スージー・ヴォルフ

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スージー・ヴォルフ
スージー・ヴォルフ (2014年)
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
生年月日 (1982-12-06) 1982年12月6日(41歳)
出身地 スージー・ストッダート(旧姓)
Suzanne Stoddart
イギリスの旗 イギリス
スコットランドの旗 スコットランド
同・オーバン
親族 トト・ヴォルフ(夫)
過去参加シリーズ
2002-04
2005
イギリス・フォーミュラ・ルノー
イギリス・F3

スージー・ヴォルフSusie Wolff 旧姓:ストッダート Stoddart, MBE 1982年12月6日 - )は、イギリススコットランド出身の女性元レーシングドライバーである。2006年からドイツツーリングカー選手権に参戦している。2012年にウィリアムズF1チームと開発ドライバーとして契約した[1]

2011年10月にドイツツーリングカー選手権(DTM)やF3メルセデスのプログラムを運営するHWAの共同オーナーであり、当時ウィリアムズF1の常務取締役であったトト・ヴォルフと結婚し、スイスエルマティンゲンに居住する[2][3]

経歴

カート

その経歴はカートレースから始まった。1996年にはイギリス女性カートドライバー・オブ・ザ・イヤーに選出された。1997年は多くの異なったカテゴリに参加し、その多くでトップを獲得した。彼女は24回中東カート選手権、スコットランド・ジュニアインターコンチネンタル「A」およびスコットランド・オープンジュニアインターコンチネンタル「A」カテゴリーのタイトルを獲得し、イギリス女性カートドライバー・オブ・ザ・イヤーに再び選出された。

1998年に彼女はイギリス・ジュニアインターコンチネンタル「A」カテゴリにステップアップし、ランキング10位となった。またフェデレーションカップ・ユーロピアン・インターコンチネンタル「A」選手権にも参加し、11位となる。同年再びイギリス女性カートドライバー・オブ・ザ・イヤーに選出された。

1999年、彼女はイギリス・フォーミュラ「A」選手権に参加し13位となる。また、フォーミュラ「A」世界選手権では34位となり、この年もイギリス女性カートドライバー・オブ・ザ・イヤーに選出された。2000年にはイギリス国内選手権でランキング10位となり、世界選手権では15位となった。この年は世界トップ女性カートドライバーに選出された[4]

フォーミュラ

ジュニアフォーミュラ~DTM

2001年の冬期シリーズのみの参戦を機に、2002年からは2004年までフォーミュラ・ルノーにフル参戦した。 2002年は目立った活躍をせずに終わったものの、2003年は表彰台1回獲得で年間9位、2004年は同3回で5位とまずまずの戦績を残した。

2005年にはイギリス・フォーミュラ3選手権にステップアップ。ただし、足首の怪我により2戦のみの出走でランキング18位に留まった。

2006年からはドイツツーリングカー選手権に活動の場を移し、2012年までレギュラードライバーとして出走。 しかし、5年目の2010年に2度の7位入賞を記録した以外は全レースを通じてノーポイントに終わる。

F1

2012年から、夫のトト・ヴォルフが常務取締役を務めるウィリアムズと技術開発ドライバーとして契約した[5]

2014年イギリスGPドイツGPのフリー走行でグランプリウィークにマシンを走らせた。F1公式セッションに出走した女性ドライバーは1992年ジョバンナ・アマティブラバム)以来となった。なお、この際はバルテリ・ボッタスのマシンを使用している。

2015年はテストドライバーに昇進した[6]。この年の第2戦マレーシアGPでは負傷を抱えていたボッタスが出走するか微妙な状況が続き、代役としてヴォルフのデビューが噂された。リザーブドライバーがおらず、事実上はヴォルフがレギュラー2人に次ぐ3番手の地位にあったことも報道に拍車をかけた。しかしウィリアムズはそのリザーブとしてエイドリアン・スーティルと急きょ契約し、また最終的にはボッタスが回復したためヴォルフの参戦は幻に終わる。

2015年11月、モータースポーツ競技からの引退を表明した[7]

引退後

引退後の2017年4月、第1子を出産[8]

2018年フォーミュラEに参戦するヴェンチュリー・レーシングのチーム代表に就任。2022年1月には同チームの最高経営責任者(CEO)に昇格するが[9]、同年8月にはCEOを辞任しチームを離れた[10]

レース戦績

略歴

シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
2002 フォーミュラ・ルノーUK チーム・DFR 11 0 0 0 0 45 18位
2003 モタワールド・レーシング 17 0 0 0 1 215 9位
2004 コムテック・レーシング with ダッカムス 20 0 0 0 3 284 5位
2005 イギリス・フォーミュラ3 アラン・ドッキング・レーシング 2 0 0 0 0 2 18位
2006 ドイツツーリングカー選手権 ミュッケ・モータースポーツ 10 0 0 0 0 0 17位
2007 10 0 0 0 0 0 20位
2008 パーソン・モータースポーツ 11 0 0 0 0 0 18位
2009 10 0 0 0 0 0 16位
2010 11 0 0 0 0 4 13位
2011 10 0 0 0 0 0 NC
2012 フォーミュラ1 ウィリアムズF1チーム 開発ドライバー
ドイツツーリングカー選手権 パーソン・モータースポーツ 10 0 0 0 0 0 NC
2013 フォーミュラ1 ウィリアムズF1チーム 開発ドライバー
2014 ウィリアムズ・マルティーニ・レーシング
2015 テストドライバー

イギリス・フォーミュラ3選手権

チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 順位 ポイント
2005年 アラン・ドッキング・レーシング 無限 C DON
1

9
DON
2

11
SPA
1
SPA
2
CRO
1
CRO
2
KNO
1
KNO
2
THR
1
THR
2
CAS
1
CAS
2
MNZ
1
MNZ
2
SIL
1
SIL
2
NUR
1
NUR
2
MON
1
MON
2
SIL
1
SIL
2
18位 2

ドイツツーリングカー選手権

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
2006年 ミュッケ・モータースポーツ AMG-メルセデス・C-クラス 2004 HOC
10
LAU
15
OSC
15
BRH
16
NOR
14
NÜR
Ret
ZAN
12
CAT
15
BUG
13
HOC
9
17位 0
2007年 AMG-メルセデス・C-クラス 2006 HOC
Ret
OSC
16
LAU
12
BRH
16
NOR
16
MUG
10
ZAN
17
NÜR
18
CAT
Ret
HOC
14
20位 0
2008年 パーソン・モータースポーツ AMG-メルセデス・C-クラス 2007 HOC
16
OSC
14
MUG
15
LAU
17
NOR
10
ZAN
15
NÜR
12
BRH
19
CAT
Ret
BUG
12
HOC
Ret
18位 0
2009年 AMG-メルセデス・C-クラス 2008 HOC
Ret
LAU
11
NOR
10
ZAN
11
OSC
10
NÜR
11
BRH
13
CAT
15
DIJ
14
HOC
16
16位 0
2010年 HOC
11
VAL
10
LAU
7
NOR
15
NÜR
Ret
ZAN
15
BRH
Ret
OSC
10
HOC
7
ADR
14
SHA
11
13位 4
2011年 HOC
12
ZAN
12
SPL
13
LAU
DNS
NOR
13
NÜR
14
BRH
14
OSC
Ret
VAL
11
HOC
15
NC 0
2012年 AMG-メルセデス・C-クーペ HOC
12
LAU
21
BRH
20
SPL
14
NOR
Ret
NÜR
17
ZAN
12
OSC
Ret
VAL
13
HOC
13
NC 0

F1

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 WDC ポイント
2014年 ウィリアムズ FW36 メルセデス PU106A Hybrid 1.6 V6 t AUS MAL BHR CHN ESP MON CAN AUT GBR
TD
GER
TD
HUN BEL ITA SIN JPN RUS ABU USA BRA - -
2015年 FW37 メルセデス PU106B Hybrid 1.6 V6 t AUS MAL CHN BHR ESP
TD
MON CAN AUT GBR
TD
HUN BEL ITA SIN JPN RUS USA MEX BRA ABU - -

脚注

外部リンク