ジョニー・デバイン

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ジョニー・デバイン
ジョニー・デバインの画像
プロフィール
リングネーム ジョニー・デバイン
JPパーソンズ
ハボック
ブラザー・デバイン
本名 ジョン・パーソナイジ
ニックネーム ホット・ショット
Xディヴィジョン・トライトー
ブラザー・デバイン
身長 178cm
体重 101kg
誕生日 (1974-04-27) 1974年4月27日(49歳)
出身地 カナダの旗 カナダブリティッシュコロンビア州メリット英語版
トレーナー バッドニュース・ブラウン
スコット・ダモール
ブルース・ハート
スチュ・ハート
デイビーボーイ・スミス
デビュー 1997年10月
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ジョニー・デバインJohnny Devine1974年4月27日 - )は、カナダプロレスラー。本名はジョン・パーソナイジJohn Parsonage)といい、TNAWWEでの活動を経て現在はインディー団体で活動している。

来歴[編集]

10代の頃に友人と共にレスリングのショーに出場していた。ガーデン・シティカレッジ高校卒業後にアメリカミネソタ州の大学へ通っている。大学卒業後はカナダ陸軍に入隊、1997年にアルバータ州カルガリーへ配属された際にブレット・ハートと出会ったことでレスラーになることを決意した。8月にハート・ダンジョンでスチュ・ハートの息子であるブルース・ハートの元でトレーニングを開始し、10月にデビューしている。デビュー後はカナダ西部のインディー団体を中心に活動するようになり、1999年4月にはハート・ファミリーが運営し、復活したスタンピード・レスリングに参戦している。2001年に短い間だけウェスタン・カナディアン・エクストリーム・レスリングWestern Canadian Extreme Wrestling)に参戦している。その後はECWWWFのダークマッチに登場している。右肩を深刻に負傷している時期は自分の団体、ヤング・ライオンズ・レスリングを運営している。

2004年2月にTNAチーム・カナダの一員でデビュー。5月にピーティー・ウィリアムズボビー・ルードエリック・ヤングと共にTNAワールドXカップに参加している。2004年6月に入るとチーム・カナダは3Live Kruと抗争を開始する。しかし、2004年9月にテネシー州ナッシュビルのバー、バーナッシュでアンディ・ダグラスと店を出た際に口論に巻き込まれてしまい、デバインは胆嚢に刺し傷を負ってしまい、結果6週間欠場し、12月上旬に復帰している。

2005年3月にテネシー州ミシシッピのミシシッピ・レスリングMemphis Wrestling)でエリック・ヤングと共にミッド・サウザン・タッグチーム王座を賭けた試合中に内側側副靱帯前十字靭帯を切断したため、手術を行うために一時的にリングから遠ざかっている。怪我をしている最中はスコット・ダモールキャン・アム・レスリング・スクールCan Am Wrestling School)でトレーナーとして働いたり、様々なインディー団体でアナウンサーとして活動したりしていた。

7月にカナダのインディー団体で復帰し、8月にはWWESmackdown!JPパーソンズJP Parsons)としてルフィ・シルバースタインとタッグを組み、ロード・ウォリアー・アニマルハイデンライクと対戦している。10月にマニトバ州ウィニペグで復帰するものの、復帰2週間後にナッシュビルのバーで負った刺し傷の治療が不適切だったことを発表、2006年1月末に手術をしている。その後オンタリオ州ウィンザーへ移っている。

2006年5月にTNAに再び参戦している。6月末にTNAマネージメント・ディレクターのジム・コレットによりチーム・カナダは解散を宣言されて解散している。解散後はパパラッチギミックだったアレックス・シェリーのユニット、パパラッチ・プロダクションズに加入しアシスタントとして登場するようになるが、すぐに追い出されている。ユニット脱退後はマット・ベントレーフランキー・カザリアンとタッグを組むようになり、3人はセロトニンSerotonin)と呼ばれ、セロトニンはレイヴェンと合流する。この時期にリングネームをハボックHavok)に変えるもカザリアンはフェイス・ターン、ベントリーは解雇になり、レイヴェンは消えてしまい自然解散してしまう。解散後はチーム3Dと共闘するようになり、リングネームジョニー・デバインJohnny Devine)に変え、チーム3Dからブラザー・デバインBrother Devine)の名前をもらっている。

11月に元チーム・カナダのピーティー・ウィリアムズと対戦してダブルアーム・パイルドライバーで勝利している。また、この試合の際に入場曲とコスチュームを変え、生意気な態度をとるようになった。翌2008年1月末にはジェイ・リーザルの持つTNA Xディヴィジョン王座を賭けて試合を行ない、ブラザー・レイの介入をはさみ試合に勝利して王座を獲得している。しかし2月のAgainst All OddsでXディヴィジョン王座を賭け、チーム3Dと組みモーター・シティ・マシンガンズ、リサールと対戦するものの敗北し、タイトルを手放している。10月のBound for Gloryでワン・コンテンダーズ・スティール・アサイラムに参加し、翌日にTNAからリリースされている。

TNAリリース後はカナダのインディー団体であるBSEプロレスリングで仕事している。

得意技[編集]

デバイン・ドリラー
ファイヤーマンズキャリーで肩に担ぎ上げた相手を持ち上げマットにフェイス・バスターの要領で落とす技
デバイン・ドライバー
パンプハンドルで持ち上げてからのみちのくドライバーII
デバイン・インターベーション
ダブルアーム式パイルドライバー
ファイブスター・ムーンサルト
ムーンサルト・プレスからのフロッグ・スプラッシュ。デバイン・インターベーションとして使用していた時期があった。
デバインDDT
相手の足をロープにかけてのインプラント式DDT。別名「タランチュラDDT」。
デバイン・レトリビューション
フランケンシュタイナー
ラブ・ガン・ムーンサルト
スプリッド・レッグ・ムーンサルト・プレス

獲得タイトル[編集]

GCW(Great Canadian Wrestling)
Memphis Wrestling
Stampede Wrestling
  • Stampedeブリティッシュ・コモンウェルス・ミッドヘビー級王座 :1回
  • Stampedeインターナショナル・タッグ王座 :1回(w/グレッグ・パルーク
TRCW(Top Rope Championship Wrestling)
TNA(Total Nonstop Action Wrestling)
WCEW(Western Canadian Extreme Wrestling)
  • WCEWクルーザー級王座 :1回