ジム・ナイドハート
ジム・ナイドハート | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ジム "ジ・アンヴィル" ナイドハート フー(Who) |
本名 | ジェイムズ・ヘンリー・ナイドハート |
身長 | 183cm[1] |
体重 | 125kg(全盛時)[1] |
誕生日 | 1955年2月8日[2] |
死亡日 | 2018年8月13日(63歳没)[2] |
出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州[3] ロサンゼルス郡モンテベロ[4] |
スポーツ歴 | アメリカンフットボール[3] |
トレーナー | スチュ・ハート[3] |
デビュー | 1979年[3] |
ジム "ジ・アンヴィル" ナイドハート(Jim "The Anvil" Neidhart、本名:James Henry Neidhart、1955年2月8日 - 2018年8月13日[2])は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州モンテベロ出身[4]。
1980年代半ばから1990年代にかけて、WWFを主戦場にブレット・ハートとのタッグチーム "ハート・ファウンデーション" などで活躍した[4]。妻はスチュ・ハートの長女エリー・ハート、娘はWWE所属のナタリアことナッティ・ナイドハート[5]。
来歴
[編集]NFLのオークランド・レイダースやダラス・カウボーイズに在籍した後[5]、ハート・ファミリーの総帥スチュ・ハートのトレーニングを受け、1979年にカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングでデビュー[3]。1981年10月には西ドイツのハノーバーに遠征し、スティーブ・ライト、ミレ・ツルノ、パット・ローチ、エイドリアン・ストリート、ビッグ・ジョン・クイン、ムース・モロウスキー、ザ・UFO、ゴロー・タナカなどと対戦している[6]。
1982年4月にはスタンピード・レスリングとの提携ルートで新日本プロレスに初来日[7]。当時は無名の存在だったため、ほとんど注目されることはなかったが[8]、1983年1月の再来日時には、外国人エース格のブラックジャック・マリガンやマスクド・スーパースターのパートナーとなって時折メインイベントにも出場した[9]。
ヒールのラフ&パワーファイターとして、1983年下期からはアメリカ南部にも進出。ルイジアナのMSWAでミスター・レスリング2号やテッド・デビアス、テネシーのCWAでジェリー・ローラーやオースチン・アイドルらと対戦してネームバリューを高める。MSWAでは1983年10月12日、ブッチ・リードと組んでジム・ドゥガン&マグナムTAを破り、ミッドサウス・タッグ王座を獲得[10]。NWA圏のフロリダ地区では1984年8月12日にアンジェロ・モスカから南部ヘビー級王座を奪取し[11]、10月3日にはクラッシャー・クルスチェフと組んでUSタッグ王座を獲得した[12]。
1985年、スタンピード・レスリングがビンス・マクマホンに買収されたことに伴いWWFと契約[4]。テネシーCWA時代の盟友ジミー・ハートをマネージャーに、同時期にWWF入りした義弟のブレット・ハートと"ハート・ファウンデーション" を結成。豪力派の強面ナイドハートと技巧派の二枚目ブレットという、パートナー同士が互いの個性を追求した新しいタイプのタッグチームとして頭角を現す(ナイドハートは自分達のことを「ブレットはポルシェ、俺はタンク」と表現していた)。1987年1月26日にはブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)からWWF世界タッグ王座を奪取[13]。同年10月27日にストライク・フォース(ティト・サンタナ&リック・マーテル)に敗れるまで保持した[14]。
1988年4月、同じヒール陣営にいたバッドニュース・ブラウンとブレットの対立アングルが組まれたことを機に、揃ってベビーフェイスに転向[4]。デモリッション(アックス&スマッシュ)、ブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)、リズム&ブルース(ホンキー・トンク・マン&グレッグ・バレンタイン)、パワー&グローリー(ハーキュリーズ&ポール・ローマ)などのチームと抗争を展開する。1990年8月27日のサマースラム'90では、リージョン・オブ・ドゥームのフォローでデモリッションに勝利、WWFタッグ王者チームに返り咲いた[13]。
しかし、翌1991年3月24日のレッスルマニアVIIでナスティ・ボーイズ(ジェリー・サッグス&ブライアン・ノッブス)に敗れ王座から陥落。その後チームを解散して、ブレットはシングルプレイヤーに転向。ナイドハートはブレットの実弟オーエン・ハートと新チーム "ニュー・ファウンデーション" を結成するがブレイクには至らず[15]、1992年にWCWへ転出する。WCW在籍中の1992年8月には新日本プロレスに久々に来日、G1クライマックスのNWA世界ヘビー級王座決定トーナメントに出場した(1回戦で佐々木健介に敗退)[16]。同年10月のSGタッグ・リーグ戦にもトム・ジンクと組んで参加している[16]。
1994年6月19日、キング・オブ・ザ・リング'94で行われたブレット・ハート対ディーゼルのWWF世界ヘビー級王座戦において、王者ブレットのセコンドとしてWWFに復帰するが、試合に介入してヒールに転向[4]。同年にヒールターンしていたオーエンと結託し、ブレットとの骨肉の争いを開始した[17]。1996年にはフー(Who)なる覆面レスラーに変身したが[15]、一時WWFを離脱してインディー団体を転戦。その後1997年、ブレットのヒール転向により再編されたハート・ファウンデーションのメンバーとして復帰する[4]。しかし、同年11月9日のモントリオール事件を最後に、ブレットやデイビーボーイ・スミスと共にWCWへ移籍することになった[4]。
WCWでは『マンデー・ナイトロ』にてクリス・ジェリコが保持していた世界TV王座にも挑戦したが[18]、ミッドカードのポジションから脱することはできず、1998年に解雇されている[4]。その後はセミリタイア状態となり、インディー団体に単発的に出場。2000年代に入り、WWEの下部団体OVWで若手選手のコーチを務めていたこともあった。2007年12月10日には『RAW』15周年記念大会のオールドタイマーによるバトルロイヤルに出場している[19]。
2009年11月12日、TNAの『iMPACT!』に登場、ジェイ・リーサルから勝利を収めた[20]。2010年4月26日にはオンタリオ州のCWI(チャンピオンシップ・レスリング・インターナショナル)にて、WWF時代の盟友ブルータス・ビーフケーキとCWIヘビー級王座を争った[21]。
2018年8月13日、63歳で死去[22][23]。死因は長年患っていたアルツハイマー病の発作による転倒だった[24]。
2019年4月6日、ブレット・ハートとの "オリジナル" ハート・ファウンデーションとしてWWE殿堂に迎えられた[25]。ニューヨーク州ブルックリンのバークレイズ・センターで開催された殿堂入り式典では、娘のナタリアがインダクターを務めた[26]。
得意技
[編集]- ハート・アタック(ハート・ファウンデーション時代の合体技。ナイドハートがベアハッグで捕えた相手に、ブレット・ハートがエプロンサイドからトップロープ越しにダイビング・ラリアットを放つ)
- アンヴィル・フラットナー(パワースラム)
- アンヴィライザー(スイング式コブラ・クラッチ)
- アバランシュ・ホールド
- ショルダー・ブロック
- ドロップキック
獲得タイトル
[編集]- NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):1回 [11]
- NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回(w / クラッシャー・クルスチェフ) [12]
- WWF世界タッグ王座:2回(w / ブレット・ハート) [13][14]
- WWE殿堂:2019年(ハート・ファウンデーションとして)[25]
- インディー
- MEWFヘビー級王座:1回
- PWFヘビー級王座:1回
- PWOタッグ王座:1回(w / グレッグ・バレンタイン)
- MCW南部タッグ王座:1回(w / ブルー・ミーニー)
エピソード
[編集]- 娘のナタリアによると、ナタリアの高校時代は下校時間になるとオートバイで迎えに来るほどの親バカであった(叔父のブレットも過保護でやさしかったという)。また、当初はレスラーになることは反対だったとのこと。
脚注
[編集]- ^ a b 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P56(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c “Jim Neidhart”. Internet Wrestling Database. 2023年10月14日閲覧。
- ^ a b c d e “Jim Neidhart”. Cagematch.net. 2023年10月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “Jim Neidhart”. Online World of Wrestling. 2015年12月19日閲覧。
- ^ a b “Former WWE star Jim ‘the Anvil’ Neidhart dies at 63”. Los Angeles Times (2018年8月13日). 2023年10月14日閲覧。
- ^ “The matches Jim Neidhart fought at Germany in the year 1981”. Wrestlingdata.com. 2015年12月19日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by Jim Neidhart in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年12月19日閲覧。
- ^ 『ザ・レスラー '83新春黄金シリーズ号』P13(1983年、新日本プロレス オフィシャル・マガジン)
- ^ “The NJPW matches fought by Jim Neidhart in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年12月19日閲覧。
- ^ a b “Mid-South Tag Team Title Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
- ^ a b “NWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
- ^ a b c “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月16日閲覧。
- ^ a b “WWWF/WWF/WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年10月12日閲覧。
- ^ a b “10 Things Fans Should Know About Jim "The Anvil" Neidhart”. The Sportster (2022年1月29日). 2023年10月12日閲覧。
- ^ a b “The NJPW matches fought by Jim Neidhart in 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年12月19日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Jim Neidhart in 1994”. Wrestlingdata.com. 2015年12月19日閲覧。
- ^ “WCW Monday NITRO #156”. Cagematch.net. 2015年12月19日閲覧。
- ^ “WWE Monday Night RAW #759 - 15th Anniversary”. Cagematch.net. 2015年12月19日閲覧。
- ^ “Wilkenfeld's TNA iMPACT! Report 11/12”. PW Torch. 2009年11月12日閲覧。
- ^ “Brawl At The Bush - Laying The Smackdown On Cancer”. Cagematch.net. 2015年12月19日閲覧。
- ^ “Jim “The Anvil” Neidhart passes away”. WWE.com (2018年8月13日). 2018年8月14日閲覧。
- ^ “新日本G1参戦のナイドハートさん死去 ブレット・ハートと名コンビ”. デイリースポーツ (2018年8月14日). 2018年8月14日閲覧。
- ^ “Jim 'The Anvil' Neidhart, member of Hart Foundation, dies at 63”. ESPN.com. 2018年8月14日閲覧。
- ^ a b “The Hart Foundation: Bio”. WWE.com. 2019年4月7日閲覧。
- ^ “Natalya honors Jim “The Anvil” Neidhart at WWE Hall of Fame induction”. WWE.com. 2019年4月7日閲覧。
- ^ “Stampede Wrestling International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
外部リンク
[編集]- WWE.com
- Online World of Wrestling
- ジム・ナイドハートのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database