辻元清美
辻元 清美 つじもと きよみ | |
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生年月日 | 1960年4月28日(64歳) |
出生地 | 奈良県吉野郡大淀町 |
出身校 | 早稲田大学教育学部 |
前職 | 国際交流NGOスタッフ |
現職 | 衆議院議員 |
所属政党 |
(社会民主党→) (無所属→) (社会民主党→) (無所属→) (民主党→) 民進党 |
称号 | 教育学士(早稲田大学・1987年) |
公式サイト | つじともWEB:辻元清美オフィシャルサイト |
選挙区 |
(比例近畿ブロック→) (大阪10区→) (比例近畿ブロック→) (大阪10区→) (比例近畿ブロック→) 大阪10区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1996年 - 2002年3月28日[1] 2005年 - 現職 |
内閣総理大臣補佐官(災害ボランティア活動担当) | |
内閣 | 菅第2次改造内閣 |
在任期間 | 2011年3月13日 - 2011年9月5日 |
辻元 清美(つじもと きよみ、1960年4月28日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(6期)、民進党役員室長、民進党ネクスト内閣府特命大臣(新しい公共・社会的包摂・消費者及び食品安全・男女共同参画・子どもの貧困・自殺対策・NPO)、民主党新しい公共・社会的包摂総合調査会長。児童擁護議員連盟会長。立憲フォーラム幹事長。NPO議員連盟幹事長。
民主党幹事長代理、社会民主党政策審議会会長(第5代)・国会対策委員長(第8代)、国土交通副大臣(鳩山由紀夫内閣)、内閣総理大臣補佐官(災害ボランティア活動担当)などを歴任。
来歴
生い立ち
名古屋大学教育学部附属高校卒業。卒業後デパートで2年間販売員として働いた[2]。 早稲田大学教育学部卒業。早大在学中の1983年(昭和58年)、その前年に起きた歴史教科書問題に触発され、アジア諸国と日本の交流の活性化を目的としたNGO「ピースボート」を設立した。その後も市民運動に関わり1993年(平成5年)にはエイボン女性大賞教育賞を受賞。
社民党から衆議院議員
1996年(平成8年)、同年に日本社会党から改称した社会民主党党首の土井たか子の誘いを受け、第41回衆議院議員総選挙に比例近畿ブロック単独で出馬し、初当選。
議員活動では特定非営利活動促進法(NPO法)、被災者生活再建支援法、情報公開法、児童買春・ポルノ禁止法などに取り組んだ。COP3「地球温暖化防止」プロジェクトチーム、男女共同参画社会基本法、環境アセスメント法審議に関わる。
当時、社民党は自社さ連立政権の一翼をになう与党であったが、社民党・新党さきがけ2党は総選挙直前に大量の離党者を出し(その多くが旧民主党結党に参加)、総選挙で惨敗を喫した。総選挙を経て発足した第2次橋本内閣では社民・さきがけは閣僚を出さず、閣外協力に転じ、後に正式に連立政権を離脱する。なお、辻元は一般に「自社さ」と呼ばれた連立の枠組みを「社自さ」と呼んでいた。
2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では大阪10区から社民党公認で出馬し、公明党の石垣一夫、民主党の肥田美代子らを破り、再選。同年、社会民主党政策審議会長に就任。
逮捕・議員辞職
2002年(平成14年)7月18日、辻元本人・初代政策秘書・土井党首の元秘書で指南役の五島昌子ら4人が秘書給与詐欺容疑で警視庁に逮捕された。逮捕後は口裏合わせをして証拠隠滅を図った事実及び詐欺容疑を全面的に認めた。2004年(平成16年)2月、東京地裁は、秘書給与1840万円を騙し取った詐欺罪の罪で、懲役2年・執行猶予5年の有罪判決を下した[3](2009年、猶予期間満了)
復帰
有罪判決に伴う刑の執行猶予中であった2004年(平成16年)7月、辻元は第20回参議院議員通常選挙に大阪府選挙区から無所属で立候補したが、次点で落選(全国最高得票数落選者)。
2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では社民党公認で出馬し、大阪10区では自由民主党の松浪健太に敗北したが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、3選。2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では前回敗れた松浪を大阪10区で破り、4選。選挙後の同年9月、党国会対策委員長に就任した。
早野透によれば、三党連立政権の発足時には水面下での交渉を担当したとされ、辺野古基地建設を「見直し」対象とする連立政権合意を成立させたという[4]。
国土交通副大臣
2009年(平成21年)9月に発足した民社国連立政権の鳩山由紀夫内閣において、国土交通副大臣に就任する。国会対策委員長の職にあった辻元は当初、党務に携わるため就任の要請を固辞したが、社民党党首の福島瑞穂が既に閣議で辻元の国交副大臣就任を含む政務三役の人事案に同意し署名していたため、最終的に辻元は国土交通副大臣就任を受け入れた[5]。あわせて国対委員長を辞任し、同職は重野安正社民党幹事長が代行し[6]、辻元は翌2010年(平成22年)1月、正式に国対委員長を辞任した(後任は照屋寛徳)。国対委員長辞任後、新たに設けられた社民党特命常任幹事に就任し、党執行部には残留している。
なお国会議員時代の刑事事件で有罪判決を受けた者が刑の効力が失われた後に行政府の役職に就くのは、1997年(平成9年)に第2次橋本改造内閣で総務庁長官に就任した佐藤孝行以来12年ぶり。ただし、佐藤孝行は、当時閣外協力をしていた社民党からの辞任要求によって、わずか12日間で辞任に追い込まれている。
公共事業費の削減
国土交通副大臣就任直後の2010年度予算の公共事業費は、2009年度予算に比べ、18.3%の削減がなされている[7]。この予算削減に関して、辻元は官僚と一緒に考えるという「政治主導」モットーだったと述べている[8]。
JAL再建対策本部・事務局長
2009年10月30日、JAL再生タスクフォースの解散後に設置されたJAL再建対策本部(本部長・前原誠司)の事務局長に就任した。大鹿靖明によれば、辻元は「JALの破綻はこれまで日本が経験したことのない国際大型倒産である」という認識から政府内やメガバンクとの調整にまわり、メガバンクとの会談では「いま、ここにいる人が大喧嘩したら日本の経済に大打撃を与えます。みなさんが鍵を握っているのです。100%納得するのはありえないでしょうから、歩み寄ってほしいのです」と語りかけたという。同席した大塚耕平金融担当副大臣は辻元の交渉を「タフネゴシエーターだった」と評価している[9]が、日本政策投資銀行など日航の主力取引銀行は金融支援の要請を留保するだけではなく、日航への融資に対する保証を政府が確保することを要請される結果となった[10]。2010年1月19日、最終的にJALには会社更生法が適用された[11]。
観光立国推進本部・事務局長
2009年12月1日に、観光立国推進本部の事務局長に就任した。中国人の観光ビザ取得要件の緩和に取り組み、発給条件の年収25万元(約320万円)以上を過度な所得制限と述べ、年収6万元(約80万円)に引き下げた。2010年(平成22年度)の中国人観光客が前年比41%増加を実現したことから、辻元は予算のいらない経済刺激策と自賛している[12]。
国交省予算配分漏洩問題に対して
2010年(平成22年)2月4日、国土交通省が関連する公共事業の予算配分に関する情報を民主党の地方組織に漏洩させた馬淵澄夫国土交通副大臣の更迭を求めた自民党に対し、「(自民党は)過剰反応している」と退けた[13]。
連立離脱により辞任へ
2010年(平成22年)5月、沖縄県の普天間基地移設問題で、日米の政府間合意に閣議決定で反対し署名を拒否した内閣府特命担当大臣の福島瑞穂が鳩山由紀夫首相に閣僚を罷免され、社民党も連立政権からの離脱を決定。辻元は5月31日、前原誠司国交相に辞表を提出し、副大臣を辞任した。辞表提出後のインタビューで、手がけた道半ばで辞めたくなかったと涙ながらに語った。
連立離脱について辻元は「鳩山政権離脱という選択が良かったのかどうかは、迷う。離脱することによって、自民党政権が復活したり、改憲への道が開けたりする恐れがあるねん。肝心の普天間基地の問題かって、どうしようもないカッコ悪さに耐えながら、政権に残っていた方が余地が大きかったんと違うかなあ。『地獄への道は善意で舗装されている』という言葉があるように、正しい選択が正しい結果を導くとは限らんやろ」と述べ[14]、「当時、日米合意があっても沖縄の合意がなければ辺野古移設は実現しないという閣議決定はできないか、と折衝していました。私はその歯止めができないかと考えていたんです」と主張している[15]。
離党
2010年(平成22年)7月、「現実との格闘から逃げずに国民のための仕事を一つずつ進めていきたい」[16]として、社民党を離党する意向を表明。7月26日夜に重野安正幹事長と会談し、その席で離党の意向を伝えた。7月27日の午前中には福島党首から離党を思い留まるよう慰留されるも、福島の説得を受け入れず、次の衆議院議員総選挙には無所属で出馬する考えを表明。9月に辻元が民主党に入党すると、福島は「応援した人を裏切っていくことは、一人の政治家として良いことではない。理念より権力に近寄る方を選択すると思ってしまう。すごく残念だ」と記者会見で述べた[17]。
福島党首との面談が重野幹事長との会談の翌日となったことについては、「参院選が終わってすぐに事務所を通じて面会のお願いはしていたんです。離党を決める前に一度は議論したかったから。決めようとした日程が2度キャンセルになって、その後も時間を合わせようとしましたが『当分忙しくて会えない』。私から本人の携帯に直接電話してもつながらなかった。・・・会ったときに確認したら『体調が悪かった』と言っていました。・・・幹事長と4時間ぐらい話した後、遅くに福島さんから電話があって『党を離れようかと思う』とお伝えしました。次の朝もかかってきて『どこかで会えないか』と言われたので参院議員宿舎まで福島さんに会いにいったのです。・・・もう離党する決意は固まっていました」と主張している[18]。
社民党は8月19日、離党届を受理し、除名などの処分は行わなかった。これは、地元の党大阪府連合の意向に沿ったものである[19]。
民主党入党
2010年(平成22年)9月28日、衆議院の会派「民主党・無所属クラブ」に入会[20]。また、国土交通委員会理事に就任した。2011年9月10日に民主党に入党届を提出し、9月27日に入党した(同時に衆院大阪府第10区支部長に就任)。10月20日、民主党政調副会長に就任。
内閣総理大臣補佐官(災害ボランティア活動担当)
- 2011年(平成23年)3月13日、東日本大震災を受け、災害ボランティア活動担当の内閣総理大臣補佐官に就任。
- 2011年(平成23年)7月30日、東日本大震災津波ボランティア連絡会議を開催。
- 2011年(平成23年)9月5日、野田内閣の発足をうけ、首相補佐官を退任。
民主党での活動
- 2011年11月に開催された事業仕分けで、前原誠司政調会長から「仕分け人」に選ばれる[21]。
- 2011年大阪市長選挙では、平松邦夫候補を支持し、応援演説では対立候補の橋下徹を激しく批判した。
- 2012年4月19日、「秋の大型連休」導入を検討するプロジェクトチームの座長として初会合を開いた。
- 2012年4月24日、民主党の人事により国土交通部門会議座長に就任した。
- 2012年12月16日、第46回衆議院議員総選挙で大阪10区より出馬、松浪に敗れたものの比例近畿ブロックで復活し5選。ちなみに同選挙で大阪の選挙区から出馬して当選した民主党の候補者が他にいなかったため当時は民主党大阪府連に属する唯一の衆議院議員であった。
- 2014年9月26日、民主党ネクスト内閣府特命大臣(新しい公共・社会的包摂・消費者および食品安全・男女共同参画・子供の貧困・自殺対策・NPO)・民主党新しい公共・社会的包摂総合調査会長に就任。安倍政権の目玉政策である、いわゆる「女性活躍」法案について、政策担当として修正案策定に携わった[22]。
- 2014年12月14日、第47回衆議院議員総選挙で大阪10区より出馬し、6選。なおこの選挙では大阪11区より出馬した平野博文が比例復活し民主党大阪府連に所属する衆議院議員が辻元のみという事態は回避された。
- 2015年1月に行われた民主党代表選挙では、元代表・岡田克也の推薦人に名を連ねた[23]。
- 2015年12月、民主党役員室長に就任[24]。
政策・活動
- 自身の目指す政策を「仕事をつくる、暮らしを守る」とし、重視する政策として以下を挙げている[25]。
- 年金からの株式投資への反対
- 庶民の苦しむ増税への反対
- 介護・子育てに対する施策
- 中小企業・地域ビジネス活性化
- 社会起業家倍増計画
- 空き家・休眠預金の活用
- 自然エネルギー・脱原発
- 集団的自衛権行使への反対
- 大阪の防災計画の点検
- 地域交通と観光立国
- その他
- 菅政権では内閣官房につくられた「一人ひとりを包摂する社会」特命チーム座長代理として、元「年越し派遣村」村長の湯浅誠らと緊急提言を作成、提出した[26]。
- 選択的夫婦別姓制度に賛成[27][28]。「上司の判断で許可されない会社もまだ多いため、通称使用では本質的な解決にはならない」と述べる[29]。
- 2011年6月、超党派のNPO議員連盟幹事長として、全会一致によるNPO法の大幅改正、新寄付税制の成立に寄与。NPO法改正は通常国会で議員達の活躍を評価する「国会『三賞』」に選ばれた[30]。
- 2012年6月に消費税増税法案の採決で賛成した[31]。
- しきしま級「あきつしま」の建造を財務省の反対を押し切って進めた。その理由として、海上保安庁は日本の平和維持に大きな役割を果たしており、設備の整備は大事だと思っているためだと述べている[32]。
議員連盟
発言
- 1996年(平成8年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
- 2005年(平成17年)
- 2008年(平成20年)
- 「従軍慰安婦問題を日本政府が「国民基金」で解決しようとしたことを反省する必要がある」[39]。
- 「金融危機の震源地である当のアメリカを見てください。まさにいま、大統領選挙をやっているではないですか。両政党がそれぞれ選挙で経済政策をはっきりと示して、国民に選んでもらおうとしています。こういうところこそ、アメリカにならうべきでしょう。私は、この危機をどう乗り切るかをテーマに、一刻も早い総選挙を行うべきだと考えます。各政党が経済政策を示し、議論すべきです。「経済が大変だから選挙をしない」のではなく、正々堂々と競い合って、選ばれた政権が国民が選んだ経済政策にのっとって実行すれば、国民も納得するはずだ」[40][41]。
- 2009年(平成21年)
- 「天皇は憲法に規定されている」[42]
- 2013年(平成25年)
エピソード
- 2005年、親交のある社会活動家で女性問題に取り組む北原みのりが経営するアダルトグッズショップが、渋谷のカフェで開催した女性限定のイベントにゲストとして参加した[46]。当イベントでゲストにサインをもらってオークションにかけたいと北原に頼まれた辻元はバイブレーターへのサインに応じた[47][48]。該当の品を落札したのが、のちにバッシング記事を書く「週刊新潮」の女性記者であったことを、北原が著書で明かしている[49]。また後日北原は、軽い気持ちでお願いしたこの件が、辻元へのデマ(後述)や中傷のもととなったことや、辻元とバイブの合成写真がネット上に流布し拡散され続けていることに責任を感じ、申し訳ないと語っている[48]。
- 鈴木宗男事件では衆議院議員・鈴木宗男を激しく追及したが、その後、2009年に国会で「(裁判では自身が追求した疑惑等は出ておらず)確証がなかった点は認めざるを得ないと思っております」と説明、同事件で鈴木が一・二審有罪とされていることについては、「(同事件が)係争中であるため、申し上げる立場にはございません」とコメントした[50]。
- 社民党を離党した直後、鈴木宗男から電話があり、「たった一人の無所属で、どう国会を戦っていくか俺が教えてやる」とエールを送られた[51]。
- 朝まで生テレビ!で共演し、たびたび辻元と議論した小林よしのりは、自身の著作である『ゴーマニズム宣言』などで辻元を何度も登場させている。
- 2015年11月5日、小林よしのりは、辻元清美について、「よく勉強している。憲法については意見は全く合わないが、その他の論点ではかなり合意できる。もし改憲派であれば首相に推したいくらい」と評価し、「(辻元を中傷する)あまりにも多くのデマが飛び交っていて、そのデマをネトウヨだけでなく、一般人も、さらになんと政治家や官僚も信じ込んでる始末」と指摘している[52]。
デマ被害
- 1992年、辻元はカンボジアでPKO活動中の自衛官に「あんた!そこにコンドーム持っているでしょう」と発言したなどと阿比留瑠比に2011年の産経新聞で書かれた[53][54]が、阿比留が根拠とした宮嶋茂樹の著書に実際には辻元がそのような発言をしたとの記述はなく、辻元自身もホームページで「この非常時に公器としての報道機関がデマを拡散させたことに、厳重に抗議いたします」と批判した[55]。
- 2014年12月2日、自身のサイトで多くのデマ被害を訴えた[59]。前述のコンドームに関する内容や阪神淡路大震災の被災地で反政府ビラをまいたという震災に関するデマ[60]、ピースボートに関するデマ[61]、無関係な過激派・日本赤軍に関するデマ[62]、バイブレーターに関するデマ[63]、東日本大震災時の現地視察に関するデマ[64]、支援物資を横流ししたというデマ[65]、金正日に逢えると号泣したというデマ[66]、自衛隊への認識に関するデマ[67]、在日朝鮮人[68]や帰化日本人などといった民族を理由とするデマ[69]、存在しない内縁の夫のデマ[70]などを挙げ、街頭演説中にデマを信じた人間から襲撃された被害もあわせて報告した[71][72]。
- 2015年5月28日、自民党の安倍晋三が「早く質問しろよ」とやじを飛ばした際、実際に演説した時間は3分50秒にもかかわらず「辻元が30分以上演説し、総理がいらだった」とするデマが、ネット右翼らによって拡散された[73]。
- 2015年7月13日、自民党のネット番組で、丸川珠代が「ピースボートに乗った辻元が海賊の出る海域で自衛隊に守ってもらった」、安倍晋三が「海賊対処の法案に民主党は反対だったのに助けてくれということ」などと述べた事は、デマやレッテル貼りであるとして撤回と謝罪を求めた[74]。このうち丸川のみ謝罪し、自民党が「不快の念を与えたとすればおわび申し上げる」と文書で謝罪した[75][76]。
その他
- 後援組織は「つじもとネット」(代表:伊田広行)
清美応援団一覧
自身のホームページでメッセージ動画を寄せている著名人[77]
著作
単著
特記なき物は第三書館刊
- 『清美するで!!——新人類が船を出す』1987年。
- 『ありのまま主義宣言っ!——うどん屋の娘に国境はいらない』芸文社、1990年。ISBN 9784874651964
- 『転職して、国会議員になった』1997年 ISBN 9784807497096
- 『辻元清美の永田町航海記』1998年 ISBN 9784807498147
- 『辻元清美の「今からでも、変えられる」』2000年 ISBN 9784807400089
- 『総理、総理、総理!!——“小泉現象”におそれず、ひるまず、とらわれず』2001年 ISBN 9784807401123
- 辻元清美著『なんでやねん』2002年 ISBN 9784807402083
- 辻元清美著『へこたれへん。』角川書店、2005年 ISBN 9784048839310
- 辻元清美著『いま、「政治の質」を変える』岩波書店 2012年 ISBN9784000221924
共著
- 大阪ボランティア協会編『ザ・ピースボート——今、 あぶないことがオモシロイ』大阪ボランティア協会出版部、1992年。
- 村山富市談、インタビュー『そうじゃのう…-村山富市「首相体験」のすべてを語る』第三書館、1998年。ISBN 9784807498109
- 早瀬昇・松原明『NPOはやわかりQ&A』岩波書店、2000年。ISBN 9784000092111
- 斎藤貴男ほか『憲法を決めるのは誰ですか?』労働大学出版センター、2006年。
- 上野千鶴子『世代間連帯』岩波書店、2009年。ISBN 9784004311935
脚注
- ^ 衆議院会議録情報 第154回国会 本会議 第17号
- ^ 『政治家の本棚』朝日新聞社 (2002年04月)p.421
- ^ 平成16年2月12日宣告 東京地方裁判所平成15年刑(わ)第2860号詐欺被告事件
- ^ 朝日新聞『ポリティカにっぽん』「民社国政権発足」2009.9.17
- ^ 副大臣就任に「やだ、やだ、やだ!」社民ドタバタ劇に民主が溜息 産経ニュース 2009.9.20
- ^ 社民、辻元副大臣に代わり重野幹事長が国対委員長を代行 産経ニュース 2009.9.24
- ^ 出典:廣原孝一、「国土交通政策の課題」『立法と調査』P125 2011.1
- ^ 出典:辻元清美著「いま、『政治の質』を変える」岩波書店 2012.5
- ^ 大鹿靖明・著『堕ちた翼——ドキュメントJAL倒産』朝日新聞出版、2010.4.30
- ^ 日航再建で銀行につなぎ融資要請 対策本部、政府保証検討へ 2009年11月6日 琉球新聞 [1]
- ^ 株式会社企業再生支援機構による支援決定及び会社更生手続の開始決定等に関するお知らせ JALプレスリリース
- ^ 辻元清美BLOG [2]
- ^ 辻元副大臣、予算配分伝達の馬淵氏の更迭要求は「過剰反応」 - 産経新聞 2010年2月4日 [3]
- ^ 朝日新聞「耕論」2010.6.4
- ^ 『AERA』「福島瑞穂VS辻元清美」2011.9.26号
- ^ 私の離党届提出について つじともweb2010.7.27
- ^ 『辻元清美氏の民主党入りに、社民党・福島瑞穂党首「裏切り、良くない」』時事通信 2011/09/08
- ^ 『AERA』「体重5キロ減りました」2010.8.9号
- ^ 『朝日新聞』8月19日 辻元議員の離党届受理 社民、除名処分は見送り 2010年8月19日17時54分
- ^ 辻元清美氏、民主会派入り…国交委筆頭理事に 読売新聞 2010年9月28日閲覧
- ^ 朝日新聞 2011/10/24 [4]
- ^ 2014/11/12日経新聞
- ^ 民主代表選候補の推薦人名簿 時事ドットコム 2015年1月7日 2015年1月8日閲覧。
- ^ [http://www.sankei.com/politics/news/151214/plt1512140023-n1.html 民主党人事、大畠氏が副代表 辻元氏は役員室長に]
- ^ 公式ページ:政策
- ^ 自身のブログ
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ マガジン9, 2010年、「日本の政治思想図はこうなっている」、2010年12月22日
- ^ 「女性国会議員に『選択的夫婦別姓』の賛否を聞いてみた」、女性自身、2015年12月25日。
- ^ 朝日新聞「政治考」、2011.9.30
- ^ 『ZAITEN』2012年9月号、財界展望新社、p86。
- ^ 辻元清美女史とリベラルの復権その他で対談をしたんですが、話が噛み合いませんでした [5]
- ^ 週刊文春、2014年11月13日
- ^ 社民党も参加していた村山富市・橋本龍太郎自社さ連立政権下における発言
- ^ 『憲法公布54周年 -憲法を守り暮らしに生かす- 護憲の集い』におけるパネラーとしての発言(2000年10月27日)
- ^ 「ガールズ・ビー・ポリティカル」インタビュー記事、2001年11月12日
- ^ 2005年10月1日、アダルトイベント「女祭」での発言 週刊新潮 2005年10月13日号
- ^ 2005年10月1日、上記発言を行った際の前置きとして発言 『週刊新潮』2005年10月13日号
- ^ 「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」第22回報告 2008年8月10日
- ^ アメリカにならって「どうやって危機を乗り切るか」をテーマに総選挙を 「辻元清美のつじもとWEB」2008年10月10日
- ^ 麻生内閣が2008年(平成20年)内に衆議院解散・総選挙を行うかに関しての発言
- ^ 2009年11月13日、宮中茶会において、小林よしのりからの問いに対する回答 「新ゴーマニズム宣言」SAPIO 2010年1月27日
- ^ 2013年3月8日衆議院予算委員会の質疑
- ^ http://yukan-news.ameba.jp/20130308-311/
- ^ いよいよアベノミクスがアベノリスクに:5月26日・高槻市での街頭演説より[6]
- ^ LOVE PIECE CLUB オンナ祭り (北原みのりが運営するアダルトグッズストア、公式サイト)
- ^ 週刊新潮 2005年10月13日号
- ^ a b LovePieceClub「辻元清美さんに関する中傷と私の責任・謝罪」2014年12月1日 北原みのり
- ^ 北原みのり・著『アンアンのセックスできれいになれた?』朝日新聞出版、2011.8.30
- ^ 衆議院外務委員長 2009年11月18日議事録
- ^ “宿敵”宗男氏、辻元氏を評価「勇気ある決断」 スポーツ報知 2010年7月28日
- ^ 「辻元清美議員はよく勉強している」 小林よしのりオフィシャルwebサイト 2015年11月5日
- ^ 阿比留瑠比 (2011年3月21日). “【政論】隊員踏みにじる最高指揮官”. 産経新聞(東京朝刊) (産経新聞東京本社)
- ^ 震災に関するデマについて 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ 辻元清美に関するデマについて つじともweb2011.3.23
- ^ “辻元衆院議員が産経新聞を提訴 「虚偽報道で名誉毀損」”. 共同通信社. 47NEWS. (2012年1月19日) 2012年9月27日閲覧。
- ^ 産経新聞に賠償命令、辻元議員への名誉毀損認定 読売新聞 2013年3月22日
- ^ 辻元清美議員の名誉毀損訴訟、産経の賠償確定 読売新聞 2013年4月9日
- ^ 「デマに苦しんでいる」WEBサイトで候補者 Economic News 2014年12月5日
- ^ 震災に関するデマ 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ ピースボートに関するデマ 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ 日本赤軍、過激派に関するデマ 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ バイブレーターに関するデマ 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ 東日本大震災時の現地視察に関するデマについて 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ 支援物資を横流ししたというデマに関して 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ 金正日に逢えると号泣したというデマに関して 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ 自衛隊への認識に関するデマ 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ 辻元清美女史とリベラルの復権その他で対談をしたんですが、話が噛み合いませんでした 山本一郎 2014年12月1日
- ^ 民族を理由とするデマについて 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ 内縁の夫のデマについて 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ 辻元清美氏 震災・バイブ・日本赤軍等関連デマを否定 アメーバニュース 2014年12月03日
- ^ 今、辻元清美はデマに苦しんでいます。 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2014年12月2日
- ^ 辻元清美氏 首相のヤジ問題で「ネット上のデマ」指摘 アメーバニュース 2015年05月30日
- ^ 安倍晋三総裁と丸川珠代議員の発言の撤回と謝罪を 辻元清美オフィシャルWEBサイト 2015年7月14日
- ^ 自民、辻元氏に謝罪 インターネット番組で 日本経済新聞 2015年7月14日
- ^ 自民・丸川参院議員が民主・辻元衆院議員に謝罪 Economic News 2015年07月15日
- ^ 清美応援団 応援メッセージ
外部リンク
- つじともWEB:辻元清美オフィシャルサイト
- 辻元清美 (@tsujimotokiyomi) - X(旧Twitter)
- 辻元清美 (100005838250019) - Facebook
公職 | ||
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先代 金子恭之 加納時男 |
国土交通副大臣 馬淵澄夫と共同 2009年 - 2010年 |
次代 馬淵澄夫 三日月大造 |
党職 | ||
先代 日森文尋 |
社会民主党国会対策委員長 第8代:2009年 - 2010年 |
次代 照屋寛徳 |
先代 濱田健一 |
社会民主党政策審議会長 第5代:2000年 - 2002年 |
次代 大脇雅子 |