空気浮上式鉄道

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成田空港で乗客を運ぶオーチス製空気浮上式ピープルムーバー(水平エレベーター
アエロトラン試作2号機
RTV 31

空気浮上式鉄道とは空気を利用して浮上、走行する交通輸送機関である。かつて車輪式による粘着の限界があるとされた300km以上の速度における次世代高速鉄道の有力候補として1960年代-70年代にかけて各国で開発が進められたが、様々な問題点があることが明らかになり高速鉄道としての開発は打ち切られた。その後、空港のターミナル間の輸送など、一部の用途において使用される。

概要[編集]

1960年代から1970年代にさまざまな方法が高速鉄道実現に模索されてきた。開発の背景には従来の粘着式の鉄道システムでは時速300kmを超える領域での安定した走行は蛇行動等により不可能であると考えられてきた事が一因としてある。 鉄道先進国を自認するフランスではアエロトランホバークラフト発祥の地イギリスではトラックトホバークラフト,アメリカではアエロトランの技術を導入してコロラド州プエブロで空気浮上式鉄道の試験が進められた。それらの大半は技術的には未熟で従来の鉄道システムでの高速鉄道と競うにはまだ十分ではなかった。そのため、オイルショックの後それらの計画の大半は中止された。その後、ゼネラルモーターズが開発した浮上する事によって摩擦を無くし、リニア誘導モーターで輸送するシステムが開発され、その事業を受け継いだオーチス社がケーブルによる推進システムに変えた事により経済性が発揮されるようになり、成田空港第2ターミナルシャトルシステムのように一部の空港等において利用されるようになり現在に至る[1]

また、航空工学に基づいた空気力学的に浮上するエアロトレインのような例もある。この場合には停止すると着地する。

アエロトラン[編集]

フランス1965年-1977年にかけて開発が進められた。サランルーアン間に建設された全長18kmのオルレアン実験線フランス語版1974年3月5日に運転速度417.6km/h、瞬間最大430.4km/hの記録を樹立した。

TACV[編集]

1965年高速鉄道法により連邦鉄道委員会(FRA)は高速鉄道の研究予算をつけた[2]。 さらにUAC ターボトレインの成功により、Tracked Air Cushion Vehicle(TACV)計画の下で複数の試作機の製作が承認された[3]。TACVはリニア誘導モーターによって300 mph (483 km/h)の性能の高速列車を想定した。異なる要素技術が異なる試作機で試験された。

1969年12月、エネルギー省は複数の計画のためにコロラド州プエブロ高速鉄道試験センター(HSGTC)の建設を採択した[2]。TACV計画のためにはエネルギー省は異なる試作機のために試験線の建設費を払ったが、試験線の建設は遅かった[4]

LIMRV[編集]

バーティンのチームがまだリニア誘導モーターを使用していなかった頃にTACV計画はリニア誘導モーター(LIM)の開発に注力していた[2]ギャレット・エアリサーチは、(車上一次式)LIMに電力を供給するために3,000 hpのガスタービンエンジンを備えた車輪式で標準軌の軌道上を走行するリニア誘導モータ試験機(LIMRV)を製造した[4]

LIMRVの試験軌道はギャレットが試作機を納入した時点ではプエブロ近郊のHSGTCはまだ完成していなかった。軌道の内側のリアクションレールは設置中だった。軌道の準備が整うとリニア誘導モーター、発電機と軌道の力学的試験は進行して1972年12月に187.9 mph (302.4 km/h)に達した[2]。速度は試験線の全長(6.4マイル)と試作機の加速度によって制限された。より高速で推進するように2基のJ-52 エンジンが追加された。これらのエンジンはJ-52の推力が抵抗と釣合うように逆噴射するようにできていた。 これにより軌道を数マイル延伸せずにより高速の試験を目指した。1974年8月14日、LIMRVは従来の軌道上での世界記録となる255.7 mph (411.5 km/h)を樹立した[5]

TACRV[編集]

TACV計画の第2段階はターボファンエンジンを動力とする空気浮上式のTracked Air Cushion Research Vehicle(TACRV)の試験だった[2]ボーインググラマンが設計を提案してグラマンの案が採択された[6]。グラマンのTACRVは1972年に発表された[2]。グラマンの努力はTACV計画の大部分の予算を獲得して22マイル (35 km)の軌道の建設を確実にしたが、リニア誘導モーター推進のためのリアクションレールは設置されなかった。ジェットエンジンによる推進のみで90 mph (145 km/h)に達したに過ぎない[4]

UTACV[編集]

第3段階のTACV計画は、座席を備えたリニア誘導モーター式空気浮上列車のUrban Tracked Air Cushion Vehicle(UTACV)で完成した[2]ロー・インダストリーズはバーティンのエアロトレインの設計を基に[6]契約を取り、1974年にプエブロのHSGTCへ試作機を納入した[4]

しかし、余ったお金はほとんど無かったのでロー社の試作機はわずか1.5マイル (2.4 km)の軌道で、最大速度はわずか145 mph (233 km/h)だけ可能だった。UTACVの試験準備が整った時点で大半の予算は使い切った状態でそれ以上の予算は出なかった。電源供給システムの必要、低エネルギー効率、騒音の水準が問題となった[4]。ロー社の試作機の最後の試験は1975年10月に終了した[4]。以来、プエブロの施設は交通技術センターとして知られる従来の鉄道車両の試験に現在でも使用される。

ホバートレインへ引導を渡す磁気浮上鉄道[編集]

磁力で列車を浮上する概念はホバートレインの試験中において検討されてきた。当初、この方法は非現実的であると信じられてきた。もし、システムが電磁石を使用していたなら制御装置は法外なほど高価になる事が予想され、当時、鉄道車両を持ち上げるほど強力な磁石は無かった[7]

パワーエレクトロニクスの進歩により電磁石による浮上式鉄道が現実味を帯びてきた。1960年代末に磁気浮上式鉄道が再び注目されるようになり、いくつかの計画がドイツ日本で始まった。同時期、Laithwaiteは浮上と推進を司る新型のリニア誘導モーターを発明した事により従来の(車上一次式)LIMのような電源の不要な軌道の建設が可能になった。どちらの場合でも列車の浮上に必要なエネルギーはホバートレインの浮上に必要なエネルギーよりも大幅に少ないエネルギーですむ。

1970年代初頭、様々な磁気浮上式鉄道が世界中で検討された。ドイツ政府は提案された案のどれが優れているかを明らかにするために複数の異なるシステムに出資した。1970年半ばの時点でこれらのいくつかの計画はホバートレインのような騒音や砂塵を巻上げたり多くのエネルギーを費やさずにホバートレインと同水準の成果を生み出した。

既存のホバートレインの計画は既存の資金で継続されていたが、磁気浮上式鉄道への関心の高まりと従来型の高速鉄道の導入の両方により徐々に下火になったと考えられる[8]

トラックトホバークラフト[編集]

イギリスでも空気浮上式鉄道の研究が進められた。フランスアエロトランガスタービンエンジンプロペラダクテッドファン)を回転させて推進したのに対して、トラックトホバークラフトはリニア誘導モーターで推進した。ホバークラフトを開発したグループは、リニア誘導モーターが知られるようになった1961年頃以降にリニア誘導モーターの概念を取り入れた。1963年から実物大の開発の基にするためにリニア誘導モーターの概念を使用した試験機が走行を始めた[9]。小型の試験機は凸型のモノレールの軌道上を走行する狭胴型の旅客機のような形状の車両だった。水平面は走行路面で、垂直の部分は案内と軌道を保持する強度を維持する構造だった[9]

開発チームは縮小された模型の製造のために追加予算を確保した。Hytheに大きな円形の試験軌道を地上から約3フィートの高架上に建設した。ここでは基本的な配置が変更され、軌道の断面形状がからに変更された。これにより車両の床が平坦になり、幅が広がった[9]。この形式は1965年に走行し、次年度に開催されたホバーショー '66で公開された。後に軌道の側面の上部に設置されたリニア誘導モーターで動くようになった[10]。 この時点で計画は資金不足により中断された。同時期、英国鉄道は従来の列車の高速走行の障害となる蛇行の問題に関する広範な研究プロジェクトに取り組んでおり、適切な支持装置を開発することによって解決される可能性が示唆された。英国鉄道は空気浮上式鉄道の概念に関する興味を失い、まもなく先進旅客列車(APT)の開発に注力するようになった。これによりHytheのチームは彼らが提案していた実物大の試験機の予算が得られなくなり、ホバーショーではフランスが空気浮上式鉄道の開発を先導する事に苦情を呈した。

1967年、政府は空気浮上式鉄道の開発を国立物理学研究所に移管した[11]。ほぼ同時期にリニア誘導モーターの開発において功績のあったLaithwaiteは、英国鉄道との関係を断絶した。2チームは共同で実物大のトラックトホバークラフトの試験機を作る努力を続けた。Laithwaiteの説得とイギリスがフランスに勝つという要因の組み合わせにより、すぐに政府の資金援助を得られた。

1970年ロンドン北部に試験軌道の建設が始まった。この場所が選ばれた理由は全長20マイルの試験線を敷設するための平坦な土地が得られたからだったが、予算は最初のわずか4マイル分のみだった。建設費のさらなる高騰によりわずか1マイルのみ建設された。試作機のRVT 31は1973年に速度試験を始め、1973年2月7日ケンブリッジシャーの実験線で向かい、風20マイルの中で167km/h(104mph)の速度に達した[12]。 この成功にもかかわらず、政府は2週間後にさらなる予算を中止した[13]。関心が英国鉄道の一部に留まった事と各種高速化の努力の間での内紛の組み合わせがAPTを強く勧める独立審査委員会の形成を促した。 1973年に予算が打ち切られた事により計画は中止され、現在は実験機がレイル・ワールド英語版に保存されている。開発関係の書類はイングランドのハンプシャーにあるホバークラフト・ミュージアム英語版に展示されている[14][15]

空気浮上式新交通システム[編集]

成田空港第2ターミナルシャトルシステムのようなターミナル間の移動など、世界各地の空港や大学などで運行されている[16]。当初はリニア誘導モーター(LIM)を使用していたが、近年ではケーブルカーと同様に鋼索で推進する例が主流となりつつある。これは技術的には一見後退した様にも見えるが、低速での推進効率においてはリニア誘導モーターよりも優れているからである。多くの新交通システムで見られるゴムタイヤによる自走式ではないので車載の電動機や駆動系統の整備が不要である。 ゴムタイヤを使用せずに浮上する事によって新交通システムの運行経費において少なくない割合を占める消耗品であるゴムタイヤの交換を不要にする。また、空気浮上によりゴムタイヤよりも転がり抵抗が少ないため、少ない駆動力で運行できる。

脚注[編集]

  1. ^ タイヤ交換が不要な為、交換が必要なタイヤの費用や人件費等の整備費用が削減でき、高稼働率を維持できる為、予備車両が不要で浮上に必要な電力の費用を含めても十分採算が取れるという。
  2. ^ a b c d e f g Reiff, Glenn A. (1973). "New Capabilities in Railroad Testing". Proceedings of the American Railway Engineering Association 74: 1–10. Retrieved 2010-09-11. 
  3. ^ Volpe 1969, p. 51
  4. ^ a b c d e f The Rohr Aerotrain Tracked Air-Cushion Vehicle (TACV)”. SHONNER Studios. 2010年8月28日閲覧。
  5. ^ Johnson, R. D. (1988). "Thoughts at 160 mph". Proceedings of the American Railway Engineering Association 89: 330–331. Retrieved 2010-09-11. 
  6. ^ a b Volpe 1969, p. 53
  7. ^ 現在でも永久磁石の反発力だけで浮上する事は困難である。
  8. ^ また空気浮上式鉄道の開発に積極的に取り組んでいた国ほど磁気浮上式鉄道の開発には消極的な傾向がある
  9. ^ a b c "Hovertrain", British Pathé, 1963
  10. ^ "Track Section Chosen for UK Hovertrain", Flight International Air-Cushion Vehicles supplement, 17 November 1967, pp. 71–72
  11. ^ Hythe 1967, p. 36
  12. ^ "Video of RTV 31 test run", BBC News, February 1973
  13. ^ "Dropping the tracked hovercraft", NewScientist, 22 February 1973
  14. ^ Youtube video of the Hovercraft Museum LIM”. Youtube.com (2009年10月10日). 2010年1月9日閲覧。
  15. ^ 超高速新幹線―東京・大阪一時間 中央公論新社 ISBN 9784121002723
  16. ^ 一部は廃止されたものもある

関連[編集]

文献[編集]