マイスタジオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。202.164.70.149 (会話) による 2016年3月27日 (日) 13:13個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎2代目)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

マイスタジオMy Studio)は、日本テレビの本社社屋にあるオープンスタジオである。通称は『マイスタ』。

東京都千代田区二番町麹町)の元々は旧本社南本館1階にあったが、同港区東新橋汐留)の本社ビル(日本テレビタワー)移転後も、2代目として「マイスタジオ」の名称は使用されている。

初代

初代マイスタジオ跡(現:日本テレビ麹町診療所)

1979年に『ズームイン!!朝!』(3月5日開始)の放送を開始するにあたり、生中継を多用することを特徴とした番組のため、「外の様子が見えるスタジオで番組を放送したい」というディレクターの齋藤太朗の意見がきっかけでスタジオ建設に至り、元々1階の郵便集配室と日本テレビ25年史の展示室だったスペースをスタジオに改装した。

『ズームイン!!朝!』第1回放送時のオープニングで、当時のキャスター徳光和夫は視聴者に向けて「私のスタジオ、そしてあなたのためのスタジオです。」とマイスタを紹介している。

なお、改築にかかった費用は約4億円。この経費は『ズームイン』が企業会計の計算上すべてを負担する形式をとり減価償却に4年費やした。

特徴はスタジオと副調整室との間に壁がない「オープンスタイル」で、通常キャスターが窓を背に定位置に立つと、副調整室のモニター群が一望でき、入ってくる全中継回線・VTRなど映像の状況をキャスター自身が把握することが可能で、国内・海外を問わず生中継を多用した『ズームイン』ではその威力を大いに発揮した。

外部からの中継回線を多く取り入れ、捌くことができるという特徴もあったが、報道用のスタジオ以外ではこのような特徴を持つスタジオは存在しない(汎用スタジオでは数多くの中継を取り入れることは皆無に等しいため)ことから、日本テレビでは『24時間テレビ 愛は地球を救う』『ゆく年くる年』をはじめとして報道系以外で外部から多くの中継を入れる場合、このマイスタを「中継受け専用サブ」として使用することも多かった。なお、この機能は汐留の2代目マイスタにも踏襲されている。

ちなみに、スタジオと副調整室との間に壁のないスタジオは、テレビ局のスタジオとしてはこのマイスタが日本初である。また当時の朝番組はスタッフの人数が非常に少なかったため、当時まだテレビ業界では普及率の低かったカセット式VTRU規格BETACAMDigital BETACAM)を多用したほか、タイムキーパーの指示をモニター経由でキャスターに直接伝えることによりフロアマネージャーを廃するなど、省力化のための様々な工夫が施されている。

スタジオの扉を開くと玄関前の広場、その隣が日本テレビの構内駐車場であるため、そこで番組のオープニングやエンディングを行っていた。玄関前・駐車場からは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の罰ゲームで何度か早朝の生放送を行ったり、『ズームイン!!サタデー』でクロマキー技術を多用したセット、『NNNニュースプラス1』の天気予報が有名。スタジオ前の日本テレビ通り地下には営団地下鉄(現:東京地下鉄有楽町線が通っているためわずかながら電車の通過振動を感じることがあった。

また、設置当初は夕方の生放送で福留功男(当時日本テレビアナウンサー)が司会の『タウン5』、バラエティ番組『爆笑!!マイスタ』、三笑亭夢之助出演の『マイスタ芸能ワイド!!』などが生放送されたほか、『日本テレビハイライト』などの宣伝番組収録にも使用された。また、系列局の中京テレビの『夢のドラゴンズ生放送』が試合当日の後楽園球場での巨人中日戦の試合後に生放送スタジオとして使用していた。

後にはドラマ『ザ・ワイドショー』の劇中架空ワイドショー『LAST WIDE』収録(当初はこのパートのみ生放送)など他番組にも使用、『スーパーテレビ情報最前線』など本来収録の番組が急遽生放送を行う際にもマイスタが多く使用されたが、異色なところとしては『ザ・トップテン』が本来使用していた渋谷公会堂を公会堂側の都合で使用できなくなった際、急遽マイスタをメインスタジオとして使用したというエピソードも残されている。

副調整室を背景にして放送すればスタジオセットを作らずに済むなどのメリットもあって、機動力のあるスタジオであった。

また、マイスタジオの隣にはテナントとして飲食店が入居していたが、2000年頃の契約満了を持って退去させた上で、その空きスペースもマイスタジオのフロアとして拡張した[1]。これによりスタジオフロア部分に余裕が生まれたことで、一部番組ではスタジオ内に簡便な美術セットを持ち込んで放送することも増えた。

2004年2月をもって本社機能が麹町から汐留に移転したが、技術的な事情から放送機能(主調整室)が麹町に留まったことで、マイスタジオが麹町(初代)と汐留(2代目)の2か所に存在する期間があった。その後2005年に主調整室(マスター)をはじめ放送機能が完全に汐留に移行したことを契機として、旧本社ビル(麹町分室)の初代マイスタは廃止され、跡地には同年4月に日本テレビ麹町診療所が移転開業した。

2代目

2代目マイスタジオ
マイスタデッキ

2004年の日本テレビの本社移転に伴い、汐留の日テレタワー2階に設けられたオープンスタジオ。横幅があり、奥行きが少ないのが特徴。初代同様に副調整室との間に壁を設けていないオープンスタイル。マイスタジオに面して広場があり、広場の奥はズームインにちなんだ「ズームイン!!汐留神社」(新橋日比谷神社汐留分社、現在はドラマ『ごくせん』にちなんだ「ごくせん神社」になっている)を設置。また、マイスタジオの上に宮崎駿アニメ映画監督)デザインの「日テレ大時計」が設置されている。

2016年現在は、『ズームイン!!サタデー』、『news every.』(4時台)、『深層NEWS』(BS日テレ)がマイスタジオからの放送。また、『PON!』(2016年4月から月~木曜のみ)の一部コーナーでも使用される他、『news every.』の天気予報(4・5時台の天気で使用・災害発生時の生解説もここから行っている。ごくまれにではあるが、オープニングもここから伝えることがある)はマイスタジオ前の広場から放送している。2011年3月31日まで放送していた『ズームイン!!SUPER』(2011年3月まで)や『よい国のニュース』(BS日テレ、2011年4月から2012年3月まで)や『らくらく!大人倶楽部』(BS日テレ、2012年4月から2013年3月まで)や『イブニングプレス donna』(2012年4月から2013年12月までの間)もマイスタジオからの放送であった。

構造的には通常のスタジオの副調整室の後方にモニター類を見渡せる形でMCブースが設置されており、番組司会者は中継回線等の状況を把握し易く緊急事態等に素早く対応できる事から、情報系生番組用としてはある意味完成されたスタジオとも言える。なおMCブースの背後はガラス張りで外部から放送の様子を見ることが可能だが、自己批評番組『あなたと日テレ』では放送終了までブラインドを閉めて使用されていた。

初代マイスタが道路に面したスタジオであったので、放送中でもスタジオ前を一部の通行人が立ち止まってふざけたりする場合が多々あり、また公道であるため規制することができなかった。それを考慮して、スタジオに面した広場を日本テレビの敷地とし、放送中は通行することが出来なくなっている。ただし、少し離れたところに汐留メディアタワー共同通信社が入居)などへ続く通路があり、そこを通る通行人の姿が映ることはある。

超☆汐留パラダイス!」など、日本テレビのイベントの際にはスタジオ使用時を除き時間限定でスタジオの中に入って無料で見学することができる。

ギャラリー

関連項目

  • ゼロスタジオ - 汐留本社敷地内にあるオープンスタジオ。同スタジオ(サブ設備)から駆動する。『PON!』で使用。
  • テレビバ - クリスタルホールを改装し、新たに設けられたオープンスタジオ。2009年4月から9月まで『おもいッきりDON!』(第2部)で使用した後、ライブスペースに再改装。2011年現在はその名称を「汐留AX(SHIODOME-AX)」と変更している。

脚注

  1. ^ 同時期、同じく同所南本館に入居していた他のテナントも退去させており、退去後のスペースに日本テレビのグッズショップである「なんだろうショップ」などが開店している