白鳥事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
最高裁判所判例
事件名 再審請求棄却決定に対する異議申立棄却決定に対する特別抗告事件
事件番号 昭和46年(し)第67号
1975年(昭和50年)5月20日
判例集 刑集29巻5号177頁
裁判要旨
刑訴法435条6号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠と総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用される。
第一小法廷
裁判長 岸上康夫
陪席裁判官 藤林益三下田武三岸盛一団藤重光
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
刑訴法435条6号
テンプレートを表示

白鳥事件(しらとりじけん)は、1952年(昭和27年)1月21日に発生した警察官射殺事件である。

日本共産党による謀殺を主張する検察と、これに対し冤罪を主張する日本共産党や自由法曹団とが鋭く対立したが、1963年(昭和38年)10月17日に日本共産党札幌軍事委員会[1]委員長への懲役刑が確定した[2][3]。しかし、警察の捜査の過程での証拠の捏造や自作自演が指摘されており、受刑者が無罪を訴えて1965年(昭和40年)に再審請求し、更に最高裁判所特別抗告したが、新たな証拠が提出されたことなどにより、最終的に1975年(昭和50年)に最高裁判所に棄却されている。

一方でこのとき、「白鳥決定」と呼ばれる、再審制度においても『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用される判断を最高裁判所が下したことから、以後、確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じれば再審を開始できるようになった。

概要[編集]

1952年(昭和27年)1月21日午後7時30分頃、北海道札幌市[4]南6条西16丁目路上で、自転車に乗る男が、同じく自転車で帰宅途上の札幌市警察白鳥一雄警部に向けて後ろから拳銃を発砲し、心臓に銃弾を受けた白鳥は絶命した。犯人はそのまま自転車で逃走した[5][6]。白鳥の体内から摘出された銃弾と現場に残された薬莢から、暗殺に使われたのは32口径ブローニング拳銃とされた。

札幌市警察本部警備課課長であった白鳥は、「51年綱領」の採択を経て当時武装闘争路線をとっていた日本共産党対策に従事しており、共産党員を多数検挙していた。事件前、白鳥には「昨年はきさまのおかげでおれたちの仲間が監獄につながれた。この恨はきっとはらす。おれたちは極めて組織的にきさまをバラしてやる。」との脅迫状も届いていたことから、捜査当局は日本共産党による犯行とみて捜査を開始した[5]

事件発生2日後に党北海道地方委員会が「党との関係は何とも言えない。この事件は愛国者の英雄的行為」と関与を匂わせる旨の声明を発し、共産党員が市内で「見よ、天誅遂に下る![7]」のビラを配布していたことから党関係者へ疑惑が抱かれるも、事件直後に村上由党北海道地方委員が「党と白鳥事件は無関係」と関与を否定する声明を発している。

信用金庫元従業員の共産党員からは、白鳥に不正を察知されたと考えたヒロポン中毒の信金理事長が殺し屋を差し向けたとの怪情報が流された。なお、当該理事長はその後自殺している[5]

事件発生から4か月後、党員の通報により白鳥殺害に関与しているとの情報が得られて村上国治党札幌地区委員らが逮捕され、更に共犯として逮捕されたTが「1月3日から1月4日頃に村上ら中核自衛隊である北海道大学生7人が集まり、白鳥警部殺害の謀議を為した」と供述[5]した。

しかし、村上らの逮捕後も犯行に用いられたとされるブローニング拳銃は発見されず、事件発生2年前に幌見峠で射撃訓練した際の銃弾のみが唯一の物証として裁判に提出された。

直接の実行犯とされた党員らは、日本共産党の密航船群「人民艦隊」で不法出国し、当時日本と国交が無かった中華人民共和国逃亡している[8]

裁判[編集]

検察側は村上を殺人罪共謀共同正犯で、共犯2人を殺人罪の幇助犯として起訴し、「村上らは武装蜂起の訓練のため幌見峠で射撃訓練をした。そして、彼らの活動の邪魔になる白鳥警部を射殺した」と主張している。

第1審札幌地裁は共同謀議を認定し、村上を無期懲役、共犯1人を懲役5年・執行猶予5年と判決している。途中から公判分離されて共同謀議を自供した共犯Tは、1957年(昭和32年)5月に懲役3年・執行猶予3年と判決されて確定している。控訴審札幌高裁1960年(昭和35年)6月の判決で村上を懲役20年に減刑し、共犯1人は控訴棄却している。1963年(昭和38年)10月17日、最高裁判所上告を棄却して判決が確定した[3]

唯一の物証であるピストル銃弾は2年前に発射された銃弾としてはほとんど腐食が無く[5]、「旋条痕が白鳥警部の遺体から発見された銃弾と一致したとする鑑定結果はアメリカ軍による鑑定」との証言が上告棄却後に得られて捏造の可能性が疑われた[9]

日本共産党は冤罪キャンペーンを張り、110万人に及ぶ最高裁再審要請署名を集めた。村上は無罪を主張して1965年(昭和40年)に再審請求を行い、最高裁判所への特別抗告まで争った。しかし、獄中の村上が弁護士を経由して証拠隠滅の為に実行犯グループを国外へ逃がすよう指示した書面が警察当局に押さえられており、それが裁判資料として提出されたことなどから、最高裁は当時の証拠資料の不当性を認めつつも1975年(昭和50年)に棄却した[6][10]

なお村上は、1969年11月14日に再審申し立て中としては異例の仮釈放を受けている[5]

白鳥決定[編集]

最高裁判所は再審請求を棄却したが、「再審制度においても『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用される」と判断し、後年「白鳥決定」と通称されている。従前の再審裁判では証拠を完全に覆すに足る証言や証拠を求めることが多かったが、裁判時の証拠や証言に対してある程度の合理的疑いが存在する場合も再審の対象とし得ると扱われるようになり、弘前大学教授夫人殺人事件米谷事件滝事件[11]財田川事件免田事件など複数の事件での冤罪認定への道を開いた[5]

後年の推移[編集]

  • 1955年(昭和30年)頃、指名手配犯3人は中華人民共和国へ不法出国により亡命[12]するも、1988年(昭和63年)に2人が病死して鶴田倫也だけが生き残る。1997年(平成9年)6月、鶴田は北京市内で時事通信の取材に応ずるも事件の真相は語らず[5][13]、晩年は心臓疾患を患い2012年(平成24年)1月頃から体調を崩して3月中旬に北京で死亡[13]している。
  • 1994年(平成6年)11月3日、村上は埼玉県大宮市内で失火原因不明の自宅火災により71歳で死亡している[5]
  • 2002年司法博物館にあった白鳥事件の裁判資料を有志が整理して公開されたが、博物館が松本市に移管されるとお蔵入りになった[6]
  • 2011年(平成23年)3月27日、HBC北海道放送が事件関係者へのインタビューなどを通じて白鳥事件の真相を追ったラジオドキュメンタリー「インターが聴こえない~白鳥事件60年目の真実~」(HBCラジオ開局60周年記念ドキュメンタリー)を放送し、同年5月に第37回放送文化基金賞ラジオ部門優秀賞[14]を、同6月に第48回ギャラクシー賞ラジオ部門大賞[15]を受賞している。番組の終盤には、鶴田との接触を持ち、中国共産党とのパイプを持つ人物へのインタビューの録音が流されるが、その人物は関係者が全員死なないと話せないと証言を拒んでいる。
  • 2012年(平成24年)2月24日、中核自衛隊に属して暗殺計画に参加したとして殺人幇助などの罪で執行猶予判決を受けた元隊員は「中核自衛隊が計画を進めていたのは事実」と証言して中核自衛隊の犯行であったことを認め、説明責任を果たすため手記を公表予定[16]読売新聞の取材で述べている。
  • 指名手配犯3人は海外逃亡中であるため公訴時効は停止中である。鶴田は2012年、佐藤はそれ以前に病死したと報じられたが、鶴田・佐藤両名は中国公安当局による死亡確認を得られていないことを理由に逮捕状が更新され続けており、効力を有する日本最古の逮捕状[17]となっている。

脚注[編集]

  1. ^ 共産党札幌委員会の地下組織(渡部富哉 (2012年3月18日). “「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実”. ちきゅう座. 2017年11月30日閲覧。
  2. ^ 渡部富哉 『白鳥事件 偽りの冤罪』(同時代社 2012年)230頁
  3. ^ a b 立花書房編『新 警備用語辞典』立花書房、2009年、203頁。
  4. ^ 現在の札幌市中央区
  5. ^ a b c d e f g h i 藪坂. “白鳥事件”. オワリナキアクム ~又ハ、捻ジ曲ゲラレタ怒リ~. 2017年11月30日閲覧。
  6. ^ a b c 渡部富哉 (2012年3月18日). “「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実”. ちきゅう座. 2017年11月30日閲覧。
  7. ^ ビラには「下る」と書かれたものと「降る」と書かれた者の2種類があり、うち「降る」の版は共産党の犯行を市民に印象付けるために警察が撒いたものだとする主張がある。(渡部富哉 (2012年3月23日). “「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実③”. ちきゅう座. 2017年11月30日閲覧。
  8. ^ 第029回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号”. 国会会議録検索システム (1968年7月4日). 2017年12月1日閲覧。
  9. ^ 第058回国会 法務委員会 第33号”. 国会会議録検索システム (1968年5月24日). 2017年12月1日閲覧。
  10. ^ 渡部富哉 (2012年3月22日). “「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実②”. ちきゅう座. 2017年12月1日閲覧。
  11. ^ 冤罪事件データベース”. 冤罪プロジェクト. 2017年12月1日閲覧。
  12. ^ “白鳥事件・最後の実行メンバー死亡…北京で”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2012年3月29日). オリジナル2012年3月30日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120330223817/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120329-OYT1T01212.htm 2012年3月30日閲覧。 
  13. ^ a b “白鳥事件の鶴田容疑者が死亡=逃亡先の北京で-警部射殺から60年、真相語らず”. 時事ドットコム (時事通信社). (2012年3月29日). http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&rel=j7&k=2012032900320 2012年3月30日閲覧。 [リンク切れ]
  14. ^ HBC北海道放送 プレスリリース 2011年
  15. ^ “秋田放送の番組がテレビ部門大賞 第48回ギャラクシー賞”. 共同通信社. 47NEWS. (2011年6月2日). http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011060201000949.html 2013年4月18日閲覧。 
  16. ^ “「白鳥事件」銃撃、数日前に失敗…地下組織の元隊員60年後の証言”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2012年2月24日). オリジナル2012年2月27日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120227075103/http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20120224-OYT8T00017.htm 
  17. ^ “更新続く「最古の逮捕状」 白鳥事件で北海道警”. 共同通信社. 47NEWS. (2012年11月24日). http://www.47news.jp/CN/201211/CN2012112401000993.html 2013年4月18日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 白鳥事件中央対策協議会『壁あつくとも 村上国治獄中詩・書簡集』日本青年出版社、1969年
  • 長岡千代『国治よ 母と姉の心の叫び 謀略白鳥事件とともに生きて』光陽出版社、1997年
  • 宮川弘『白鳥事件の謎 ノンフィクション・スパイシリーズ』東洋書房、1968年
  • 村上国治『網走獄中記 白鳥事件――村上国治 たたかいの記録 上・下』日本青年出版社、1970年 
  • 山田清三郎『白鳥事件研究 昭和史の発掘』白石書店、1977年
  • 山田清三郎『白鳥事件』新風舎、2005年
  • 渡部富哉『白鳥事件 偽りの冤罪』同時代社、2012年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]