ヤニック・ダルマス
ヤニック・ダルマス | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | フランス |
出身地 | 同・ヴァール県ル・ボーセ |
生年月日 | 1961年7月28日(62歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1987-1988,1989-1990,1994 |
所属チーム |
'87-'88,'89,'94 ラルース '89-'90 AGS |
出走回数 | 49 (24スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1987年メキシコGP |
最終戦 | 1994年ポルトガルGP |
ヤニック・ダルマス(Yannick Dalmas, 1961年7月28日 - )はフランス・ヴァール県ル・ボーセ出身の元F1ドライバー。
略歴
元々若手有望株として期待されており、同じくフランス人だったジャン・アレジ(Alesi )、エリック・ベルナール(Bernard )、エリック・コマス(Comas )とともに、「フランスのABCD」と言われていた。
1986年のフランスF3チャンピオンに輝いた後、翌1987年の第14戦メキシコグランプリで、ラルース・フォードよりF1デビュー。デビュー戦の成績は予選23位、決勝9位だった。
1989年シーズン途中にAGSに移籍し、1990年シーズン終了時に一度F1を退いたが、1994年に古巣のラルースからF1に復帰、第12戦イタリアグランプリと第13戦ポルトガルグランプリに出走している。F1ドライバーとしてはこのポルトガルグランプリが最後のレースとなった。
F1を離れてからはスポーツカーレースに専念し、ル・マン24時間レースでは1992年、1994年、1995年、1999年の4度優勝している。1995年の優勝時のチームメイトに関谷正徳がいる。また1992年にはプジョー・905を駆り、デレック・ワーウィックらとともにスポーツカー世界選手権(SWC)のシリーズチャンピオンにも輝いている。
すでにドライバーとしては現役を退いており、2012年からはFIA 世界耐久選手権のスチュワードを務めている[1]。2014年からはフランスの「GT Tour」のレースアドバイザーも兼任する[2]。
レース戦績
F1
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年 | ローラ/ラルース | LC87 | BRA | SMR | BEL | MON | DET | FRA | GBR | GER | HUN | AUT | ITA | POR | ESP | MEX 9 |
JPN 14 |
AUS 5‡ |
NC (22位) |
0 |
1988年 | LC88 | BRA Ret |
SMR 12 |
MON 7 |
MEX 9 |
CAN DNQ |
DET 7 |
FRA 13 |
GBR 13 |
GER 19 |
HUN 9 |
BEL Ret |
ITA Ret |
POR Ret |
ESP 11 |
JPN | AUS | NC (18位) |
0 | |
1989年 | LC88C | BRA DNQ |
NC (40位) |
0 | ||||||||||||||||
LC89 | SMR Ret |
MON DNQ |
MEX DNQ |
USA DNQ |
CAN DNQ |
FRA | ||||||||||||||
AGS | JH23C | GBR DNPQ |
GER DNPQ |
HUN DNPQ |
||||||||||||||||
JH24 | BEL DNPQ |
ITA DNPQ |
POR DNPQ |
ESP DNPQ |
JPN DNPQ |
AUS DNPQ | ||||||||||||||
1990年 | USA DNPQ |
BRA Ret |
SMR DNPQ |
NC (25位) |
0 | |||||||||||||||
JH25 | MON DNPQ |
CAN DNPQ |
MEX DNPQ |
FRA 17 |
GBR DNPQ |
GER DNQ |
HUN DNQ |
BEL DNQ |
ITA NC |
POR Ret |
ESP 9 |
JPN DNQ |
AUS DNQ | |||||||
1994年 | ラルース | LH94 | BRA | PAC | SMR | MON | ESP | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA Ret |
POR 14 |
EUR | JPN | AUS | NC (35位) |
0 |
(key)
- ‡ : 1987年オーストラリアグランプリにおいてダルマスは5位の入賞圏内でフィニッシュしたものの、ラルースチームは年間エントリーを1台のみとして登録していたため規定によりポイント獲得は認められなかった。
WSC
年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | プジョー・タルボ・スポール | プジョー・905 | C1 | SUZ Ret |
MON Ret |
SIL Ret |
LMN Ret |
NÜR Ret |
MAG 1 |
MEX 1 |
AUT Ret |
13位 | 40 |
1992 | プジョー・タルボ・スポール | プジョー・905 | C1 | MON 2 |
SIL 1 |
LMN 1 |
DON 2 |
SUZ 1 |
MAG 5 |
1位 | 98 |
BPR GT
年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | トヨタ チーム トムス | トヨタ・スープラ LM-GT | GT1 | JER |
PRI |
MON |
JAR |
NÜR |
DON |
PAR |
SCA |
SUZ |
SIL |
NOG |
ZHU Ret |
NC | 0 |
FIA GT
年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | ルーック・レーシング | ポルシェ・911 GT1 | GT1 | HOC 5 |
SIL Ret |
HEL |
13位 | 19 | ||||||||
ポルシェ AG | ポルシェ・911 GT1 Evo | NÜR 17 |
SPA 3 |
A1R 7 |
SUZ 10 |
DON 15 |
MUG 3 |
SEB 4 |
LAG 2 | |||||||
1998 | ポルシェ AG | ポルシェ・911 GT1-98 | GT1 | OSC 7 |
SIL Ret |
HOC 6 |
DIJ 2 |
HUN 3 |
SUZ 3 |
DON 3 |
A1R 3 |
HMS 3 |
LAG Ret |
3位 | 27 |
補足
- F1での最高位は1987年オーストラリアグランプリでの5位。しかしラルースチームはフィリップ・アリオーのみの1カーエントリーでシーズンに臨んでいたため、2台目となるダルマスの得点は認められなかった。
- ダルマスは1988年日本グランプリを中耳炎のために欠場した。この代役として鈴木亜久里がF1デビューを果たした。
- 1998年秋にアメリカン・ル・マン・シリーズの開幕戦(旗揚げレース)「プチ・ル・マン」のロード・アトランタで、レース中ドライブしていたポルシェ911GT1が突然宙に舞い上がり、空中で後ろ向きに一回転して路面に叩き付けられるアクシデントに見舞われた。幸いにも彼は無傷だった。
その他
レースキャリアとしては2輪からスタートさせている。モトクロスに参戦した際にあまりにも骨折が酷く、以降は4輪レースに転向した。 また1986年頃にインストラクターとして同乗していた際に生徒が事故を起こし、ダルマス自身も重傷を負ったという。
脚注
- ^ Drivers need to be an 'advocate of a high standard' in F1 - F1 PULSE・2012年10月8日
- ^ YANNICK DALMAS ET PIERRE DIEUDONNÉ NOMMÉS « RACE ADVISOR » POUR 2014 - GT TOUR・2014年3月10日