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[[Image:Gazpacho - La Ola.JPG|thumb|180px|ガスパチョ]]
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[[Image:Spain PigEars.jpg|thumb|200px|ブタの耳とフライドポテト]]
[[Image:Chorizo1-edited.jpg|thumb|160px|チョリソ]]
[[Image:Spain PigEars.jpg|thumb|180px|ブタの耳とフライドポテト]]
[[Image:Chocolate con churros - San Ginés - Madrid.jpg|thumb|180px|チュロス]]
[[Image:Cremacatalana no header.jpg|thumb|180px|クレマカタラーナ]]
'''スペイン料理'''(スペインりょうり)とは[[スペイン]]固有の料理のことであり、[[イベリア半島]]の山の幸と[[地中海]]の海の幸をよく生かした料理で知られる。
'''スペイン料理'''(スペインりょうり)とは[[スペイン]]固有の料理のことであり、[[イベリア半島]]の山の幸と[[地中海]]の海の幸をよく生かした料理で知られる。


=== スペイン料理の地域性と特徴 ===
== 概要 ==
[[Image:Mapa Espanha CC AA.png|thumb|left|200px|スペインの行政区画]]
スペインは地方によって[[気候]]や[[風土]]、文化、習慣が異なるため、材料やその調理方法は様々で、事実上スペイン料理としてひとくくりにはできない。共通点としては、[[オリーブオイル]]や[[ニンニク]]を好んで使用していることなどが挙げられる。北部の[[ガリシア州|ガリシア]]、[[バスク州|バスク]]などでは新鮮な魚介類を使用した煮込み料理が特徴である。[[カスティーリャ]]では焼き物料理、[[アンダルシア州|アンダルシア]]では揚げ物料理が特色として挙げられ、[[フランス]]に近い[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]などでは[[フランス料理]]に近い料理が作られる。また、地中海沿いの[[バレンシア州|バレンシア]]では[[パエリア]]が有名である。また[[アストゥリアス州|アストゥリアス]]では豆料理の[[ファバーダ]]が知られる。
スペイン料理の特徴として素材を生かした調理があり、地方にはそれぞれの地域の特産品を生かした独特の料理がある<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、10-11頁</ref><ref name="jiten">横田「スペイン料理」『スペイン・ポルトガルを知る事典』、193-195頁</ref>。[[イベリア半島]]は「ヨーロッパの尾」「アフリカの頭」と言われ、古来から異なる民族・文化・宗教が交差しており、スペインの食文化はイベリア半島の歴史的背景の影響を受けている<ref>『世界の食べもの』合本3巻、145頁</ref>。


スペインは地方によって[[気候]]や[[風土]]、文化、習慣が異なるため、材料やその調理方法は様々で、事実上スペイン料理としてひとくくりにはできない。スペイン料理の地域差を表した言い回しに「スペインのどこに行ってもあるものは[[ワイン]]、[[オルチャータ]]、クァハダ(素焼きの壺に入れられた[[ヨーグルト]])だけ」というものがある<ref>東谷『スペイン入門』、48頁</ref>。しかし、スペイン料理の根底には、同じ[[イベリア半島]]の[[ポルトガル料理]]と同じく、各家庭ごとに異なるレシピを持つ「デル・プエブロ(民衆の料理、del pueblo )」の精神が根付いている<ref name="feib10">フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、10頁</ref>。
また、世界有数の[[ワイン]]の産地としても知られ、生産量はフランス、[[イタリア]]に続き、世界第三位を誇る。[[ラ・リオハ州|リオハ]]で生産される''Siglo''、[[ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ]]の[[シェリー (ワイン)|シェリー酒]]、[[ペネデス]]の''Codorniu Cuvie Raventos''、[[ナバラ州|ナバーラ]]の''Beamonte''など、各地で多数のワインが作られている。


地方料理の分類方法については定説がなく、20世紀後半の料理紹介ではその時々のスペインの行政区画に従って、それぞれの地域で食べられている料理の特色を列挙していることが多い<ref>立石『スペイン』、150頁</ref>([[スペインの地方行政区画]]も参照)。国内全ての地方や社会階級で食べられている「国民料理」に相当する料理は長らくの間存在していなかったが、1960年代の観光産業の発展の結果、各地の郷土料理が「国民料理」に分類されるようになった<ref>立石『スペイン』、116-119頁</ref>。こうした中で[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]、[[バスク州|バスク]]、[[ガリシア州|ガリシア]]の地域ナショナリズムが抑圧された[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]独裁政権では、[[カスティーリャ]]地方のコシードが国民料理に据えられ、他地域の全ての煮込み料理がコシードから派生したと喧伝された<ref>立石『スペイン』、117-118頁</ref>。
== スペイン料理の歴史 ==

{{節stub}}
全ての地方料理に共通する事項としては、[[オリーブ・オイル|オリーブオイル]]が使用されることが挙げられる<ref name="gespe169170">坂東『現代スペインを知るための60章』、169-170頁</ref>。オリーブオイルの生産に伴って輸送業、輸出業も発達し、オリーブオイルはスペインの食文化のみならず経済の基盤にもなっている<ref name="gespe169170"/>。「新しいスペイン料理」(ヌエバ・コシーナ、nueva cocina)においては[[デザート]]にもオリーブオイルが使われているが、一方で個性の強いオリーブオイルをすべての料理に使用することを避けて料理によって油を使い分ける傾向もある<ref>坂東『現代スペインを知るための60章』、172-173頁</ref>。

世界一歴史の古い[[ソース (調味料)|ソース]]と言われる[[アイオリソース|アリオリソース]](Alioli)<ref name="feib78">フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、78頁</ref><ref name="ogi297">荻内「料理と酒」『スペイン』、297頁</ref>をはじめ、焼いた鶏肉からにじみ出る油を使ったチリンドロン(Chilindron)など、多くのソースが料理に使われている。特にバスク、アラゴンといったスペイン北東部は、特徴的なソースが使われる地域として知られる<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、103頁</ref>しばしばスペイン料理は[[香辛料]]がふんだんに使われている印象をもたれるが、こうした先入観とは裏腹に香辛料はあまり使われない<ref name="feib10"/>。しかし、18世紀以前のスペイン料理には過剰とも言われるほどの香辛料が使われていた<ref>立石『スペイン』、31-32,96頁</ref>。

スペイン人は食生活に対して保守的な傾向があると言われるものの<ref name="ichikawa160">市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、160頁</ref>、青少年を中心にファーストフードチェーン店と肥満の関連が問題化しつつある指摘も見られる<ref>坂東『現代スペインを知るための60章』、263-264頁</ref>。

== 歴史 ==
=== スペイン王国成立前 ===
[[Image:Aceite de oliva ed.jpg|thumb|170px|瓶に入れられたオリーブオイル]]
紀元前、古代[[ギリシャ人]]によって[[オリーブ]]が、[[フェニキア人]]によってワインの原料となるブドウがイベリア半島に持ち込まれる<ref>立石『スペイン』、24-25頁</ref>。<!-- 『世界の食べもの』合本3巻、145頁 ではギリシャ人がブドウをもたらした -->

[[ローマ帝国]]の時代に、スペイン料理の基盤が形成される<ref name="asahi146">『世界の食べもの』合本3巻、146頁</ref>。[[ローマ人]]によって、スペイン料理に欠かせないオリーブオイルの製法と[[ニンニク]]<ref>立石『スペイン』、32頁</ref>、[[パン]]の原料となる[[小麦]]<ref name="asahi146"/>、ブタ<ref name="asahi146"/>がイベリア半島にもたらされた。具の形が崩れるほど煮込んだ料理、加熱前に時間をかけて食材に下味をつけるスペイン料理の調理法には、ローマ人の影響が見られる<ref>『世界の食べもの』合本3巻、146-147頁</ref>。

[[1世紀]]の地理学者[[ストラボン]]はトゥルデタニア(後世のアンダルシア地方)について、「[[ワイン]]、穀物、オリーブオイルの輸出地であり、多くの家畜が飼われている」と記し、これに対して内陸部の食生活について「[[ドングリ]]とそれを加工したパンを食べ、ワインではなく[[ビール]]を飲み、オリーブオイルの代わりに[[バター]]を使う」と記録している<ref>立石『スペイン』、23頁</ref>。

[[4世紀]]の[[民族移動時代|ゲルマン民族の大移動]]によって[[西ゴート族]]がイベリア半島に移り、彼らはビールの原料となるホップを持ち込んだ<ref name="tate26">立石『スペイン』、26頁</ref>。

[[8世紀]]に[[イベリア半島]]に到達したイスラム教徒の手を経て、スペインに[[米]]がもたらされた<ref name="ogi289">荻内「料理と酒」『スペイン』、289頁</ref>。イスラム教徒は米のほかに[[灌漑]]農業、[[ナス]]や[[タマネギ]]などの[[蔬菜]]を伝え、パン食中心のキリスト教徒の食生活は大きく変化した<ref name="ogi289"/>。新大陸由来のものを除き、スペイン南部で使われる食材のほとんどはイスラム支配時代に起源を持つ<ref name="tateishi34">立石『スペイン』、34頁</ref>。アラブ由来の菓子としては[[砂糖]]と[[アーモンド]]を使った[[マルチパン|マサパン]](Mazapán)があり、15世紀初頭の[[アラゴン王国]]では砂糖を使った菓子が名物として知られていた<ref>サマ『お菓子の歴史』、79頁</ref>。

[[アッバース朝]]の[[ハールーン・アッ=ラシード]]に仕えていた宮廷音楽家{{仮リンク|ジルヤーブ|en|Ziryab}}(ズィリアーブ)が[[コルドバ]]の宮廷に身を寄せた時、[[バグダード]]の料理書と大量の[[シナモン]]のほかに、食卓の調度品などの[[アラブ料理]]の文化がイベリア半島に伝わった<ref>玉村豊男『世界の野菜を旅する』(講談社現代新書, 講談社, 2010年6月)、141-142頁</ref><ref name="tate208">立石『スペイン』、208頁</ref>。最初にスープ、次に肉類、最後にデザートを出す、スペインの庶民の間で一般的な三部構成のコースは、ジルヤーブの与えた影響が強いと考えられている<ref name="tate208"/>。食材、料理、調度品以外に、[[アラビア語]]から食に関する言葉も輸入された<ref name="tateishi34"/>。

ユダヤ教徒の食文化もスペイン料理に影響を与え、ユダヤ料理の{{仮リンク|アダフィナ|es|Adafina}}(Adafina)は、オリャ・ポドリーダ(Olla podrida)などの煮込み料理の基礎となった<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、21-22頁</ref>。

カタルーニャ出身の料理人は中世ヨーロッパで高い評価を受け、[[1324年]]にイギリス宮廷に仕えていたカタルーニャの料理人が『サント・ソヴィの書』という料理書を著した<ref name="sama">サマ『お菓子の歴史』、375-378頁</ref>。

=== スペイン王国成立後 ===
[[Image:Morcilla-burgos 2.jpg|thumb|200px|豚の血入りソーセージであるモルシージャ。ユダヤ教からキリスト教への改宗者たちは、ユダヤの禁忌を犯してこのソーセージを食べなければならなかった<ref>立石『スペイン』、35-36頁</ref>。]]
[[大航海時代]]、[[新大陸]]からもたらされた[[トマト]]や[[トウガラシ]]は、スペインの食生活全体に影響を与えた<ref>荻内「料理と酒」『スペイン』、288頁</ref>。[[ジャガイモ]]、トマト、[[カボチャ]]、[[ピーマン]]などの新大陸由来の野菜が多く使われるチャンファイナソースは[[クリストファー・コロンブス]]がもたらしたソースと言われる<ref name="ogi297"/>。

[[15世紀]]から[[17世紀]]にかけての[[スペイン黄金世紀]]にはスペイン宮廷で華やかな宴会が開かれていたが、財政が厳しくなった17世紀半ばからは、十分な食事を用意できなかった日もあった<ref>立石『スペイン』、76頁</ref>。黄金世紀の民衆は飢餓と隣り合わせの状況に置かれており、17世紀に農民の窮乏は極まり、粗末な食事しか口にできなかった<ref>立石『スペイン』、90-91頁</ref>。飢饉と隣り合わせの状況、多くの人間が行き交うイベリア半島の立地より、スペインでは保存・携行に長けた料理が好まれるようになった<ref name="asahi147">『世界の食べもの』合本3巻、147頁</ref>。ハモン([[ハム]]、Jamón)、[[ソーセージ]]、[[バカラオ]](Bacalao)、[[チーズ]]などの保存食が好まれ、発達を遂げる<ref name="asahi147"/>。

16世紀初頭、スペイン初の総合的な料理書であるルペルト(ルベルト)・デ・ノラの『料理の書』が[[カタルーニャ語]]と[[スペイン語]]で出版される<ref>立石『スペイン』、76-77頁</ref>。[[1611年]]に[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]に仕えた料理人フランシスコ・マルティネス・モンティーニョが著した『厨房、菓子、カステラ、保存食品の技』はノラの『料理の書』以上の人気を博し、1800年までに20版近く出版された<ref>立石『スペイン』、78頁</ref>。

[[16世紀]]から[[18世紀]]にかけては国と教会がスペインのカトリック化のため豚肉食を推奨し、豚肉を忌避するイスラム教徒やユダヤ教徒を迫害した<ref name="higa49">東谷『スペイン入門』、49頁</ref>。イスラームとユダヤ両方の戒律に反する煮込み料理コシード(Cocid)を食べることがカトリック教徒の倫理的名誉とされ、イスラム教徒(あるいはイスラム教徒を祖先とするモリスコ)が多いアンダルシア地方のコシードにはイスラームで忌避されている豚肉を入れないのが一般的になっている<ref name="higa49"/>。イスラム教徒追放後は[[パエリア]]に豚肉、鶏肉と一緒に使われることが禁じられている魚介類が使われるようになり、料理にも反イスラームの意思が示された<ref name="higa50">東谷『スペイン入門』、50頁</ref>。

18世紀の[[スペイン・ブルボン朝|ボルボン朝]]成立後、スペイン宮廷の食文化はフランスの影響を大きく受ける<ref>立石『スペイン』、96頁</ref>。[[フェリペ5世 (スペイン王)|フェリペ5世]]の妃[[エリザベッタ・ファルネーゼ]]を通して、[[イタリア]]の食文化がスペイン宮廷にもたらされた<ref name="tate97">立石『スペイン』、97頁</ref>。この世紀にコース料理におけるスープとデザートの位置づけが確立され、一般の食卓で[[フォーク]]が使われるようになった<ref name="tate97"/>。

1839年に[[マドリード]]にスペインで最初の本格的な[[レストラン]]が開店する<ref>立石『スペイン』、107頁</ref>。しかし、19世紀末には民衆の飢餓は社会問題化しており<ref>立石『スペイン』、115頁</ref>、中産階級が十分に形成されていないマドリードの外食産業の発展には限りがあった<ref>立石『スペイン』、109頁</ref>。

=== フランコ政権成立後 ===
[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]政権下、1950年代初頭まで民衆は窮乏し、食料不足が続いた<ref>立石『スペイン』、124-125頁</ref>。窮状の中から既存の料理の食材を別のもので代用したスセダネオ(代用品、Sucedaneo)が考案され、カフェ・デ・マルタ([[コーヒー#代用コーヒー|大麦のコーヒー]]、Café de malta)、卵の代わりに水で溶いたヒヨコマメの粉を使った卵抜きオムレツが生まれた<ref>立石『スペイン』、127-128頁</ref>。[[スペイン内戦]]後の全国一律の配給制度による食材の普及、闇市の隆盛により、スペイン人の食生活は大きな変化を迎える<ref name="tate129">立石『スペイン』、129頁</ref>。食材不足のためにいくつかの伝統的な料理があまり作られなくなり、自家製のハムとソーセージは店で購入できる既製品に代わられていった<ref name="tate129"/>。農民が[[ラード]]の代わりにオリーブオイルを料理に使うようになったのもこの時期である<ref name="tate129"/>。

1960年代、スペインは急激な経済発展を遂げる<ref name="tate131">立石『スペイン』、131頁</ref>。観光産業と外食産業の発展に伴って地方料理が見直され、地方料理を紹介する書籍が続けて出版された<ref>立石『スペイン』、137頁</ref>。地方からマドリードやバルセロナなどの大都市への人間の移動が進むとともに、移住者の出身地の地方料理が大都市で普及し、ガリシアのポルボ・ア・フェイラやアストゥリアスのファバダなどが国民料理の地位を獲得していく<ref>立石『スペイン』、133頁</ref>。

フランコ独裁政権の後、スペイン人の多くはマスメディアを通して栄養、衛生についての観念を吸収し、栄養と健康を意識した食生活が志向されるようになる<ref>坂東『現代スペインを知るための60章』、261-263頁</ref>。貧困の中からスセダネオのいくつかは、ベジタリアンフードとして再評価を受けるようになった<ref>立石『スペイン』、128頁</ref>。また、1970年代にフランスで起きた[[ヌーベルキュイジーヌ|ヌーベル・キュイジーヌ]]の動きに触発され、バスク地方で伝統から脱した新しい料理を研究する運動が始まった<ref>立石『スペイン』、229頁</ref>。

== 一日の食生活 ==
[[Image:Chocolate with churros.jpg|thumb|200px|朝食の一例である、ホット・チョコレートを添えたチュロス]]
[[Image:Madrid-Plaza Mayor-Tapas bar.jpg|thumb|200px|タパスが並べられたマドリードのバル]]
スペイン人は[[朝食]](Desayuno)、午前の[[間食]](メリエンダ・メディア・マニャーナ、Merienda media Mañana)、[[昼食]](アルムエルソ、Almuerzo)、午後の間食(メリエンダ、Merienda)、[[夕食]](Cena)と1日に5回の食事をとると言われているが、食事の回数は地域ごとに差異がある<ref name="jiten">横田「スペイン料理」『スペイン・ポルトガルを知る事典』、193-195頁</ref>。

朝食は簡素なコンチネンタル・ブレックファストの形態をとり、カフェ・コン・レチェ([[カフェ・オ・レ]]、cafe con leche)、菓子パン、甘味の無い[[ラスク]]が食べられている<ref name="jiten"/>。[[チュロス]](Churros)、ポーラ(Porra)などの揚げパンと[[ホット・チョコレート]]を一緒に摂ることも多い。

朝食と昼食の間にボカディーリョ([[フランスパン]]を使った[[サンドイッチ]]、bocadillo)などの軽食を取り、1日の食事のメインである昼食に備える。ほか、網焼きの[[ソーセージ]]、[[トルティージャ]]([[オムレツ]]、Tortilla)、[[ヤリイカ]]のフライなどが軽食とされる。

昼食はスープ、米料理や麺、メインディッシュに加えてデザートやコーヒー、紅茶がそろったフルコースの体裁をとり、会話を楽しみながらゆっくりと食事をとる<ref name="jiten"/>。

昼食の後にメリエンダをつまみ、夜9時以降に軽めの夕食をとる<ref name="jiten"/>。メリエンダはコーヒーと菓子だけで手軽に済まされるが、客が訪れた時には肉料理や魚料理などの手間のかかるものが供されることもある<ref name="feib28">フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、28頁</ref>。

夕食時には仲間や夫婦で居酒屋に行き、あるいは家族と一緒にスープと卵料理ほどの料理を食べる<ref name="jiten"/>。スペイン人が夕食時に利用する居酒屋([[バール (飲食店)|バル]]、メソン、タスカ、タベルナ)のカウンターには、[[アンダルシア州|アンダルシア]]発祥<ref>立石、塩見『アンダルシアを知るための53章』、118頁</ref>の一皿サイズの酒肴(タパ、複数形の[[タパス]]の語で知られる)が多く並ぶ。居酒屋で安価なタパを取って様々な種類の郷土料理を少しずつ食べる「タペオ(タパをつまむ楽しみ、tapeo)」の文化は、スペインの食文化に欠かせない一要素となっている<ref name="and120">立石、塩見『アンダルシアを知るための53章』、120頁</ref>

食事の時間が遅い理由についてははっきりしておらず、20世紀初頭までは昼食を正午、夕食を午後7時ごろにとっていた<ref>市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、133頁</ref>。

== 肉料理 ==
[[Image:Jamón serrano (by Awersowy).jpg|thumb|160px|スライスされたハモン・セラーノ]]
豚肉と豆を使用した多彩な煮込み料理がスペイン料理の特徴の一つである<ref name="ogi289"/>。様々な豚肉の煮込み料理が生まれた背景には、16世紀から18世紀にかけての反イスラムと反ユダヤのための国を挙げた豚肉食の推進があった<ref name="ogi289"/>。さらに豚肉は保存食の素材としても需要が高く、スペインには「豚なら歩く姿まで美味しい」という言い回しまである<ref>坂東『現代スペインを知るための60章』、174頁</ref>。トウガラシやパプリカなどの香辛料が入ったソーセージ・[[チョリソ]](Chorizo)や血入りソーセージの[[ブラッドソーセージ|モルシージャ]](Morcilla)が作られ、豆と一緒に煮込まれる。スペインでは[[イノシシ]]の肉も好まれ、イノシシとブタの雑種([[イノブタ]])の肉は珍重されている<ref name="feib35">フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、35頁</ref>。

スペインは他の西ヨーロッパの国々に比べて早い時期に子豚や子羊を屠殺する傾向がある<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、35-36頁</ref>。生まれた直後の子豚のローストは柔らかく、肉汁と甘味にあふれ、さらに口の中に脂の後味は残らない<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、36頁</ref>。生後2週間ほどで屠殺された子羊のローストは美味と評価され、ヒツジが飼育されているスペインの中央部は「ローストの国」と呼ばれている<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、38頁</ref>。

闘牛用の牛の肉は縁起物として珍重され、赤みに含まれる濃密な味が好まれている<ref name="ogi300">荻内「料理と酒」『スペイン』、300頁</ref>。闘牛の尾のトマト煮は、闘牛のファンからの人気が高い<ref>立石、塩見『アンダルシアを知るための53章』、116頁</ref>。

== 魚料理 ==
[[Image:Bacalao01.jpg|thumb|180px|バカラオ]]
豚肉を忌避するイスラム教徒とユダヤ教徒はうろこのある[[魚]]を多く食べ、カトリック教徒はイスラム教とユダヤ教で忌避されるうろこの無い魚、[[イカ]]、[[タコ]]、[[エビ]]、[[貝]]も食べた。かつてカトリック教徒は[[大斎 (カトリック教会)|大斎]]、[[小斎]]の精進日には肉類の代わりに魚を食べていた<ref name="ogi289"/>。周囲を海に囲まれた立地とも相まって、時代が進むにつれて魚介類は精進食から祝祭に無くてはならない食材となった<ref>荻内「料理と酒」『スペイン』、289-290頁</ref>。

[[北海]]で獲れた[[タラ]]、[[メルルーサ]]のほか、[[マイワシ]]、[[クロダイ]]、[[カレイ]]、[[ヒラメ]]、[[アンコウ]]などの魚が食べられている<ref name="ogi296">荻内「料理と酒」『スペイン』、296頁</ref>。アンコウは「庶民のイセエビ」と呼ばれ、特にアンダルシア、ムルシアを含むレバンテ地方で好まれている<ref>『世界の食べもの』合本3巻、161頁</ref>。タラは[[バカラオ]](塩漬けの干物)にし、水でもどして調理する。[[カスティーリャ]]地方ではバカラオがよく食材に使われるが、河川の流域、海に面した地域では鮮魚が料理の中心となっている<ref name="higa50"/>。

最も一般的な魚の調理法は[[フライ]]であり、フライにはオリーブオイルが使われる<ref name="ogi289"/>。

== 野菜 ==
伝統的な家庭料理には野菜の煮込みであるメネストラ(Menestra)、ピスト(Pisto)など、多くの野菜が使われている<ref name="ichikawa151">市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、151頁</ref>。生野菜の[[サラダ]]、[[メロン]]、[[オレンジジュース]]などがエントゥレメス(前菜、Entremés)にされ<ref name="higa49"/>、サラダには、各自が好みの量のオリーブオイルや酢をかけて食べている<ref name="bunkashi">『スペイン・ポルトガル』(世界の国 文化誌15, 講談社, 1974年)、204-205頁</ref>。乾燥した気候のカスティーリャでは、かつてはタマネギの輪切りがエントゥレメスの中心となっていた<ref name="higa49"/>。

コロンブスによってスペインにもたらされた野菜はスペイン料理に定着し、スペインを通してヨーロッパ各地に伝わった。

新大陸で[[粥]]や[[ガレット]]にして食べられていた[[トウモロコシ]]は、古くからヨーロッパで食べられていた[[キビ]]、[[アワ]]、[[ソバ]]と同じ食べ方をされていたため、スペインの農民たちに容易に受け入れられた<ref>立石『スペイン』、50-51頁</ref>。17世紀には、トウモロコシはキビやアワに代わる農民の主食となった<ref>立石『スペイン』、51頁</ref>。

トウモロコシとは逆に[[トマト]]は普及にいくらかの時間を要した<ref>立石『スペイン』、66-67頁</ref>。しかし、後にスペインは世界有数のトマトの産地となり<ref name="ogi301"/>、「トマトの時期に料理下手無し」と言われている<ref name="ogi301"/>。

米や豆の種類が豊富なスペインでは、ヨーロッパの他の地域ほど多くのジャガイモは消費されていないが、トルティージャなどの料理に使われている<ref name="ogi301">荻内「料理と酒」『スペイン』、301頁</ref>。[[フライドポテト]]はスペイン人の間でも人気が高く、エンサラーダ・ルーサ([[オリヴィエ・サラダ|ロシア風サラダ]]、Ensalada rusa)にしても食べられている<ref name="bunkashi"/>。

== スープ ==
アンダルシア発祥の冷製スープ[[ガスパチョ]](Gazpacho)のほか<ref name="ichikawa151"/>、ニンニクのスープである[[ソパ・デ・アホ]](Sopa de ajo)、魚介類のスープであるソパ・デ・マリスコス(Sopa de mariscos)が挙げられる。[[ポタージュ]]や[[コンソメ]]も飲まれている

== 菓子、チーズ ==
スペインの菓子は、製菓の歴史において大きな役割を果たした<ref>吉田『西洋菓子 世界のあゆみ』、339頁</ref>。伝統的な菓子の製法には素朴な点に特徴があり<ref name="ichikawa159">市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、159頁</ref>、調理法は信仰心やノスタルジーの表現にも例えられている<ref name="sama"/>。イスラム教徒によって伝わった砂糖やアーモンドが修道院を通して各地に普及し<ref name="ichikawa159"/>、多くの修道院では中世イスラーム文化の影響を受けた伝統的な菓子が作られている<ref>立石、塩見『アンダルシアを知るための53章』、122頁</ref>。スペイン生まれの焼き菓子ビスコッチョ(Bizcocho)は、[[スポンジケーキ]]の原型になったと言われている<ref>吉田『西洋菓子 世界のあゆみ』、163,339頁</ref>。

[[クリスマス]]にはトゥロン([[ヌガー]]、Turron)、マサパン、ポルボローネス(Polvorones)が食卓に並ぶ。

スペインでは様々な種類の[[チーズ]]が作られており、ヤギ、ヒツジ、ウシのミルクが材料に使われている<ref name="gali159">坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、159頁</ref>。スペイン料理ではチーズは食材として使われることよりも、酒肴や[[デザート]]としてチーズ自体の味を楽しむことが多い<ref>坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、162頁</ref>。[[カスティーリャ・ラ・マンチャ州]]のケソ・マンチャゴ(Queso manchego)などがスペイン産のチーズとして知られている。

== 飲料 ==
[[Image:Horchata de arroz.jpg|thumb|180px|オルチャータ]]
スペインでは一般に[[コーヒー]]が飲まれており、以下のように種類を分けられる<ref>市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、158頁</ref>。また、コーヒーにブランデーを入れて飲むこともある<ref name="feib28"/>。
* カフェ・ソロ - エスプレッソコーヒー
* コルタード - ミルク入りコーヒー
* カフェ・コン・レチェ - [[カフェ・オ・レ]]
* カフェ・ラルゴ - カフェ・アメリカーノ(Café americano)とも。量が多く薄い[[アメリカーノ (コーヒー)|アメリカーノ]]
* カフェ・コン・イエロ - 熱いコーヒーに砂糖を溶かし、氷入りのグラスに注いで作る氷入りコーヒー

新大陸からもたらされた[[カカオ]]は、スペインを窓口としてヨーロッパ各地に伝播した<ref>立石『スペイン』、57-58頁</ref>。[[1526年]]に[[エルナン・コルテス]]がスペイン王[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カルロス1世]]にカカオを献上し、以来スペインはカカオ豆の栽培から調理に至るプロセスを独占し、約1世紀の間チョコレートはスペイン内でのみ流通していた<ref>吉田『西洋菓子 世界のあゆみ』、180頁</ref>。17世紀に入って、チョコレートはスペイン宮廷を通してイタリア、フランスに広まっていく<ref>吉田『西洋菓子 世界のあゆみ』、181頁</ref>。朝食時には濃厚な[[ホット・チョコレート]]が飲まれ、チューロやポーラを浸して食べる。子供の間では薄めのインスタントココアである[[コラカオ]]の人気が高い<ref>立石『スペイン』、60頁</ref>。

水に浸した[[ショクヨウガヤツリ]](チューファ、chufa)の地下茎をすり潰したものに、砂糖と冷水を加えた[[オルチャータ]](Horchata、Orchata)は、スペインの夏の風物詩である<ref name="ichikawa159"/><!-- 原文では「カヤツリグサの地下茎」 -->。[[シャーベット]]状のグラニサード(Granizado)も人気がある。

=== 酒類 ===
[[Image:Sangria en Barcelona - Katherine Price.jpg|thumb|180px|サングリア]]
{{See also|スペインワイン}}
スペインでは酒は料理と一緒に飲むものであり、食事や会話をより楽しむために供される<ref name="ichikawa157">市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、157頁</ref>。早朝のカフェでは[[エスプレッソ|エスプレッソコーヒー]]に[[コニャック]]やアニス酒を加えたカラヒージョ(Carajillo)がしばしば飲まれ、昼食時には[[ビール]]が出されることもある<ref name="ichikawa157"/>。

スペインは世界有数の[[ワイン]]の産地として知られており、良質のワインを安価で購入できる<ref name="ogi300"/>。[[ラ・リオハ州|リオハ]]で生産されるSiglo、[[ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ]]のヘレス([[シェリー (ワイン)|シェリー酒]])、[[ペネデス]]のCodorniu Cuvie Raventos、[[ナバラ州|ナバーラ]]のBeamonteなど、各地で多数のワインが作られている。中でもリオハのワインは、[[フランス]]の[[ボルドーワイン]]と並んで高い評価を受けている<ref name="ogi300"/>。ガリシアでは、地元の海産物と相性のいい[[白ワイン]]が多く生産されている。

イベリア半島で生産されるワインはローマ帝国時代には高い評価を受けており<ref>坂東『現代スペインを知るための60章』、163頁</ref>、イスラム教徒の支配下でもワインは飲まれ続けられた<ref name="tate26"/>。1860年代にフィロキセラ禍を避けたボルドーのワイン業者がリオハに移り、リオハでボルドーワインに近い芳醇な風味のワインが造られるようになった<ref>立石『スペイン』、28頁</ref>。

近代までの[[スペインワイン]]の評価は一部を除いて高いとは言えなかったが、20世紀末から脚光を浴びる<ref>坂東『現代スペインを知るための60章』、163-164頁</ref>。改良を重ねられたカタルーニャのプリオラト種、従前は[[バルクワイン]]の素材としか見られていなかったムルシアのモナストレル、バレンシアのボバルなどが高級ワインの素材として注目されている<ref>坂東『現代スペインを知るための60章』、164-165頁</ref>。スペイン国内のワインの年間消費量は減少したものの、高級志向が高まりつつある<ref>市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、155頁</ref>。

かつてのスペインで手に入る大衆的なワインは酸味が強く、水割り、あるいは蜂蜜を入れて酸味を和らげる必要があった<ref>立石『スペイン』、211頁</ref>。大衆食堂ではカセーラ(少し甘みのある炭酸水)でワインを割って飲むことが一般的になっている<ref>立石『スペイン』、211-212頁</ref>。ワインをジュースで割り果物を浮かべた[[サングリア]](Sangría)はスペイン独特の飲料として知られている。若者の間ではテーブルワインを多量の炭酸水で割ったティント・デ・ベラーノ(Tinto de verano)は、アルコール度数が低い飲み物として若者や女性からの人気が高い<ref>立石『スペイン』、212頁</ref>。

スペインでは地元の人間が飲む地ビールが多く造られているが、地域性は徐々に薄れつつある<ref>坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、157-158頁</ref>。エストレージャ・ガリシアを除いたスペインの大手ビールメーカーのほとんどは外国資本の傘下に入っている<ref name="gali156">坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、156頁</ref>。

[[アストゥリアス州|アストゥリアス]]やバスクでは、少量ながら[[シードル#スペイン|シドラ]](リンゴ酒)が作られている<ref>市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、156頁</ref>。18世紀から19世紀にかけて[[イギリス]]の統治下に置かれた[[メノルカ島]]では[[ジン (蒸留酒)|ジン]]の生産が始められ、スペイン領に戻った後もジンの製造が続けられている<ref>立石『スペイン』、192頁</ref>。

== 地方の料理 ==
=== マドリード ===
[[Image:Cocdio en sus componentes.jpg|thumb|180px|マドリード風コシード]]
[[マドリード州|マドリード]]の代表的な料理に、鶏肉、生ハム、チョリソー、ベーコンなどの肉類を豆や野菜と一緒に煮込んだコシード(Cocido)がある<ref>立石『スペイン』、180頁</ref>。マドリード風のコシード(Cocido madrileño)は煮込んだ具材とスープを3つの皿に分け、煮汁にヌードルを入れたスープ、野菜、肉のコース料理として供する<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、21,40頁</ref>。昼食のメインディッシュには[[サケ]]や[[マス]]、[[タラ]]などの魚料理が出されることが多い<ref name="feib25">フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、25頁</ref>。クリスマスの時期には、[[タイ]]が食卓にのぼることもある<ref name="feib25"/>。

牛などの胃を煮込んだカジョス(Callos)、豚の皮を油で揚げたコルテーサ(Corteza)も、マドリード独特の料理である<ref>立石『スペイン』、181頁</ref>。

=== カスティーリャ・イ・レオン ===
冬の厳しい寒さに対抗するためのシチュー、コシードが料理の中心となっている<ref name="feib35"/><ref>立石『スペイン』、175頁</ref>。子豚や子羊などの肉を使ったロースト料理もよく作られ、子豚のローストであるコチニーリョ・アサド(Cochinillo asado)は[[セゴビア]]の名物となっている<ref name="jiten"/><ref name="feib35"/>。セゴビアの名物であるこのローストは、作家[[アーネスト・ヘミングウェイ]]に好まれた<ref>21世紀研究会編『食の世界地図』、90-91頁</ref>。

[[カスティーリャ・レオン州|カスティーリャ・イ・レオン]]の料理には豆が欠かせず、豆の入ったスープやシチューが好まれる><ref>立石『スペイン』、174-175頁</ref>。

=== カスティーリャ・ラ・マンチャ ===
[[Image:GachasAlmorta.jpg|thumb|200px|アルモラタを使ったガチャス]]
ラ・マンチャの料理はレオンとの共通点が多いが、貧しい農民の料理をより色濃く受け継いでいる点が異なる<ref>立石『スペイン』、176-177頁</ref>。窮乏した生活の中から。ミガスのほか、アルモラタ(エンドウマメの一種、Almorta)の粉を溶いて焼いたガチャス(Gachas)のような料理が生まれた<ref>立石『スペイン』、177頁</ref>。また、野生の動物が多いため、[[ジビエ]]や[[マス]]を使った料理も多い<ref name="jiten"/>。野菜の煮込みであるピスト・マンチェゴ(Pisto manchego)は、肉のローストの付け合せとして供される<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、43頁</ref>。

この地方ではニンニクが好まれており、ニンニクと食べ残しのパンを炒めて煮たスープが飲まれている。ラ・マンチャのソパ・デ・アホには、[[ピメント]]の代わりにサフランが使われている<ref name="asahi150">『世界の食べもの』合本3巻、150頁</ref>。

ヤギの乳で作るプリンが、ラ・マンチャの代表的なデザートとして知られる<ref>立石『スペイン』、178頁</ref>。シナモン風味のスポンジケーキに、大量の[[マラガ酒]]を加えたシロップを浸み込ませたビスコーチョ・ボラーチョ(酔っ払いのケーキ、Bizcocho borracho)は[[グアダラハラ (スペイン)|グアダラハラ]]名物として有名<ref name="sama"/>。

テーブルワインの生産地でもある<ref name="asahi150"/>。

=== エストレマドゥーラ ===
[[エストレマドゥーラ州|エストレマドゥーラ]]は修道院で発達した高級料理と、庶民の料理の双方が発達しており、対照的な2つの料理は観光産業の目玉の一つとなっている<ref>立石『スペイン』、179頁</ref>。

エストレマドゥーラは「豚の国」と言われ、豚の好物であるドングリを実らせるカシの林が繁る<ref name="asahi149">『世界の食べもの』合本3巻、149頁</ref>。エストレマドゥーラの豚は品質が高いことで知られ、モンタンチェスのハモンはアンダルシア州のハブーゴのハモンと並ぶ逸品として評価されている<ref name="asahi149"/>。チャンファイナ(Chanfaina)は豚の肝臓、腎臓、心臓、脳を煮込んだ、豚の全てを活用する農民の臓物料理である。

この地では[[チョリソ]]が多く作られており、チョリソの中身となる豚肉のこま切れと香辛料、ハーブを長時間かけて煮込んだラ・プルエバ(「試食」の意。中身を腸に詰めて燻製にする前に試食する)も好まれている。「ラ・プルエバを食べ過ぎて気分が悪くなったら、来年のプルエバの季節まで治らない」という諺がある<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、37頁</ref>。

農民の料理に対する高級料理としては、[[ヤマウズラ]]を野菜と共に[[ポートワイン]]で煮込んだアルカンタラ風ヤマウズラが挙げられる<ref>立石『スペイン』、179-180頁</ref>。

内陸地であるエストレマドゥーラでは、[[テンチ|テンカ]](Tenca)と呼ばれるコイ科の魚がよく食べられている<ref>立石『スペイン』、180頁</ref>。

=== ガリシア ===
[[Image:Polboafeira.jpg|thumb|200px|ポルボ・ア・フェイラとパン、ワイン]]
{{see|:es:Gastronomía de Galicia|:gl:Gastronomía de Galicia}}
[[ガリシア州|ガリシア]]では、食材を生かしたシンプルな調理法の料理がよく食べられている<ref>坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、148頁</ref>。[[リアス式海岸]]で獲れた新鮮な魚介類が料理に使われており<ref name="jiten"/><ref name="tate155">立石『スペイン』、155頁</ref>、中でもぶつ切りにしたタコに[[パプリカ]]、塩をまぶしてオリーブオイルをかけたポルボ・ア・フェイラ(Polbo á feira)は代表的なガリシア料理として知られている<ref>坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、149頁</ref>。タコと並んで[[ホタテガイ]]を使った料理もガリシアの名物として知られている<ref name="asahi173">『世界の食べもの』合本3巻、173頁</ref>。

[[ルーゴ県]]、[[オウレンセ県]]の内陸部の地域では肉を使った料理が多く、豚の肩肉の塩漬けがよく使われる点に特徴がある<ref>坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、147-148頁</ref>。豚肉、ジャガイモ、カブの葉、白インゲン豆を煮込んだガリシア風スープ(Caldo gallego)、豚の肩肉とカブの葉の煮込み([[:gl:Lacón con grelos|Lacón con grelos]])のような山の幸を生かした料理も食べられている。内陸部では畜産と酪農が盛んであり、ケイショ・デ・テティージャ([[:gl:Queixo de Tetilla|Queixo de Tetilla]])などの牛乳を使ったチーズが作られている<ref>坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、159-160頁</ref>。

また、リアス・バイシャス地域ではアルバリーニョ種のブドウを原料とした白ワインが多く作られている。[[サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路|サンティアゴ巡礼]]でガリシアを訪れたドイツの修道士によってもたらされた[[リースリング]]種の苗木が、ガリシアでの白ワイン醸造の起源とも言われる<ref>坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、152頁</ref>[[コマルカ・ド・リベイロ]]ではローマ帝国時代からワインが造られており、16世紀にはすでに国外でも品質を高く評価されていた<ref>坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、153頁</ref>。ガリシアの代表的ビールであるエストレージャ・ガリシア([[:gl:Estrella Galicia (cervexa)|Estrella Galicia]])は、スペイン各地に流通している<ref>坂東、桑原、浅香『スペインのガリシアを知るための50章』、156-158頁</ref>。

=== アストゥリアス ===
[[Image:MyFabada.jpg|thumb|180px|ファバダ]]
厳しい冬の寒さに対抗できる濃厚な豆料理の[[ファバダ]](Fabada)が知られる<ref name="jiten"/>。ファバダなどの付け合せとしてトウモロコシで作られたパンが食されるが<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、129頁</ref>、トウモロコシのパンはスペインの他の地域では見られない<ref name="asahi173"/>。

港ではメルルーサ、カレイなどの魚が獲れ、[[ウニ]]は塩漬けに、あるいはパンに塗る[[パテ (料理)|パテ]]にして食される<ref name="tate158">立石『スペイン』、158頁</ref>。カルデレタ(Caldereta)は、南フランスの[[ブイヤベース]]に似た魚介類のスープである<ref name="higa50"/>。

リンゴを利用してシドラやリンゴ酢、さらにはシドラを蒸留したオランダ・デ・シドラというアルコール度数の高い酒が造られている<ref name="tate158"/>。

アストゥリアスでは谷ごとに異なる種類のチーズが作られていると言われ<ref name="gali159"/>、洞窟で作るチーズのカブラレスはヤギやヒツジのミルクに牛のミルクが混ぜられている<ref name="ogi300"/>。

=== カンタブリア ===
[[カンタブリア州|カンタブリア]]の州都[[サンタンデール (スペイン)|サンタンデール]]の郊外には19世紀にスペイン王室の離宮が置かれ、そのために美食文化とレストランが発達した<ref name="tateishi160">立石『スペイン』、160頁</ref>。

カンタブリアでは[[イワシ]]が好まれ、パン粉やパセリをまぶしてオーブンで焼く調理法はサンタンデール風と呼ばれる<ref name="tateishi160"/>。[[アンチョビ]]は塩漬けに加工されるほか、フライやパイの具として、時にはスペインでは珍しく生のまま食べられる<ref name="tateishi160"/>。マダイのオーブン焼きはカンタブリアからカスティーリャ地方に広まったと思われ、マドリードなどの都市ではクリスマスの料理として食べられている<ref name="tate161">立石『スペイン』、161頁</ref>。11月30日のサン・アンドレス祭では、昼食にカタツムリとアンコウが食べられている<ref>東谷『スペイン入門』、94頁</ref>。

山間部の地域では、ヒヨコマメ、肉、野菜を使ったリエバナ風煮込みなどの煮込み料理が好まれる<ref name="tate161"/>。

=== バスク ===
[[Image:Pinchos bermeo 2.JPG|thumb|200px|串で食材をパンに留めた伝統的なピンチョス]]
{{Main|バスク料理}}
[[バスク州|バスク]]の料理は、スペイン各地の郷土料理の中で最も美味な料理としてよく挙げられる<ref>市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、154頁</ref>。バスクからはヌエバ・コシーナ(新しいスペイン料理)を牽引する料理人たちが現れ、彼らの後に続こうとする若い料理人も多い<ref>市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、153頁</ref>。こうしたバスク料理の発展の基盤には、男性だけが入会できる料理クラブの存在がある<ref>『世界の食べもの』合本3巻、172頁</ref>。

バスクではタラやメルルーサなどの新鮮な魚介類を使用した料理、肉や野菜を使った料理が食べられている。味付けは塩が中心であり、スパイスはあまり使われない<ref>萩尾、吉田『現代バスクを知るための50章』、269頁</ref>。油はオリーブオイルのほかに[[ひまわり油]]が使われる。

バスク地方が発祥の料理としては、[[ウナギ]]の稚魚のニンニク炒め、イカの墨煮などが挙げられる<ref name="jiten"/>。
メルルーサの喉肉から取ったゼラチン質ココチャは、バスクの珍味である<ref name="ogi296"/>。バスクで食べられている軽食ピンチョ([[ピンチョス]])は、スペイン各地に普及している<ref name="and120"/>。

[[アラバ県]]のエリオシャは、[[フランス領バスク]]の[[バス=ナヴァール]](ナファロア)と並ぶワインの産地として有名である<ref name="ba281">萩尾、吉田『現代バスクを知るための50章』、281頁</ref>。[[ギプスコア県]]と[[ビスカヤ県]]沿岸部では、チャコリ(Txakolina)という微発泡ワインが醸造されている。チャコリは元々農民の自家用酒だったが、バスクの名産品として知名度を上げた<ref name="ba281"/>。リンゴ酒も造られており、バスク語ではシャガルド(Sagardo)と呼ばれている<ref>萩尾、吉田『現代バスクを知るための50章』、282頁</ref>。

=== カタルーニャ ===
[[Image:Sarsuela.jpg|thumb|160px|サルスエラ]]
[[Image:Calçots-2.jpg|thumb|160px|カルソッツ]]
[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]の料理は豊富な海産物と農産物が組み合わされ、季節によって料理の差異が大きく、地域ごとの料理の差異は小さい点に特徴がある<ref name="feib85">フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、85頁</ref>。倹約の精神から他の地域では使われない食材を使い、時には奇抜な食材の組み合わせがされる<ref name="feib85"/>。スペインのほかの地域では常食されていないRovello<!-- 原文では「ロヴェジョというマッシュルーム」 -->という大ぶりのキノコは、秋のカタルーニャの名物である<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、90頁</ref>。カタルーニャのサラダである{{仮リンク|サト (スペイン料理)|ca|Xató|label=サト}}(Xató)のドレッシングには、スペイン料理には珍しく、香辛料が使われている<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、95頁</ref>。

カタルーニャ名物の{{仮リンク|ロメスク|ca|Romesco}}(トウガラシ入りアーモンドソース、Romesco)はアリオリソースと一緒に供され、各自がそれぞれの好みに合わせて2つのソースを混ぜ合わせる<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、87頁</ref>。

ナスとパプリカなどを焼いたサラダであるアスカリバーダは季節を通して作られており、焼き立ての熱いまま、あるいは冷やした状態で食べられる<ref name="tateishi184">立石『スペイン』、184頁</ref>。バカラオの裂き身と刻んだゆで卵、タマネギ、黒オリーブなどを和えたサラダのアスケシャーダ(Esqueixada)も人気があり<ref name="tateishi184"/>、「バルセロナでアスケシャーダを食べたら[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]も[[アントニ・ガウディ|ガウディ]]も[[サルバドール・ダリ|ダリ]]も見なくていい」とまで言われている<ref name="ogi296"/>。炭火で焼いたネギであるカルソッツ(Calçots)は、秋のカタルーニャの名物となっている。

カタルーニャの魚介類の料理には、サルスエラ(Sarsuela)が挙げられる。[[コスタ・ブラバ]]の名物料理スケ(Suquet)は「漁師の鍋」とも呼ばれ、多くの魚介類を煮込み、生ハムや香辛料で風味が加えられている<ref>荻内「料理と酒」『スペイン』、297頁</ref>。パンの切り口にトマトを塗ったパン・コン・トマテ(Pan con tomate)は素朴ながらもカタルーニャ人に好まれている。腕輪の形をした郷土菓子ロスキージャ(Rosquilla)は、ヨーロッパ全土で食べられている。

=== バレンシア ===
[[Image:Paella from Altea.jpg|thumb|200px|[[アルテア]]のパエリア]]
[[バレンシア州|バレンシア]]の料理はカタルーニャの強い影響を受けながらも、独自性を守っている<ref name="tate187">立石『スペイン』、187頁</ref>。アンダルシア地方と同じくイスラム教国の支配下に置かれていた期間が長かったため、料理にもアラブ文化の影響が表れている<ref name="jiten"/>。

[[アリカンテ]]名物のトゥロンには、アラブの菓子の影響が見られる<ref>立石『スペイン』、189頁</ref>。

米の産地であるバレンシアでは[[インディカ米]]を使った料理や菓子が多く<ref name="higa50"/>、米料理を中心としたバランスの取れた献立が組み立てられる<ref name="feib78"/>。1960年代の観光産業の振興に際して様々な米料理が考案され、[[パエリア]](パエジャ、Paella)のバリエーションが生み出された<ref>立石『スペイン』、187-188頁</ref>。パエリアはスペイン料理を代表する料理の1つとして知られており、地方や家庭ごとに異なるレシピが存在する<ref>市川「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』、152頁</ref>。パエリアの具材は魚介類、鶏肉、ウサギ肉、カタツムリなど様々であり、野菜だけで作られるものもある。伝統的なパエリアの具材は、カタツムリ、ウサギ肉、鶏肉、モロッコインゲンなどが使われる<ref name="tate187"/>。パエリアは中南米やフィリピンのかつてのスペインの植民地にも伝わり、名前や調理法が変化した後も、米料理の1つとして現地で食べられている<ref>21世紀研究会編『食の世界地図』、90頁</ref>。

バレンシアのサルスエラにはカタルーニャのものと異なり、貝類が入っていない<ref>立石『スペイン』、185頁</ref>。

=== ムルシア ===
[[Image:Michirones.JPG|thumb|180px|ミチロネス]]
[[ムルシア州|ムルシア]]は米と野菜の栽培が盛んな地域であり<ref name="tate189">立石『スペイン』、189頁</ref>、米料理との相性がいい料理が多い<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、69頁</ref>。トマトと焼きトウガラシの組み合わせは、ムルシア料理において多く見られる<ref name="feib70">フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、70頁</ref>。バレンシアのパエリアはムルシアでも食されるが、肉のみのパエリア、魚介類のパエリア、イスラム教で禁忌とされる肉と魚介類を混ぜ合わせたパエリアなど、イスラム教徒の料理であるパエリアはムルシアで独自の変化を遂げた<ref>東谷『スペイン入門』、130-131頁</ref>。

ソラマメはミチロネス(乾燥ソラマメを使った煮物、Michirones)やトルティージャの具などにされるほか、バルではさやが付いたままの熟していない生のソラマメが酒肴として供される<ref name="tate189"/>。海で獲れた魚は天日干しにされ、[[マグロ]]の塩干しであるモハマ(Mojama)、[[カラスミ]]などの干物が作られる<ref>立石『スペイン』、190頁</ref>。

朝食に出される[[ココア]]は濃厚であり、アラブ文化の遺した影響として甘味が好まれている<ref name="feib70"/>。フランコ政権下で生まれたモルト・コーヒーは、コンデンスミルクを入れて飲まれ続けられている<ref>立石『スペイン』、127頁</ref>。

=== バレアレス諸島 ===
[[Image:Ensaimada.JPG|thumb|180px|エンサイマーダ]]
[[マヨルカ島]]では黒豚の飼育が盛んであり、肉には甘味がある<ref name="tateishi191">立石『スペイン』、191頁</ref>。自家製の太いソーセージであるソブラサーダ(Sobrasada)、ソブラサーダを使ったマヨルカ風卵焼き(Huevos a la mallorquina)が有名<ref name="asahi163"/>。エンサイマーダ(Ensaimada)という渦巻形のパンには、[[ラード]]が使われている。野菜スープとパンを何層にも重ねたマヨルカ風スープ(Sopa mallorquina)は温冷どちらの状態でも飲まれている<ref name="asahi163"/>。また、マヨルカは[[マヨネーズ]]発祥の地の一つとして考えられている<ref name="asahi163">『世界の食べもの』合本3巻、163頁</ref>。

メノルカ島はジン以外にチーズの生産地としても有名である<ref>東谷『スペイン入門』、140頁</ref>。

また、バレアレス諸島では[[ウナギ]]入りのケーキ(パスティス・ドラ・デ・ペイス)が食べられている<ref name="sama"/>。

=== ナバラ ===
[[Image:Trucha a la Navarra.jpg|thumb|180px|トゥルチャ・ア・ラ・ナバラ]]
[[ナバラ州|ナバラ]]は川魚料理で知られ<ref name="asahi166">『世界の食べもの』合本3巻、166頁</ref>、山麓で獲れた獣の肉を生かした北部、ローストで有名な中部、美味な野菜が採れる南部と、州の中に3つの異なる食文化が存在する<ref>立石『スペイン』、165頁</ref>。

羊飼いの料理を起源とする名物のマス料理トゥルチャ・ア・ラ・ナバラ(Trucha a la navarra)は、カワマスの腹に薄切りのハモンを挟んで焼いた料理であり、欧米の高級レストランのメニューにも加えられている<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、106-107頁</ref>。もう1つの羊飼い由来の料理に、羊の肉にレモン汁を加えた炒め煮コチフリート(Cochifrito)がある<ref name="asahi166"/>。[[パンプローナ]]の[[サン・フェルミン祭]]などではウサギ肉のパイが出される。

[[エブロ川]]流域では[[トゥデラ]]を中心として野菜の栽培がおこなわれており、[[アスパラガス]]が特産品として知られている<ref>立石『スペイン』、166頁</ref>。

[[ピレネー山脈]]のロンカル渓谷では、渓谷に自生するハーブを使ったヤギのミルクのチーズが作られている<ref name="ogi300"/>。

=== ラ・リオハ ===
[[ラ・リオハ州|ラ・リオハ]]は世界的に知られたワインの産地であり、赤ワインと相性のいい肉料理や豆料理が作られる<ref>立石『スペイン』、167-168頁</ref>。この地域では料理にサルサ・ベルデ、チリンドロンなどのソースが添えられる<ref>東谷『スペイン入門』、87頁</ref>。また、ラ・リオハは食用の[[カタツムリ]]の飼育が盛んである<ref>立石『スペイン』、168頁</ref>。

=== アラゴン ===
[[アラゴン州|アラゴン]]の料理はイスラームの伝統を受け継いだ菓子と農民の間で培われた日常料理から成り立つ<ref name="higa59">東谷『スペイン入門』、59頁</ref>。肉は豚肉とその加工品が中心であり、魚料理の食材は川魚が多く、[[タニシ]]、[[カタツムリ]]、食用の[[カエル]]が食材にされることもある<ref name="higa59"/>。

残り物のパンを利用した牧人の料理[[ミガス]]は、ソーセージやトマトなどと一緒に煮込んだ豪華なミガスに、あるいはミルクや砂糖を入れてデザートにしたミガスに派生した<ref>立石『スペイン』、169-170頁</ref>。

アラゴンの州都[[サラゴサ]]は、チリンドロンソースで知られる。

=== アンダルシア、アフリカの飛び地 ===
[[Image:Pescaditofrito.jpg|thumb|200px|ペスカイート・フリート]]
[[Image:Jamón Ibérico - Nada que decir.jpg|thumb|200px|ハモン・イベリコ]]
[[アンダルシア州]]の[[セビリア]]、[[コルドバ]]、[[グラナダ]]などの都市はかつてイスラム教徒の支配下で繁栄し、中世には多くのユダヤ人が生活を営んでいた<ref>立石『スペイン』、194頁</ref>。そのため、キリスト教、イスラーム、ユダヤ3つの宗教がアンダルシアの食文化の根底にある<ref>立石『スペイン』、194-195頁</ref>。

アンダルシアの料理はあっさりした味付けに特徴がある<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、46頁</ref>。揚げ物料理が特色として挙げられ<ref>立石『スペイン』、195頁</ref>、地元で獲れた海産物の揚げ物ペスカイート・フリート(Pescaito frito)は皿に大盛りにして出される。他には[[ロブスター]]、[[カキ (貝)|生ガキ]]、焼いた川ガニなどが食べられている。アンダルシア地方はオリーブオイルの産地として有名であり、[[ハエン]]、[[バエサ]]では良質のオリーブが収穫される<ref>坂東『現代スペインを知るための60章』、170頁</ref>。オリーブオイルと[[小麦粉]]を使った料理として、[[ミガス|ミガス・デ・アリーナ]]がある。色鮮やかな食材と卵をオーブンで焼いたフラメンカ・エッグ(Huevos a la flamenca)、羊の睾丸と脳を使ったジプシー料理サクロモンテ風トルティージャ(Tortilla al Sacromonte)が、アンダルシアの代表的な卵料理として知られる<ref>『世界の食べもの』合本3巻、158頁</ref>。

冷製スープ[[ガスパチョ]](Gazpacho)は、地域によって異なるアレンジが加えられている<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、47頁</ref><ref name="and115">立石、塩見『アンダルシアを知るための53章』、115頁</ref>。16世紀に[[ミゲル・デ・セルバンテス|セルバンテス]]によって書かれた小説『[[ドン・キホーテ]]』にもガスパチョの名前は登場するが、よく知られている冷製のトマトスープとは別物であると考えられており、どのような食べ物なのか諸説分かれている<ref>立石『スペイン』、89頁</ref>。

山間部の町では豚肉の加工品が多く売られ、[[ウエルバ県]]ハブーゴの[[ハモン・イベリコ]]、[[グラナダ県]]トレベレスの[[ハモン・セラーノ]]は最高級の生ハムとされている<ref name="and115"/>。[[ウズラ]]の肉はセビリアの名物として知られている<ref>荻内「料理と酒」『スペイン』、293頁</ref>。

アンダルシア地方ではオリエント風の菓子が好まれ、カトリックの修道院にはイスラームの伝統を受け継いだ製法が残る<ref>フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、50頁</ref>。代表的な菓子にはオリーブオイル、ゴマ、アニス酒で作るトルタス・デ・アセイテ、コルタドス・レジェノス・デ・シドゥラ(長方形の[[パンプキンパイ]])、サン・レアンドロ修道院のイェマス・デ・サン・レアンドロ([[鶏卵素麺]])などが挙げられる。

アンダルシアはヘレス(シェリー酒)で有名であり、[[ブランデー]]の産地でもある。仔牛の腎臓をヘレスで煮込んだ{{仮リンク|リニョネス・アル・ヘレス|es|Riñones al jerez}}(Riñones al Jerez)が有名。

アフリカ大陸に存在する[[セウタ]]、[[メリリャ]]などの飛び地は、多くの入植者の出身地であるアンダルシアの食文化を継承している<ref>立石『スペイン』、201頁</ref>。周囲を取り囲む[[モロッコ]]の[[モロッコ料理|食文化]]の影響を受けており、[[ケバブ]]と類似した[[ピンチョ・モルノ]](Pincho moruno)、[[クスクス]]、野菜を細かく刻んだモロッコ風サラダが食べられている<ref>立石『スペイン』、201-202頁</ref>。煮込み料理には、モロッコ料理特有の調理器具である[[タジン鍋]]が使われる<ref>立石『スペイン』、202頁</ref>。

=== カナリア諸島 ===
[[Image:Mojo verde y papas arrugás.jpg|thumb|180px|パパ・アルガーと緑のモホソース]]
[[カナリア諸島]]の料理には、先住民族である[[グアンチェ族]]の食文化の影響が残る<ref name="tate203">立石『スペイン』、203頁</ref>。また、スペインと新大陸の中継地点となっている立地のため、トウモロコシ、ジャガイモ、トマトなどの新大陸起源の食材が早い段階から料理に使われていた<ref name="tate203"/>。

塩茹でにしたジャガイモを自然乾燥させた[[パパス・アルガダス|パパ・アルガー]](パパス・アルガダス、Papas arrugadas)、穀類の粉であるゴフィオ(Gofio)がカナリア諸島の伝統的な料理、食材として挙げられる<ref>立石『スペイン』、204頁</ref>。パパ・アルガーや魚料理には、[[モホ]]というソースが添えられる。


== 料理の一品 ==
== 料理の一品 ==
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=== 豚肉 ===
=== 豚肉 ===

* [[ハモン・セラーノ]] (jamón serrano)
* [[ハモン・セラーノ]] (jamón serrano)
* [[ハモン・イベリコ]](jamon iberico)
* [[ハモン・イベリコ]](jamon iberico)
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=== 有名な料理 ===
=== 有名な料理 ===
[[ファイル:ValencianPaella.jpg|200px|right|thumb|バレンシア風パエリア]]
* [[トルティージャ]] (tortilla)
* [[トルティージャ]] (tortilla)
* [[パエリア]] (paella)
* [[パエリア]] (paella)
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=== デザート ===
=== デザート ===
[[Image:Chocolate con churros - San Ginés - Madrid.jpg|thumb|200px|right|チュロス]]
* [[トリハス]] -スペイン風フレンチトースト- (torrijas)
* [[トリハス]] -スペイン風フレンチトースト- (torrijas)
* [[アロス・コン・レーチェ]] -お米の[[プディング]]- (Arroz con leche)
* [[アロス・コン・レーチェ]] -お米の[[プディング]]- (Arroz con leche)
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=== 新しい料理 ===
=== 新しい料理 ===
* [[エスプーマ]]
* [[エスプーマ]]

== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* 市川秋子「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』収録(碇順治編, ヨーロッパ読本, 河出書房新社, 2008年6月)
* 荻内勝之「料理と酒」『スペイン』収録(増田義郎監修, 読んで旅する世界の歴史と文化, 新潮社, 1992年2月)
* 立石博高『スペイン』(世界の食文化, 農山漁村文化協会, 2007年3月)
* 立石博高、塩見千加子編『アンダルシアを知るための53章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2012年11月)
* 21世紀研究会編『食の世界地図』(文春新書, 文藝春秋, 2004年5月)
* 萩尾生、吉田浩美編著『現代バスクを知るための50章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2012年5月)
* 坂東省次、桑原真夫、浅香武和編著『スペインのガリシアを知るための50章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2011年3月)
* 坂東省次編著『現代スペインを知るための60章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2013年3月)
* 東谷岩人編著『スペイン入門』(三省堂選書, 三省堂, 1992年4月)
* 横田佐知子「スペイン料理」『スペイン・ポルトガルを知る事典』収録(平凡社, 2001年10月, 新訂増補)
* 吉田菊次郎『西洋菓子 世界のあゆみ』(朝文社, 2013年2月)
* ピーター.S.フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』(タイムライフブックス, 1974年)
* マグロンヌ・トゥーサン=サマ『お菓子の歴史』(吉田春美訳, 河出書房新社, 2005年10月)
* 『世界の食べもの』合本3巻(週刊朝日百科, 朝日新聞社, 1980年 - 1983年)


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[スペイン]]
* [[ポルトガル料理]]
* [[アラブ料理]]
* [[メキシコ料理]]
* [[フィリピン料理]]
* [[ハラール]]
* [[カシュルート]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2013年8月10日 (土) 12:27時点における版

ガスパチョ
チョリソ
ブタの耳とフライドポテト
チュロス
クレマカタラーナ

スペイン料理(スペインりょうり)とはスペイン固有の料理のことであり、イベリア半島の山の幸と地中海の海の幸をよく生かした料理で知られる。

スペイン料理の地域性と特徴

スペインの行政区画

スペイン料理の特徴として素材を生かした調理があり、地方にはそれぞれの地域の特産品を生かした独特の料理がある[1][2]イベリア半島は「ヨーロッパの尾」「アフリカの頭」と言われ、古来から異なる民族・文化・宗教が交差しており、スペインの食文化はイベリア半島の歴史的背景の影響を受けている[3]

スペインは地方によって気候風土、文化、習慣が異なるため、材料やその調理方法は様々で、事実上スペイン料理としてひとくくりにはできない。スペイン料理の地域差を表した言い回しに「スペインのどこに行ってもあるものはワインオルチャータ、クァハダ(素焼きの壺に入れられたヨーグルト)だけ」というものがある[4]。しかし、スペイン料理の根底には、同じイベリア半島ポルトガル料理と同じく、各家庭ごとに異なるレシピを持つ「デル・プエブロ(民衆の料理、del pueblo )」の精神が根付いている[5]

地方料理の分類方法については定説がなく、20世紀後半の料理紹介ではその時々のスペインの行政区画に従って、それぞれの地域で食べられている料理の特色を列挙していることが多い[6]スペインの地方行政区画も参照)。国内全ての地方や社会階級で食べられている「国民料理」に相当する料理は長らくの間存在していなかったが、1960年代の観光産業の発展の結果、各地の郷土料理が「国民料理」に分類されるようになった[7]。こうした中でカタルーニャバスクガリシアの地域ナショナリズムが抑圧されたフランコ独裁政権では、カスティーリャ地方のコシードが国民料理に据えられ、他地域の全ての煮込み料理がコシードから派生したと喧伝された[8]

全ての地方料理に共通する事項としては、オリーブオイルが使用されることが挙げられる[9]。オリーブオイルの生産に伴って輸送業、輸出業も発達し、オリーブオイルはスペインの食文化のみならず経済の基盤にもなっている[9]。「新しいスペイン料理」(ヌエバ・コシーナ、nueva cocina)においてはデザートにもオリーブオイルが使われているが、一方で個性の強いオリーブオイルをすべての料理に使用することを避けて料理によって油を使い分ける傾向もある[10]

世界一歴史の古いソースと言われるアリオリソース(Alioli)[11][12]をはじめ、焼いた鶏肉からにじみ出る油を使ったチリンドロン(Chilindron)など、多くのソースが料理に使われている。特にバスク、アラゴンといったスペイン北東部は、特徴的なソースが使われる地域として知られる[13]しばしばスペイン料理は香辛料がふんだんに使われている印象をもたれるが、こうした先入観とは裏腹に香辛料はあまり使われない[5]。しかし、18世紀以前のスペイン料理には過剰とも言われるほどの香辛料が使われていた[14]

スペイン人は食生活に対して保守的な傾向があると言われるものの[15]、青少年を中心にファーストフードチェーン店と肥満の関連が問題化しつつある指摘も見られる[16]

歴史

スペイン王国成立前

瓶に入れられたオリーブオイル

紀元前、古代ギリシャ人によってオリーブが、フェニキア人によってワインの原料となるブドウがイベリア半島に持ち込まれる[17]

ローマ帝国の時代に、スペイン料理の基盤が形成される[18]ローマ人によって、スペイン料理に欠かせないオリーブオイルの製法とニンニク[19]パンの原料となる小麦[18]、ブタ[18]がイベリア半島にもたらされた。具の形が崩れるほど煮込んだ料理、加熱前に時間をかけて食材に下味をつけるスペイン料理の調理法には、ローマ人の影響が見られる[20]

1世紀の地理学者ストラボンはトゥルデタニア(後世のアンダルシア地方)について、「ワイン、穀物、オリーブオイルの輸出地であり、多くの家畜が飼われている」と記し、これに対して内陸部の食生活について「ドングリとそれを加工したパンを食べ、ワインではなくビールを飲み、オリーブオイルの代わりにバターを使う」と記録している[21]

4世紀ゲルマン民族の大移動によって西ゴート族がイベリア半島に移り、彼らはビールの原料となるホップを持ち込んだ[22]

8世紀イベリア半島に到達したイスラム教徒の手を経て、スペインにがもたらされた[23]。イスラム教徒は米のほかに灌漑農業、ナスタマネギなどの蔬菜を伝え、パン食中心のキリスト教徒の食生活は大きく変化した[23]。新大陸由来のものを除き、スペイン南部で使われる食材のほとんどはイスラム支配時代に起源を持つ[24]。アラブ由来の菓子としては砂糖アーモンドを使ったマサパン(Mazapán)があり、15世紀初頭のアラゴン王国では砂糖を使った菓子が名物として知られていた[25]

アッバース朝ハールーン・アッ=ラシードに仕えていた宮廷音楽家ジルヤーブ英語版(ズィリアーブ)がコルドバの宮廷に身を寄せた時、バグダードの料理書と大量のシナモンのほかに、食卓の調度品などのアラブ料理の文化がイベリア半島に伝わった[26][27]。最初にスープ、次に肉類、最後にデザートを出す、スペインの庶民の間で一般的な三部構成のコースは、ジルヤーブの与えた影響が強いと考えられている[27]。食材、料理、調度品以外に、アラビア語から食に関する言葉も輸入された[24]

ユダヤ教徒の食文化もスペイン料理に影響を与え、ユダヤ料理のアダフィナスペイン語版(Adafina)は、オリャ・ポドリーダ(Olla podrida)などの煮込み料理の基礎となった[28]

カタルーニャ出身の料理人は中世ヨーロッパで高い評価を受け、1324年にイギリス宮廷に仕えていたカタルーニャの料理人が『サント・ソヴィの書』という料理書を著した[29]

スペイン王国成立後

豚の血入りソーセージであるモルシージャ。ユダヤ教からキリスト教への改宗者たちは、ユダヤの禁忌を犯してこのソーセージを食べなければならなかった[30]

大航海時代新大陸からもたらされたトマトトウガラシは、スペインの食生活全体に影響を与えた[31]ジャガイモ、トマト、カボチャピーマンなどの新大陸由来の野菜が多く使われるチャンファイナソースはクリストファー・コロンブスがもたらしたソースと言われる[12]

15世紀から17世紀にかけてのスペイン黄金世紀にはスペイン宮廷で華やかな宴会が開かれていたが、財政が厳しくなった17世紀半ばからは、十分な食事を用意できなかった日もあった[32]。黄金世紀の民衆は飢餓と隣り合わせの状況に置かれており、17世紀に農民の窮乏は極まり、粗末な食事しか口にできなかった[33]。飢饉と隣り合わせの状況、多くの人間が行き交うイベリア半島の立地より、スペインでは保存・携行に長けた料理が好まれるようになった[34]。ハモン(ハム、Jamón)、ソーセージバカラオ(Bacalao)、チーズなどの保存食が好まれ、発達を遂げる[34]

16世紀初頭、スペイン初の総合的な料理書であるルペルト(ルベルト)・デ・ノラの『料理の書』がカタルーニャ語スペイン語で出版される[35]1611年フェリペ4世に仕えた料理人フランシスコ・マルティネス・モンティーニョが著した『厨房、菓子、カステラ、保存食品の技』はノラの『料理の書』以上の人気を博し、1800年までに20版近く出版された[36]

16世紀から18世紀にかけては国と教会がスペインのカトリック化のため豚肉食を推奨し、豚肉を忌避するイスラム教徒やユダヤ教徒を迫害した[37]。イスラームとユダヤ両方の戒律に反する煮込み料理コシード(Cocid)を食べることがカトリック教徒の倫理的名誉とされ、イスラム教徒(あるいはイスラム教徒を祖先とするモリスコ)が多いアンダルシア地方のコシードにはイスラームで忌避されている豚肉を入れないのが一般的になっている[37]。イスラム教徒追放後はパエリアに豚肉、鶏肉と一緒に使われることが禁じられている魚介類が使われるようになり、料理にも反イスラームの意思が示された[38]

18世紀のボルボン朝成立後、スペイン宮廷の食文化はフランスの影響を大きく受ける[39]フェリペ5世の妃エリザベッタ・ファルネーゼを通して、イタリアの食文化がスペイン宮廷にもたらされた[40]。この世紀にコース料理におけるスープとデザートの位置づけが確立され、一般の食卓でフォークが使われるようになった[40]

1839年にマドリードにスペインで最初の本格的なレストランが開店する[41]。しかし、19世紀末には民衆の飢餓は社会問題化しており[42]、中産階級が十分に形成されていないマドリードの外食産業の発展には限りがあった[43]

フランコ政権成立後

フランコ政権下、1950年代初頭まで民衆は窮乏し、食料不足が続いた[44]。窮状の中から既存の料理の食材を別のもので代用したスセダネオ(代用品、Sucedaneo)が考案され、カフェ・デ・マルタ(大麦のコーヒー、Café de malta)、卵の代わりに水で溶いたヒヨコマメの粉を使った卵抜きオムレツが生まれた[45]スペイン内戦後の全国一律の配給制度による食材の普及、闇市の隆盛により、スペイン人の食生活は大きな変化を迎える[46]。食材不足のためにいくつかの伝統的な料理があまり作られなくなり、自家製のハムとソーセージは店で購入できる既製品に代わられていった[46]。農民がラードの代わりにオリーブオイルを料理に使うようになったのもこの時期である[46]

1960年代、スペインは急激な経済発展を遂げる[47]。観光産業と外食産業の発展に伴って地方料理が見直され、地方料理を紹介する書籍が続けて出版された[48]。地方からマドリードやバルセロナなどの大都市への人間の移動が進むとともに、移住者の出身地の地方料理が大都市で普及し、ガリシアのポルボ・ア・フェイラやアストゥリアスのファバダなどが国民料理の地位を獲得していく[49]

フランコ独裁政権の後、スペイン人の多くはマスメディアを通して栄養、衛生についての観念を吸収し、栄養と健康を意識した食生活が志向されるようになる[50]。貧困の中からスセダネオのいくつかは、ベジタリアンフードとして再評価を受けるようになった[51]。また、1970年代にフランスで起きたヌーベル・キュイジーヌの動きに触発され、バスク地方で伝統から脱した新しい料理を研究する運動が始まった[52]

一日の食生活

朝食の一例である、ホット・チョコレートを添えたチュロス
タパスが並べられたマドリードのバル

スペイン人は朝食(Desayuno)、午前の間食(メリエンダ・メディア・マニャーナ、Merienda media Mañana)、昼食(アルムエルソ、Almuerzo)、午後の間食(メリエンダ、Merienda)、夕食(Cena)と1日に5回の食事をとると言われているが、食事の回数は地域ごとに差異がある[2]

朝食は簡素なコンチネンタル・ブレックファストの形態をとり、カフェ・コン・レチェ(カフェ・オ・レ、cafe con leche)、菓子パン、甘味の無いラスクが食べられている[2]チュロス(Churros)、ポーラ(Porra)などの揚げパンとホット・チョコレートを一緒に摂ることも多い。

朝食と昼食の間にボカディーリョ(フランスパンを使ったサンドイッチ、bocadillo)などの軽食を取り、1日の食事のメインである昼食に備える。ほか、網焼きのソーセージトルティージャオムレツ、Tortilla)、ヤリイカのフライなどが軽食とされる。

昼食はスープ、米料理や麺、メインディッシュに加えてデザートやコーヒー、紅茶がそろったフルコースの体裁をとり、会話を楽しみながらゆっくりと食事をとる[2]

昼食の後にメリエンダをつまみ、夜9時以降に軽めの夕食をとる[2]。メリエンダはコーヒーと菓子だけで手軽に済まされるが、客が訪れた時には肉料理や魚料理などの手間のかかるものが供されることもある[53]

夕食時には仲間や夫婦で居酒屋に行き、あるいは家族と一緒にスープと卵料理ほどの料理を食べる[2]。スペイン人が夕食時に利用する居酒屋(バル、メソン、タスカ、タベルナ)のカウンターには、アンダルシア発祥[54]の一皿サイズの酒肴(タパ、複数形のタパスの語で知られる)が多く並ぶ。居酒屋で安価なタパを取って様々な種類の郷土料理を少しずつ食べる「タペオ(タパをつまむ楽しみ、tapeo)」の文化は、スペインの食文化に欠かせない一要素となっている[55]

食事の時間が遅い理由についてははっきりしておらず、20世紀初頭までは昼食を正午、夕食を午後7時ごろにとっていた[56]

肉料理

スライスされたハモン・セラーノ

豚肉と豆を使用した多彩な煮込み料理がスペイン料理の特徴の一つである[23]。様々な豚肉の煮込み料理が生まれた背景には、16世紀から18世紀にかけての反イスラムと反ユダヤのための国を挙げた豚肉食の推進があった[23]。さらに豚肉は保存食の素材としても需要が高く、スペインには「豚なら歩く姿まで美味しい」という言い回しまである[57]。トウガラシやパプリカなどの香辛料が入ったソーセージ・チョリソ(Chorizo)や血入りソーセージのモルシージャ(Morcilla)が作られ、豆と一緒に煮込まれる。スペインではイノシシの肉も好まれ、イノシシとブタの雑種(イノブタ)の肉は珍重されている[58]

スペインは他の西ヨーロッパの国々に比べて早い時期に子豚や子羊を屠殺する傾向がある[59]。生まれた直後の子豚のローストは柔らかく、肉汁と甘味にあふれ、さらに口の中に脂の後味は残らない[60]。生後2週間ほどで屠殺された子羊のローストは美味と評価され、ヒツジが飼育されているスペインの中央部は「ローストの国」と呼ばれている[61]

闘牛用の牛の肉は縁起物として珍重され、赤みに含まれる濃密な味が好まれている[62]。闘牛の尾のトマト煮は、闘牛のファンからの人気が高い[63]

魚料理

バカラオ

豚肉を忌避するイスラム教徒とユダヤ教徒はうろこのあるを多く食べ、カトリック教徒はイスラム教とユダヤ教で忌避されるうろこの無い魚、イカタコエビも食べた。かつてカトリック教徒は大斎小斎の精進日には肉類の代わりに魚を食べていた[23]。周囲を海に囲まれた立地とも相まって、時代が進むにつれて魚介類は精進食から祝祭に無くてはならない食材となった[64]

北海で獲れたタラメルルーサのほか、マイワシクロダイカレイヒラメアンコウなどの魚が食べられている[65]。アンコウは「庶民のイセエビ」と呼ばれ、特にアンダルシア、ムルシアを含むレバンテ地方で好まれている[66]。タラはバカラオ(塩漬けの干物)にし、水でもどして調理する。カスティーリャ地方ではバカラオがよく食材に使われるが、河川の流域、海に面した地域では鮮魚が料理の中心となっている[38]

最も一般的な魚の調理法はフライであり、フライにはオリーブオイルが使われる[23]

野菜

伝統的な家庭料理には野菜の煮込みであるメネストラ(Menestra)、ピスト(Pisto)など、多くの野菜が使われている[67]。生野菜のサラダメロンオレンジジュースなどがエントゥレメス(前菜、Entremés)にされ[37]、サラダには、各自が好みの量のオリーブオイルや酢をかけて食べている[68]。乾燥した気候のカスティーリャでは、かつてはタマネギの輪切りがエントゥレメスの中心となっていた[37]

コロンブスによってスペインにもたらされた野菜はスペイン料理に定着し、スペインを通してヨーロッパ各地に伝わった。

新大陸でガレットにして食べられていたトウモロコシは、古くからヨーロッパで食べられていたキビアワソバと同じ食べ方をされていたため、スペインの農民たちに容易に受け入れられた[69]。17世紀には、トウモロコシはキビやアワに代わる農民の主食となった[70]

トウモロコシとは逆にトマトは普及にいくらかの時間を要した[71]。しかし、後にスペインは世界有数のトマトの産地となり[72]、「トマトの時期に料理下手無し」と言われている[72]

米や豆の種類が豊富なスペインでは、ヨーロッパの他の地域ほど多くのジャガイモは消費されていないが、トルティージャなどの料理に使われている[72]フライドポテトはスペイン人の間でも人気が高く、エンサラーダ・ルーサ(ロシア風サラダ、Ensalada rusa)にしても食べられている[68]

スープ

アンダルシア発祥の冷製スープガスパチョ(Gazpacho)のほか[67]、ニンニクのスープであるソパ・デ・アホ(Sopa de ajo)、魚介類のスープであるソパ・デ・マリスコス(Sopa de mariscos)が挙げられる。ポタージュコンソメも飲まれている

菓子、チーズ

スペインの菓子は、製菓の歴史において大きな役割を果たした[73]。伝統的な菓子の製法には素朴な点に特徴があり[74]、調理法は信仰心やノスタルジーの表現にも例えられている[29]。イスラム教徒によって伝わった砂糖やアーモンドが修道院を通して各地に普及し[74]、多くの修道院では中世イスラーム文化の影響を受けた伝統的な菓子が作られている[75]。スペイン生まれの焼き菓子ビスコッチョ(Bizcocho)は、スポンジケーキの原型になったと言われている[76]

クリスマスにはトゥロン(ヌガー、Turron)、マサパン、ポルボローネス(Polvorones)が食卓に並ぶ。

スペインでは様々な種類のチーズが作られており、ヤギ、ヒツジ、ウシのミルクが材料に使われている[77]。スペイン料理ではチーズは食材として使われることよりも、酒肴やデザートとしてチーズ自体の味を楽しむことが多い[78]カスティーリャ・ラ・マンチャ州のケソ・マンチャゴ(Queso manchego)などがスペイン産のチーズとして知られている。

飲料

オルチャータ

スペインでは一般にコーヒーが飲まれており、以下のように種類を分けられる[79]。また、コーヒーにブランデーを入れて飲むこともある[53]

  • カフェ・ソロ - エスプレッソコーヒー
  • コルタード - ミルク入りコーヒー
  • カフェ・コン・レチェ - カフェ・オ・レ
  • カフェ・ラルゴ - カフェ・アメリカーノ(Café americano)とも。量が多く薄いアメリカーノ
  • カフェ・コン・イエロ - 熱いコーヒーに砂糖を溶かし、氷入りのグラスに注いで作る氷入りコーヒー

新大陸からもたらされたカカオは、スペインを窓口としてヨーロッパ各地に伝播した[80]1526年エルナン・コルテスがスペイン王カルロス1世にカカオを献上し、以来スペインはカカオ豆の栽培から調理に至るプロセスを独占し、約1世紀の間チョコレートはスペイン内でのみ流通していた[81]。17世紀に入って、チョコレートはスペイン宮廷を通してイタリア、フランスに広まっていく[82]。朝食時には濃厚なホット・チョコレートが飲まれ、チューロやポーラを浸して食べる。子供の間では薄めのインスタントココアであるコラカオの人気が高い[83]

水に浸したショクヨウガヤツリ(チューファ、chufa)の地下茎をすり潰したものに、砂糖と冷水を加えたオルチャータ(Horchata、Orchata)は、スペインの夏の風物詩である[74]シャーベット状のグラニサード(Granizado)も人気がある。

酒類

サングリア

スペインでは酒は料理と一緒に飲むものであり、食事や会話をより楽しむために供される[84]。早朝のカフェではエスプレッソコーヒーコニャックやアニス酒を加えたカラヒージョ(Carajillo)がしばしば飲まれ、昼食時にはビールが出されることもある[84]

スペインは世界有数のワインの産地として知られており、良質のワインを安価で購入できる[62]リオハで生産されるSiglo、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラのヘレス(シェリー酒)、ペネデスのCodorniu Cuvie Raventos、ナバーラのBeamonteなど、各地で多数のワインが作られている。中でもリオハのワインは、フランスボルドーワインと並んで高い評価を受けている[62]。ガリシアでは、地元の海産物と相性のいい白ワインが多く生産されている。

イベリア半島で生産されるワインはローマ帝国時代には高い評価を受けており[85]、イスラム教徒の支配下でもワインは飲まれ続けられた[22]。1860年代にフィロキセラ禍を避けたボルドーのワイン業者がリオハに移り、リオハでボルドーワインに近い芳醇な風味のワインが造られるようになった[86]

近代までのスペインワインの評価は一部を除いて高いとは言えなかったが、20世紀末から脚光を浴びる[87]。改良を重ねられたカタルーニャのプリオラト種、従前はバルクワインの素材としか見られていなかったムルシアのモナストレル、バレンシアのボバルなどが高級ワインの素材として注目されている[88]。スペイン国内のワインの年間消費量は減少したものの、高級志向が高まりつつある[89]

かつてのスペインで手に入る大衆的なワインは酸味が強く、水割り、あるいは蜂蜜を入れて酸味を和らげる必要があった[90]。大衆食堂ではカセーラ(少し甘みのある炭酸水)でワインを割って飲むことが一般的になっている[91]。ワインをジュースで割り果物を浮かべたサングリア(Sangría)はスペイン独特の飲料として知られている。若者の間ではテーブルワインを多量の炭酸水で割ったティント・デ・ベラーノ(Tinto de verano)は、アルコール度数が低い飲み物として若者や女性からの人気が高い[92]

スペインでは地元の人間が飲む地ビールが多く造られているが、地域性は徐々に薄れつつある[93]。エストレージャ・ガリシアを除いたスペインの大手ビールメーカーのほとんどは外国資本の傘下に入っている[94]

アストゥリアスやバスクでは、少量ながらシドラ(リンゴ酒)が作られている[95]。18世紀から19世紀にかけてイギリスの統治下に置かれたメノルカ島ではジンの生産が始められ、スペイン領に戻った後もジンの製造が続けられている[96]

地方の料理

マドリード

マドリード風コシード

マドリードの代表的な料理に、鶏肉、生ハム、チョリソー、ベーコンなどの肉類を豆や野菜と一緒に煮込んだコシード(Cocido)がある[97]。マドリード風のコシード(Cocido madrileño)は煮込んだ具材とスープを3つの皿に分け、煮汁にヌードルを入れたスープ、野菜、肉のコース料理として供する[98]。昼食のメインディッシュにはサケマスタラなどの魚料理が出されることが多い[99]。クリスマスの時期には、タイが食卓にのぼることもある[99]

牛などの胃を煮込んだカジョス(Callos)、豚の皮を油で揚げたコルテーサ(Corteza)も、マドリード独特の料理である[100]

カスティーリャ・イ・レオン

冬の厳しい寒さに対抗するためのシチュー、コシードが料理の中心となっている[58][101]。子豚や子羊などの肉を使ったロースト料理もよく作られ、子豚のローストであるコチニーリョ・アサド(Cochinillo asado)はセゴビアの名物となっている[2][58]。セゴビアの名物であるこのローストは、作家アーネスト・ヘミングウェイに好まれた[102]

カスティーリャ・イ・レオンの料理には豆が欠かせず、豆の入ったスープやシチューが好まれる>[103]

カスティーリャ・ラ・マンチャ

アルモラタを使ったガチャス

ラ・マンチャの料理はレオンとの共通点が多いが、貧しい農民の料理をより色濃く受け継いでいる点が異なる[104]。窮乏した生活の中から。ミガスのほか、アルモラタ(エンドウマメの一種、Almorta)の粉を溶いて焼いたガチャス(Gachas)のような料理が生まれた[105]。また、野生の動物が多いため、ジビエマスを使った料理も多い[2]。野菜の煮込みであるピスト・マンチェゴ(Pisto manchego)は、肉のローストの付け合せとして供される[106]

この地方ではニンニクが好まれており、ニンニクと食べ残しのパンを炒めて煮たスープが飲まれている。ラ・マンチャのソパ・デ・アホには、ピメントの代わりにサフランが使われている[107]

ヤギの乳で作るプリンが、ラ・マンチャの代表的なデザートとして知られる[108]。シナモン風味のスポンジケーキに、大量のマラガ酒を加えたシロップを浸み込ませたビスコーチョ・ボラーチョ(酔っ払いのケーキ、Bizcocho borracho)はグアダラハラ名物として有名[29]

テーブルワインの生産地でもある[107]

エストレマドゥーラ

エストレマドゥーラは修道院で発達した高級料理と、庶民の料理の双方が発達しており、対照的な2つの料理は観光産業の目玉の一つとなっている[109]

エストレマドゥーラは「豚の国」と言われ、豚の好物であるドングリを実らせるカシの林が繁る[110]。エストレマドゥーラの豚は品質が高いことで知られ、モンタンチェスのハモンはアンダルシア州のハブーゴのハモンと並ぶ逸品として評価されている[110]。チャンファイナ(Chanfaina)は豚の肝臓、腎臓、心臓、脳を煮込んだ、豚の全てを活用する農民の臓物料理である。

この地ではチョリソが多く作られており、チョリソの中身となる豚肉のこま切れと香辛料、ハーブを長時間かけて煮込んだラ・プルエバ(「試食」の意。中身を腸に詰めて燻製にする前に試食する)も好まれている。「ラ・プルエバを食べ過ぎて気分が悪くなったら、来年のプルエバの季節まで治らない」という諺がある[111]

農民の料理に対する高級料理としては、ヤマウズラを野菜と共にポートワインで煮込んだアルカンタラ風ヤマウズラが挙げられる[112]

内陸地であるエストレマドゥーラでは、テンカ(Tenca)と呼ばれるコイ科の魚がよく食べられている[113]

ガリシア

ポルボ・ア・フェイラとパン、ワイン

ガリシアでは、食材を生かしたシンプルな調理法の料理がよく食べられている[114]リアス式海岸で獲れた新鮮な魚介類が料理に使われており[2][115]、中でもぶつ切りにしたタコにパプリカ、塩をまぶしてオリーブオイルをかけたポルボ・ア・フェイラ(Polbo á feira)は代表的なガリシア料理として知られている[116]。タコと並んでホタテガイを使った料理もガリシアの名物として知られている[117]

ルーゴ県オウレンセ県の内陸部の地域では肉を使った料理が多く、豚の肩肉の塩漬けがよく使われる点に特徴がある[118]。豚肉、ジャガイモ、カブの葉、白インゲン豆を煮込んだガリシア風スープ(Caldo gallego)、豚の肩肉とカブの葉の煮込み(Lacón con grelos)のような山の幸を生かした料理も食べられている。内陸部では畜産と酪農が盛んであり、ケイショ・デ・テティージャ(Queixo de Tetilla)などの牛乳を使ったチーズが作られている[119]

また、リアス・バイシャス地域ではアルバリーニョ種のブドウを原料とした白ワインが多く作られている。サンティアゴ巡礼でガリシアを訪れたドイツの修道士によってもたらされたリースリング種の苗木が、ガリシアでの白ワイン醸造の起源とも言われる[120]コマルカ・ド・リベイロではローマ帝国時代からワインが造られており、16世紀にはすでに国外でも品質を高く評価されていた[121]。ガリシアの代表的ビールであるエストレージャ・ガリシア(Estrella Galicia)は、スペイン各地に流通している[122]

アストゥリアス

ファバダ

厳しい冬の寒さに対抗できる濃厚な豆料理のファバダ(Fabada)が知られる[2]。ファバダなどの付け合せとしてトウモロコシで作られたパンが食されるが[123]、トウモロコシのパンはスペインの他の地域では見られない[117]

港ではメルルーサ、カレイなどの魚が獲れ、ウニは塩漬けに、あるいはパンに塗るパテにして食される[124]。カルデレタ(Caldereta)は、南フランスのブイヤベースに似た魚介類のスープである[38]

リンゴを利用してシドラやリンゴ酢、さらにはシドラを蒸留したオランダ・デ・シドラというアルコール度数の高い酒が造られている[124]

アストゥリアスでは谷ごとに異なる種類のチーズが作られていると言われ[77]、洞窟で作るチーズのカブラレスはヤギやヒツジのミルクに牛のミルクが混ぜられている[62]

カンタブリア

カンタブリアの州都サンタンデールの郊外には19世紀にスペイン王室の離宮が置かれ、そのために美食文化とレストランが発達した[125]

カンタブリアではイワシが好まれ、パン粉やパセリをまぶしてオーブンで焼く調理法はサンタンデール風と呼ばれる[125]アンチョビは塩漬けに加工されるほか、フライやパイの具として、時にはスペインでは珍しく生のまま食べられる[125]。マダイのオーブン焼きはカンタブリアからカスティーリャ地方に広まったと思われ、マドリードなどの都市ではクリスマスの料理として食べられている[126]。11月30日のサン・アンドレス祭では、昼食にカタツムリとアンコウが食べられている[127]

山間部の地域では、ヒヨコマメ、肉、野菜を使ったリエバナ風煮込みなどの煮込み料理が好まれる[126]

バスク

串で食材をパンに留めた伝統的なピンチョス

バスクの料理は、スペイン各地の郷土料理の中で最も美味な料理としてよく挙げられる[128]。バスクからはヌエバ・コシーナ(新しいスペイン料理)を牽引する料理人たちが現れ、彼らの後に続こうとする若い料理人も多い[129]。こうしたバスク料理の発展の基盤には、男性だけが入会できる料理クラブの存在がある[130]

バスクではタラやメルルーサなどの新鮮な魚介類を使用した料理、肉や野菜を使った料理が食べられている。味付けは塩が中心であり、スパイスはあまり使われない[131]。油はオリーブオイルのほかにひまわり油が使われる。

バスク地方が発祥の料理としては、ウナギの稚魚のニンニク炒め、イカの墨煮などが挙げられる[2]。 メルルーサの喉肉から取ったゼラチン質ココチャは、バスクの珍味である[65]。バスクで食べられている軽食ピンチョ(ピンチョス)は、スペイン各地に普及している[55]

アラバ県のエリオシャは、フランス領バスクバス=ナヴァール(ナファロア)と並ぶワインの産地として有名である[132]ギプスコア県ビスカヤ県沿岸部では、チャコリ(Txakolina)という微発泡ワインが醸造されている。チャコリは元々農民の自家用酒だったが、バスクの名産品として知名度を上げた[132]。リンゴ酒も造られており、バスク語ではシャガルド(Sagardo)と呼ばれている[133]

カタルーニャ

サルスエラ
カルソッツ

カタルーニャの料理は豊富な海産物と農産物が組み合わされ、季節によって料理の差異が大きく、地域ごとの料理の差異は小さい点に特徴がある[134]。倹約の精神から他の地域では使われない食材を使い、時には奇抜な食材の組み合わせがされる[134]。スペインのほかの地域では常食されていないRovelloという大ぶりのキノコは、秋のカタルーニャの名物である[135]。カタルーニャのサラダであるサトカタルーニャ語版(Xató)のドレッシングには、スペイン料理には珍しく、香辛料が使われている[136]

カタルーニャ名物のロメスク(トウガラシ入りアーモンドソース、Romesco)はアリオリソースと一緒に供され、各自がそれぞれの好みに合わせて2つのソースを混ぜ合わせる[137]

ナスとパプリカなどを焼いたサラダであるアスカリバーダは季節を通して作られており、焼き立ての熱いまま、あるいは冷やした状態で食べられる[138]。バカラオの裂き身と刻んだゆで卵、タマネギ、黒オリーブなどを和えたサラダのアスケシャーダ(Esqueixada)も人気があり[138]、「バルセロナでアスケシャーダを食べたらピカソガウディダリも見なくていい」とまで言われている[65]。炭火で焼いたネギであるカルソッツ(Calçots)は、秋のカタルーニャの名物となっている。

カタルーニャの魚介類の料理には、サルスエラ(Sarsuela)が挙げられる。コスタ・ブラバの名物料理スケ(Suquet)は「漁師の鍋」とも呼ばれ、多くの魚介類を煮込み、生ハムや香辛料で風味が加えられている[139]。パンの切り口にトマトを塗ったパン・コン・トマテ(Pan con tomate)は素朴ながらもカタルーニャ人に好まれている。腕輪の形をした郷土菓子ロスキージャ(Rosquilla)は、ヨーロッパ全土で食べられている。

バレンシア

アルテアのパエリア

バレンシアの料理はカタルーニャの強い影響を受けながらも、独自性を守っている[140]。アンダルシア地方と同じくイスラム教国の支配下に置かれていた期間が長かったため、料理にもアラブ文化の影響が表れている[2]

アリカンテ名物のトゥロンには、アラブの菓子の影響が見られる[141]

米の産地であるバレンシアではインディカ米を使った料理や菓子が多く[38]、米料理を中心としたバランスの取れた献立が組み立てられる[11]。1960年代の観光産業の振興に際して様々な米料理が考案され、パエリア(パエジャ、Paella)のバリエーションが生み出された[142]。パエリアはスペイン料理を代表する料理の1つとして知られており、地方や家庭ごとに異なるレシピが存在する[143]。パエリアの具材は魚介類、鶏肉、ウサギ肉、カタツムリなど様々であり、野菜だけで作られるものもある。伝統的なパエリアの具材は、カタツムリ、ウサギ肉、鶏肉、モロッコインゲンなどが使われる[140]。パエリアは中南米やフィリピンのかつてのスペインの植民地にも伝わり、名前や調理法が変化した後も、米料理の1つとして現地で食べられている[144]

バレンシアのサルスエラにはカタルーニャのものと異なり、貝類が入っていない[145]

ムルシア

ミチロネス

ムルシアは米と野菜の栽培が盛んな地域であり[146]、米料理との相性がいい料理が多い[147]。トマトと焼きトウガラシの組み合わせは、ムルシア料理において多く見られる[148]。バレンシアのパエリアはムルシアでも食されるが、肉のみのパエリア、魚介類のパエリア、イスラム教で禁忌とされる肉と魚介類を混ぜ合わせたパエリアなど、イスラム教徒の料理であるパエリアはムルシアで独自の変化を遂げた[149]

ソラマメはミチロネス(乾燥ソラマメを使った煮物、Michirones)やトルティージャの具などにされるほか、バルではさやが付いたままの熟していない生のソラマメが酒肴として供される[146]。海で獲れた魚は天日干しにされ、マグロの塩干しであるモハマ(Mojama)、カラスミなどの干物が作られる[150]

朝食に出されるココアは濃厚であり、アラブ文化の遺した影響として甘味が好まれている[148]。フランコ政権下で生まれたモルト・コーヒーは、コンデンスミルクを入れて飲まれ続けられている[151]

バレアレス諸島

エンサイマーダ

マヨルカ島では黒豚の飼育が盛んであり、肉には甘味がある[152]。自家製の太いソーセージであるソブラサーダ(Sobrasada)、ソブラサーダを使ったマヨルカ風卵焼き(Huevos a la mallorquina)が有名[153]。エンサイマーダ(Ensaimada)という渦巻形のパンには、ラードが使われている。野菜スープとパンを何層にも重ねたマヨルカ風スープ(Sopa mallorquina)は温冷どちらの状態でも飲まれている[153]。また、マヨルカはマヨネーズ発祥の地の一つとして考えられている[153]

メノルカ島はジン以外にチーズの生産地としても有名である[154]

また、バレアレス諸島ではウナギ入りのケーキ(パスティス・ドラ・デ・ペイス)が食べられている[29]

ナバラ

トゥルチャ・ア・ラ・ナバラ

ナバラは川魚料理で知られ[155]、山麓で獲れた獣の肉を生かした北部、ローストで有名な中部、美味な野菜が採れる南部と、州の中に3つの異なる食文化が存在する[156]

羊飼いの料理を起源とする名物のマス料理トゥルチャ・ア・ラ・ナバラ(Trucha a la navarra)は、カワマスの腹に薄切りのハモンを挟んで焼いた料理であり、欧米の高級レストランのメニューにも加えられている[157]。もう1つの羊飼い由来の料理に、羊の肉にレモン汁を加えた炒め煮コチフリート(Cochifrito)がある[155]パンプローナサン・フェルミン祭などではウサギ肉のパイが出される。

エブロ川流域ではトゥデラを中心として野菜の栽培がおこなわれており、アスパラガスが特産品として知られている[158]

ピレネー山脈のロンカル渓谷では、渓谷に自生するハーブを使ったヤギのミルクのチーズが作られている[62]

ラ・リオハ

ラ・リオハは世界的に知られたワインの産地であり、赤ワインと相性のいい肉料理や豆料理が作られる[159]。この地域では料理にサルサ・ベルデ、チリンドロンなどのソースが添えられる[160]。また、ラ・リオハは食用のカタツムリの飼育が盛んである[161]

アラゴン

アラゴンの料理はイスラームの伝統を受け継いだ菓子と農民の間で培われた日常料理から成り立つ[162]。肉は豚肉とその加工品が中心であり、魚料理の食材は川魚が多く、タニシカタツムリ、食用のカエルが食材にされることもある[162]

残り物のパンを利用した牧人の料理ミガスは、ソーセージやトマトなどと一緒に煮込んだ豪華なミガスに、あるいはミルクや砂糖を入れてデザートにしたミガスに派生した[163]

アラゴンの州都サラゴサは、チリンドロンソースで知られる。

アンダルシア、アフリカの飛び地

ペスカイート・フリート
ハモン・イベリコ

アンダルシア州セビリアコルドバグラナダなどの都市はかつてイスラム教徒の支配下で繁栄し、中世には多くのユダヤ人が生活を営んでいた[164]。そのため、キリスト教、イスラーム、ユダヤ3つの宗教がアンダルシアの食文化の根底にある[165]

アンダルシアの料理はあっさりした味付けに特徴がある[166]。揚げ物料理が特色として挙げられ[167]、地元で獲れた海産物の揚げ物ペスカイート・フリート(Pescaito frito)は皿に大盛りにして出される。他にはロブスター生ガキ、焼いた川ガニなどが食べられている。アンダルシア地方はオリーブオイルの産地として有名であり、ハエンバエサでは良質のオリーブが収穫される[168]。オリーブオイルと小麦粉を使った料理として、ミガス・デ・アリーナがある。色鮮やかな食材と卵をオーブンで焼いたフラメンカ・エッグ(Huevos a la flamenca)、羊の睾丸と脳を使ったジプシー料理サクロモンテ風トルティージャ(Tortilla al Sacromonte)が、アンダルシアの代表的な卵料理として知られる[169]

冷製スープガスパチョ(Gazpacho)は、地域によって異なるアレンジが加えられている[170][171]。16世紀にセルバンテスによって書かれた小説『ドン・キホーテ』にもガスパチョの名前は登場するが、よく知られている冷製のトマトスープとは別物であると考えられており、どのような食べ物なのか諸説分かれている[172]

山間部の町では豚肉の加工品が多く売られ、ウエルバ県ハブーゴのハモン・イベリコグラナダ県トレベレスのハモン・セラーノは最高級の生ハムとされている[171]ウズラの肉はセビリアの名物として知られている[173]

アンダルシア地方ではオリエント風の菓子が好まれ、カトリックの修道院にはイスラームの伝統を受け継いだ製法が残る[174]。代表的な菓子にはオリーブオイル、ゴマ、アニス酒で作るトルタス・デ・アセイテ、コルタドス・レジェノス・デ・シドゥラ(長方形のパンプキンパイ)、サン・レアンドロ修道院のイェマス・デ・サン・レアンドロ(鶏卵素麺)などが挙げられる。

アンダルシアはヘレス(シェリー酒)で有名であり、ブランデーの産地でもある。仔牛の腎臓をヘレスで煮込んだリニョネス・アル・ヘレススペイン語版(Riñones al Jerez)が有名。

アフリカ大陸に存在するセウタメリリャなどの飛び地は、多くの入植者の出身地であるアンダルシアの食文化を継承している[175]。周囲を取り囲むモロッコ食文化の影響を受けており、ケバブと類似したピンチョ・モルノ(Pincho moruno)、クスクス、野菜を細かく刻んだモロッコ風サラダが食べられている[176]。煮込み料理には、モロッコ料理特有の調理器具であるタジン鍋が使われる[177]

カナリア諸島

パパ・アルガーと緑のモホソース

カナリア諸島の料理には、先住民族であるグアンチェ族の食文化の影響が残る[178]。また、スペインと新大陸の中継地点となっている立地のため、トウモロコシ、ジャガイモ、トマトなどの新大陸起源の食材が早い段階から料理に使われていた[178]

塩茹でにしたジャガイモを自然乾燥させたパパ・アルガー(パパス・アルガダス、Papas arrugadas)、穀類の粉であるゴフィオ(Gofio)がカナリア諸島の伝統的な料理、食材として挙げられる[179]。パパ・アルガーや魚料理には、モホというソースが添えられる。

料理の一品

スープ

豚肉

肉料理

有名な料理

シーフード

野菜

デザート

お菓子

飲み物

新しい料理

脚注

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  163. ^ 立石『スペイン』、169-170頁
  164. ^ 立石『スペイン』、194頁
  165. ^ 立石『スペイン』、194-195頁
  166. ^ フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、46頁
  167. ^ 立石『スペイン』、195頁
  168. ^ 坂東『現代スペインを知るための60章』、170頁
  169. ^ 『世界の食べもの』合本3巻、158頁
  170. ^ フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、47頁
  171. ^ a b 立石、塩見『アンダルシアを知るための53章』、115頁
  172. ^ 立石『スペイン』、89頁
  173. ^ 荻内「料理と酒」『スペイン』、293頁
  174. ^ フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』、50頁
  175. ^ 立石『スペイン』、201頁
  176. ^ 立石『スペイン』、201-202頁
  177. ^ 立石『スペイン』、202頁
  178. ^ a b 立石『スペイン』、203頁
  179. ^ 立石『スペイン』、204頁

参考文献

  • 市川秋子「人生はいかにすれば謳歌できるか」『スペイン』収録(碇順治編, ヨーロッパ読本, 河出書房新社, 2008年6月)
  • 荻内勝之「料理と酒」『スペイン』収録(増田義郎監修, 読んで旅する世界の歴史と文化, 新潮社, 1992年2月)
  • 立石博高『スペイン』(世界の食文化, 農山漁村文化協会, 2007年3月)
  • 立石博高、塩見千加子編『アンダルシアを知るための53章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2012年11月)
  • 21世紀研究会編『食の世界地図』(文春新書, 文藝春秋, 2004年5月)
  • 萩尾生、吉田浩美編著『現代バスクを知るための50章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2012年5月)
  • 坂東省次、桑原真夫、浅香武和編著『スペインのガリシアを知るための50章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2011年3月)
  • 坂東省次編著『現代スペインを知るための60章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2013年3月)
  • 東谷岩人編著『スペイン入門』(三省堂選書, 三省堂, 1992年4月)
  • 横田佐知子「スペイン料理」『スペイン・ポルトガルを知る事典』収録(平凡社, 2001年10月, 新訂増補)
  • 吉田菊次郎『西洋菓子 世界のあゆみ』(朝文社, 2013年2月)
  • ピーター.S.フィーブルマン『スペイン/ポルトガル料理』(タイムライフブックス, 1974年)
  • マグロンヌ・トゥーサン=サマ『お菓子の歴史』(吉田春美訳, 河出書房新社, 2005年10月)
  • 『世界の食べもの』合本3巻(週刊朝日百科, 朝日新聞社, 1980年 - 1983年)

関連項目

外部リンク