民主集中制

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民主集中制(みんしゅしゅうちゅうせい、英語: Democratic Centralism[1])または権力集中制(けんりょくしゅうちゅうせい、英語: Concentration of Powers)とは、ロシア革命ボルシェビキ政党が提唱した国家体制。または共産主義政党の党員統治の原則。

国民統治としての民主集中制は、一般的に主権者である人民の代表である議会、もしくは議会から選ばれた指導部に国家権力を集中する制度である[2]。実際の内容は国や時期によっていくつかのバリエーションがある。

党員統治としての民主集中制は、党の政策規則人事財務が党員の議論、議決によって決定され、決定後は党中央の指示指導となり、党員はそれに絶対服従する党員統治の原則である。

現存する民主集中制を標榜する国家[編集]

現存する民主集中制を標榜する国家
国家名 国家最高権力機関 選挙方法 選択の自由度 投票方法 立候補要件 議員の出身成分 常務委員会制度
中華人民共和国 全国人民代表大会 間接選挙 信任投票 秘密投票 政党団体からの推薦が必要 予め枠が決められている 有り
キューバ共和国 人民権力全国会議 直接選挙 信任投票 秘密投票 市議会議員であるか、候補者推薦委員会から推薦され且つ市議会から承認される必要がある 予め枠が決められている 有り
北朝鮮 最高人民会議 直接選挙 信任投票 公開投票 朝鮮労働党による指名が必要 予め枠が決められている 有り
ラオス人民民主共和国 国民議会 直接選挙 差額選挙 秘密投票 指導政党選挙管理委員会干渉 予め枠が決められている 有り
ベトナム社会主義共和国 国会 直接選挙 差額選挙 秘密投票 祖国戦線による審査の合格者 予め枠が決められている 有り
特記:国家の英語名のアルファベット順

現存する民主集中制を標榜する国家は、国連加盟国193か国中たったの5か国に過ぎない。どの国も実態はともかく国家の最高権力機関として人民国民)が選挙で選んだ代表議員によって構成される一院制議会をおいている。ただし議員や代表を選挙するにあたり、定数と候補者が同数である信任投票であったり、当局が意図的に定数よりも候補者の数を若干多くなるよう厳重にコントロールする差額選挙という手法をとっていたりする。民主という文字が名称に使われてはいるが、総じて議会制民主主義国で受け入れられている自由選挙制度とは著しくかけ離れている。

また誰でも自由に立候補できるわけでもなく、候補者名簿を作るにあたり指導政党を中心とする集団が何らかの介入が行えるような仕組みを持っており、著しく選挙制度がゆがめられているのが実情である。特に北朝鮮は誰が不信任の票を入れたのか当局に知られてしまう公開投票という手法をとっているため、選挙の自由度が極めて低く、投票者の基本的人権を著しく侵害していると言わざるを得ない。

また議会の開会している期間が極めて短いのも特徴として挙げられる。議会閉会中は、どの国も総じて名称は違えど常務委員会や常任委員会など少数の委員で構成される常設の会議体が、議会のほとんどの権限を代理する仕組みを持っている。憲法上は議会を国の最高の機関と位置付けてはいるが、決定のほとんどは常設の会議体により行われているのが実態である。

現存する民主集中制を標榜する国家の政党制と指導政党
国家名 政党制度 指導政党名
中華人民共和国 ヘゲモニー政党制 中国共産党
キューバ共和国 一党制 キューバ共産党
北朝鮮 ヘゲモニー政党制 朝鮮労働党
ラオス人民民主共和国 一党制 ラオス人民革命党
ベトナム社会主義共和国 一党制 ベトナム共産党
特記:国家の英語名のアルファベット順

民主集中制は一党独裁制政党制と組み合わされて用いられ、両制度ともに不可分の関係にある。両制度によって、立法権行政権司法権といった国家権力を指導政党の中央組織の一点に集中させ、それらの権力を社会の隅々にまで張り巡らして国民統治している。

党中央による統治の仕組みは、個々の権力機関の内部にその意思決定部門と一体化した「党委員会」、「党グループ」などの党組織を置き、権力機関を内部から統制している。中国の指導政党である中国共産党の場合、党委員会、党グループを権力機関内部の各階層に設置するという徹底ぶりである。その構図は、上下のツリー型というより、むしろ指導政党を中心としたハブアンドスポーク型の関係を垂直方向に積み重ねた円柱型の立体構造のイメージに近い。

ロシアにおける民主集中制の成立と変質[編集]

「民主主義的中央集権制」の原則は、1906年4月に開かれたロシア社会民主労働党の統合大会で初めて党の組織原則として採択された。

これに先立つ1905年11月、メンシェヴィキの協議会が「党の組織について」という決議を採択した。「ロシア社会民主労働党は民主主義的中央集権制の原則にしたがって組織されなければならない」とした上で、その内容として、党の機関は選挙によって構成されること(選挙制)、更迭されうること(更迭制)、その活動を定期的および随時に報告しなければならないこと(報告義務制)などを挙げたものだった。1905年12月に開かれたボリシェヴィキの協議会で採択された決議「党の再組織について」もほぼ同じ内容の民主主義的中央集権制を「争いの余地なきもの」と認めた。統合大会はこれらの動きを受けて党規約を改正し、民主主義的中央集権制を採用した。

統合大会ではメンシェヴィキが多数派だったため、採択された決議もメンシェヴィキの主張に沿ったものが多かった。そのためボリシェヴィキは大会の決定を繰り返し批判した。メンシェヴィキが支配する党中央委員会は、その批判を規制するため、党の新聞雑誌や集会での批判は自由だが大衆的な政治集会で大会の決定に反する煽動や大会の決定に矛盾する行動の呼びかけを行ってはならない、という決議を採択した。レーニンは「批判の自由と行動の統一」[3]という論文でこの決議を批判し、批判の自由は党の集会でも大衆集会でも完全に認められるべきだが行動の統一を破る呼びかけは党の集会でも大衆集会でも認められるべきではない、という見解を示した。

十月革命後、内戦が激しくなると民主主義的中央集権制の原則は修正され、民主主義的要素が後退して軍事的規律が支配するようになっていった。

1920年に開かれたコミンテルン第二回大会は「プロレタリア革命における共産党の役割に関するテーゼ」を採択し、その中で「民主主義的中央集権制の基礎的原則は、党の上級団体が下級団体によって選挙され、党の上級団体の指令一切が絶対的に、かつ必然的に下級団体を拘束し、大会と大会との間の期間、一切の指導的な党の同志が一般にかつ無条件にその権威を認める、強い党の中心が存在すべきことである」と規定した。軍隊的な上意下達に基づいた党規律を民主主義的要素よりも優先し強調したこのような民主主義的中央集権制がコミンテルンを通じて各国の共産党に広がっていった。

さらに1921年の第10回党大会で採択された決議「党の統一について」は党内において分派を形成することを禁止した。それでも1920年代には党内にトロツキー派やブハーリン派などの反対派が存在したが、スターリン派によって一掃され、1930年代の大粛清において次々に処刑された。共産党は指導部に対する批判をいっさい許さない組織へと変わった。このスターリン時代の党組織原則を民主主義的中央集権主義と区別して一枚岩主義と呼ぶ見解もある[4]

しかし共産党自身は自らの組織原則を民主主義的中央集権制と呼びつづけた。1934年に改正された党規約第18条も「党の組織構成の指導的原理は民主主義的中央集権制」と規定しており、その内容として以下の四つの項目が挙げられている。(1) 党の上から下までのすべての指導機関の選挙制 (2) 党組織にたいする党機関の定期的報告制 (3) 厳格な党規律、ならびに多数者への少数者の服従 (4) 下級機関および全党員にとっての上級機関の決定の無条件的な拘束性。

1977年に採択されたソ連憲法は国家の原則として民主主義的中央集権制を採用し、第3条で「ソビエト国家の組織と活動は、民主主義的中央集権制の原則、すなわち、下から上までのすべての国家権力機関は選挙によって構成され、これらの機関は人民に対して報告義務を負い、上級機関の決定は下級機関にとって拘束力をもつという原則、にしたがってうち立てられる」とした。

中国共産党における民主集中制[編集]

中国共産党の党規約では、「総綱(前文)」において「民主集中制を堅持すること」を党の原則として掲げている。 さらに第十条に民主集中制の具体的な内容を明記している。

*第十条 党は、自らの綱領と規約に基づき、民主集中制によって組織された統一体である。党の民主集中制の基本原則は、次の通りである。
  1. 党員個人は党の組織に服従し、少数は多数に服従し、下級組織は上級組織に服従し、全党のあらゆる組織と全党員は党の全国代表大会と中央委員会に服従する。
  2. 党の各級指導機関は、そこから派出された代表機関と党外組織における党グループを除き、いずれも選挙によって選出される。
  3. 党の最高指導機関は、党の全国代表大会とそれによって選出された中央委員会である。党の地方の各級指導機関は、党の地方の各級代表大会とそれらによって選出された委員会である。党の各級委員会は、同じクラスの代表大会に対して責任を負うとともに、活動の報告を行う。
  4. 党の上級組織は、常に下級組織と党員大衆の意見に耳を傾け、彼らの提出した問題を遅滞なく解決しなければならない。党の下級組織は、上級組織に指示を仰ぎ、その活動を報告する一方、独自に責任を持って自己の職責範囲内の問題を解決しなければならない。上級組織と下級組織の間では、互いに情報を知らせ合い、支持し合い、監督し合うようにしなければならない。党の各クラス組織は、規定にのっとって党務の公開を実行し、党員に党内の事柄をより多く知らせ、それに参加させなければならない。
  5. 各級党委員会は、集団的指導と個人責任分担が結びついた制度を実行する。重要な問題に属するものについては、すべて集団的指導、民主集中、個別的な根回し、会議での決定という原則に基づいて、党の委員会で集団で討議して、決定をおこなわなければならない。委員会の構成員は、集団の決定と分担に基づき、着実にみずからの職責を履行しなければならない。
  6. 党は、いかなる形の個人崇拝をも禁止する。党の指導者の活動が党と人民の監督のもとに置かれるよう保証するとともに、党と人民の利益を代表するすべての指導者の威信を守らなければならない。

日本共産党における民主集中制[編集]

経緯[編集]

1958年の日本共産党規約では以下のように記載した。

(3)日本共産党の組織原則は、民主主義的中央集権制である。党は民主主義の原則と中央集権制の原則を正しく統一する。

党内民主主義の保障、かっぱつな党内討議は、党員および党組織の積極性と創意性をたかめ、党生活を生き生きとしたものにし、自覚的な規律をつくるとともに、党内のゆたかな意見と経験を集約し、党員の認識をひろげ、個人的指導を排して集団的指導を実現し、党の指導力をたかめるためにかくことができない。 しかし、このような党内民主主義が、党の中央集権制と結合し、その基礎となって、はじめて党が全党員と全党組織の意志と行動を統一して強力な実践力を発揮し、どんな困難にもうちかち、党と人民の敵にうちかつ戦闘的組織となることができる。 決定にたいしては、少数は多数にしたがい、下級は上級にしたがい、積極的にこれを実行しなくてはならない。 こうして、党内民主主義は中央集権制のもとにおける民主主義であり、また党の集中制は、党内民主主義を基礎としてはじめて強固なものとなる。したがって、党員は党内民主主義を無視し、党員の創意性をおさえる官僚主義や保守主義とたたかうとともに、集中的指導をよわめる無原則的な自由主義や分散主義とたたかわなくてはならない。 党の指導原則は、集団的な知恵と経験にもとづく集団指導と個人責任制の結合である。

(4)民主主義的中央集権制にもとづき、党員の自覚と厳格な規律による全党の統一と団結こそは、党の生命であり勝利の保障である。したがって、すべての党員は、いかなる場合にも党の統一をかたく守らなくてはならない。意見がちがうことによって組織的な排除を行なってはならない。また党規律をみだし、決定を実行せず、統一をやぶり、派閥をつくり、分派活動をおこなうことは、党を破壊する最悪の行為である。党内では、党の政治方針や組織原則をそこなうような行動はゆるされない。

— 日本共産党規約(1958年) [5]

1975年12月に『文藝春秋』で始まった連載「日本共産党の研究[6]において、立花隆暴力革命プロレタリア独裁・民主集中制をレーニン主義の三位一体の原則だと指摘した。その上で、日本共産党は暴力革命を否定し、プロレタリア独裁の意味内容を換骨奪胎したが、民主集中制は捨てていないので体質は変わっていない、と主張した。また、民主集中制の背後には大衆に対する不信とエリート主義がある、という見解を示した。日本共産党はこれを「反共攻撃」と見なし、「民主集中制は、勤労大衆に責任を負う近代政党の不可欠のメルクマールである。党内派閥を認めず、三十数万の党員が一つの路線、方針にもとづいて多彩に積極的に活動している日本共産党は、もっとも近代的、合理的で、活力ある組織政党である」[7]などと反論した。

1976年には藤井一行が雑誌『現代と思想』において「民主主義的中央集権制と思想の自由」を発表し[8]、民主集中制の内容がレーニン時代とスターリン時代では大きく異なっていることを指摘した。藤井はとくに、レーニンの時代には分派が自由に形成されており、その上で「批判の自由と行動の統一」という原則が成立していたことを強調した。これに対しては日本共産党の側から不破哲三榊利夫が反論し、「批判の自由と行動の統一」という原則はボリシェヴィキとメンシェヴィキが同じ党内で争っていた時代のものであり、レーニンの原則はむしろ1921年の分派禁止令に表れている、と主張した[9]

2001年に刊行された日本共産党の党規約解説本[10]では、民主集中制はあくまで共産党内部の原則であり、同党が政権獲得した場合、日本社会全体が民主集中制に移行させられるという批判に対して「われわれ自身の内部規律だということを、しっかりとおさえて反論することが大事です」と述べている。

2000年以降[編集]

日本共産党は2000年に改訂された党規約において民主集中制を維持しており、第3条で以下のようにその内容を規定している。

第三条 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。
  1. 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
  2. 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
  3. すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
  4. 党内に派閥・分派はつくらない。
  5. 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

また、日本共産党員の権利と義務は第5条で規定されており、民主集中制と関係が深いと考えられる文章が見受けられる。

第五条 党員の権利と義務は、つぎのとおりである。
  1. 市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす。
  2. 党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわない。
  3. 党内で選挙し、選挙される権利がある。
  4. 党の会議で、党の政策、方針について討論し、提案することができる。
  5. 党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。
  6. 党の会議で、党のいかなる組織や個人にたいしても批判することができる。また、中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる。
  7. 党大会、中央委員会の決定をすみやかに読了し、党の綱領路線と科学的社会主義の理論の学習につとめる。
  8. 党の内部問題は、党内で解決する。
  9. 党歴や部署のいかんにかかわらず、党の規約をまもる。
  10. 自分にたいして処分の決定がなされる場合には、その会議に出席し、意見をのべることができる。

さらに、民主集中制の中央集権的性質を特徴づける条文が、第19条、第21条に規定されている。

第十九条 党の最高機関は、党大会である。党大会は、中央委員会によって招集され、二年または三年の間に一回ひらく。特別な事情のもとでは、中央委員会の決定によって、党大会の招集を延期することができる。 中央委員会は、党大会の招集日と議題を

おそくとも三カ月前に全党に知らせる。

中央委員会が必要と認めて決議した場合、または三分の一以上の都道府県党組織がその開催をもとめた場合には、前大会の代議員によって、三カ月以内に臨時党大会をひらく。

党大会の代議員選出の方法と比率は、中央委員会が決定する。

代議員に選ばれていない中央委員、准中央委員は評議権をもつが、決議権をもたない。

第二十一条 党大会からつぎの党大会までの指導機関は中央委員会である。中央委員会は、党大会決定の実行に責任をおい、主

としてつぎのことをおこなう。

  1. 対外的に党を代表し、全党を指導する。
  2. 中央機関紙を発行する。
  3. 党の方針と政策を、全党に徹底し、実践する。その経験をふまえてさらに正しく発展させる。
  4. 国際問題および全国にかかわる問題について処理する責任をおう。
  5. 科学的社会主義にもとづく党の理論活動をすすめる。
  6. 幹部を系統的に育成し、全党的な立場で適切な配置と役割分担をおこなう。
  7. 地方党組織の権限に属する問題でも、必要な助言をおこなうことができる。
  8. 党の財政活動の処理と指導にあたる。

批評・批判[編集]

  • レーニンの民主集中制に対してローザ・ルクセンブルクは「プロレタリア独裁がプロレタリアートに対する独裁に転化する」として批判した[11]
  • 永山博之は、まずプロレタリア独裁は「広い意味でのデモクラシーの流れの一部」だが「個人の自由の保障という考え方はない」とし、次に民主集中制は「前衛党が誤った判断を下した場合、それを是正する仕組みは存在しない」として、「プロレタリアート独裁体制が実質的に共産党独裁や共産党の頂点に立つ個人(書記長、総書記)の独裁に転化していったことは、このような制度が必然的にもたらす結果」と記した[12]

脚注[編集]

  1. ^ 民主集中制 みんしゅしゅうちゅうせい Democratic Centralism 日本大百科全書
  2. ^ 山崎広明、平島健司、阪口正二郎、粕谷誠 『詳説 政治・経済』 山川出版社、2013年3月。ISBN 978-4-634-70062-8
  3. ^ 『レーニン全集』第10巻、大月書店、1955年
  4. ^ 渓内謙『現代社会主義を考える』、岩波書店<岩波新書>、1988年
  5. ^ 日本共産党規約 (第7回党大会、1958年7月30日決定)
  6. ^ 立花隆『日本共産党の研究〔一〕』、講談社<講談社文庫>、1983年
  7. ^ 「近代政党のメルクマール」、『民主集中制と近代政党』増補新版、日本共産党中央委員会出版局、1991年、198ページ
  8. ^ 藤井一行『民主集中制のペレストロイカ』、大村書店、1990年
  9. ^ 榊利夫『民主集中制論』、新日本出版社、1980年
  10. ^ 国民に開かれた党へ ―日本共産党 新規約のはなし―
  11. ^ 「マルクスの悪」(辻貴之、文芸社、2000年)p41
  12. ^ 「政治学・行政学の基礎知識」(堀江湛、一芸社)p55

関連項目[編集]

外部リンク[編集]