キリング・フィールド (映画)

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キリング・フィールド
The Killing Fields
監督 ローランド・ジョフィ
脚本 ブルース・ロビンソン
製作 デヴィッド・パットナム
出演者 サム・ウォーターストン
ハイン・S・ニョール
音楽 マイク・オールドフィールド
撮影 クリス・メンゲス
編集 ジム・クラーク
配給 ワーナー・ブラザーズ
公開 アメリカ合衆国の旗 1984年11月2日
日本の旗 1985年8月31日
上映時間 141分
製作国 イギリスの旗 イギリス
言語 英語
フランス語
クメール語
興行収入 $34,700,291[1]
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キリング・フィールド』(The Killing Fields)は、1984年制作の英国映画。ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグSydney Schanberg)の体験に基づく実話を映画化したもの。1984年のアカデミー賞において、助演男優賞・編集賞・撮影賞の3部門受賞。

カンボジア人助手のプランを演じたハイン・S・ニョールはカンボジア出身の医師で、実際に4年の間、クメール・ルージュの元で強制労働に就かされた経験を持つ。演技は素人であったが、この作品でアカデミー助演男優賞を受賞した。

あらすじ[編集]

アメリカ人ジャーナリストのシドニーと、現地の新聞記者であり通訳でもあるプラン(カンボジア人)はカンボジア内戦を取材している。しかし、カンボジア内戦はポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍が撤退を開始する。この時、シドニーはプランの一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、自分はカンボジアに残ることを決意する。そして、シドニーとプランは取材活動を続けていく。

やがて、カンボジアは完全にクメール・ルージュに支配され、シドニーたちはフランス大使館に避難する。シドニーや他社の記者は、外国人であるから帰国により逃れることができるが、カンボジア人であるプランは逃げることができない。そこで、シドニーらはパスポートを偽造してプランをアメリカに亡命させようと画策する。ところが、粗悪な印画紙に焼き付けたために、偽造パスポートの写真の画像が消えてしまい、プランを逃すことに失敗する。そのためプランはフランス大使館を出ることを余儀なくされ、クメール・ルージュの支配する集団農場へと移送されてしまう。

集団農場では、人は特別な理由もなく銃殺されていく。農場への往復の際に荷馬車に乗っていただけで銃殺され、作業が緩慢という理由だけで銃殺される。また身分を隠していた元教師、元医師たちは、「クメール・ルージュは君たちを許す」という嘘にだまされて、身分を明かしてしまい、その結果、銃殺されていく。

プランは集団農場から脱走を図る。その途中、プランが目にしたのはおびただしい人の白骨だった。プランは脱走に力尽き行き倒れてしまうが、別の集団農場の幹部に助けられ、その幹部の身の回りの世話をすることになる。

一方、シドニーはプランの行方を捜すが一向に消息をつかめない。ピューリッツァー賞を受賞した際に、カンボジアで取材仲間だった記者にプランを見捨てたと非難され、自責の念に駆られていく。

プランは、拾われた幹部に親身に扱われるが、元新聞記者であった経歴を隠そうとする。身分が明らかになると、元教師、元医師たちのように殺されてしまうかもしれないからだ。しかし、その努力も甲斐なく、BBC放送を隠れて聞いているところをその幹部に見つかってしまい、インテリであったことがばれてしまう。ところが、幹部はプランを銃殺せず、プランに自分の信条を話し出す。その幹部は、「カンボジアを愛しているが、クメール・ルージュのやり方は間違っている」と言う。そして「自分に万一のことがあったときは、自分の子供をつれて外国に逃亡してほしい」と地図と金を渡す。しばらくして、クメール・ルージュの銃殺をやめさせようとしたためにその幹部は殺されてしまう。

プランは幹部の子供を連れて他の仲間たちと国外への逃亡を図る。プランらは、幾多の苦難に遭いながら隣国への逃亡に成功するが、幹部の子供は途中で地雷によって死亡してしまう。その逃亡先の難民キャンプでプランは、シドニーとの再会を果たす。

キャスト[編集]

役名 俳優 日本語吹き替え
TV版
シドニー サム・ウォーターストン 小川真司
プラン ハイン・S・ニョール 樋浦勉
アラン ジョン・マルコヴィッチ 千田光男
ジョン ジュリアン・サンズ 田中秀幸
キンケード スポルディング・グレイ 中田浩二
リーヴス クレイグ・T・ネルソン
マッケンタイア ビル・パターソン
ドゥーガル グレアム・ケネディ
モーガン パトリック・マラハイド
ベス ネル・キャンベル

賛否[編集]

この映画が公開された直後、本多勝一は政治的で差別的な内容であるとして、映画への批判を行なった[2][3]。本多はかつて、ポル・ポト派寄りの記事を書いたことがあり[4]、ポル・ポト政権時代よりシャンバーグの批判を行ない虐殺行為についても懐疑的であった。しかし1985年の2本の記事においてはポル・ポト派の虐殺を認めている[2][3]。この映画については、カンボジア大虐殺の背景や全体状況がまったく描かれていないため、観客にカンボジア情勢を誤解させるような曖昧な表現が多いこと、シャンバーグが他のカンボジア人の救出に尽力せずプランの救出のみを考えており差別的なことなどを挙げて批判している。そして、この映画に感動するのはカンボジア情勢に無知な人々だとして記事の表題にもしている[2]

本多と同じ朝日新聞出身である井川一久は、この映画(および原作)の欠点として、ポル・ポト政権による殺戮と文明破壊の実態を極めて不十分(せいぜい2,3割)にしか伝えていないこと、クメール・ルージュについての背景説明がまったく描かれていないことをあげながらも、現実に起こったことを非常に不十分ではあるが伝えており、かなりのところまで歴史の真実に迫ろうという意思があった。シャンバーグとプランの関係についても当時のインドシナの外国人特派員の中では最上に属する友情関係だと思うとしている。また、この種の映画が日本では1度も制作も企画もされなかったのに対して、米国でそれが可能だったところに米国の文化構造の健やかな一面を見たとも述べている[3][5](この点については、本多も同様のことを述べている[2])。

一方、ベトナム戦争中に毎日新聞サイゴン特派員であり、サイゴン陥落後に退去要求を受けベトナム人の部下を残して帰国した古森義久はこの映画を絶賛している[6]

脚注[編集]

  1. ^ The Killing Fields (1984)”. Box Office Mojo. 2009年12月8日閲覧。
  2. ^ a b c d 本多勝一「無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』」『潮』1985年8月号
  3. ^ a b c 「シンポジウム 映画『キリング・フィールド』の真実 「無知なる大衆」とは何か カンボジア大量虐殺をめぐって」『朝日ジャーナル』1985年8月23日号
  4. ^ 本多勝一「欧米人記者のアジアを見る眼」『潮』1975年7月号
  5. ^ 井川一久「米映画『キリング・フィールド』 これでも語り尽くせぬポル・ポト派に殺された者の無念」『朝日ジャーナル』1985年7月19日号
  6. ^ 古森義久「『キリング・フィールド』にみる「解放」のまぼろし」『諸君』1985年9月号

関連文献[編集]

  • 『キリング・フィールド』 角川文庫 1985年
クリストファー・ハドソン、水野谷とおる訳 映画原作
  • 『キリング・フィールドからの生還 わがカンボジア<殺戮の地>』
ハイン・ニョル、ロジャー・ワーナー共著 吉岡晶子訳、 光文社 1990年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]