TBSテレビのアナウンサー一覧
TBSのアナウンサー一覧(ティー・ビー・エスのアナウンサーいちらん)は、TBSテレビアナウンス部に所属するアナウンサーを一覧にしたものである。なお、ラジオ・テレビ各分社化前のラジオ東京→東京放送(現:東京放送ホールディングス)に所属していたアナウンサーも含めて表記する。※はアナウンス部長経験者。
現職アナウンサー
入社年順に表記
男性
- 1981年 - 柴田秀一(解説委員兼務)
- 1983年 - 浦口直樹
- 1986年 - 岡田泰典
- 1986年 - 戸崎貴広
- 1988年 - 清原正博
- 1988年 - 佐古忠彦(報道局政治部記者・キャスター兼務。2014年4月 - 9月は報道局専任)
- 1988年 - 向井政生
- 1989年 - 小林豊
- 1989年 - 斎藤哲也
- 1991年 - 安東弘樹
- 1993年 - 初田啓介
- 1993年 - 清水大輔(元札幌テレビ放送アナウンサー)
- 1994年 - 升田尚宏(元NHKアナウンサー)
- 1996年 - 土井敏之(元NHK佐賀放送局アナウンサー)
- 1996年 - 小笠原亘
- 1997年 - 安住紳一郎
- 1997年 - 伊藤隆太(報道局社会部記者兼務)
- 1998年 - 駒田健吾
- 1998年 - 新タ悦男
- 1999年 - 佐藤文康
- 2001年 - 藤森祥平
- 2003年 - 高野貴裕
- 2004年 - 赤荻歩
- 2004年 - 蓮見孝之
- 2006年 - 伊藤隆佑
- 2007年 - 井上貴博
- 2007年 - 杉山真也
- 2008年 - 山本匠晃
- 2010年 - 石井大裕
- 2013年 - 国山ハセン
- 2013年 - 熊崎風斗
- 2014年 - 品田亮太
女性
- 1987年 - 長峰由紀
- 1991年 - 秋沢淳子
- 1994年 - 長岡杏子
- 1995年 - 小川知子
- 1995年 - 堀井美香
- 1996年 - 木村郁美
- 1997年 - 小倉弘子
- 1998年 - 外山惠理
- 1999年 - 豊田綾乃
- 2000年 - 久保田智子(一時報道局兼務、2016年度中に退社の予定)
- 2000年 - 山内あゆ
- 2003年 - 高畑百合子
- 2005年 - 岡村仁美(経営企画室・報道局社会部兼務)
- 2006年 - 出水麻衣
- 2006年 - 水野真裕美
- 2008年 - 加藤シルビア
- 2009年 - 江藤愛
- 2010年 - 佐藤渚
- 2011年 - 古谷有美
- 2011年 - 吉田明世
- 2012年 - 林みなほ
- 2013年 - 小林由未子
- 2013年 - 笹川友里(一般職で入社、2014年にアナウンス部に異動[1])
- 2014年 - 宇垣美里
- 2014年 - 皆川玲奈
- 2015年 - 宇内梨沙
- 2015年 - 上村彩子
元アナウンサー
入社年順に表記。
他部署へ異動
丸かっこ内の数字はアナウンス部在籍期間。
- 男性
- 石原俊爾(1969年 - ?、東京放送ホールディングス代表取締役社長・TBSテレビ取締役)
- 稲生二平(1969年 - ?)
- 山口慎弥(元NHKアナウンサー。1973年 - ?)
- 高橋進(1976年 - ?)
- 中村秀昭(1979年 - 2012年、現在は編成考査局審査部担当部長)
- 中村尚登(1981年 - 1987年、TBSラジオニュースデスク)
- 椎野茂(1984年 - 2016年)
- 日下部正樹(1985年 - ?、2010年10月より『報道特集』キャスター)
- 岡崎潤司(1986年 - 1996年・2009年 - 2010年)
- 武方直己(1986年 - 2006年、現在はスポーツ局)
- 池田裕行(1987年 - ?、JNNパリ支局長)
- 杉山真喜人(1988年 - 1995年)
- 原山理一郎(1989年 - ?、メディアビジネス局)
- 岩井健浩(1990年 - 2011年)
- 志賀大士(1996年 - 2005年、現在『COUNT DOWN TV』プロデューサーなど)
- 女性
- 川戸惠子(旧姓:堀川/1966年 - 1988年、解説委員)
- 牧嶋博子(1983年 - 1987年、解説委員)
- 小笠原保子(1989年 - 2002年、報道局)
- 有村美香(1990年 - 2010年、総務局)
- 広重玲子(1996年 - 2009年、現在はペイTV事業部)
退職者
丸かっこ内の数字はTBS(旧ラジオ東京→旧東京放送)在籍期間。特記事項の無い人物は主にフリーアナウンサーやニュースキャスター、司会者、タレントとして活動している。
男性
- 上松康郎(元NHKアナウンサー。1951年 - 1952年)
- 小高芳雄(1951年 - 1970年) - 1993年に死去。
- 平野貞一(元NHKアナウンサー。1951年 - 1970年)
- 安田一雄(元NHKアナウンサー。1951年 - 1975年) - 1999年に死去。
- 吉村光夫(元NHK鹿児島放送局アナウンサー。1951年 - 1981年) - 鉄道ライター、NPO法人『日本鉄道模型の会』初代理事長。2011年に死去。
- 渡辺仁三(1951年 - 1969年) - 1987年に死去。
- 芥川隆行(1951年 - 1959年) - 妻は本田節子。ナレーターとして『ナショナル劇場』(水戸黄門や大岡越前など)のナレーションを担当。1990年に死去。
- 池谷三郎(1951年 - 1978年) - 『東京アナウンス学院』校長を務めた。2002年に死去。
- 市原信義(1951年 - 1984年) - 1992年に死去。
- 稲川英雄(1951年 - 1980年) - 2004年に死去。
- 財前和夫(1951年 - 1984年)
- 沢弘三(1951年 - 1983年)
- 高野啓二(1951年 - 1978年) - 放送業務局視聴者センター在職中に死去。
- 永井資久(1951年 - 1981年) - 2000年に死去。
- 若林漸(1951年 - 1961年)
- 近江正俊(元NHKアナウンサー。1952年 - 1976年) - 国際交流基金派遣日本語教師としてインドネシア・アイルランガ大学派遣日本語講師を務めた。1984年に死去。
- 小坂秀二(元NHKアナウンサー。1952年 - 1973年) - 歯科医、相撲評論家、著作家。2003年に死去。
- 吉川久夫(1952年 - 1986年) - 2001年に死去。
- 坂本荘(元NHKアナウンサー。1952年 - 1968年) - 1980年に死去。
- 中村要輔※(元NHKアナウンサー。1952年 - 1974年) - 1978年に死去。
- 榎本勝起(1952年 - 1984年) - 放送ジャーナリスト。
- 大塚矩男(元NHKアナウンサー。1952年 - 1975年) - 1997年に死去。
- 吉田謙司(元NHKアナウンサー。1952年 - 1975年)
- 鶴田全夫(元NHKアナウンサー。1953年 - 1980年) - 1992年に死去。
- 落合博一(1953年 - 1986年)
- 杉山真太郎(1953年 - 1985年) - 緑山スタジオ・シティに転籍。『ナショナル劇場』2代目ナレーター。1998年に死去。
- 鈴木千秋(1953年 - 1961年)日本のフリーアナウンサー第1号。
- 薗田潤(1953年 - 1985年) - 1994年に死去。
- 高野昭平※(1953年 - 1985年) - アナウンサープロダクション『メディア・スタッフ』取締役相談役、TBSアナウンススクール特別講師。
- 竹山恭二(1953年 - 1986年)
- 中川恭一(1953年 - 1985年)
- 真山照政(1953年 - 1956年)
- 渡辺謙太郎(1953年 - 1985年) - アナウンサープロダクション『メディア・スタッフ』へ設立と同時に出向し、代表取締役などを務めた。2006年に死去。
- 小竹隆夫(1954年 - 1992年)
- 山林正明(1954年 - 1986年)
- 鈴木治彦(1955年 - 1984年)
- 田畑国夫(1955年 - 1985年)
- 増子智英(1955年 - 1992年)
- 松野道男(1955年 - 1983年)
- 柳広武(1955年 - 1981年) - 1990年に死去。
- 青柳純一(1957年 - 1993年)
- 岡部達(1957年 - 1994年)
- 金坂光春(1957年 - 1986年) - 1986年退職直後に死去。
- 仁村秀雄(1957年 - 1992年)
- 山本文郎(1957年 - 1994年) - 2014年に死去。
- 池田孝一郎※(1959年 - 1995年) - フリーアナ、放送評論家。
- 石井智(1959年 - 1995年) - 1995年定年退職直後に死去。
- 川野昌宏(1959年 - 1994年) - 報道局次長在職中に死去。
- 里見恭夫(1959年 - 1993年)
- 新堀俊明(1959年 - 1992年) - 日本大学芸術学部放送学科非常勤講師(以前は教授)。
- 土屋統督(1959年 - 1995年)
- 藤田和弘(1959年 - 1994年)
- 料治直矢(1959年 - 1995年) - ジャーナリスト。在職中の1987年 - 1997年2月まで『JNN報道特集』メインキャスター。1997年に死去。妻は元フジテレビアナウンサーの渡辺直子。
- 山田二郎(元NHK佐賀放送局アナウンサー。1960年 - 1990年)
- 川戸貞吉(1961年 - 1993年) - 演芸評論家。妻は川戸惠子。
- 田淵威(1961年 - 1997年)
- 恒田光男(1961年 - 1996年)
- 新村尚久(1961年 - 1997年) - フリーアナ、TBSアナウンススクール特別講師。
- 平山允(1961年 - 1995年) - フリーアナ、映画評論家
- 藤林英雄(1961年 - 1997年)
- 小泉正昭(1962年 - 1999年)
- 清水将夫(1962年 - 1999年)
- 鈴木史朗(1962年 - 1998年)
- 石川顯(1964年 - 2001年) - フリーアナ、スポーツ評論家、関東学院大学・文教大学講師。
- 大沢悠里(1964年 - 1991年) - ラジオパーソナリティー、在職中の1986年 - 現在『大沢悠里のゆうゆうワイド』に出演。
- 小島康臣(1964年 - 2000年)
- 平原晋太郎(1964年 - 1993年) - 事業局事業部専任部長在職中に死去。
- 桝井貞之(1964年 - 1999年)
- 今村稔(1965年 - 2001年)- 2014年までTBSラジオのニュースデスク。
- 小川哲哉(1965年 - 1972年)
- 車尾具昭(1965年 - 2000年)
- 五味陸仁(1965年 - 2003年)
- 多田護※(1965年 - 2001年)
- 奈良陽(1965年 - 2002年) - フリーアナ、芸能事務所『CMA(現:キャスト・プラス)』相談役。2007年に死去。実兄は元テレビ朝日アナウンサーの奈良和。
- 青木靖雄(1967年 - ?) - 2007年3月までTBSニュースバードの『ビジネス・ナビ』コーナーにてリポートを担当。
- 小口勝彦(1967年 - ?)
- 久米宏(1967年 - 1979年) - 現在『久米宏 ラジオなんですけど』に出演。
- 林美雄(1967年 - 2002年) - 在職中に死去。
- 宮内鎮雄(1967年 - 2005年)
- 小島一慶(1968年 - 1989年) - フリーアナ、ナレーター。
- 松永邦久(1968年 - 2004年) - フリーアナ、TBSアナウンススクール講師。実弟は元北海道放送アナウンサーの松永俊之。
- 田中啓生(1969年 - ?)
- 田中良紹(1969年 - 1991年) - ジャーナリスト、シー・ネット代表。
- 山田修爾※(1969年 - 2005年) - 演出家、プロデューサー、芸能事務所『CMA(→キャスト・プラス)』に転籍し常務取締役、代表取締役社長、取締役相談役も務めた。また、『ドリーム・プレス社』『サカスさん』コーナー「サカス ザ・ベストテン」セット『キズナ食堂』『スパモク!! THEテッパン』『タマネギ頭』監修も担当。2013年に死去。
- 近藤美矩(1972年 - 2003年) - TBSラジオのニュースデスク。
- 辻村国弘(元NHKアナウンサー。1972年 - 2006年)
- 千葉陽一(1974年 - ?)
- 松下賢次(1975年 - 2013年)
- 宮澤隆(1975年 - 2012年)
- 生島ヒロシ(1976年 - 1989年) - フリーアナ、芸能事務所『生島企画室』代表取締役会長。
- 鈴木順(1976年 - 2013年)
- 松宮一彦(1976年 - 1998年) - 1999年に死去。
- 林正浩(1979年 - 2016年) - 在職中に続いて、フリーアナとしてスポーツ中継の実況を担当。
- 柄沢晃弘(1984年 - 1991年) - WOWOWアナウンサー。
- 下村健一(1985年 - 1999年) - ジャーナリスト。菅改造内閣において、内閣官房内閣広報官室内閣審議官を務めた。
- 田中宏明(1990年 - 1996年) - ジャーナリスト。
- 宮澤祐介(1993年 - 2000年) - NHK子会社ディレクター→ブルームバーグ記者。
- 有馬隼人(2001年 - 2004年) - 2012年までアメリカンフットボール選手(アサヒビールシルバースターなどに所属)として活躍。また、フリーアナとしても活動。2016年度からラジオ『有馬隼人とらじおと山瀬まみと』のパーソナリティを担当。
女性
- 植村二三子(1951年 - 1955年)
- 高橋百合子(1951年 - 1953年)
- 大野方子(1951年 - 1963年)
- 高杉恵津子(1951年 - 1984年)
- 玉井和子(1951年 - 1961年)
- 楢木昭子(現姓:竹山/1951年 - 1961年) - 放送史研究者、昭和女子大学名誉教授。
- 本田節子(1951年 - 1983年) - 夫は芥川隆行。
- 武藤和子(1951年 - 1960年) - 夫はTBS元社長の濱口浩三。2010年に死去[2]。
- 岡本昌子(1953年 - 1956年)
- 清水春子(1953年 - 1961年)
- 高橋昭夸(1953年 - 1955年)
- 中島みち(1953年 - 1959年) - ノンフィクション作家。2015年に死去。
- 甘利和子(1954年 - 1985年)
- 綱徳子(1954年 - 1963年)
- 来栖琴子(元NHKアナウンサー。1954年 - 1979年) - 著作家、ジャーナリスト。
- 大沢嘉子(1955年 - 1963年)
- 杉田喜代子(1955年 - 1956年)
- 高橋作子(1955年 - 1992年)
- 松浦園子(1955年 - 1962年)
- 榎本和恵(1956年)
- 松浦淑恵(1956年)
- 町田教子(現姓:木元/1956年 - 1958年) - 評論家・ジャーナリスト。
- 麻生雅子(1957年 - 1994年)
- 石川知子(1957年 - 1963年)
- 佐藤美智子(1957年 - 1960年) - 行動心理研究家・地域振興コンサルタント・評論家・占星術師の宇井美智子。
- 大場ゆかり(1957年 - 1961年)
- 草間範子(1957年 - 1961年)
- 鈴木美江(1957年 - 1960年)
- 須藤孝子(1957年 - 1963年)
- 前田和子(1957年 - 1959年)
- 三好和子(1957年 - 1960年)
- 相場君子(1959年 - 1963年)
- 加藤かな子(1959年 - 1964年)
- 加藤珪子(1959年 - 1964年) - 1984年に死去。
- 今井登茂子(1959年 - 1962年) - フリーアナ、コミュニケーションスクール『とも子塾』主宰。
- 土井誉子(1959年 - 1961年)
- 蛭田玲子(1959年 - 1964年)
- 内田房子(1961年 - 1963年)
- 小木曽ひろ子(1961年)
- 坂元良江(1961年 - 1970年)
- 島倉恭子(1961年 - 1965年)
- 野中泰子(1961年 - 1997年)
- 原田淑枝(1961年 - 1965年)
- 結城田鶴子(1961年 - 1964年)
- 若本ミチ子(1961年 - 1963年)
- 梅田早苗(1962年 - 1998年)
- 古村朋子(1962年 - 1968年)
- 佐藤紀子(1962年 - 1966年)
- 塩田光代(1962年 - 1964年)
- 清水恵子(1962年 - 1967年) - 1993年に死去。
- 富田幸子(1962年 - 1966年)
- 山口紘子(1962年 - 1967年)
- 宇野淑子(1964年 - 2002年) - 作家。
- 高階玲子(1964年 - 1992年)
- 二村義子(1964年 - 1971年)
- 山田照子(1964年 - 1978年)
- 吉野好子(1964年 - 1965年)
- 桐本幸子(1965年 - 1999年)
- 手塚俊子(1965年 - 1974年)
- 本田綾子(1965年 - 1969年)
- 岩崎直子(1966年 - 1970年)
- 遠藤泰子(1966年 - 1972年) - フリーアナ、声優、ナレーター、司会者。
- 藤田恒美(1966年 - 2003年) - TBSアナウンススクールアドバイザー兼講師。
- 堀川友子(1966年 - 1970年)
- 池田園子(1968年 - 1970年)
- 石井和子(1968年 - 1971年) - フリーアナ、気象予報士、日本気象予報士会顧問(前会長)。
- 見城美枝子(1968年 - 1973年) - フリーアナ、エッセイスト、ジャーナリスト、青森大学副学長社会学部教授。
- 郷司淑子(1968年 - 1974年)
- 菅原牧子(1968年 - 2003年)
- 神津栄子(旧姓:浅井/1977年 - 1992年)
- 三雲孝江(1977年 - 1990年) - 『情報7days ニュースキャスター』『ひるおび!』(月曜日)コメンテーター。
- 吉川美代子(1977年 - 2014年) - 芸能事務所『キャスト・プラス』取締役。
- 有村かおり(現姓:松富/1983年 - 1999年) - キャスター、作家
- 野口雅子(現姓:須賀/1983年 - 1990年)- フリーアナ、TBSアナウンススクールアドバイザー兼講師。
- 木場弘子(1987年 - 1992年) - 千葉大学教育学部特命教授。夫は元プロ野球選手で東北楽天ゴールデンイーグルスコーチの与田剛。
- 戸田恵美子(旧姓:畑/1987年 - 2004年)
- 香川恵美子(1988年 - 1998年) - 夫は元プロ野球選手でオリックスバファローズ二軍監督の田口壮(活動休止中)。
- 福島弓子(1989年 - 1999年) - 夫はMLB・マイアミ・マーリンズ外野手のイチロー(活動休止中)。
- 渡辺真理(1990年 - 1998年)
- 雨宮塔子(1993年 - 1999年) - フリーアナ、エッセイスト。
- 進藤晶子(1994年 - 2001年) - 夫はプロゴルファーの深堀圭一郎。
- 小島慶子(1995年 - 2010年) - タレント、エッセイスト、女優。
- 海保知里(1999年 - 2008年) - 現在ラジオ『Fine!!』に出演。
- 竹内香苗(2001年 - 2012年)
- 川田亜子(2002年 - 2007年) - 2008年に死去。
- 山田愛里(現姓:北川/2002年 - 2012年) - 国連難民高等弁務官駐日事務所PI Associate 広報アソシエイト。
- 小林麻耶(2003年 - 2009年)
- 青木裕子(2005年 - 2012年) - 夫はナインティナインの矢部浩之。
- 新井麻希(2005年 - 2010年) - フリーアナ、司会者。
- 枡田絵理奈(2008年 - 2015年) - フリーアナで、夫はプロ野球・広島東洋カープの堂林翔太。
- 田中みな実(2009年 - 2014年)
- 小林悠(2010年 - 2016年)
関連人物
アナウンス部長
- 現在
- 本多由幸(2011年7月 - ) - 前・情報制作局情報センター情報2部長[3]
- 過去
- 中村要輔
- 高野昭平( - 1981年6月)
- 池田孝一郎
- 三好和昭(1991年5月 - 1994年6月) - 報道出身(元『JNN報道特集』プロデューサー[4])、後に東京エレクトロン監査役[5]。
- 多田護(1994年6月 - 1997年6月)
- 弟子丸千一郎(1997年6月 - 2001年5月)
- 若林貴世志(2001年5月 - 6月) - 東京放送ホールディングス取締役。
- 山田修爾(2001年6月 - 2005年6月)
- 石川眞実(2005年6月 - 7月、編成局長兼務) - 後にTBSテレビ常務取締役。バラエティ番組『リンカーン』に名前のみ登場していた。
- 齋藤薫(2005年7月 - 2011年6月[6])
系列局からの出向社員
過去に、報道・情報番組においてJNN系列各局のアナウンサーや報道記者が司会やニュースデスクなどを担当するために出向した事例があった。過去の該当者は以下の通り。
- 『JNNニュースデスク』(開始当初、番組キャスターはJNN系列各局の報道記者・アナウンサーがニュースデスクとして出向していた)
- 『モーニングジャンボ』→『モーニングジャンボ奥さま8時半です』
- 『モーニングジャンボ奥さま8時半です』[注釈 1]
- 道上洋三(朝日放送アナウンサー)
- 『おはよう720』→『おはよう700』(主に「キャラバン」と呼ばれる国外取材キャスター)
- 荻島はのちに「朝のホットライン」のキャスターとしてSBSから再出向したが、視聴者からの反響が大きく、期間を延長・継続して担当することからSBSの社業に影響するとしてSBSを退職、正式に上京してフリーアナとなった。
- 『JNNおはようニュース&スポーツ』
- 『JNNニュースデスク'88・'89』
- 『筑紫哲也 NEWS23』
局契約
- 特記ない限りNHKから移籍
- 森本毅郎(1984年 - 1997年) - 専属契約解除後もTBSの番組に継続して出演
- 草野仁(1985年 - 1991年) - 同上
- 美里(田丸)美寿々(1994年 - 2010年) - 元フジテレビジョンアナウンサー→フリー→テレビ朝日契約キャスターから移籍
- 中井亜希(1996年 - 1998年) - 専属契約解除後、関連会社のBS-iの番組に出演
- 草野満代(1997年 - 2006年)
- 膳場貴子(2006年 - 現在)
備考
- TBSのアナウンサーは基本的にTBSテレビ所属となっており、同社テレビ番組への出演の他、グループ会社であるTBSラジオ&コミュニケーションズ(TBSラジオ)、BS-TBSの番組にも“TBSアナウンサー”として出演している。
- 2004年10月、東京放送(現:東京放送ホールディングス)は新たに設立した「TBSテレビ」(旧:TBSエンタテインメントを中心にTBSライブ・TBSスポーツを合併・当時は番組制作会社)へテレビジョン放送事業全般を委託、それに伴い東京放送在籍中のアナウンサーを含む社員820人をこの「TBSテレビ」へ同年10月1日付で出向させ、2005年以降の新卒・中途採用アナウンサーも同社が採用していた[7]。約4年もの間、社籍が異なるアナウンサーが同じ職場に在籍していたことになるが、その後、2009年4月に東京放送が持株会社へ移行、それに伴う吸収分割により、出向中の全てのアナウンサーが現在のTBSテレビへと転籍した。
- 1990年代前半まで、報道担当の男性アナウンサーは「TBSアナウンサー」としてテロップで画面に登場することは少なかった。これは報道局所属であったことや、突発的な事故などの際には取材記者も兼ねていたことが影響していた。JNNニュースなどの提供読みも報道担当の男性アナウンサーはほとんど行っておらず、経験者は高橋進や向井政生など限られた少数であった。ただし五味陸仁や柴田秀一など情報番組の司会を担当していた男性アナウンサーもいた。この傾向が崩れたのは1994年頃。当時スポーツ担当だった佐古忠彦、情報番組担当だった岡田泰典が報道担当に移ってからのこと。佐古・岡田は以後報道のみの出演になるが、スポーツ担当の男性アナウンサーもJNNフラッシュニュースなどに登場することも多くなった。ただしベテランの男性アナウンサーの中には報道番組(一般ニュース)を担当したのことのないアナウンサーもいる(林正浩や松下賢次など)。
- 会社である以上、労使交渉がまとまらなければ労組のストライキも起こりうる。その場合、担当番組を管理職のアナウンサーや外部のフリーアナウンサーが代行出演する。一例として2009年3月13日は、テレビで『ピンポン!』『2時っチャオ!』『イブニング・ファイブ』など各番組の担当アナウンサー(メイン司会も含む)が説明もないまま欠席している。
アナウンサー番組
地上波テレビ
- ディスク・タイム(1961年)[8]
- きょうも楽しく〜小鳥とともに〜(1961年8月14日 - 1962年3月31日)[9]
- チャンネル☆ロック!
- E娘!
- ママアナのデジ@缶
- アナCAN
- メガデジ
- ナビっち(2009年4月 - 2010年3月)
- TBS24時
- 女子アナの罰
TBSチャンネル
- TBSチャンネルガイドシリーズ
- 日本全国ラーメン選手権
- 日本全国駅弁選手権
- TBS女子アナ 日本歴史探訪
- TBS女子アナ 鉄道の旅
- ほかに女性アナウンサーが出演する紀行ものシリーズも制作・放送されている。
TBSラジオ
- 朝のひととき(1958年) - アナウンサー制作番組[10]
- ヤンアナジョッキー → ミスヤンアナジョッキー(1992年 - 1993年)
- 倶楽部・アナ魂ダ!(2004年10月 - 2005年3月)
- アナアナ探検隊(2005年10月 - 2006年3月)
- 講談社 ラジオブックス
- Kakiiin
- 悠と渚のハツラツサンデー
- ザ・トップ5
- ラジオ・パープル
- 女子アナウンス部御中 - かつてTBSラジオが運営していた有料の音声配信サイト「らじこん」において、複数の女性アナウンサーがそれぞれ個人で出演する音声コンテンツを配信していた。「らじこん」の廃止に伴い2015年4月をもって配信終了
関連書籍
- TBSアナウンスセンター編 編『We love TBS!! 女子アナウンサーのすべて見せます。』アスキー、1998年8月。ISBN 978-4-7561-1854-7。
- アルファワークス構成・編集 編『おいしい顔ダイアリー TBSアナウンサーとCooking』学習研究社、2003年6月。ISBN 978-4-05-603148-5。
注釈
- ^ 朝日放送のスタジオからのコーナーを担当。
出典
- ^ “後輩が…♡ TBSブログ|林みなほのMinaho's Diary” (2014年5月28日). 2014年5月28日閲覧。
- ^ “濱口会長令夫人、ルチア濱口和子様ご逝去”. cumsophia on line in FC2. 2012年4月28日閲覧。
- ^ 『日本経済新聞』朝刊2011年7月6日、人事欄。
- ^ 報道特集『アキノ白昼の暗殺』特ダネは一日にして成らず 三好和昭(TBS)
- ^ 取締役・監査役及び業務執行責任者(2001年6月27日時点)
- ^ 『連合通信』2011年7月4日付。
- ^ “TBS社員7割子会社出向…安住、小倉アナも”. ZAKZAK. (2005年1月21日)
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、11頁。"1961年5月1日 *テレビ「ディスク・タイム」 <休止時間(朝の部 6:40〜50、昼の部 11:25〜30、夜の部 16:45〜55)を利用してのトーク番組。7期生の新人アナを中心>開始"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、11頁。"1961年8月14日 *テレビ「きょうも楽しく〜小鳥とともに〜」(月〜日 6:30〜6:40) <早出女子アナ勤務者のフィックス番組。〜62.3.31>"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、11頁。"1958年1月4日 *アナウンサー制作番組「朝のひととき」スタート(5:25〜5:55)"。
参考文献
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。