小田急電鉄のダイヤ改正
小田急電鉄のダイヤ改正(おだきゅうでんてつのダイヤかいせい)では、小田急電鉄において実施のダイヤ改正と、輸送体系の変遷について述べる。
本項では、系列会社である箱根登山鉄道の鉄道線におけるダイヤ改正についても一部記述する。小田急ロマンスカーの運行の歴史についての詳細は当該項目を参照のこと。また、駅名が改称された駅については、基本的には当時の駅名で記述する。
ダイヤ改正の変遷
開業から終戦まで
1927年4月1日、新宿駅と小田原駅の間が一部単線で小田原線として開業し、37駅が開設された。列車種別は各駅停車と直通の2種類が設定された[1]。各駅停車は近郊区間にあたる新宿駅から稲田登戸駅までの間のみの運行であったのに対し、直通は新宿駅と稲田登戸駅の間では経堂駅にのみ停車をし、稲田登戸駅以西は各駅に停車した[1]。開業当時は直通が45分間隔、各駅停車は経堂駅までが5分間隔で、稲田登戸駅までは10分間隔となっていた[1]が、実際にはそれだけの需要はなく[1]、同年6月には直通が60分間隔、稲田登戸駅までは8分から15分間隔に減便されている[1]。
1927年10月15日、新宿駅と小田原駅の間の全線複線化が完成したことから、新たに急行が設定された[1]。当初は急行・直通とも60分間隔で、両者あわせて30分間隔であった[1]が、これもそこまでの需要がなく、翌年3月には急行は1日3往復に減便されている[1]。
1929年4月1日、大野信号所(現在の相模大野駅)と片瀬江ノ島駅の間に江ノ島線が開業した[2]。江ノ島線は直通が60分間隔での運行で[2]、このほかに不定期急行が1日3往復設定された[2]。
1935年6月1日、「週末温泉列車」と称する新宿駅と小田原駅を無停車で運行する列車の運行が開始され[2]、箱根方面への観光客輸送にも力を入れるようになるが、戦争の影響により1942年1月、運行を取りやめている[3]。
戦争の影響により、1944年11月の改正では急行も廃止され、各駅停車と直通のみの運行となり[3]、1945年6月には、直通も廃止され、全線各駅停車のみの運行となり、終戦を迎えた[3]。
なお、戦時中の1941年11月25日~1943年4月1日には神中鉄道(現在の相模鉄道)の海老名駅から本厚木駅までの直通運転が行われた[2]。
終戦から1960年まで
終戦後もしばらくは、全線各駅停車のみの運行だったが、1946年2月、1943年に中止された相模鉄道の海老名駅から本厚木駅までの直通運転が再開され[3]、1946年10月1日には新たに準急が設定された。運行開始当初の準急は、新宿駅、下北沢駅、経堂駅、成城学園前駅、稲田多摩川駅以西各駅に停車した[3]。 また、1948年9月には準急のうち豪徳寺駅以西が各駅停車となる区間準急(通称「桜準急」)が運行される[4]など、優等列車が順次設定された[3]。
そして、1948年10月16日には、新宿駅と小田原駅の間を無停車の特急が土休日限定ながら運行開始となり[3]、1949年10月1日には、特急の毎日運行と急行が復活した[5]。
1950年8月1日には、箱根登山鉄道小田原駅~箱根湯本駅間への小田急電車の乗り入れが開始された[5]ほか、1955年10月1日には新松田駅構内の連絡線を経由して日本国有鉄道御殿場線へ乗り入れる列車が設定され、小田急の車両は静岡県に新たに進出した[6]。この列車は、小田急線内では特急扱いであるが、国鉄線内では準急扱いとなったため、特別準急という種別となった[6]。
また、優等列車の停車駅にも変化が見られ、1949年10月の急行復活時、急行の停車駅は、新宿駅、下北沢駅、稲田多摩川駅、新原町田駅、本厚木駅、伊勢原駅、鶴巻駅、秦野駅~新松田駅の各駅、小田原駅であった[5]が、1951年4月1日には急行の相模大野駅停車開始[6]と準急の成城学園前駅以西の各駅、1955年3月25日には通勤急行の運転も開始され[6]、小田原線内では急行通過の稲田多摩川駅への停車と急行の走らない江ノ島線でも運転が行われた[6]。なお、江ノ島線では、1959年4月から急行の運転が開始された[6]。
1960年代 - 高密度通勤ダイヤの開始
1960年3月25日改正と同時に百合ヶ丘駅が小田原線西生田駅と柿生駅の間に開業した。この頃からラッシュ時の混雑が激しくなっていたため、1960年11月の改正では、朝ラッシュ時の各駅停車に2400形などの加減速性能の高い車両を集中的に運用することで高速化を図り[7]、従来の準急停車駅のうち和泉多摩川駅~喜多見駅間を通過する通勤準急の運行を開始することで、近郊区間の優等列車本数を倍増させる方策に出た[7]。
1963年11月には、新宿駅の改良工事が一部を残して完成し[7]、新宿駅の発着線が5線になったのを機に増発を実施している。この時に東北沢駅での朝ラッシュ時優等列車待避は行われなくなり、ピーク時1時間に30本の列車が運行される輸送力重視の平行ダイヤとなった[8]。
1964年11月5日改正では、急行の8両編成化が実施され、日中の急行のほとんどが相模大野駅で分割・併合を行なうようになった。各駅停車には収容力を増大した新型電車として2600形が投入されている[8]。通勤準急は準急に統合され、喜多見駅~和泉多摩川駅間は通過となった[8]。日中には当時の急行停車駅に経堂・成城学園前・登戸を追加した快速準急の運行が開始された[8]。この改正と同時に、江ノ島線急行の本鵠沼駅および鵠沼海岸駅の停車が開始されている。また、相模鉄道からの海老名駅~本厚木駅間直通運転は廃止となった[8]。
1966年6月1日改正からは特急「さがみ号」が向ヶ丘遊園駅と新松田駅にも停車するようになった[8]。
1966年11月7日改正と同時に湘南台駅が江ノ島線長後駅と六会駅間に開業した。急行の運転時間拡大による増発が図られ、江ノ島線の急行は毎時2本運転となった[9]。また、朝ラッシュ時の準急の8両編成化が実施された[9]。なお、この年には2600形6両編成に2200形2両を連結した8両編成の試運転が行なわれているが、実施は見送られている。
1967年11月改正ではさらに通勤時間帯の増発が行われ、朝ラッシュ時の急行・準急・各駅停車の本数が1:1:1となった[9]。この時、各駅停車は優等列車を経堂駅で2本まとめて待避するようになった。
1968年7月1日からは、御殿場線の電化により直通列車についても電車化され、愛称も「あさぎり」に統一されることになった[9]。これにともない、キハ5000形・5100形に代えて3000形SE車を5両編成に短縮改造した車両が登場した[9]。同年10月には国鉄で準急という種別が廃止され、全て急行へ格上げされたのに伴い、小田急線内での種別は連絡急行となった[9]。さらに11月には朝ラッシュ時の上りの通勤急行、準急の8両編成を各1本ずつ増発、通勤急行を下りにも運行。日中の快速準急を大型車の6両編成に変更。
1969年11月改正では、急行の大型8両編成化が実施された[9]。登場したばかりの5000形を2編成連結した以外に、4000形6両編成に1800形2両を連結した編成でも運行された。
1970年代 - 通勤輸送の増強に追われる時期
1971年4月19日改正では急行が成城学園前駅に停車を開始したことにより[9]、通勤急行が廃止される[9]とともに、朝ラッシュ時の各駅停車の優等列車待避駅が変更され、成城学園前駅・経堂駅で1本ずつ待避することになった。同年10月のダイヤ改正では、それまで新宿から松田までノンストップだった連絡急行「あさぎり」の町田停車が開始された[10]。これは、気動車時代と比較して3倍に増加した定員に対して利用者数が追いつかない状況となったため、乗車率の改善と同時に沿線利用者の利便を図ったものである[10]。
1972年3月14日改正では、朝ラッシュ時に限り準急が経堂駅を通過するように、夕ラッシュ時に限り急行が海老名駅に停車するようになった。快速準急は廃止され、準急に統合された[9]。それまでは朝ラッシュ時には1時間に30本まで増発されていたが、編成両数の増加により1時間に29本に減少し、増発の余裕がなくなっている。これ以後の朝ラッシュ時の輸送力増強は編成両数の増加が主となる。なお、1964年に地上3線(8両編成対応)・地下2線(6両編成対応)への改良工事が終了した新宿駅であったが、輸送力の増加に対応できず、さらに10両編成対応にする必要に迫られたため、1972年から再度大改良工事が開始され、地上3線のみでの運用を強いられることになった[9]。
1972年12月18日改正では、急行は終日海老名駅に停車するようになった[9]ほか、愛甲石田駅、大根駅(現・東海大学前駅)についても急行停車駅に追加された[9]。また、江ノ島線各駅停車の大型車6両編成による運行が開始された[9]。1時間29本の内訳は急行9本・準急10本・各駅停車10本となった[11]。
1974年6月1日改正では多摩線が開通し[12]、新百合ヶ丘駅、五月台駅、栗平駅、黒川駅、小田急永山駅の各駅が開業した[12]。新設された新百合ヶ丘駅は急行停車駅となった[12]。また、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)千代田線の霞ケ関駅~代々木公園駅間開業に伴い、代々木公園駅と乗換え可能であった代々木八幡駅に、朝ラッシュ時の準急の停車が開始された[12]。
1977年7月1日改正では、新宿駅~本厚木駅間において急行の10両編成運転が開始された[12]。1時間29本の内訳は急行10本・準急10本・各駅停車9本となった[11]。
1978年 - 千代田線直通運転開始
1978年3月31日に実施されたダイヤ改正でのポイントは、営団千代田線との直通運転開始である[13]。同時に、それまで各駅停車のみ停車していた代々木上原駅に、急行と準急が停車することになった[13]。本改正により、1974年6月1日より行なわれていた、平日朝の準急の代々木八幡駅停車は解消された[14]。なお、ダイヤ構成の関係から、千代田線直通準急のうち朝の1本目に限り、生田駅~百合ヶ丘駅間を通過することになり[14]、小田急社内では「スキップ準急」と呼ばれていた[15]。この時から、準急についても10両編成化されている[13]。
その後、1979年3月26日・同年7月16日・1980年7月14日と3次にわたってダイヤ改正が実施され、車両大型化・増発などが行われている。
1980年代
1981年 - 新宿駅地下ホーム使用開始
1981年7月13日に実施された改正では、新宿駅の改良工事進捗により、同駅の地下ホームを供用開始した[16]。
- 1972年から施工されていた新宿駅の大改良工事の期間中、新宿駅では地上3線のみが使用可能で、特急が1番線(1番・2番ホーム)、急行と準急が2番線(4番ホーム)と3番線(5番・6番ホーム)、各駅停車は1番線(2番ホーム)と2番線(3番ホーム)を使用していたことが、ダイヤ作成のネックとなっていた。本改正では、地下の4番線(7番・8番ホーム)・5番線(9番・10番ホーム)が使用開始になったことで、各駅停車は全列車が地下ホームからの発着となった[16]ほか、新宿駅に到着後回送となる列車についても地下ホームに到着させることが可能になったため、ダイヤ作成の上で余裕が生まれることとなった。
- しかしながら、地上ホームの改修は終了していなかったため、1番線は同年7月13日から同年10月9日まで、2番線は同年10月10日から1982年1月11日まで、3番線は1982年1月12日から3月31日まで工事のため閉鎖を余儀なくされていた[16]。
- 本改正の前日7月12日限りで、1800形は運用終了となった[16]。
1982年 - 箱根登山線直通車両の大型化
1982年7月12日に行なわれたダイヤ改正で特筆されるのは、箱根登山線の改良工事完了にともなう直通列車の大型化である[17]。
- それまで箱根登山線直通列車は中型車4両編成が限界であり、必然的に新宿からの直通急行も中型4両編成に制限されていた。相模大野駅以東は10両編成であっても、相模大野以西では急行であるにもかかわらず非冷房の中型4両編成となるため、輸送力確保・旅客サービスの点でネックとなっていた[17]。本改正ではこれを大型6両編成に変更することで、輸送力・乗客サービスの向上を図った。本改正以後、箱根登山線への直通列車は大型6両編成が基本となった[17]。その他、新宿駅の改良工事が完了したことによりホーム容量に余裕が生まれたため、増発も実施された。なお、本改正からは江ノ島線の夏季特別ダイヤの設定はなく、通常のダイヤへ不定期列車を設定することで対応することになった[17]。
1983年3月23日改正では、新型通勤電車である8000形の導入にともなう、主に輸送力増強のダイヤ改正となった[18]。また、それまで他形式との併結運用がなかった2600形にも併結運用が設定され、車両運用の弾力化が図られた[18]。一方で、それまで急行は新松田駅~小田原駅間を通過しており、これに接続する各駅停車を設定していたが、本改正では小田原駅で折り返しとなる急行の一部を栢山駅・富水駅・蛍田駅・足柄駅にも停車させることになった[18]。
1984年3月26日改正は、同年4月9日の東急田園都市線中央林間駅延伸開業による乗客増を見込んだもので[19]、江ノ島線の輸送力増強に主眼を置いたものであった。なお、ダイヤ改正に先立つ1月31日限りで定期貨物列車の運行が終了[19]、3月20日限りで小荷物・手荷物輸送も廃止された[19]。そして改正後間もない3月31日限りで社用品などを輸送するための配送列車の運行も終了となった[19]。
1985年3月14日改正での列車の増発などは小規模であったが、本改正と同時に、全種別・全列車の列車番号付番法則が、将来の運行管理システム導入に対応して変更されている[20]。また、本改正と同時に小田原線新松田駅~栢山駅に開成駅が開業した[20]。
1986年3月24日改正では、主に江ノ島線や小田原線相模大野駅~本厚木駅間における朝ラッシュ時における増発が中心となった[20]。本改正から、4000形冷房改造車が運用開始となった[20]。
1987年3月23日改正は、小田原線相模大野以西の増発や、ラッシュ時のピーク前後の輸送力増強が主な内容となった[21]。なお、急行の相武台前駅停車は、本改正で休日の停車がなくなり、平日のみとなった[21]。
1988年 - 各駅停車の8両編成化
1988年3月22日のダイヤ改正では、新型通勤電車である1000形の営業運転開始と、それに伴う近郊区間(新宿駅 - 向ヶ丘遊園駅間)各駅停車の8両編成化が大きく宣伝された[22]。また、多摩線についても車両の大型化と増発が行なわれた[23]。
1989年3月27日改正は、夕方・夜間の急行増発と準急・各駅停車の8両編成列車の増加が主な内容となった[23]。また、1000形の千代田線直通運用が開始された[23]。また、本改正から本厚木駅に「あしがら号」上り1本が停車することになった[24]。なお、本改正に先立つ1989年1月19日限りで、小田急から非冷房の中型通勤車両は全廃となり、モノレール線を除いてすべての車両が大型冷房車となった[23]。
1990年代 - 特急ロマンスカーの新展開
1990年3月27日改正でのポイントは、多摩線の延伸による唐木田駅開業である[24]。各駅停車は8両編成で運転される列車がさらに増強された[24]。また、中央林間駅に急行が停車するようになった[24]。本改正で、朝方の上り1本のみ設定されていた生田駅~百合ヶ丘駅間通過の準急(スキップ準急)は廃止となり[24]、9000形の千代田線直通運用も終了した[24]。
1991年 - 「あさぎり号」相互直通運転開始
1991年3月16日に行なわれたダイヤ改正でもっとも大きく宣伝されたのは、東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線直通列車「あさぎり号」の特急化と乗り入れ区間の延長、それに伴う20000形「RSE」就役である[25]。
- 1955年から運行されている御殿場線直通列車は、これまで小田急の車両が御殿場駅まで乗り入れる「片乗り入れ」(御殿場線内も小田急の乗務員がそのまま担当)となっていた。本改正では、JR東海も371系を乗り入れのために新造し、相互乗り入れに変更されることになった[25]。また、同時に運行区間も沼津駅まで延長され、列車種別も連絡急行から特急に変更、松田駅で乗務員の交替が行われることになった。同時に「あさぎり号」の停車駅の見直しも行なわれ、裾野駅および沼津駅に停車開始する代わりに、全列車が山北駅および谷峨駅を、一部列車は駿河小山駅を通過することになった[25]。
- なお、従来の平日ダイヤは月曜日から土曜日までとなっていたが、本改正からは平日ダイヤは月曜日から金曜日までとなり、それまでの休日ダイヤは土休日ダイヤに変更された[25]。週休二日制の浸透に伴うもので、これに伴いそれまで平日ダイヤのみ設定されていた千代田線直通準急が、休日ダイヤにおいても設定されることになった[26]。また、朝ラッシュピーク時の列車のうち、準急5本を急行に変更したため、1時間29本の内訳は急行15本・準急5本・各駅停車9本となった[15]。
1992年3月28日改正では、平日日中と夜間の輸送力増強が中心となり、小田原・箱根湯本発着急行の一部で車両の連結・切り離しが相模大野駅から海老名駅に変更されている。また、朝ラッシュ時の輸送力増強策として、10両固定編成の投入で編成中間の運転台をなくして定員増に充てている。
1993年3月20日と1994年3月27日にもダイヤ改正が実施された。1993年のダイヤ改正では、新宿駅~相模大野駅間における急行列車の増発と、江ノ島線で運行される急行全列車の6両編成化が行なわれている。
1995年3月4日改正では、「あしがら号」の一部列車が本厚木駅にも停車するようになった。また、小田原線新宿駅~秦野駅間における10両編成による急行の運転が開始された。
1996年3月23日改正では、30000形「EXE」の就役と同時に特急の運行体系の変更が行なわれた。「はこね号」として運転していた列車のうちほとんどの列車が町田駅に停車することになったため、町田駅に停車しない列車を「スーパーはこね号」に改称した[27]。また30000形「EXE」の就役によって「はこね号」「あしがら号」と「えのしま号」の併結運転が開始された[27]。これと同時に、「えのしま号」が大和駅にも停車するようになった[27]。
1997年6月23日改正では小田原線喜多見駅~和泉多摩川駅間の複々線化が完成したことに伴うダイヤ改正が実施され、朝ラッシュ時の向ヶ丘遊園駅~新宿駅間の急行の所要時間が5分短縮され、また特急「えのしま号」の増発が行われた[28]。
1998年8月22日改正では、相模大野駅改良工事完成と、急行の全線10両編成化が行なわれた。この改正から特急ロマンスカー「はこね号」、「あしがら号」、「えのしま号」の相模大野駅および「あしがら号」の秦野駅停車を開始した。なお、本鵠沼駅および鵠沼海岸駅については、ホーム延伸が行なわれず、10両編成で運行される急行は両駅を通過することになった。同日より、江ノ島線六会駅は六会日大前駅に改称された。
1999年 - ホームウェイ号・サポート号新設
1999年7月17日改正では、主に特急の運行体系・列車名が大幅に変更された[29]。それまで「さがみ号」「あしがら号」として運行されていた列車は「サポート号」に一本化されたほか、18時以降に新宿駅を出発する特急については、すべて「ホームウェイ号」に変更された[29]。また、町田駅、本厚木駅、秦野駅へ停車する特急の本数が増加した。
平日の一部急行に限り行われていた相武台前駅停車については、本改正で廃止となった[30]。また、それまで多摩線と小田原線を直通する列車は朝方上りだけの設定であったが、本改正で新宿駅始発唐木田駅行の各駅停車が新設された[30]。
さらに、24時台の列車本数を1本減便するとともに、平日の新宿発最終列車が向ヶ丘遊園駅行きから経堂駅行きに変更になるなどにより、最大13分繰り上げられた[31]。なお、首都圏のJRおよび大手私鉄では初の終電繰り上げとなった[31]。
2000年代 - 複々線化の進展に伴う展開
2000年 - 箱根登山線直通急行の増発など
2000年12月2日改正では、高架化の進展に伴い、経堂駅に停車する準急の設定を大幅に増加させた[30]。経堂駅が高架化に伴い10両編成が停車可能になったことを受けたもので[30]、朝ラッシュ時の上り準急のみ通過する。同時に、相模大野発着の営団千代田線直通準急の大幅な増発を行った[30]。また、箱根登山線直通の急行の増発が図られ、日中の運行本数は毎時2本から4本に倍増した[32]。これにともない、箱根登山線小田原駅 - 箱根湯本駅間では、箱根登山鉄道の車両は日中は走らなくなった[32]。このほか、急行の停車駅に湘南台駅が追加された[32]ほか、急行と特急「ホームウェイ号」においては多摩線直通列車が設定され、初めて多摩線に急行と特急が走るようになった。このうち、急行は初めて千代田線直通として平日の朝ラッシュ時に設定された[32]。またこの改正より、千代田線車両(6000系・06系)が小田急線内で夜間留置となる運用(外泊運用)が登場した[32]。
2002年 - 湘南急行・多摩急行が登場
2002年3月23日のダイヤ改正では、江ノ島線に速達列車が設定された[32]。
江ノ島線系統では、新宿駅 - 藤沢駅(一部列車は片瀬江ノ島駅)間において湘南急行の運転を開始した[33]。これは2001年12月から運転を開始した東日本旅客鉄道(JR東日本)の「湘南新宿ライン」への対抗措置として位置づけられている[33]。
また、千代田線直通列車については相模大野発着から多摩線発着に変更となり、新種別として多摩急行が設定された[34]。多摩急行以外にも、朝ラッシュ時における唐木田駅発営団千代田線直通綾瀬駅行の急行の増便が行なわれた[33]。
その他の改正内容は以下の通り。
- 特急ロマンスカー「サポート号」・「えのしま号」の一部列車の新百合ヶ丘駅停車開始[33]。
- 特急ロマンスカー「ホームウェイ号」の本厚木駅行、片瀬江ノ島駅行および唐木田駅の増便(各1本)と秦野駅行2本を小田原駅行に変更[35]。
- 小田原線を日中に走る大部分の急行は新宿駅 - 新松田駅間を10両編成で運転(相模大野駅・海老名駅での連結・切り離しの縮小)[33]。
- 江ノ島線における準急の廃止。
2003年3月29日改正では、急行停車駅に栗平駅が追加された[36]ほか、「ホームウェイ号」、湘南急行および多摩急行の増発、急行の10両編成での運転、各駅停車の8両編成での運転を増強した[36]。
2004年 - 快速急行・区間準急が登場
2004年12月11日に実施されたダイヤ改正で最大のトピックスは、小田原線梅ヶ丘駅 - 喜多見駅間の複々線化完成である[37]。複々線化以前、各駅停車が優等列車を待避できる駅は経堂駅・成城学園前駅のみで、この区間で優等列車が追い越し可能な各駅停車の本数も2本が限界であった。1997年に一部区間が複々線化されてからもさほど変化はなかったが、本改正ではまとまった区間の複々線化が行なわれたことにより緩急分離運転を実現し[37]、優等列車が各駅停車の運転に縛られることなくダイヤ設定を行うことが可能になった。これにより、特にラッシュ時の優等列車については大幅なスピードアップが図られた。
この複々線化を機に、小田原線下北沢駅 - 新百合ヶ丘駅間をノンストップで走行する快速急行の運転を開始した[37]。新宿駅 - 小田原駅・藤沢駅(一往復のみ片瀬江ノ島駅)間での運転で、湘南急行は快速急行に発展的解消することになった[37]。また、同時に増発も実施された結果、江ノ島線方面の速達列車が多くなったことから、「えのしま号」は減便されることになった。
特急ロマンスカーでは列車名の変更が行なわれ、従来の「はこね号」および「サポート号」を整理し、箱根登山鉄道直通特急を「はこね号」、小田原線内発着特急を「さがみ号」に統一した[38]。「さがみ号」の愛称が復活したことにより、1999年から使用されてきた「サポート号」の愛称は消滅することになった[38]。また、本改正では平日ラッシュ時上りに通勤利用者向けの「さがみ号」の運行が開始されたが、平日朝7時台に新宿に到着する特急は本改正で初めて設定されたものである。
この他、平日の日中(10時 - 17時30分)と土休日ダイヤにおいて、急行が経堂駅にも停車するようになった[37]。また、新種別として区間準急の運行が開始された[37]。停車駅は新宿駅・代々木上原駅・下北沢駅と梅ヶ丘駅以西の各駅で、東北沢駅での工事により同駅での優等列車待避が出来なくなったため、この区間に限って優等列車と同様の速達性を持たせる目的である[37]。
その他の改正内容は以下の通り。
- 新宿駅 - 新松田駅・藤沢駅・片瀬江ノ島駅間における、10両編成で運転される急行の増強。
- 複々線化工事に伴う各駅停車の東北沢駅での通過待ちの廃止[37]。
- 唐木田駅発着、千代田線直通多摩急行の夜間における増発(平日10本、土休日6本)と朝ラッシュ時における唐木田駅発千代田線急行の増便(1本)。これに伴って千代田線車両(6000系・06系)の外泊運用が4運用に増え、小田急車両(1000形)が東京メトロの綾瀬車両基地で夜間留置となる運用も登場。
- 多摩線内発着急行の平日朝ラッシュ時における新設(上り2本・下り1本)[38]。
- はるひ野駅の開業(多摩線 黒川駅 - 小田急永山駅間)[38]。
また、本改正の前日12月10日をもって、初代4000形は運用終了となった。
2006年3月18日改正では、主に箱根登山線小田原駅~箱根湯本駅間におけるダイヤ改正が実施された[39]。それ以外のダイヤについては軽微な変更にとどまっている。それまで日中の列車については全列車が小田急の車両での運行となっていたが、本改正後、同区間において朝夕に残っていた箱根登山鉄道の車両による旅客列車をすべて小田急の車両に置き換えた[39]。本改正後、小田原駅 - 入生田駅間の三線軌条は順次撤去されている[39]。その一方、箱根登山鉄道の車両出入庫のため、入生田駅 - 箱根湯本駅間の三線軌条はこれ以後も維持されている[39]。なお、本改正前の同区間は小田急の車両は小田急の乗務員が、箱根登山鉄道の車両は箱根登山鉄道の乗務員がそれぞれ担当していたが、本改正後は箱根登山鉄道の乗務員も小田急の車両を担当するようになった(早朝・夜間の一部列車のみ)。
2008年 - ロマンスカー地下鉄乗り入れ
土休日ダイヤ2008年3月15日、平日ダイヤ2008年3月17日改正。
本改正では、東京地下鉄(東京メトロ)千代田線直通の特急「メトロさがみ号」(本厚木駅 - 北千住駅間・1本)、「メトロはこね号」(北千住駅 - 箱根湯本駅間・土休日のみ2本)、「メトロホームウェイ号」(北千住駅、大手町駅 - 唐木田駅、本厚木駅間・平日3本、土休日1本)、「ベイリゾート号」(本厚木駅 - 東京メトロ有楽町線新木場駅間・臨時列車)の運転開始と、それに伴う60000形「MSE」の営業運転開始が最大のトピックスである[40]。当時、地下鉄直通の有料特急列車は日本では前例がなく、各種メディアでも大きく取り上げられた。
また東京メトロ千代田線直通特急の運転開始に伴い、新宿発「ホームウェイ号」の多摩線直通列車の減便[40]、本厚木行列車1本を秦野へ延長[40]、「さがみ号」の土休日の減便が行なわれた[40]。また、成城学園前駅が特急停車駅に追加された[40]。
特急以外では、小田原線の急行において、10両編成による運転が大幅に拡大され、途中駅での分割・連結作業の大幅な削減が行なわれた[40]。これに伴い、箱根登山線へ直通する列車は4両編成による各駅停車のみとなった[40]。
その他の改正内容は以下の通り。
また、12月21日には和泉多摩川 - 向ヶ丘遊園間で行われている3線化工事の進展により、経堂、成城学園前、和泉多摩川、登戸の各駅のダイヤ修正が行われた[41]。
2009年 - ロマンスカーの停車パターン変更
土休日ダイヤ2009年3月14日、平日ダイヤ2009年3月16日改正。
本改正の主な内容としては、ロマンスカーの停車パターン・運転時刻の変更があげられる[42]。
東京メトロ千代田線直通特急「メトロホームウェイ」は運転時刻・編成両数を変更した。東京メトロ有楽町線直通ロマンスカー「ベイリゾート」は運転日を各月第2・第4土曜日に変更した(8月と12月は毎週土曜日運転)[42]。また、一部のロマンスカーの停車駅が増加し、50000形「VSE」が初めて本厚木駅に停車するようになった[42]。
その他の改正内容は以下のとおり。
- 多摩川橋梁の複々線、登戸 - 向ヶ丘遊園間の3線での運行を開始[41]。
- 新宿 - 町田・本厚木間で運行される各駅停車の8両化を推進[42]。
- 平日夜間に新宿 - 相模大野間の快速急行を増発[42]。
- 多摩線の各駅停車を増発[42]。
- 遅延防止のため、一部ダイヤ修正[42]。
- 箱根登山線内の折り返し運用および新松田 - 箱根湯本間の直通運用に使用される車両のカラーリングを変更(1000形の一部が変更の対象となった)[42]。
2010年代
2012年 - 特急の運用変更・一般列車の分割併合全廃
土休日ダイヤ2012年3月17日、平日ダイヤ2012年3月19日改正。
3年ぶりのダイヤ改正となった本改正の主な内容としては、時間帯ごとの利便性向上と車両運用の変更があげられる。
東京メトロ千代田線・箱根登山線直通特急「メトロはこね」が平日にも運転され[43]、成城学園前駅が停車駅に追加された。主要駅に停車する朝夕のロマンスカーが増発[43]。「あさぎり」の運転区間は新宿 - 御殿場間となり[44]、60000形「MSE」での運行となった[45]。「あさぎり」の停車駅が変更され[46]、土休日には「えのしま」との併結運転も実施[43]。
一般列車では途中駅での連結・切り離しが廃止され[47]、土休日に新宿 - 小田原間の快速急行が増発[43]。
その他の改正予定内容は以下のとおり。
- 「メトロホームウェイ」全列車の停車駅に新百合ヶ丘駅が追加[43]。
- 平日に50000形「VSE」が1往復増発[43]。
- 通勤時間帯に相模大野停車の「はこね」「さがみ」の運行。
- 「ホームウェイ」のダイヤが方向別にパターン化[43]。
- 10000形「HiSE」・20000形「RSE」・5000形が定期運用から外れ、371系が御殿場線直通特急「あさぎり」運用から離脱[43]。スーパーシート・グリーン席の営業を終了。
- 前年から運休していた東京メトロ有楽町線直通臨時特急「ベイリゾート」、土休日の唐木田行「ホームウェイ」がそれぞれ運転中止[43]。
- 土休日の日中に町田始発新宿行の急行・新宿始発相模大野行の急行をそれぞれ運転[43]。
- 小田原 - 箱根湯本間の各駅停車の小田原駅発着ホームを11番線とし、箱根登山カラーの車両(1000形)に統一。(一部列車を除く)
- 区間準急の運転区間が新宿 - 本厚木・唐木田間に短縮。
2014年 - 多摩線全駅10両化など
土休日ダイヤ2014年3月15日、平日ダイヤ2014年3月17日改正。
本改正の主な内容としては、朝ラッシュ時の上り快速急行の設定と千代田線直通列車の増発[48]、土休日の特急「ホームウェイ」増発[48]のほか、多摩線内各駅のホームが10両分に延伸されたことに伴う各駅停車の一部10両編成化[48]などがあげられる。また、一部列車の運転区間延長が行われる[48]。
なお、乗り入れ先の千代田線およびJR常磐緩行線では同日のダイヤ改正でデータイムに列車が増発(千代田線内は毎時10本から12本に、常磐線内は毎時5本から6本に)され、このダイヤパターンの変更により日中の「多摩急行」はすべて唐木田駅 - 我孫子駅間の運転(3社直通)となった。
また多摩線に、平日朝下り1本の新宿始発の準急が設定された。
2015年 - 分かりやすい運行パターンの導入
土休日ダイヤ2015年3月14日、平日ダイヤ2015年3月16日改正。
本改正の主な内容としては、平日夕ラッシュ時の下り快速急行の増発と一部の準急を急行に格上げ、土休日の午前中は快速急行と準急、夕方以降の快速急行の増発のほか、特急ロマンスカーの発車時刻をパターン化し、下り急行は急行停車駅で各駅停車に接続するなどがあげられる。また、一部列車の運転区間延長が行われる。
また、乗り入れ先の箱根登山線からの新宿行ロマンスカー・急行への接続を改善し、箱根湯本発小田原行の一部列車の発車時刻を変更される。
2016年 - 日中運行パターンの大幅変更、快速急行、千代田線直通列車の増発、ロマンスカー停車駅の新設
土休日ダイヤ2016年3月26日、平日ダイヤ2016年3月28日改正。
- 主な内容として、2004年12月改正以来の日中運行パターンを大きく変更、長らくの基本だった30分ヘッドダイヤを20分ヘッドダイヤとするとともに、新宿から相模大野以遠向けは急行中心から快速急行中心とし、急行・快速急行の相互接続にて利便性を追求するものとなったことがあげられる。
- また、新たに特急ロマンスカーの停車駅に海老名駅と伊勢原駅が加わった。
- さらに本改正より、千代田線直通の4000形がJR常磐緩行線への乗り入れを開始(これにより小田急の車両が千葉県・茨城県内でも営業運転を開始)、常磐緩行線のE233系2000番台が小田急線にも乗り入れるようになった(209系1000番台は小田急線には乗り入れない)。
詳細は以下のとおり。
- 日中ダイヤを30分ヘッドから20分ヘッドに変更、以下のとおり各種別の本数調整を実施
- 快速急行を増発、新宿 - 小田原間(1往復のみ新松田駅折り返し)および新宿 - 藤沢間の2系統に毎時3本ずつの運転とする(新宿 - 相模大野間は約10分間隔、相模大野以遠は約20分間隔)。
- 急行を新宿 - 小田原間(一部が新松田駅折り返し)および東京メトロ千代田線・JR常磐緩行線方面-唐木田駅間の2系統に毎時3本ずつの運転とする(代々木上原 - 新百合ヶ丘間は約10分間隔、それ以外は約20分間隔、ただし相模大野 - 新松田間は快速急行と合わせて実質約10分間隔)
- 千代田線・常磐緩行線方面 - 唐木田駅間系統は、従来の多摩急行を格下げのうえ、毎時30分間隔/2本から毎時20分間隔/3本に増発。これにより、日中は向ヶ丘遊園駅停車の急行が毎時4本(10分と20分の不等間隔)から毎時6本(10分間隔)に回復。
- 江ノ島線における日中の急行運転を取り止め。これにより、本鵠沼駅、鵠沼海岸駅停車の急行が平日朝の下り2本と夜の上り1本、土休日朝の下り2本と上り4本に激減。
- 平日の日中時間帯における、経堂駅に停車する急行の発車時刻が10時~18時までに変更。
- 日中の相模大野駅(町田駅) - 小田原駅間運転の急行、および開成駅-足柄駅間各駅停車の急行を廃止。これにより、平日夕方~夜の下り3本と朝・夕方~夜の上り6本、土休日夜の下り1本と朝・夕方~夜の上り5本に激減。
- 急行・快速急行の相互接続を以下のパターンで実施
- 下り
- 代々木上原駅にて、藤沢駅行き快速急行から唐木田駅行き急行へ乗り換え
- 新百合ヶ丘駅にて、唐木田駅行き急行から小田原駅行き快速急行へ乗り換え
- 相模大野駅にて、藤沢駅行き快速急行と小田原駅(新松田駅)行き急行で相互乗り換え
- 上り
- 相模大野駅にて、小田原駅(新松田駅)始発新宿駅行き急行と藤沢駅始発快速急行で相互乗り換え
- 新百合ヶ丘駅にて、唐木田駅始発千代田線・常磐緩行線方面行き急行と小田原駅(新松田駅)始発快速急行で相互乗り換え
- 代々木上原駅にて、千代田線・常磐緩行線方面行き急行から新宿駅行き快速急行へ乗り換え
- 下り
- 各停のダイヤを以下のとおり変更。
- 特急ロマンスカーについて、以下のとおり変更を実施
- 停車駅に海老名駅と伊勢原駅を追加。停車する列車は以下のとおり
- 海老名駅:日中運転の「はこね」のうち毎時1本(下りの場合は新宿毎時30分発の列車)、「ホームウェイ」2本、「さがみ」2本(土休日上りのみ)…平日上下22往復、休日下り12本・上り13本
- 伊勢原駅:「はこね」のうち、午前の下り2本および午後の上り2本 ※神奈川中央交通運行の大山ケーブル行きバスに接続。
- 「メトロホームウェイ」を増発、平日18時 - 22時台は東京メトロ千代田線大手町駅 - 本厚木間の毎時1本の運行とする。
- 唐木田行きのロマンスカーが全廃。
- 日中の新宿発着時刻を毎時10分、30分、50分に揃え。発車時刻別に系統および停車駅をほぼ統一。
- 10分発:「はこね」(町田駅、本厚木駅、小田原駅、箱根湯本駅停車) ※平日10時台のみ「スーパーはこね」(小田原駅、箱根湯本駅停車)
- 30分発:「はこね」(町田駅、海老名駅、小田原駅、箱根湯本駅停車)
- 50分発:新百合ヶ丘駅、相模大野駅、本厚木駅、秦野駅停車の「さがみ」「あさぎり」「えのしま」「はこね」
- 「メトロはこね」を本厚木駅に停車。
- 50000形VSE車におけるシートサービスを廃止(ワゴンサービスに統一)。
- 停車駅に海老名駅と伊勢原駅を追加。停車する列車は以下のとおり
- 平日夕方以降に千代田線直通準急を増発
- 夕方以降の新宿~本厚木方面間各駅停車のうち1時間に1本程度を千代田線方面~本厚木間の準急と新宿~向ヶ丘遊園間の各駅停車に変更。
江ノ島線日中町田始発片瀬江ノ島行き各駅停車の運転を取り止め、日中の江ノ島線上り各駅停車を相模大野行きに統一。
小田急における列車運行の特徴
小田急では、新宿駅から稲田登戸駅(現・向ケ丘遊園駅)までの区間を「サバー区間」(Suburbの略)、稲田登戸駅以西の区間を「インター区間」(Inter countryの略)と称していた[49]。開業当時、サバー区間では最大10分間隔で運行し、インター区間での運行間隔は45分から60分となっており[49]、稲田登戸駅を境に運行頻度が大きく変えられていた。これは戦後も長らく継承されてきたが都心からの通勤圏拡大や多摩線の開通、東京メトロ千代田線への直通運転に伴い、現在ではインター/サバーの境界は新百合ヶ丘駅もしくは相模大野駅に移ったとみなされることが多く、またその分類基準も運行間隔から種別に移っている(相模大野駅以西に直通する列車は、インター区間内の停車駅が少ない快速急行が中心)。
途中で種別を変更する列車の場合、最終行先ではなく種別が変更される駅までの行先を掲出し[50]、種別変更される駅では行先表示も変更される[51][注釈 1]。例えば、新宿から相模大野まで急行で、相模大野から先は各駅停車となる場合には、行先表示は相模大野までは「急行 相模大野」となっている[52]。これは「昔から小田急が得意としていた方法」とも評されている[50]。前述の例では、相模大野で入庫する列車でも同じ行先表示となっている[52]ので、相模大野に到着後にどうなるのかは案内に注意する必要があるとされている[53]。
列車種別
1927年の開業当初、小田急の列車種別は各駅停車と直通の2種類で、同年10月15日に急行という種別が設定された[1]。戦時中は各駅停車のみとなる[3]が、戦後にはまず直通が準急として再開され[3]、さらに1948年からは特急の運行が開始された[3]。1949年10月1日には急行の運行も再開された[5]。1955年に通勤急行・特別準急という種別が登場[6]、さらに1957年には下記のみ快速急行が設定され、1959年には準特急という種別も新しく設定された[6]。1960年には通勤準急が新設される[7]が、この時点での列車種別は特急・準特急・特別準急・快速急行・急行・通勤急行・準急・通勤準急・各駅停車と8種類になった。
その後、種別については統廃合が進められ、まず1963年に準特急が廃止され[7]、1964年に快速準急が登場した際に通勤準急は準急に変更されている[8]。1968年には特別準急が連絡急行に変更され、1971年には通勤急行と急行が統合され[9]、1972年に快速準急が急行に格上げされた[9]。1991年に連絡急行という種別が特急に格上げされた[25]ため、小田急の列車種別は特急・急行・準急・各駅停車の4種類のみとなった。
しばらくはこの状態で推移したが、2002年には湘南急行・多摩急行という種別が設定され[32]、2004年には湘南急行が廃止になった代わりに快速急行が復活し[37]区間準急が新たに設定され[37]、2016年に区間準急が廃止されたことにより、小田急の列車種別は特急・快速急行・多摩急行・急行・準急・各駅停車という6種類となった。
以下、種別ごとに沿革と概況を記述する。
運行実績のある種別
特急
特別準急・連絡急行
準特急
1953年4月21日のダイヤ改正で設定された、料金不要ながら座席定員制の「サービス急行」として運行を開始した[6]列車がその起源である。1959年4月21日のダイヤ改正で準特急料金が設定され、準特急に格上げされた[6]。特急用車両の絶対数不足と接客設備の格差によるものであり、車両はセミクロスシート車で2320形電車及び特急から格下げ改造された2300形電車が使用され、小田原線内はノンストップで、土休日のみの運行であった[54]。
1963年4月1日ダイヤ改正で廃止[7]。
特殊急行
特別料金は不要だが、特定の目的の旅客に対して設定し、停車駅が少ない列車である[55]。
- 納涼ビール電車
- 1951年7月に初めて運行され[5]、当初の停車駅は新宿・下北沢・経堂・成城学園前・向ヶ丘遊園・片瀬江ノ島で[55]、座席指定制であるが特急料金の設定はされなかった[55]。ダイヤの過密化に伴い設定が難しくなり[56]、定期特急にビール樽を搭載するなどして継続されたが、それも1977年夏を最後に設定がなくなった[56]。
- 丹沢号
- 1956年秋に初めて設定された[6]。当初は土曜日の夜の下りと日曜日の早朝下り・日曜日の上り2本が設定され[55]、停車駅は新宿・向ヶ丘遊園・大秦野・渋沢・新松田であった[55]。その後、ダイヤ改正ごとに設定は変更になった[57]が、1967年11月6日のダイヤ改正以降は通常の急行と同一の停車駅となった[58]。1982年7月12日のダイヤ改正以降は休日朝の片道のみ運行となり[59]、1984年を最後に運行されなくなった[60]。その後、1987年以降に[57]、新宿を日曜日の7時11分に発車する急行小田原行きが「丹沢号」として運行されたことがある[59]。
- 秋の味覚号
- 1973年に設定された際の停車駅は新宿・下北沢・経堂・成城学園前・向ヶ丘遊園・新原町田・座間・渋沢・小田原であった[61]。
快速急行
快速急行という種別が初めて登場したのは1957年夏の江ノ島線における夏季輸送ダイヤからで[6]、新宿と片瀬江ノ島の間に運行された[60]。方向板・方向幕は空色をベースとして水色の円形という専用のデザインであった[57]。停車駅は年ごとに異なっていたが[60]、概ね小田原線内では急行停車駅と同一で[60]、江ノ島線内では相模大野と藤沢の間はノンストップであった[60]。車両については、普段は優等列車に入らない車両も使用されていた[60]。1970年代に入ると停車駅は急行と同様になり、快速急行という種別も使用されなくなった[60]。
その後、2004年12月11日のダイヤ改正で、再び快速急行という種別が登場した[37]。これは後述する湘南急行を発展させたもので、江ノ島線だけではなく小田原線相模大野以西の区間においても設定された[37]。設定当初の停車駅は、新宿・代々木上原・下北沢・新百合ヶ丘・町田・相模大野・中央林間・大和・湘南台・藤沢・片瀬江ノ島の各駅で、小田原線の相模大野以西は急行停車駅と同一である[62]。路線図や車両の種別表示において快速急行を示す色は橙色である[63]。
2016年3月26日ダイヤ改正にて、日中ダイヤにおいては新宿から江ノ島線藤沢および小田原線方面に毎時3本ずつ各方面20分間隔(新宿-相模大野間は合わせて10分間隔)での運転に大幅拡大され、急行に代わって相模大野以西に直通して長距離速達輸送を担う中心的優等列車になる。なお小田原線方面の快速急行はこれまで小田原発着のみだったが改正後は毎時3本のうち1本が新松田発着となる。
湘南急行
2001年12月からJR東日本で湘南新宿ラインの運行が開始されたことを背景として[33]、2002年3月23日ダイヤ改正から設定された種別である[32]。江ノ島線内でそれまで急行停車駅だった南林間と長後を通過することで[33]、急行より所要時間が最速で5分短縮され、新宿と藤沢を最速57分で結んだ[33]。当初は土休日の4往復は片瀬江ノ島まで乗り入れていた[33]が、2003年3月29日のダイヤ改正では増発と同時に全ての列車が藤沢で折り返しとなった[36]。車両の種別表示において湘南急行を示す色は橙と赤の2色であった[63]。
2004年12月11日のダイヤ改正で前述した快速急行に置き換えられ、廃止[37]。
多摩急行
2002年3月23日ダイヤ改正から設定された種別で[32]、2000年12月2日のダイヤ改正で増発されていた日中の千代田線直通準急を多摩線に振り向けた上で[34]、速達性の向上を図ったものである[33]。設定当初の停車駅は、代々木上原・下北沢・経堂・成城学園前・登戸・新百合ヶ丘・栗平・小田急永山・小田急多摩センター・唐木田の各駅で[33]、それまで当時完全急行通過駅であった経堂は停車したのに対し、急行停車駅であった向ヶ丘遊園は通過となった[33]。2004年12月11日のダイヤ改正以降、路線図や車両の種別表示において多摩急行を示す色はピンク色である[63]。 2016年3月26日のダイヤ改正で日中ダイヤの大規模なパターン変更が行われ、日中時間帯の本種別は向ケ丘遊園にも停車する急行に種別変更されるため、通勤時間帯のみの運転となる。
急行
1927年10月15日のダイヤ改正で初めて設定された種別である[1]。設定当初の停車駅は、新宿・経堂・稲田登戸・新原町田・相模厚木・伊勢原・大秦野・新松田・小田原であった[1]。当初は毎時1本運行であったが[1]、需要が少なかったために1928年4月以降は3往復に削減された[1]。1929年4月1日に江ノ島線が開業すると、江ノ島線にも不定期列車ながら急行が設定された[2]が、江ノ島線内の停車駅は藤沢と片瀬江ノ島だけであった。戦時体制に入った1944年11月に、急行はいったん全廃された[3]。
戦後の運行再開は江ノ島線の方が早く、1948年の夏季海水浴輸送で江ノ島線に不定期急行が復活した[3]。翌1949年4月1日のダイヤ改正では小田原線にも急行の運行が再開された[5]。このときの停車駅は、新宿・下北沢・稲田多摩川・新原町田・本厚木・伊勢原・鶴巻・大秦野・渋沢・新松田・小田原で[5]、1日3往復であった[5]。1950年10月1日のダイヤ改正では小田原線急行は1日10往復に増発され[5]、そのうち7往復が箱根登山線箱根湯本駅まで乗り入れた[5]。また、1950年10月から1952年3月31日までにかけて、段階的にGHQ専用列車の設定が廃止された[3]ことに伴い、米軍関係者の利便を図るために一部の急行が相武台前に停車するようになった[64]。1951年10月5日改正では日中の小田原線急行は1時間間隔で運行されるようになり[5]、1952年12月1日のダイヤ改正では、停車駅を稲田多摩川から稲田登戸に変更した[5]。
1955年3月25日ダイヤ改正では停車駅に相模大野が追加された[6]ほか、日中の小田原線急行が30分間隔で運行されるようになった[6]。この時期の江ノ島線の急行では、平日の通勤時間帯に六会に一部列車が停車したほか[65]、ゴルフ客の利用の便を図るために中央林間にも一部の急行が停車していた[65]。1959年4月1日のダイヤ改正からは、それまで不定期運行だった江ノ島線の急行が定期列車として設定された[6]。
その後しばらく動きはなかったが、1964年11月5日のダイヤ改正では急行の8両編成化が行われ、日中の急行のほとんどが相模大野駅で分割・併合を行なうようになった[66]ため、江ノ島線の急行も30分間隔で運行されるようになった。1970年11月9日ダイヤ改正では全列車が登戸に停車を開始した[9]ほか、土曜日に限り運行する不定期急行(通称「土曜急行」)が設定されている[9]。
1971年4月19日ダイヤ改正では全列車が成城学園前に停車するようになり[9]、後述する通勤急行との種別統合が行われ[9]、通勤急行の停車駅がそのまま急行停車駅となった。このダイヤ改正から、海老名に一部の急行が停車するようになった[9]。1972年3月14日ダイヤ改正では快速準急が全て急行に格上げされ、日中の小田原線の急行は毎時4本運行されることになった[9]。その後の1972年12月18日からは海老名とともに愛甲石田・大根が終日急行停車駅として加わり[9]、これによって急行は本厚木と新松田の間を各駅に停車するようになった[9]。なお、1973年に登場した9000形において、黒地に赤文字で「急行」という種別表示が用意され[67]、その後急行という種別を示す色として赤色が使用されるようになった。1974年6月1日には多摩線の分岐駅として新百合ヶ丘が開業し、当初から急行停車駅となった[12]。1978年3月31日から千代田線との直通運転が開始されたことに伴い、代々木上原が急行停車駅に追加された[12]。
1983年3月22日ダイヤ改正では、一部の急行の停車駅に栢山・富水・蛍田・足柄が追加された[18][注釈 2]。1990年3月27日からは、中央林間が急行停車駅に追加された[24]。1991年3月16日ダイヤ改正では土休日ダイヤが実施されたことに伴い、土曜日のみ運行されていた不定期急行の設定はなくなった。一方、急行の10両編成化の進展により、1998年8月22日のダイヤ改正からは、10両編成の急行は本鵠沼・鵠沼海岸を通過するようになった[68]。1999年7月17日ダイヤ改正では、相武台前停車列車の設定がなくなった[30]。
2000年12月2日のダイヤ改正では湘南台が急行停車駅に追加される[32]とともに、朝方の多摩線に急行が新設された[30]。多摩線内の当初の停車駅は小田急永山・小田急多摩センター・唐木田であった[32]が、その後2003年3月29日のダイヤ改正で、停車駅に栗平が追加された[36]。また、2004年12月11日ダイヤ改正では、平日の日中および土休日には経堂にも停車するようになった[37]。
2016年3月26日ダイヤ改正で日中ダイヤの大規模なパターン変更が行われるのに伴い、日中は江ノ島線での運転が取り止められる一方、同時間帯の多摩急行が向ケ丘遊園にも停車して急行に種別変更[69]される。また相模大野以西小田原方面に直通する急行も実質的に快速急行とスジを入れ替える形となるうえ江ノ島線に直通する快速急行と相模大野で接続する区間運転の急行が廃止となり新宿発着のみとなるため毎時3本に減便される一方、代々木上原、新百合ヶ丘、相模大野の各駅にて快速急行との相互接続を図るダイヤになるため、長距離速達輸送を担う中心的優等列車から快速急行の補完およびフィーダー輸送を担う補助的優等列車に性格が変わる。
停車駅の変遷を表にまとめると以下のようになる。設定上停車したことがない駅は不掲載。
凡例:●…停車 ○…一部停車 —…通過 =…駅自体が未開設
- 小田原線
停車駅 | 新 宿 |
代 々 木 上 原 |
下 北 沢 |
経 堂 |
成 城 学 園 前 |
登 戸 |
向 ヶ 丘 遊 園 |
新 百 合 ヶ 丘 |
町 田 |
相 模 大 野 |
相 武 台 前 |
海 老 名 |
本 厚 木 |
愛 甲 石 田 |
伊 勢 原 |
鶴 巻 温 泉 |
東 海 大 学 前 |
秦 野 |
渋 沢 |
新 松 田 |
開 成 |
栢 山 |
富 水 |
蛍 田 |
足 柄 |
小 田 原 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1927年10月15日 | ● | — | — | ● | — | — | ● | = | ● | = | — | — | ● | — | ● | — | — | ● | — | ● | = | — | — | — | — | ● | |
1949年4月1日 | ● | — | ● | — | — | ● | — | = | ● | — | ○ | — | ● | — | ● | ● | — | ● | ● | ● | = | — | — | — | — | ● | 一部列車の相武台前停車は 1950年10月から1952年3月にかけて開始 |
1952年12月1日 | ● | — | ● | — | — | — | ● | = | ● | — | ○ | — | ● | — | ● | ● | — | ● | ● | ● | = | — | — | — | — | ● | |
1955年3月25日 | ● | — | ● | — | — | — | ● | = | ● | ● | ○ | — | ● | — | ● | ● | — | ● | ● | ● | = | — | — | — | — | ● | |
1970年11月9日 | ● | — | ● | — | — | ● | ● | = | ● | ● | ○ | — | ● | — | ● | ● | — | ● | ● | ● | = | — | — | — | — | ● | |
1971年4月19日 | ● | — | ● | — | ● | ● | ● | = | ● | ● | ○ | ○ | ● | — | ● | ● | — | ● | ● | ● | = | — | — | — | — | ● | |
1972年12月18日 | ● | — | ● | — | ● | ● | ● | = | ● | ● | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | = | — | — | — | — | ● | |
1974年6月1日 | ● | — | ● | — | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | = | — | — | — | — | ● | |
1978年3月31日 | ● | ● | ● | — | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | = | — | — | — | — | ● | |
1983年3月22日 | ● | ● | ● | — | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ● | 開成は1985年3月14日開業 |
1999年7月17日 | ● | ● | ● | — | ● | ● | ● | ● | ● | ● | — | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ● | |
2004年12月11日 | ● | ● | ● | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | — | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ● | 経堂停車は平日の日中と土休日 |
- 江ノ島線
- 相模大野は開業当時は開設されていなかったため、便宜上町田まで記述する。
停車駅 |
町田 | 相模大野 | 中央林間 | 南林間 | 大和 | 長後 | 湘南台 | 六会 | 藤沢 | 本鵠沼 | 鵠沼海岸 | 片瀬江ノ島 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1929年4月1日 | ● | = | — | — | — | — | = | — | ● | — | — | ● | 不定期 |
1955年3月25日 | ● | ● | ○ | — | — | — | = | ○ | ● | — | — | ● | 不定期 |
1959年4月1日 | ● | ● | — | — | — | — | = | — | ● | — | — | ● | |
1971年4月19日 | ● | ● | — | ● | ● | ● | — | — | ● | ● | ● | ● | |
1990年3月27日 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | — | — | ● | ● | ● | ● | |
1999年8月22日 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | — | — | ● | ○ | ○ | ● | |
2000年12月2日 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | — | ● | ○ | ○ | ● |
- 多摩線
停車駅 |
新百合ヶ丘 | 栗平 | 小田急永山 | 小田急多摩センター | 唐木田 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
2000年12月2日 | ● | — | ● | ● | ● | |
2003年3月29日 | ● | ● | ● | ● | ● |
通勤急行
1955年3月25日に初めて設定された[6]。設定当初の停車駅は、新宿・下北沢・稲田多摩川・稲田登戸・新原町田・本厚木・伊勢原・鶴巻・大秦野・渋沢・新松田・小田原で、急行停車駅に稲田登戸を追加したものであった[6]。朝の上りと夕方の下りのみ運転された[6]。1960年3月25日ダイヤ改正では、上りのみ成城学園前にも停車するようになった[7]ほか、江ノ島線にも通勤急行が設定された[7]。江ノ島線内の停車駅は南林間・大和・長後・藤沢・本鵠沼・鵠沼海岸・片瀬江ノ島であった[7]。
1971年4月19日ダイヤ改正で急行と統合されたため廃止[9]。
快速準急
1964年11月5日のダイヤ改正で、日中の準急を置き換える形で登場[8]。設定当初の停車駅は、新宿・下北沢・経堂・成城学園前・登戸・向ヶ丘遊園・読売ランド前・鶴川・新原町田・相模大野・本厚木・伊勢原・鶴巻温泉・大秦野・渋沢・新松田・小田原と、当時の急行停車駅に経堂・成城学園前・登戸を追加したもので[8]、休日に限り読売ランド前と鶴川にも停車した[70]。当初は新宿と相模大野の間で運行していたが、その後小田原線全線に運行区間は拡大された[9]。
1972年3月14日ダイヤ改正で全て急行に格上げされて廃止[9]。
準急・直通
1927年4月1日に「直通」として設定された種別で、停車駅は新宿・経堂・稲田登戸以西の各駅であった[1]。新宿発着で稲田登戸以西に行く列車は全て「直通」として運行された[1]。開業当初は45分間隔で運行されていたが、わずか2ヵ月後には60分間隔に減便されている[1]。1929年4月1日に江ノ島線が開業すると、江ノ島線への直通列車も60分間隔で設定されたが、停車駅が異なり、停車駅は新宿・経堂・千歳船橋・祖師ヶ谷大蔵・成城学園前・狛江・喜多見・和泉多摩川・稲田多摩川・稲田登戸・玉川学園前以西の各駅であった[2]。第二次世界大戦末期の1945年6月に、全列車が各駅停車となったためいったん廃止された[3]。
終戦後の1946年10月1日に、準急として設定が復活した[3]。停車駅は新宿・下北沢・経堂・成城学園前・稲田多摩川以西の各駅であった[3]。1951年4月1日のダイヤ改正では停車駅が新宿・下北沢・経堂・成城学園前以西の各駅に変更された[5]。この時期は、日中の急行が増発されたことにともない、小田原線の準急は朝夕のみの運転となった[55]。江ノ島線準急は日中30分間隔で運行されており、新原町田か相模大野で急行の待避を行っていた[55]。1950年代までは、特に準急という表示はなく、行先表示板が小田原線準急は「□」、江ノ島線準急が「○」という形でデザインされることで区別されていた[55]。
1960年3月25日のダイヤ改正から、日中にも小田原線の準急の運行が行われるようになり、この頃から「準急」という種別表示が行なわれるようになり[71]、行先表示での区別はなくなった。1964年11月5日のダイヤ改正で日中の準急が全て快速準急に格上げされ[8]、代わりに「通勤」という区別をする必要がなくなった通勤準急が準急に改称された[8]。1971年4月19日ダイヤ改正からは、一部の準急が経堂へ停車するようになり[9]、1972年3月14日ダイヤ改正では日中の準急の運行が再開された[9]。なお、1973年に登場した9000形において、黒地に黄文字で「準急」という種別表示が用意され[67]、その後準急という種別を示す色として黄色が使用されるようになった。1974年6月1日からは、千代田線が代々木公園まで延伸されたため、朝ラッシュ時の上り準急に限り代々木八幡に停車するようになり[12]、千代田線の代々木上原延伸前日の1978年3月30日まで続けられた[12]。
1978年3月31日からは代々木上原も準急停車駅に追加された[72]。千代田線直通準急は朝夕を中心に設定されたが、千代田線直通準急の設定にあたって、列車間合いの関係から上り1本だけが生田・読売ランド前・百合ヶ丘を通過することになり[14]小田急社内では「スキップ準急」と呼ばれていた[15]。1990年3月27日のダイヤ改正で「スキップ準急」は設定がなくなった[24]。
2000年12月2日のダイヤ改正では、新宿発着の準急を設定変更する形で直通準急を設定、直通列車の大幅な増発が図られた[30]。しかし、2002年3月23日ダイヤ改正では日中の直通準急は全て多摩急行に格上げされ[34]、小田急線内の準急は朝夕のみの運行となった。2009年3月時点での準急の設定本数は、下り11本・上り17本である[73]。2004年12月11日ダイヤ改正以降、車両の種別表示において準急を示す色は緑色[注釈 3]となった[63]。
停車駅の変遷を表にまとめると以下のようになる。設定上停車したことがない駅は不掲載。
凡例:●…停車 ○…一部停車 —…通過 =…駅自体が未開設
停車駅 | 新 宿 |
代 々 木 八 幡 |
代 々 木 上 原 |
下 北 沢 |
経 堂 |
成 城 学 園 前 |
喜 多 見 |
狛 江 |
和 泉 多 摩 川 |
登 戸 |
向 ヶ 丘 遊 園 |
生 田 |
読 売 ラ ン ド 前 |
百 合 ヶ 丘 |
新 百 合 ヶ 丘 |
柿 生 |
鶴 川 |
玉 川 学 園 前 |
町 田 |
町田以西は 各駅に停車 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1927年4月1日 | ● | — | — | — | ● | — | — | — | — | — | ● | ● | ● | = | = | ● | ● | ● | ● | 直通 | |
1929年4月1日 | ● | — | — | — | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | — | = | = | — | — | ● | ● | 江ノ島線直通のみで、小田原線直通は変更なし | |
1946年10月1日 | ● | — | — | ● | ● | ● | — | — | — | ● | ● | ● | ● | = | = | ● | ● | ● | ● | ||
1951年4月1日 | ● | — | — | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | = | ● | ● | ● | ● | ||
1964年11月5日 | ● | — | — | ● | — | ● | — | — | — | ● | ● | ● | ● | ● | = | ● | ● | ● | ● | ||
1971年4月19日 | ● | — | — | ● | ○ | ● | — | — | — | ● | ● | ● | ● | ● | = | ● | ● | ● | ● | ||
1974年6月1日 | ● | ○ | — | ● | ○ | ● | — | — | — | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||
1978年3月31日 | ● | — | ● | ● | ○ | ● | — | — | — | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | ||
1990年3月27日 | ● | — | ● | ● | ○ | ● | — | — | — | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
通勤準急
1960年3月25日ダイヤ改正で初めて設定された[7]。設定当初の停車駅は新宿・下北沢・成城学園前・登戸以西の各駅であった[7]が、1964年11月5日に快速準急の設定により、日中の準急がなくなったため区別の意味がなくなり、準急に改称された[8]。
区間準急・「桜準急」
区間準急の運行は、1948年9月に設定された列車からである[3]。この列車では運板が桜のマークであったことから、通称「桜準急」と呼ばれていた[4]。停車駅は新宿・下北沢・豪徳寺以西の各駅であった[4]が、各駅停車の運転間隔が拡大されたことによって各駅停車が輸送力不足となったため、1950年2月に廃止された[4]。
それから50年以上が経過した2004年12月11日のダイヤ改正で、再び区間準急が設定された[37]。これは複々線化工事によって東北沢の待避線が使用できなくなるため、この区間に限って優等列車と同様の速達性を持たせて線路占有時間の拡大を抑える目的で設定され[37]、日中の新宿‐代々木上原間のスジはかつて運転されていた新宿発着の準急(千代田線直通準急→多摩急行に振替)のものを転用することにより代々木上原で多摩急行と接続するようにした[74]。停車駅は新宿・代々木上原・下北沢・梅ヶ丘以西の各駅である[37]。路線図や車両の種別表示において区間準急を示す色は空色である[63]。また優等列車ではあるがもとは各停であったことから、新宿では各停が使用する地下ホームからの発着であった。
2015年度中に新しい列車制御システム「D-ATS-P」が運用開始されたことに伴い複線でも運転間隔を詰められ線路占有時間拡大の問題も解消されたことに加え、2016年3月26日のダイヤ改正で日中ダイヤの大規模なパターン変更が行われ梅ヶ丘-百合ヶ丘間の急行通過駅は各停のみ毎時6本10分間隔の運転に改められるかわりに急行・快速急行との接続駅が統一されて乗り継ぎによる時間短縮と利便性向上が図られたことから種別廃止となった。
各駅停車
文字通り、各駅に停車する列車である。
1927年4月1日の開業当時は、新宿から経堂までと稲田登戸までの区間運転が設定されており[1]、稲田登戸以西にいく各駅停車は設定されていなかった。経堂までは日中5分間隔、稲田登戸までも10分間隔という高頻度運行であったが[1]、現実にはそれだけの需要はなく、わずか2ヵ月後には経堂までは最大10分間隔に、稲田登戸までも最大15分間隔に減便されている[1]。
1929年4月1日の江ノ島線開業後、1934年9月の時刻表では早朝と夜間に新原町田と小田原・片瀬江ノ島を結ぶ区間運転の設定が確認できる[注釈 4]。また、藤沢と片瀬江ノ島の間を運行する区間運転の列車が60分間隔で設定された[75]ほか、1938年5月1日ダイヤ改正後の時刻表では、江ノ島線への直通に接続して通信学校と相模厚木の間を運行する区間運転の列車が設定されている[注釈 5]。
第二次世界大戦末期の1945年6月には、全列車が各駅停車となった[3]が、電力節約と車両保護を目的として、全線が直列運転[注釈 6]であったため、新宿から小田原までは2時間39分、新宿から片瀬江ノ島までで2時間2分もかかる有様であった[3]。
戦後、優等列車の運行が再開されると、再び各駅停車は区間運転主体に戻った。1959年の時点では、新宿から成城学園前・向ヶ丘遊園と、新原町田から小田原・片瀬江ノ島までの区間を主としており[76]、基本的な運行系統は15種類ほど存在した[76]。1964年11月5日改正からは、相模大野と本厚木の間の各駅停車が15分間隔での運行に増発された[8]。
1972年12月18日からは海老名とともに愛甲石田・大根が終日急行停車駅として加わった[9]が、代わりにこの区間での日中の各駅停車の設定はなくなった[9]。
開業以来、各駅停車では行先表示板のデザインを「△」としていた[77]。しかし、1973年に登場した9000形においては、黒地に白文字で行き先を表示することとなり、行先表示のデザインで各駅停車という種別を区別することはなくなった[77]。また、9000形では黒地に青文字で「各停」という種別表示が用意され[67]、その後各駅停車という種別を示す色として青色が使用されるようになった[注釈 7]。
1983年3月22日ダイヤ改正では、一部の急行の停車駅に栢山・富水・蛍田・足柄が追加された[18]ことに伴い、それまで急行と接続して運行されていた新松田と小田原の区間運転の各駅停車の本数が削減された[18]。その後、1989年3月27日ダイヤ改正では、本厚木と新松田の日中の各駅停車の運行が復活した[78]。
種別表示も用意されたが運行実績のない種別
快速
1973年に登場した9000形において、黒地に緑文字で「快速」という種別表示が用意された[67]。この「快速」表示は、その後8000形でも用意されていた[79][注釈 8]が、2002年の湘南急行・多摩急行の運行開始とともに消滅した[注釈 9]。
脚注
注釈
- ^ このように途中で種別変更する急行は、趣味者からは「化け急」と呼ばれている(『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.159)。
- ^ 1985年3月14日に開業した開成駅は、当初より一部の急行が停車する。
- ^ ただし、この緑色自体は1978年3月31日の千代田線乗り入れ開始を機に制定されており、路線図や駅の時刻表・案内表示などでは当時から緑色で表示されていた。
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.44に1934年9月の時刻表が掲載されている。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.94に1938年5月1日改正の時刻表が掲載されている。
- ^ 通常、鉄道車両では低速域では主電動機を全て直列に接続し、高速域では主電動機を並列に接続する。この時は並列接続の使用を禁止している(『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.17)。
- ^ ただし、「各停」の種別幕は1994年頃に通過表示灯の点灯が廃止されるまでは使用されていなかった。
- ^ この当時の8000形の種別幕は、「急行」・「準急」・「各停」・無表示・「快速」という順序であった(『私鉄の車両2 小田急』 p.157)
- ^ 2010年時点で、地下鉄乗り入れ用の車両では「急行」・「準急」・「各停」・無表示・「多摩急行」・「快速急行」・「区間準急」という順序で(『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.247)、地上線用の車両では「急行」・「準急」・「各停」・無表示・「湘南急行」・「快速急行」・「区間準急」という順序となっている。(『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.247)
出典
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- ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.16
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.17
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.106
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.18
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.19
- ^ a b c d e f g h i j k 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.20
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.21
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.22
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.162
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.16
- ^ a b c d e f g h i 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.23
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.145
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.146
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.17
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.147
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.148
- ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.149
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.150
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.151
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.152
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 pp.152-153
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.153
- ^ a b c d e f g h 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.154
- ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.155
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.156
- ^ a b c 『鉄道ジャーナル』通巻356号 p.95
- ^ 『鉄道ジャーナル』第31巻第8号、鉄道ジャーナル社、1997年8月、88頁。
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- ^ a b c d e f g h 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.205
- ^ a b “終電 最大13分早く”. 日本経済新聞(夕刊) (東京都: 日本経済新聞社). (1999年7月15日)
- ^ a b c d e f g h i j k 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.206
- ^ a b c d e f g h i j k l 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.207
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 pp.206-207
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- ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.215
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- ^ a b c d e f g h 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.217
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- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻545号 p.26
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻545号 pp.26-27
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻545号 p.27
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻563号 p.94
- ^ a b c d "2014年3月15日(土) 小田急線ダイヤ改正実施" (PDF) (Press release). 小田急電鉄. 20 December 2013. 2014年1月18日閲覧。
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.86
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- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 pp.107-108
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- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.46
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- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 pp.133-134
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- ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.82
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.140
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.41
- ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.247
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.19
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.18
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.10
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻405号 p.177
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.190
- ^ なお、日中の急行は経堂にも停車するため多摩急行との差異は向ケ丘遊園に停車するか否かだけで、通勤時間帯とは違い実質的な格下げとなる。
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.29
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.77
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 pp.145-146
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 p.43
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻829号 pp.211-212
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.94
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス1』p.48
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』 p.137
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 pp.153-154
- ^ 『私鉄の車両2 小田急』 p.157
参考文献
書籍
- 小山育男、諸河久『私鉄の車両2 小田急』保育社、1985年。ISBN 4586532025。
雑誌記事
- 青木栄一「小田急電鉄のあゆみ(戦後編)」『鉄道ピクトリアル』第679号、電気車研究会、1999年12月、93-105頁。
- 生方良雄「開業当時の小田急電車」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、86-91頁。
- 生方良雄「桜準急」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、106頁。
- 生方良雄「御殿場線乗り入れ列車の思い出」『鉄道ピクトリアル』、電気車研究会、1991年7月、157-163頁。
- 生方良雄「私鉄車両めぐり37 小田急電鉄」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第1号、電気車研究会、2002年9月、pp. 42-71。
- 生方良雄「私鉄車両めぐり 小田急電鉄(補遺)」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第1号、電気車研究会、2002年9月、pp. 74-82。
- 刈田草一「小田急列車運転慨史」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、15-23頁。
- 刈田草一「小田急電鉄 列車運転の変遷」『鉄道ピクトリアル』第546号、電気車研究会、1991年7月、145-156頁。
- 岸上明彦「小田急電鉄現有車両プロフィール」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、241-295頁。
- 杉田弘志「小田急電鉄 列車運転の変遷とその興味」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、204-219頁。
- 陶山周保「輸送と運転の現況」『鉄道ピクトリアル』第546号、電気車研究会、1991年7月、15-21頁。
- 田島寛之「輸送と運転 近年の動向」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、38-48頁。
- 寺西知幸「沿線に住んで20年 江ノ島線の変化を振り返る」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、158-164頁。
- 富田丈一「小田急ロマンスカー「走る喫茶室」よもやま話」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、166-168頁。
- 本多聡志「小田急電鉄列車運転の興味」『鉄道ピクトリアル』第546号、電気車研究会、1991年7月、106-112頁。
- 本多聡志「小田急電鉄 列車運転の興味」『鉄道ピクトリアル』第679号、電気車研究会、1999年12月、189-193頁。
- 山下和幸「私鉄車両めぐり122 小田急電鉄」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、169-183頁。
- 「小田急運転ガイド」『鉄道ダイヤ情報』第46号、弘済出版社、1988年2月、34-41頁。
- 「Railway Topics『小田急30000形「EXE」 3月23日に運転開始』」『鉄道ジャーナル』第356号、鉄道ジャーナル社、1996年6月、90-97頁。
- 「夏季輸送を彩った臨時列車 快速急行、特殊急行など」『鉄道ピクトリアル』第679号、電気車研究会、1999年12月、82-83頁。
- 「小田急座談 (Part2) 輸送・運転編」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第2号、電気車研究会、2002年12月、6-20頁。
- 「発展期の小田急 1960年代の表情」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第2号、電気車研究会、2002年12月、21-35頁。
- 「甦る読者短信」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第2号、電気車研究会、2002年12月、130-141頁。
- 「2012年3月17日ダイヤ改正の概要」『鉄道ジャーナル』第545号、鉄道ジャーナル社、2012年3月、22-27頁。
- 「小田急線の列車ダイヤ研究」『鉄道ジャーナル』第563号、電気車研究会、2013年1月、90-99頁。
関連項目