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ソクラテス (サッカー選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ソクラテス
名前
本名 ソクラテス・ブラジレイロ・サンパイオ・ジ・ソウザ・ヴィエイラ・ジ・オリヴェイラ
Sócrates Brasileiro Sampaio de Souza Vieira de Oliveira
愛称 Doutor(ドトール、医師)
Magron(マグロン、痩せっぽち)
ラテン文字 SÓCRATES
ポルトガル語 Sócrates
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1954-02-19) 1954年2月19日
出身地 ベレン
没年月日 (2011-12-04) 2011年12月4日(57歳没)
身長 193cm
体重 79kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1974-1978 ブラジルの旗 ボタフォゴ-SP 269 (101)
1978-1984 ブラジルの旗 コリンチャンス 297 (172)
1984-1985 イタリアの旗 フィオレンティーナ 25 (6)
1986-1987 ブラジルの旗 フラメンゴ 20 (5)
1988-1989 ブラジルの旗 サントス 23 (7)
1989 ブラジルの旗 ボタフォゴ-SP 0 (0)
2004 イングランドの旗 ガーフォース・タウン [1] 1 (0)
代表歴
1979-1986 ブラジルの旗 ブラジル 60 (22)
監督歴
1994 ブラジルの旗 ボタフォゴ
1996 エクアドルの旗 LDUキト
1999 ブラジルの旗 カボフリエンセ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ソクラテス・ブラジレイロ・サンパイオ・ジ・ソウザ・ヴィエイラ・ジ・オリヴェイラポルトガル語: Sócrates Brasileiro Sampaio de Souza Vieira de Oliveira1954年2月19日 - 2011年12月4日)は、ブラジル出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。1983年には南米年間最優秀選手賞に選出され、2004年にはペレによってFIFA 100に選出された。実弟のライーもサッカー選手であり、ブラジル代表として1994 FIFAワールドカップで優勝した[2]

父親がギリシャ哲学の崇拝者であったためにソクラテスと名付けられた[3]。プロサッカー選手としては珍しく医師免許を持ち[4]ドトールポルトガル語: Doutor、医師の意味)の愛称で呼ばれた[5]

経歴

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クラブ

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ベレンに生まれた[6]。16歳でボタフォゴ-SPの下部組織に入団したが[7]、下部組織入団の翌年にサンパウロ大学のリベイラン・プレト医学校[3]に入学し、サッカーより学業を優先して練習にはほとんど参加しなかった[7]。1974年にトップチームデビューすると、有力クラブからオファーが殺到したが、プロ選手生活を送りながら単位を取得し、23歳で大学を卒業するまでボタフォゴ-SPにとどまった。1978年にサンパウロのコリンチャンスに移籍すると[8]、すぐにレギュラーポジションを獲得してチームの中心選手となり、6シーズンの間に297試合に出場して172得点を挙げた。1984年、これまで他のチームから多くのオファーを受けていたが、チーム愛からオファーを拒否し続けていた[5]。しかし、政治的信念から、イタリアのACFフィオレンティーナに移籍した[5]。このシーズンの公式戦33試合で9得点を挙げたが、チームはリーグ8位に終わり、個人としてのパフォーマンスも期待を裏切る結果となり、僅か1シーズンでブラジルへと帰国した[5]。その後はCRフラメンゴサントスFCでプレーした[8]。1989年、古巣ボタフォゴ-SPでのプレーを最後に現役引退した。

現役引退から10年以上が経った2004年、50歳のソクラテスは選手兼任監督としてイングランド・ノーザンカウンティ・イースト・フットボールリーグガーフォース・タウンAFCと1ヶ月の短期契約を結んだ[9]。11月20日のタドキャスターAFC戦で途中出場して12分間プレーし、この試合がイングランドでの最初で最後の出場機会となった[10]

代表

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1979年5月にブラジル代表デビューし、1986年6月までに60試合に出場して22得点している[10]。2度のFIFAワールドカップ1982 FIFAワールドカップ1986 FIFAワールドカップ)と2度のコパ・アメリカコパ・アメリカ1979コパ・アメリカ1983)に出場したが、タイトルを獲得することはできなかった。代表チームでは、テレ・サンターナ監督により、ジーコと共にプレーメーカーのポジションで起用された[5]

1982年にスペインで行われた1982 FIFAワールドカップにはブラジル代表のキャプテンとして臨んだ。テレ・サンタナ監督に率いられ、ジーコファルカントニーニョ・セレーゾとともに組んだ中盤は黄金のカルテットと呼ばれた。1次リーグ初戦のソビエト戦で1ゴール[11]イタリア代表アルゼンチン代表と強豪が集った2次リーグではイタリア戦で1ゴールを挙げたが[11]、2-3と敗れ敗退した。1983年のコパ・アメリカでは決勝でウルグアイ代表に敗れて準優勝に終わった。1986年にはメキシコで開催された1986 FIFAワールドカップに出場[8]、グループリーグ初戦のスペイン戦で1ゴール、ラウンド16のポーランド戦でも1ゴールを決める[11]活躍を見せたが、準々決勝でPK戦の末にフランス代表に敗れた。

死去

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長年にわたる飲酒と喫煙によって体が蝕まれ、2011年8月下旬と9月上旬には消化器出血と肝臓疾患を併発して入院し[3]、12月1日には再び入院した[7]。12月4日、腸内感染症による敗血症のために死去した[12][13]。57歳没。

人物

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妻と 6人の子どもに囲まれ[14]、現役引退後は故郷のリベイラン・プレトでスポーツクリニックを開業していた[6][7]。重度の酒飲みであり喫煙者であった[15]。ソクラテスはインテリとして知られ、多数の新聞や雑誌のコラムニストを務めたが、話題はスポーツだけでなく政治や経済の分野にも及んだ。頻繁にテレビ番組に出演し、ブラジルサッカー界のご意見番的存在であった。死去時は2014 FIFAワールドカップにおけるブラジル代表のフィクション本を執筆している最中であった[16]

プレースタイル

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テクニックのあるプレーメーカーであり、図ったようなスルーパス、広い視野、フィジカルの強さなどで知られる。両足が自在に使え、得点力が高く、強烈なミドルシュートを得意とした[7]。試合を読む能力も高く、ノールックヒールパスが十八番であった[17]。あごひげとヘッドバンドが特徴であり、「全世代のサポーターにとっての上品さの象徴」であった[6]

タイトル

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クラブ

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ボタフォゴ-SP
  • Vicente Feola champion : 1976
  • Taça Cidade de São Paulo : 1977
コリンチャンス
CRフラメンゴ

個人

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個人成績

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クラブでの出場記録

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1974 ボタフォゴ-SP
1975
1976 1部
1977 1部
1978 1部
1978 コリンチャンス 1部
1979
1980 1部
1981 1部
1982 1部
1983 1部
1984 1部
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1984-85 ACFフィオレンティーナ セリエA
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1986 CRフラメンゴ 1部
1987 1部
1988 サントスFC 1部
1989 1部
1989 ボタフォゴ-SP
通算 ブラジル 1部
ブラジル
イタリア セリエA 25 6
総通算 403 152

代表での年別出場試合数

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ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
1979 6 5
1980 8 2
1981 15 6
1982 9 4
1983 8 2
1984 0 0
1985 5 1
1986 9 2
通算 60 22

脚注

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  1. ^ “Garforth chairman pays tribute to Brazil legend Socrates”. BBC News. (2011年12月4日). http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-leeds-16022367 2011年12月4日閲覧。 
  2. ^ Gowar, Rex (2011年12月4日). “Former Brazil captain Socrates dies at 57”. Reuters India. http://in.reuters.com/article/2011/12/04/soccer-brazil-socrates-idINDEE7B301Z20111204 2011年12月4日閲覧。 
  3. ^ a b c 沢田啓明「サウダーデの国から 第45回」footballista、2011年9月7日号、33頁
  4. ^ Greatest Who Never Won a World Cup”. www.life.com. 2011年12月4日閲覧。
  5. ^ a b c d e Socrates, 'Il Dottore' del calcio che amava Gramsci e odiava la fatica e i ritiri”. GOAL (2023年2月19日). 2023年8月23日閲覧。
  6. ^ a b c Jurejko, Jonathan (2011年12月4日). “Obituary: Socrates”. BBC Sport. http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/16019637.stm 2011年12月4日閲覧。 
  7. ^ a b c d e 沢田啓明「サウダーデの国から 第50回」footballista、2011年12月28日号、41頁
  8. ^ a b c Glanville, Brian (2011年12月4日). “Sócrates: Formidable captain of the Brazilian team in the 1982 World Cup”. The Guardian (London). http://www.guardian.co.uk/football/2011/dec/04/socrates?INTCMP=ILCNETTXT3487 2011年12月4日閲覧。 
  9. ^ “Samba stars to join Garforth Town”. BBC Sport. (2004年10月27日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/funny_old_game/3957519.stm 2011年12月4日閲覧。 
  10. ^ a b “Brazil World Cup captain Sócrates: a factfile”. The Guardian (London). (2011年12月4日). http://www.guardian.co.uk/football/2011/dec/04/brazil-midfielder-socrates-dies?intcmp=239 2011年12月4日閲覧。 
  11. ^ a b c “Socrares National team”. www.transfermarket. https://www.transfermarkt.com/socrates/nationalmannschaft/spieler/117633 20 October 2020閲覧。 
  12. ^ “サッカーのソクラテス氏死去 元ブラジル代表主将”. 共同通信. (2011年12月4日). https://web.archive.org/web/20111208022449/http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011120401001755.html 2011年12月4日閲覧。 
  13. ^ “元ブラジル代表主将、ソクラテス氏が死去”. 読売新聞. (2011年12月4日). http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/foreign/news/20111204-OYT1T00619.htm?from=main6 2011年12月4日閲覧。 
  14. ^ Former Brazil Soccer Captain Socrates Dies at 57” (2011年12月4日). 2011年12月4日閲覧。
  15. ^ Henderson, Jon (2009年5月21日). “Seven deadly sins of football: Socrates, the smoking supremo”. The Guardian (London). http://www.guardian.co.uk/football/2009/may/21/seven-deadly-sins-socrates-brazil 2011年12月4日閲覧。 
  16. ^ Bellos, Alex (2010年6月13日). “Sócrates: 'Everyone who comes to Brazil falls in love with someone'”. The Guardian (UK). http://www.guardian.co.uk/theobserver/2010/jun/13/socrates-brazil-football-world-cup 2011年6月7日閲覧。 
  17. ^ The Greatest Offensive Midfielders of All-Time - Xtratime Community”. Xtratime.org. 2011年12月4日閲覧。
  18. ^ .. Player – Socrates”. National Football Teams (1954年2月19日). 2011年6月7日閲覧。

外部リンク

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