摩多羅神

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牛祭の摩多羅神(都年中行事画帖 1928年)

摩多羅神(またらじん、あるいは摩怛利神:またりしん)は、天台宗、特に玄旨帰命壇における本尊で、阿弥陀経および念仏守護神ともされる。常行三昧堂常行堂)の「後戸の神」として知られる[1]

概要[編集]

『渓嵐拾葉集』第39「常行堂摩多羅神の事」では、天台宗円仁が中国()で五台山の引声念仏を相伝し、帰国する際に船中で虚空から摩多羅神の声が聞こえて感得、比叡山に常行堂を建立して勧請し、常行三昧を始修して阿弥陀信仰を始めたと記されている[2]

しかし摩多羅神の祭祀は、平安時代末から鎌倉時代における天台の恵檀二流によるもので、特に檀那流の玄旨帰命壇の成立時と同時期と考えられる。

この神は、丁禮多(ていれいた)・爾子多(にした)のニ童子と共に三尊からなり、これは三毒煩悩の象徴とされ、衆生の煩悩身がそのまま本覚法身の妙体であることを示しているという。

江戸時代までは、天台宗における灌頂の際に祀られていた。民間信仰においては、大黒天マハーカーラ)などと習合し、福徳神とされることもある。更に荼枳尼天を制御するものとして病気治療・延命の祈祷としての「能延六月法」に関連付けられることもあった[3]。また一説には、広隆寺の牛祭の祭神は、源信僧都が念仏の守護神としてこの神を勧請して祀ったとされ、東寺の夜叉神もこの摩多羅神であるともいわれる。

服部幸雄は、宿神である秦河勝の実体は摩多羅神であるという論を展開し、摩多羅神と秦河勝は同一視できるとした[4]

形象[編集]

一般的にこの神の形象は、主神は頭に唐制の頭巾を被り、服は和風の狩衣姿、左手に、右手でこれを打つ姿として描かれる。また左右の丁禮多・爾子多のニ童子は、頭に風折烏帽子、右手に、左手に茗荷を持って舞う姿をしている。また中尊の両脇にも竹と茗荷があり、頂上には雲があり、その中に北斗七星が描かれる。これを摩多羅神の曼陀羅という。

なお、大黒天と習合し大黒天を本尊とすることもある。

祭礼[編集]

この神の祭礼としては、京都太秦広隆寺牛祭が知られる。

脚注[編集]

  1. ^ 「此の神、密部諸経儀軌に云ふ阿弥陀教令輪身にして常行三昧の時の守護神たり。故に台徒尊ひあへり」『塩尻
  2. ^ 天台神道(下)」『神道体系 91』 [要ページ番号]
  3. ^ 異神 中世日本の秘教的世界[要ページ番号]
  4. ^ 服部幸雄『宿神論―日本芸能民信仰の研究』(岩波書店、2009年)p.47,58 ISBN 978-4-000-23459-7

参考文献[編集]

関連項目[編集]