人的な問題や健康状態(痛み止め薬の服用など)を理由にWWEから解雇された。WWE側からのプレスリリースでは「円満退団」とされていたが、実際はアングルはWWE側の「要求」を受け入れずにWWEが解雇扱いにしたと言われている。9月、プロレスを引退しての総合格闘技への参入を表明した(これは後述のTNA参戦をカモフラージュするためのフェイクだったとも言われている)。

TNA

2006年9月25日、全米第二の規模の新興プロレス団体TNA のTVショー内で移籍契約をしたと電撃発表。10月9日に初登場すると、いきなり同団体のトップレスラー、サモア・ジョーとの短期抗争を経て、3月頃には古巣のWWEでは全く試合を交えなかったスコット・スタイナーとの抗争を開始、TNA世界ヘビー級のベルトも奪取した。

2007年

2014年9月21日、契約満了により、退団。そして、2016年をめどに、プロレスラーを引退することを表明した。その後、TNAと再契約することが決定した。これは、以前からWWEからかねてからのオファーが来ており、それによってTNAに残るかWWEに移籍するか悩んでいたが、WWEが提示するフルタイム契約がアングルが希望するパートタイム契約と相いれずこれを辞退し、TNAに残ることを決めたため。

日本での試合

2007年1月16日、新日本プロレスへの参戦を発表。2月28日に永田裕志とタッグを組んでトラヴィス・トムコ(トムコとはスタイナーと同じく、WWE時代は全く試合を交えていない)&ジャイアント・バーナードの王者チームと対戦。この時の観客は「USA」コールを少々する程度しかカートにチャントをしておらず、むしろ永田の方ばかりに歓声が飛んだ。6月29日、イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)旗揚げ戦でWWE時代から長く抗争を続けていたブロック・レスナーとシングルで対戦しアンクル・ロックで勝利し、レスナーが保持していたIWGPヘビー級王座(IWGP 3rd)のベルトを手中に収めた(なお、レスナーは新日より王座を剥奪されており、「IWGP 3rd」の「ベルト」のみ賭けられた。また、試合後にはレスナーとの和解を果たした。12月20日はIGF「GENOME2」でケンドー・カシン2008年1月4日には新日東京ドーム大会で永田裕志と「IWGP3rdベルト」を賭けて対戦し共にアンクル・ロックで勝利を収めたが、2月17日の新日両国国技館大会で中邑真輔との「ベルト統一戦」に敗れ、3rdベルトを手放す。

2009年4月5日両国国技館大会でIWGPヘビー級王座を賭けて棚橋弘至と対戦したが敗れた。

得意技

アンクル・ロック
アングル・スラム
旧名オリンピック・スラム。アングルのオリジナル技にしてフィニッシュ・ホールド。相手をファイヤーマンズキャリーで捕らえ、そのまま後方へ倒れこみながら、相手の体を自分の片肩を支点に半回転させつつ後方に投げ落とし、背中・肩口・頭部辺りからマットへ叩きつける技。相手の実力や状況に応じて、相手を落とす角度を調整する。腕をロックしてからの展開が非常に速いので、返し難い。
アンクル・ロック
フィニッシュ・ホールド。アングルの代名詞的な技。自分の名前をもじってアングル・ロックともいう。元WWE所属のケン・シャムロックが先にフィニッシャーとして使用していたが、現在ではアンクル・ロック=カートというイメージが非常に強い。このまま寝技のヒールホールドに移行して踵を極められた場合、相手は高確率でロープにエスケープすらできずにタップアウトする。
ベリー・トゥ・ベリースープレックス
ジャーマン・スープレックス
レスリング金メダリストとあって、威力は高い。通常は一発だが、三連発することもある。WWEでは宿敵クリス・ベノワと激闘を毎日展開し、互いに数え切れないほどのスープレックスを放ったことで有名である。
ムーンサルトプレス
おもに大一番の試合で使うアングルの隠し技。非常に滞空時間が長く、高く飛ぶことによって飛距離を短く、美しい弧を描いているのが特徴であるがそれだけにカウンターや回避をとられやすく成功率は低い。過去にクリス・ベノワに対し金網の上から敢行したものが有名で、同じ試合でベノワも金網上からダイビング・ヘッドバットを敢行している。

入場曲

  • Medal
  • Medal(Remix)
ECW在籍中に使用。
  • My Quest
  • Gold Medal - 現在使用中

獲得タイトル

プロレス

WWF / WWE

TNA

IGF

PPW

  • PPWヘビー級王座 : 2回

レスリング

その他

  • 2002年にはWWEタッグ王座の獲得により、WWE史上4人目のグランドスラムを達成。
  • カートの容姿・ファイトスタイルを真似たオマージュレスラーショーン・ヘルナンデスが存在するが、彼もレスリング出身で州チャンピオンのメダルを提げて入場している。

脚注

  1. ^ Wrestler Profiles: Kurt Angle”. Online World of Wrestling. 2010年2月8日閲覧。

外部リンク