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「マヌエル・ルイ・コスタ」の版間の差分

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|画像=Rui Costa.jpg
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|画像の説明=[[SLベンフィカ]]時代のルイ・コスタ
|本名=ルイ・マヌエル・セーザル・コスタ<br />Rui Manuel César Costa
|本名=ルイ・マヌエル・セーザル・コスタ<br />Rui Manuel César Costa
|愛称=[[マエストロ]]<ref name=uefa.com1>[http://jp.uefa.com/memberassociations/news/newsid=694781.html ルイ・コスタ、引退に感極まる] - uefa.com</ref> (芸術家、匠)
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|アルファベット表記=RUI COSTA
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|ポジション=[[ミッドフィールダー|MF]] (OH) / [[フォワード (サッカー)|FW]]
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|利き足=右足
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|ユース年1=1981-1990|ユースクラブ1={{flagicon|POR}} [[SLベンフィカ|ベンフィカ]]
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|代表年1=1993-2004|代表1={{PORf}} |代表出場1=94|代表得点1=26
|代表年1=1990 |代表1={{PORf}} U-18|代表出場1= 4|代表得点1=1
|代表年2=1991 |代表2={{PORf}} U-20|代表出場2=11|代表得点2=1
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|代表年4=1993-2004|代表4={{PORf}}|代表出場4=94|代表得点4=26
|クラブ成績更新日=2007年10月23日
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'''ルイ・マヌエル・セーザル・コスタ'''(Rui Manuel César Costa, [[1972年]][[3月29日]] - )は、[[ポルトガル]]・[[アマドーラ]]出身の元[[サッカー|サッカー選手]]。元[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル代表]]。ポジションは攻撃的[[ミッドフィールダー]](トップ下)、[[セカンドトップ]]。ポルガルが生んだ[[ファンタジスタ]]。現在は[[SLベンフィカ]]で[[テクニカル・ディレクター]]を務める。
'''ルイ・マヌエル・セーザル・コスタ'''(Rui Manuel César Costa, [[1972年]][[3月29日]] - )は、[[ポルトガル]]・[[アマドーラ]]出身の元[[サッカーポルトガル代表|同国代表]][[サッカー|サッカー選手]]。ポジションは攻撃的[[ミッドフィールダー#攻撃的ミッドフィールダー|攻撃的ミッドフィールダー]]、[[フォワード (サッカー)#セカンドトップ|セカンドップ]]。現在は[[SLベンフィカ]]で[[テクニカル・ディレクター]]を務める。

現役時代は「マエストロ」の愛称で知られ<ref name=uefa.com1/>、卓越したテクニックと広い視野、優れたパスセンスで知られていた。また、両足での正確な得点力も兼ね備えていた。選手時代には[[SLベンフィカ]]、[[ACFフィオレンティーナ]]、[[ACミラン]]などでプレーし、[[プリメイラ・リーガ]]、[[ポルトガルカップ]]、[[セリエA]]、[[コッパ・イタリア]]、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]、[[UEFAスーパーカップ]]などのタイトルを獲得している。また、[[サッカーポルトガル代表]]では94試合に出場して26得点を挙げている他、[[UEFA欧州選手権]]に3度と[[FIFAワールドカップ]]に1度それぞれ出場している。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== クラブ ===
[[1991年]]地元開催の[[FIFA U-20ワールドカップ|ワールドユース]]で優勝を果たし、[[ルイス・フィーゴ]]らと共に[[黄金世代#ポルトガルサッカーの黄金世代|ポルトガルサッカー黄金世代]]の中心となった。
==== SLベンフィカ ====
コスタは5歳の時、{{仮リンク|ダマイア|pt|Damaia}}の{{仮リンク|Damaia Ginásio Clube|pt|Damaia Ginásio Clube}}の屋内サッカーチームに参加している。4年後の1982年、ルイ・コスタはベンフィカの入団テストに参加した。その際のプレーがベンフィカの英雄である[[エウゼビオ]]に評価され、彼は18歳になる1990年までベンフィカのユースチームでプレーした。
1990年、ルイ・コスタは2部の{{仮リンク|ADファフェ|pt|Associação Desportiva de Fafe}}へレンタルで移籍し、トップデビューを飾った<ref name=soccer-report.info>[http://www.soccer-report.info/【懐かしのサッカー選手特集26】/ 「世界最高のパサー」マヌエル・ルイ・コスタ] - soccer-report.info</ref><ref>{{cite web|title=Associação Desportiva de Fafe|url=http://www.zerozero.pt/equipa.php?id=2191&epoca_id=120|work=ZeroZero|publisher=|accessdate=3 December 2016|date=15 December 2012|language=Portuguese}}</ref>。1991年にはベンフィカに復帰し、中心選手として定期的に出番を得た。1991-92シーズンには[[ポルトガル・カップ]]を、その翌シーズンの1993-94シーズンには[[プリメイラ・リーガ]]を制覇した。ルイ・コスタは[[ジョアン・ピント]]らと共に強力な中盤を形成し、彼のチームでの役割の重要さを示した<ref>{{cite web|title=Campeonato Nacional da I Divisão 1993/94|url=http://www.zerozero.pt/edicao.php?op=&id_edicao=123|work=ZeroZero|publisher=|accessdate=3 December 2016|date=15 December 2012|language=Portuguese}}</ref><ref>{{cite web|title=Taça de Portugal 1992/1993|url=http://www.zerozero.pt/edicao.php?op=&id_edicao=1015|work=ZeroZero|publisher=|accessdate=3 December 2016|date=15 December 2012|language=Portuguese}}</ref>。

==== ACFフィオレンティーナ ====
1994年、ルイ・コスタはイタリアの[[セリエA (サッカー)|セリエA]]に所属する[[ACFフィオレンティーナ]]へ移籍した<ref name=soccer-report.info/>。加入1年目には、[[ジネディーヌ・ジダン]]らとの激しい競争がありながらも、ベストイレブンに選出された。[[ガブリエル・バティストゥータ]]と強力なコンビを形成し、1996年には[[コッパ・イタリア]]を制覇した<ref name=soccer-report.info/>。

==== ACミラン ====
2001年、ルイ・コスタはフィオレンティーナの財政悪化などもあり、2000-01シーズンにフィオレンティーナのコーチを務めていた[[ファティ・テリム]]が指揮する[[ACミラン]]に移籍した<ref name=soccer-report.info/><ref name=goal.com>[http://www.goal.com/jp/slideshow/5933/5 ミランの偉大な「10番」たち - マヌエル・ルイ・コスタ] - GOAL.com</ref>。その際の移籍金は2001-02シーズンのセリエAでは最高額の850億リラ(43899000000ユーロ)に上った<ref>A.C. Fiorentina S.p.A. ''bilancio'' (financial report and accounts) on 30 June 2001 (in Italian), [http://www.registroimprese.it PDF purchased from Italian C.C.I.A.A.]</ref><ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/1421321.stm|title=Milan snap up £30m Rui Costa|date=3 July 2001|accessdate=31 March 2010|work=BBC Sport}}</ref>。加入直後に怪我をしたこともありあまり活躍できなかった、翌シーズンには調子を上げ、UEFAチャンピオンズリーグとコパ・イタリアの2冠に貢献した。しかし、2003年以降は新加入の[[リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ|カカ]]にポジションを奪われ、十分な出場機会を得られなかった<ref name=soccer-report.info/><ref name=goal.com/>。それでもルイ・コスタはカカに対して賞賛を惜しまず、また個人的にもアドバイスを送り続けカカの成長を手助けした<ref name=soccer-report.info/>。後にカカも、「ルイ・コスタは僕のことをすごく助けてくれた。ルイ・コスタと僕は先生と生徒の関係だったね。」と述べている<ref>[http://futepor.com/internationalnews/1775 カカ「ルイ・コスタは僕の先生だ」] - futepor.com</ref>。ルイ・コスタの引退試合の前日には、ミランの副会長の[[アドリアーノ・ガッリアーニ]]は「ミラノ市民、そしてイタリア国民は決してルイ・コスタの名前を忘れることはないだろう。君はいつまでも“ロッソ・ネロ”(ミランの愛称)の家族の一員だ」とルイ・コスタをたたえる手紙をファックスで届け<ref name=sportsnavi/>、キャプテンの[[パオロ・マルディーニ]]は「ルイ・コスタがまだまだ僕らのサッカー界で活躍できる一流の選手であることは僕が一番よく分かるよ。偉大なる男、そして友人だったルイにありがとうと言いたい」とのメッセージを寄せた<ref name=sportsnavi/>。ルイ・コスタはこれらのメッセージについて、「感動して泣いてしまった。」と引退試合後の記者会見で語っている<ref name=sportsnavi/>。

==== ベンフィカ復帰 ====
2006年5月25日、ルイ・コスタは相方合意の上でミランとの契約を解除し、古巣のベンフィカに復帰した。同年8月22日、ルイ・コスタは復帰初戦の、チャンピオンズリーグの本戦出場を懸けた[[FKアウストリア・ウィーン]]との予選3回戦で、豪快なミドルシュートで先制ゴールを上げ<ref name=sportsnavi/>、ベンフィカの3-0での勝利と本戦への出場に大きく貢献した<ref>{{cite web|title=Benfica 3–0 Austria Wien|trans_title=|url=http://www.zerozero.pt/jogo.php?id=227503|work=ZeroZero|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=|language=Portuguese}}</ref><ref>{{cite web|title=BENFICA-AUSTRIA VIENA, 3–0 (Rui Costa 21'', Nuno Gomes 45''+2, Petit 57'')|trans_title=|url=http://www.record.xl.pt/arquivo/interior.aspx?content_id=280680|work=[[Record (newspaper)|Record]]|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=22 August 2006|language=Portuguese}}</ref><ref>{{cite web|title=Foi preciso esperar 12 anos|trans_title=It was needed 12 years|url=http://www.record.xl.pt/arquivo/interior.aspx?content_id=280738|work=[[Record (newspaper)|Record]]|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=23 August 2006|language=Portuguese}}</ref>。

しかしこの試合で彼は右足太ももの筋肉を傷めてしまい、さらに2週間後の[[ボアヴィスタFC]]戦での強行出場が裏目に出て1ヶ月間の離脱を余儀なくされた。そして復帰後の{{仮リンク|CDアヴェス|pt|Clube Desportivo das Aves}}戦でも違和感を訴え、再び3ヶ月の間負傷離脱した<ref name=sportsnavi/><ref>{{cite web|title=
Departamento médico confirma paragem de Rui Costa|trans_title=
Medical Departament doctor confirms Rui Costa's stop|url=http://www.record.xl.pt/arquivo/interior.aspx?content_id=284623|work=[[Record (newspaper)|Record]]|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=3 October 2006|language=Portuguese}}</ref>。2007年1月の[[タッサ・デ・ポルトガル]]4回戦の{{仮リンク|オリヴェイラ・ド・バイーロSC|pt|Oliveira do Bairro Sport Clube}}戦で復帰した<ref>{{cite web|title=Benfica 5–0 Oliv. Bairro|trans_title=|url=http://www.zerozero.pt/jogo.php?id=244125|work=ZeroZero|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=|language=Portuguese}}</ref><ref>{{cite web|title=Maestro regressou na festa do futebol|trans_title=Maestro returned in the football party|url=http://www.record.xl.pt/arquivo/interior.aspx?content_id=293198|work=[[Record (newspaper)|Record]]|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=7 January 2007|language=Portuguese}}</ref>後は、11試合に先発出場した。しかしチームは[[FCポルト]]と[[スポルティングCP]]に次ぐ3位に終わり、タッサ・デ・ポルトガルではベスト16で敗退すると、チャンピオンズリーグでも敗退し、[[UEFAカップ]]では[[RCDエスパニョール]]に敗れて無冠に終わった。

2007-08シーズンの開幕前、ルイ・コスタは同シーズン限りで引退することになるだろうと話した<ref name=sportsnavi/>。同シーズン開幕時、ベンフィカは監督の[[フェルナンド・サントス]]を解任し、後任の監督として[[ホセ・アントニオ・カマーチョ]]を指名したが、ルイ・コスタは監督交代後もレギュラーを務めた。シーズン初戦のチャンピオンズリーグ予選の[[FCコペンハーゲン]]戦では2得点を挙げ、チームの本戦出場に貢献した<ref>{{cite web|title=Benfica 2-1 FC København|trans_title=|url=http://www.zerozero.pt/jogo.php?id=270700|work=ZeroZero|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=|language=Portuguese}}</ref> He would also play an important part in the second leg where Benfica defeated the Danish side 1-0 away from home to seal Benfica's third consecutive presence in the group stage.<ref>{{cite web|title=FC København 0-1 Benfica|trans_title=|url=http://www.footballzz.co.uk/jogo.php?id=270701|work=ZeroZero|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=|language=Portuguese}}</ref>。9月の[[CDナシオナル]]戦では、リーグ戦では復帰以来初となる得点を挙げるなど、公式戦6試合で4ゴールの好スタートを切り<ref name=sportsnavi/>、{{仮リンク|SJPF月間最優秀選手賞|en|SJPF Player of the Month}}を獲得した。またチャンピオンズリーグでは、アウェーで古巣ミランと対戦し、この試合には1-2で敗れた<ref>{{cite web|title=Milan 2-1 Benfica|trans_title=|url=http://www.zerozero.pt/jogo.php?id=279263|work=ZeroZero|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=|language=Portuguese}}</ref>が、5日後のホームでの再戦では1-1で引き分けた<ref>{{cite web|title=Benfica 1-1 Milan|trans_title=|url=http://www.zerozero.pt/jogo.php?id=279271|work=ZeroZero|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=|language=Portuguese}}</ref>。しかしチームはミランと[[セルティックFC]]の後塵を拝し、3位に終わった。

[[2007年]][[12月31日]]、ルイ・コスタは2007-08シーズンを持って選手生活を引退することを正式に表明した<ref>[http://www.afpbb.com/articles/-/2331352 ルイ・コスタ 今シーズン限りで現役引退へ] - afpbb.com</ref><ref>[http://news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/3450225/ ルイ・コスタが現役引退を表明] - Livedoor.NEWS</ref>。そして[[2008年]][[5月11日]]、[[プリメイラ・リーガ|スーペル・リーガ]](ポルトガルリーグ)の2007-08シーズン最終戦となった[[ヴィトーリアFC (ポルトガル)|ヴィトーリアFC]]とのホームゲームで、「多くのファンとプライドと共にピッチを去る」という言葉を残し<ref name=soccer-report.info/>、選手生活を引退した<ref name=uefa.com1/>。この試合には54000人の観客が集まり、大きな拍手を受けた<ref name=uefa.com1/>。試合後の記者会見では、一番の思い出としてワールドユースでの優勝を挙げ<ref name=uefa.com1/>、最高のチームメイトにはガブリエル・バティストゥータとパオロ・マルディーニを挙げている<ref name=uefa.com1/>。また、「(怪我で活躍できなかった大きな大会が多かったこと、所属クラブの財政難から移籍した経験などを指して)選手生活に運が無かったとは思わないか?」との質問を受けた。これに対し、ルイ・コスタは「最後の試合に5万4千人も集まって声援を送ってくれた。これほど幸せな選手はいないんじゃないかな?僕は十分運が強いと思うよ。」と答え、最後まで前向きで周囲に感謝する彼らしさを感じさせる受け答えとなった<ref name=sportsnavi/><ref>{{cite web|title=Benfica 3–0 V. Setúbal|trans_title=|url=http://www.zerozero.pt/jogo.php?id=265601|work=ZeroZero|publisher=|accessdate=22 December 2012|date=|language=Portuguese}}</ref>。

=== 代表 ===
[[1991年]]、ルイ・コスタはU-20ポルトガル代表として[[カルロス・ケイロス]]の下で地元開催の[[1991 FIFAワールドユース選手権|ワールドユース]]に出場し<ref>[http://www.fifa.com/u20worldcup/archive/portugal1991/teams/team=1888287/matches.html FIFA World Youth Championship Portugal 1991:PORTUGAL] - FIFA.com</ref>、決勝でブラジルを破って優勝を果たした<ref>[http://www.fifa.com/u20worldcup/matches/round=191242/match=30908/index.html Portugal 0-0 Brazil] - FIFA.com</ref>。以降、[[ルイス・フィーゴ]]らと共に[[黄金世代#ポルトガルサッカーの黄金世代|ポルトガルサッカー黄金世代]]の中心選手となった<ref name=goal.com/>。

[[1993年]][[3月]]、FIFAワールドカップ欧州予選の[[サッカースイス代表|スイス]]戦でA代表デビューを果たした<ref name=uefa.com2>[http://jp.uefa.com/uefaeuro/news/newsid=204810.html ルイ・コスタが代表引退を表明] - UEFA.com</ref>。ポルトガル代表の主力としても成長し、[[1996年]]の[[UEFA EURO '96|EURO1996]]ではベスト8、[[2000年]]の[[UEFA EURO 2000|EURO 2000]]ではベスト4に進出した。


[[2002 FIFAワールドカップ]]では、自身初のW杯出場を果たした。しかしグループリーグ初戦の[[サッカーアメリカ代表|アメリカ]]戦で敗れると、2戦目のポーランド戦では得点したものの、3戦目の韓国戦では出場機会を得られず、チームもグループリーグで敗退した。
1991年、[[SLベンフィカ]]でプロデビュー。[[1993年]]の[[サッカースイス代表|スイス]]戦でA代表デビューを果たした。1994年にはイタリア[[セリエA (サッカー)|セリエA]]の[[ACFフィオレンティーナ]]に移籍し、[[ガブリエル・バティストゥータ]]とのコンビでさらなる高みへ上る。ポルトガル代表のエースとしても成長し、[[1996年]]の[[UEFA EURO '96|EURO1996]]ではベスト8、[[2000年]]の[[UEFA EURO 2000|EURO2000]]ではベスト4へ導いた。


地元開催の[[UEFA EURO 2004|EURO2004]]にも出場し、グループリーグ第2回戦の[[サッカーロシア代表|ロシア]]戦で得点を挙げ、チームの初勝利に貢献した<ref>[http://jp.uefa.com/uefaeuro/season=2004/matches/round=1581/match=1059173/index.html 地元ポルトガルが初勝利] - UEFA.com</ref>。準々決勝の[[サッカーイングランド代表|イングランド]]戦では延長後半に得点を挙げた<ref name=uefa.com3>[http://www.uefa.com/uefaeuro/season=2004/matches/round=1582/match=1059188/postmatch/report/index.html Portugal hold their nerve against England] - uefa.com</ref>が、直後に[[フランク・ランパード]]の同点ゴールを許してPK戦に突入した<ref name=uefa.com3/>。PK戦ではルイ・コスタがPKを失敗したものの、チームは勝利した<ref name=uefa.com3/>。その後準決勝で[[サッカーオランダ代表|オランダ]]を破り<ref>[http://www.uefa.com/uefaeuro/season=2004/matches/round=1583/match=1059192/postmatch/report/index.html Maniche has final say against Oranje] - uefa.com</ref>、決勝戦の前日にはこの決勝戦で代表を引退すると表明していた<ref name=uefa.com2/>が、決勝では開幕戦でも敗れた[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ]]に敗れ準優勝に終わった<ref>[http://www.uefa.com/uefaeuro/season=2004/matches/round=1623/match=1059194/postmatch/report/index.html Greece are crowned kings of Europe] - uefa.com</ref>。この大会を最後に[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル代表]]を引退した。
[[2001年]]にはフィオレンティーナの財政が悪化した為、フィレンツェを後にして[[イタリア]]の名門・[[ACミラン]]へ移籍。[[2002 FIFAワールドカップ|2002年日韓ワールドカップ]]で念願のW杯出場を果たすも、怪我からコンディションを崩しており本大会では3試合で途中交代、途中出場、出場なしと大きな活躍を見せることは出来ないまま大会を去った。[[UEFA EURO 2004|EURO2004]]を最後に[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル代表]]を引退した。33歳となっても華麗なプレーで観客を楽しませていたが、ブラジル代表の[[リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ|カカ]]の活躍により途中出場が多くなり、05-06シーズンをもってミランを去り、古巣ベンフィカに復帰した。この復帰は「最後はベンフィカでキャリアを終えたい」という約束を果たすものでもあった。


ルイ・コスタはミッドフィルダーであるにも関わらず、94試合に出場して26得点を記録した。出場試合数は歴代4位、得点数は歴代7位の記録である<ref>{{cite web|title=Portugal - Record International Players|url=http://www.rsssf.com/miscellaneous/port-recintlp.html|publisher=[[RSSSF]]|accessdate=24 July 2015}}</ref>。
[[2004年]]には[[ペレ]]が選んだ偉大なサッカー選手100人、『[[FIFA 100]]』に選出された。


=== 引退後 ===
[[2008年]][[5月11日]]、[[プリメイラ・リーガ|スーペル・リーガ]](ポルトガルリーグ)の2007-08シーズン最終戦となった[[ヴィトーリアFC (ポルトガル)|ヴィトーリア・セトゥーバル]]とのホームゲームの終了後、「私は多くのファンとプライドと共にピッチを去る」と現役引退の挨拶を行い、ベンフィカサポーターの歓声に送られて現役生活の幕を引いた。
引退試合の翌日、ルイ・コスタはベンフィカの[[テクニカル・ディレクター]]に就任した<ref name=soccer-report.info/><ref>[https://qoly.jp/2016/07/10/euro-2004-portugal-squads?part=3 「12年前のEURO決勝で敗れたポルトガル代表、23選手のその後」] - qoly.jp</ref>。2008年には、新監督にスペイン人の[[キケ・サンチェス・フローレス]]を任命し<ref>[http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/portgul/2395506/2963340 ベンフィカ キケ・フローレス氏の監督就任を発表] - AFPBB.com</ref>、[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]の司令塔[[パブロ・アイマール]]<ref>[http://www.uefa.com/uefaeuropaleague/news/newsid=733021.html Aimar leaves Zaragoza for Benfica] - UEFA.com、2008年7月17日</ref><ref>[http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/portgul/2419496/3142607 ベンフィカ アイマール獲得を発表] - AFPBB.com、2008年7月18日</ref>、[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]のウィング[[ホセ・アントニオ・レジェス]]<ref>[http://www1.jp.uefa.com/uefaeuropaleague/news/newsid=737627.html レジェスがベンフィカへレンタル移籍] - UEFA.com 2008年8月7日</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3768937/ CL予選登録メンバーから外れたレジェス、ベンフィカへ] - Livedoor.com 2008年8月9日</ref>、[[サッカーホンジュラス代表|ホンジュラス代表]]のストライカー[[ダビド・スアソ]]らとの契約を成立させた。その翌年の2009年には、[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]のストライカー[[ハビエル・サビオラ]]<ref>{{cite web|title=Saviola : "Venho para ser campeão"|trans_title=Saviola : "I am here to be champion"|url=http://www.record.xl.pt/arquivo/interior.aspx?content_id=401848|work=[[Record (newspaper)|Record]]|publisher=|accessdate=15 December 2012|date=28 June 2009|language=Portuguese}}</ref>、[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]の攻撃的MF[[ラミレス・サントス・ド・ナシメント|ラミレス]]<ref>{{cite web|url=http://www.estadao.com.br/noticias/esportes,cruzeiro-confirma-venda-de-ramires-para-o-benfica,374797,0.htm|title=Cruzeiro confirma venda de Ramires para o Benfica|publisher=Estadão|accessdate=22 May 2009|date=21 May 2009|language=pt}}</ref>、スペインの守備的MF[[フランシスコ・ハビエル・ガルシア|ハビ・ガルシア]]<ref>{{cite web|title=Chegou o dia de Javi|trans_title=It has arrived the day of Javi|url=http://www.record.xl.pt/arquivo/interior.aspx?content_id=404320|work=[[Record (newspaper)|Record]]|publisher=|accessdate=15 December 2012|date=20 July 2009|language=Portuguese}}</ref>らを獲得した他、監督のキケ・サンチェスとの契約を解除し<ref>[http://jp.uefa.com/news/newsid=836925.html ベンフィカのサンチェス・フローレス監督が退団] - UEFA.com</ref>、新監督にポルトガル人の[[ジョルジェ・ジェズス]]を指名した<ref>{{cite web|title=Benfica confirma Jesus para duas épocas|trans_title=Benfica confirms Jesus for two seasons|url=http://www.record.xl.pt/arquivo/interior.aspx?content_id=385627|work=[[Record (newspaper)|Record]]|publisher=|accessdate=15 December 2012|date=16 June 2009|language=Portuguese}}</ref>。このシーズン、ベンフィカはライバルのFCポルトを破り、5シーズンぶりのリーグ戦優勝を果たした<ref>{{cite news|url=http://www.soccerway.com/news/2010/May/09/benfica-win-portuguese-championship/|title=Benfica win Portuguese championship|date=9 May 2010|work=Soccerway|publisher=Global Sports Media|accessdate=10 May 2010| archiveurl= https://web.archive.org/web/20100512194428/http://www.soccerway.com/news/2010/May/09/benfica-win-portuguese-championship/| archivedate= 12 May 2010| deadurl= no}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.uefa.com/memberassociations/association=por/news/newsid=1486467.html|title=Cardozo seals title for Benfica|date=9 May 2010|work=UEFA.com|publisher=[[UEFA]]|accessdate=10 May 2010| archiveurl= https://web.archive.org/web/20100511104824/http://www.uefa.com/memberassociations/association=por/news/newsid=1486467.html| archivedate= 11 May 2010| deadurl= no}}</ref>。


== 出演 ==
引退後はベンフィカの[[テクニカル・ディレクター]]に就任した。
ルイ・コスタは1996年、アメリカのスポーツウェア会社[[Nike]]が主催する、「正義対悪」というタイトルのコマーシャルに出演した<ref name="Jackson">{{cite book|last1=Jackson|first1=Steven J.|title=Sport, Culture and Advertising:Identities, Commodities and the Politics of Representation|date=10 Nov 2004|publisher=Routledge|page=186|accessdate=21 February 2015}}</ref><ref>{{cite news|title=Nike and Maven Networks Introduce JogaTV |url=http://nikego.com/media/pr/2006/04/17_jogaTV.html|work=Nikego|publisher=Nike|date=17 April 2006|accessdate=21 February 2015}}</ref>。ローマの[[アンフィテアトルム]]が舞台となっており、[[ロナウド]]、[[パオロ・マルディーニ]]、[[エリック・カントナ]]、[[ルイス・フィーゴ]]、[[パトリック・クライファート]]など世界中のサッカー選手が、「{{仮リンク|ジョゴ・ボニート|en|The Beautiful Game}}(美しいゲーム)」を守るために、悪のチームと戦うというストーリーとなっている<ref name="Jackson"/>。またルイ・コスタは、[[EAスポーツ]]が製作したテレビゲーム、[[FIFA16]]にも登場している<ref>{{cite web|url=https://www.easports.com/fifa/ultimate-team/news/2015/fifa-16-fut-legends|title=FIFA 16 Ultimate Team™ - New Legends|publisher=EA Sports|date=1 September 2015|accessdate=8 September 2015}}</ref>。


== エピソード ==
== エピソード ==
*ピッチに入場する際は、子供の頃の憧れの選手だった{{仮リンク|カルロス・マヌエル|pt|Carlos Manuel}}を真似して、決まって列の最後に着いていた<ref name=sportsnavi>[http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200805150001-spnavi チーム愛を貫いて ルイ・コスタ、ベンフィカに魂を宿し続けた18年間] - Sportsnavi</ref>。
* [[ACミラン]]時代、移籍してきた若い[[リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ|カカ]]にポジションを奪われ、それが母国への帰還に繋がったが、カカに対して賞賛を惜しまず、また個人的にアドバイスを送り続けカカーの成長を手助けした。
*ACミラン時代、チームメートである[[アンドレイ・シェフチェンコ]]は、彼について「世界最高のパサー」と述べている<ref name=soccer-report.info/>。
* ピッチに入場する際は決まって列の最後についた。子供の頃の憧れの選手を真似してのこと。
*ポルトガル代表の元チームメイト[[クリスティアーノ・ロナウド]]は、子供の頃の憧れの選手としてルイ・コスタの名前を挙げている<ref>[http://www.footballchannel.jp/2016/06/10/post157476/ C・ロナウド、ミランへの憧れを明かす「子どもの頃に応援していた」] - footballchannel.jp</ref><ref>[http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=2357900.html 歴史に名を残すことを信じてきたロナウド] - uefa.com</ref>。
* 現役最後の試合には5万4千人が集まった。試合後の記者会見で記者から「選手生活に運が無かったとは思わないか?(怪我で活躍できなかった大きな大会が多かったこと、所属クラブの財政難から移籍した経験を指して)」との質問を受けた。これに「最後の試合に5万4千人も集まって声援を送ってくれた。これほど幸せな選手はいないんじゃないかな?僕は十分運が強いと思うよ。」と答え、最後まで前向きで周囲に感謝する彼らしさを感じさせる受け答えとなった。
*[[2004年]]には、[[ペレ]]が選んだ125人の偉大なサッカー選手のリスト、『[[FIFA 100]]』に選出された<ref name="A.C. Milan Hall of Fame: Manuel Rui Costa">{{cite web|title=A.C. Milan Hall of Fame: Manuel Rui Costa|url=http://www.acmilan.com/it/archive/show_player/Manuel-Rui-Costa|accessdate=9 December 2014}}</ref><ref name=archive.thedailystar.net>{{cite web|url=http://archive.thedailystar.net/2003/05/28/d30528041033.htm|title=KEY MEN|publisher=The Daily Star|date=28 May 2003|accessdate=7 November 2015}}</ref>。また[[2004年]]には、[[エンリケ航海王子勲章]]<ref>{{cite web|url=http://www.ordens.presidencia.pt/?idc=153|title=Ordens Honoríficas Portuguesas|language=Portuguese|trans-title=Portuguese Honorary Orders|publisher=[[President of Portugal|Presidency of the Portuguese Republic]]|access-date=10 March 2015}}</ref>も受賞している。
* 実家は文房具屋である。


== 個人成績 ==
== 個人成績 ==
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{{サッカー選手国内成績表 th|ポルトガル|all}}
{{サッカー選手国内成績表 th|ポルトガル|all}}
|-
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|1990-91||[[ADファフェ|ファフェ]]||||[[セグンダジヴィゾン|セグンダ]]||38||6||||||||||||
|1990-91||[[ADファフェ|ファフェ]]||||[[リーガ・デ|セグンダ]]||38||6||||||||||||
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|1991-92||rowspan="3"|[[SLベンフィカ|ベンフィカ]]||||rowspan="3"|[[プリメイラ・リーガ|スーペル]]||21||4||||||||||||
|1991-92||rowspan="3"|[[SLベンフィカ|ベンフィカ]]||||rowspan="3"|[[プリメイラ・リーガ|スーペル]]||21||4||||||||||||
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== タイトル ==
== タイトル ==
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=== クラブ ===
; {{flagicon|POR}} SLベンフィカ
{{col-2}}
;{{flagicon|POR}} [[SLベンフィカ]]
* [[プリメイラ・リーガ|スーペル・リーガ]] : 1993-94
*[[プリメイラ・リーガ|スーペル・リーガ]]:1993-94
* [[タッサ・デ・ポルトガル]] : 1993
*[[タッサ・デ・ポルトガル]]:1993
; {{flagicon|ITA}} ACFフィオレンティーナ
* [[コッパ・イタリア]] : 1996, 2001
* [[スーペルコッパ・イタリアーナ]] : 1996
; {{flagicon|ITA}} ACミラン
* [[セリエA (サッカー)|セリエA]] : 2003-04
* [[コッパ・イタリア]] : 2003
* [[スーペルコッパ・イタリアーナ]] : 2004
* [[UEFAチャンピオンズリーグ]] : 2003
* [[UEFAスーパーカップ]] : 2003


;{{flagicon|ITA}} [[ACFフィオレンティーナ]]
=== 代表 ===
*[[コッパ・イタリア]]:1996, 2001
* [[FIFA U-20ワールドカップ|FIFAワールドユース選手権]] : [[1991 FIFAワールドユース選手権|1991]]
*[[スーペルコッパ・イタリアーナ]]:1996
* [[トゥーロン国際大会]] : 1992

;{{flagicon|ITA}} [[ACミラン]]
*[[セリエA (サッカー)|セリエA]]:2003-04
*[[コッパ・イタリア]]:2003
*[[スーペルコッパ・イタリアーナ]]:2004
*[[UEFAチャンピオンズリーグ]]:2003
*[[UEFAスーパーカップ]]:2003
*[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]]
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;{{flagicon|POR}} [[サッカーポルトガル代表|ポルトガル代表]]
* [[FIFA U-20ワールドカップ|FIFAワールドユース選手権]]:[[1991 FIFAワールドユース選手権|1991]]
* [[トゥーロン国際大会]]<ref name="RSSSF">{{cite news|url=http://www.rsssf.com/tablest/toulon.html|title=Tournoi Espoirs de Toulon&nbsp;– Official Player Awards|date=18 June 2015|accessdate=2 April 2016}}</ref>:{{仮リンク|1992年トゥーロン国際大会|label=1992|en|1992 Toulon Tournament}}

;個人
*[[トゥーロン国際大会]]最優秀選手賞:{{仮リンク|1992年トゥーロン国際大会|label=1992|en|1992 Toulon Tournament}}<ref name="RSSSF"/>
*[[トゥーロン国際大会]]得点王:{{仮リンク|1992年トゥーロン国際大会|label=1992|en|1992 Toulon Tournament}}<ref name="RSSSF"/>
*[[UEFA欧州選手権]]{{仮リンク|UEFA欧州選手権大会ベストチーム|label=大会ベストチーム|en|UEFA European Championship Teams of the Tournament}}:[[UEFA EURO '96|1996]], [[UEFA EURO 2000|2000]]
*[[国際プロサッカー選手会#ワールドイレブン|FIFAワールドイレブン]]:1998<ref>[http://www.rsssf.com/miscellaneous/fifa-xi.html FIFA XI´s Matches - Full Info]</ref>
*[[FIFA 100]]<ref name="Pele">{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/3533891.stm|title=Pele's list of the greatest|publisher=BBC Sport|date=4 March 2004|accessdate=15 June 2013}}</ref>
*{{仮リンク|SJPF月間最優秀選手賞|en|SJPF Player of the Month}}:[[2007–08 Primeira Liga#Monthly awards|September 2007]]<ref>{{cite web|title=Rui Costa venceu o prémio KIA / Jogador do Mês|url=http://sjpf.sapo.pt/default.aspx?ctrl=noticiasdetalhe&id=5621&inter=0|website=sjpf.sapo.pt|archiveurl=http://web.archive.org/web/20111009083040/http://sjpf.sapo.pt/default.aspx?ctrl=noticiasdetalhe&id=5621&inter=0|archivedate=9 October 2011|accessdate=2 April 2016}}</ref>
*[[コスメ・ダミアン賞]]:2007<ref>{{cite news|date=29 February 2012|title=Gala do Benfica: Aimar distinguido como o melhor de 2010/11|trans-title=Benfica's gala: Aimar distinguished as the best of 2010-11|url=http://www.maisfutebol.iol.pt/gala-do-benfica-aimar-distinguido-como-o-melhor-de-2010-11|language=Portuguese|website=Maisfutebol|accessdate=1 March 2016|quote=Rui Costa (2007)}}</ref>
*[[ACミラン]]の殿堂<ref name="A.C. Milan Hall of Fame: Manuel Rui Costa"/>
*[[ACFフィオレンティーナ]]歴代ベストイレブン<ref>{{cite web|url=http://www.fiorentina.it/it/news/articolo.37.51489/festa-al-franchi-presenti-e-assenti-no-eccellenti-da-rui-costa-baggio-e-batistuta.html|title=Festa al Franchi, presenti e assenti. No eccellenti da Rui Costa, Baggio e Batistuta|publisher=Fiorentina.it|author1=Matteo Magrini|language=Italian|date=23 August 2016|accessdate=24 August 2016}}</ref>
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== 脚注 ==
{{Reflist|20em}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
124行目: 174行目:
* [http://www.sinnacle.com/2008/05/08/rui-costa-a-look-back Rui Costa's Career Retrospective]
* [http://www.sinnacle.com/2008/05/08/rui-costa-a-look-back Rui Costa's Career Retrospective]
* [http://www.uefa.com/competitions/UCL/Players/Player=11043/index.html/ UEFA Bio]
* [http://www.uefa.com/competitions/UCL/Players/Player=11043/index.html/ UEFA Bio]
* [http://www.national-football-teams.com/player/5298/Rui_Costa.html National-Football-Temas]


{{FIFA 100}}
{{FIFA 100}}
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[[Category:ACFフィオレンティーナの選手]]
[[Category:ACFフィオレンティーナの選手]]
[[Category:ACミランの選手]]
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[[Category:UEFA EURO 2000出場選手]]
[[Category:2002 FIFAワールドカップ出場選手]]
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[[Category:UEFA EURO 2004出場選手]]
[[Category:FIFA100]]
[[Category:FIFA100]]
[[Category:リスボン県出身の人物]]
[[Category:リスボン県出身の人物]]

2016年12月17日 (土) 02:37時点における版

マヌエル・ルイ・コスタ
SLベンフィカ時代のルイ・コスタ
名前
本名 ルイ・マヌエル・セーザル・コスタ
Rui Manuel César Costa
愛称 マエストロ[1] (芸術家、匠)
ラテン文字 RUI COSTA
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1972-03-29) 1972年3月29日(52歳)
出身地 リスボン県アマドーラ
身長 180cm
体重 74kg
選手情報
ポジション MF (OH) / FW
利き足 右足
ユース
1981-1990 ポルトガルの旗 ベンフィカ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1991 ポルトガルの旗 ファフェ 38 (6)
1991-1994 ポルトガルの旗 ベンフィカ 78 (13)
1994-2001 イタリアの旗 フィオレンティーナ 215 (38)
2001-2006 イタリアの旗 ミラン 124 (4)
2006-2008 ポルトガルの旗 ベンフィカ 43 (5)
代表歴
1990 ポルトガルの旗 ポルトガル U-18 4 (1)
1991 ポルトガルの旗 ポルトガル U-20 11 (1)
1992-1994 ポルトガルの旗 ポルトガル U-21 19 (7)
1993-2004 ポルトガルの旗 ポルトガル 94 (26)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルイ・マヌエル・セーザル・コスタ(Rui Manuel César Costa, 1972年3月29日 - )は、ポルトガルアマドーラ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションは攻撃的攻撃的ミッドフィールダーセカンドトップ。現在はSLベンフィカテクニカル・ディレクターを務める。

現役時代は「マエストロ」の愛称で知られ[1]、卓越したテクニックと広い視野、優れたパスセンスで知られていた。また、両足での正確な得点力も兼ね備えていた。選手時代にはSLベンフィカACFフィオレンティーナACミランなどでプレーし、プリメイラ・リーガポルトガルカップセリエAコッパ・イタリアUEFAチャンピオンズリーグUEFAスーパーカップなどのタイトルを獲得している。また、サッカーポルトガル代表では94試合に出場して26得点を挙げている他、UEFA欧州選手権に3度とFIFAワールドカップに1度それぞれ出場している。

経歴

クラブ

SLベンフィカ

コスタは5歳の時、ダマイアポルトガル語版Damaia Ginásio Clubeポルトガル語版の屋内サッカーチームに参加している。4年後の1982年、ルイ・コスタはベンフィカの入団テストに参加した。その際のプレーがベンフィカの英雄であるエウゼビオに評価され、彼は18歳になる1990年までベンフィカのユースチームでプレーした。 1990年、ルイ・コスタは2部のADファフェへレンタルで移籍し、トップデビューを飾った[2][3]。1991年にはベンフィカに復帰し、中心選手として定期的に出番を得た。1991-92シーズンにはポルトガル・カップを、その翌シーズンの1993-94シーズンにはプリメイラ・リーガを制覇した。ルイ・コスタはジョアン・ピントらと共に強力な中盤を形成し、彼のチームでの役割の重要さを示した[4][5]

ACFフィオレンティーナ

1994年、ルイ・コスタはイタリアのセリエAに所属するACFフィオレンティーナへ移籍した[2]。加入1年目には、ジネディーヌ・ジダンらとの激しい競争がありながらも、ベストイレブンに選出された。ガブリエル・バティストゥータと強力なコンビを形成し、1996年にはコッパ・イタリアを制覇した[2]

ACミラン

2001年、ルイ・コスタはフィオレンティーナの財政悪化などもあり、2000-01シーズンにフィオレンティーナのコーチを務めていたファティ・テリムが指揮するACミランに移籍した[2][6]。その際の移籍金は2001-02シーズンのセリエAでは最高額の850億リラ(43899000000ユーロ)に上った[7][8]。加入直後に怪我をしたこともありあまり活躍できなかった、翌シーズンには調子を上げ、UEFAチャンピオンズリーグとコパ・イタリアの2冠に貢献した。しかし、2003年以降は新加入のカカにポジションを奪われ、十分な出場機会を得られなかった[2][6]。それでもルイ・コスタはカカに対して賞賛を惜しまず、また個人的にもアドバイスを送り続けカカの成長を手助けした[2]。後にカカも、「ルイ・コスタは僕のことをすごく助けてくれた。ルイ・コスタと僕は先生と生徒の関係だったね。」と述べている[9]。ルイ・コスタの引退試合の前日には、ミランの副会長のアドリアーノ・ガッリアーニは「ミラノ市民、そしてイタリア国民は決してルイ・コスタの名前を忘れることはないだろう。君はいつまでも“ロッソ・ネロ”(ミランの愛称)の家族の一員だ」とルイ・コスタをたたえる手紙をファックスで届け[10]、キャプテンのパオロ・マルディーニは「ルイ・コスタがまだまだ僕らのサッカー界で活躍できる一流の選手であることは僕が一番よく分かるよ。偉大なる男、そして友人だったルイにありがとうと言いたい」とのメッセージを寄せた[10]。ルイ・コスタはこれらのメッセージについて、「感動して泣いてしまった。」と引退試合後の記者会見で語っている[10]

ベンフィカ復帰

2006年5月25日、ルイ・コスタは相方合意の上でミランとの契約を解除し、古巣のベンフィカに復帰した。同年8月22日、ルイ・コスタは復帰初戦の、チャンピオンズリーグの本戦出場を懸けたFKアウストリア・ウィーンとの予選3回戦で、豪快なミドルシュートで先制ゴールを上げ[10]、ベンフィカの3-0での勝利と本戦への出場に大きく貢献した[11][12][13]

しかしこの試合で彼は右足太ももの筋肉を傷めてしまい、さらに2週間後のボアヴィスタFC戦での強行出場が裏目に出て1ヶ月間の離脱を余儀なくされた。そして復帰後のCDアヴェス戦でも違和感を訴え、再び3ヶ月の間負傷離脱した[10][14]。2007年1月のタッサ・デ・ポルトガル4回戦のオリヴェイラ・ド・バイーロSCポルトガル語版戦で復帰した[15][16]後は、11試合に先発出場した。しかしチームはFCポルトスポルティングCPに次ぐ3位に終わり、タッサ・デ・ポルトガルではベスト16で敗退すると、チャンピオンズリーグでも敗退し、UEFAカップではRCDエスパニョールに敗れて無冠に終わった。

2007-08シーズンの開幕前、ルイ・コスタは同シーズン限りで引退することになるだろうと話した[10]。同シーズン開幕時、ベンフィカは監督のフェルナンド・サントスを解任し、後任の監督としてホセ・アントニオ・カマーチョを指名したが、ルイ・コスタは監督交代後もレギュラーを務めた。シーズン初戦のチャンピオンズリーグ予選のFCコペンハーゲン戦では2得点を挙げ、チームの本戦出場に貢献した[17] He would also play an important part in the second leg where Benfica defeated the Danish side 1-0 away from home to seal Benfica's third consecutive presence in the group stage.[18]。9月のCDナシオナル戦では、リーグ戦では復帰以来初となる得点を挙げるなど、公式戦6試合で4ゴールの好スタートを切り[10]SJPF月間最優秀選手賞英語版を獲得した。またチャンピオンズリーグでは、アウェーで古巣ミランと対戦し、この試合には1-2で敗れた[19]が、5日後のホームでの再戦では1-1で引き分けた[20]。しかしチームはミランとセルティックFCの後塵を拝し、3位に終わった。

2007年12月31日、ルイ・コスタは2007-08シーズンを持って選手生活を引退することを正式に表明した[21][22]。そして2008年5月11日スーペル・リーガ(ポルトガルリーグ)の2007-08シーズン最終戦となったヴィトーリアFCとのホームゲームで、「多くのファンとプライドと共にピッチを去る」という言葉を残し[2]、選手生活を引退した[1]。この試合には54000人の観客が集まり、大きな拍手を受けた[1]。試合後の記者会見では、一番の思い出としてワールドユースでの優勝を挙げ[1]、最高のチームメイトにはガブリエル・バティストゥータとパオロ・マルディーニを挙げている[1]。また、「(怪我で活躍できなかった大きな大会が多かったこと、所属クラブの財政難から移籍した経験などを指して)選手生活に運が無かったとは思わないか?」との質問を受けた。これに対し、ルイ・コスタは「最後の試合に5万4千人も集まって声援を送ってくれた。これほど幸せな選手はいないんじゃないかな?僕は十分運が強いと思うよ。」と答え、最後まで前向きで周囲に感謝する彼らしさを感じさせる受け答えとなった[10][23]

代表

1991年、ルイ・コスタはU-20ポルトガル代表としてカルロス・ケイロスの下で地元開催のワールドユースに出場し[24]、決勝でブラジルを破って優勝を果たした[25]。以降、ルイス・フィーゴらと共にポルトガルサッカー黄金世代の中心選手となった[6]

1993年3月、FIFAワールドカップ欧州予選のスイス戦でA代表デビューを果たした[26]。ポルトガル代表の主力としても成長し、1996年EURO1996ではベスト8、2000年EURO 2000ではベスト4に進出した。

2002 FIFAワールドカップでは、自身初のW杯出場を果たした。しかしグループリーグ初戦のアメリカ戦で敗れると、2戦目のポーランド戦では得点したものの、3戦目の韓国戦では出場機会を得られず、チームもグループリーグで敗退した。

地元開催のEURO2004にも出場し、グループリーグ第2回戦のロシア戦で得点を挙げ、チームの初勝利に貢献した[27]。準々決勝のイングランド戦では延長後半に得点を挙げた[28]が、直後にフランク・ランパードの同点ゴールを許してPK戦に突入した[28]。PK戦ではルイ・コスタがPKを失敗したものの、チームは勝利した[28]。その後準決勝でオランダを破り[29]、決勝戦の前日にはこの決勝戦で代表を引退すると表明していた[26]が、決勝では開幕戦でも敗れたギリシャに敗れ準優勝に終わった[30]。この大会を最後にポルトガル代表を引退した。

ルイ・コスタはミッドフィルダーであるにも関わらず、94試合に出場して26得点を記録した。出場試合数は歴代4位、得点数は歴代7位の記録である[31]

引退後

引退試合の翌日、ルイ・コスタはベンフィカのテクニカル・ディレクターに就任した[2][32]。2008年には、新監督にスペイン人のキケ・サンチェス・フローレスを任命し[33]アルゼンチン代表の司令塔パブロ・アイマール[34][35]スペイン代表のウィングホセ・アントニオ・レジェス[36][37]ホンジュラス代表のストライカーダビド・スアソらとの契約を成立させた。その翌年の2009年には、アルゼンチン代表のストライカーハビエル・サビオラ[38]ブラジル代表の攻撃的MFラミレス[39]、スペインの守備的MFハビ・ガルシア[40]らを獲得した他、監督のキケ・サンチェスとの契約を解除し[41]、新監督にポルトガル人のジョルジェ・ジェズスを指名した[42]。このシーズン、ベンフィカはライバルのFCポルトを破り、5シーズンぶりのリーグ戦優勝を果たした[43][44]

出演

ルイ・コスタは1996年、アメリカのスポーツウェア会社Nikeが主催する、「正義対悪」というタイトルのコマーシャルに出演した[45][46]。ローマのアンフィテアトルムが舞台となっており、ロナウドパオロ・マルディーニエリック・カントナルイス・フィーゴパトリック・クライファートなど世界中のサッカー選手が、「ジョゴ・ボニート英語版(美しいゲーム)」を守るために、悪のチームと戦うというストーリーとなっている[45]。またルイ・コスタは、EAスポーツが製作したテレビゲーム、FIFA16にも登場している[47]

エピソード

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
1990-91 ファフェ セグンダ 38 6
1991-92 ベンフィカ スーペル 21 4
1992-93 23 4
1993-94 34 5
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1994-95 フィオレンティーナ 10 セリエA 31 9
1995-96 34 4
1996-97 28 2
1997-98 32 3
1998-99 31 10
1999-00 30 4
2000-01 29 6
2001-02 ミラン 22 0
2002-03 25 0
2003-04 28 3
2004-05 24 1
2005-06 25 0
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
2006-07 ベンフィカ 10 スーペル 14 0
2007-08 29 5
通算 ポルトガル スーペル 121 18
ポルトガル セグンダ 38 6
イタリア セリエA 339 42
総通算 498 66

タイトル

脚注

  1. ^ a b c d e f ルイ・コスタ、引退に感極まる - uefa.com
  2. ^ a b c d e f g h i 「世界最高のパサー」マヌエル・ルイ・コスタ - soccer-report.info
  3. ^ Associação Desportiva de Fafe” (Portuguese). ZeroZero (2012年12月15日). 2016年12月3日閲覧。
  4. ^ Campeonato Nacional da I Divisão 1993/94” (Portuguese). ZeroZero (2012年12月15日). 2016年12月3日閲覧。
  5. ^ Taça de Portugal 1992/1993” (Portuguese). ZeroZero (2012年12月15日). 2016年12月3日閲覧。
  6. ^ a b c ミランの偉大な「10番」たち - マヌエル・ルイ・コスタ - GOAL.com
  7. ^ A.C. Fiorentina S.p.A. bilancio (financial report and accounts) on 30 June 2001 (in Italian), PDF purchased from Italian C.C.I.A.A.
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  9. ^ カカ「ルイ・コスタは僕の先生だ」 - futepor.com
  10. ^ a b c d e f g h i チーム愛を貫いて ルイ・コスタ、ベンフィカに魂を宿し続けた18年間 - Sportsnavi
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  12. ^ BENFICA-AUSTRIA VIENA, 3–0 (Rui Costa 21, Nuno Gomes 45+2, Petit 57)” (Portuguese). Record (2006年8月22日). 2012年12月22日閲覧。
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  55. ^ “Pele's list of the greatest”. BBC Sport. (2004年3月4日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/3533891.stm 2013年6月15日閲覧。 
  56. ^ Rui Costa venceu o prémio KIA / Jogador do Mês”. sjpf.sapo.pt. 2011年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月2日閲覧。
  57. ^ “Gala do Benfica: Aimar distinguido como o melhor de 2010/11 [Benfica's gala: Aimar distinguished as the best of 2010-11]” (Portuguese). (2012年2月29日). http://www.maisfutebol.iol.pt/gala-do-benfica-aimar-distinguido-como-o-melhor-de-2010-11 2016年3月1日閲覧. "Rui Costa (2007)" 
  58. ^ Festa al Franchi, presenti e assenti. No eccellenti da Rui Costa, Baggio e Batistuta” (Italian). Fiorentina.it (2016年8月23日). 2016年8月24日閲覧。

外部リンク