民主カンボジア
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民主カンボジア(みんしゅカンボジア)、後に民主カンプチアは、かつてカンボジアに存在した国家。1975年4月にカンボジア民族統一戦線(クメール・ルージュ)によるプノンペン制圧により誕生した。いわゆるポル・ポト政権の政権による呼称。カンボジアを支配する政府としては、1979年1月のカンプチア人民共和国のプノンペン占領により崩壊した。その後亡命政府として存続し、国際社会の支援を受けカンボジア紛争を長期化させた。
目次 |
クメール・ルージュ支配 [編集]
- 1975年4月17日、カンボジア民族統一戦線(ベトナム勢力を含むクメール・ルージュ)がプノンペン占領、クメール共和国(ロン・ノル政権)崩壊により成立。
- 1976年
- 1月3日 ノロドム・シハヌークが国家元首兼大統領に就任。
- 1月5日 国名を民主カンプチアと改称。
- 4月 シハヌークが元首辞任。
- 1977年12月31日 ベトナムと国交断絶。
- 1978年12月25日 ベトナム軍とカンボジア救国民族統一戦線(反ポル・ポト派)軍がカンボジア侵攻。
- 1979年1月7日、ベトナムの支援を受けたカンボジア救国民族統一戦線(カンプチア人民共和国)によるプノンペン占領で崩壊。
三派連合政府 [編集]
亡命政府 : 1982年7月22日 ‐ 1992年10月23日
- 1982年7月11日 クアラルンプールで反カンボジア人民共和国(ヘン・サムリン政権)3派により民主カンボジア連合政府結成。
- 1988年1月30日 シハヌークが民主カンボジア大統領に就任。
- 1990年2月3日 国名をカンボジアに改称。国旗・国歌もカンボジア王国時代のものに戻す。
- 1992年10月、カンボジア最高国民評議会(SNC)発足に伴い解散。
外交関係 [編集]
民主カンプチアをポル・ポトとシアヌークを支援していた中華人民共和国が国家承認し外交関係を結んだ。アメリカやイギリスなど多くの西側諸国は承認しなかったものの、日本は国家承認し外交関係を結んだ。
関連項目 [編集]
参考文献 [編集]
- 小倉貞男「クメール・ルージュ国際人道裁判で何が裁かれようとしないのか」『立命館国際研究』15巻3号 2003年3月
外部リンク [編集]
- CGS 第4回ワークショップ「ポル・ポト政権下の粛清・虐殺の構図 」日本学術振興会「ジェノサイド研究の展開」
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