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「マクラーレン・F1」の版間の差分

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{{Otheruses|1992年に登場した3人乗りのスーパーカー|フォーミュラ1のコンストラクター|マクラーレン}}
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{{Infobox 自動車のスペック表
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| 車種=普通自動車
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| 乗車定員=3名
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| サスペンション=前/後<br />[[ダブルウィッシュボーン式サスペンション|ダブルウィッシュボーン]]
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| 同車台=
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'''F1'''(エフワン )は、イギリスのマクラーレン・カーズ(現[[マクラーレン・オートモーティブ]])が[[1992年]]から[[1998年]]にかけて製造・販売した[[スーパーカー]]である。
'''F1'''(エフワン )は、イギリスのマクラーレン・カーズ(現[[マクラーレン・オートモーティブ]])が[[1992年]]から[[1998年]]にかけて製造・販売した[[スーパーカー]]である。


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== 概要 ==
== 概要 ==
マクラーレン・カーズは、当時[[フォーミュラ1]]で多くの勝利を収めた[[マクラーレン]]の技術を反映した高性能な市販車を製作するために[[1989年]]に設立された。市販車であるマクラーレン・F1は当初より世界最高のロードカーを目指して開発された<ref name=mclarenHP >{{Cite web|author=McLaren |url=https://cars.mclaren.com/jp-ja/legacy/mclaren-f1 |title=The story F1 |publisher=McLaren |accessdate=2022-05-23 }}</ref><ref name=EVO >{{Cite web|author=evo staff |url=https://www.evo.co.uk/mclaren/f1/17794/the-original-mclaren-f1-press-release-in-full-every-detail-of-the-incredible-v12 |title=The original McLaren F1 press release in full - Every detail of the incredible V12 supercar - The McLaren F1 |publisher=EVO |accessdate=2022-05-23 }}</ref>。
マクラーレン・カーズは、当時[[フォーミュラ1]]で多くの勝利を収めた[[マクラーレン]]の技術を反映した高性能な市販車を製作するために[[1989年]]に設立された。市販車であるマクラーレン・F1は当初より世界最高のロードカーを目指して開発された<ref name=mclaren >{{Cite web|author=McLaren |url=https://cars.mclaren.com/jp-ja/legacy/mclaren-f1 |title=The story F1 |publisher=McLaren |accessdate=2022-05-23 }}</ref><ref name=EVO >{{Cite web|author=evo staff |url=https://www.evo.co.uk/mclaren/f1/17794/the-original-mclaren-f1-press-release-in-full-every-detail-of-the-incredible-v12 |title=The original McLaren F1 press release in full - Every detail of the incredible V12 supercar - The McLaren F1 |publisher=EVO |accessdate=2022-05-23 }}</ref>。


車両中央に[[運転席]]が配置され、左右に1席ずつ[[助手席]]を持つ特徴的なセンターシートのレイアウトを採用している。乗降を容易にするために、斜め上方に開く[[バタフライドア|ディヘドラル・ドア]]も採用されている。車両のパフォーマンスを高めるために多くの部分に軽量化のための設計がなされ、[[カーボンファイバー]]製の[[シャシ (自動車)|シャシー]]を採用して製造された初の市販車となった<ref name=mclarenHP />。
車両中央に[[運転席]]が配置され、左右に1席ずつ[[助手席]]を持つ特徴的なセンターシートのレイアウトを採用している。乗降を容易にするために、斜め上方に開く[[バタフライドア|ディヘドラル・ドア]]も採用されている。車両のパフォーマンスを高めるために多くの部分に軽量化のための設計がなされ、[[カーボンファイバー]]製の[[シャシ (自動車)|シャシー]]を採用して製造された初の市販車となった<ref name=mclaren />。


生産台数は全てのバリエーションを合計して106台のみ。その内訳は、[[プロトタイプ]]が5台、通常モデルが64台、LMが6台(その内1台がプロトタイプ)、GTが3台、[[レーシングカー|レーシングモデル]]のGTRが28台である<ref name=GENROQ >{{Cite journal|和書 |author=相原俊樹 |title=McLaren Automotive celebrates 20th anniversary of the legendary McLaren F1 |journal=GENROQ |volume=296 |year=2010-10 |publisher=三栄書房 }}</ref><ref name=roadandtracklm >{{Cite web|author=MÁTÉ PETRÁNY |url=https://www.roadandtrack.com/car-culture/classic-cars/a30551/there-are-only-six-real-mclaren-f1-lms/ |title=There Are Only Six Real McLaren F1 LMs |date=2016-08-25 |publisher=Road and Track |accessdate=2022-05-23 }}</ref>。
生産台数は全てのバリエーションを合計して106台のみ。その内訳は、[[プロトタイプ]]が5台、通常モデルが64台、LMが6台、GTが3台、[[レーシングカー|レーシングモデル]]のGTRが28台である<ref name=GENROQ >{{Cite journal|和書 |author=相原俊樹 |title=McLaren Automotive celebrates 20th anniversary of the legendary McLaren F1 |journal=GENROQ |volume=296 |year=2010-10 |publisher=三栄書房 }}</ref><ref name=roadandtracklm >{{Cite web|author=MÁTÉ PETRÁNY |url=https://www.roadandtrack.com/car-culture/classic-cars/a30551/there-are-only-six-real-mclaren-f1-lms/ |title=There Are Only Six Real McLaren F1 LMs |date=2016-08-25 |publisher=Road and Track |accessdate=2022-05-23 }}</ref>。

1995年の[[ル・マン24時間レース]]では、レーシングモデルであるF1 GTRが総合優勝を成し遂げている<ref name=GT1 >{{Cite journal|和書 |author=Akihiro Ouchi |title=McLAREN F1 GTR |journal=GT1マシンのすべて 1994-1999 |year=2021-12 |publisher=三栄 }}</ref>。


1998年にプロトタイプ車両を使用して行われたテスト走行では、最高速度391km/h(242.956mph)を達成、2回の走行の最高速度を平均した386km/h(240.1mph)が公式な最高速度記録として認定されている<ref name=roadandtrackspped >{{Cite web|author=CHRIS PERKINS |url=https://www.roadandtrack.com/car-culture/classic-cars/videos/a32423/mclaren-f1-top-speed-record-history/ |title=How the 240-MPH McLaren F1 Nonchalantly Became the World's Fastest Car |date=2017-01-26 |publisher=Road and Track |accessdate=2022-05-23 }}</ref>。
1998年にプロトタイプ車両を使用して行われたテスト走行では、最高速度391km/h(242.956mph)を達成、2回の走行の最高速度を平均した386km/h(240.1mph)が公式な最高速度記録として認定されている<ref name=roadandtrackspped >{{Cite web|author=CHRIS PERKINS |url=https://www.roadandtrack.com/car-culture/classic-cars/videos/a32423/mclaren-f1-top-speed-record-history/ |title=How the 240-MPH McLaren F1 Nonchalantly Became the World's Fastest Car |date=2017-01-26 |publisher=Road and Track |accessdate=2022-05-23 }}</ref>。


新車での販売価格は53万ポンド(当時約1億18000万円)。1992年のプロトタイプの発表と同時に価格が公表され、非常に高額な車として当時話題となった。現在では車両の希少性からプレミア価格で取引されており、2021年に[[アメリカ]]で行われた[[オークション]]では、ほぼ新車状態の車両が出品され22億5115万円で落札された<ref name=GENROQweb >{{Cite web|author=山崎元裕 |url=https://genroq.jp/2020/01/07/59168/ |title=20世紀の最高傑作「マクラーレン F1」。伝説を生んだ史上初の1億円カー(1992)【名作スーパーカー型録】 |date=2020-01-07 |publisher=GENROQ Web |accessdate=2022-05-23 }}</ref><ref>{{Cite web|author=上野和秀 |url=https://www.autocar.jp/post/719844 |title=【22億円】マクラーレンF1、高額落札 コロナ禍のグッディング&カンパニー・ペブルビーチ・オークション |date=2021-08-18 |publisher=AUTOCAR JAPAN |accessdate=2022-05-23 }}</ref>。
新車での販売価格は53万ポンド(当時約1億18000万円)。1992年のプロトタイプの発表と同時に価格が公表され、非常に高額な車として当時話題となった。現在では車両の希少性からプレミア価格で取引されており、2021年に[[アメリカ]]で行われた[[オークション]]では、ほぼ新車状態の車両が出品され22億5115万円で落札された<ref name=GENROQweb >{{Cite web|author=山崎元裕 |url=https://genroq.jp/2020/01/07/59168/ |title=20世紀の最高傑作「マクラーレン F1」。伝説を生んだ史上初の1億円カー(1992)【名作スーパーカー型録】 |date=2020-01-07 |publisher=GENROQ Web |accessdate=2022-05-23 }}</ref><ref name=auction>{{Cite web|author=上野和秀 |url=https://www.autocar.jp/post/719844 |title=【22億円】マクラーレンF1、高額落札 コロナ禍のグッディング&カンパニー・ペブルビーチ・オークション |date=2021-08-18 |publisher=AUTOCAR JAPAN |accessdate=2022-05-23 }}</ref>。


== 機構スタイル ==
== 設計開発 ==
マクラーレン・F1の開発構想が始まったのは1988年9月11日のことで、当時フォーミュラ1世界選手権で16戦15勝という驚異的な成績を収めていたマクラーレンのチームリーダーである[[ロン・デニス]]とデザイナーの[[ゴードン・マレー]]などが、そのシーズンで唯一勝利を逃した[[イタリアグランプリ|イタリアGP]]の帰りの空港で雑談を交わすうちに車両の発想が生まれたという。ただし、その時点での計画は「世界最速で最良の市販車」という曖昧なものであった。1990年1月には[[イギリス]]の[[サリー州]][[ウォキング]]にあるマクラーレンの施設で原型となる計画が始動した。マレーは設計を進め、1990年の3月には基本要件が決定した<ref>{{Cite journal|和書 |author=沢村慎太朗 |title=マクラーレン ロードカーの真実 |journal=AUTOCAR JAPAN |volume=139 |year=2014-12 |publisher=朝日新聞出版 }}</ref>。設計にあたり従来のスーパーカーの性能や特性を分析した後、フォーミュラ1で得られた技術や経験を基に、開発チームが軽量化や[[ダウンフォース]]の向上など、あらゆる視点で車両の見直しを図った<ref name=mclaren />。マクラーレンの目標はコンパクトで軽量なオールラウンドに性能を発揮できる、純粋なドライバーズカーを作ることだった。また、最先端の技術、ディティール、品質なども重要視された<ref name=EVO />。会社の設立やその準備、車両の開発のためにマレーが獲得した予算は850万[[スターリング・ポンド|ポンド]]で、決して潤沢とは言えない額であった<ref name=carmagazine >{{Cite web|author=carmagazine |url=https://www.carmagazine.co.uk/features/car-culture/mclaren-f1-the-inside-story-by-peter-stevens-gordon-murray/ |title=McLaren F1: the inside story by Peter Stevens, Gordon Murray |publisher=carmagazine |accessdate=2022-05-23 }}</ref>。
[[ファイル:1996 McLaren F1 open.jpg|thumb|right|220px|ドア開放状態]]
[[ファイル:Orange McLaren F1 interior.jpg|thumb|right|220px|中央の運転席と左右の助手席という特徴的な配置]]
[[ファイル:1996 McLaren F1 luggage.jpg|thumb|right|220px|ボディサイドの荷物スペース]]
[[ファイル:1996 McLaren F1 engine.jpg|thumb|right|220px|金箔が貼られるエンジンルームとS70/2型 V12エンジン]]
[[ファイル:McLaren F1back.jpg|thumb|right|220px|リアビュー]]
[[バタフライドア]]、[[グループC]]カーを連想させるような戦闘的かつ空力を有効活用するスタイリングなど特徴は多岐に渡るが、この車の最大の特徴は、非凡な運動性を実現すべく、重量配分に関わるレイアウトを徹底的に煮詰めているところにある。


[[エクステリア]]と[[インテリア]]を担当したのはデザイナーの{{仮リンク|ピーター・スティーブンス|en|Peter Stevens (car designer)}}である。ピーターはマクラーレン以前は[[ロータス・エラン]]や[[ロータス・エスプリ|エスプリ]]、[[ジャガー・XJR-15]]の設計に関わっており、その後F1の計画に参加した。[[ロータス・カーズ]]からも数人が開発のために移籍した<ref name=carmagazine /><ref >{{Cite web |url=https://www.peterstevensdesign.co.uk/design/mclaren--f1 |title=McLaren F1 |publisher=peterstevensdesign.co.uk |accessdate=2022-05-23 }}</ref>。
まず、ドライバーシートがセンターに置かれ、その左右に若干後退して助手席が配置される、市販車としては類を見ない独創的な3人乗りになっている<ref>ドライバーが中央に着座するという特異な配置は[[コンセプトカー]]ではあるが、[[フェラーリ・365P]]「グイダ・チェントラーレ」がすでに先例として存在していた。</ref>。これは、運転手1人だけが乗車していることを仮定して、運転席を中央に配置することにより、左右どちらかへの重量の偏りを防いでいるものである。さらに左右のホイールハウスによるスペース上の干渉が避けられるため、ペダルの配列の自由度が向上するメリットもある。そういった配慮はシート配置だけではなく、エンジンなどの重量物はもちろんのこと、[[トランク (自動車)|トランクルーム]]でさえも、運動性能向上のためには望ましい[[ホイールベース]]の内側に入れてしまう徹底ぶりである。ただし、スペアタイヤはスペースの関係上搭載が不可能だったため、代わりに応急パンク修理キットが用意されている。またフロントバルクヘッドに[[ステアリングギアボックス]]のケーシングを一体成形で設けているという点も特筆される。


[[ファイル:McLaren F1 GT, GIMS. 2015 (Ank Kumar, INFOSYS Limited) 13.jpg|thumb|left|200px|特徴的なセンターシート形状]]
ボディはF1マシン譲りの[[炭素繊維強化プラスチック|カーボン]][[コンポジット]]材で成型された軽量[[モノコック]]ボディで、40点以上のピースを[[接着剤]]で組み合わせる構造を持ち、フロアには[[アルミニウム|アルミ]][[ハニカム構造|ハニカム]]をカーボンファイバー材で挟み込んだ高[[剛性]][[素材]]が使用されている。徹底的に[[金属]]素材の使用を排除していった結果、モノコックボディ単体で180 kg、エンジンなどを含めた総重量で1,140 kgと、驚異的な軽さに仕上がっている。なお、このカーボンファイバーの焼成に使用された[[オートクレーブ]]は、マクラーレン・カーズの本社から少し離れたギルフォードにある施設で製作されたが、元々この施設は[[ジョン・バーナード]]が機材ごと施設を売却した[[スクーデリア・フェラーリ]]のコンポジットファクトリー「ギルフォード・テクニカル・オフィス (GTO) 」そのものである。ドアミラーは当初、[[フォルクスワーゲン・コラード]]の流用品を使用していたが、途中から[[BMW・Z1]]の部品に変更されている。
[[ファイル:1996 McLaren F1 luggage.jpg|thumb|right|200px|車両側面に存在するトランクルーム]]
運転席が中央にあるセンターシートのレイアウトはフォーミュラ1で得た経験を反映したものとされ、ドライバーの視覚的・動的な情報を即座に反映できるよう意図したものだった<ref name=EVO />。計画のチーフデザイナーであるマレーは、1969年からこの1+2のシートレイアウトの研究を続けてきたという<ref name=mclaren />。運転席が中央にあるためフロントガラスには左右どちらにも[[バックミラー]]がついている<ref name=classicandsportscar>{{Cite journal|和書 |title=In a class of its own |journal=クラシックカー&スポーツカー |volume=5 |year=2015-12 |publisher=ACJマガジンズ }}</ref>。荷物を入れる[[トランク (自動車)|トランクルーム]]は、車体の両側の助手席とリアタイヤの中間のホイールベース内側に存在している<ref name=autocar >{{Cite web |url=https://www.autocar.jp/post/62333 |title=マクラーレンF1 |date=2013-12-31 |publisher=AUTOCAR JAPAN |accessdate=2022-05-24 }}</ref>。F1は良好なハンドリングと操縦性を求め、エンジンやギアボックス、燃料、乗員、荷物など、すべての重量物を重心近くに集中させ重心高を低く抑えることで[[慣性モーメント]]を抑制する設計となっている<ref name=EVO />。


市販車では世界初となるカーボンファイバー製のシャシーを採用している。車重は1トンを切ることを目標とし、エンジン出力は最低でも550馬力が求められた。カーボン製の[[ブレーキディスク]]も開発していたが、公道での速度域や雨天時の低温状態で十分に作動させることが困難であったため、最終的に[[鋼|スチール]]製が採用された<ref name=roadandtrack>{{Cite web|author=PAUL FRERE |url=https://www.roadandtrack.com/new-cars/first-drives/reviews/a5339/performance-tests-first-drives-flashback-1994-mclaren-f1/ |title=1994 McLaren F1: First Drive Flashback |publisher=ROAD AND TRACK |accessdate=2022-05-24 }}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.autocar.jp/post/805440 |title=時代の最高速モデル 1990年代 マクラーレンF1 3シーターにNA V12で386.4km/h |publisher=AUTOCAR JAPAN |accessdate=2022-05-24 }}</ref>。軽量化のため[[パワーステアリング]]はなく、ブレーキに[[サーボ機構]]や[[アンチロック・ブレーキ・システム|ABS]]などは装備されていない<ref name=classicandsportscar />。
エンジンルーム内側は遮熱のために[[金箔]](22金)が貼り付けられ、エギゾーストパイプおよび[[マフラー (原動機)|マフラー]]は[[インコネル]]製、その上、車載[[工具]]やウィンドウウォシャー液タンクのフタまでも[[チタン]]合金の削り出しと、高価な素材が本当に惜しげもなく使用されている。金箔による遮熱手法は[[レーシングカー]]では割とよく行われており(ただし、金は重いので金箔といえども大量には使えない)、エギゾーストパイプも追突事故の際は衝撃吸収材として機能する配置にされるなど、実績のあるものを適材適所で妥協なく使用する手法を取りつつ、それらをロードユースにも適合させるという、極めて困難と思われる課題も非常に高いレベルで実現している。


[[ファイル:1996 McLaren F1 open.jpg|thumb|left|200px|ディヘドラルドアやトランクを開いた状態]]
ミッドシップにマウントされている[[エンジン]]は[[BMW M|BMWモータースポーツGmbH]]製で、元は[[BMW・8シリーズ]]に同社が手を加えた「[[BMW・8シリーズ#M8|M8]]」に搭載されるはずであったが、結局生産されずにお蔵入りとなってしまったものである。[[BMW・8シリーズ#S70エンジン|S70/2]]型と命名されたこのエンジンは6.1 L [[V型12気筒]][[DOHC]][[マルチバルブ|48バルブ]]で、最高出力はリッターあたり100[[馬力|bhp]]を超える627bhpを発生する。当時「世界で最も出力の高いクルマ」として[[ギネス・ワールド・レコーズ]]に認定された。
センターシートは構造的に乗降が難しくなるため、[[屋根|ルーフ]]の大部分が開く構造が必要であった。採用されたディヘドラルドアはルーフだけでなく、足元部分のスペースも確保できるため乗降性の問題は解決した。開発時には、同様の機構を持つ[[トヨタ・セラ]]のドアを使い研究を行った。また、ピーター・スティーブンスは[[ポルシェ・962]]の開発に関わっていたこともあり、高速時でも頑丈なドア構造を理解していた<ref name=carmagazine />。


[[ファイル:Mclaren-f1-1996-engine-v12-s70-02 (1).jpg|thumb|right|200px|F1に搭載されているBMW製 S70/2型 V12エンジン]]
ロードカーとはいえども、エンジンの特性そのものはレーシングカーに近く、[[フライホイール]]を持たないエンジン本体の鋭いレスポンスもさることながら、カーボン製小径[[クラッチ]]プレートを使用した多板式クラッチの[[質量#慣性質量|慣性質量]]の低さがそれに寄与している。当初はホンダから[[V型8気筒]]もしくは[[V型10気筒]]エンジンの供給を望んでいたが、マレーの再三の要請にも自前のNSXですでに赤字を出していたホンダは応えず、[[ブラバム]]F1時代のつてを頼ってBMWから供給してもらうこととなった。
当初マクラーレンはフォーミュラ1で提携しエンジン供給を受けていた[[ホンダ]]に対し、[[V型10気筒|V10]]またはV12エンジンの設計・開発と供給を望んでいた。しかし、ホンダは将来の[[マーケティング]]の観点から、V12などの[[オーバースペック]]なエンジンの製造は不適当と判断したためエンジンの供給を断った。[[いすゞ]]は3.5リッターV12エンジンを提案したが、レースでの実績が無いためマレーに断られた。最終的に、かつて[[ブラバム]]でマレーと付き合いがあり、[[BMW]]に所属している{{仮リンク|ポール・ロッシュ|en|Paul Rosche}}がV12エンジンを手掛けた<ref name=carmagazine /><ref name=motor1 >{{Cite web|author=Tyler Heatley |url=https://uk.motor1.com/news/175756/everything-need-know-mclaren-f1/ |title=Everything You Need To Know About The McLaren F1 |date=2017-01-26 |publisher=motor1 |accessdate=2022-05-24 }}</ref>。


マレーはF1の乗り心地とハンドリングの設計基準として、[[ホンダ・NSX]]の名を上げている。NSXのサスペンションは乗り心地の良さと操縦性を両立させるため、[[ホイール]]の動きに自由度を持たせる縦型のコンプライアンス・ピボットを採用していた。マレーはこのサスペンションシステムから得たインスピレーションが、F1のサスペンションの開発に繋がったと語っている。また、F1もNSX同様に、当初から日常的に使用されることを想定し開発されていた。NSXの他にも、[[フェラーリ・F40]]、[[ランボルギーニ・カウンタック]]、[[BMW・M1]]、[[ポルシェ・959]]、[[ブガッティ・EB110]]などがF1のベンチマークとして上げられている<ref>{{Cite web|author=CHRIS PERKINS |url=https://www.roadandtrack.com/car-culture/a28632/acura-nsx-mclaren-f1-gordon-murray/ |title=How the Original Acura NSX Was a Huge Influence on the McLaren F1 |date=2016-03-29 |publisher=Road And Track |accessdate=2022-05-25 }}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.honda.co.jp/auto-archive/nsx/2005/special/nsx-press/press35/museum02/ |title=NSX ミュージアム |publisher=Honda |accessdate=2022-05-25 }}</ref>。
エンジン本体には[[トラス]]状の構造物が頑丈に溶接されており、これを車体側の上下計4か所のジョイントで剛結する構造となっている。これによってエンジンの脱着を楽にすることで整備時のサービス性向上を図っているほか、エンジンそのものを車体の[[応力|ストレス]]メンバーとして、[[シャシ (自動車)|シャシー]]と一体化することを実現している。


トランスミッションは[[シンクロメッシュ]]機構を持つ6速マニュアルで、フォーミュラ1や[[ル・マン24時間レース|ル・マン]]、[[インディカー・シリーズ|インディーカー]]で勝利を収めている[[カリフォルニア]]のトラクション・プロダクツ社と共同開発した。当初は軽量化のため[[マグネシウム]]製のトランスミッションハウジングを装備していたが、[[オーバーヒート]]の問題のため最終的に[[アルミ]]製を使用した。[[ギア比]]の設定は、0-160mph (257km/h)用に[[クロスレシオトランスミッション|クロスレシオ]]の1-5速と、クルージングや高速走行を考えたワイドレシオの6速となっている<ref>{{Cite web|author=MÁTÉ PETRÁNY |url=https://www.roadandtrack.com/car-culture/classic-cars/a19862056/even-the-mclaren-f1s-gearbox-has-an-amazing-story/ |title=Even the McLaren F1's Gearbox Has an Amazing Story |date=2018-03-29 |publisher=Road And Track |accessdate=2022-04-19 }}</ref><ref>{{Cite web|author=SAM SMITH |url=https://www.roadandtrack.com/car-culture/a29078059/mclaren-f1-gtr-and-senna-magazine-drive/ |title=Big Mac Special |date=2020-02-06 |publisher=Road And Track |accessdate=2022-05-25 }}</ref>。
[[ラジエーター]]は車体前方の左右に2分割して搭載され、ドアサイドに大きく刻まれた斜めのラインに沿って、フロントホイールハウスの気流とともに排気、放熱される。また、マレーが[[ブラバム]]時代に製作したF1マシンの[[ブラバム・BT46]]と同じく、車体下面に流れ込んだ気流を吸い出す[[送風機|ファン]]を採用している。さらにリアエンドのリップ[[エアロパーツ|スポイラー]]が速度に感応してリフトアップするなどの[[空気力学|空力]]デバイスを装備している<ref>この機構は後にメルセデス・ベンツと共同開発する[[メルセデス・ベンツ・SLRマクラーレン|SLR]]や、直系の後継車である[[マクラーレン・MP4-12C|MP4-12C]]にも搭載されている。</ref>。


[[ファイル:1996 McLaren F1 Chassis No 63 6.1 Rear.jpg|thumb|right|200px|リアビュー、スポイラーは停車時には収納されている。]]
ギアボックスは、ワイズマン製Hパターンの6速シンクロメッシュ式[[トランスミッション]]を横置きで搭載する。エンジンに組みつけられた状態でも非常にコンパクトであり、またリア[[サスペンション]]のアームもギアボックスに取り付けられ、サスペンションからの[[負荷]]を負う構造となっていて、この辺りもレーシングカーの常套手段を取り入れた設計となっている。車輌自体のコンパクト化を実現するため、スペースの問題から[[シフトレバー]]とトランスミッションをロッドでリンクさせることが難しく、[[ワイヤー]]リンケージで連結し動作させる方式を採用している。
[[空気力学|空力]]性能の面では、車両後部に可変式の[[スポイラー (自動車)|リアスポイラー]]が装備されている。このスポイラーは走行時には収納されているが、ブレーキング時に展開し[[空力ブレーキ|エアブレーキ]]としても機能する他、ブレーキを冷却するために[[エアインテーク]]内に空気を取り入れられる仕組みになっている。F1は[[グラウンド・エフェクト]]を利用しダウンフォースを得る構造となっており、その効果を高めるためにボディ下面を流れる[[境界層]]の気流を強制的に排気する電動ファンを備える。マレーは自身の設計した[[ブラバム・BT46]]で既にこの気流を強制排気する”[[ファンカー]]”機構を採用していた。これらの空力の設計には、マクラーレンのフォーミュラー1マシンが開発される[[風洞]]と同じ施設が使われた<ref name=EVO /><ref name=GENROQweb />。


電子制御システムは、マクラーレンの関連会社でフォーミュラ1の電気系統も担当する[[マクラーレン・エレクトロニック・システムズ|TAGエレクトロニック・システムズ]]と共同で開発した。制御システムはエンジンの使用状況をモニターし、温度変化、回転数、不十分な[[暖機運転]]時の高負荷などを記録し、メンテナンス時に不具合の特定をすることができる。その他にも車内に[[電話回線]]を設置し、マクラーレンに情報を直接送り車の故障個所を特定してサポートを受けることなどができる<ref name=EVO />。
ブレーキシステムは前後とも[[ブレンボ]]製4ポット。ディスクは冷却性が向上するドリルド・ベンチレーテッド[[ディスクブレーキ|ディスク]]で、[[ブレーキキャリパー|キャリパー]]は剛性の高いモノブロック式となっている。当初、F1マシンにも採用されているカーボンディスクブレーキも検討されたが、ロードカーとしての実用面での問題を解決することができずに見送られた(後のGTRでは実現している)。


視認性を向上させるため、フロントやサイドのガラスには従来の温風を吹き付ける[[デフロスター]]ではなく、電気で加熱するガラスを採用することとした。この要求に応じるため[[サンゴバン]]社と協力し専門のチームが編成された。開発された[[ラミネート]]加工のガラスは素早い霜取りや除氷だけでなく、熱の侵入を20%、紫外線の侵入を85%低減することができた<ref name=EVO />。
サスペンションは前後とも[[ダブルウィッシュボーン式サスペンション|ダブルウィッシュボーン式]]で、フロント側はインボードにマウントされた[[ばね|コイルスプリング]]と[[ショックアブソーバー|ダンパー]]をアルミ[[鋳造]]製のロッカーアームを介しロッドを押す、[[プッシュロッド]]式が採用されている(リア側は一般的なアウトボード式)。


専用の音響機器の開発を行うため、[[ケンウッド]]も当初から計画に参加している。ケンウッドは当初音響システムの重量を37.5ポンド(約17kg)と提案したが、マレーはその半分の重量しか容認できないとした。最終的に開発されたシステムの重量は18.7ポンド(約8.5kg)であった。開発テストでは、最大1.5Gの負荷がかかっている状態でもシステムは正常に機能した<ref name=EVO /><ref name=roadandtrack />。
車輌の重量バランスと規定されていた重量を実現するため、車載工具は[[チタン]]合金であるほか、標準装備されている[[ケンウッド]](現・[[JVCケンウッド]] KENWOODブランド)製オーディオシステムも細かく重量が指定された特注品であるなど、重量に対するこだわりも特筆に価する。また「30秒で車内の空気が入れ替わる」と謳われた[[カーエアコン]]を搭載するなど、日常での使用にも応える快適性を持たせている。これは後述するGTRでもドライバーから「車内が暑くない」と言われたことからもわかる通り、動力性能一辺倒になって忘れ去られがちになる「快適性」という自動車にとって大切な性能の一つをしっかり押さえていたゴードン・マレーの視点の鋭さを垣間見る点でもある。
<!-- ベルガーいたずら説もあるので一概に車両特性の説明とはできない
マクラーレンF1の車両特性を語る逸話として、マクラーレン・レーシングのチーム監督である[[ロン・デニス]]が、[[鈴鹿サーキット]]でのデモンストレーション走行で自らこの車のチェックをするためにステアリングを駆ったが、スピンさせてクラッシュさせてしまった(ちなみに、横にはF1ドライバーである[[ゲルハルト・ベルガー]]も乗っていた。なお、この件についてはベルガーがサイドブレーキを引くイタズラをしたためだという説もある。)という過去があるが、これは要するに、1億円という金額を提示して購入する車であるのに、[[アンチロック・ブレーキ・システム|ABS]]や[[トラクションコントロール]]など、ドライバーに安楽な運転を提供する電子デバイスがほぼなにもなく、また操縦特性も極めてレーシングカー的(安定性が強く曲がりにくいがスピンもしにくい。しかし一旦スピンモードに入るとそれを止めるのは非常に困難)で、相応の運転技術を身につけたドライバーでなければ容易には操れないことを意味する。
-->


F1の搭載機器をテストするためプロトタイプ車両として、イギリスの{{仮リンク|アルティマスポーツ|en|Ultima Sports}}社の[[キットカー]]であるアルティマMk3が2台購入された。この2台はシャーシナンバー12と13で、ノーブルモータースポーツ社により供給された。アルティマMk3はF1の設計重量を下回り、プロポーションが似ていることで採用された。この2台はテストのため車体に大幅な改造が施された。シャーシナンバー12の車両はマクラーレンにより「アルバート」というニックネームか付けられ、本来搭載するBMW製V12エンジンの代わりに、同様のトルクを有する[[シボレー]]製[[V型8気筒|V8]]エンジンを使ってギアボックスのテストが行われた。この他にもセンターシートやカーボンブレーキのテストにも使用された。シャーシナンバー13の車両は「エドワード」というニックネームか付けられ、BMW製V12エンジンのテストの他、[[エキゾーストマニホールド|エキゾースト]]や冷却システムのテストに使われた。後にこの2台はマクラーレンにより機密保持のため破壊された<ref>{{Cite web |url=https://www.ultimasports.co.uk/History/McLaren |title=The McLaren Connection |publisher=ultimasports |accessdate=2022-05-24 }}</ref>。この2台の他にもエンジンテストのため、[[BMW・5シリーズ#3代目(1988年-1995年)E34|BMW・M5]]ワゴンにV12エンジンを搭載したプロトタイプが作られた<ref>{{Cite web|author=SEAN SZYMKOWSKI |url=https://www.motorauthority.com/news/1123704_there-s-a-secret-bmw-e34-m5-wagon-with-a-mclaren-f1-engine-in-it |title=There's a secret BMW E34 M5 Wagon with a McLaren F1 engine in it |date=2019-07-09 |publisher=MOTOR AUTHORITY |accessdate=2022-05-25 }}</ref>。
ノーマルの状態で最高速テストを行い371&nbsp;km/hの世界記録を達成したものの、これはあくまで参考記録であり、公式な記録ではないために非公認上の数値となっている。そのため[[ギネス・ワールド・レコーズ]]にも掲載されていない。


[[ファイル:Mclaren F1`s testing at Goodwood Circuit - 20 May 1993 (6953157111) (2).jpg|thumb|right|200px|シャーシナンバーXP3、フォグランプや方向指示器などが量産車両と異なる。]]
その後の1998年3月、[[ドイツ]]の[[ヴォルフスブルク]]にある9 kmの直線区間を有する[[フォルクスワーゲン]]のテストコース「エーラ・レッシェン」において、[[アンディ・ウォレス (レーサー)|アンディ・ウォレス]]のドライブによってほぼノーマルの状態で最高速テストを行い、391.0&nbsp;km/hを公式に記録した<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=vGBI_kGwqAk McLaren F1 - World Record 391 km-h on board camera]</ref>。この記録は最高出力発生回転数より上で得られたもので、もし7速トランスミッションを搭載していたとしたら最高速度は400 km/hを超えていたものと推測されている<ref>AUTO CAR JAPAN 2007/2 p.67</ref>。
F1の本格的な試作車両としては、シャーシナンバーXP1からXP5の5台が製作され様々なテストを行った。そのうちXP1は[[ナミビア]]での猛暑環境のテスト中に事故で大破している。240㎞/hを超えるスピードで走行中に、車が側溝に衝突したことが原因であった。ドライバーは奇跡的に生還したが、XP1は漏れ出たエンジン液がエキゾーストマニフォールドに引火し、焼失してしまった<ref>{{Cite web|author=Cameron KIRBY |url=https://www.whichcar.com.au/news/how-a-mclaren-f1-prototype-was-destroyed |title=How a McLaren F1 prototype was destroyed at 240km/h |date=2020-04-22 |publisher=whichcar |accessdate=2022-05-25 }}</ref>。
XP2は[[衝突試験]]用に製作され、XP1同様に大破し現存していない。プロトタイプと量産車両にはデザイン上の違いがいくつかあり、フロントの[[フォグランプ]]や[[方向指示器]]、リアのシングルタイプの[[テールライト]]などが異なっていた。量産車両のテールライトは[[ランボルギーニ・ディアブロ]]に使われている物と同じ部品で、[[イタリア]]のコボ社が製造を担当した<ref name=HAGARTY >{{Cite web|author=Máté Petrány |url=https://www.hagerty.com/media/news/mclaren-f1-with-single-taillights/ |title=Behold the McLaren F1 with single taillights |date=2019-12-13 |publisher=HAGERTY |accessdate=2022-05-25 }}</ref><ref name=autocarjapan>{{Cite web|url=https://www.autocar.jp/post/375856 |title=マクラーレンF1 vs マクラーレン720S 比較試乗 伝説はいまも |date=2019-06-08 |publisher=AUTOCAR JAPAN |accessdate=2022-05-25 }}</ref>。


マクラーレンによると、新車を購入した後の通常のメンテナンス間隔は9カ月と18カ月であり、[[ダンパー]]は10年、[[燃料タンク (自動車)|燃料タンク]]は5年の交換時期が定められている。将来的に車両を維持し続けるため、マクラーレンによりマグネシウムコーティングやブレーキパッドの材質など、新たな技術を用いたパーツの開発も継続して行われている。ボディカラーやインテリアの装飾部品なども同様に、オーナーの好みに応じて新たなものに更新することが可能であるという。<ref>{{Cite web |url=https://www.autocar.jp/post/374954 |title=マクラーレンF1 伝説のスーパーカー 意外なメンテナンス性 作業は慎重に |date=2019-06-09 |publisher=AUTOCAR JAPAN |accessdate=2022-05-25 }}</ref><ref name=GENROQ />。
価格は当時としては超高額で、「1億円のスーパースポーツカー」と言われた。この価格の中には、車載工具(FACOM製の[[チタン]]で作られた特注品)などのほか、マクラーレン・カーズ本社における購入者の体格、嗜好に合わせたシート合わせの代金などが含まれていた。フェラーリ・F40の市場での実勢価格も1億円程度だったことから、[[ロン・デニス]]は「より優れたマクラーレン・F1はフェラーリより売れる」と単純に考えていたが、当時はスーパースポーツの主な市場であった[[中東]]の[[富豪]]や[[北アメリカ|北米]]の[[富裕層]]にF1チームのマクラーレンの知名度が低く、また一般のドライバーでは乗りこなせない性能でもあるため、販売数は伸びなかった。


1992年5月28日、[[モナコGP]]においてマグネシウムシルバーで塗装されたF1が初公開された。その後、生産第一号車がオーナーの元へ納車されたのは1994年12月のことで、1998年まで車両の製造が続けられた<ref name=GENROQ /><ref>{{Cite web|author=GENROQweb編集部 |url=https://motor-fan.jp/genroq/article/4268/ |title=MSOによるスペシャルモデル「マクラーレン “アルバート” スピードテール」登場 |date=2021-08-05 |publisher=GENROQweb |accessdate=2022-05-25 }}</ref>
[[中古車]]を取引する場合、マクラーレン・カーズと購入希望者との直接交渉によって売買が成立するといわれる。また売却後はマクラーレン・カーズによって、大掛かりな[[オーバーホール]]を経て新車同様にリビルドされ、「アプルーブドカー」として新たなオーナーの元に届けられる。後にアフターパーツとして、レース仕様である「GTR」と同様の形状を持つフロントバンパーやサイドスカート、リアウイングといったエアロパーツをセットとした「ハイダウンフォースキット」を装着したロードカーの存在が確認されている。


== レース活動 ==
== メカニズム ==
=== エンジン ===
[[File:McLaren-BMW F1 GTR - Flickr - exfordy.jpg|220px|thumb|McLaren F1 GTR]]
[[ファイル:McLaren F1 GTR.jpg|thumb|220px|right|Mclaren F1 GTR Long tail]]
[[ファイル:1996 McLaren F1 engine.jpg|thumb|right|200px|エンジンルームを開いた状態。周りは金箔で覆われている。]]
BMWのグループ会社である[[BMW M|BMWモータースポーツ社]]から供給された”S70/2型”と呼ばれるエンジンで、6,064㏄バンク角60度のV型12気筒DOHC48バルブ自然吸気。最高出力は7400rpmで約627馬力、最大トルクは4000rpmから7000rpmの範囲で66.3kg・m以上を発生する。[[パワーウエイトレシオ]]は550ps/トン。[[ボアストローク比|ボア×ストローク]]は86mmx87mm、[[圧縮比]]10.5:1。[[アルミニウム]]合金製[[シリンダーブロック]]を備え、バルブハウジング、カムカバー、オイルポンプ等の部品は軽量なマグネシウム合金製。エンジン重量は付属機器を含めて約260kg、エンジンの全長は約60cm。エキゾーストは[[インコネル]]製<ref name=GENROQweb /><ref name=EVO /><ref name=autocar />。
[[ファイル:McLaren F1 LM.jpg|right|thumb|220px|McLaren F1 XP-LM(2006年の英国モーターショー)]]
採算を度外視し妥協することなく作られたこの車は、レースにおいてもいくつもの好成績を残している。


エンジンルームはコックピットや機器の保護を目的に、放熱性の高い22金の[[金箔]]を使った耐熱フィルムで覆われている。金は入手可能な素材の中で最も軽く、最も効果的な断熱材であるため採用された。エンジンルームだけで16gの金が使われている<ref name=GENROQweb /><ref name=motor1 />。
レース活動を行うにあたっては、[[BPRグローバルGTシリーズ|BPRGTシリーズ]](後の[[FIA-GT選手権]]を経て現・[[FIA GT1世界選手権|FIA GT1選手権]]の母体)に参戦していた「ジェントルマンドライバー」と呼ばれるアマチュアドライバーたちの要望に応えるかたちで始まり、'''マクラーレン・F1-GTR'''を供給した。外観は最低限の[[エアロパーツ|空力部品]]を追加しただけのように見えるが、中身の主要部品はレース用に再設計(レギュレーションに合わせ、エンジンの[[排気量]]も変更)された。ブレーキディスクもカーボンに変更されたが、温度管理等が難しく、カテゴリーによってはレギュレーションで禁止されたため、[[鋳鉄]]製ディスクローターも準備された。


=== シャシー ===
[[1995年]]の[[ル・マン24時間レース]]では、設計者のゴードン・マレーがクラッチやトランスミッションが24時間保つとは保証できないと懸念を隠さなかったが、決勝で雨が降り大荒れの展開となる中、[[J.J.レート]]/[[ヤニック・ダルマス]]/[[関谷正徳]]組が運転する国際開発UK<ref>実質的マクラーレンのワークスチーム。車輌はマクラーレンカーズが所有していたGTRの開発車輌であった。</ref>が総合優勝を果たした。しかし、[[ダウンフォース]]不足が露呈し、[[マウリツィオ・サンドロ・サーラ]]は「ダウンフォースがほとんどないに等しい」と言い切っていた。
市販車としては世界初となるカーボンファイバー製シャシーを採用している。このシャーシはリヤ[[フェンダー (自動車)|フェンダー]]などと一体成型されたセミ[[モノコック]]構造で、前方には[[クラッシャブルゾーン|クラッシュボックス]]を含む構成部品が配置され、衝突時の安全を確保している<ref name=GENROQweb />。ほとんどの主要構造は、2重のアルミニウム製[[ハニカム構造]]のパネルで強化されている。これらの設計・開発はコンピュータープログラムを用いて行われ、素材の厚さや繊維の方向を最適化させている。この結果シャシーは非常に高いねじり剛性を有している。モノコックは縦方向の2本のフロア[[梁 (建築)|ビーム]]と横方向のバルクヘッドを合わせることで強度を高めている。運転席の後部にはエンジンに空気を取り入れる為のエアインテークがあり、A[[ピラー]]、Bピラーと合わせて頑丈な生存空間をもたらしている。エンジンはストレスメンバーとしても機能し、2本の構造材を通してバルクヘッドに取り付けられている。エンジンマウントには振動やノイズを吸収するためのセミフレキシブルブッシュを採用している。また、エギゾーストも事故時などに衝撃を吸収する構造となっている。全てのカーボン構造はマクラーレンが所有する施設で製作された<ref name=EVO />。


=== サスペンション ===
この総合優勝を記念して、エンジンのパワーアップ他大幅な[[チューニングカー|チューニング]]を施し、空力パーツをGTRと同一とした限定車'''マクラーレンF1-LM'''が5台のみ製造、販売された。ル・マンで優勝を果たした車輌は、[[サルト・サーキット]]に隣接するル・マン・ミュージアムにドライバー3人の[[ヘルメット]]とともに展示された。現在はマクラーレン・カーズのアーカイブに保管されており、今でもその姿を見ることができる。
F1のサスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン構造で、ホンダ・NSXを参考に設計された。フロント側のサスペンションを接続するサブフレームは、コンプライアンスブッシュ通じてボディに取り付けられ、縦方向に大幅な柔軟さを有している。これは安定性と操縦性の両立を意図して設計された。リアサスペンションはロアアームがギアボックスに取り付けられ、そのギアボックスは弾性を持たせボディに取り付けられている。これにより、サスペンションにかかる負荷は剛性の高い車体へ伝わる構造となっている<ref name=autocar />。


ダンパーは[[ビルシュタイン]]によってF1用に設計開発されたもので、レース用の製品が元となっている。このダンパーはアルミニウム製で放熱性を30%向上させている<ref name=EVO />。
1996年にはエンジンの搭載位置を20mm下げて[[重心]]を下げるなどの小改良を施したが、この年登場した[[ポルシェ・911 GT1|ポルシェ911GT1]]に苦戦を強いられる。ル・マン24時間レースの結果は総合4位がやっとで、ル・マン制覇のみを目標として開発された純レーシングマシンのポルシェ911 GT1には歯が立たなかった。

=== ブレーキ ===
装着されているブレーキはイタリアの[[ブレンボ]]と協力して開発したもの。市販車としては初となるフォーミュラ1と同じタイプの一体鋳造のアルミニウム製4ピストン[[ブレーキキャリパー|キャリパー]]と、ベンチレーテッドディスクを組み合わせている。[[パーキングブレーキ|ハンドブレーキ]]キャリパーもアルミニウム製でブレンボによって開発された。車を高速域から安全で効率的に減速させるため、ブレーキの冷却には新システムが導入された。このシステムはスピードセンサーとブレーキセンサーが電子制御され、十分な負荷がかかったブレーキング時のみブレーキ冷却用のエアインテークダクトが自動的に開く仕組みとなっている。ダクトが閉じている間は空気抵抗を減らすことができる。ABSやブレーキサーボは重量削減のため装備されていない<ref name=EVO />。

=== タイヤ・ホイール ===
[[タイヤ]]には[[グッドイヤー]]による専用設計品が使われている。ハンドリングと操縦性のため開発初期の段階からタイヤは重要視されていた。グッドイヤーはレースにおいてマクラーレンと1968年からパートナーとなっていた。サイズはフロントが235/45ZR17、リアが315/40ZR17。[[トレッドパターン]]は非対称で回転方向が定められている。17インチというタイヤサイズは重量や接地面の形状を考慮して採用された。車両の軽量化のためスペアタイヤは備わっていないが、[[パンク]]修理キットは付属している。[[ホイール]]は[[O・Z (企業)|OZ]]製でタイヤと同じく専用に開発されたもの。マグネシウム合金で鋳造されている<ref name=EVO />。

=== インテリア ===
[[ファイル:Orange McLaren F1 interior.jpg|thumb|right|200px|インテリア]]
シートは前後に可動するが、[[ペダル]]と[[ステアリング・ホイール|ハンドル]]の位置は固定されており、購入者に合わせて個別に調節する必要がある。この調整作業は納車前にマクラーレンの工場で行われた<ref name=autocar />。

メーターパネル中央には最大8200rpmまで刻まれた[[タコメーター]]が配置され、レブリミットの7500rpmで点滅しシフトアップを知らせるライトが組み込まれている。右側には240マイル(約386km/h)スケールの[[速度計]]が配置されている。左側には燃料計、水温計、油温計が配置されている<ref name=GENROQweb /><ref name=autocar />。

運転席と助手席の間の仕切りにはCDプレイヤーと空調を操作するためのスイッチ類が配置されている<ref name=autocar />。

=== 付属品 ===
F1には専用品の鞄が複数付属しており、サイズの違う[[スーツケース]]、書類ケースなどで構成されている。この鞄はF1のトランクルームのサイズに合わせて作られており、スペースを最大限に利用できるようになっている。また、シートやハンドル、付属の鞄などは購入者の好みに応じて色を変えることもできた<ref name=EVO />。

付属工具はフランスの {{仮リンク|ファコム (工具)|label=ファコム|fr|Facom}}によってF1専用に開発されたのものが付属している。軽量化のため[[チタン]]製となっており、スチール製の工具よりも50%軽量であった<ref name=EVO /><ref name=mclaren />。

音響システムはケンウッドが専用に開発したもの。当時世界最小の10連装CD[[チェンジャーデッキ]]がフロント部分に設置してある。車内には5つの[[スピーカー]]が設置されている<ref name=EVO />。

F1の購入者には車内に収まるように設計された[[ゴルフクラブ]]のセットと、[[タグ・ホイヤー]]製のF1のロゴがついた腕時計が贈られた。当時タグ・ホイヤーはマクラーレンのフォーミュラ1のスポンサーであった<ref>{{Cite web |url=https://www.calibre11.com/mclaren-f1-watch/ |title=TAG HEUER 6000 MCLAREN F1 WATCH |date=2010-09-08 |publisher=Calibre 11 |accessdate=2022-05-26 }}</ref>。

== 性能 ==
=== 加速性能 ===
*0-30mph (0-48km/h): 1.8秒
*0-60mph (0-97km/h): 3.2秒
*0-100mph (0-161km/h): 6.3秒
*0-150mph (0-241km/h): 12.8秒
*30-50mph (48-80km/h): 0.9秒
*30ー70mph (48-113km/h): 2.1秒
*0-402m (0.25マイル): 11.1秒 (222km/h)
*0-1000m (0.62マイル): 19.6秒 (285km/h)
*30-50mph (48-80km/h): 1.8秒 (3速使用)
*50ー70mph (80-113km/h): 2.8秒 (5速使用)<ref>{{Cite journal|和書 |title=McLaren F1 |journal=AUTOCAR JAPAN |volume=100 |year=2011-09|pages=71 |publisher=株式会社ネコ・パブリッシング }}</ref>

=== 最高速度 ===
1993年にイタリアの[[ナルド・サーキット]]で行われたテストでは、371.7km/hの最高速度を達成した。この時に使われた車両はプロトタイプで、エンジンの出力は588馬力であった。F1以前の最高速度記録は[[ジャガー・XJ220]]の持つ349.2km/h(217mph)だった<ref name=autocarjapan1>{{Cite web|url=https://www.autocar.jp/post/805440 |title=時代の最高速モデル 1990年代 マクラーレンF1 3シーターにNA V12で386.4km/h |date=2022-04-24 |publisher=AUTOCAR JAPAN |accessdate=2022-05-26 }}</ref><ref name=roadandtrackspped />。

1998年に[[フォルクスワーゲン]]が保有する{{仮リンク|エーラ・レッシエン|de|Ehra-Lessien}}での走行試験では、フォーミュラ1ドライバーである[[アンディ・ウォレス (レーサー)|アンディ・ウォレス]]の操縦により386.4km/h(240.1mph)の最高速度記録を達成した。使用された車両はプロトタイプのシャーシナンバーXP5で、車はエンジンのレブリミットを8300rpmまで高めた以外ノーマル状態だったという。最初の走行では388km/h (241.1mph)を記録したが、ドライバーのウォレスはまだ車に余裕があると考えていた。2回目の走行でレブリミットが高められた結果、391km/h (242.956 mph)の最高速度を記録した。テスト後ウォレスは「391km/h以上は出ない」とも語っている<ref group="注釈">原文では”It will not go any more than 391”</ref>。最高速度記録は、風の影響を考慮して反対方向を含む2回の走行を平均して算出されるため、F1の公式な最高速度は386.4km/h(240.1mph)となった<ref name=roadandtrackspped /><ref name=autocarjapan1 /><ref>{{Cite web|author=Antony Ingram |url=https://www.hagerty.co.uk/articles/automotive-history/freeze-frame-the-240mph-mclaren/ |title=Freeze Frame: The 240mph McLaren |date=2022-03-30 |publisher=HAGERTY |accessdate=2022-05-26 }}</ref>。

== バリエーション ==
=== プロトタイプ ===
量産車両が製造される以前のプロトタイプ車両として、シャーシナンバーXP1からXP5の5台が作られ、様々なテストに用いられた。シャーシナンバーのXPは"e'''X'''perimental '''P'''rototype"(試験用プロトタイプ)を意味する。そのうち最初に作られたXP1はナミビアでのテスト中に事故で大破し現存していない。XP2は衝突試験用に作られ、実際に試験に用いられこちらも現存していない<ref name=autocarjapan /><ref name=roadandtrackspped />。現存する最古のF1であるXP3はゴードン・マレーに贈られ、彼が長らく所有していたが後年売却している<ref name=HAGARTY />。XP4はギアボックスの耐久テストに使用され、後にアメリカのコレクターに売却された<ref>{{Cite web|url=https://www.ultimatecarpage.com/chassis/2980/McLaren-F1-XP4.html |title=McLaren F1 |date=2015-08-07 |publisher=ultimatecarpage.com |accessdate=2022-05-26 }}</ref>。XP5は1998年に行われたテストで、量産車の最高速度記録を更新した、車はマクラーレンによって所有されている<ref>{{Cite web|url=https://www.ultimatecarpage.com/chassis/1148/McLaren-F1-XP5.html |title=McLaren F1 |date=2015-08-07 |publisher=ultimatecarpage.com |accessdate=2022-05-26 }}</ref>。

=== F1(通常モデル) ===
[[ファイル:Salon Privé London 2012 (7956725492).jpg|thumb|left|200px|マクラーレン・F1]]
1993年から1998年の間に合計で64台が製造された。

新車価格は1億円以上と高額だが、現在ではさらに高額なプレミア価格で取引されている。2021年、アメリカで行われた{{仮リンク|グッディング&カンパニー|en|Gooding & Company}}主催のオークションにシャーシナンバー029の個体が出品され、2046万5000ドル(22億5115万円)で落札された。この車両は新車時に日本にデリバリーされて以降、走行距離390kmというほぼ新車状態を保っており、唯一”クレイトンブラウン”と呼ばれるカラーリングを纏ったF1である<ref name=auction /><ref>{{Cite web |url=https://www.goodingco.com/lot/1995-mclaren-f1-1/ |title=1995 MCLAREN F1 |publisher=Gooding & Company |accessdate=2022-05-27 }}</ref><ref>{{Cite web|author=Sajeev Mehta |url=https://www.hagerty.com/media/buying-and-selling/this-brown-mclaren-f1-will-sell-for-blue-sky-money/ |title=This brown McLaren F1 will sell for blue sky money |date=2021-06-17 |publisher=HAGERTY |accessdate=2022-05-27 }}</ref>。

[[ファイル:McLaren F1 HDK (15431191211).jpg|thumb|right|200px|ハイダウンフォースキットを装備した車両]]
製造された車両の中には”ハイダウンフォースキット"<ref group="注釈">資料によっては”ハイダウンフォースパッケージ”と呼称される場合もある</ref>と呼ばれる[[エアロパーツ]]を装備した車両が8台存在する。ハイダウンフォースキットはフロントスプリッターや大型の[[リアウイング]]などのパーツで構成され、後期生産車のメーカーオプションだった。また、後年になってマクラーレンによりキットを取り付けた車両も存在する。この内、シャーシナンバー018と073の2台のみ下記のLM仕様にアップグレードされいる。その内容は680馬力まで強化されたエンジンとハイダウンフォースキット両方の装備などである<ref name=roadandtracklm /><ref name=Sothebys >{{Cite web|author=Andrew Miterko |url=https://www.sothebys.com/en/articles/the-ultimate-mclaren-f1-road-car-chassis-018 |title=The Ultimate McLaren F1 Road Car: Chassis 018 |date=2019-08-02 |publisher=Sothebys |accessdate=2022-05-26 }}</ref><ref>{{Cite web|author=CHRIS PERKINS |url=https://www.roadandtrack.com/car-shows/monterey-car-week/a22814050/mclaren-f1-014-for-sale/ |title=This Gorgeous McLaren F1 Is Yours for $22 Million |date=2018-08-23 |publisher=Road And Track |accessdate=2022-05-26 }}</ref>。

2019年、アメリカで行われた[[サザビーズ]]のオークションにこの2台のLM仕様車の内シャシーナンバー018の個体が出品され、1980万ドル(約21億円)で落札された。この個体は新車で日本に納車され、2000年から2001年の間に別のオーナーの元でLM仕様にアップグレードされていた<ref name=Sothebys /><ref>{{Cite web|url=https://www.autocar.jp/post/403062 |title=マクラーレンF1 LM仕様 21億円で落札 オークション記録を更新 |date=2019-08-22 |publisher=AUTOCAR JAPAN |accessdate=2022-05-27 }}</ref>。

=== LM ===
[[ファイル:1995 McLaren F1 LM 6.1.jpg|thumb|right|200px|マクラーレン・F1 LM]]
1995年のル・マン24時間レースでの優勝を記念して作られたモデル。車名のLMはル・マン('''L'''e '''M'''ans)を意味する。エンジンがチューニングされ約680馬力まで出力が増している他、レースモデルであるGTR同様のフロントスプリッターやリアウイングなどのエアロパーツを装備している。重量は2341ポンド(約1,062kg)。音響システムや防音設備は取り除かれ、車内にはドライバーと乗客の会話のためヘッドホンが備えられている。サスペンションのブッシュはゴム製からアルミ製に変更している<ref name=roadandtracklm /><ref name=LM2 >{{Cite web|author=JOHN LAMM |url=https://www.roadandtrack.com/car-shows/news/a17198/1996-mclaren-f1-lm/ |title=1996 McLaren F1 LM - Auto Shows |date=2011-04-29 |publisher=ROAD AND TRACK |accessdate=2022-05-27 }}</ref>。

プロトタイプが1台(シャーシナンバーXP1 LM)と、市販用の5台(シャーシナンバーLM1からLM5)の合計6台が製造された。この6台のうち4台はパパイヤオレンジと呼ばれるカラーに塗装され、残り2台はル・マンで優勝したレーシングモデルに似たグレーのカラーリングが施されている<ref name=roadandtracklm />。

プロトタイプはマクラーレン自身が所有し、市販用の5台はアメリカと日本に1台ずつ、そして[[ブルネイ]]の[[スルタン]]に3台が納車された<ref name=LM2 /><ref name=roadandtracklm />。

=== GT ===
[[ファイル:2015-03-03 Geneva Motor Show 5805.JPG|thumb|left|200px|マクラーレン・F1 GT]]
[[ファイル:McLaren F1 GT, GIMS. 2015 (Ank Kumar, INFOSYS Limited) 08.jpg|thumb|right|200px|F1 GT リアビュー]]
1997年に後述のF1 GTRのレース出場の公認([[ホモロゲーション]])を得るために作られたモデル。全長4,928mm、全幅1,940mm、全高1,200mmで、通常モデルと比較して全長は60cm以上長く、全幅は10cm以上広くなっている。一方でエンジンやトランスミッションは通常モデルと同じものが使用されている。全長、特に車両後部が延長されているため、”ロングテール”とも呼ばれる<ref name=TopSpeed >{{Cite web|author=Ciprian Florea |url=https://www.topspeed.com/cars/mclaren/1997-mclaren-f1-gt-ar170776.html |title=1997 MCLAREN F1 GT |date=2015-08-18 |publisher=Top Speed |accessdate=2022-05-27 }}</ref>。

1997年の[[FIA GT選手権]]でGT1クラスのホモロゲーションを得るには、少なくとも1台の公道走行可能な車両を製造・販売する必要があった。そこでマクラーレンは97年型のレーシングモデルの製造と並行して、ホモロゲーション取得用の市販車であるF1 GTを製造した。F1 GTは既に95年にホモロゲーションを取得していた通常モデルのバリエーション(variante option)として認証された<ref>{{Cite web|language=french |format=PDF |author=Fédération Internationale de l'Automobile |url=https://historicdb.fia.com/sites/default/files/car_attachment/1601080801/homologation_form_number_1_group_gt1__0.pdf|title=MCLAREN F1 |publisher=FIA Historic database |accessdate=2022-05-28 }}</ref>。当初マクラーレンは、ホモロゲーション取得ため1台のみ車両を生産する予定だったが、顧客の要望に応えるために、さらに2台のF1 GTが製造された<ref name=TopSpeed /><ref name=HAGERTYgt >{{Cite web|author=Ciprian Florea |url=https://www.hagerty.com/media/automotive-history/full-story-of-mclaren-f1-gt-and-worlds-greatest-car-brochure/ |title=The full story of the McLaren F1 GT and the world’s greatest car brochure |date=2020-03-23 |publisher=HAGERTY |accessdate=2022-05-27 }}</ref>。

製造された3台のF1GTの内、シャシーナンバー56XPGTはプロトタイプでマクラーレンが所有している。2台製造された市販モデルは、シャシーナンバー54F1GTがブルネイへ納車され、シャシーナンバー58F1GTは日本へ納車された<ref name=HAGERTYgt />。

== モータースポーツ ==
=== 概要 ===
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=競技車両
| 車名=マクラーレン・F1 GTR
| 1枚目画像の説明=1995年モデル
| 1枚目画像名=1995McLaren-BMWF1GTR.jpg
| 2枚目画像の説明=1997年モデル
| 2枚目画像名=FoS20162016 0624 104945AA (27886441395).jpg
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=

| エンジン=6,064cc V型12気筒(1995年)<br />5,999cc V型12気筒(1997年)
| エンジン位置 =[[ミッドシップ]]
| 最高出力=600ps
| 最大トルク=
| トランスミッション=6速MT(1995年)<br />6速[[シーケンシャルマニュアルトランスミッション|シーケンシャル]](1997年)
| 駆動方式=後輪駆動
| サスペンション=ダブルウィッシュボーン
| 全長=4,367 mm(1995年)<br />4,933 mm(1997年)
| 全幅=1,900 mm(1995年)<br />1,920 mm(1997年)
| 全高=1,090 mm(1995年)<br />1,200 mm(1997年)
| ホイールベース=
| 車両重量=1,050 kg(1995年)<br />915 kg(1995年)
}}


1993年に[[グループC]]カーによるレースカテゴリが消滅し、代わって高性能な市販[[スポーツカー]]を使った[[グランツーリスモ|GTカー]]規定が導入されると、一部のプライベーターによりマクラーレン・F1でGTレースに参戦したいという要望が上がった。1995年シーズンが近づくにつれその声は増え、レーシングドライバーの[[レイ・ベルム]]、レーシングドライバーであり銀行家の{{仮リンク|トーマス・ブシャー|de|Thomas Bscher}}らがマクラーレンにアプローチした。しかしゴードン・マレーはF1をレース用として設計しておらず、信頼性、性能の点から当初はレース参戦に否定的であった。最終的にプライベーターの要望に応えることになり、マクラーレンは[[グループGT1 (1990年代)|GT1]]レギュレーションに適合するレース仕様車であるF1 GTRを開発するに至った。マクラーレンの計画では5台を顧客に販売すれば開発費を取り戻せると計算された。元々F1はレーシングカーの技術を使った設計開発、素材の使用をしているため、レーシングカーそのものへ転用することは難しいものではなかったという<ref name=GT1 /><ref>{{Cite web||url=https://www.mclaren.com/racing/heritage/cars/1995-mclaren-f1-gtr/ |title=F1 GTR |publisher=McLAREN |accessdate=2022-05-27 }}</ref><ref name=f1 >{{Cite web|author=Wouter Melissen |url=https://www.ultimatecarpage.com/car/349/McLaren-F1.html |title=McLaren F1 |date=2015-08-07 |publisher= Ultimatecarpage.com |accessdate=2022-05-27 }}</ref>。
1997年、[[ポルシェ・911 GT1|ポルシェ911GT1]]や[[メルセデスベンツ・CLK-GTR|AMGメルセデスCLK-GTR]]に対抗すべく、設計を一からやり直し、前後[[オーバーハング (自動車用語)|オーバーハング]]を伸ばして空力特性を向上させた'''マクラーレンF1-GTR 1997'''(通称:'''ロングテール''')で、FIA-GT選手権およびル・マン24時間レースに参戦。ル・マン24時間レースにて総合2位を獲得した。[[ホモロゲーション]]車輌として、「Road version」が3台製作されている。搭載エンジンがBMW製だったこともあり、BMWのワークス活動においても使用された。


[[ファイル:McLaren F1 Le Mans interior (42707018544).jpg|thumb|left|200px|マクラーレン・F1 GTRのインテリア]]
日本国内では、[[1996年]]の[[全日本GT選手権]](現[[SUPER GT]]、GT500クラス)にチーム・[[ラーク (たばこ)|ラーク]]・マクラーレン(後の[[チーム郷]])が参戦し、総合優勝(ドライバーズタイトル、チームタイトルの二冠)を果たしている。しかし、あまりの強さゆえに車輌規定の在り方をめぐって日本製GTカーとの軋轢を起こすことになり、1997年より採用予定であった車輌規定を前倒しするかたちで「日本車重視のマクラーレン潰し」とも取られかねない性能調節が行われた。結果としてチーム・ラーク・マクラーレンは[[全日本GT選手権|GTアソシエイション]]から[[抗議]]脱会してしまい<ref>脱会後は[[ピット]]の位置も端の方に追いやられていた。</ref>、チャンピオンになったにもかかわらず、GTオールスター戦にも呼ばれず年間表彰にも招待されないという禍根を残した。もっとも当時の全日本GTのレベルからすれば、マクラーレンの参加は「[[フォーミュラ3|F3]]のレースにF1マシンが出走する」ようなもので、そもそも「場違いな存在」だった。たとえば問題のシーズン中のルール変更以前に、当初から600馬力以上あったエンジン出力は400馬力ほどまでデチューンされていたが、それでも圧倒的に速かった。また、[[バブル景気]]崩壊後に限られた予算でマシンを開発していた日本勢からは、大金で買ったマシンで参戦するスタイルも反感を買っていた。しかし流麗かつスタイリッシュなマシンは各地で高い人気を集めた。
1995年1月、マクレーレンによってF1 GTRが発表された。[[ロールケージ]]や[[消火器]]などの安全装備の他、フロントスプリッターや大型のリアウイングなどのエアロパーツが装着され、ノーズとサイドにはエアインテークが追加されている。市販車では採用されていなかったカーボンブレーキも装備された。サスペンションのゴム製ブッシュはアルミ二ウム製の頑丈な部品に変更されている。通常モデルと比較してエンジンはレース用に改良が施されていたが、[[リストリクター]]によって出力は約600馬力まで制限されていた。軽量化が施された結果重量は約1050kgまで抑えられたため、パワーウエイトレシオは通常モデルより高くなった。完成した車両は[[BPRグローバルGTシリーズ]]やル・マン24時間レースに参戦するためカスタマーに提供された。一方で公道での乗り心地を重視した市販車が元となっているため、レースではモノコックの剛性不足の問題を抱えていたという。1995年には9台のF1 GTRが製作された<ref name=GENROQ /><ref name=GT1 /><ref name=f1 /><ref name=GTR >{{Cite web|author=Ciprian Florea |url=https://www.topspeed.com/cars/mclaren/1995-1997-mclaren-f1-gtr-ar704.html |title=1995-1997 MCLAREN F1 GTR |date=2016-07-06 |publisher=Top Speed |accessdate=2022-05-27 }}</ref>。


1996年には前年型を改良したモデルが製作された。フロントスプリッターやリアウイングはさらに大型の物になり、修理時に素早く取り外しができるようボディワークも改良された。重心を下げるためエンジンの搭載位置が下げられ、より軽量化されたマグネシウム製のギアボックスのハウジングが採用された。1996年にも9台のF1 GTRが製造され、95年型の内2台が最新の仕様に更新された<ref name=GTR /><ref name=F1GTR >{{Cite web|author=Wouter Melissen |url=https://www.ultimatecarpage.com/car/352/McLaren-F1-GTR.html |title=McLaren F1 GTR
1997年シーズン終了後は、ル・マンやイギリスGT選手権などに細々と出場していた他は売却、保管され、事実上レースの第一線から退くことになるが、全日本GT選手権では[[2003年]]までその命脈を保ち続けたほか、スポット参戦も含めればシリーズがSUPERGTとなった[[2005年のSUPER GT|2005年]]まで参戦が行われている。
|date=2015-02-20 |publisher=Ultimatecarpage.com |accessdate=2022-05-27 }}</ref>。


{{Multiple image|align=left|direction=vertical|width=200
ロードゴーイングカーベースのGTレースカーとして不動の位置を保ち、その一方でゴードン・マレーが頑なに守った「まずロードカーありきのGTレースカー」というジレンマの中で、結果としてGT1カテゴリーの開発の激化を招くなど、GTレーシングの意義を問う過渡期に活躍したマシンである。
|image1=McLaren F1 GTR 2013 Goodwood Festival of Speed (9308479289).jpg
|image2=Stunning McLaren BMW F1 GTR 'Long Tail' - Flickr - Supermac1961.jpg
|footer=95年型(上)と97年型(下)の比較、97年型は車両前部・後部共にボディが延長されている。}}
1996年、[[ポルシェ]]は[[ポルシェ・911 GT1|911 GT1]]でBPRグローバルGTシリーズやル・マンに参戦し、多くのレースでF1 GTRを破り勝利をもたらした。これに触発されたマクラーレンは、96年型のF1 GTRから更に空力性能を進化させた97年モデルの開発を決定した<ref name=HAGERTYgt />。


96年までのF1 GTRは前後のオーバーハングが短く、ダウンフォースが不足することが露呈していた。そこで97年型のF1 GTRは車両前後ともにボディが延長され、ダウンフォースを得ると共に空気抵抗を減らす設計になっていた。フェンダーやリアウィングも大型化されている。延長された車両後部のボディ形状から、97年型はF1 GTR”ロングテール”とも呼ばれている。エンジン排気量は長寿命化と信頼性の向上を目的として、6,064㏄から5,999ccまで下げられているが馬力の低下は無い。エキゾーストはそれまで中央に4本出しであったが、左右各2本出しに変更されている。トランスミッションは6速MTから[[エクストラック]]社と共同開発した6段シーケンシャルミッションを搭載している。ギアチェンジは車両によって、シフトレバーを押してギアが上がり引いてギアが下がるものと、その逆の押してギアが下がり引いてギアが上がる両パターンが存在する。車重は915kgと大幅に軽量化されている。1997年型F1 GTRは合計で10台が製造された<ref name=GT1 /><ref name=HAGERTYgt /><ref name=f1 /><ref name=GTR /><ref>{{Cite web |url=https://www.youtube.com/watch?v=0q9a3zAx_vc&ab_channel=BestMOTORingofficial%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB |title=【ENG-Sub】乗ったぜ!! マクラーレンF1 GTR 土屋圭市【Hot-Version】1997 |date=2019-12-14 |publisher=Best MOTORing official ベストモータリング公式チャンネル |accessdate=2022-05-28 }}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.youtube.com/watch?v=B3QM63J116o&ab_channel=McLarenAutomotive |title=On-board with Kenny Bräck in the McLaren F1 GTR 'Longtail' |date=2015-12-01 |publisher=McLaren Automotive |accessdate=2022-05-28 }}</ref>。
== 車両バリエーション ==
; XP
: 先行[[プロトタイプ|試作車]]であり、車名の"XP"とは"e'''X'''perimental '''P'''rototype"(エクスペリメンタル・プロトタイプ)を意味する。全部で5台が製造され、各種のテストやパーツの比較検討に供された。1号車はアウター[[バックミラー]]がA[[ピラー]]に取り付けられるなど、後に登場する市販車とは若干外観が異なっている。1台が[[ナミビア]]でのテスト(高温での耐熱テスト)の最中にクラッシュして大破してしまう。


97年型のF1 GTRは大幅に変更されたボディを持つため、新たにホモロゲーションを得る必要があった。そのためには最低1台の市販車を製造する必要があるため、同じロングテールのボディ形状を持つF1 GTが製造された。97年型F1 GTRとF1 GTの製作は同時並行で行われた<ref name=HAGERTYgt />。
; F1
: 1993年12月25日に1号車がロールアウト、市販された。[[マクラーレン・オートモーティブ]]のWebサイトによると1993年から1998年の間に64台しか製造されていない。


[[メルセデス・ベンツ]]は1997年に[[メルセデス・ベンツ・CLK-GTR|CLK-GTR]]でGT選手権へ参戦するにあたり、プライベートチームから96年型のF1 GTRを譲り受け、独自のボディパネルを取り付けてエアロパーツの開発を行っていた<ref name=HAGERTYgt />。
; GTR 第1世代 (1994 - 1996)
: マクラーレンF1のレース仕様として1994年に登場。当初競技車輌として使用することに否定的な反応を示していたゴードン・マレーに対し、ロン・デニスと個人的な交友があったGTCモータースポーツのオーナー兼ドライバーであるレイモンド・ベルムなどがこのマシンのレース車両としての資質を見抜き、交渉の末GTレース専用車として登場した。外観上の差異は市販車に対し、リアウイングの装着、専用のフロントスポイラーおよび[[バンパー]]、サイドスカートなどのエアロパーツの装着、比較的軽微なものとなっている。フロントスポイラーの形態はチームによって2、3種類のバリエーションが存在する。エンジンは市販車の628psから[[リストリクター]]の装着により600ps程度に絞られている。


また、F1 GTRはレース用に開発されているが、後年になって公道走行が可能な仕様に作り替えられた車両も存在している。その際にはリストリクターの除去、[[三元触媒|触媒]]や助手席の追加などの改造が施された<ref name=GTR /><ref name=F1GTR />。
: 1996年にはウィークポイントであった重心の高い大排気量エンジンから来る[[ハンドリング]]の悪さを緩和するために、エンジンの取り付け位置を20mm下げる改良を施し、車両の重心を相対的に下げることでハンドリングの向上を図っている。また[[ル・マン24時間レース]]などにおける夜間走行時の[[輝度]]向上と視界確保の向上を狙って、[[前照灯|ヘッドライト]]が二つの盛り上がった透明な[[バルジ]]の中に収められた大型のものに変更された(通常のランプも継続して使用されている)。ライトポッド自体の取り付け位置もノーマルと比べ前進しているため、左右および前方の照射角度が広がり、夜間走行時のドライバーの心理的負担の軽減にも寄与している。ランプの交換はフロントカウルごと交換を行う。このランプの採用で、前年のル・マン24時間レースで使用していた補助ランプは廃されている。このほか、[[ワイパー]]のアームを細い物に交換するなど、さまざまな部位の軽量化が図られている。こうした細かい改良によってハンドリングの向上を成し得ている。


=== 主な戦績 ===
: 退役後に公道走行用に改造の上[[ナンバープレート|ナンバー]]を取得して、ロードカーに生まれ変わった車輌が存在している。前述したレイモンド・ベルムは1996年に[[鈴鹿1000km]]で自らが乗った[[シェブロン|ガルフ・オイル]]カラーのGTRをロードカーにして、1997年のル・マン24時間に自らのドライブでサーキットに駆けつけている。この車輌のロードカーへのリビルドと転用改造はマクラーレンカーズで行われた。ベルムは「運転は快適で楽しいんだけど、ちょっとうるさいんだよ」と語り、[[ヘッドセット (音響機器)|インカム]]を着用する必要があるという。[[ピンクフロイド]]のドラマーである[[ニック・メイスン]]も、ロードカーにリビルドされたGTRを自身のカー[[コレクション]]の中に一台保有している。1997年型のエボリューションモデルに於いても、公道走行に合わせた改造を施して売却された個体が存在することが確認されている。
==== 1995年 ====
F1 GTRは、[[スポーツカー世界選手権]]に代わって設立されたBPRグローバルGTシリーズでレースデビューを果たした。そのBPRシリーズでは開幕から6連勝を果たし、特に[[ニュルブルクリンク]]でのレース結果は1位から5位を独占してみせた。その後の2レースではポルシェと[[フェラーリ]]に敗れたものの最後の4つのレースで優勝し、F1 GTRを使うドライバーとチームが[[チャンピオンシップ]]を獲得した<ref name=GTR />。


[[ファイル:The wining Mclaren F1 GTR -59 of Yannick Dalmas, Masanori Sekiya & J.J.Lehto at Ford Chicane at Le Mans 1995 (49627439822).jpg|thumb|right|200px|1995年のル・マンで優勝を成し遂げたF1 GTR 59号車]]
; GTR 第2世代 (1997)
6月17日から6月18日にかけて行われたル・マン24時間レースには7台ものF1 GTRが参戦した。その中で総合優勝を成し遂げたのは[[J.J.レート]]/[[ヤニック・ダルマス]]/[[関谷正徳]]がドライブする国際開発レーシングチームの59号車であった。当初マクラーレンはカテゴリの違う[[スポーツカー (モータースポーツ)|プロトタイプカー]]に対し優勝の可能性は低いと考えていたため、F1 GTRを使用するチームに多くのサポートはされなかった。それでも本番前に[[マニクール・サーキット]]でマシンの24時間テストを行いアップグレードパーツの開発を行っている。この本番前テストに使用されたシャーシナンバー01Rの個体はマクラーレンが所有するプロトタイプであったが、日本の[[医療機関]]である[[上野クリニック]]がスポンサーとなることでル・マンで走る予算が確保され、急遽国際開発レーシングチームとしてレースに出場することが決定された。車両が完成したのはレース本番の6週間前だったという。チームスタッフはマクラーレンの従業員が中心となった。ル・マン本番でF1 GTRは総合優勝を成し遂げただけでなく、全体の3位4位5位13位もまたF1 GTRであった<ref name=GT1 /><ref>{{Cite web|author=工藤貴宏 |url=https://clicccar.com/2020/06/21/987927/ |title=マクラーレンのル・マン優勝25周年限定車の色はどうして「上野グレー」? 実は日本と深い関係があった! |date=2020-06-21 |publisher=clicccar |accessdate=2022-05-28 }}</ref><ref>{{Cite web|author=Richard Meaden |url=https://www.evo.co.uk/mclaren/11169/mclaren-f1-at-the-le-mans-24-hours |title=McLaren F1 at the Le Mans 24 hours |date=2015-02-24 |publisher=EVO |accessdate=2022-05-28 }}</ref>。
: [[ポルシェ・911 GT1]]の登場に危機感を募らせたマクラーレン・カーズは、翌1997年にほとんど共通部品を使用しない新設計といってもいいほどのエヴォリューションモデルを投入することになる。マシン全長と全幅を拡大し、ボディ全体の空力を見直してダウンフォースを強化し、[[トランスミッション]]もノンシンクロ式の6速シーケンシャルシフトに改められている。またボディの大型化によって機器類の配置に余裕が出たため、ミッションの接続はワイヤーリンケージからロッドリンケージに改められている。屋根上のエンジン[[吸気]]用[[エアインテーク]]は、屋根の流れに沿って気流を送るそれまでのものから、高い[[ラム圧]]と吸気効率を得るために[[シュノーケル]]形の物に変更された。後にフードをかぶせてより高い吸気効率を得る改良が各車輌に加えられている。エンジンの排気量はそれまでの6,064 ccから、リストリクターの規制が従来より緩和される5,999 ccに下げられているが、全体のパワー低下は見られない。リアウイングはコースによって翼端板が大きいハイダウンフォース仕様と小さいローダウンフォース仕様などのバリエーションが存在する。前年度型のマシンに採用された前照灯はこの1997年型にも採用されている。


==== 1996年 ====
: しかし、あくまでもマクラーレンF1GTRを競技用車輌とはいえ「ロードカー」という枠組みに当てはめた上でのレーシングカーにしたい<ref>GTカーのみならずツーリングカーのレースにおいて、これは至極当然のことである。</ref>ゴードン・マレーの意向に反し、レーシングカーをベースとして出場規定を満たす上での「言い訳」程度にロードカーが作られた[[メルセデスベンツ・CLK-GTR]]や[[ポルシェ・911 GT1]]などの台頭が著しく、徐々に苦戦を強いられる場面が多くなる。結局同年秋に[[BMW]]からのエンジン供給契約が満了した<ref>F1でライバルである[[メルセデス・ベンツ]]のエンジンを使用するマクラーレンと、[[ウィリアムズ]]と契約しているエンジン供給元であるBMWが今後のエンジン供給に対して懸念を表明し、BMWが1997年以降のエンジン供給の取り止めを通達したためである。</ref>ことを受けてロードカーの生産が打ち切られたこともあり、この年をもってマクラーレンF1GTRの開発は終了し、表舞台から遠ざかることとなる。翌年からは、GT1カテゴリーに於けるメーカー間の開発競争が激化し、ロードカーよりまずレーシングカーありきの「[[恐竜]]」のような存在と成り果て、事実上の[[プロトタイプレーシングカー|プロトタイプ]]カテゴリーとなっていった。1998年のル・マン24時間レースはプロトタイプクラスとなったLM-GTPクラスに[[ベントレー・スピード8]]と同じ「GTプロトタイプのマシン」としてエントリーし、その「恐竜」たちを相手に開発が凍結された1997年型マシンで総合4位を獲得し、ル・マンから去っている。そしてその後も1997年型マシンがブリティッシュGTチャンピオンシップや[[全日本GT選手権]]等において細々と生きながらえて行くことになる。
1996年のBPRグローバルGTシリーズでは、新たにポルシェ・911 GT1が参戦した。F1 GTRは911 GT1に数戦で敗れたものの、前年に引き続きドライバー、チーム共にチャンピオンシップを獲得した。{{仮リンク|ブリティッシュGTチャンピオンシップ|en|British GT Championship}}ではGT1クラスのドライバーズチャンピオンを獲得している。一方でル・マン24時間レースでは、[[ポルシェ・WSC95]]と2台の911 GT1の次ぐ総合4位に留まった<ref name=GTR />。


[[ファイル:FoS20162016 0623 114410AA (27761363522).jpg|thumb|right|200px|JGTCに参戦したチーム・ラーク・マクラーレンのF1 GTR]]
: 全日本GT選手権においては[[イエローコーン]]・マクラーレン(ヒトツヤマレーシング)<ref>初めて登場したのは1999年に[[富士スピードウェイ]]で開催された「ル・マン富士1000km耐久レース」で、「パーパスPCマクラーレン」として登場している。</ref>と[[綜合警備保障|SOKマクラーレン]](チームテイクワン)の二台が参戦し、SOKマクラーレンは2002年最終戦まで、イエローコーン・マクラーレンはスポット参戦を含めると2005年の[[富士スピードウェイ]]で開催されたSUPERGT第2戦と第6戦まで参戦した。
[[全日本GT選手権]](JGTC)では、[[郷和道]]により[[フィリップモリス]]をスポンサーとして擁するチーム・ラーク・マクラーレン(後の[[チーム郷]])が設立され、シャーシナンバー13Rと14Rの2台のF1 GTRを持ち込み参戦した<ref group="注釈">シャーシナンバー14Rは第5戦の菅生でクラッシュしたため、BPRグローバルGTシリーズのチームであるGTCコンペティションからシャーシナンバー04RのF1 GTRを購入し第6戦に使用した。</ref>。ドライバーは60号車が[[服部尚貴]]、[[ラルフ・シューマッハ]]、61号車は95年のBPRシリーズのタイトルを獲得した[[ジョン・ニールセン]]とフォーミュラ1の経験もある[[デビッド・ブラバム]]。2011年の郷和道へのインタビューによると、ドライバー候補として[[マーティン・ブランドル]]、[[マーク・ブランデル]]の名も挙がっていた。車両メンテナンスは[[ルマン (企業)|チームルマン]]が担当した。ブレーキはカーボン製からスチール製へ変更したため、度々ブレーキトラブルを引き起こした。レースでは他車と比較して圧倒的な性能を発揮し、2台で全戦で[[ポールポジション]]と[[ファステストラップ]]を記録し、全6戦中4勝を挙げチャンピオンシップを獲得した。一方で第4戦富士の前に車両規則が改定され、これを不利と捉えたチームは[[GTアソシエイション]]を脱会していた。GTアソシエイションはレースの公平性やエンターテイメント性を重視していたため、マクラーレン1強となることを危惧し、1997年からは更なる馬力制限やバラストのハンデが課せられる可能性があった。郷和道はこれに反発し、1996年のJGTCオールスターレース、そして1997年の参戦を辞退した<ref>{{Cite web|author=Ryuji Hirano |url=https://www.as-web.jp/supergt/448900?all |title=JGTCの3年目にやってきた“黒船”。SGTに復活するチームゴウ&マクラーレンの足跡を振り返る |date=2019-02-02 |publisher=autosport web |accessdate=2022-05-28 }}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.dailysportscar.com/2019/02/01/the-story-of-team-larks-1996-campaign.html |title=The Story Of Team Lark’s 1996 Campaign |date=2019-02-01 |publisher=dailysportscar.com |accessdate=2022-05-28 }}</ref>。
:どちらのマシンも所謂払い下げのマシンで、SOKマクラーレンはBMWシュニッツァーのワークスマシン、イエローコーンマクラーレンは1997年のル・マン24時間レースでGTCガルフモータースポーツからエントリーした、レイモンド・ベルム/アンドリュー・ギルバート・スコット/[[関谷正徳]]組がドライブしたゼッケン39、シャシーナンバー「25R」の個体だった<ref>2005年のスポット参戦は、JGTC参戦後保管されていたマクラーレンF1GTRでリニューアルした富士スピードウェイを走行したいというヒトツヤマレーシングのオーナーの意向で実現。Tajimax Mclaren F1-GTRとして2戦参戦した。


==== 1997年以降 ====
その後2016年に売却、マクラーレン本社で大掛かりなレストアが施され、1997年のル・マン24時間レースで走った当時のカラーリングに復元された上でコレクターに売却されている。</ref>。
[[ファイル:Mclaren F1 GTR - Ray Bellm, Andrew Gilbert-Scott & Masanori Sekiya exits The Esses at the 1997 Le Mans (51463134061).jpg|thumb|right|200px|1997年のル・マンに参戦するF1 GTR ロングテール]]
1997年、前年までのBPRグローバルGTシリーズがFIA GT選手権に移行し、マクラーレンはF1 GTR”ロングテール”を投入した。しかし、メルセデス・ベンツがCLK-GTRで参戦し、F1 GTRを抑えチャンピオンを獲得した。F1 GTRはランキング2位と3位を獲得するに留まった。ル・マンでは前年に引き続きポルシェ・WSC-95が総合優勝、F1 GTRはポルシェ・911 GT1を抑えクラス優勝、総合では2位と3位を獲得した<ref name=GTR />。


1998年にはブリティッシュGTチャンピオンシップやイタリアの[[モンツァ・サーキット|モンツァ]]1000kmレースなどで度々優勝を収めている<ref name=GTR />。
; F1 LM (LM for Le Mans)
: 1995年のル・マン24時間レースの総合優勝を記念して、[[プロトタイプ#自動車|プロトタイプ]]1台を含む6台が生産され、5台のみ限定で販売されたロードカー。プロトタイプはマクラーレン・オートモーティブに保管されている。空力パーツはGTRそのままの形態となっており、さらにスライド式の小窓を設けた固定式窓など、通常のロードカーと比べてもかなりスパルタンな仕様に仕立てられている。エンジンにも更なるチューニングが施され、通常の627 PSから680 PSに強化され、[[トルク]]も強大なものとなっている。一台をファッションデザイナーの[[ラルフ・ローレン]]が所有している。


全日本GT選手権では1999年にF1 GTR ロングテールが参戦、性能調整で思うような結果は残せなかったが、2001年の参戦時には最終戦で1勝を挙げている<ref>{{Cite web |url=https://motorz.jp/race/11057/ |title=全日本GT選手権を戦った外車軍団をご紹介!強大な国産ワークスを相手にプライベーターが真っ向勝負を挑んだマシンとは!? |date=2016-08-22 |publisher=Motorz |accessdate=2022-05-28 }}</ref>。また、2005年の[[SUPER GT]]では[[富士スピードウェイ]]の2戦にスポット参戦しており、これがF1 GTRが国際的なモータースポーツに参戦した最後の事例だとされている<ref>{{Cite web |url=http://supergt.net/archive/classic/supergt.net/supergt/2005/05r06/0506preview.shtm |title=2005 第6戦 プレビュー |publisher=supergt.net |accessdate=2022-05-28 }}</ref><ref>{{Cite journal|和書 |title=BETTER THAN NEW |journal=オクタン 日本語版 |volume=25 |year=2019-02 |pages=25 |publisher=株式会社SHIRO }}</ref>。
; GT
: 1997年のエヴォリューションモデルの登場に際し、[[欧州連合]](EU)での公認を受けるレギュレーションを満たすために製造されたロードカー。合計3台のみ製造されたが、市販はされていない。外観は1997年型のGTRからリアウイングを省いた程度である。


== 後継モデル ==
== 後継モデル ==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*[http://jp.cars.mclaren.com// マクラーレンオートモーティブの公式サイト](日)
*[https://cars.mclaren.com/jp-ja マクラーレンオートモーティブの公式サイト](日)
*[http://media.mclarenautomotive.com/ マクラーレンオートモーティブメディアページ](英)
*[http://www.tokyo.mclaren.com/ マクラーレン東京の公式サイト]
*[http://www.osaka.mclaren.com/ マクラーレン大阪の公式サイト]


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2022年5月28日 (土) 19:30時点における版

マクラーレン・F1
概要
製造国 イギリスの旗 イギリス
販売期間 1992年 - 1998年
デザイン ゴードン・マレー
ボディ
乗車定員 3名
ボディタイプ 2ドア クーペ
エンジン位置 ミッドシップ
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン S70/2型 6.1L(6,064cc) V型12気筒 DOHC 48バルブ 自然吸気
最高出力 627ps/7,400rpm
最大トルク 66.3kg・m/4,000-7,000rpm
変速機 6速MT
前/後
ダブルウィッシュボーン
前/後
ダブルウィッシュボーン
車両寸法
ホイールベース 2,718 mm
全長 4,288 mm
全幅 1,820 mm
全高 1,140 mm
車両重量 1,138 kg(
その他
最高速度 391km/h
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F1(エフワン )は、イギリスのマクラーレン・カーズ(現マクラーレン・オートモーティブ)が1992年から1998年にかけて製造・販売したスーパーカーである。

本稿では派生モデル、レーシングモデルについても記述する。

概要

マクラーレン・カーズは、当時フォーミュラ1で多くの勝利を収めたマクラーレンの技術を反映した高性能な市販車を製作するために1989年に設立された。市販車であるマクラーレン・F1は当初より世界最高のロードカーを目指して開発された[1][2]

車両中央に運転席が配置され、左右に1席ずつ助手席を持つ特徴的なセンターシートのレイアウトを採用している。乗降を容易にするために、斜め上方に開くディヘドラル・ドアも採用されている。車両のパフォーマンスを高めるために多くの部分に軽量化のための設計がなされ、カーボンファイバー製のシャシーを採用して製造された初の市販車となった[1]

生産台数は全てのバリエーションを合計して106台のみ。その内訳は、プロトタイプが5台、通常モデルが64台、LMが6台、GTが3台、レーシングモデルのGTRが28台である[3][4]

1995年のル・マン24時間レースでは、レーシングモデルであるF1 GTRが総合優勝を成し遂げている[5]

1998年にプロトタイプ車両を使用して行われたテスト走行では、最高速度391km/h(242.956mph)を達成、2回の走行の最高速度を平均した386km/h(240.1mph)が公式な最高速度記録として認定されている[6]

新車での販売価格は53万ポンド(当時約1億18000万円)。1992年のプロトタイプの発表と同時に価格が公表され、非常に高額な車として当時話題となった。現在では車両の希少性からプレミア価格で取引されており、2021年にアメリカで行われたオークションでは、ほぼ新車状態の車両が出品され22億5115万円で落札された[7][8]

設計・開発

マクラーレン・F1の開発構想が始まったのは1988年9月11日のことで、当時フォーミュラ1世界選手権で16戦15勝という驚異的な成績を収めていたマクラーレンのチームリーダーであるロン・デニスとデザイナーのゴードン・マレーなどが、そのシーズンで唯一勝利を逃したイタリアGPの帰りの空港で雑談を交わすうちに車両の発想が生まれたという。ただし、その時点での計画は「世界最速で最良の市販車」という曖昧なものであった。1990年1月にはイギリスサリー州ウォキングにあるマクラーレンの施設で原型となる計画が始動した。マレーは設計を進め、1990年の3月には基本要件が決定した[9]。設計にあたり従来のスーパーカーの性能や特性を分析した後、フォーミュラ1で得られた技術や経験を基に、開発チームが軽量化やダウンフォースの向上など、あらゆる視点で車両の見直しを図った[1]。マクラーレンの目標はコンパクトで軽量なオールラウンドに性能を発揮できる、純粋なドライバーズカーを作ることだった。また、最先端の技術、ディティール、品質なども重要視された[2]。会社の設立やその準備、車両の開発のためにマレーが獲得した予算は850万ポンドで、決して潤沢とは言えない額であった[10]

エクステリアインテリアを担当したのはデザイナーのピーター・スティーブンス英語版である。ピーターはマクラーレン以前はロータス・エランエスプリジャガー・XJR-15の設計に関わっており、その後F1の計画に参加した。ロータス・カーズからも数人が開発のために移籍した[10][11]

特徴的なセンターシート形状
車両側面に存在するトランクルーム

運転席が中央にあるセンターシートのレイアウトはフォーミュラ1で得た経験を反映したものとされ、ドライバーの視覚的・動的な情報を即座に反映できるよう意図したものだった[2]。計画のチーフデザイナーであるマレーは、1969年からこの1+2のシートレイアウトの研究を続けてきたという[1]。運転席が中央にあるためフロントガラスには左右どちらにもバックミラーがついている[12]。荷物を入れるトランクルームは、車体の両側の助手席とリアタイヤの中間のホイールベース内側に存在している[13]。F1は良好なハンドリングと操縦性を求め、エンジンやギアボックス、燃料、乗員、荷物など、すべての重量物を重心近くに集中させ重心高を低く抑えることで慣性モーメントを抑制する設計となっている[2]

市販車では世界初となるカーボンファイバー製のシャシーを採用している。車重は1トンを切ることを目標とし、エンジン出力は最低でも550馬力が求められた。カーボン製のブレーキディスクも開発していたが、公道での速度域や雨天時の低温状態で十分に作動させることが困難であったため、最終的にスチール製が採用された[14][15]。軽量化のためパワーステアリングはなく、ブレーキにサーボ機構ABSなどは装備されていない[12]

ディヘドラルドアやトランクを開いた状態

センターシートは構造的に乗降が難しくなるため、ルーフの大部分が開く構造が必要であった。採用されたディヘドラルドアはルーフだけでなく、足元部分のスペースも確保できるため乗降性の問題は解決した。開発時には、同様の機構を持つトヨタ・セラのドアを使い研究を行った。また、ピーター・スティーブンスはポルシェ・962の開発に関わっていたこともあり、高速時でも頑丈なドア構造を理解していた[10]

F1に搭載されているBMW製 S70/2型 V12エンジン

当初マクラーレンはフォーミュラ1で提携しエンジン供給を受けていたホンダに対し、V10またはV12エンジンの設計・開発と供給を望んでいた。しかし、ホンダは将来のマーケティングの観点から、V12などのオーバースペックなエンジンの製造は不適当と判断したためエンジンの供給を断った。いすゞは3.5リッターV12エンジンを提案したが、レースでの実績が無いためマレーに断られた。最終的に、かつてブラバムでマレーと付き合いがあり、BMWに所属しているポール・ロッシュ英語版がV12エンジンを手掛けた[10][16]

マレーはF1の乗り心地とハンドリングの設計基準として、ホンダ・NSXの名を上げている。NSXのサスペンションは乗り心地の良さと操縦性を両立させるため、ホイールの動きに自由度を持たせる縦型のコンプライアンス・ピボットを採用していた。マレーはこのサスペンションシステムから得たインスピレーションが、F1のサスペンションの開発に繋がったと語っている。また、F1もNSX同様に、当初から日常的に使用されることを想定し開発されていた。NSXの他にも、フェラーリ・F40ランボルギーニ・カウンタックBMW・M1ポルシェ・959ブガッティ・EB110などがF1のベンチマークとして上げられている[17][18]

トランスミッションはシンクロメッシュ機構を持つ6速マニュアルで、フォーミュラ1やル・マンインディーカーで勝利を収めているカリフォルニアのトラクション・プロダクツ社と共同開発した。当初は軽量化のためマグネシウム製のトランスミッションハウジングを装備していたが、オーバーヒートの問題のため最終的にアルミ製を使用した。ギア比の設定は、0-160mph (257km/h)用にクロスレシオの1-5速と、クルージングや高速走行を考えたワイドレシオの6速となっている[19][20]

リアビュー、スポイラーは停車時には収納されている。

空力性能の面では、車両後部に可変式のリアスポイラーが装備されている。このスポイラーは走行時には収納されているが、ブレーキング時に展開しエアブレーキとしても機能する他、ブレーキを冷却するためにエアインテーク内に空気を取り入れられる仕組みになっている。F1はグラウンド・エフェクトを利用しダウンフォースを得る構造となっており、その効果を高めるためにボディ下面を流れる境界層の気流を強制的に排気する電動ファンを備える。マレーは自身の設計したブラバム・BT46で既にこの気流を強制排気する”ファンカー”機構を採用していた。これらの空力の設計には、マクラーレンのフォーミュラー1マシンが開発される風洞と同じ施設が使われた[2][7]

電子制御システムは、マクラーレンの関連会社でフォーミュラ1の電気系統も担当するTAGエレクトロニック・システムズと共同で開発した。制御システムはエンジンの使用状況をモニターし、温度変化、回転数、不十分な暖機運転時の高負荷などを記録し、メンテナンス時に不具合の特定をすることができる。その他にも車内に電話回線を設置し、マクラーレンに情報を直接送り車の故障個所を特定してサポートを受けることなどができる[2]

視認性を向上させるため、フロントやサイドのガラスには従来の温風を吹き付けるデフロスターではなく、電気で加熱するガラスを採用することとした。この要求に応じるためサンゴバン社と協力し専門のチームが編成された。開発されたラミネート加工のガラスは素早い霜取りや除氷だけでなく、熱の侵入を20%、紫外線の侵入を85%低減することができた[2]

専用の音響機器の開発を行うため、ケンウッドも当初から計画に参加している。ケンウッドは当初音響システムの重量を37.5ポンド(約17kg)と提案したが、マレーはその半分の重量しか容認できないとした。最終的に開発されたシステムの重量は18.7ポンド(約8.5kg)であった。開発テストでは、最大1.5Gの負荷がかかっている状態でもシステムは正常に機能した[2][14]

F1の搭載機器をテストするためプロトタイプ車両として、イギリスのアルティマスポーツ英語版社のキットカーであるアルティマMk3が2台購入された。この2台はシャーシナンバー12と13で、ノーブルモータースポーツ社により供給された。アルティマMk3はF1の設計重量を下回り、プロポーションが似ていることで採用された。この2台はテストのため車体に大幅な改造が施された。シャーシナンバー12の車両はマクラーレンにより「アルバート」というニックネームか付けられ、本来搭載するBMW製V12エンジンの代わりに、同様のトルクを有するシボレーV8エンジンを使ってギアボックスのテストが行われた。この他にもセンターシートやカーボンブレーキのテストにも使用された。シャーシナンバー13の車両は「エドワード」というニックネームか付けられ、BMW製V12エンジンのテストの他、エキゾーストや冷却システムのテストに使われた。後にこの2台はマクラーレンにより機密保持のため破壊された[21]。この2台の他にもエンジンテストのため、BMW・M5ワゴンにV12エンジンを搭載したプロトタイプが作られた[22]

シャーシナンバーXP3、フォグランプや方向指示器などが量産車両と異なる。

F1の本格的な試作車両としては、シャーシナンバーXP1からXP5の5台が製作され様々なテストを行った。そのうちXP1はナミビアでの猛暑環境のテスト中に事故で大破している。240㎞/hを超えるスピードで走行中に、車が側溝に衝突したことが原因であった。ドライバーは奇跡的に生還したが、XP1は漏れ出たエンジン液がエキゾーストマニフォールドに引火し、焼失してしまった[23]。 XP2は衝突試験用に製作され、XP1同様に大破し現存していない。プロトタイプと量産車両にはデザイン上の違いがいくつかあり、フロントのフォグランプ方向指示器、リアのシングルタイプのテールライトなどが異なっていた。量産車両のテールライトはランボルギーニ・ディアブロに使われている物と同じ部品で、イタリアのコボ社が製造を担当した[24][25]

マクラーレンによると、新車を購入した後の通常のメンテナンス間隔は9カ月と18カ月であり、ダンパーは10年、燃料タンクは5年の交換時期が定められている。将来的に車両を維持し続けるため、マクラーレンによりマグネシウムコーティングやブレーキパッドの材質など、新たな技術を用いたパーツの開発も継続して行われている。ボディカラーやインテリアの装飾部品なども同様に、オーナーの好みに応じて新たなものに更新することが可能であるという。[26][3]

1992年5月28日、モナコGPにおいてマグネシウムシルバーで塗装されたF1が初公開された。その後、生産第一号車がオーナーの元へ納車されたのは1994年12月のことで、1998年まで車両の製造が続けられた[3][27]

メカニズム

エンジン

エンジンルームを開いた状態。周りは金箔で覆われている。

BMWのグループ会社であるBMWモータースポーツ社から供給された”S70/2型”と呼ばれるエンジンで、6,064㏄バンク角60度のV型12気筒DOHC48バルブ自然吸気。最高出力は7400rpmで約627馬力、最大トルクは4000rpmから7000rpmの範囲で66.3kg・m以上を発生する。パワーウエイトレシオは550ps/トン。ボア×ストロークは86mmx87mm、圧縮比10.5:1。アルミニウム合金製シリンダーブロックを備え、バルブハウジング、カムカバー、オイルポンプ等の部品は軽量なマグネシウム合金製。エンジン重量は付属機器を含めて約260kg、エンジンの全長は約60cm。エキゾーストはインコネル[7][2][13]

エンジンルームはコックピットや機器の保護を目的に、放熱性の高い22金の金箔を使った耐熱フィルムで覆われている。金は入手可能な素材の中で最も軽く、最も効果的な断熱材であるため採用された。エンジンルームだけで16gの金が使われている[7][16]

シャシー

市販車としては世界初となるカーボンファイバー製シャシーを採用している。このシャーシはリヤフェンダーなどと一体成型されたセミモノコック構造で、前方にはクラッシュボックスを含む構成部品が配置され、衝突時の安全を確保している[7]。ほとんどの主要構造は、2重のアルミニウム製ハニカム構造のパネルで強化されている。これらの設計・開発はコンピュータープログラムを用いて行われ、素材の厚さや繊維の方向を最適化させている。この結果シャシーは非常に高いねじり剛性を有している。モノコックは縦方向の2本のフロアビームと横方向のバルクヘッドを合わせることで強度を高めている。運転席の後部にはエンジンに空気を取り入れる為のエアインテークがあり、Aピラー、Bピラーと合わせて頑丈な生存空間をもたらしている。エンジンはストレスメンバーとしても機能し、2本の構造材を通してバルクヘッドに取り付けられている。エンジンマウントには振動やノイズを吸収するためのセミフレキシブルブッシュを採用している。また、エギゾーストも事故時などに衝撃を吸収する構造となっている。全てのカーボン構造はマクラーレンが所有する施設で製作された[2]

サスペンション

F1のサスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン構造で、ホンダ・NSXを参考に設計された。フロント側のサスペンションを接続するサブフレームは、コンプライアンスブッシュ通じてボディに取り付けられ、縦方向に大幅な柔軟さを有している。これは安定性と操縦性の両立を意図して設計された。リアサスペンションはロアアームがギアボックスに取り付けられ、そのギアボックスは弾性を持たせボディに取り付けられている。これにより、サスペンションにかかる負荷は剛性の高い車体へ伝わる構造となっている[13]

ダンパーはビルシュタインによってF1用に設計開発されたもので、レース用の製品が元となっている。このダンパーはアルミニウム製で放熱性を30%向上させている[2]

ブレーキ

装着されているブレーキはイタリアのブレンボと協力して開発したもの。市販車としては初となるフォーミュラ1と同じタイプの一体鋳造のアルミニウム製4ピストンキャリパーと、ベンチレーテッドディスクを組み合わせている。ハンドブレーキキャリパーもアルミニウム製でブレンボによって開発された。車を高速域から安全で効率的に減速させるため、ブレーキの冷却には新システムが導入された。このシステムはスピードセンサーとブレーキセンサーが電子制御され、十分な負荷がかかったブレーキング時のみブレーキ冷却用のエアインテークダクトが自動的に開く仕組みとなっている。ダクトが閉じている間は空気抵抗を減らすことができる。ABSやブレーキサーボは重量削減のため装備されていない[2]

タイヤ・ホイール

タイヤにはグッドイヤーによる専用設計品が使われている。ハンドリングと操縦性のため開発初期の段階からタイヤは重要視されていた。グッドイヤーはレースにおいてマクラーレンと1968年からパートナーとなっていた。サイズはフロントが235/45ZR17、リアが315/40ZR17。トレッドパターンは非対称で回転方向が定められている。17インチというタイヤサイズは重量や接地面の形状を考慮して採用された。車両の軽量化のためスペアタイヤは備わっていないが、パンク修理キットは付属している。ホイールOZ製でタイヤと同じく専用に開発されたもの。マグネシウム合金で鋳造されている[2]

インテリア

インテリア

シートは前後に可動するが、ペダルハンドルの位置は固定されており、購入者に合わせて個別に調節する必要がある。この調整作業は納車前にマクラーレンの工場で行われた[13]

メーターパネル中央には最大8200rpmまで刻まれたタコメーターが配置され、レブリミットの7500rpmで点滅しシフトアップを知らせるライトが組み込まれている。右側には240マイル(約386km/h)スケールの速度計が配置されている。左側には燃料計、水温計、油温計が配置されている[7][13]

運転席と助手席の間の仕切りにはCDプレイヤーと空調を操作するためのスイッチ類が配置されている[13]

付属品

F1には専用品の鞄が複数付属しており、サイズの違うスーツケース、書類ケースなどで構成されている。この鞄はF1のトランクルームのサイズに合わせて作られており、スペースを最大限に利用できるようになっている。また、シートやハンドル、付属の鞄などは購入者の好みに応じて色を変えることもできた[2]

付属工具はフランスの ファコムフランス語版によってF1専用に開発されたのものが付属している。軽量化のためチタン製となっており、スチール製の工具よりも50%軽量であった[2][1]

音響システムはケンウッドが専用に開発したもの。当時世界最小の10連装CDチェンジャーデッキがフロント部分に設置してある。車内には5つのスピーカーが設置されている[2]

F1の購入者には車内に収まるように設計されたゴルフクラブのセットと、タグ・ホイヤー製のF1のロゴがついた腕時計が贈られた。当時タグ・ホイヤーはマクラーレンのフォーミュラ1のスポンサーであった[28]

性能

加速性能

  • 0-30mph (0-48km/h): 1.8秒
  • 0-60mph (0-97km/h): 3.2秒
  • 0-100mph (0-161km/h): 6.3秒
  • 0-150mph (0-241km/h): 12.8秒
  • 30-50mph (48-80km/h): 0.9秒
  • 30ー70mph (48-113km/h): 2.1秒
  • 0-402m (0.25マイル): 11.1秒 (222km/h)
  • 0-1000m (0.62マイル): 19.6秒 (285km/h)
  • 30-50mph (48-80km/h): 1.8秒 (3速使用)
  • 50ー70mph (80-113km/h): 2.8秒 (5速使用)[29]

最高速度

1993年にイタリアのナルド・サーキットで行われたテストでは、371.7km/hの最高速度を達成した。この時に使われた車両はプロトタイプで、エンジンの出力は588馬力であった。F1以前の最高速度記録はジャガー・XJ220の持つ349.2km/h(217mph)だった[30][6]

1998年にフォルクスワーゲンが保有するエーラ・レッシエンドイツ語版での走行試験では、フォーミュラ1ドライバーであるアンディ・ウォレスの操縦により386.4km/h(240.1mph)の最高速度記録を達成した。使用された車両はプロトタイプのシャーシナンバーXP5で、車はエンジンのレブリミットを8300rpmまで高めた以外ノーマル状態だったという。最初の走行では388km/h (241.1mph)を記録したが、ドライバーのウォレスはまだ車に余裕があると考えていた。2回目の走行でレブリミットが高められた結果、391km/h (242.956 mph)の最高速度を記録した。テスト後ウォレスは「391km/h以上は出ない」とも語っている[注釈 1]。最高速度記録は、風の影響を考慮して反対方向を含む2回の走行を平均して算出されるため、F1の公式な最高速度は386.4km/h(240.1mph)となった[6][30][31]

バリエーション

プロトタイプ

量産車両が製造される以前のプロトタイプ車両として、シャーシナンバーXP1からXP5の5台が作られ、様々なテストに用いられた。シャーシナンバーのXPは"eXperimental Prototype"(試験用プロトタイプ)を意味する。そのうち最初に作られたXP1はナミビアでのテスト中に事故で大破し現存していない。XP2は衝突試験用に作られ、実際に試験に用いられこちらも現存していない[25][6]。現存する最古のF1であるXP3はゴードン・マレーに贈られ、彼が長らく所有していたが後年売却している[24]。XP4はギアボックスの耐久テストに使用され、後にアメリカのコレクターに売却された[32]。XP5は1998年に行われたテストで、量産車の最高速度記録を更新した、車はマクラーレンによって所有されている[33]

F1(通常モデル)

マクラーレン・F1

1993年から1998年の間に合計で64台が製造された。

新車価格は1億円以上と高額だが、現在ではさらに高額なプレミア価格で取引されている。2021年、アメリカで行われたグッディング&カンパニー英語版主催のオークションにシャーシナンバー029の個体が出品され、2046万5000ドル(22億5115万円)で落札された。この車両は新車時に日本にデリバリーされて以降、走行距離390kmというほぼ新車状態を保っており、唯一”クレイトンブラウン”と呼ばれるカラーリングを纏ったF1である[8][34][35]

ハイダウンフォースキットを装備した車両

製造された車両の中には”ハイダウンフォースキット"[注釈 2]と呼ばれるエアロパーツを装備した車両が8台存在する。ハイダウンフォースキットはフロントスプリッターや大型のリアウイングなどのパーツで構成され、後期生産車のメーカーオプションだった。また、後年になってマクラーレンによりキットを取り付けた車両も存在する。この内、シャーシナンバー018と073の2台のみ下記のLM仕様にアップグレードされいる。その内容は680馬力まで強化されたエンジンとハイダウンフォースキット両方の装備などである[4][36][37]

2019年、アメリカで行われたサザビーズのオークションにこの2台のLM仕様車の内シャシーナンバー018の個体が出品され、1980万ドル(約21億円)で落札された。この個体は新車で日本に納車され、2000年から2001年の間に別のオーナーの元でLM仕様にアップグレードされていた[36][38]

LM

マクラーレン・F1 LM

1995年のル・マン24時間レースでの優勝を記念して作られたモデル。車名のLMはル・マン(Le Mans)を意味する。エンジンがチューニングされ約680馬力まで出力が増している他、レースモデルであるGTR同様のフロントスプリッターやリアウイングなどのエアロパーツを装備している。重量は2341ポンド(約1,062kg)。音響システムや防音設備は取り除かれ、車内にはドライバーと乗客の会話のためヘッドホンが備えられている。サスペンションのブッシュはゴム製からアルミ製に変更している[4][39]

プロトタイプが1台(シャーシナンバーXP1 LM)と、市販用の5台(シャーシナンバーLM1からLM5)の合計6台が製造された。この6台のうち4台はパパイヤオレンジと呼ばれるカラーに塗装され、残り2台はル・マンで優勝したレーシングモデルに似たグレーのカラーリングが施されている[4]

プロトタイプはマクラーレン自身が所有し、市販用の5台はアメリカと日本に1台ずつ、そしてブルネイスルタンに3台が納車された[39][4]

GT

マクラーレン・F1 GT
F1 GT リアビュー

1997年に後述のF1 GTRのレース出場の公認(ホモロゲーション)を得るために作られたモデル。全長4,928mm、全幅1,940mm、全高1,200mmで、通常モデルと比較して全長は60cm以上長く、全幅は10cm以上広くなっている。一方でエンジンやトランスミッションは通常モデルと同じものが使用されている。全長、特に車両後部が延長されているため、”ロングテール”とも呼ばれる[40]

1997年のFIA GT選手権でGT1クラスのホモロゲーションを得るには、少なくとも1台の公道走行可能な車両を製造・販売する必要があった。そこでマクラーレンは97年型のレーシングモデルの製造と並行して、ホモロゲーション取得用の市販車であるF1 GTを製造した。F1 GTは既に95年にホモロゲーションを取得していた通常モデルのバリエーション(variante option)として認証された[41]。当初マクラーレンは、ホモロゲーション取得ため1台のみ車両を生産する予定だったが、顧客の要望に応えるために、さらに2台のF1 GTが製造された[40][42]

製造された3台のF1GTの内、シャシーナンバー56XPGTはプロトタイプでマクラーレンが所有している。2台製造された市販モデルは、シャシーナンバー54F1GTがブルネイへ納車され、シャシーナンバー58F1GTは日本へ納車された[42]

モータースポーツ

概要

マクラーレン・F1 GTR
1995年モデル
1997年モデル
ボディ
エンジン位置 ミッドシップ
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン 6,064cc V型12気筒(1995年)
5,999cc V型12気筒(1997年)
最高出力 600ps
変速機 6速MT(1995年)
6速シーケンシャル(1997年)
ダブルウィッシュボーン
ダブルウィッシュボーン
車両寸法
全長 4,367 mm(1995年)
4,933 mm(1997年)
全幅 1,900 mm(1995年)
1,920 mm(1997年)
全高 1,090 mm(1995年)
1,200 mm(1997年)
車両重量 1,050 kg(1995年)
915 kg(1995年)
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1993年にグループCカーによるレースカテゴリが消滅し、代わって高性能な市販スポーツカーを使ったGTカー規定が導入されると、一部のプライベーターによりマクラーレン・F1でGTレースに参戦したいという要望が上がった。1995年シーズンが近づくにつれその声は増え、レーシングドライバーのレイ・ベルム、レーシングドライバーであり銀行家のトーマス・ブシャードイツ語版らがマクラーレンにアプローチした。しかしゴードン・マレーはF1をレース用として設計しておらず、信頼性、性能の点から当初はレース参戦に否定的であった。最終的にプライベーターの要望に応えることになり、マクラーレンはGT1レギュレーションに適合するレース仕様車であるF1 GTRを開発するに至った。マクラーレンの計画では5台を顧客に販売すれば開発費を取り戻せると計算された。元々F1はレーシングカーの技術を使った設計開発、素材の使用をしているため、レーシングカーそのものへ転用することは難しいものではなかったという[5][43][44]

マクラーレン・F1 GTRのインテリア

1995年1月、マクレーレンによってF1 GTRが発表された。ロールケージ消火器などの安全装備の他、フロントスプリッターや大型のリアウイングなどのエアロパーツが装着され、ノーズとサイドにはエアインテークが追加されている。市販車では採用されていなかったカーボンブレーキも装備された。サスペンションのゴム製ブッシュはアルミ二ウム製の頑丈な部品に変更されている。通常モデルと比較してエンジンはレース用に改良が施されていたが、リストリクターによって出力は約600馬力まで制限されていた。軽量化が施された結果重量は約1050kgまで抑えられたため、パワーウエイトレシオは通常モデルより高くなった。完成した車両はBPRグローバルGTシリーズやル・マン24時間レースに参戦するためカスタマーに提供された。一方で公道での乗り心地を重視した市販車が元となっているため、レースではモノコックの剛性不足の問題を抱えていたという。1995年には9台のF1 GTRが製作された[3][5][44][45]

1996年には前年型を改良したモデルが製作された。フロントスプリッターやリアウイングはさらに大型の物になり、修理時に素早く取り外しができるようボディワークも改良された。重心を下げるためエンジンの搭載位置が下げられ、より軽量化されたマグネシウム製のギアボックスのハウジングが採用された。1996年にも9台のF1 GTRが製造され、95年型の内2台が最新の仕様に更新された[45][46]

95年型(上)と97年型(下)の比較、97年型は車両前部・後部共にボディが延長されている。

1996年、ポルシェ911 GT1でBPRグローバルGTシリーズやル・マンに参戦し、多くのレースでF1 GTRを破り勝利をもたらした。これに触発されたマクラーレンは、96年型のF1 GTRから更に空力性能を進化させた97年モデルの開発を決定した[42]

96年までのF1 GTRは前後のオーバーハングが短く、ダウンフォースが不足することが露呈していた。そこで97年型のF1 GTRは車両前後ともにボディが延長され、ダウンフォースを得ると共に空気抵抗を減らす設計になっていた。フェンダーやリアウィングも大型化されている。延長された車両後部のボディ形状から、97年型はF1 GTR”ロングテール”とも呼ばれている。エンジン排気量は長寿命化と信頼性の向上を目的として、6,064㏄から5,999ccまで下げられているが馬力の低下は無い。エキゾーストはそれまで中央に4本出しであったが、左右各2本出しに変更されている。トランスミッションは6速MTからエクストラック社と共同開発した6段シーケンシャルミッションを搭載している。ギアチェンジは車両によって、シフトレバーを押してギアが上がり引いてギアが下がるものと、その逆の押してギアが下がり引いてギアが上がる両パターンが存在する。車重は915kgと大幅に軽量化されている。1997年型F1 GTRは合計で10台が製造された[5][42][44][45][47][48]

97年型のF1 GTRは大幅に変更されたボディを持つため、新たにホモロゲーションを得る必要があった。そのためには最低1台の市販車を製造する必要があるため、同じロングテールのボディ形状を持つF1 GTが製造された。97年型F1 GTRとF1 GTの製作は同時並行で行われた[42]

メルセデス・ベンツは1997年にCLK-GTRでGT選手権へ参戦するにあたり、プライベートチームから96年型のF1 GTRを譲り受け、独自のボディパネルを取り付けてエアロパーツの開発を行っていた[42]

また、F1 GTRはレース用に開発されているが、後年になって公道走行が可能な仕様に作り替えられた車両も存在している。その際にはリストリクターの除去、触媒や助手席の追加などの改造が施された[45][46]

主な戦績

1995年

F1 GTRは、スポーツカー世界選手権に代わって設立されたBPRグローバルGTシリーズでレースデビューを果たした。そのBPRシリーズでは開幕から6連勝を果たし、特にニュルブルクリンクでのレース結果は1位から5位を独占してみせた。その後の2レースではポルシェとフェラーリに敗れたものの最後の4つのレースで優勝し、F1 GTRを使うドライバーとチームがチャンピオンシップを獲得した[45]

1995年のル・マンで優勝を成し遂げたF1 GTR 59号車

6月17日から6月18日にかけて行われたル・マン24時間レースには7台ものF1 GTRが参戦した。その中で総合優勝を成し遂げたのはJ.J.レート/ヤニック・ダルマス/関谷正徳がドライブする国際開発レーシングチームの59号車であった。当初マクラーレンはカテゴリの違うプロトタイプカーに対し優勝の可能性は低いと考えていたため、F1 GTRを使用するチームに多くのサポートはされなかった。それでも本番前にマニクール・サーキットでマシンの24時間テストを行いアップグレードパーツの開発を行っている。この本番前テストに使用されたシャーシナンバー01Rの個体はマクラーレンが所有するプロトタイプであったが、日本の医療機関である上野クリニックがスポンサーとなることでル・マンで走る予算が確保され、急遽国際開発レーシングチームとしてレースに出場することが決定された。車両が完成したのはレース本番の6週間前だったという。チームスタッフはマクラーレンの従業員が中心となった。ル・マン本番でF1 GTRは総合優勝を成し遂げただけでなく、全体の3位4位5位13位もまたF1 GTRであった[5][49][50]

1996年

1996年のBPRグローバルGTシリーズでは、新たにポルシェ・911 GT1が参戦した。F1 GTRは911 GT1に数戦で敗れたものの、前年に引き続きドライバー、チーム共にチャンピオンシップを獲得した。ブリティッシュGTチャンピオンシップ英語版ではGT1クラスのドライバーズチャンピオンを獲得している。一方でル・マン24時間レースでは、ポルシェ・WSC95と2台の911 GT1の次ぐ総合4位に留まった[45]

JGTCに参戦したチーム・ラーク・マクラーレンのF1 GTR

全日本GT選手権(JGTC)では、郷和道によりフィリップモリスをスポンサーとして擁するチーム・ラーク・マクラーレン(後のチーム郷)が設立され、シャーシナンバー13Rと14Rの2台のF1 GTRを持ち込み参戦した[注釈 3]。ドライバーは60号車が服部尚貴ラルフ・シューマッハ、61号車は95年のBPRシリーズのタイトルを獲得したジョン・ニールセンとフォーミュラ1の経験もあるデビッド・ブラバム。2011年の郷和道へのインタビューによると、ドライバー候補としてマーティン・ブランドルマーク・ブランデルの名も挙がっていた。車両メンテナンスはチームルマンが担当した。ブレーキはカーボン製からスチール製へ変更したため、度々ブレーキトラブルを引き起こした。レースでは他車と比較して圧倒的な性能を発揮し、2台で全戦でポールポジションファステストラップを記録し、全6戦中4勝を挙げチャンピオンシップを獲得した。一方で第4戦富士の前に車両規則が改定され、これを不利と捉えたチームはGTアソシエイションを脱会していた。GTアソシエイションはレースの公平性やエンターテイメント性を重視していたため、マクラーレン1強となることを危惧し、1997年からは更なる馬力制限やバラストのハンデが課せられる可能性があった。郷和道はこれに反発し、1996年のJGTCオールスターレース、そして1997年の参戦を辞退した[51][52]

1997年以降

1997年のル・マンに参戦するF1 GTR ロングテール

1997年、前年までのBPRグローバルGTシリーズがFIA GT選手権に移行し、マクラーレンはF1 GTR”ロングテール”を投入した。しかし、メルセデス・ベンツがCLK-GTRで参戦し、F1 GTRを抑えチャンピオンを獲得した。F1 GTRはランキング2位と3位を獲得するに留まった。ル・マンでは前年に引き続きポルシェ・WSC-95が総合優勝、F1 GTRはポルシェ・911 GT1を抑えクラス優勝、総合では2位と3位を獲得した[45]

1998年にはブリティッシュGTチャンピオンシップやイタリアのモンツァ1000kmレースなどで度々優勝を収めている[45]

全日本GT選手権では1999年にF1 GTR ロングテールが参戦、性能調整で思うような結果は残せなかったが、2001年の参戦時には最終戦で1勝を挙げている[53]。また、2005年のSUPER GTでは富士スピードウェイの2戦にスポット参戦しており、これがF1 GTRが国際的なモータースポーツに参戦した最後の事例だとされている[54][55]

後継モデル

2013年、マクラーレン・オートモーティブからマクラーレン・P1が発表された。マクラーレンのホームページでは、P1をF1の”正当な後継マシン”と記載している [56]。 また、2018年に発表されたマクラーレン・スピードテールはセンターシートによる3シーターレイアウトを採用しており、マクラーレンからはF1を想起させるレイアウトとアナウンスされている[57]

マクラーレン・オートモーティブとは別に、ゴードン・マレーによって設立されたゴードン・マレー・オートモーティブ(GMA)から2020年にT.50が発表された。センターシート形状、車体下の空気を吸いだすファンなどを採用しており、マレーからはF1を主眼に置いて設計・開発されたことが語られている[58]

脚注

注釈

  1. ^ 原文では”It will not go any more than 391”
  2. ^ 資料によっては”ハイダウンフォースパッケージ”と呼称される場合もある
  3. ^ シャーシナンバー14Rは第5戦の菅生でクラッシュしたため、BPRグローバルGTシリーズのチームであるGTCコンペティションからシャーシナンバー04RのF1 GTRを購入し第6戦に使用した。

出典

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関連項目

外部リンク