おたく

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東京・秋葉原の電気街。中央通り万世橋から第一半田ビルを望む(2013年)
秋葉原駅頭。改装前の秋葉原ラジオ会館が見える(2003年)

おたくとは、サブカルチャーの愛好者を指す言葉で、1980年代に生まれたとされる日本独自の呼称。 特にアニメ漫画ゲームなどの趣味を持つ人たちを指すことが多いが、明確な定義があるわけではなく、「ファン」「マニア」と同義に使われることもある。オタクまたはヲタクとも表記される。

概要

日本サブカルチャーから広まった言葉である。語源は二人称代名詞の「お宅」であり、SF漫画アニメファンが「おたく」と呼び合っていたことが由来である。

1983年コラムニスト中森明夫コミックマーケットに群がる若者の異様な現象を統合する呼び名として取り上げた。1989年に発覚した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件において、犯人が収集していた多数のビデオテープ漫画が「おたく」と結びつけられ、マスコミを中心にオタクバッシングが起こった。そのため、暫くの間「おたく」は蔑称差別用語として扱われた。その後、1990年代後半からのインターネットの普及や、アニメ、漫画、コンピュータゲーム社会的地位の向上により、おたくへの悪い印象は薄れ、現在では意味合いが変化し、広く漠然とした領域のファンを包括した言葉となっている。

歴史

現在使われている意味・言葉としての「おたく」は、日本で2番目のロリコン漫画雑誌『漫画ブリッコ』(白夜書房1983年6月号から8月号まで中森明夫が連載した『東京おとなクラブ』の出張コーナー「東京おとなクラブJr.」[1]内のコラム『おたく』の研究」が初出とされている。

中森は、コミックマーケット(コミケ)に集まる人々をこう書いている。

その彼らの異様さね。なんて言うんだろうねぇ、ほら、どこのクラスにもいるでしょ、運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴らが。(中略)

それで栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタかてな感じで、女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足を白いハイソックスで包んでたりするんだよね。普段はクラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴らが、どこからわいてきたんだろうって首をひねるぐらいにゾロゾロゾロゾロ一万人!それも普段メチャ暗いぶんだけ、ここぞとばかりに大ハシャギ。(中略)もー頭が破裂しそうだったよ。それがだいたいが十代の中高生を中心とする少年少女たちなんだよね。(中略)

それでこういった人達を、まあ普通、マニアだとか熱狂的ファンだとか、せーぜーネクラ族だとかなんとか呼んでるわけだけど、どうもしっくりこない。なにかこういった人々を、あるいはこういった現象総体を統合する適確な呼び名がいまだ確立してないのではないかなんて思うのだけれど、それでまぁチョイわけあって我々は彼らを『おたく』と命名し、以後そう呼び伝えることにしたのだ。 — 『漫画ブリッコ』1983年6月号、『おたく』の研究(1)街には『おたく』がいっぱい[2]
さて前回は、この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達を『おたく』と名づけるってとこまで話したんだよね。『おたく』の由来については、まぁみんなもさっしがつくと思うけど、たとえば中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に「おたくらさぁ」なんて呼びかけてるのってキモイと思わない。(中略) それにさぁ、奴ら男性的能力が欠除してるせいか妙におカマっぽいんだよね。二十歳越えた大の男がだよ。(中略)だいたいこんな奴らに女なんか出来るわけないよな。でもさぁ、結局世の中誰でも最後は結婚するんだよね。で『おたく』は誰と結婚するのかなぁってずっと不思議だったんだけど、おそろしい事実に気づいたね。なんとこれが、『おたく』は『おたくおんな』と結婚して『おたくこども』を生むのであった。ジャンジャン。 — 白夜書房『漫画ブリッコ』1983年7月号、『おたく』の研究(2)『おたく』も人並みに恋をする?[3]

また、他の特徴として、「牛乳ビン底メガネの理系少年」、「有名進学塾に通ってて勉強取っちゃったら単にイワシ目の愚者になっちゃうオドオドした態度のボクちゃん」などを挙げ、そうした普段は暗いのにコミケだとやたらにはしゃぐ少年少女、理系やガリ勉、そして対人コミュニケーションが不得意な人、こういった人々を一括りにして、「おたく」と命名した。

中森は同連載で「中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に「おたくら さぁ」なんて呼びかけてるのってキモイと思わない」「けどあのスタイルでしょ、あの喋りでしょ、あのセーカクでしょ、女なんか出来るわきゃないんだよね」[4]といった差別的な文章を書いたことで、読者から怒り・反感の投書が殺到した。編集としても静観するわけにもいかず、1983年8月号で「『おたく』の研究」は休止となり、1983年9月号の読者投稿欄「新宿マイナークラブ」では、代表的な読者の反応を掲載するとともに、編集部の大塚英志は「相手の立場をからかうなら自分の立場をふまえてからでないと、単なる誹謗中傷に終わってしまいます。その意味で非生産的な中森君の文章は困ったものだと思い、改善を求めておりました」と中森を非難した[5]

その後、「『おたく』の研究」は1984年1月号で終了したが、大塚は1984年6月号の読者投稿欄で再度、「おたく」についての立場表明を行い、「中森氏の『おたくの研究』についてぼくは担当の緒方に対し毎回、『不快感』を表明してきました。中森氏の文章は<健全な批判>ではなく<差別>を目的としたものと目に映ったからです」と改めて非難したが、その一方で「最終的には登場をご遠慮願うことになったのですが、意外だったのは中森氏の文章に読者を含めて、相当の支持者がいたことです。たしかに感情的な文章と<おたく>という語の差別用語としての秀逸さ(?)は無責任におもしろがるには充分のものだったといえます。結局のところ、<おたく>なる語はすっかり定着してしまいました」と述べた[6]

これに対して、打ち切りと同誌からの追放を言い渡された中森は『漫画ブリッコ』内の「東京おとなクラブJr.」最終回で以下の様に述べる。

……『ブリッコ』じゃ3回ほど「おた○の研究」ってのを連載して反響いちぢるしかったんだけど、どうやらおた○ってのは差別用語に指定されちまったらしく使えなくなってしまったのだ — 白夜書房『漫画ブリッコ』1984年1月号、東京おとなクラブJr.「岡崎京子・桜沢エリカはなぜ『ブリッコ』でウケないのか」[7]

「おたく」の元の語源は、相手の家を指す敬称である「御宅」であり、転じて、相手の家庭、夫を指す二人称代名詞として使われた[8]。1950年代からの学生運動により、青年層を中心に、相手個人を指す敬称としても使われ始めた。「あなた」や「きみ」と比べて距離をおいた呼びかけ[9]としてその後、若者言葉のような形で一般的に使われるようになった。

1982年から放送されたロボットアニメ超時空要塞マクロス』の中で、主人公の一条輝リン・ミンメイ相手に「御宅(おたく)」という二人称を使う場面があり、ファンがコミケやSF大会などでこの呼び方を真似たことで[10][11] 、おたくという言葉(の用法)が広まったとされる。

そうした現象を活字で初めて指摘したのが1983年の「『おたく』の研究」であった。

岡田斗司夫は、おたくを「収容所に入れられた囚人」であるとしてこう語っている[12]

「おたく」という言葉がない時代は、いろんな種族がいただけでした。SFファンとかアニメファンとかマンガファン、個別の作品とか個別のジャンルのファンがいたわけです。

それを外側からひとまとめにして、ああいう奴らを「おたく」と言うんだと決めつけられてから、私たちの民族が発生した。だから、正確に言うと民族じゃなくて私たちはもともとは他者から「強制収容所に入れられた囚人」でした。

あるときから、「ヘンなやつら強制収容所」が作られた。そこに収容される理由は様々でした。まずは「アニメ好き」「マンガ好き」「ゲーム好き」という人たちがぽんぽんと放り込まれた。それだけではなくて「なんか暗い」とか「なんか社会性がない」という人たちまでも、ぽんぽん放り込まれていった。この収容所の看板が「おたく」でした。 — 『オタクはすでに死んでいる』(新潮新書, 2008年) - p.52-53

宮崎勤事件

1988年から1989年にかけて発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件において、犯人の宮崎勤が収集していた特撮アニメホラー映画のビデオテープ、漫画、アニメ雑誌などをマスコミメディアが取り上げ、「現実と虚構の区別が付かなくなり犯行に及んだ」として、センセーショナルに報じた。その際、宮崎の個室部屋が報道され、四台のビデオデッキと6000本近いビデオテープが万年床を乱雑に囲んだその部屋は、犯人の異常性を示すものとして注目を浴びた。当時まだ一般に浸透していなかった“おたく”という人格類型の呼称が定着したのも、この事件によるものだった。ただ、宮崎の部屋は殺人犯特有の特殊なものというよりは、オタクの部屋にしばしばみられる傾向として、オタクたち自身にも認識されている[13]

この事件により、「おたく=変質者・犯罪者予備軍」というイメージが定着し、おたくは印象の悪い言葉として広まった。この時期、「おたく」という言葉はNHK放送問題用語とされ、使用できない言葉であった[10]。現在でもこの影響は残っており、おたくを性犯罪と結びつける報道がなされることがある[14]

おたく評論家「宅八郎」

宮崎勤事件によって「おたく」に注目が集まる中、無署名で活動していたフリーライターが1990年に『週刊SPA!』上で、「おたく評論家 宅八郎」としてデビューし、翌年の1991年に長髪に銀縁メガネ、マジックハンドとアイドルのフィギュアや紙袋を持つという姿でテレビ番組に出演し、強烈なインパクトを残した。いわゆるオタク史の中の位置づけとして、宅八郎は宮崎勤事件と並んで「オタクの間違ったイメージを広めた」存在として語られることが多い。宅八郎と長年交流のあった大泉実成は、宅について、「彼にはオタクのプラス面をアピールしたいという思いがあった。ただ、その擁護の仕方がめちゃくちゃで、誤爆のようなところがあった」と振り返っている。宅のメディアでの風貌は作られたものであり、オタクに見える服を着て、おたくを演じていた。大泉は、「オタクと呼ばれていた当事者たちからは、演じていることはバレバレ。迷惑でもあっただろう」「オタクの歴史を語るうえでは、あだ花のような存在でしょう」と語る一方で、宅の著書『イカす!おたく天国』について、「負のイメージが強かったオタクを、特定の分野に特化した優秀な存在として社会に伝えた。その意味はあると思う」と評している[15]

1990年代

1990年代には依然として「おたく=変質者・犯罪者予備軍・社会不適応者」とみなす論調がある一方で、日本国外でのアニメや漫画に関する報道や、岡田斗司夫などの著名なおたくによる情報発信により、おたくへの悪い印象はやや薄れ、おたくの社会的地位は若干ながら向上した。しかし宮崎事件から10年後の1998年(平成10年)から1999年(平成11年)にかけて大学生を対象に行われた調査によると、おたくへの印象はまだ否定的な感情が優越していた[14]

2000年代

2005年(平成17年)には、秋葉系アニメオタクの青年が主人公である2ちゃんねる発の恋愛小説『電車男』が映画化及びフジテレビゴールデンタイムでドラマ化され、女性層や若年層を中心にヒットした。これは宮崎事件の頃にはまず考えられないことであった。この頃ようやく、変質者犯罪者予備軍ではない一般的なオタクが世間に認知されるようになり、マンガアニメといった二次元文化がカジュアルな趣味として市民権を得るようになったといえる[16]

また、同年の流行語大賞に「萌え」や「メイドカフェ」がノミネートされるなどオタク文化が世間一般に広まり始めた[17][14]。この頃から日本のアニメや漫画に強く影響された英語圏の掲示板サイト「4chan」が人気となり、おたく文化は外国人からの注目も集めるようになっていく。それまで副次的な要素にすぎなかった「萌え」も、おたく文化の主要な要素とみなされるようになった一方、「おたく=何かに萌えている人」「おたく=秋葉原にいる人」という偏見も生まれた。2010年頃からは、日本政府がおたく文化の観光資源化の一環でクールジャパン戦略を唱えるようになると、おたくはその主体として重要視されるようになった。ただ、求められていたクールなおたくのイメージは実態と異なるものであった[17]

2000年代後半からの『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)『らき☆すた』(2007)といった京都アニメーション作品を中心とした深夜アニメブームや、聖地巡礼ブームなどで認知が進み[18]2007年(平成19年)に大学生を対象に行われた調査によると、おたくが受容される傾向にあることが示されている。調査では、自らがおたくであると思い当たるフシがある、親しい友人におたく的な人がいると答えたものが増加しており、おたくの内集団化が進んだと考えられる。

2010年代

おたく文化が普遍的な大衆文化メインカルチャー)となり、おたくコンテンツが世の中に溢れるようになった結果、おたくコンテンツが以前よりも人目につきやすくなり、ゾーニング表現規制条例である東京都青少年の健全な育成に関する条例などを巡って激しい争いが起きたり、フェミニストから相次いでおたく非難がされるようになる[19]。おたくの地位向上に伴い、「おたく差別は偽史」という主張までされるようになり、当時を知るおたくからの反発を生んでいる[20]

おたくの変遷

世代的遷移

1960年前後生まれを第一世代として10年ごとに1970年前後生まれを第二世代、1980年前後生まれを第三世代とする分類が一般的で、世代が下がるにつれて「ライトなオタクが増えている」との指摘もある[21]。ここでは個人の違いは捨象し、世代ごとの大まかな傾向を概観する。

オタク第一世代(1960年前後生まれ)

テレビの発展と共に育った世代で、特撮アニメに抵抗のない最初の世代といえる。幼少期、少年期に流行したテレビ番組に『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『8時だョ!全員集合』『仮面ライダー』『世界名作劇場』シリーズ『ルパン三世』『マジンガーZ』『宇宙戦艦ヤマト』などがある。
怪獣ブーム変身ブームを体験した世代であり、特撮オタクとなった者も多い。
いわゆるバブル世代である。同世代の大半はオタク文化ではなくフジテレビ電通ホイチョイ等のネアカ文化や恋愛至上主義文化を消費していたため、オタク文化がまだ珍しいサブカルチャーであった時代に青年期を過ごしている。
また、バブル全盛期の1989年に発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人と同世代であったことも、主にオタク趣味を持たない同世代や年長者から偏見や差別を受ける原因にもなった。

オタク第二世代(1970年前後生まれ)

先行世代が作り上げた爛熟し細分化したオタク系文化を10代で享受した世代[22]
代表的な出来事として、『週刊少年マガジン』『週間少年サンデー』『週刊少年ジャンプ』などの少年漫画誌の隆盛、『機動戦士ガンダム』『うる星やつら』に代表されるアニメブームやガンプラブーム、『ファミリーコンピュータ』の大ヒットによる家庭用ゲーム機の普及、『ゼビウス』などのアーケードゲームブーム、『スター・ウォーズ』『E.T.』『ターミネーター』『ブレードランナー』などのSF映画の世界的なブームなどが挙げられる。
アニメ雑誌の相次ぐ創刊、アニメイトなどの専門店の創業、コミックマーケットの大規模化、美少女ゲームアダルトゲームの登場など、オタク文化や二次元文化が急速に発展する一方で、オタク第一世代と同様に、青年期に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件によってオタクバッシングが激化し、偏見・差別に晒された世代であった。
バブル景気末期~バブル崩壊直後に青年期を過ごしており、サブカル界隈と仲が悪いのが特徴で、野間易通(1966年生まれ)や『嫌オタク流』を出版した高橋ヨシキ(1969年生まれ)など、同世代のサブカル系ライター活動家にはオタクに批判的な者も多い。
再放送が頻繁に行われていた世代のため、産まれる前の作品や上の世代の作品にも詳しい者が多い。

オタク第三世代(1980年前後生まれ)

1990年代初頭にかけて前述の連続幼女誘拐殺人事件によるオタクバッシングの余波が続き、いくつかの動きと重なってアニメの性的表現、残虐・暴力描写の自主規制が行われた[23]
1980年代から盛んに行われた小説、漫画、アニメ、ゲームなどの複数のメディアを通じて展開する「メディアミックス」が主流となり、ヒット作が複数のメディアに派生し、一つのメディアだけにとどまることが少なくなった。
新世紀エヴァンゲリオン』(1995)や『PlayStation』(1994)の大ヒットで、アニメやコンピュータゲームが趣味の一つとして市民権を得るようになり、メインカルチャーとサブカルチャーの差が薄れ始めた世代といえる。
Windows 95』の日本語版発売もこの時期で、インターネットが普及し始めた世代でもある。
ゲームでは『ストリートファイター2』(1991)などの格闘ゲームや『ときめきメモリアル』(1994)などの恋愛シミュレーションが多数ヒットするようになり、ゲームのキャラクターがアニメや漫画のキャラクターと同等の人気を博すようになった時代である。

オタク第四世代(1990年前後生まれ)

Windows XP』(2001)に代表されるオペレーティングシステムの普及により、インターネット利用が一般的な環境の中に育った。
2ちゃんねる』(1999)や『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)などの深夜アニメの隆盛、『YouTube』(2005)『ニコニコ動画』(2006)などの動画投稿サイトの台頭による実況プレイ踊ってみた動画、『初音ミク』(2007)を使用したVOCALOID楽曲などの流行を体験した世代。
2005年におたくを肯定的に描いた『2ちゃんねる』発の恋愛物語『電車男』が映画化・ドラマ化され共にヒットしたことや、同年の流行語大賞に「萌え」及び「メイドカフェ」がノミネートされるなど、一般社会へオタク文化が急速に浸透し、10代でオタク趣味に傾倒する人が増えた。学校でアニメやゲームが話題に上がることも多く、オタク趣味・オタク文化に対する恥や後ろめたさがほとんどないことが特徴で、オタクの低年齢化が一気に進んだ。このため、トレンディドラマJPOP洋画といったそれ以前の一般的な大衆文化と並んでオタク文化もごく普通に消費されるようになり、オタク文化が大衆文化に内包されるようになった最初の世代であるとえいる。
特撮界では2000年代初頭頃からイケメンヒーローブームが起こり、本来の視聴層である男子児童のみならず女性層や大人(大きいお友達)からも支持されるようになった。
DVDや動画サイト、衛星放送の普及により、過去の作品も安易に視聴できるようになり、ガンダムなど過去作品のリバイバルブームが起こった。
ゲームでは『ポケットモンスター』や『モンスターハンター』などがヒットし、携帯ゲーム機が普及した時代。

オタク第五世代(2000年前後生まれ~)

いわゆるZ世代であり、iPhoneAndroidが普及しPCよりもスマートフォンでインターネットに触れる機会が多くなった世代。テレビ、電子掲示板動画共有サイトTwitterなどのSNSなどでオタク文化が拡散したことで、マニアックな話題で交流を行うことが広く理解された。
物心ついた時期には既にオタク文化や二次元文化が一般的になっていた世代である。
2010年頃から『AKB48』や『ももいろクローバーZ』などのブレイクによりアイドルブームが起こった。AKBのヒットにより、「推し」という言葉が一般化したほか、オタクという呼称そのものも半ば陳腐化し、「オタ」と気軽な呼び方で使用されるか、「鉄オタ」「特撮オタ」のようにアニメ、漫画、ゲーム以外のジャンルのオタクに対して使用されることが増えた。
NetflixAmazonプライム・ビデオをはじめとした定額制動画配信サービスの台頭で、映像作品の供給過多がさらに加速し、映画、ドラマ、アニメを倍速で見る若者が増えている[24][25]。映像作品に触れる機会が多くなってきたことからオタクに憧れる若者も増えてきている。その背景として、博報堂DYメディアパートナーズ森永真弓は、世間からの「個性的でなければいけない」という外圧により、「無理して個性を作らなければいけない」と焦る若者が増えているとして、その理由を「カルチャーシーンから“メジャー”が消えてしまったから」だと分析し[26]、「属するだけで安心できていたメジャーが消えてしまった今、彼らが探しているのは、要は“拠りどころ”なんだと思います。自分が属しているだけで、楽しいと思える場所。それが、オタクという属性です。(中略)推し活動をしているオタクはすごく輝いているから、自分もああなりたいと切望する。もしそうなれて、オタクという属性を手に入れられれば、結果的に自分は“個性的”にもなれる、と捉えている。だから正確に言えば、“オタクになりたい”んじゃなくて、“拠りどころになりうる、好きなものが欲しい”だし、それは“個性的な自分でありたい”だし、一番正直に言うなら“自己紹介欄に書く要素が欲しい”なんですよね」と語っている[27]
原田曜平は、非常に多くの若者たちが、自分のことを「オタク」と自称するようになっていることを挙げ、本来であれば、サブカルチャー好きを指す言葉である「オタク」というワードが、メジャーなカルチャーにまで使われるようになってきていることに驚いたと述べている。また、話題になった作品だけをチェックしており、オタク知識は総じてそう深くない「エセオタク」が増えており、濃度の高いオタク(ガチオタ)からは「にわかオタク」と揶揄されることもある[28]

おたくを描いた作品

映画

アニメ

脚注

注釈

出典

  1. ^ 「いまから30年前、私は、『東京おとなクラブ』という雑誌を作っていて、本の町こと神田神保町のはずれにあるビルのワンルームの部屋を借りていた。/当時は、『宝島』や『ポパイ』の元気があったし、『本の雑誌』や『広告批評』なんかも頑張っていた時代である。源喜堂でまとめ買いした『WET英語版』や『Whole Earth Catalog』(スティーブ・ジョブズスタンフォードでの講演の“Stay hungry,stay foolish”はこれからの引用なのですよ)を見ると、米国でも好きなように雑誌を作っている。新宿紀伊國屋書店や神保町の書泉ブックマートなど、全国の30くらいの書店が置いてくれた。そこで、もう少し真面目にやろうかなと思って、オフィスを借りたのだった。/ここの家賃を稼ぎだすために商業誌や自販機本のページ編集なんかをやることになった。その頃、ここによくいた数人の間でだけ使われていたのが『おたく』という言葉だった。それを、“東京おとなクラブ Jr.”という連載をやらせてもらっていた『漫画ブリッコ』に、中森明夫が“おたくの研究”というのを書いたのだ。/クラスターとしてのおたくというのは、この部屋から広がったんだよ」遠藤諭 (2013年5月16日). “おたく30周年、発祥の地をご案内しましょう”. 週刊アスキー. 角川アスキー総合研究所. 2020年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月25日閲覧。
  2. ^ 『おたく』の研究 第1回漫画ブリッコの世界(再録サイト)
  3. ^ 『おたく』の研究 第2回 漫画ブリッコの世界(再録サイト)
  4. ^ 『おたく』の研究 第2回 漫画ブリッコの世界(再録サイト)
  5. ^ 『おたく』の研究への反応と反論 新宿マイナークラブ1983年9月号 漫画ブリッコの世界(再録サイト)
  6. ^ 『おたく』の研究 「妥協の森」1984年6月号 漫画ブリッコの世界(再録サイト)
  7. ^ 再録サイト
  8. ^ 「おたく」 | 分け入っても分け入っても日本語考える人 新潮社
  9. ^ 小林信彦『日本人は笑わない』新潮文庫、1994年、pp.45-46
  10. ^ a b 岡田斗司夫 (1996). “オタクの正体”. オタク学入門. 太田出版. ISBN 4-87233-279-2. オリジナルの2000-12-16時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20001216171500/http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakugaku/No1.html 
  11. ^ おたく/ オタク/ Otaku同人用語の基礎知識
  12. ^ オタク・イズ・デッド 岡田斗司夫クロニクル2006/5/24 - YouTube
  13. ^ 森川嘉一郎 2003, p. 181-182.
  14. ^ a b c 菊池聡、金田茂裕、守一雄「FUMIEテストを用いた「おたく」に対する潜在的態度調査」『人文科学論集人間情報学科編』第41号、信州大学人文学部、2007年4月、105-115頁、ISSN 1342-2782NAID 110006389058 
  15. ^ “オタク史に咲いた、宅八郎というあだ花 ノンフィクション作家・大泉実成さんと振り返る”. 好書好日. (2021年1月16日). https://book.asahi.com/article/14105708 2021年11月22日閲覧。 
  16. ^ [1]
  17. ^ a b ガルバレス・パトリック・ウィリアム「公の「オタク」のイメージを左右する秋葉原」2009年1月、 オリジナルの2009年10月8日時点におけるアーカイブ。 
  18. ^ ”アニメオタク差別”を変えた京都アニメーションの偉業と追悼と。(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュース
  19. ^ 萌えイラストへの嫌悪感を示すと「オタク差別」になるという事実<北条かや> « ハーバー・ビジネス・オンライン
  20. ^ オタク差別は消滅しつつある - 山本弘の新SF秘密基地BLOG
  21. ^ “オタク4世代論 アキバ王が語るオタクの“ライト化””. ITmedia NEWS. (2008年3月19日). https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/19/news027.html 2021年10月21日閲覧。 
  22. ^ 東浩紀 2001, p. 13.
  23. ^ 榎本秋 2009, p. 58.
  24. ^ “「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来(稲田 豊史)”. 現代ビジネス. (2021年3月29日). https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81647 2021年10月23日閲覧。 
  25. ^ “動画コンテンツの“倍速視聴”20代の約半数が経験あり 倍速で見たいものTOP3はドラマ、ニュース、バラエティ”. PR TIMES. (2021年3月10日). https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000219.000004729.html 2021年10月23日閲覧。 
  26. ^ “「オタク」になりたい若者たち。倍速でも映画やドラマの「本数をこなす」理由(稲田 豊史)”. 現代ビジネス. (2021年6月7日). https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83898?page=4 2021年10月23日閲覧。 
  27. ^ “「オタク」になりたい若者たち。倍速でも映画やドラマの「本数をこなす」理由(稲田 豊史)”. 現代ビジネス. (2021年6月7日). https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83898?page=5 2021年10月23日閲覧。 
  28. ^ “若者の間に「エセオタク」が激増しているワケ”. 東洋経済オンライン. (2015年12月2日). https://toyokeizai.net/articles/-/92036 2021年10月23日閲覧。 

参考文献

  • 東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社〈講談社現代新書〉、2001年11月20日。ISBN 978-4061495753 
  • 森川嘉一郎『趣都の誕生-萌える都市アキハバラ-』中経出版、2009年。ISBN 9784806133582 
  • 岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』新潮社〈新潮新書, 258〉、2008年。ISBN 9784106102585 
  • 榎本秋『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』幻冬舎、2003年。ISBN 9784344002876 
  • 別冊宝島編集部編『おたくの本』宝島社〈別冊宝島104号〉、1989年12月
    • 別冊宝島編集部編『「おたく」の誕生!!』宝島社〈宝島社文庫〉、2000年3月

関連項目