小坂憲次
参議院議員 小坂 憲次 | |
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生年月日 | 1946年3月12日(78歳) |
出身地 | 長野県長野市 |
出身校 | 慶應義塾大学 |
学位・資格 |
法学士 アマチュア無線の免許 |
前職 |
日本航空従業員 自由民主党総裁秘書 |
所属委員会 |
環境委員会 憲法審査会 |
世襲 |
4世 曾祖父・小坂善之助 祖父・小坂順造 父・小坂善太郎、叔父・小坂徳三郎 |
選出選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 7回(衆6回・参1回) |
所属党派 |
(自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (太陽党→) (民政党→) 自由民主党(無派閥) |
会館部屋番号 | 参議院議員会館1209号室 |
ウェブサイト | 小坂憲次オフィシャルウェブサイト |
小坂 憲次(こさか けんじ、1946年3月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。参議院憲法審査会会長(初代)。
衆議院議員(6期)、文部科学大臣(第7代)、自民党参議院幹事長などを歴任した。
来歴
1990年代前半は、一貫して羽田孜の側近であった[要出典]。1993年に自民党を離党し、羽田が率いる新生党に入党する[要出典]。その後も羽田に従って新進党、太陽党、民政党と渡り歩いたが、羽田が菅直人元厚生大臣率いる旧民主党への合流を進めたことに反発[要出典]。民主党には合流せず、無所属の期間を経て、自民党に復党した。
2008年自由民主党総裁選挙では石破茂の選挙責任者を務める[1]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙において、自由民主党公認で長野1区より出馬するも、民主党公認候補の篠原孝に及ばず、比例復活も出来ずに落選した[2]。
2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる[3][4]。
2011年10月21日、参議院憲法審査会の初会合において行われた会長選出選挙で、江田五月前参議院議長を1票上回る23票を獲得し、会長に就任[要出典]。
経歴
- 東京学芸大学附属世田谷中学校卒業[要出典]
- 慶應義塾高等学校卒業
- 1968年 慶應義塾大学法学部法律学科卒業、日本航空に入社( - 1984年)
- 1986年 中曽根康弘秘書
- 1990年2月 衆議院議員初当選
- 1993年7月 衆議院議員再選
- 1994年
- 1996年
- 10月 衆議院議員3選
- 12月 羽田孜に従って新進党を離党し、太陽党結成に参加
- 1998年
- 1999年10月 小渕第2次改造内閣で郵政政務次官に就任
- 2000年
- 2001年
- 2002年1月 総務副大臣を退任
- 2003年11月 衆議院議員5選
- 2005年
- 2008年9月22日 衆議院議院運営委員長に就任
- 2009年8月30日 第45回衆議院議員総選挙で落選
- 2010年
- 7月11日 第22回参議院議員通常選挙に比例区から当選
- 8月19日 中曽根弘文参議院議員会長の下で自由民主党参議院幹事長に就任( - 2011年10月6日)
- 2011年10月21日 参議院憲法審査会会長に就任
- 2014年9月29日 参議院決算委員長に就任
- 2015年11月25日 早期の悪性リンパ腫の治療に専念するため、来夏の参院選の党公認を辞退する意向を明らかにした[5]。
政策
不祥事
公職選挙法違反
- 2010年の第22回参議院議員通常選挙で小坂への投票を依頼する文書を送付したとして、滋賀県警が、小坂が2007年から会長を務めていた全日本剣道道場連盟の事務局長の男性を公職選挙法違反(法定外文書頒布)容疑で書類送検した。このことについて小坂は「公職選挙法を順守するように強く申し渡していたのに、非常に残念。今後このようなことのないよう注意を促す」とのコメントを発表した[7]。
差別発言
- フジテレビで放送された生番組『報道2001』の中で、「馬鹿だ、チョンだ」などと発言し、謝罪した[8]。
発言
所属団体・議員連盟
- 親学推進議員連盟(副会長)
- 北京オリンピックを支援する議員の会(幹事)
- 日韓議員連盟(常任幹事)
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- 日本会議国会議員懇談会
- マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟(顧問)
- クラスター爆弾禁止推進議員連盟(発起人)
小坂家
曾祖父は小坂財閥の創業者で政治家としても活動した小坂善之助[10][11]。祖父は信濃毎日新聞社主や電源開発総裁を歴任し、政治家としても活動した小坂順造[10][11]。大叔父は信濃毎日新聞社長を務めた小坂武雄[10][11]。父は外務大臣を務めた小坂善太郎で[10][11]、叔父は運輸大臣を務めた小坂徳三郎[10][11]。
叔母の百合子は経済学者の美濃部亮吉に嫁ぎ、美濃部が東京都知事に就任する前に離婚した。その3人の息子は小坂姓に改姓し、長男は小坂の秘書を務めていた。大叔母のはる(善之助の次女)は第13代日本銀行総裁の深井英五に嫁ぎ[10][11]、その長女・結子(憲次の父・善太郎の従姉にあたる)は天文学者の萩原雄祐に嫁いだ[10][11]。雄祐の三男で日本テレビ放送網社長を務めた萩原敏雄は又従兄[10][11]、雄祐の孫で讀賣テレビ放送アナウンサーの萩原章嘉は又従兄の息子にあたる。
母方の祖父は第1次近衛内閣で拓務大臣を務めた大谷尊由である。
2009年、第45回衆議院議員総選挙の自民党マニフェスト策定プロジェクトチーム座長に内定している菅義偉選挙対策副委員長が、親の地盤を引き継ぐ世襲候補の立候補制限を公約に盛り込むよう提言した。菅の案は現職は適用外としたが、子弟を後継にする場合には選挙区替えが必要になるというものである。4月17日、小坂は党役員連絡会で「もしそういうことなら私は世襲の権化です!」「本当に規制するなら(世襲議員は)党から出ていくべきだということになる。私も覚悟を決めなければならない」と菅の案に反発した。ちなみに2009年まで、第1回衆議院議員総選挙で当選した衆議院議員の子孫で、かつ現職の衆議院議員だったのは小坂ただ1人であった[12]。
参考文献
- 佐藤朝泰 著 『閨閥 日本のニュー・エスタブリッシュメント』 立風書房、1981年10月30日発行
- 『財界家系譜大観 第6版』 現代名士家系譜刊行会、1984年10月15日発行、352頁 - 353頁
- 『財界家系譜大観 第7版』 現代名士家系譜刊行会、1986年12月10日発行、303頁 - 304頁
- 『財界家系譜大観 第8版』 現代名士家系譜刊行会、1988年11月15日発行、316頁 - 317頁
脚注・出典
- ^ “総裁選5候補の推薦人名簿”. 東京新聞. (2008年9月10日) 2015年11月4日閲覧。
- ^ “与党の主な落選候補者一覧”. 読売新聞. (2009年8月31日) 2010年1月19日閲覧。
- ^ 超党派議員がODA削減反対で一致 政府に申し入れへ
- ^ 平成23年4月14日第一次補正予算におけるODA削減に関する勉強会
- ^ 自民・小坂氏が次期参院選公認を辞退 早期の悪性リンパ腫と診断で 産経新聞 2015年11月25日閲覧
- ^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。
- ^ 小坂元文科相へ投票を「違法文書」剣道場へ送付 読売新聞 2010年8月11日
- ^ J-CAST ニュース 2009年9月8日
- ^ 朝日新聞、2006年3月6日
- ^ a b c d e f g h 『財界家系譜大観』 第6版 - 第8版
- ^ a b c d e f g h 『閨閥』、320-321頁。
- ^ “【自民党崩壊の現場】 衰えたブランド力 小坂憲次氏”. 産経新聞. (2009年10月26日). オリジナルの2009年10月28日時点におけるアーカイブ。 2014年5月20日閲覧。
外部リンク
公職 | ||
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先代 中山成彬 |
文部科学大臣 第7代:2005年 - 2006年 |
次代 伊吹文明 |
先代 創設 |
総務副大臣 遠藤和良と共同 2001年 - 2002年 |
次代 佐田玄一郎・若松謙維 |
議会 | ||
先代 金子原二郎 |
参議院決算委員長 2014年 - 2016年 |
次代 小泉昭男 |
先代 新設 |
参議院憲法審査会会長 初代:2011年 - 2014年 |
次代 柳本卓治 |
先代 笹川堯 |
衆議院議院運営委員長 第69代:2008年 - 2009年 |
次代 松本剛明 |
先代 坂本剛二 |
衆議院財務金融委員長 2002年 - 2003年 |
次代 田野瀬良太郎 |
党職 | ||
先代 谷川秀善 |
自由民主党参議院幹事長 2010年 - 2011年 |
次代 溝手顕正 |