照屋寛徳
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| 生年月日 | 1945年7月24日(66歳) |
|---|---|
| 出身地 | |
| 出身校 | 琉球大学法文学部 |
| 学位・資格 | 法政学士 |
| 前職 | 弁護士 |
| 所属委員会 | 安全保障委員会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | (沖縄県選挙区→) 沖縄2区 |
| 当選回数 | 3回(参1回) |
| 所属党派 | (無所属→) 社会民主党 |
| 党役職 | 国会対策委員長 |
| 会館部屋番号 | 衆議院第2議員会館319号室 |
| ウェブサイト | テルヤ寛徳のブログ |
照屋 寛徳(てるや かんとく、1945年7月24日 - )は、日本の政治家、弁護士(登録番号:13361)。社会民主党所属の衆議院議員(3期)、社会民主党国会対策委員長。
参議院議員(1期)、社会民主党副党首・企画委員長を歴任した。
目次 |
[編集] 来歴
サイパン島の米軍捕虜収容所で生まれる。1968年、琉球大学法文学部を卒業。1972年、司法修習を終え弁護士登録。
1988年、沖縄県議会議員選挙に無所属(日本社会党推薦)で出馬し、当選。2期目の任期途中に辞職し、1995年の第17回参議院議員通常選挙に無所属(社会・公明・沖縄社会大衆党推薦)で出馬。保守系無所属の大城真順を破り、当選した。2001年の第19回参議院議員通常選挙では自由民主党の西銘順志郎に敗れ、落選。その後、社会民主党に入党。
2003年、第43回衆議院議員総選挙に沖縄県第2区から社民党公認で出馬し、当選。44・45回の総選挙でも沖縄2区で再選を果たした。2010年、社民党国会対策委員長に就任。福島瑞穂党首の4選後、照屋の党幹事長への起用が持ち上がったが、照屋が社民党歴の浅さを理由に辞退している。
[編集] 発言
[編集] 普天間基地代替施設移設問題
- 沖縄県名護市の市長選で米軍基地移設に反対する稲嶺進が当選したことを受けて、平野博文内閣官房長官が「民意を斟酌しなければならない理由はない」と発言したことに対して、照屋は「けしからんどころか、ぶん殴りたい。政治家としての感覚を疑う」と平野を激しく非難した[1]。
- 2010年4月23日、沖縄県庁で仲井真弘多知事と会談した際に「今この政権の中で、官邸や外務、防衛の大臣、官僚たちが(同県名護市の)辺野古現行案で決着させようとしている動きがある」と指摘した上で、「沖縄にとっても最悪の選択で、認めるわけにはいかない。たとえ連立政権が現行案に戻るようなことがあっても、拒否してほしい」と知事に求めた[2]。
- 2010年10月29日、那覇市で開かれた同年11月の沖縄県知事選において社民党が推薦する伊波洋一前宜野湾市長を支援するためパーティーにおいて、沖縄は『公職選挙法特区』ですから。逮捕を覚悟で腹をすえてやってもらいたい」「街頭行動を頑張ってもらいたい。公選法を守ろうと思っている人は(今日の飛行機の)最終便で(帰っていい)」「万一逮捕されたら弁護士は私でなく福島みずほを呼んで下さい」などと明言した。このパーティには福島みずほ党首ら党幹部に加え、全国の地方組織から週末のビラ配りなどのために沖縄に来た約90人が参加していた。その場では誰一人この発言を問題視する者はいなかったが、朝日新聞の取材に対しては「士気を高めるために冗談で言った」と述べ、本気で選挙違反を促したものではないと釈明している。[3]
[編集] 所属団体・議員連盟
[編集] 脚注
- ^ 2010安保:官房長官「普天間」発言 米への配慮背景 沖縄県民は混乱
- ^ 辺野古現行案に戻る動きも=沖縄知事に拒否求める-社民・照屋氏 4月23日 時事通信
- ^ 社民・照屋議員「沖縄は『公職選挙法特区』。逮捕を覚悟で腹をすえてやってほしい」 伊波氏支援パーティーで2010年11月01日朝日新聞
[編集] 外部リンク
- テルヤ寛徳のブログ(公式ブログ)
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| 先代: 辻元清美 |
社会民主党国会対策委員長 第9代 : 2010 - |
次代: 現職 |
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