日本労働党

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日本の旗 日本政党
日本労働党
西太平洋の方に向いた地球とその地球の右下にJLP.の文字
中央委員会議長 大隈鉄二
成立年月日 1974年1月
本部所在地
〒102-0072
東京都千代田区
飯田橋4-1-5
ボザール飯田橋
2階労働新聞社内
党員・党友数
640人[1]
政治的思想・立場 左派
共産主義
社会主義
マルクス・レーニン主義[2]
機関紙 『労働新聞』(月3回発行)、季刊『労働党』(年4回発行)
公式サイト 日本労働党中央委員会(JLP.NET)
国際組織 なし
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日本労働党(にほんろうどうとう[3])は、日本共産主義政党。略称は日労JLP2008年に同名の政治団体[4]総務省届出が行われるまでは、労働党という略称も用いられた。機関紙として『労働新聞』を発行。

概要[編集]

1974年1月に結成された。当初は毛沢東思想を掲げていたが、中国共産党との「関係確立」は1978年11月になってからであるという。しかし中国共産党は、1998年1月に行われた日本共産党の不破哲三との懇談において、すでに日本労働党との関係はなく今後も関係を持つことはないと表明した[5]

かつては国政選挙にも候補者を立てており、神奈川県福岡県県知事選挙などでは、法定得票を得ることがあった。しかし近年は選挙に公認候補を擁立しておらず、地方議員はいずれも無所属で活動している。2018年1月の時点では、東京都荒川区議会杉並区議会に各1名、神奈川県の綾瀬市議会に1名、福岡県の筑紫野市議会とみやこ町議会に各1名の議員がいた[6]。同年7月に荒川区議が死去したため、2019年1月時点における地方議員は計4名となった[7]。同年4月の第19回統一地方選挙では、杉並区・みやこ町において議席を維持し、筑紫野市では元職(市長選挙に立候補し落選。後述)、荒川区では新人が当選し議席を回復したが、綾瀬市では議席を失った。いずれの候補も統一戦線である「自主・平和・民主のための広範な国民連合」(1993年結成)の推薦を受けている[8]

1981年に日本労働党から分裂した三橋辰雄を創設者とする緑の党とは、友好関係にあるという。

略史[編集]

結成の経緯[編集]

1966年10月、日本共産党が「自主独立路線」を打ち出した。1967年3月、ソ連に反対する言動を続けた党内中国派で佐賀県委員であった大隈鉄二が日本共産党から除名された。

大隈は、「日本共産党(左派)」など他セクトを経由し、1969年6月「日共革命的左派」を結成した。同時期に「日共革命左派神奈川県委」の反主流派が組織分裂を宣言して九州に向かい大隈の「日共革命的左派」に合流、組織は拡大する。なお、日本労働党が神奈川県や福岡県知事選挙に繰り返し候補者を立てる理由も、前身の組織の基盤であったことが影響している。

1970年12月10日には党名を「日共革命左派九州党」に改称し、その後も九州のほか、関西関東にも勢力を伸ばし、同年9月には全国委員会を結成した。

1974年、さらに「共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派」の流れをくむ活動家、一部の社会党員らが合流、「日本労働党」が結成された。

近年の動向[編集]

国政選挙では、中選挙区制時代にはしばしば独自候補を立てていた。1980年第36回総選挙では、東京2区に立てた候補のおかげで、無投票当選を阻止したこともあった(戦後の衆院選で、無投票当選の例はない)。神奈川県が主地盤であったことと関連して田川誠一衆議院議員(旧神奈川2区選出)との関係が濃く、田川が党首だった進歩党の党大会には大隈議長が来賓で招かれて祝辞を述べていた。1989年の参院選神奈川選挙区では進歩党公認円山雅也候補の支援に回った。

しかし、2005年第44回衆議院議員総選挙では、「(社民党と新社会党は)かたくなに団結を拒んで」いることを理由に、党としては支持しないと発表した。

但し「個人の判断」として各党員は社民党を応援し続けている。また、たびたび社民党幹部の挨拶や声明、談話、広告などが機関紙に載せられており、旧社会党系と労働党の関係は現在も良好と言える。

日常の行動としては、自民党政権に反対する催し、集会、行動等(主に社民党全労協系)に参加し、のぼりの保持、ビラ撒きを行っている。

神奈川県知事選では、1979年より山本正治を独自候補として4回公認し、特に1979年と1983年では自由民主党が支持に回った事でオール与党となった長洲一二に対する唯一の対立候補となった。これにより、従来は泡沫候補として極めて小さく扱われる労働党の主張や山本の人柄が、新聞などでは現職知事の長洲と同格で扱われ、同党の基礎票を大きく上回る得票を獲得した。山本は1995年と1999年にも立候補し、いずれも長洲やその後継指名を受けた岡崎洋といった自民党から社会党までの相乗り候補や、長洲県政支持から離脱した共産党の独自推薦候補と争ったが、1995年には自身で最多の得票数を記録した。その後は独自候補擁立を見送り、2003年には飛鳥田一朗(医師飛鳥田一雄横浜市長社会党委員長の甥)を支持した(落選)。2007年、2011年も独自候補を立てず、自主投票。

近年は党としての選挙活動はほぼ見られず、2011年4月の第17回統一地方選挙大阪府枚方市議会議員選挙に党員を公認候補として擁立したものの下位落選[9]、それ以降公認候補の擁立はない。上述の地方議員は党員・活動家が支持団体や後援者らと各自で活動し、地方議会議員選挙に無所属で出馬して議席を得ているものである。2018年11月25日投開票の福岡県古賀市長選挙には元党員の奴間健司・前古賀市議会議員(元市議会議長)が無所属で立候補したが落選している[10]

国際情勢に関してはイラクを中心とする中東関係に多く言及している。チベット問題に関しては言及は乏しいが、中国政府寄りの立場を取る[11]

財政[編集]

2011年政治資金収支報告書によれば、党費収入は約3500万円、機関紙発行等の事業収入は約2600万円である。しかし、2013年の政治資金収支報告書では、党費収入が約1000万円、機関紙発行等の事業収入も約1100万円と、わずか2年の間に急激に落ち込んでおり、深刻な財政状況にあると推測される。党員数も2011年の段階で1350人いたが、2015年の段階では820人にまで減少している[12]

年表[編集]

  • 1974年(昭和49年)1月 - 日本労働党が結成される。
  • 1974年(昭和49年)2月 - 機関紙『労働新聞』創刊。
  • 1976年(昭和51年)6月 - 政治団体の設立を届出。
  • 1979年(昭和54年)4月 - 神奈川県知事選に独自候補を立て、19万票を得票。
  • 1983年(昭和58年)4月 - 神奈川県知事選に独自候補を立て、36万票を得票。
  • 1995年(平成7年)4月 - 神奈川・福岡県知事選に独自候補をたてる。神奈川で45万票を得票、福岡で7万票を得票。
  • 1997年(平成9年)1月 - ウェブサイトを開設。
  • 1999年(平成11年)4月 - 神奈川・福岡県知事選に独自候補を立てる。神奈川で31万票を得票、福岡で12万票を得票。
  • 2011年(平成23年)7月 - 同年4月の枚方市議会議員選挙に立候補した党員が失業保険の給付金を受け取りながら生活保護費などを不正に受給したとして逮捕。党大阪府委員会は「悪質かつ不当な政治弾圧」であると抗議[13]

注釈[編集]

  1. ^ 総務省「政治資金収支報告書」(平成25年定期公表分)
  2. ^ 労働党規約
  3. ^ 平成29年分 政治資金収支報告書 日本労働党
  4. ^ 旧党名は日本国民労働党であり、2006年に自由労働党の名称で活動を開始した団体であるが、2014年に解党(「解党宣言」)。離脱メンバーによる政治団体「労働党」も同年中に解散した(神奈川県選挙管理委員会収受全16号)。
  5. ^ 『日本共産党と中国共産党の新しい関係』会談記録が示す見苦しい取引 労働新聞
  6. ^ 労働新聞 2018年1月25日号・6~7面 新春地方議員メッセージ
  7. ^ 労働新聞 2019年1月1日号・12~13面 新春地方議員メッセージ
  8. ^ 当面の地方選挙と衆院補選推薦候補者 自主・平和・民主のための広範な国民連合
  9. ^ 枚方市議会議員選挙(2011年4月24日投票)|政治山政治山
  10. ^ 古賀市長選挙(2018年11月25日投票)|政治山政治山
  11. ^ 『チベット問題で策動する民主党「人権」口実の内政干渉許すな』2008年4月5日労働新聞社説
  12. ^ 総務省「政治資金収支報告書」平成23年定期公表分および平成26年定期公表分
  13. ^ 日本労働党大阪府委員会に対する政治弾圧を糾弾する 労働新聞

関連項目[編集]

外部リンク[編集]