陳偉殷
ボルチモア・オリオールズ #16 | |
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基本情報 | |
国籍 | 台湾 |
出身地 | 高雄県(現:高雄市) |
生年月日 | 1985年7月21日(38歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2004年 |
初出場 | NPB / 2005年4月3日 |
年俸 | $3,155,333(2012年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | 台湾 |
五輪 | 2004年、2008年 |
この表について
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陳 偉殷(チェン・ウェイン、1985年7月21日 - )は、ボルチモア・オリオールズに所属するプロ野球選手(投手)。台湾出身。
経歴
高校時代に公式戦で22奪三振を記録する。プロ入りに際してはMLB球団を含む8球団からオファーを受けていたが、中日ドラゴンズのアジア地区担当スカウトであった大豊泰昭が交渉にあたり、国立体育学院学生の身分のまま中日に入団した。
中日時代
2004年は、一軍昇格するが登板せず。アテネ五輪で台湾代表に選出。2005年にプロ初セーブを記録。母国での兵役期間が短縮され、オフに2週間の兵役を完了。しかし2006年秋に左ひじの疲労骨折が判明し、翌2007年はそのリハビリも兼ね育成選手として契約。
2008年には骨折が完治し、再び支配下選手として契約。登録名を本名から「チェン」に変更した。4月2日の対読売ジャイアンツ戦で山本昌が負傷降板した後の急な登板であったものの来日初勝利。ヒーローインタビューでは「(一番に)大豊さんに伝えたい」と答えた。その後はチーム事情から中継ぎでの登板が多かったが、7月16日の対巨人戦で先発での初勝利を挙げている。なお、北京オリンピックの台湾代表として日本国内球団所属選手から唯一代表に選出された。9月22日の対東京ヤクルトスワローズ戦で4安打に抑え、プロ初の完投・完封を記録。
2009年は速球のキレが冴え、ストレートの被打率は藤川球児(阪神)を抑え球界トップの.183をマークした。開幕3戦目の4月5日の対横浜ベイスターズ戦で今季初先発し、6回3安打無失点で初勝利を挙げた。8月の月間成績は4試合33イニングで1完封を含む3勝0敗、防御率0.82、WHIP0.79の活躍で自身初の月間MVPを受賞。この年の月間防御率は最も悪かった9・10月でさえ2.15であり、年間通じて安定感を維持した。クオリティ・スタート(6回3失点以内)を19回記録したが、そのうち11回で勝ち星がつかないなど打線の援護に恵まれず、6月の故障離脱もあり8勝に終わった。二桁勝利には届かなかったものの、シーズンを通して抜群の安定感を誇り、防御率1.54と2位以下に大差をつける驚異的な数値で最優秀防御率のタイトル(セ・リーグ歴代10位)を獲得した[2]。また、シーズン通算4完封は吉見一起・涌井秀章と並び両リーグ最多であった。
クライマックスシリーズ第1ステージ(対ヤクルト)第1戦、第2ステージ(対巨人)第2戦に先発するも敗戦投手となり、中日のクライマックスシリーズ先発投手の中では唯一勝ち星が付かなかった。オフには6年間交際をしていた台湾人女性と結婚し[3]、また、自身がメジャーリーグを志望している事を公言し[4]、オクタゴン・ワールドワイドと代理人契約を結んだ[5]。
2010年は開幕2戦目に先発して完封勝利を挙げる。その後も安定した投球を続け、7月には4勝0敗、防御率2.25、WHIP1.11で月間MVPを受賞。9月には2勝1敗、防御率0.69、WHIP1.04の好投でチームのリーグ優勝に貢献。最終的にはチームトップの13勝10敗、防御率2.87、WHIP1.14を記録した。日本シリーズでは2試合に登板。計2失点で1勝する。
2011年のキャンプでは臨時コーチとして訪問した杉下茂からフォークボールを学んだが、左足の故障で開幕を出遅れる。5月に復帰し防御率、WHIP共に前年より良化させたが、6月には月間防御率3.29、WHIP1.10ながら4試合の登板で1点しか援護が得られず4連敗を喫するなど打線の援護に恵まれないことも多く、防御率とWHIPは前年より良化したものの、8勝10敗と負け越した。オフに自身のメジャー挑戦の意思が尊重され自由契約となる。
メジャーリーグ時代
2012年1月10日、ボルチモア・オリオールズと契約を結んだ[6]。3年総額1200万ドル、4年目の2015年には球団が契約選択権を持つオプション付き[7]。
プレースタイル
中日入団当初は長嶋茂雄から中日往年の左腕エースの今中慎二を比較対象として挙げられた[8]。
右肩が最後まで開かず球の出所が見えにくい腕の振りから[9]最速154km/hのストレート、速く小さい変化と大きな変化の2種類のスライダー、フォーク、ツーシーム(シュート)、カーブを投げ分ける[10]。ストレートは左投手では両リーグトップの平均球速約145km/hを誇り[11]、2009年には被打率でも両リーグトップの.183をマークし[12]、コース別でも被打率3割以上を記録することがなく、真ん中でも被打率.275を誇った[13]。
登録上は左打ちであるが、実際にはスイッチヒッターであり、2005年は登録上も両打ちだった。一時期、投げるほうの左肩を守るという理由で右打席だけに立っていたこともあった。
人物
このプロ野球選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。(2011年11月) |
同い年で同期入団でもある堂上剛裕、中川裕貴(現マネージャー)と仲がよい。堂上照元寮長曰く「あんなにすごいピッチングするけど、中川たちとゲームやっているときは普通の高卒の選手と一緒の顔するよな」とのこと。また吉見一起とは兄弟のように仲がよい(吉見が兄でチェンが弟)[14]。
元読売ジャイアンツの姜建銘とは同い年で台湾時代からのライバル。
2009年にはアンダーシャツの首部分には自身の名と、中華民国国章の「青天白日」を組み合わせたマークが使われていた。現在でもグラブには「青天白日」の刺繍を入れている。
現在ではインタビューも日本語で受け答えできるほど日本語が上達している。良き相談相手の台湾出身で元中日の投手、郭源治のすすめもあり、来日当初から専属通訳が付かなかったので必死で日本語を覚えたとのこと。また、外国人選手にしては珍しく日本プロ野球選手会に所属している。
国立体育学院やアテネ五輪代表時に付けていた背番号「54」は、中国語(台湾華語)での発音が「5」=「我」、「4」=「死」となるため「不吉な番号」として他選手はつけることを嫌っていたが、あえてこの番号を選んで付けていたという。
2011年秋にJRAの馬主資格を取得していたことが分かった。[15]
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2005 | 中日 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | ---- | 92 | 19.1 | 29 | 3 | 6 | 0 | 0 | 20 | 2 | 0 | 17 | 13 | 6.05 | 1.81 |
2008 | 39 | 14 | 1 | 1 | 0 | 7 | 6 | 0 | 12 | .538 | 474 | 114.2 | 101 | 7 | 33 | 0 | 5 | 107 | 5 | 0 | 40 | 37 | 2.90 | 1.17 | |
2009 | 24 | 23 | 5 | 4 | 2 | 8 | 4 | 0 | 0 | .667 | 644 | 164.0 | 113 | 10 | 40 | 0 | 3 | 146 | 2 | 0 | 32 | 28 | 1.54 | 0.93 | |
2010 | 29 | 27 | 3 | 2 | 0 | 13 | 10 | 0 | 1 | .565 | 773 | 188.0 | 166 | 21 | 49 | 2 | 8 | 153 | 5 | 0 | 63 | 60 | 2.87 | 1.14 | |
2011 | 25 | 24 | 4 | 1 | 2 | 8 | 10 | 0 | 0 | .444 | 659 | 164.2 | 138 | 9 | 31 | 2 | 5 | 94 | 2 | 0 | 57 | 49 | 2.68 | 1.03 | |
通算:5年 | 127 | 89 | 13 | 8 | 4 | 36 | 30 | 1 | 14 | .545 | 2642 | 650.2 | 547 | 50 | 159 | 4 | 21 | 520 | 16 | 0 | 209 | 187 | 2.59 | 1.09 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最優秀防御率:1回(2009年)
表彰
- 月間MVP:1回(2009年8月)
記録
- NPB投手記録
- 初登板:2005年4月3日、対横浜ベイスターズ3回戦(ナゴヤドーム)、6回表に4番手で救援登板、2回5失点
- 初奪三振:同上、6回表に万永貴司から
- 初ホールド:2005年7月27日、対横浜ベイスターズ9回戦(山形県野球場)、4回裏1死に2番手で救援登板、3回2/3を無失点
- 初先発:2005年8月4日、対ヤクルトスワローズ14回戦(浜松球場)、3回2/3を4失点(自責点3)
- 初セーブ:2005年8月7日、対横浜ベイスターズ12回戦(横浜スタジアム)、11回裏に8番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初勝利:2008年4月2日、対読売ジャイアンツ2回戦(東京ドーム)、2回裏に2番手で救援登板、5回2/3を無失点
- 初先発勝利:2008年7月16日、対読売ジャイアンツ14回戦(札幌ドーム)、7回1失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2008年9月22日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(ナゴヤドーム)、4安打10奪三振
- 最多完封:2009年
- NPB打撃記録
- 初安打:2005年8月4日、対ヤクルトスワローズ14回戦(浜松球場)、3回裏に石川雅規から遊撃内野安打
- 初打点:2009年8月4日、対阪神タイガース12回戦(ナゴヤドーム)、8回裏にジェン・カイウンから二塁ゴロ野手選択の間に記録
- MLB投手記録
- 初登板:2012年4月11日、対ニューヨーク・ヤンキース戦(オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ)、5回2/3を投げて失点4、自責点2
- 初奪三振:同上、一回表にカーティス・グランダーソンから
- 初勝利:2012年4月18日、対シカゴ・ホワイトソックス戦(コミスキー・パーク)、5回1/3を投げて失点2
背番号
- 74 (2004年)
- 31 (2005年)
- 28 (2006年)
- 203 (2007年)
- 21 (2008年 - 2011年)
- 16 (2012年 - )
脚注
- ^ "Baltimore Orioles 2012 Player Salaries and Team Payroll," ESPN.com. 2012年4月29日閲覧。
- ^ 年度別成績 2009年 セントラル・リーグ
- ^ チェン、結婚していた 中日スポーツ 2010年2月10日付
- ^ チェン、来オフにポスティングも 中日スポーツ 2009年12月22日付
- ^ チェン代理人にアラン・ニーロ氏15日にも会談へ…中日 - スポーツ報知・2010年11月13日
- ^ “チェンと3年契約=米大リーグ・オリオールズ=ニューヨーク時事”. スポーツナビ (2012年1月11日). 2012年1月11日閲覧。
- ^ Taiwanese LHP Wei-yin Chen agrees with OriolesFOX SPORTS、2012年1月10日
- ^ 落合監督の注目株 チェン、先発・第6の男 - 中日スポーツ・2008年1月18日
- ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、248-249頁頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
- ^ 『週刊ベースボール』2010年24号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/14、35頁。
- ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁頁。ISBN 978-4-930942-98-2。
- ^ プロ野球 投手「球種リスト」『野球小僧』2010年6月号、白夜書房、雑誌18801-6、148頁。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、30頁頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
- ^ チェンVS吉見 中日スポーツ 2010年2月6日付
- ^ “中日スポーツ:竜卒業のチェンが馬主に 愛馬ミチャエルは土曜日デビュー:競馬・ボート(CHUNICHI Web)”. 中日スポーツ (2012年1月20日). 2012年1月20日閲覧。
関連項目
外部リンク
- NPB年度別成績
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube