三・一五事件

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三・一五事件(さん・いちごじけん)は、1928年3月15日に発生した、共産主義者への大日本帝国政府による弾圧事件。

背景[編集]

当時の大日本帝国政府は私有財産制を否定する国際共産主義運動を、国体を脅かすものとして警戒していた。先の第一次世界大戦末期(1917年)にはロシアで共産主義革命が発生していたが、シベリア出兵はこの革命に対する列強の干渉戦争の極東戦線という意味合いがあった。結果的に列強による革命の阻止は失敗し、以降大日本帝国を含む諸列強は革命政府たるソビエト連邦の存在を容認する方向へ進んでいくこととなる。

1924年(大正13年)、第二次護憲運動に伴って成立した護憲三派による第一次加藤高明内閣は、以後1932年(昭和7年)まで続く憲政常道論に基づく政党内閣時代の始まりを告げるものであった。加藤内閣は普通選挙を実現したほか、日ソ間の国交を樹立した。「国体を変革しおよび私有財産を否認せんとする」結社・運動を禁止する治安維持法の成立(1925年3月)は、これらの政策とほぼ同時期のことであり、これによって、国体を変革することそのものである共産主義者、つまりは、議会による変革を否定し暴力革命をただひとつの方法とするものの疑いをかけられた個人を政府が逮捕・投獄することが可能となった。

事件[編集]

1928年2月、第1回の普通選挙が実施されたが、社会主義的な政党(無産政党)の活動に危機感を抱いた政府(田中義一内閣)は、3月15日治安維持法違反容疑により全国で一斉検挙を行った。日本共産党(非合法政党の第二次共産党)、労働農民党などの関係者約1600人が検挙された。

作家、小林多喜二は三・一五事件を題材に『一九二八年三月十五日』を発表する(『戦旗』1928年11・12月号、発売禁止)。特別高等警察による拷問の描写が特高の憤激を買ったと言われている。

関連項目[編集]