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伝単

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
太平洋戦争末期の1945年7月に米軍が撒いた伝単[1]
8月1日夜に爆撃する都市を列挙しているものの、高岡については長岡の誤記の可能性が高い。
日本軍による日華基本条約一周年の伝単。基本国策要綱で規定された東亜新秩序建設の国是を宣伝している。

伝単(でんたん)とは、戦時において敵国の民間人、兵士の戦意喪失を目的として配布する宣伝謀略用の印刷物(ビラ)。その語源は物事を伝える紙片という意味の中国語である。

概要

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西洋では古くから用いられた戦略的な宣伝手段で、フランスでの市民蜂起「パリ・コミューン」においてフランス政府が上空より気球で撒いたものが最初といわれている。

日本では西南戦争官軍により、「官軍に降参する者はころさず」と書かれた伝単が作成された[2]

第一次世界大戦飛行機が登場すると更に大量配布が可能となり、相当の効果があるとされ軍事的に重用な宣伝謀略の手段とされた。

第二次世界大戦では、各国とも数千万枚とも数億枚ともいわれる伝単を印刷し、飛行機を用いて広域に散布している。日本軍上海入りした1937年頃から効率的に散布できるこの方法を採用し、展開を試みた。中国戦線では中国兵向け、南方戦線のインドシナではイギリス軍兵士、オーストラリア軍兵士向けの伝単を散布した。また、中国兵士向けには、投降を促すために、同志票(日本軍司令部名義)、軍隊歸來證(南京国民政府軍事委員会名義)、和平建國參加證(日本軍司令部および華北軍政委員会の連名)などを撒いていた[3][4]。日本軍の初期の伝単は、活字と写真だけで構成されたが効果は芳しくなく、窮余の策でマンガ入りの伝単を中国戦線向けに制作した。このマンガ入りの伝単はイラストが目をひき、中国の一般民衆に読まれた。以降、日本軍参謀本部の下で伝単づくりは組織的に行われた。伝単の製作に関わった関わった漫画家には、松下井知夫那須良輔らがいる[5]

アメリカ側は、ハワイからは日本将兵に戦局と世界情勢を知らすための『マリヤナ時報』が日系移民や捕虜によって制作されたが、文章がおかしく、内容の選択にも的外れが多かったとされる。フィリピン島派遣軍からは、新聞の紙面製作経験がある捕虜によるとされる『落下傘ニュース』が制作された[6]

1938年5月19日の夜間、日本本土に対する初めての空襲が行われた際、中華民国空軍のB-10爆撃機2機は熊本県から宮崎県を往復する形で、日本による侵略行為を非難する宣伝ビラを投下した[7]

1940年8月から日本軍の宣伝ビラ製作は陸軍参謀本部第八課に統合されるが、それ以前は現地で制作されていた。武漢攻略以降に製作された中国語の宣伝ビラは、日本軍の報告書から1939年4月から1941年11月までに合計314種類制作されている。期間と内容によって3分類され、1939年4-6月までは説得(文字24種、写真・絵画ビラ28種)、1939年8-10月までは視覚表現が強化され(文字ビラ46種、写真・絵画ビラ44種、新聞ビラ『民衆時報』14種)、1939年11月‐1941年11月までは新聞のような情報の充実化(確認できているものだけで、文字ビラ66種、写真・絵画ビラ51種、新聞ビラ『民衆時報』41種)が散布された[8]

日本上空の制空権を握ったアメリカ軍は、連日B-25爆撃機等で、空襲の目標となる都市に大量の「空襲予告」の宣伝ビラを散布した[9]。これを拾った者は憲兵警察へ届けることになっていたが、確実な予告ビラであることからリアリティに富み、日本の民衆心理に効果をあげた。また南方戦線では抵抗を続ける日本兵向けに、「将校は兵士を見捨てて撤退した」など士気を低下させる内容や、投降を促す「投降票」「安全通行証」「生命を助けるビラ」が撒かれている。ビラの文章には誤解や誤記が見つかっている。

他にも、一般市民の目に付きやすく手に取られやすいようにするため紙幣に似せたものもあり、日本で使用されたものは当時流通量が多かった十円紙幣(丙拾圓券)の図柄が用いられた。

アメリカが日本を対象とした日本語で書かれたビラは約2000種類、1億枚ほど作成されたと推定される[10]

ドイツ国防軍には、宣伝ビラの散布を目的とした7.3cm宣伝ロケット発射器が存在し、少数が宣伝部隊に配備された。榴弾から発射する散布用の弾Weiss-Rot Geschossポーランド語版がある。

イギリス軍フランス国ポール・エリュアールの「自由」を印刷した紙を散布、フランス国民そしてレジスタンスの士気を鼓舞した。

ギャラリー

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第二次大戦

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朝鮮戦争以降

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ウィキソース出典  (jp) 日本國民に吿ぐ (ビラ), ウィキソースより閲覧。
  2. 東京都古書籍商業協同組合『西南戦争伝単「官軍に降参する者はころさず」(明治10年6月 官軍先鋒本営) / 永楽屋 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」
  3. 抗战时期侵华日军发行之军队归来证等共2件 上海泓盛拍卖有限公司
  4. 抗战时期,日军向中国军民投放的传单 湖南抗日战争纪念网 2014年11月29日
  5. 日本週報 第483号(昭和34年6月)”. 昭和館デジタルアーカイブ. 2024年5月13日閲覧。
  6. B-29から撒かれた「日本語ビラ」はこうして作られた…米軍の作戦にハワイの日本人捕虜が進んで「協力」したワケ 米兵は原爆投下の知らせを聞いて顔を覆った”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2025年8月18日). 2025年8月18日閲覧。
  7. 多くの人が知らない「幻の空襲」の実態…日本初空襲は中国軍によるものだった!(髙井 ホアン) @gendai_biz”. 現代ビジネス (2021年8月14日). 2025年3月16日閲覧。
  8. 劉, 茜「日中戦争期の中国内陸部における日本軍による中国語宣伝ビラ」2019年1月31日、doi:10.24460/mscom.94.0_187
  9. “【戦後70年】予告された空襲、困窮する生活 1945年8月1日はこんな日だった”. HUFFPOST. (2015年7月31日) 2018年1月18日閲覧。
  10. 20世紀メディア研究所 戦時宣伝ビラ・データベース”. prj-bira.w.waseda.jp. 2025年8月19日閲覧。

参考文献

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  • 一ノ瀬俊也『戦場に舞ったビラ 伝単で読み直す太平洋戦争』(講談社選書メチエ、2007年)

関連図書

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  • 大佛次郎記念会編『普仏戦争、パリ・コミューンと街の出版物 ポスター・ビラ・リーフレット展』大佛次郎記念会、1985
  • 鈴木明山本明編著『秘録・謀略宣伝ビラ――太平洋戦争の"紙の爆弾"』講談社、1977
  • 平和博物館を創る会編『紙の戦争伝単 謀略宣伝ビラは語る』エミール社、1990
  • 藤井正伸編著『米軍の宣伝ビラから学ぶ原爆投下の真相』創スペース研究会、2005
  • 一ノ瀬俊也『宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争 空を舞う紙の爆弾「伝単」図録』柏書房、2008
  • 土屋礼子『対日宣伝ビラが語る太平洋戦争』吉川弘文館、2011

関連項目

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外部リンク

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