小田急4000形電車 (初代)

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小田急4000形電車
不定期急行に使用される吊り掛け車時代の4000形電車(1981年)
不定期急行に使用される吊り掛け車時代の4000形電車(1981年)
編成 3両固定編成(1966年から[1]1988年まで[2]
4両固定編成(1985年から[3]全廃まで[4]
5両固定編成(1974年から[5]1987年まで[6]
6両固定編成(1985年から[3]全廃まで[4]
設計最高速度 95km/h(吊)[5]
110km/h(高)[7]
起動加速度 1.7km/h/s(吊・3両固定編成)
2.3km/h/s(高・4両固定編成)[7]
2.6km/h/s(高・6両固定編成)[7]
減速度 3.5km/h/s(高)[7](常用最大)
4.0km/h/s(高)[7](非常)
車両定員 144名(先頭車)
162名(中間車)
最大寸法
(長・幅・高)
20,000mm×2,900mm×3,875mm(吊・制御車)[8]
20,000mm×2,900mm×4,125mm(吊・電動車)[8]
20,000mm×2,900mm×4,040mm(高・制御車)[7]
20,000mm×2,900mm×4,135mm(高・電動車)[7]
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
主電動機 三菱電機 MB-146-AR(吊)
三菱電機 MB-146-CFR(吊)
三菱電機 MB-3039-A(高)
主電動機出力 93.3kW直巻整流子電動機端子電圧750V)(吊)
120kW(直巻整流子電動機・端子電圧340V)(高)
歯車比 59:24=2.46(吊)
90:17=5.3(高)
駆動装置 吊り掛け駆動方式(吊)
WN駆動方式(高)[9]
制御装置 三菱電機 ABF-125-15
抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
台車 東急車輛製造 PIII-706M(吊・電動台車)
東急車輛製造 PIII-706T(吊・付随台車)
東急車輛製造 TS-814(吊・付随台車)
東急車輛製造 TS-818(吊・電動台車→高・付随台車)
東急車輛製造 TS-826(高・電動台車)
制動方式 自動空気ブレーキ(AMMR-L・1968年まで)
電磁直通ブレーキ(HSC・1969年以降)
保安装置 OM-ATS(1969年以降)
製造メーカー 東急車輛製造
日本車輌製造
川崎車両/川崎重工業
備考 諸元の「吊」は吊り掛け車時代、「高」は高性能車時代

小田急4000形電車(おだきゅう4000がたでんしゃ)は、小田急電鉄(小田急)で1966年から2005年まで運用されていた通勤車両である。

開業当時から戦後間もないころにかけて製造された旧形式車両の主電動機を流用し[10]、車体や制御機器を新製することにより輸送力の強化を図った車両で[10]、登場当初は非冷房・吊り掛け駆動方式で3両固定編成×22編成が製造された[1]が、1974年から1976年にかけて中間車を増備の上、一部の編成を5両固定編成としており[5]、最終的には合計92両が製造された[11]。1985年以降は2400形(HE車)の主電動機を流用して高性能化するとともに冷房化改造が行なわれ[12]、同時に4両固定編成×8編成と6両固定編成×10編成に組成変更された[12]が、2003年から3000形の増備によって淘汰が開始され[4]、2005年までに全車両が廃車となった[11]

小田急では、編成表記の際には「新宿寄り先頭車両の車両番号(新宿寄り先頭車の車号)×両数」という表記を使用している[13]ため、本項もそれに倣い、特定の編成を表記する際には「4004×5」「4014×3」「4055×4」「4251×6」のように表記する。また、特定の車両については車両番号から「デハ4100番台」などのように表記し、1200形1400形をまとめて「HB車」、1600形1700形1900形2100形をまとめて「ABF車」、2400形を「HE車」、2600形を「NHE車」と表記する。ただし、5000形以降の形式はそのまま表記する。

登場の経緯[編集]

小田急開業当時から戦前にかけて製造されたHB車は、1950年代後半に大規模な更新修繕や形態統一を行なっており[14]、「これで15年や20年は使える」と言われていた[10]。しかし、1960年代に入ると16m級車体で2扉の小型車であるHB車は、高くなる列車密度の中では機能的に使用できなくなっていった[10]。しかし、主要な機器は更新していたこと[14]から、使用可能な部品を再利用の上[10]、NHE車と同様の大型車体を新造して[3]、逼迫した輸送需要に対応できる車両とすることになった[15]

こうして、開業当時からの車両の電装品を流用して登場したのが4000形である。旧形式車両の車体更新自体は他の鉄道事業者においても例があるが、4000形は車体だけではなく制御機器や台車も新造し[16]、流用したものは電装品などの一部の機器のみにとどまっていることが特徴である[17]

車両概説[編集]

本節では、登場当時の仕様を基本として、増備途上での変更点を個別に記述する。更新による変更については沿革で後述する。

4000形は全長20mの車両による3両固定編成で製造され[1]、1974年から1976年にかけて一部の編成が中間車を増備して5両固定編成となった[5]。形式は小田原側先頭車(制御車)がクハ4050形で、新宿側先頭車(制御電動車)と中間車(電動車)はいずれもデハ4000形である。車両番号については、巻末の編成表を参照のこと。

車体[編集]

先頭車・中間車とも車体長19,500mm・全長20,000mmで、車体幅は2,900mmの全金属製車体である。正面は貫通型3枚窓で、側面客用扉は各車両とも4箇所である。基本的な車体構造はNHE車と同一となっている[15]

1974年以降に増備された車両では、車体側面中央の客用窓上部に種別表示器用の小窓が設置された[1]が、機器自体は未設置である[1]

外部塗色は、1969年6月以前に竣工した4017×3までは、ダークブルーとオレンジイエローの2色塗り塗装という当時の通勤車両の標準色であった[1]が、1969年6月以降に竣工した4018×3以降の車両は、ケイプアイボリーをベース色として、300mm幅でロイヤルブルーの帯を窓下に入れるという通勤車両の新標準色塗装で登場した[1]

内装[編集]

車内はロングシートで、内装はNHE車と同一仕様である[15]

主要機器[編集]

主電動機は前述の通り、HB車およびABF車から流用した三菱電機製の直巻電動機である。HB車に使用されていたMB-146-A型はデハ4000番台のうちのデハ4017まで[15]とデハ4100番台のうちのデハ4117まで[15]、デハ4213[15]、デハ4313[15]に使用され、それ以外の車両にはABF車に使用されていたMB-146-CFR型が使用された[18]。これらの電動機の種車となった形式は、デニ1000形デニ1100形・デハ1200形・デハ1400形・デハ1600形・デハ1700形・デハ1900形・デハ2100形の8形式に及んでいる[15]が、全て端子電圧750V、出力93.3kWの主電動機で統一されており[19]、戦前からの統一化思想が役立ったことになる[19]

主制御器は三菱電機製の直並列抵抗電動カム軸式制御装置であるABF-125-15型を新製し、デハ4100番台・デハ4300番台の車両に搭載した。4000形では1台の制御装置で8基の主電動機の制御を行なう方式 (1C8M) とした[15]が、主電動機の端子電圧の関係から、主回路接続は電動機2基を直列に接続したものを1組として直並列制御を行なう方式 (2S4P) とした[15]。また、分流式の弱め界磁が設置された[20]

制動装置(ブレーキ)は、1967年度までに製造された4008×3までは応荷重機構電磁自動制動 (AMMR-L) を装備し[19][注釈 1]、ブレーキ弁についても種車のものを流用していた[20]が、1968年度以降の増備車(4009×3)からは応荷重機構付電磁直通制動 (HSC) に変更された[19][注釈 1]発電ブレーキは装備せず、基礎制動装置として高速域からのブレーキ効果が高いディスクブレーキを採用した[21]。1974年以降の増備車のうち、軸バネ式台車を装備した車両ではシングル式(片押し式)踏面ブレーキが採用された[22]

台車は、1970年までに製造された車両については東急車輛製造製の軸梁ゴムブロック式空気バネ台車であるパイオニアIII-706形(PIII-706)を採用した[19]。電動台車がPIII-706M形[20]、付随台車はPIII-706T形[20]で、いずれも車輪径910mm・軸間距離は2,350mmである[23]。採用に先立って、1963年10月に東京急行電鉄から7000系デハ7019・7020を借り入れて性能確認試験を行なった[24]ほか、1964年にはデハ1304を使用して性能確認試験が行なわれている[25]。また、1974年以降に制御車用の台車として東急車輛製造製の軸バネ式空気バネ台車であるTS-814形台車が[19]、1976年に製造された車両のうち、デハ4212・デハ4213・デハ4212・デハ4213には東急車輛製造製軸バネ式空気バネ台車のTS-818形台車が採用された[19]。いずれの軸バネ式台車も車輪径910mm・軸間距離2,350mm(TS-814形は軸間距離2200mm)である[23]

補助電源装置は、デハ4000番台の車両に9kVAのCLG-318C型電動発電機 (MG) を2台搭載した[26]電動空気圧縮機 (CP) は、両側の先頭車にDH-25型を1台ずつ搭載した[26]集電装置(パンタグラフ)は各電動車の小田原側屋根上に、PT42-K4形菱枠パンタグラフを設置した[26]が、デハ4200番台・デハ4300番台では取り付け位置が車体中央方向に800mm移設されている[27]

運転台の機器配置はNHE車と同様であるが、車両の性能が異なるため、乗務員室の色彩を変えて区別している[21][注釈 2]

編成両端の連結器については、1967年度までに製造された4008×3まではNCBII形密着自動連結器であった[20]が、1968年度以降の増備車(4009×3)はCSD78形密着連結器とした[27]

沿革[編集]

登場当初[編集]

1966年12月以降にNHE車と並行して増備され[28]、1970年までに22編成が導入された[20]。4000形3両固定編成での定員は450名となり、HB車の3両編成での旅客定員が352名であったのと比較すると大幅な収容力の増強を実現した[10]。1969年以降はABF車の1600形を種車として増備されている[29]。1968年度に製造された車両からはブレーキ装置がAMMR-LからHSCに変更され[19]、それまでに製造された車両についても1969年までにHSCに改造され[29]、同時にOM-ATSの設置と先頭部連結器のCSD78形密着連結器への交換が行なわれた[19]

小田急百貨店本館完成記念特別塗装

1967年11月には、小田急百貨店の本館が完成したことを記念して、4001×3が白をベースとして赤と金色の帯が入る特別塗装に変更された[1]。この特別塗装は1968年3月に標準色に戻された[1]

登場後しばらくは単独編成で江ノ島線を中心に、相模大野以西の各駅停車に使用されていた[29]が、2編成を連結した6両編成で高加減速を必要としない急行準急にも使用された[29]

連続脱線事故と5両固定編成の登場[編集]

1969年から、小田急では朝の通勤輸送の対応策として、全長20m級の大型車による8両編成での運行を開始することになっていたが、この時点では大型車のみで8両編成を組成できる形式が5000形1800形しか存在しなかった[30]。折りしも1800形は1967年から1969年にかけて体質改善工事が実施されており[31]、ブレーキも4000形と同じHSCに変更されていた[31]

このような事情から、4000形と1800形を連結した8両編成について検討が進められ[30]、理論上は問題ないという結論となった[30]ことから、1969年から1800形と4000形を連結した5両編成での運用が[31]、それに4000形をもう1編成連結した8両編成での運用が開始された[30]。1800形と4000形の連結運用によって、朝の通勤急行のうち9本が4000形と1800形を連結した大型8両編成で運行できるようになり[32]、大幅な輸送力増強が図られた[33]

暫定5両編成化の概略図

ところが、4年ほど経過した1973年、4月19日と5月2日に連続して脱線事故が発生した[34]。このため、急遽1800形との連結は中止されることとなり[33]、1800形と4000形の連結によって運行されていた9本の通勤急行のうち、7本を4000形だけで運用する必要に迫られた[32]。このため、7編成に対して制御車を外した上で他の編成に連結する暫定5両編成が組成され、編成から外された制御車7両は休車となった[35]

脱線事故については、運輸省内に「小田急線連続脱線事故調査委員会」が設置され[34]、同年5月28日深夜には検証と原因究明のために実車を使用した測定試験が行なわれた[34]。日本の私鉄における脱線事故で、大掛かりな現車試験が行なわれるのはこれが初めてのことであった[34]。この結果、脱線の要因は低速時の浮き上がり脱線であることが判明した[33]。当時小田急電鉄勤務だった生方良雄は、後年「4000形のパイオニアIII形台車と、ばねの固い1800形のDT13形台車の相性が悪かったことが真実だと思う」と述べている[33][注釈 3]

その一方、制御車7両が休車となったことによって運用車両数が確保できなくなり[33]、一部列車の編成の削減を余儀なくされる状態となった[33]。この対応策として、1974年から4000形の中間電動車を増備することによって暫定5両編成を解消することになった[33]

5両固定編成化された4000形

中間電動車の増備にあたり、制御車に使用していたPIII-706T形台車を増備される中間電動車に流用することになり、1974年から1975年にかけて制御車の台車を新製された軸バネ式空気バネ台車のTS-814形に交換した[36]。PIII-706T形台車は若干の改造の上電動台車のPIII-706M形に変更された[27]。しかし、増備される中間車が26両であるのに対し[19]、パイオニアIII形台車を提供する制御車の両数は22両だった[27]ため、不足する4両分の台車は軸バネ式空気バネ台車のTS-818形を新製した[19]。主電動機については、ABF車の主電動機を流用することになり、ABF車の淘汰が進められることとなった[33]。5両固定編成化に伴い、デハ4000番台のパンタグラフを撤去した[1]ほか、クハ4050番台の電動空気圧縮機 (CP) を大容量のC-2000M形に交換し[37]、デハ4200番台の車両にも搭載された[36]

中間電動車の増備により、1976年までに13編成が5両固定編成化され[1]、暫定5両編成は解消された。

1973年から1976年にかけて自動解結装置電気連結器の設置が行なわれた[36]ほか、1976年から1978年にかけて全ての先頭車にスカートを設置した[36]。また、3両固定編成のクハ4050番台の電動空気圧縮機 (CP) を大容量のC-2000M形に交換した[36]

冷房・高性能化[編集]

1977年の急行10両編成化以降、4000形の5両固定編成を2編成連結した10両編成の運用も見られた[29]が、最高速度が95km/hで[5]、車両重量の増加を伴う冷房化改造は車軸強度上から著しく困難であった[5]。既に小田急の通勤車両は冷房付の高性能車が主力の状況であり[36]、4000形についても同等の水準とすることが望ましくなった[36]

このため、1985年から冷房化と高性能化を主とした改造が開始され[36]、同時に他の高性能車と同様の6両固定編成・4両固定編成への組成変更が行なわれた[36]

冷房・高性能化にあたり、主制御装置は元来装備していたABF-125-15形を流用した[38]が、応荷重装置が加速時にも機能するようにした[38]ほか、制御段数の変更が行なわれた[38]。主電動機は、同年から廃車が開始されたHE車の使用していた主電動機である三菱電機製MB-3039-A形を流用した[39]。駆動装置はWNドライブとなり[9]歯車比は5000形と同じ90:17=5.3となった[39]。電動台車については、基礎制動装置をディスクブレーキとした軸バネ式空気バネ台車のTS826を新製した[40]が、ブレーキディスクはパイオニアIII形台車から流用された[41]。付随台車についてはTS814とTS818を流用した[38]。発電ブレーキは装備していない[9]

搭載する冷房装置は8000形と同型で冷凍能力10,500kcal/hの三菱電機製CU-195A形を採用し、各車両の屋根上に4台設置した。屋根上のクーラーキセ(カバー)は、8000形とは異なり各装置ごとに単独のものとなっている[9]。なお、工作の簡易化を図るために冷風ダクトの設置は行なわず[39]、補助送風装置として扇風機を先頭車4台・中間車5台設置した[37]。また、補助電源装置については静止形インバータ (SIV) が新製され[9]、4両編成ではクハ4050番台・デハ4000番台の車両に90kVAのSIVを1基ずつ[39]、6両固定編成ではデハ4200番台・デハ4400番台の車両に120kVAのSIVを1基ずつ搭載した[38]

高性能化後の4000形(4255×6)

車体については基本的にはそのまま流用している[9]が、製造から20年近く経過していることから各部の補強が行なわれた[9]ほか、妻面の窓は固定化された[39]。デハ4100番台・デハ4400番台の車両の新宿側には仕切り扉が設置された[42]。また、全車両の側面に種別・行先表示器が設置された[39]。パンタグラフの搭載位置は全て8000形と揃えられ、デハ4200番台を除く各車両の小田原側に搭載された[38]。乗務員室内の色彩も他形式と同様のライトグリーンに変更された[9]

組成変更は以下のような3パターンに大別される[39]巻末の編成表「4両固定編成」「6両固定編成」も参照されたい。

  • 5両固定編成×2編成を4両固定編成と6両固定編成各1編成に変更
  • 3両固定編成と5両固定編成各1編成を4両固定編成×2編成に変更
  • 3両固定編成×2編成を6両固定編成×1編成に変更

1988年度末に全車両の改造が終了した[39]が、この改造および組成変更に伴い、92両全車両が改番された[27]。5両固定編成は1987年7月に運用を終了し[6]、さらに3両固定編成も1988年9月16日限りで運用終了となり[2]、小田急の路線から営業運行を行なう吊り掛け駆動方式の電車は消滅した[2]

淘汰[編集]

改造後の4000形は、4両固定編成が江ノ島線を中心に[39]、6両固定編成は全線で運用されるようになった[39]。なお、高性能化以前は、5両固定編成と3両固定編成を組み合わせた8両編成がしばしばみられた[41]が、高性能化以後は4両固定編成を2編成連結した8両編成で運行することは稀であった[41]

その後は大きな車両の動きはなかった[4]が、2003年からは3000形の増備に伴い、NHE車とともに淘汰が開始された[4]さよなら運転などは行なわれず[4]、2005年1月までに全車両が廃車・解体された[11]

編成表[編集]

凡例 
Tc …制御車、Mc …制御電動車、M …電動車、T…付随車、CON…制御装置、MG…補助電源装置(電動発電機)、SIV…補助電源装置(静止形インバータ)、CP…電動空気圧縮機、PT…集電装置

3両固定編成(1966年-1988年)[編集]

当時は号車番号は付番されていなかった。

 
新宿
形式 クハ4050 デハ4000 デハ4000
区分 Tc M2 Mc1
車両番号 4051 4101 4001
4052 4102 4002
4053 4103 4003
4054 4104 4004
4055 4105 4005
4056 4106 4006
4057 4107 4007
4058 4108 4008
4059 4109 4009
4060 4110 4010
4061 4111 4011
4062 4112 4012
4063 4113 4013
4064 4114 4014
4065 4115 4015
4066 4116 4016
4067 4117 4017
4068 4118 4018
4069 4119 4019
4070 4120 4020
4071 4121 4021
4072 4122 4022
搭載機器 CP CON,PT MG,CP,PT
自重 27.28t 37.14t 37.56t
定員 144 162 144

暫定5両編成(1973年-1976年)[編集]

当時は号車番号は付番されていなかった。新宿側2両と小田原側3両の組み合わせは変更されることがあった[35]

 
新宿
形式 クハ4050 デハ4000 デハ4000 デハ4000 デハ4000
区分 Tc M2 Mc1 M2 Mc1
車両番号 4071 4121 4021 4101 4001
4057 4107 4007 4104 4004
4069 4119 4019 4106 4006
4053 4103 4003 4112 4012
4070 4120 4020 4115 4015
4060 4110 4010 4117 4017
4059 4109 4009 4118 4018
搭載機器 CP CON,PT MG,CP,PT CON,PT MG,CP,PT
自重 27.28t 37.14t 37.56t 37.14t 37.56t
定員 144 162 144 162 144

5両固定編成(1974年-1987年)[編集]

当時は号車番号は付番されていなかった。

 
新宿
形式 クハ4050 デハ4000 デハ4000 デハ4000 デハ4000
区分 Tc M4 M3 M2 Mc1
車両番号 4051 4301 4201 4101 4001
4052 4302 4202 4102 4002
4053 4303 4203 4103 4003
4054 4304 4204 4104 4004
4055 4305 4205 4105 4005
4056 4306 4206 4106 4006
4057 4307 4207 4107 4007
4058 4308 4208 4108 4008
4059 4309 4209 4109 4009
4060 4310 4210 4110 4010
4061 4311 4211 4111 4011
4062 4312 4212 4112 4012
4063 4313 4213 4113 4013
搭載機器 CP CON,PT MG,CP,PT CON,PT MG,CP
自重
()内は末尾12・13
27.28t 37.14t
(37.79t)
36.89t
(37.54t)
37.10t 36.96t
定員 144 162 162 162 144

4両固定編成(1985年-2004年)[編集]

 
新宿
号車 7 8 9 10
形式 クハ4050 デハ4000 デハ4000 クハ4050
区分 Tc2 M2 M1 Tc1
車両番号
()内は旧番号
4151
(4051)
4101
(4301)
4001
(4201)
4051
(4001)
4152
(4052)
4102
(4302)
4002
(4202)
4052
(4002)
4153
(4053)
4103
(4303)
4003
(4203)
4053
(4003)
4154
(4054)
4104
(4304)
4004
(4204)
4054
(4004)
4155
(4056)
4105
(4306)
4005
(4206)
4055
(4006)
4156
(4058)
4106
(4308)
4006
(4208)
4056
(4008)
4157
(4062)
4107
(4312)
4007
(4212)
4057
(4012)
4158
(4066)
4108
(4116)
4008
(4112)
4058
(4016)
搭載機器
CP CON,PT SIV,PT SIV,CP
自重 30.0t 39.0t 38.5t 32.5t
定員 144 162 162 144

6両固定編成(1985年-2004年)[編集]

 
新宿
号車 1 2 3 4 5 6
形式 クハ4050 デハ4000 デハ4000 デハ4000 デハ4000 クハ4050
区分 Tc2 M4 M3 M2 M1 Tc1
車両番号
()内は旧番号
4551
(4060)
4501
(4310)
4401
(4210)
4301
(4110)
4201
(4101)
4251
(4010)
4552
(4055)
4502
(4305)
4402
(4205)
4302
(4105)
4202
(4102)
4252
(4005)
4553
(4063)
4503
(4313)
4403
(4213)
4303
(4113)
4203
(4103)
4253
(4013)
4554
(4072)
4504
(4122)
4404
(4022)
4304
(4118)
4204
(4068)
4254
(4018)
4555
(4059)
4505
(4309)
4405
(4209)
4305
(4109)
4205
(4106)
4255
(4009)
4556
(4064)
4506
(4114)
4406
(4014)
4306
(4115)
4206
(4065)
4256
(4015)
4557
(4069)
4507
(4119)
4407
(4019)
4307
(4117)
4207
(4067)
4257
(4017)
4558
(4071)
4508
(4121)
4408
(4021)
4308
(4120)
4208
(4070)
4258
(4020)
4559
(4057)
4509
(4307)
4409
(4207)
4309
(4107)
4209
(4104)
4259
(4007)
4560
(4061)
4510
(4311)
4410
(4211)
4310
(4111)
4210
(4108)
4260
(4011)
搭載機器
CP CON,PT SIV,PT CON,PT SIV CP
自重 30.0t 39.0t 38.5t 39.0t 38.5t 30.0t
定員 144 162 162 162 162 144

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ a b 応荷重機構はブレーキのみ動作し、加速時には機能しなかった(鉄道ピクトリアル 通巻405号 船山貢『小田急車両総説』 (1982) p.95)。
  2. ^ 他の高性能車ではライトグリーンであったが、吊り掛け駆動方式時代の4000形では藤色となっていた(鉄道ファン通巻296号 松原淳『小田急4000形冷房改造』 (1985) p.124)。
  3. ^ これらの連続脱線事故を重く見た南海電鉄は、運用を制限してでもパイオニア台車の車両と他の台車の車両の連結を禁止した(詳しくは南海6000系電車を参照)。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 小山育男『私鉄の車両2 小田急電鉄』 (1985) p.72
  2. ^ a b c 鉄道ピクトリアル 通巻546号 刈田草一『小田急電鉄 列車運転の変遷』 (1991) p.153
  3. ^ a b c 大幡哲海『小田急電鉄の車両』 (2002) p.60
  4. ^ a b c d e f 鉄道ピクトリアル 通巻829号 岸上明彦『小田急電鉄現有車両プロフィール』 (2010) p.293
  5. ^ a b c d e f 生方良雄『日本の私鉄5 小田急』 (1981) p.53
  6. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻546号 刈田草一『小田急電鉄 列車運転の変遷』 (1991) p.152
  7. ^ a b c d e f g 鉄道ファン 通巻296号 松原淳『小田急4000形冷房改造』 (1985) p.125
  8. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻405号 船山貢『小田急車両総説』 (1982) p.98
  9. ^ a b c d e f g h 鉄道ファン 通巻296号 松原淳『小田急4000形冷房改造』 (1985) p.124
  10. ^ a b c d e f 生方良雄『日本の私鉄5 小田急』 (1981) p.120
  11. ^ a b c 鉄道ピクトリアル 通巻829号 岸上明彦『小田急電鉄現有車両プロフィール』 (2010) p.292
  12. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻829号 岸上明彦『小田急電鉄現有車両プロフィール』 (2010) pp.292-293
  13. ^ 鉄道ダイヤ情報 通巻145号『EXE 115DAYS』 (1996) p.15
  14. ^ a b 生方良雄『日本の私鉄5 小田急』 (1981) p.52
  15. ^ a b c d e f g h i j 小山育男『私鉄の車両2 小田急電鉄』 (1985) p.68
  16. ^ 鉄道とテクロノジー 通巻12号『小田急の技術』 (2011) p.106
  17. ^ 鉄道とテクロノジー 通巻12号『小田急の技術』 (2011) p.105
  18. ^ 小山育男『私鉄の車両2 小田急電鉄』 (1985) pp.68-69
  19. ^ a b c d e f g h i j k 小山育男『私鉄の車両2 小田急電鉄』 (1985) p.69
  20. ^ a b c d e f 鉄道ピクトリアル 通巻546号 大幡哲海『私鉄車両めぐり145 小田急電鉄』 (1991) p.181
  21. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻405号 船山貢『小田急車両総説』 (1982) p.95
  22. ^ 小山育男『私鉄の車両2 小田急電鉄』 (1985) p.142
  23. ^ a b 小山育男『私鉄の車両2 小田急電鉄』 (1985) p.147
  24. ^ 小山育男『私鉄の車両2 小田急電鉄』 (1985) p.129
  25. ^ 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション1『小田急座談 (Part1) 車両編』 (2002) p.14
  26. ^ a b c 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2 山下和幸『私鉄車両めぐり101 小田急電鉄』 (1973) p.64
  27. ^ a b c d e 鉄道ピクトリアル 通巻679号 大幡哲海『私鉄車両めぐり164 小田急電鉄』 (1999) p.222
  28. ^ 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2 山下和幸『私鉄車両めぐり101 小田急電鉄』 (1973) p.74
  29. ^ a b c d e 鉄道ピクトリアル 通巻405号 山下和幸『私鉄車両めぐり122 小田急電鉄』 (1982) p.176
  30. ^ a b c d 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2『小田急座談 (Part2) 輸送・運転編』 (2002) p.17
  31. ^ a b c 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2 山下和幸『私鉄車両めぐり101 小田急電鉄』 (1973) p.62
  32. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻829号 橋本政明『固定編成 組み換えの記録』 (2010) p.192
  33. ^ a b c d e f g h 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション2『小田急座談 (Part2) 輸送・運転編』 (2002) p.18
  34. ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル アーカイブス2』p.139
  35. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻829号 橋本政明『固定編成 組み換えの記録』 (2010) p.193
  36. ^ a b c d e f g h i 鉄道ピクトリアル 通巻546号 大幡哲海『私鉄車両めぐり145 小田急電鉄』 (1991) p.182
  37. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻679号 大幡哲海『私鉄車両めぐり164 小田急電鉄』 (1999) p.223
  38. ^ a b c d e f 鉄道ピクトリアル 通巻679号 大幡哲海『私鉄車両めぐり164 小田急電鉄』 (1999) p.225
  39. ^ a b c d e f g h i j 鉄道ピクトリアル 通巻546号 大幡哲海『私鉄車両めぐり145 小田急電鉄』 (1991) p.183
  40. ^ 鉄道ピクトリアル 通巻679号 大幡哲海『私鉄車両めぐり164 小田急電鉄』 (1999) pp.224-225
  41. ^ a b c 鉄道ピクトリアル 通巻829号 橋本政明『固定編成 組み換えの記録』 (2010) p.194
  42. ^ 鉄道ピクトリアル 通巻679号 大幡哲海『私鉄車両めぐり164 小田急電鉄』 (1999) p.224

参考文献[編集]

書籍[編集]

雑誌記事[編集]

  • 大幡哲海「私鉄車両めぐり145 小田急電鉄」、『鉄道ピクトリアル』第546号1991年7月、 175-197頁。
  • 大幡哲海「私鉄車両めぐり164 小田急電鉄」、『鉄道ピクトリアル』第679号、電気車研究会、1999年12月、 201-243頁。
  • 刈田草一「小田急電鉄 列車運転の変遷」、『鉄道ピクトリアル』第546号1991年7月、 145-156頁。
  • 岸上明彦「小田急電鉄現有車両プロフィール」、『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、 241-295頁。
  • 橋本政明「固定編成 組み換えの記録」、『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、 192-203頁。
  • 船山貢「小田急車両総説」、『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、 92-99頁。
  • 松原淳「小田急4000形冷房改造」、『鉄道ファン』第296号、交友社、1985年12月、 124-125頁。
  • 山下和幸「私鉄車両めぐり122 小田急電鉄」、『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、 169-183頁。
  • 山下和幸「私鉄車両めぐり101 小田急電鉄」、『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第2号、電気車研究会、2002年12月、 59-82頁。
  • 「小田急座談 (Part1) 車両編」、『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第1号、電気車研究会、2002年9月、 6-16頁。
  • 「小田急座談 (Part2) 輸送・運転編」、『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第2号、電気車研究会、2002年12月、 6-20頁。
  • 「甦る読者短信」、『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第2号、電気車研究会、2002年12月、 130-141頁。
  • 「小田急の技術」、『鉄道のテクノロジー』第12号、三栄書房、2011年10月、 100-109頁、 ISBN 9784779613494

関連項目[編集]