敵の出方論

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敵の出方論(てきのでかたろん)とは、日本共産党の原則的見地であり、内外の反動勢力(権力右翼など)がクーデターなど非平和的な手段に訴えない限り、政治暴力は行使しない、というものである。

前史[編集]

戦後合法化された日本共産党は1950年に分裂し、その一方の側が議会闘争武装闘争を併用した。しかし、1952年に実施された衆議院議員選挙では全議席を喪失。山村工作隊も、何ら実効を上げることはなかった。

第6回全国協議会とその後[編集]

1955年に開催された日本共産党第6回全国協議会(六全協)で、日本共産党は武装闘争を事実上破棄し、党の統一を回復した。ただし、冒頭で述べたように、反動勢力がクーデターなど非平和的な手段に訴えた場合は、この限りではないと含みを残した。「権力者は、通常自ら権力を手放さない」とのレーニンテーゼを念頭に置き、治安維持法で取締りを受けた経験や、労働農民党所属の山本宣治衆議院議員が、1929年に右翼の凶刃に倒れた過去を、直視したものと思われる。

その後、1970年に日本共産党は「敵の出方」論について以下のようによりたちいった規定をおこなった。

「社会の変革をめざすさいにも、人民の多数の意思を尊重し、かつ人民にとってもっとも犠牲の少ない形態を望み、追求するのが、共産主義者の一貫した原則的態度である。わが党は、すでに、民族民主統一戦線勢力が国会で多数をしめて平和的、合法的に人民の政府をつくることをめざすことをあきらかにしている。しかし、そのさい内外の反動勢力がクーデターその他の不法な手段にあえて訴えた場合には、この政府が国民とともに秩序維持のための必要な措置をとることは、国民主権議会制民主主義をまもる当然の態度である。さらに人民の政府ができる以前に、反動勢力が民主主義を暴力的に破壊し、運動の発展に非平和的な障害をつくりだす場合には、広範な民主勢力と民主的世論を結集してこのようなファッショ的攻撃を封殺することが当然の課題となる。わが党がこうした『敵の出方』を警戒するのは、反動勢力を政治的に包囲してあれこれの暴力的策動を未然に防止し、独立・民主日本の建設、さらには社会主義日本の建設への平和的な道を保障しようとするためであって、これをもって『暴力主義』の証拠とするのは、きわめて幼稚なこじつけである」(日本共産党第11回党大会決議より)

1973年、選挙で選ばれたチリ人民連合政権サルバドール・アジェンデ大統領)が軍部のクーデターで倒された教訓は、敵の出方論に更なる強い根拠を与えることとなった。

日本共産党は以降、この路線の下に活動を穏健化させていき現在に至る。同党は「敵の出方論」を公式には放棄していないものの、今日ではこの立場に言及することは少ない。

国の対応[編集]

平和革命になるかどうかは敵の出方による」に着目し、公安調査庁は、日本共産党が武装闘争の危険性を残していると判断し、現在も調査対象団体から外されておらず、第3次安倍第1次改造内閣においても破壊活動防止法の調査対象であるという答弁書を閣議決定している[1]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]

  • 日本共産党資料館 「党大会関連・中央委員会総会決定」-「第7回党大会」-「綱領問題についての中央委員会の報告(2)」の「九、革命の平和的移行について」 (1957年の文書)