早川紀代秀

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オウム真理教徒
早川紀代秀
誕生 (1949-07-11) 1949年7月11日(74歳)
兵庫県
ホーリーネーム ティローパ
ステージ 正悟師
教団での役職 建設省大臣
入信 1986年
関係した事件 男性信者殺害事件
坂本堤弁護士一家殺害事件
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早川 紀代秀(はやかわ きよひで、1949年7月14日 - )は、兵庫県出身の元オウム真理教幹部。ホーリーネームはティローパ。教団内でのステージは正悟師で、省庁制が採用された後は建設省の大臣だった。

人物

神戸大学農学部でバイオを学び、大阪府立大学大学院では緑地計画工学を専攻。修士論文は「ユートピア都市論」であった。修了後、大手建設会社に勤務。公金横領が発覚しクビになる。

1986年阿含宗を退会し、オウム神仙の会に入会。青年層が多いオウム幹部の中にあって数少ない中年であり、教祖の麻原よりも年上である。信者からは「オヤジ」と呼ばれていたこと、教団の陰の実力者であり麻原を叱責した事実があることなどがワイドショーで語られた。

熊本県波野村の事件で逮捕、保釈されている。1995年4月19日に、拳銃を別の車に移し変えようとしたところを不法侵入罪で逮捕。教団が初期に起こした殺人事件など計7事件で起訴され、一審、二審ともに死刑判決。上告中。

ヘリコプターによるサリン散布計画(11月戦争計画)の根拠として、早川ノート、早川メモ([1][2])というものが一時期話題になったが、本人によれば実は岐部ノート([3])であるとされる。

関連事件

著作

  • 「市民ユートピアの原理」
  • 「私にとってオウムとは何だったのか」(川村邦光との共著)