ホバークラフト
ホバークラフト/ホーバークラフト(英語:hovercraft)は、水面や地面に向けて空気を高圧で噴出し、浮揚して進む乗り物[1]。平坦な面であれば地上、水上、雪原の区別無く進むことができる。ホバークラフト/ホーバークラフトという名称は商標であり(後述)、一般名称は、エアクッション艇(air-cushion vehicle:ACV)[2]、エアクッションカー[3]、空気浮揚艇。
仕組み
ホバークラフトは、上から吸い込んだ大量の空気を艇体の下にある海面などに直接吹き込み続けることで海面から浮上する。艇体下部はスカートと呼ばれる合成ゴム製のエアクッション用側壁が四方に垂れ下げられており、吹き込まれた空気を運行上十分な高さで保持する。この側壁下部と水面または地面との隙間から常に空気が漏れ出ることにより完全に艇体の全てが空中に浮かぶため、平坦な面上では接触抵抗が全く発生しない。この隙間より大きな凹凸でもスカート部によって作られた空気浮揚空間の高さまでは、金属製の艇体に接触することが避けられる。
スカート部への空気の圧縮を止めれば、空気圧による浮揚力が失われて艇体の底部がそのまま水面または地面と接触する。水上でそのような事態が起きても水中へ沈まないように、艇体は船と同様の水密構造を備える。
ほぼ全ての機種では飛行機のように空気を押すことで推進力を得るためのプロペラを備えるが、例外的に水中にスクリュー・プロペラをもつ機種もある。浮上しているため水面や地面の抵抗を受けずに高速に航行できる。平坦な場所であれば陸上でも使用できるが、沼地以外では凹凸が障害となるために、実際には水上で利用されることが多く、ほとんどは船舶としての扱いを受ける。ゼロ速度飛行機の一種である。
日本では、水田を無人で動き回り、除草剤散布や空気噴射による雑草除去を行う農業用小型ホバークラフトが開発されている[4]。
長所と短所
- 長所
- 水陸両用で、特に他の乗り物では航行や走行が困難な浅瀬や湿地でも、エアスカートの高さ程度までの凹凸なら速度を落とさずに移動できる。
- 通常の船舶よりはるかに高速である。
- 水中や地表の環境に与える影響が少ない。
- 機雷、魚雷、地雷が反応しにくい。
- 短所
- 浮上と推進に大量の空気を圧縮・加速し続けるために、多くのエネルギーを消費して燃費が悪く騒音と振動も大きい。
- エアクッションによって船体を支えるため、2乗3乗の法則による制約を受けて大型化が難しい。
- 波浪や強風など悪天候に弱く、英仏海峡では大きな事故を経験した。
- スカートに大きな破損を受け、エアクッションが失われると、浮揚に障害を生じる(大型艇のスカート部は小分けされているため軽微な損傷による影響は無い)。
- 半消耗品であるスカートの維持交換費用も運用費を押し上げる。
- 操縦に特殊な技能が要求される。
- わずかな斜面でも直進性が失われるため、陸上での運用には制約が大きい。
- 保守を行なう港湾には上陸用斜面が求められる。
- 特に民生分野では、水陸両用車と同じく水上、陸上でそれぞれ異なる規制・法律が適用されるため、水陸両用の特性を発揮しにくい。
商標
「Hovercraft」は、イギリスのブリティッシュ・ホーバークラフト社(British Hovercraft Corporation)の商標であるが、同社が一般名称としての使用を認めているため、正式名称である「Air-Cushion Vehicle」(ACV=エアクッション艇)よりも「Hovercraft」と呼ばれる方が普通になっている。
課題
船舶検査において、ホバークラフトは大洋を航行することができる船舶であり、外洋で遭遇する各種気象条件、波浪条件に対応できる本船並の取り扱いとして小型船舶機構には任せないため特殊船舶として扱われているが、これは実情を反映しておらず、競技用の小形艇まで本船並の取り扱いとなって煩雑を極め、かつ実質的に競技艇を建造することができなくなってしまうので、競技関係者の働き掛けによって全長6m未満の艇は暫定的に簡略基準を用いることになった。それから相当の年月が経過し、日本国内でも多目的汎用ホバークラフトが少しずつ使用されるようになり、使用要求も各方面から出てきているものの、法規制は簡単には変更されず、全長6mの制限が継続されている。そのため実際の汎用艇は4~6人乗り艇に制限される[5]。
用途
民間旅客用としての開発当初、ホバークラフトは高速性や水陸両用などの特性から「夢の乗り物」、近未来の交通機関として注目された。一例として、小説『日本沈没』にも、ホバークラフトが日本において高級ヨット程度の一定の成功を収めている「未来」が描かれている[注 1]。実際には特に1960-1970年代にかけて民間航路への投入が相次いだが、次第に様々な短所(騒音、高い船価と燃料費、悪天候に弱く僅かな波高でも欠航になりやすい、エアクッション(スカート)のメンテナンスが大変)が浮き彫りとなり、休廃止されていった。
イギリス
世界で唯一の旅客定期航路が現存している。ポーツマスからワイト島への連絡用にホーバートラベル社が運航する便で、グリフォン社建造の12000TD型艇により2021年現在も旅客輸送を続けている。
北欧
冬場に海面凍結がある北欧では、かつてデンマークのコペンハーゲン国際空港と海を隔てて対岸のスウェーデンのマルメの間で、連絡橋が完成する以前に、SASスカンジナビア航空のホバークラフト(API-88型艇)が運航されていた。
中華人民共和国
中国では、黄河の観光遊覧用に一時期用いたが、到着時には船体が泥で真っ黄色になり、毎便の運航前に洗い流し作業が必要だったという。
香港では、イギリス統治下の1970年代に、香港油麻地フェリーがブリティッシュ・ホーバークラフト社製のホーバークラフトを大量に購入し、中環(セントラル)から香港市街地内の美孚、尖沙咀東部(チムサーチョイ・イースト)、北角(ノースポイント)、太古城、柴湾、観塘や、ニュータウンの荃湾、青衣、屯門、黄金海岸、離島の長洲島、ランタオ島、坪洲島などへの航路を相次いで開設し、香港市民の日常的な交通手段として発達させた。しかし、地下鉄や新たな海底トンネルの開通によって乗客を奪われ、2000年までにこれらの航路は全て廃止された。
また、香港からマカオや、中国本土の広州、蛇口(深圳)への航路にもホーバークラフトが就航したが、現在[いつ?]では別の高速艇に置き換えられた。
日本
かつては大分ホーバーフェリー(大分市⇔大分空港間)やJRの宇高航路(宇野⇔高松間)など、各地で運航されていた。しかし、徐々に廃止され、2009年10月末に大分での運航が終了したことを以て、ホーバークラフトによる旅客定期航路は国内から全てなくなった。
大分県は2018年から陸上交通では時間がかかる大分空港へのアクセス改善のための調査を進めていたが[6]、2020年3月4日、2023年度を目途にホーバークラフトの運航を復活させる方針を示し[7]、同年11月には運航事業者と協定を結んでいる[8]。
軍用
普及が進んでいない民生分野と異なり、逆に軍用ホバークラフトは徐々に活躍の場を広げつつある。民生分野では障害となった前述の欠点は、軍事分野ではさほど問題とはならず、逆に高速性や、一般の船舶では侵入が難しい浅瀬や海岸での行動の自由など、軍事作戦の幅を拡大させる長所が注目された。軍用ホバークラフトはかつては主に近海・浅海域や河川の哨戒などに投入されていたが、大型・高性能化するに従い上陸作戦にも応用されるようになっている。
哨戒用
ベトナム戦争中に米海軍が水陸両用の新兵器として、Patrol Air Cushion Vehicle(PACV)の名称で数隻を実戦に試験投入した。投入されたのはサンダース・ロー SR.N5をライセンス生産したベル SK-5で、一種の河川哨戒艇であったが、大騒音によって敵に事前に察知されやすいこと、ゴム部分に被弾するとすぐに行動不能になるなど艇体が脆弱であることが弱点とされた。さらには陸上運用も可能であることが米陸軍との確執を生んで評価は芳しくなく(陸軍も試験運用した)、結局、本格的に運用される事は無かった。
しかし、現在でも[いつ?]英国グリフォン・ホバーワーク製のホバークラフトは各国海軍、沿岸警備隊に納入されているほか、中国人民解放軍海軍もこの発想に近いと思われる小型のホバークラフト724型(戦車揚陸艦に搭載可能)を運用する。
イギリス製のホバークラフトは革命前のイランにも輸出され、イラン海軍に配備された。革命後は支援途絶により非稼動とも考えられたが、一部はイラン・イラク戦争当時から現在[いつ?]に至るまで、ペルシャ湾沿岸における同軍の哨戒・兵員輸送に活用されているという。
揚陸・輸送用
21世紀現在、軍事用ホバークラフトは揚陸時の輸送任務においても大きな役割を担っている。ホバークラフト(エア・クッション型揚陸艇)は、従来型の揚陸艇よりも遥かに高速で侵攻できるほか、上陸可能な海岸線も拡大するため、揚陸作戦に柔軟性をもたらすことが可能となる。従来の小さいペイロードでは人員や軽車両の運搬がせいぜいだったが、技術の向上により艇体が大型化すると、重量のある主力戦車などの輸送も可能となり、揚陸作戦への本格的な投入が実現した。
米海軍や海上自衛隊では輸送艦や強襲揚陸艦に搭載し、上陸用舟艇として利用する。軍事用ホバークラフトでは代表的なLCAC-1級エア・クッション型揚陸艇の場合、50トンを超える主力戦車を1両運搬するだけの能力を持つ。韓国海軍や中国人民解放軍海軍もそれぞれLCAC-1級に類似した揚陸艇を製造し、ドック型揚陸艦に搭載している。
アメリカ陸軍も、輸送任務用として独自にLACV-30を運用している。これは民間向けのホバークラフトを購入し、軍用に転換したものである。LCAC-1に比べて設備が簡略化されており、非武装であることからもっぱら後方での輸送・支援任務に用いられている。
ソ連海軍でも輸送用の大型ホバークラフトを開発・運用したが、西側諸国とはまた異なる発展を見せた。大別して大型の揚陸艦に搭載される「舟艇型」と、独立・独航して揚陸輸送を行なう「高速揚陸艦型」の2種があり、後者の代表としてはアイスト型、ポモルニク型が存在する。いずれも登場当時は世界最大の軍事用ホバークラフト(エア・クッション型揚陸艇)であり、多連装ロケット弾発射機など相当な武装も施されている。一部はギリシャ、韓国にも輸出されている。
一方、舟艇型としてはイワン・ロゴフ級揚陸艦に搭載可能なレベド(レベッド)型、ムレナ型が開発されたが、イワン・ロゴフ級の活動が低下するに従い陸上基地で運用されるようになり、発展は停滞している。なお、これらの中型ホバークラフトにも機関砲などの武装が施されている点も、西側とは異なる思想が窺われる。
救難・救命用
ホバークラフトを救難・救命用として活用している例もある。グリフォン・ホーバーワークス社は空港での飛行機事故に対応した救難ホバークラフトを提案しており、シンガポール・チャンギ国際空港やブラジル・リオデジャネイロ国際空港などでの導入実績がある。また、同社は遠隔地医療へのホバークラフトの応用も提案している。イギリスの海難救助団体RNLI(Royal National Lifeboat Institution)傘下のホーバークラフト・ライフボートでも、グリフォン・ホーバーワーク・470TDをベースとした救命艇数隻を運用している。日本においても、研究者の間で災害時の救難用としてホバークラフトの利用・導入の提案が成されているが、具体化はしていない[9]。
レジャー用
純粋なレジャー、レクリエーション用のホバークラフトも存在する。水上バイクなどと同様の1-3人乗り程度の小型艇で、日本ではオールジャパンホヴァークラフト社やAQM(アクアマリーン)社などが製造・販売を行っている。水上バイクと同じく高速でありながら、水陸両用性を併せ持っているため、愛好者も少なからず存在し、全国横断的な団体(全日本ホバークラフト協会)も組織されている。これも水上バイクと同様、サーフィンなどのイベントにレスキュー用として用意される例もある。
その他の用途
カナダではホバークラフトが砕氷船に使われている。特別の砕氷設備は必要なく、氷上を走行するだけで自重により氷が割れる。
日本の天ヶ瀬ダムでは、湖面の哨戒用としてAQM(アクアマリーン)社製のホバークラフトを配備している[10]。
ワールドワイド・エアロス社 (en) が開発中のハイブリッド飛行船エアロスクラフトは機体下部にホバークラフト式の降着装置を備える予定であり、試作機のドラゴンドリームで地上滑走の試験に成功した。
歴史
1877年にイギリスの技術者ジョン・ソーニクロフトが地面効果で水の抵抗を軽減させることを考案し、模型での実験に成功した。
最初の完全に動作したホバークラフトは、オーストリアのダゴベルト・フォン・トーマミュール[11]が設計し、オーストリア=ハンガリー帝国海軍(KaiserlicheでありKönigliche Kriegsmarineでもある)によって建造された"Seearsenal"である。1915年に完成した。船体は航空機の翼形のような側面形で硬質の船底を持ち、船底下に送り込んだ圧力空気と船体上に生じる負圧によって船体を浮き上がらせ、抵抗を減じるという構想であった。魚雷艇としての使用を前提に設計され、全長13m、全幅4m、5人乗りで32ノットであった。初期のホバークラフトの研究、開発はオーストリア=ハンガリー帝国で進められたが、当時は軽量で十分な出力を有するエンジンを得ることができず、開発は中止された。
コンスタンチン・ツィオルコフスキー(Konstantin Tsiolkovsky)による論文"Air Resistance and the Express Train"[12][13](1927年)では、初めて科学的見地から地面効果と空気浮上の計算について執筆されていて、それをもとにソ連の技術者であるウラジミール・レフコフは、空気浮上艇の開発を始め、1930年代半ばには約20隻の空気浮上による実験的な攻撃・魚雷艇を建造した。最初の試作機であるL-1はとても単純、双胴型で3機のエンジンを搭載した。2基の空冷式M-11 航空機エンジンは水平に内蔵し、3基目は推進に用いた。実験では130km/hを記録した。当時の水上を航行する船舶では最も速い部類に入った。
21世紀現在、主流となっている軟質のエアスカートが付いている形式のホバークラフトを発明したのは、イギリスのクリストファー・コッカレルである。コッカレルは1952年にワイト島で1号艇を作り、1955年の試作品を民間の航空機製造会社や造船会社に持ち込んだが採用されなかった。そこで、イギリス軍の支援の下で秘密裏にサンダース・ロー SR.N1を開発した。1959年に試作機を公開し、ドーバー海峡を横断するデモンストレーションに成功した。その後、高い波や障害物を越えられるよう、ゴム製のエアスカートを発明した。
実用化への第一歩として、発祥の地イギリスでは、英仏間のドーバー海峡で海上高速輸送を実現するため、1966年にホーバーロイド社が、複数の連絡航路でホーバークラフトを就航させ、各地に専用発着場(Hoverport)が作られた。中には発着場のすぐ脇を通る列車から直接乗り換えられるように、専用駅が作られているケースもある。当初はブリティッシュホーバークラフト(BHC)社建造のSRN6型艇による旅客のみの運航だったが、数年で車載が可能な大型のSRN4型艇を導入した。1968年には、イギリス国鉄(BR)もフランス国鉄(SNCF)の協力のもと、シースピード社を立ち上げ、SRN4型艇による運航を始めた。一時期はフランス国鉄がセダム社建造によるフランス製ホーバークラフトN500型艇を提供したが、故障が多く数年で引退している。1981年、経営効率化のためホーバーロイドとシースピードの両社は合併し、新たにホーバースピード社が設立され、運航を引き継いだ。複数あった英仏連絡航路は、やがてドーバー(英国)・カレー (フランス)間に一本化された。ユーロトンネル開通後も活躍を続けたが、船体の老朽化とウェーブ・ピアーサー型の高速船への置き換えに伴い、2000年10月を以てホーバークラフトの運航を終了した。最後まで残った2隻のSRN4型(プリンセス・アン号とプリンセス・マーガレット号)は、イギリスのホーバークラフト・ミュージアムで展示保存されていたが、引退から20年近く屋外に置かれていたため、経年劣化が目立ったプリンセス・マーガレット号が建造から50年になる2018年に解体撤去された。唯一残ったプリンセス・アン号はシースピード社時代の外装に復元され、現在[いつ?]は週末限定で展示公開されている。
日本における歴史
日本語では「ホバークラフト」の表記が多いが、歴史的には「ホバークラフト」「ホーバークラフト」のどちらも用いられてきている。発音上はアメリカ英語だと「ホバー」のほうが近く、イギリス英語だと「ホーバー」のほうが近い。発祥の地イギリスからライセンスを得て建造を進めた三井造船では「ホーバー」のほうを採択し、日本国内の運航各社(大分ホーバーフェリー、空港ホーバークラフト、日本ホーバーライン)もこれに倣った。伊勢湾航路で運航していた名鉄海上観光船や、宇高航路で運航していた国鉄・JRでも「ホーバー」と呼ばれた。
定期航路としての歴史は、日本国内では昭和42年(1967年)、九州商船による熊本県の天草航路(島原港⇔熊本・百貫港⇔本渡港)が初めてで、三菱重工業がイギリスから導入したSR.N6型艇「ひかり」を使用した。同艇は昭和42年(1967年)1月に日本に到着したあと3ヶ月ほど試運転としての航海を繰り返したのち、7月より商業運行が開始された。その後、伊勢湾航路の志摩勝浦観光船に移り、蒲郡・西浦・鳥羽の間と鳥羽・二見浦遊覧で就航した。
昭和40年代は海上輸送の高速化に注目が集まっていた時期で、三井造船が国産のホーバークラフトを複数建造し、日本海、伊勢湾、瀬戸内海、別府湾、鹿児島湾、八重山諸島、沖縄海洋博会場などで就航した。巡航速度は時速約80kmで、黎明期に建造されたMV-PP5型やMV-PP15型には、ヘリコプター用を改造した石川島播磨重工業製の軽量、高出力のガスタービンエンジンが使用され、後の時代に建造されたMV-PP10型には経済性に優れるディーゼルエンジンが搭載されるようになった。
MV-PP5
1970年代にその姿が科学雑誌や教育番組で紹介され始め、トミカ(ミニカー)として縮尺1/210で製品化されたこともあり、ホーバークラフトと言えばMV-PP5の姿を想像する人が多い。三井造船千葉事業所にて建造。当初は50名程度の定員だったが、後に船体を延長し、70名程度の定員になった艇もある。延長型はMV-PP5 mk2と呼ばれた。ガスタービンエンジン1基を用いて浮上と推進を行っていた。一部は韓国へ輸出された。
かつては次の各地でMV-PP5による旅客輸送があった。
- 伊勢湾では1969年7月22日から1979年9月2日まで名鉄海上観光船が蒲郡・西浦・伊良湖・鳥羽間で運航。蒲郡駅から路線バスに乗って竹島地区にあるバス停「ホーバークラフト前」で降り、そこから乗船していた。出航してまず10分で西浦温泉の砂浜に着き、そこを経由してさらに35分で昔の鳥羽港湾センターの前にあった専用乗り場へ到着した。便によっては伊良湖を経由した。前述の志摩勝浦観光船の便と乗り場を共用し、交互にダイヤが組まれていた。テレビ番組でも登場し、『仮面ライダーストロンガー』の第1話、『まんがはじめて物語』のオープニング映像でもその姿を見ることができた。
- 大阪・徳島間では、1974年12月21日から1976年9月1日まで日本ホーバーラインが、所要85分で運航した。大阪は南港の一角に乗り場があり、徳島は沖洲にスロープ型の専用乗り場を設けて陸上発着していた。そこに格納庫もあった。
- 国鉄~JR四国が、1972年11月8日から1988年4月9日まで岡山県の宇野駅と香川県の高松駅の間の瀬戸内海で運航した。当時、同じ区間で運航していた宇高連絡船だと1時間かかったところを僅か23分で結び、本州・四国間の最速ルートとなった。両駅とも当時は海に面していて、宇野では駅ホームの海側先端にホーバー乗り場があり、高松では駅舎すぐ脇の海際が乗り場だったので、列車からの乗り換えに便利だった。15年以上にわたって活躍してきたが、瀬戸大橋の完成に伴い、JRの快速電車マリンライナーで海を渡れるようになったため、橋の開通前日を以て連絡船と共に廃止された。国鉄~JRの船ということもあり、①当初導入が計画された際には、海上からスロープで上陸し接続列車の脇まで乗り入れる案が出た。しかし高潮などで駅施設が冠水する恐れもあったため、最終的には駅内に専用の浮桟橋を設けて接岸、乗降する形がとられた。②「海の新幹線」というキャッチフレーズのもと、船体のカラーリングも東海道・山陽新幹線を模していた。③ホーバーの船体には小さく「急行」と書かれていたが、文字通り乗船には急行料金が必要で、乗客は国鉄・JRの乗車券と共に「船急行券」(通称:ホーバー券)を購入していた。④ホーバーの操縦席には列車運転用の懐中時計がセットされていて、到着後の乗り換えに支障がない様、厳密な定時運航が図られていた。
- 別府湾では、1971年から大分ホーバーフェリーが、大分・大分空港間でMV-PP5を運航していた。1995年までは別府・大分間の便もあった。末期の頃は日本唯一のホーバー航路としてMV-PP5の最後の活躍の場だったが、新型のMV-PP10へ置き換えが進み、2003年9月に最後の1隻が引退し姿を消した。運航当時は映画やテレビにも登場し『男はつらいよ』の2作品(「私の寅さん」「花も嵐も寅次郎」)と、刑事ドラマ『西部警察』、他にも別府温泉を舞台にしたサスペンスドラマで何度か姿を見ることができた。
- 鹿児島では、1972年から1977年まで空港ホーバークラフトが運航した。指宿から鹿児島、または桜島を経由して錦江湾を北上、鹿児島空港からの道路が海とぶつかる加治木へのアクセスとしていた。加治木から空港へはバスや車での移動が必要であった。ここでは運航をフライトと称した。船体色は黄色一色であり、指宿での客の乗降は、潮の干満に応じて桟橋に接岸したり砂浜に上陸したりしていた。
- 沖縄の八重山諸島では、1972年の沖縄返還に伴い日本政府から竹富町にホーバークラフトが譲渡され、その貸与を受けた八重山観光フェリーが以下の定期航路で運航した[14]。石垣港では階段状の岸壁に横づけされ、急傾斜のタラップで乗り降りしていた。他の島では就航当初は簡素なベンチとタラップだけが置かれた砂浜に直接上陸したが上陸時に砂煙を巻き上げるため、各島とも後に舗装されたスロープへと改造されていた。ホーバークラフトは水深の浅い石西礁湖での航行に適していたが、騒音や潮の吹き上げによる環境被害や高料金といった問題があり、1981年に竹富島南側の水路を浚渫した竹富南航路の供用が開始されると、翌1982年に高速船に役目を譲った[15]。
建造されたMV-PP5型艇は以下19隻。
- はくちょう(三井造船所有艇。国鉄宇高航路の予備艇だったが、後に岡山県の玉野海洋博物館で屋外展示されていた。老朽化のため1989年に解体)
- はくちょう2号(三井造船所有艇)
- はくちょう3号(大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造、1995年に解体)
- ほびー1号(大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造、1991年に解体)
- ほびー2号(大分ホーバーフェリー。衝突・転覆事故により1976年に解体)
- ほびー3号(大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造、1990年に解体)
- かもめ(三井造船所有艇。国鉄にリースされ、宇高航路の初代ホーバーとして就航していたが、後に2代目の「とびうお」が就航すると、予備艇となった。1991年に解体)
- こうりゅう<蛟龍>(船体は竹富町が所有。八重山観光フェリーが運航。引退後は西表島大原の竹富町離島振興総合センターで屋外展示されたが、台風被害で破損したため解体。その後はプロペラのみ同センターで保存展示されている)
- エンゼル1号(空港ホーバークラフト)
- エンゼル2号(空港ホーバークラフト→大分ホーバーフェリー)
- 赤とんぼ51号→ほびー6号(日本ホーバーライン→大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造。最後まで残ったPP5であったが、2003年に解体)
- 赤とんぼ52号→ほびー7号(日本ホーバーライン→大分ホーバーフェリー。大分で一旦船籍登録されたが、他艇への部品取りに転用)
- エンゼル3号(空港ホーバークラフト)
- エンゼル5号(空港ホーバークラフト→大分ホーバーフェリー。途中からmk2へ改造、2002年に解体)
- Hanchang No.1(「ハンチャン1号」韓国で就航。38名乗り)
- Hanchang No.2(「ハンチャン2号」韓国で就航。38名乗り)
- Hanchang No.3(「ハンチャン3号」韓国で就航。39名乗り)
- とびうお(建造時からmk2。国鉄が購入し「かもめ」に代わって宇高航路で就航。そのままJR四国に引き継がれたが、1988年の宇高航路の廃止後、1989年3月に建造元の三井造船が買い戻す。1991年に解体)
- Hanchang No.4(「ハンチャン4号」韓国で就航。39名乗り)
既に全艇ともリタイアして解体されており、現存しない。
MV-PP15
MV-PP5の大型化を目指し、1970年代に以下の4隻が建造された。旅客定員155名で、ガスタービンエンジン2基を搭載した。操縦席が2階にあり、客室にはトイレもあった。
- しぐなす(三井造船所有艇。日本海観光フェリーにリース。)
- しぐなす1号(三井造船所有艇。琉球海運にリース。)
- しぐなす2号(三井造船所有艇。琉球海運にリース。)
- しぐなす3号(三井造船所有艇。琉球海運にリース。)
1975年の沖縄国際海洋博覧会開催時に、琉球海運が海洋博会場エキスポ港と那覇新港の間をスピード輸送し、有名になった。また、1978年から1980年まで、日本海観光フェリーにより能登半島の珠州飯田港と佐渡ヶ島の小木港の間でも運航された。試験航行で東京港に来たこともあり、建造元の三井造船本社に近い竹芝桟橋のあたりを走行する雄姿を見ることができたが、1980年代に入って全艇が役目を終えて解体され、現存しない。
MV-PP10
下記の4隻が就航していた。全艇三井造船玉野事業所製である。旅客定員100-105名。浮上用2基と推進用2基、計4基のディーゼルエンジンを搭載。
- ドリームアクアマリン(旧 ドリーム1号)
- ドリームエメラルド(旧 ドリーム2号)
- ドリームルビー(旧 ドリーム3号)
- ドリームサファイア
いずれも大分ホーバーフェリーの大分・大分空港間で就航していたが、同航路の休止後、2010年に売却され、日本国外に運ばれた。売却先は非公表であったが、4隻揃って香港の港に係留された写真が中国語のウェブサイトで確認されていた。ところが2012年11月、ドリームアクアマリン、ドリームエメラルド、ドリームルビーの3隻が、中国船籍の貨物船により突如再び国内に運び込まれた。3隻は熊本県の八代新港の一角に置かれていたが、2015年4月初旬までに解体処分された。帰国時は各艇とも汚損破損が見られ、特にドリームアクアマリンは火災のためか客席部分がほぼ焼失していた。ドリームサファイアのその後は不明である[16][17]。
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焼損したドリームアクアマリン(2013年1月13日撮影)
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八代港に戻ってきたドリームエメラルド(2013年1月13日撮影)
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八代港に戻ってきたドリームルビー(2013年1月13日撮影)
脚注
注釈
出典
- ^ “ホバークラフトとは”. コトバンク. 2020年3月5日閲覧。
- ^ “エアクッション艇(エアクッションてい)とは”. コトバンク. 2020年3月5日閲覧。
- ^ “エアクッションカーとは”. コトバンク. 2020年3月5日閲覧。
- ^ 「ホバークラフト 薬剤は不要/空気噴射→水田除草/アビーズ 稲傷つけず」『日本農業新聞』2020年9月21日(2020年10月21日閲覧)
- ^ 現在の日本のホバークラフトの災害救難用としての問題点
- ^ “別府湾ホーバークラフト復活!? 空港アクセス改善、大分県が検討”. 西日本新聞. (2019年11月21日). オリジナルの2019年11月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ホーバー、23年にも復活へ 大分市-空港、上下分離方式で”. 大分合同新聞. (2020年3月4日). オリジナルの2020年3月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “大分県と第一交通、ホーバー導入で協定 年40万人利用を目指す”. 大分合同新聞. (2020年11月6日). オリジナルの2020年11月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ [1][リンク切れ]
- ^ “天ヶ瀬ダム(元)[京都府]”. ダム便覧. 一般財団法人日本ダム協会. 2020年3月5日閲覧。
- ^ [2]
- ^ Charles Coulston Gillispie, Dictionary of Scientific Biography, Published 1980 by Charles Scribner's Sons, ISBN 0684129256, p.484
- ^ (ロシア語) Air cushion vehicle history Archived 2008年10月2日, at the Wayback Machine.
- ^ 竹富町史編集委員会 編『竹富町史 第三巻 小浜島』2011年12月28日、480頁。
- ^ “竹富南航路の概要”. 内閣府沖縄総合事務所石垣港湾事務局. 2018年9月20日閲覧。
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- ^ “ホーバー運航休止からこれまで”. 『大分合同新聞』. (2020年3月5日). オリジナルの2020年3月6日時点におけるアーカイブ。
関連項目
- 地面効果
- 空気浮上
- 水中翼船
- 空気浮上式鉄道
- トラックト・ホバークラフト(ホバートレイン)
- アエロトラン
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