ロブソン・ポンテ

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ロブソン・ポンテ
名前
愛称 ロビー
ラテン文字 Robson PONTE
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1976-11-06) 1976年11月6日(47歳)
出身地 サンパウロ州サンパウロ
身長 170cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF/FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1996 ブラジルの旗 CAジュベントス
1997 ブラジルの旗 アメリカFC
1998-1999 ブラジルの旗 グアラニFC 32 (16)
1999-2003 ドイツの旗 バイヤー・レバークーゼン 79 (6)
2001-2003 ドイツの旗 VfLヴォルフスブルク(loan) 61 (13)
2005-2010 日本の旗 浦和レッドダイヤモンズ 144 (33)
2011 ブラジルの旗 グレミオ・バルエリ 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロブソン・ポンテ(Robson Ponte、1976年11月6日-)は、ブラジルサンパウロ出身の元サッカー選手ポジションMF(攻撃的MF)、またはFW

2007年にJリーグ最優秀選手(MVP)を受賞。

来歴

1996年、地元のサッカークラブ・CAジュベントスでプロ選手としてデビューした。グアラニFCを経てドイツバイエル・レバークーゼンへ移籍。入団当初はあまり活躍できず、2001年にVfLヴォルフスブルクにレンタルされた。そこでの活躍が認められ、2003年にレバークーゼンへ復帰した。2004年にレバークーゼンの一員としてUEFAチャンピオンズリーグに出場した。当時のチームメイトにはドイツ代表シュナイダーブルガリア代表ベルバトフ、後に柏レイソルへ移籍することとなるフランサらがいた。グループリーグではレアル・マドリードと対戦して3-0で勝利した。

その後、当時浦和レッズの監督だったギド・ブッフバルトに口説かれ2005年7月、浦和レッドダイヤモンズに加入。Jリーグ公式戦初出場となった2005年8月20日FC東京戦で初ゴールを決めた。

2007年にはAFCチャンピオンズリーグに出場し、5得点を挙げ得点王に輝くとともに、浦和レッズの優勝に貢献。リーグ戦では7得点12アシストの活躍で2007年JリーグMVPに選ばれた。

2007年12月1日に行われた横浜FC戦において負傷をし途中交代。診断結果が右膝前十字靭帯損傷だった為、12月5日にブラジルへ帰国した(14日に手術を受け成功)。この負傷の影響でFIFAクラブワールドカップ2007へ出場することは出来なかった。

2008年5月31日ナビスコカップ予選リーグ第5節、対ヴィッセル神戸戦で復帰したが、7月5日に行われたJリーグ第15節、対FC東京戦で肉離れを発症し1ヶ月ほど離脱する等、ベストには程遠い出来のまま消化不良の形でシーズンを終える事となった。

2009年は主に5人の中盤のトップ下や右サイドでプレー。試合展開によってはボランチにポジションを下げる事もあった。この年はプレーにキレを取り戻しつつあったものの、負傷での離脱、累積警告や退場による出場停止で欠場する試合も度々見受けられた。

2010年は一時期、6月の契約満了をもって退団という報道がされていた[1] が、シーズン開始から好調を維持していたためシーズン終了まで契約を延長した[2]。その後も負傷で離脱した時期以外は好調を維持し、貴重なゴールやアシストで浦和の勝利に貢献していたが、11月19日、契約満了を持って2010シーズン限りで退団する事が発表された[3]

浦和退団後は住み慣れた埼玉での現役続行を目指し、代理人を通じて大宮アルディージャとコンタクトを取った[4] が、最終的にはブラジルでの現役続行を表明し[5]、2011年5月にグレミオ・バルエリへの入団が発表された。

2013年5月11日 Jリーグ20thアニバーサリーマッチにレジェンドプレイヤーとして来日した。 試合終了後にはピッチに降り、We are Diamondsに参加し元チームメイト達と勝利を祝った。 5月18日サガン鳥栖戦も観戦し、帰国の途に着いた。

エピソード・アラカルト

  • イタリア移民の家系であるためイタリア国籍も持っている。ポンテ(Ponte)という姓はイタリア語の意味。
  • 8歳のころに母親を心臓病で亡くし、18歳のころに父親をでなくしている。
  • 2005年に浦和への移籍が合意した際、背番号は当時空き番だった16が予定されていたが、合流直前に10番を付けていたエメルソンが退団し10番が空いた為、10を付ける事となった。
  • 2006年12月2日のガンバ大阪との優勝決定戦で後半38分に坪井慶介と交代してベンチへ退いた後、あらかじめ用意していた楽器を使って三都主アレサンドロと共にサポーターの応援に合わせて陽気なサンバのリズムを奏でるなど、お茶目な一面もある。
  • レバークーゼン時代、「なぜポンテがブラジル代表に呼ばれないのか」という議論がヨーロッパの一部で起きたとも言われる[要出典]
  • 在京強豪クラブの幹部からは「ポンテになら5億円支払っても惜しくはない」と言われる程に評価が高い[6]。実際ポンテ個人で試合が大きく変わる事も多く、好不調でチームへ与える影響力の強い選手である。
  • 2008年1月26日に母国ブラジル結婚式を行った。相手は一般人女性のダニエリ(当時23歳)さんで、披露宴はサンパウロにあるキリスト再生教会で取り計らわれた。この教会はサンパウロ所属のカカも披露宴を行った聖地である。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1995 ジュベントス セリエB
1996 1 0
1997 アメリカ-SP サンパウロ州
1998 グアラニ セリエA 16 7
1999 16 9
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
1999-00 レバークーゼン ブンデス1部 24 2
2000-01 12 0
2001-02 ヴォルフス 31 8
2002-03 30 5
2003-04 レバークーゼン 20 2
2004-05 23 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005 浦和 10 J1 16 8 3 1 5 0 24 9
2006 22 4 3 0 4 2 29 6
2007 33 7 2 0 0 0 35 7
2008 16 1 2 0 2 1 20 2
2009 28 4 4 1 1 0 33 5
2010 28 9 6 2 2 2 36 13
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2011 グレミオ・バルエリ セリエB
通算 ブラジル 33 16
ドイツ ブンデス1部 140 19
日本 J1 143 33 20 4 14 5 177 42
総通算

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2007 浦和 10 12 5
2008 4 0
通算 AFC 16 5

その他の国際公式戦

個人タイトル

脚注

  1. ^ 浦和ポンテ退団へ、若手台頭で戦力外に nikkansports.com 2009年12月20日付
  2. ^ 浦和ポンテ「サポーターのために」契約更新 Sponichi Annex 2010年5月15日付
  3. ^ ロブソン・ポンテとの契約について URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE 2010年11月19日付
  4. ^ 大宮「(ポンテ選手には)まだオファーは出していません」(岡本GM) エル・ゴラッソ web版 2010年12月8日付
  5. ^ 元浦和・ポンテ、母国ブラジルで現役続行 sanspo.com 2011年01月27日付
  6. ^ ポンテMVP&来年1月挙式!浦和中盤仕切りアジアV貢献 スポーツ報知 2007年12月18日付

外部リンク